古典篇(その二)


古典篇(その二)

(平成11-5-1書き込み。23-3-1最終修正)(テキスト約20頁)


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   目  次

記紀神話を読み直す(その一)

1 「スサノオ神話」の真実

(1) アマテラス、ツクヨミ、スサノオの誕生と役割

 「黄泉の国」は、山の上にある

「アマテラス」、「アマ」、「高天原」の意味ーアマテラスは、対馬にある高天原で祭祀を司った
「ツクヨミ」、「夜の食国」の意味ーツクヨミは、国の境界の防衛を司った

「スサノオ」、「根の国」の意味ースサノオは、列島を統治することを命じられた

イザナキの幽宮の疑問

(2) スサノオのアマテラス訪問

(3) 天真名井での「ウケヒ」

(4) スサノオの乱行、天の岩戸と高天原からの放逐

(5) ヤマタノオロチ退治ー成功の鍵は「サズキ」にあった

2 「オオクニヌシ」神話の真実

(1) 八上(やがみ)比賣への求婚

(2) 八十神による迫害

(3) アシハラノシコヲの意味とスセリヒメの内助の功

(4) ヤチホコの神の神語ー「ヤチホコ」は「武勇」の意味ではない

(5) スクナヒコナは、大男の「将軍」だつた

 「スクナ」は「小」ではない/「スクナヒコナ」の意味/「スクナヒコナ」は将軍だった

(6) 葦原中国の平定

(7) 国譲り

<修正経緯>


まえがき

 前回の「古典篇(その一)」(平成11年3月1日書き込み)では、「ハツクニシラス」の意味の解釈から始めて、「ヒコホホデミ」や「イニエ(イノエ)」など時代の異なる二神(人)に付けられた称号や名前の謎を解明しました。
 これによって、そもそも『古事記』、『日本書紀』の編集者が原ポリネシア語(おそらく縄文語の一つ)で伝承されていた物語の意味を誤解して(場合によっては意図的に読者を誤解に導くように修飾して)、編集、記述していたため、後世の人々の誰も気付かなかった古代史の真実の一端に迫ることができたと自負しています。
 今回は、記紀神話のなかでもとくに個性豊かな二人の巨人、「スサノオ」と「オオクニヌシ」にハイライトを当てて、記紀を読み直してみたいと思います。
 なお、この記紀神話の解釈は、従来通り、原則として岩波書店日本古典文学大系本の読み下ろしの発音を基準とし、その音に対応する原ポリネシア語を媒介として、マオリ語によって解釈しておりますが、一部原文の漢字の読みを改めた箇所があります。

1 「スサノオ神話」の真実

(1) アマテラス、ツクヨミ、スサノオの誕生と役割

a 「黄泉の国」は、山の上にある

 『古事記』では、イザナキノミコトが黄泉国から戻って海で禊ぎをし、数多くの神を生みます。

 『日本書紀』本文には、イザナミの死とイザナキの黄泉国訪問の記事がありません。これは、『古事記』の編集者が天孫民族とその協力民族のみならず、古くから日本列島に住んでいた先住民族の伝承についても、その根底に流れる原始信仰について改変をできるだけ避けて、忠実に記録を試みているように思われる(ただし、「ヨミノクニ」の表記は、漢語=中国思想を借用して「黄泉国」としています)のに、『日本書紀』の編集者は、自らの大陸・半島系の信仰にのっとって、先住民族の原始信仰である「ヨミノクニ=死者の魂の行く国」の思想、存在をまったく認めず、「一書に曰く」としてしか記録しなかったその編集方針によるものではないでしょうか。
 例えば、葬送儀礼の一つの現在でも我々が行なっている「塩によるお清め」(葬儀の後お清め塩の付いた手に水を注いだり、葬儀からから帰った人が自宅に入る前にお清め塩を体にふりかける習慣)は、海水で死の汚れを流し去ったイザナキの禊ぎの流れを汲むものであり、いわば縄文人の習俗でしたが、『日本書紀』の編集者たちはそれとは全く異なった習俗、ないし宗教的価値観から、それを野蛮なもの、唾棄すべきものとして否定した結果がこのような『古事記』と『日本書紀』の記事の相違の原因となったと私は理解しています。その背景には、『古事記』と『日本書紀』の編集が行われた時代の相違、価値観の変化があったものと思われます。
 この「スサノオ」誕生の前段階で語られる「黄泉(よみ)の国」は、マオリ語の

  「イオ・ミヒ」、IO-MIHI(io=spur,ridge;mihi=lament)、「嘆き悲しむ山の上(の土地)」

の転訛(語尾の「ヒ」が脱落した)と解します。
 これまで、「黄泉の国」は、中国思想の影響をうけてのことと思われますが、従来当然のように地下にあると解されてきました。しかし、神野志隆光氏も指摘しているように(『古事記の世界観』吉川弘文館、1986年。『古事記と日本書紀』講談社現代新書。1999年)、黄泉の国の領域内にある「黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本」で、イザナキは黄泉の軍を撃退し、千引きの岩を据えて「黄泉の国」と「葦原中国」の境界としたのですから、「黄泉の国」は坂の上、山の上にあったことは明白です。
 そしてこの『古事記』の伝承は、『出雲国風土記』出雲郡宇賀郷の条の「黄泉の坂」の記事とともに、アイヌの信仰と符合(例えば藤村久和『アイヌ、神々と生きる人々』小学館ライブラリー、1995年)しています。アイヌの宇宙観によれば、死者はまずあの世の入り口である洞窟に入り、その奥の狭いトンネルを通ってあの世への準備場所に行き、また、魚は川を遡って、鳥は空を飛んでそこ(準備場所)に行き、そこの高い山から天に登るのです。そしてまた同じルートを通ってこの世にやって来るのです。このアイヌの思想は、縄文人の「ヨミノクニ」の思想を今に伝えているものと私は考えています。記紀の「殯(もがり)」の風習も、この思想に基づくものです。
 この「黄泉比良坂(よもつひらさか。紀の一書(第七)には「余母津比羅佐可」とあります)」または「与美津枚坂(よみつひらさか。鎮火(ほしづめ)の祭の祝詞)」は、マオリ語の

  「イオ・モツ・ヒラ・タカ」、IO-MOTU-HIRA-TAKA(io=spur,ridge;motu=separated,anything isolated;hira=great,important;taka=heap,heap up)、「(黄泉の国と葦原中国の)間を隔てる大きな坂」
  「イオ・ミヒ・ツ・ヒラ・タカ」、IO-MIHI-TU-HIRA-TAKA(io=spur,ridge;mihi=greet,amire;tu=stand,be turned up;hira=great,important;taka=heap,heap up)、「悲嘆の山の上へ向かって登って行く大きな坂」

の転訛と解します。
 なお、「伊賦夜(いふや)の坂」は、マオリ語の

  「イフ・イア・ノ・タカ」、IHU-IA-NO-TAKA(ihu=nose,bow of a canoe;ia=indeed;no=of;taka=heap,heap up)、「本当にカヌーのへさきのように高くなっている場所」

の転訛と解します。

b 「アマテラス」、「アマ」、「高天原」の意味ーアマテラスは、対馬にある高天原で祭祀を司ったー

 このイザナキの禊ぎの最後に天照大御(あまてらすおほみ)神、月読(つくよみ)命と建速須佐之男(たけはやすさのお)命の三柱の神が生まれます。
 イザナキは、「御頚珠の玉の緒母由羅迩(たまのをもゆらに)取り由良迦志(とりゆらかし)て」、御頚珠(その名を「御倉板挙(みくらたな)神」といいます)を天照大御神に賜い、天照大御神は「高天(たかま)の原」を支配し、月読命は「夜の食(をす)国」を支配し、建速須佐之男命は「海原(うなはら)」(紀の本文と一書(第一、第二)では「根(ね)の国」)を支配するように命じます。
 この天照大御(あまてらすおほみ)神は、これまで「天にましまして照り輝く神」、即ち「日の神。太陽神」と解されてきましたが、この神名は、マオリ語の

  「アマ・テラ・ツ・オホ・ミヒ」、AMA-TERA-TU-OHO-MIHI(ama=outrigger of a canoe;tera=that,yonder;tu=stand,settle;oho=surprise,wake up,arise;mihi=lament,greet,admire)、「彼方のカヌーのアウトリガーのような土地(対馬)の高いところに居る尊い神」または「対馬の高いところに居る(スサノオの来訪を叛乱かと誤解して)驚愕した尊い神)」

の転訛と解します。
 「天(あま)」は、これまで「天上」とも、「海人(あま)」とも解する説がありましたが、マオリ語で解釈しますと、「カヌーのアウトリガーのような土地」、すなわわち、日本列島と朝鮮半島の間に横たわる細長い「対馬」(および「壱岐」)の地を指していると考えざるをえません。
 この「天(あま)」は「ハマ(ン)ガ」、HAMANGA(not full(hamama=open,vacant))、「空虚なもの(天。天上)」(H音および名詞形語尾のNGA音が脱落して「アマ」となった)と、「海人(あま)」は「ア・マ」、A-MA(a=the...of;ma=white,pale,faded,perished)、「(海に潜ると冷たさに)蒼白となる・種類の(人々)」と解します。
 この対馬(および壱岐)を根拠地として、朝鮮半島南岸と北九州一帯に勢力をもっていた南方系の航海民族が天孫族およびその支援民族であり、これらが語り伝えてきた神話伝説が記紀神話のもととなったものと考えられます。
 このことを裏付ける事実の一つは、この「対馬」と「壱岐」における『延喜式』神名帳に記載されたいわゆる式内社の存在状況です。西海道の式内社が107座ある中で、この極めて小面積の「対馬」と「壱岐」の二島に、対馬には29座(うち名神大6座)、壱岐には24座(うち名神大7座)もあるのです。(この座数は、鎮座する神の柱数で、神社の数ではありません。)これは、大和国286座(名神大128座)や山城国122座(名神大53座)、さらに事情が違いますが出雲国187座(名神大2座)と単純に比較することはできませんが、この二島の大きさからしますと、すぐ近くの筑前国19座(名神大16座)に比較しても驚くべき多さということができます。
 しかも、対馬には建国神話で重要な地位を占める高御産巣日神(タカミムスヒ。紀では高皇産霊尊)を祀る高御魂神社(名神大)が下県郡厳原町豆酸(つつ)にあり、式内社ではありませんが神産巣日神(カムムスヒ。紀では神皇産霊尊)を祀る神御魂神社が上県郡上県町佐護の奥にあります。また、天照大神に比することができると思われる天照魂または天日神を祀る阿麻て留神社(名神大)が下県郡美津島町小船越にあり、月読命を祀る月読神社(名神大)が壱岐島壱岐郡にあり、『日本書紀』顕宗紀3年4月の条の日神および2月の条の月神にそれぞれ比定されています。さらに、豊玉毘賣(姫)を祀る和多都美(わたつみ)神社が上県郡に1座(名神大)、下県郡に2座(うち1座は名神大)あり、豊玉毘賣の子、鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアエズ)を祀る和多都美御子(わたつみみこ)神社(名神大)が上県郡に1座、合計4座もあるのです。
 このほかにも、住吉三神を祀る住吉神社(名神大)が対馬島下県郡、壱岐島壱岐郡に各1座ありますが、下県郡美津島町鶏知の住吉神社の主祭神は豊玉毘賣になっています。式内社以外にも、和多都美神社、住吉神社など海神を祀る神社が目立ちます。これらのことは、対馬、壱岐が天孫族およびその支援民族の本拠地であり、建国神話の故郷であったと考えるのが、もっとも合理的です。

 この高天の原の「タカマノハラ」は、マオリ語で二通りの解釈が可能です。その第一は、

  「タカ・マノ・ハラ」、TAKA-MANO-HARA(taka=heap,lie in a heap;mano=interior part,heart;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「高い岡の・奥の・(氏族の首長がその場所で死んだことを示す先を折った杖が挿してある)首長の墓地」

の転訛(「ムア」が「マ」に変化した)と解します。この「先を折った杖を立てた所」とは、古くは杖は旅の必需品でしたから、「氏族の首長がその場所で死んだことを示す=死亡の場所」だけでなく、「旅を終えて、旅に使った杖を折った=定住した場所」をも示すものと解釈すべきだと思います。したがってそこは「首長の墳墓のある聖地」であり、かつ「首長の定住した場所」でもあると解することができます。
 第二の解釈は、マオリ語の熟語で、

  「タカ・マハラ」、TAKA-MAHARA(taka=prepare;mahara=thought,memory;taka mahara=entertain a design,propose;taka...mahara=be formed,be developed)、「追憶を・形にした=墓を・作った(場所)。祖先の祭祀を行う場所」

の意と解することもできます。これも第一の解釈と同義です。
 この「首長の墳墓のある聖地」、「首長の定住した場所」または「祖先の祭祀を行う場所」が「高天の原」であるとしますと、高天の原は天孫族の本拠地であった対馬の中にまずあることになります。さらに天孫族が移動した先々の土地、すなわち「葦原中国」の中にも存在し得るのです。
 アマテラスが支配することを命じられた「高天の原」は、対馬にある「首長の墳墓のある聖地」であり、「祖先の祭祀を行う場所」であったと考えられます。
 この解釈によって、オオクニヌシの項で再説しますが、スサノオがオオナムチに「宇迦能山の山本に、底津石根に宮柱布刀斯理(みやはしらふとしり)、高天の原に氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)て居れ」といったことからしますと、「葦原中国の中に高天の原がある」こととなるという疑問が氷解し、はじめて記紀の合理的な解釈が可能となるのです。
 そして、「天津神」や「天の原」の意味も、「天(あま)」を「対馬」と解することによつていろいろのことが統一的に理解することができます。

 イザナキが「御頚珠」をアマテラスに授ける際の「玉の緒母由羅迩(たまのをもゆらに)取り」、「由良迦志(ゆらかし)て」の言葉は、マオリ語の

  「タ・マ・ノホ・マウイ・ウ・ラ(ン)ギ・トリ」、TA-MA-NOHO-MAUI-U-RANGI-TORI(ta=the;ma=white,clean;noho=stay,settle;maui=left,left hand;u=be firm,be fixed;rangi=tune,drift;tori=cut)、「清らかな・もの(玉)を・左手に・乗せ・音が・しないよう・しっかり持ち」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」と、「マウイ」のAU音がO音に変化し、その語尾のI音と、「ウ」のU音が連結して「モユ」と、「ラ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ラニ」となった)
  「イ・ウラカ・チ」、I-URAKA-TI(i=past time;uraka=not;ti=cast,throw)、「(御頚珠を)投げないで(手渡しで)」

の転訛(「モイオイオ」の同音反復の語尾「イオ」が脱落して「モヨ」と、「ラ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ラニ」と変化した)と解します。
 また、その御頚珠の名を「御倉板挙(みくらたな)神」というのは、マオリ語の

  「ミヒ・クラ・タナ」、MIHI-KURA-TANA(mihi=greet,admire;kura=treasure;tana=his,her,its)、「尊い彼女の宝物」

の転訛と解します。

c 「ツクヨミ」、「夜の食国」の意味ーツクヨミは、国の境界の防衛を司った

 月読(つくよみ)命は、これまで「月の数を数える」、「暦を主管する月の神」と解されてきましたが、この神名は、マオリ語の

  「ツク・イオ・ミヒ」、TUKU-IO-MIHI(tuku=let go,put off,side,shore;io=spur,ridge;mihi=greet,admire)、「海岸(境界)の際に居る尊い(神)」

の転訛と解します。
 ツクヨミの支配すべき「夜の食(おす)国」は、マオリ語の

  「イオ・ノ・オツ」、IO-NO-OTU(io=spur,ridge;no=of;otu=the part of the figurehead of a canoe,or of the stern-post of a canoe,which prevents water from coming into a canoe)、「海水(敵)が侵入するのを防ぐ際(海岸線、境界線)」

の転訛と解します。
 つまり、国境の防衛がツクヨミの任務だつたのです。このことは、紀の一書(第六)に「天照大神は、以て高天原(たかまのはら)を治すべし。月読尊は、以て滄海原(あをうなはら)の潮の八百重(やほへ)を治すべし。素戔嗚尊は、以て天下(あめのした)を治すべし。」とイザナキが命じたとあることと符合します。この潮の「八百重(やほへ)」は、マオリ語の

  「イア・ホエ」、IA-HOE(ia=current;hoe=push away with the hand,paddle,travel in a canoe)、「打ち寄せる潮」

の転訛と解します。
 壱岐島に式内社月讀神社があるのは、聖地である対馬と一体であり、その辺境であったことによるものかと思われます。

d 「スサノオ」、「根の国」の意味ースサノオは、列島を統治することを命じられたー

 建速須佐之男(たけはやすさのを)命は、これまで「勇猛迅速に荒れスサブ男」神と解されてきました。この神名は、マオリ語の

  「タケ・ハ・イア・ツ・タノイ・ワウ」、TAKE-HA-IA-TU-TANOI-WAU(take=stump,chief;ha=what!;ia=indeed;tu=forceful;tanoi=be sprained;wau=quarrel,make a noise)、「氏族の首長で・何とも・実に・性格が烈しくて・(高天原で)騒ぎを起こして・懲らしめられた(神)」(「タノイ」の語尾のI音が脱落して「タノ」から「サノ」と、「ワウ」のAU音がO音に変化して「ヲ」となった)

  または「タケ・ハ・イア・ツ・タ(ン)ゴ・ワウ」、TAKE-HA-IA-TU-TANGO-WAU(take=stump,chief;ha=what!;ia=indeed;tu=forceful;tango=take,take up;wau=quarrel,make a noise)、「氏族の首長で・何とも・実に・性格が烈しくて・いつも・喧嘩していた(神)」(「タ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「タノ」から「サノ」と、「ワウ」のAU音がO音に変化して「ヲ」となった)

の転訛と解します。記紀神話の事績を端的に表現した名です。
 『古事記』でスサノオが支配すべきものとされた「海原(うなはら)」と『日本書紀』でスサノオが支配すべきものとされた「根(ね)の国」は、マオリ語の

  「ウ(ン)ガ・ハラ」、UNGA-HARA(unga=send,expel,seek;hara=sin,offense)、「罪(がある者)が・追いやられた(国)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」となった)
  「ネイ」、NEI((Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind)、「騒がしい(国。抗争を繰り返している、まとまらない国。列島のその他の国)」

の転訛と解します。スサノオは、列島の地の統治を命じられたのに、その任を果たさなかったのです。
 以上のアマテラスとツクヨミの関係は、『魏志倭人伝』のヒミコの記事に「(女王は)年已に長大なるも、夫婿なし。男弟ありて、佐けて国を治む。」とあることとの強い類似に注目せざるを得ません。「女王が祭祀を行い、男弟が政治を行う」という慣例ないし慣習がこれらの「倭国」または天孫族らにあったとも考えられます。その伝承が記紀神話に明確に残っているのです。(ただし、これをもってただちにアマテラス=ヒミコ説の根拠とすることはできません。未知の事実が多すぎ、また治める国が違うからです。)

 以上の神話のうち、神または巨人の眼から太陽、月が誕生するモチーフは、中国から東南アジア、ポリネシアにかけて分布し、また太陽、月、海のトリオや、三界分治の観念はミクロネシア、ポリネシアにみられ、これらは日本では海人の伝承であったらしいとされます(大林太良『日本神話の起源』)。
 なお、大林太良氏は『神話の系譜ー日本神話の源流をさぐる』(青土社、1986年)で、神々を三分類し、第一機能の祭祀・統治機能を司る神としてアマテラス、第二機能の軍事機能を司る神としてスサノオ、第三機能の豊穣や生産者的機能を司る神としてオホクニヌシをあげていますが、私は日本神話では祭祀、統治(豊穣、生産、医療などを含む)、軍事の三つに分けるべきだと考えます。この場合、祭祀はアマテラス、統治はスサノオ、オホクニヌシ、軍事はツクヨミ、スクナヒコナとなります。なお、神武東遷では、祭祀及び統治はイワレヒコ、軍事はイツセ(イツセ死亡後は、タギシミミ)ということになりましょう。

 話を元へ戻しますと、スサノオは、命じられた国を治めずに、「啼き伊佐知伎(いさちき)」とあります。この「イサチキ」は、マオリ語の

  「イタ・チキ」、ITA-TIKI(ita=tight,holdfast;tiki=fetch,proceed to do anything)、「(泣くことに)固執して進んだ」

の転訛と解します。
 そこで、イザナキは、命じられた国を治めずになぜ「哭き伊佐知流(いさちる)」と問います。この「イサチル」は、マオリ語の

  「イタ・チ・ル」、ITA-TI-RU(ita=tight,holdfast;ti=throw,cast;ru=shake,agitate,scatter)、「(泣くことに)固執して・騒ぎを・まき散らす」

の転訛と解します。
 ここでスサノオが行きたいと言った母の国である「根(ね)の堅州(かたす)国」は、マオリ語の

  「ネイ・ノ・カ・タツ」、NEI-NO-KA-TATU((Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;no=of;ka=take fire,be lighted;tatu=reach the bottom,be at ease)、「騒がしい(国)・の・火が燃えている・(居心地の良い)居住地(国)」

の転訛と解します。
 そこで、イザナキは激怒して、「おまえはこの国に住むな」といい、「神夜良比爾夜良比(かむやらひにやらひ)賜ひき」とあります。この「ヤラヒ」は、「遣らひ」で追い払う義とされていますが、これは、マオリ語の

  「イア・ラフイ」、IA-RAHUI(ia=indeed,each,every;rahui=embargo,NO TRESPASS sign)、「絶対・出入禁止(追放)」(「ラフイ」のUI音がI音に変化して「ラヒ」となった)

の転訛と解します。

e 「イザナキ」の幽宮の疑問

 『古事記』は、この「夜良比」に続けて、「故、其の伊邪那岐大神は、淡海(あふみ)の多賀に坐すなり。」と記します。また、『日本書紀』には、「幽宮(かくれみや)を淡路の州に構りて、寂然に長く隠れましき。」とも、「亦、・・・天(あめ)に登りまして・・日の少宮(わかみや)に留り宅(す)みましきといふ。」ともあります。
 この「淡海(あふみ)の多賀」は、マオリ語の

  「アウ・ミ・ノ・タ(ン)ガ」、AU-MI-NO-TANGA(au=sea;mi(Hawaii)=urine;no=of;tanga=be assembled)、「尿をする(瀬田川が流れ出す)・海(琵琶湖のある地域)・の・集団居住地」(「タ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「タガ」となつた)

の転訛と解します。
 また、紀の「淡路」は、マオリ語の

  「アワ・チ」、AWA-TI(awa=channel,river;ti=throw,cast)、「海峡の中に放り出されている(地。淡路島)」

の転訛と解します。
 そして紀の亦書きの「天(あめ)に登りて」の「天」を「アマ」と読むならば、これも上述のように「対馬」の地と一致します。
 なお、「日の少宮(わかみや)」の「ヒノワカ」は、マオリ語の

  「ヒノ(ン)ガ・ワカ」、HINONGA-WAKA(hinonga=doing,undertaking;waka=canoe,any long narrow receptacle)、「葬儀(用)の・カヌー(割竹式の舟形木棺)」(「ヒノ(ン)ガ」の名詞形語尾のNGA音が脱落して「ヒノ」となった)

の転訛と解します。天皇家の葬儀では、入棺を「御舟入りの儀」と称するといいます。

(2) スサノオのアマテラス訪問

 追放処分を受けたスサノオは、「根の堅州国」に行く前にアマテラスに事情を話して退散しようと「高天原」にやってきますが、そのとき山川は悉く鳴り動き、国土は皆震動しました。驚いたアマテラスは、これは私の国を取りに来たのかと思い、髪を「美豆羅(みづら。男性の髪型)」に巻き、左右の美豆羅、かづら、左右の手に各「八尺(やさか)の勾玉の五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠」を巻き、「曽毘良迩(そびらに)」は千入の靫(ゆぎ)を負い、「比良迩(ひらに)」は五百入の靫を附け、亦「伊都(いつ)の竹鞆(たかとも)」を取りつけて、「弓腹(ゆはら)」振り立てて、「堅庭(かたには)は向股(むかもも)に蹈み那豆美(なづみ)、沫雪(あわゆき)如(な)す蹶散(くえはらら)かして、伊都(いつ)の男建(をたけび)蹈み建びて」待ちかまえ、どうしてやってきたのかと問います。

 この「美豆羅(みづら)」は、マオリ語の

  「ミヒ・ツラハ」、MIHI-TURAHA(mihi=greet,admire;turaha=be separated)、「高貴な・(左右に)分離して結ったもの(髪)」(「ミヒ・ツラハ」のH音が脱落して「ミ・ツラ」から「ミヅラ」となつた)

の転訛と解します。
 この「八尺(やさか)の勾玉(まがたま)」の「ヤサカ」、「マガ」は、マオリ語の

  「イア・タカ」、IA-TAKA(ia=indeed,each,every;taka=fasten fishing hook)、「それぞれに(釣り針を結びつけるように、勾玉を)結びつけた」
  「マ(ン)ガ」、MANGA(branch of a tree,branch of a river)、「枝の・ある(珠。勾玉)」

の転訛と解します。
 この「五百津(いほつ)の美須麻流(みすまる)の珠」の「イホツ」、「ミスマル」は、マオリ語の

  「イホ・ツ」、IHO-TU(iho=inside,kernel,downwards;tu=stand)、「内側(勾玉と勾玉の間)に付けた」
  「ミヒ・ツ・マル」、MIHI-TU-MARU(mihi=greet,admire;tu=stand;maru=power)、「霊力を秘めた貴い(珠)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となつた)

の転訛と解します。
 この「曽毘良迩(そびらに)」、「比良迩(ひらに)」は、これまで「背中」とか「脇」とか解されてきましたが、これは、マオリ語の

  「トピ・ラ(ン)ギ」、TOPI-RANGI(topi=shut as mouth or hands;rangi=sky)、「(マオリ神話の創世神であり天の神であるランギが、その妻の地の神であるパパを抱擁したまま離さなかったため、この世ははじめ暗黒に閉ざされていたことから)空(そら)を・閉め出していたもの(背)」(「そびらに」の「らに」は「ラ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ラニ」となったもの。「そびら(背)」の「ら」は「ラ(ン)ギ」の語尾のNGI音が脱落して「ラ」となったもの。)
  「ヒ・ラ(ン)ギ」、HI-RANGI(hi=rise;rangi=a shield of wattled supplejack,etc.,impervious to spears)、「立てた楯」

の転訛と解します。「矢が千本とか、五百本入った靫(ゆぎ)」は、地上に立てた楯に掛けてあったのです。
 この「伊都(いつ)の竹鞆(たかとも)」は、マオリ語の

  「イツ・ノ・タカ・タウマウ」、ITU-NO-TAKA-TAUMAU(itu=side;no=of;taka=heap,lie in a heap;taumau=keep in place)、「岡・の・そばに・位置を占めて」(「タウマウ」の二つのAU音がO音に変化して「トモ」となった)

の転訛と解します。
 この「弓腹(ゆはら)」は、これまで「弓の上部の名称」と解されて来ましたが、この「ユハラ・フリタテテ」は、マオリ語の

  「イ・ウ・ハラ・フリタイツア」、I-U-HARA-HURITAITUA(i=be stirred;u=be firm;hara=offence;huritaitua=turn the back,face about)、「反感をあらわにしながら顔を向けて」

の転訛と解します。
 この「堅庭(かたには)は向股(むかもも)に蹈み那豆美(なづみ)」は、これまで「土の堅い空地に両方の股まで踏み入れ」と解されてきましたが、これは、マオリ語の

  「カタ・ニワ」、KATA-NIWHA(kata=laugh;niwha=bold,bravery)、「大胆に笑い」
  「ムク・モモ」、MUKA-MOMO(muka=the way by which an atua(god) communicates with the medium;momo=in good condition)、「良い状態で神憑りしたように」
  「フミ・ナツ・ム」、HUMI-NATU-MU(humi=abundant;natu=angry,show ill feeling;mu=show discontent with)、「不快感を満面にあらわして」

の転訛と解します。
 この「沫雪(あわゆき)如(な)す蹶散(くえはらら)かして、伊都(いつ)の男建(をたけび)蹈み建びて」は、「軽い柔らかい雪のように土を蹴散らして、土地をしっかり踏んで威勢鋭く雄々しい叫びを上げて」と解されてきましたが、これは、マオリ語の

  「アウア・イ・ウキ・ナツ」、AUA-I-UKI-NATU(aua=those before mentioned;i=past time;uki=distant past times;natu=angry,show ill feeling;)、「さきにも述べたように、大分前から不快感を示していた」
  「キ・ウエ・ハラ・カチ」、KI-UE-HARA-KATI(ki=say;ue=incantation;hara=offence;kati=well,enough)、「しっかりと守りの呪文を唱えた」
  「イ・ツノウ」、I-TUNOU(i=past time,each,every;tunou=nod the head)、「いちいち頷きながら」
  「オ・タケ・ピ・フミ・タケ・ピ」、O-TAKE-PI-HUMI-TAKE-PI(o=the...of;take=charm,incantation;pi=flow;humi=abundant;take=charm,incantation;pi=flow)、「例の(守りの)呪文を何回となく唱え」

の転訛と解します。

 このようにして待っていたアマテラスのどうしてやってきたのかとの問いに、スサノオは事情を話します。イザナキに、「白(まを)し都良久(つらく)」、母の国へ往きたいと思って泣くのだといったところ、追放を申し渡されたので、挨拶に来たのだと言いますが、アマテラスは疑いを捨てず、スサノオの心が清く誠実であることをどうして知ることができるのかと言います。そこでスサノオは、「ウケヒ」をして子を生みましょうと提案します。
 この「白(まを)し都良久(つらく)」は、マオリ語の

  「ツラキ」、TURAKI(overthrow,depose)、「証言する」

の転訛と解します。

(3) 天真名井での「ウケヒ」

 スサノオとアマテラスは、「天の安(やす)河」で「宇気比(うけひ)」をします。この「ウケヒ」は、これまで「吉凶黒白を判断する場合に、必ずかくあるべしと心に期して或行為をする」と解されています。紀では「誓約」の語が用いられ、「誓約(うけひ)の中(みなか)に必ず當に子を生むべし・・・」とあります。
 この「ウケヒ」は、マオリ語の

  「ウ・ケヒ」、U-KEHI(u=be fixed;kehi=defame,speak ill of)、「(正邪真偽を)定めて(邪偽を)おとしめる」

の転訛と解します。
 この「誓約の中(みなか)」の「ミナカ」は、マオリ語の

  「ミナカ」、MINAKA(desire)、「希望する(心に期する)」

の意と解します。
 この「天の安(やす)河」は、マオリ語の

  「アマ・ノ・イア・ツ」、AMA-NO-IA-TU(ama=outrigger of a canoe;no=of;ia=current,rushing stream;tu=forceful,fight with)、「対馬の激流(または対決)の河」

の転訛と解します。
 アマテラスはスサノオの剣を、スサノオはアマテラスの「八尺の勾玉の五百津の美須麻流の珠」を、いずれも「奴那登母母由良爾(ぬなとももゆらに)、天の真名井(まなゐ)に振り滌ぎて、佐賀美迩迦美(さがみにかみ)て」吹いた息から神が生まれます。
 この「奴那登母母由良爾(ぬなとももゆらに)」は、「瓊の音も玲瓏と」の意で、アマテラスの項に入っているのは間違いとされ(岩波日本古典文学大系本注)、またこの語句は紀にはありませんが、これは、マオリ語の

  「ヌヌイ・トモ・モイオイオ・ラ(ン)ギ」、NUNUI-TOMO-MOIOIO-RANGI(nunui=large,many;tomo=be filled,enter,begin;moioio=weakly;rangi=tune,drift)、「十分に(水に)浸してゆっくりと(振り動かす)」

の転訛(「モイオイオ」の同音反復の語尾「イオ」が省略されて「モユ」に変化し、「ラ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ラニ」となった)と解します。したがってスサノオとアマテラスの両者に同じ形容があっても間違いではなく、紀にこの語句が無くとも不思議ではないのです。
 この「真名井(まなゐ)」は、紀の一書(第一)には「天の渟名井(ぬなゐ)、亦の名は去来之真名井(いざのまなゐ)」ともあり、「真名」は美称、「井」は用水を汲む所の意とされています。この「マナヰ」、「ヌナヰ」、「イザノ」は、マオリ語の

  「マ・ナヱ」、MA-NAWE(ma=white,clean;nawe=scar)、「清らかな(大地の「傷口」のような)井戸」
  「ヌイ・ナヱ」、NUI-NAWE(nui=large;nawe=scar)、「大きな(大地の「傷口」のような)井戸」
  「イタ・ノ」、ITA-NO(ita=compact;no=of)、「こじんまりした」

の転訛と解します。
 この「佐賀美迩迦美(さがみにかみ)て」は、マオリ語の

  「タ・カミ・ヌイ・カミ」、TA-KAMI-NUI-KAMI(ta=the;kami=eat;nui=many)、「何回も噛みに噛んで」

の転訛と解します。
 このウケヒによって、はじめにスサノオの剣から生まれた神は、「多紀理(たきり)毘賣命、亦の御名は奥津島(おきつしま)比賣命」、「市寸島(いちきしま)比賣命、亦の御名は狭依(さより)毘賣命」、「多岐都(たきつ)比賣命」の三柱(胸形(むなかた)の神)で、次ぎにアマテラスの珠から生まれた神は、「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)命」、「天之菩卑(あめのほひ)能命」、「天津日子根(あまつひこね)命」、「活津日子根(いくつひこね)命」、「熊野久須毘(くまのくすび)命」の五柱です。
 これらの神名は、いずれも次のように解釈できます。

  「多紀理(たきり)毘賣命」は、「タキリ」、TAKIRI(loosen,free from TAPU)、「呪縛を解く(姫神)」
  「胸形(むなかた)の神」は、「ムナ・カタエ」、MUNA-KATAE(muna=tell or speak of privately,secret;katae=how great!)、「偉大なる神託を下す(神)」
  「奥津島(おきつしま)比賣命」は、「オキ・ツ」、OKI-TU(oki(hawaii)=cut,separate;tu=stand,settle)、「遠く離れて居る(姫神)」
  「市寸島(いちきしま)比賣命」は、「ウィチキ」、WHITIKI(bind,gird,hold)、「(奥津島と本土を)結ぶ(島の姫神)」
  「狭依(さより)毘賣命」は、「タ・イオ・リ」、TA-IO-RI(ta=the;io=muscleline;ri=protect,bind)、「(奥津島と本土を)結ぶ綱(のような島の姫神)」
  「多岐都(たきつ)比賣命」は、「タキツ」、TAKITU(formation in colum for attack)、「(奥津島、中津島と本土を結んで)縦一列に並ぶ(本土の姫神)」
  「正勝吾勝勝速日天之忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)命」は、「マタ・カツア・ア・カツア・カチ・ハ・イア・ヒ・アマ・ノ・オチ・ハウミ・ミヒ」、MATA-KATUA-A-KATUA-KATI-HA-IA-HI-AMA-NO-OTI-HAUMI-MIHI(mata=really,just;katua=adult;a=recognition of person;kati=well,enough;ha=what!;ia=indeed;hi=rise,shine;ama=outrigger of a canoe;no=of;oti=completed,finishrd;haumi=reserve,lay aside;mihi=admire)、「まったくの一人前の大人で実に輝いていたが、(降臨をホノニニギに譲って)対馬の地で一生を終えた尊い(神)」
  「天之菩卑(あめのほひ)能命」は、「ア・メノ・ホピ」、A-MENO-HOPI(a=the...of,belonging to;meno=whakameno=show off,make a display;hopi=be terrified,be faint-hearted)、「気が弱い(復命できない)ことを・さらけ出した(神)」(「ホピ」のP音がF音を経てH音に変化して「ホヒ」となつた)
  「天津日子根(あまつひこね)命」は、「アマ・ツ・ヒコ・ネイ」、AMA-TU-HIKO-NEI(ama=outrigger of a canoe;tu=stand,settle;hiko=move at random or irregularly;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind)、「対馬に・居る・あちこち巡歴した・物議を醸した(神)」
  「活津日子根(いくつひこね)命」は、「ヒク・ツ・ヒコ・ネイ」、HIKU-TU-HIKO-NEI(hiku=tail of a fish,headwaters of a river,eaves of a house;tu=stand,settle;hiko=move at random or irregularly;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind)、「川の源流に・居る・あちこち巡歴した・物議を醸した(神)」
  「熊野久須毘(くまのくすび)命」は、「クマノ・クチ・ピ」、KUMANO-KUTI-PI(kumano=to set in order as in laytng stones,the head of a water course,reservoir;kuti=pinch,close;pi=eye)、「川の源流で・目を・寄せている(凝視する。神)」

の転訛と解します。

(4) スサノオの乱行、天の岩戸と高天原からの放逐

 スサノオは、「ウケヒ」の結果、「私の心が清く誠実なので女神を得た、私が勝った」と言って、「勝佐備(かちさび)に」、田の畦を破壊し、水路を埋め、新嘗の御殿を糞で汚します。アマテラスは、これを咎めずに「屎如(な)すは、酔ひて吐き散らす登許曽(とこそ)」、「田の阿を離ち、溝を埋むるは、地を阿多良斯登許曽(あたらしとこそ)」、弟がこのようにするのだろうととりなします。
 この「勝佐備(かちさび)」は、「勝ち誇って、勝ちらしい振る舞いをすること」と解されていますが、これは、マオリ語の

  「カチ・タピ」、KATI-TAPI(kati=well,enough;tapi=find fault with,)、「(相手の)負け(すなわち自分の勝ち)を充分に認めて」

の転訛と解します。
 この「吐き散らす登許曽(とこそ)」は、「コソ」は強意の助詞で「吐き散らそうとて」と解されていますが、これは、マオリ語の

  「ト・コト」、TO-KOTO(to=the...of;koto=loathing)、「(吐き散らすのを)嫌って(屎を如(な)す)」

の転訛と解します。
 また、この「地を阿多良斯登許曽(あたらしとこそ)」は、「土地が惜しいとて」と解されていますが、これは、マオリ語の

   「ア・タラチ・ト・コト」、A-TARATI-TO-KOTO(a=of,belonging to;tarati=splash,spurt;to=the...of;koto=loathing)、「泥はねで汚れるのを嫌って(田の阿を離ち、溝を埋むる)」

の転訛と解します。

 しかし、スサノオの乱行は止まず、織女の死亡事件まで起きたので、アマテラスは、天の岩屋戸を開いて「刺許母理(さしこもり)」ます。このため天地は闇となり、悪神がはびこり、災いが一時に起こります。
 この「刺許母理(さしこもり)」は、「サシ」は単なる接頭語で「お篭もりになって」と解されていますが、これは、マオリ語の

  「タ・チコ・モリ」、TA-TIKO-MORI(ta=the;tiko=settled upon;mori=mean)、「ひっそりと蟄居する」

の転訛と解します。

 そこで八百萬の神々が集まり、「思兼(おもひかね)命」に対策を練らせ、「常世(とこよ)」の長鳴鳥を鳴かせ、「天津麻羅(あまつまら)」、「伊斯許理度賣(いしこりどめ)命」、「玉祖(たまのおや)命」にいろいろの祭器を作らせ、「天児屋(あめのこやね)命」、「布刀玉(ふとだま)命」に「天の香具(かぐ)山」の「真男(まお)鹿」の肩骨と「天の波波迦(ははか)」で「占合(うらな)い」、「麻迦那波(まかなは)しめて」、天の香具山の「五百津(いほつ)真賢木」を「根許士爾許士(ねこじにこじ)て」、これに八尺の勾玉の五百津の御須麻流の玉、「八尺(やあた)鏡」、「白丹寸手(しらにきて)、青丹寸手(あをにきて)」を取り付け、布刀玉命が「布刀御幣(ふとみてぐら)」と両手に持ち、天児屋命が「布刀詔戸言(ふとのりとごと)祷(ほ)ぎ白(まを)して」、「天の手力男(たぢからを)神」が戸の脇の隠れて立ち、「天宇受賣(あめのうずめ)命」が天の岩屋戸に「汗気(うけ)伏せて蹈(ふ)み登杼呂許志(とどろこし)」、神懸利して踊りますと、神々はどっと笑います。
 これらの神名等は、いずれもマオリ語で次のように解釈できます。

  「思兼(おもひかね)命」は、「アウ・モヒ・カネ」、AU-MOHI-KANE(au=rapid;mohi=mohimohi=smooth;kane=head)、「頭の回転が速い(神)」
  「常世(とこよ)」は、「トコ・イオ」、TOKO-IO(toko=pole;io=spur)、「竿の上(に止まって鳴く鳥)」
  「天津麻羅(あまつまら)」は、「アマ・ツ・マラ」、AMA-TU-MARA(ama=outrigger of a canoe;tu=stand,settle;mara=a term of address to a man)、「対馬の住人」
  「伊斯許理度賣(いしこりどめ)命」は、「イチ・コリ・トメネ」、ITI-KORI-TOMENE(iti=small;kori=move;tomene=thoroughly explored)、「小柄で良く動いて(鉱物資源を)すべて調査した(神)」(この神名からは、女性であったと解することはできません)
  「玉祖(たまのおや)命」は、「タマ・ノホ・イア」、TAMA-NOHO-IA(tama=son,man,spirit;noho=sit,stay;ia=indeed)、「(魂の形をした)玉に宿る(神)」
  「天児屋(あめのこやね)命」は、「アマ・ノ・コ・イア・ヌイ」、AMA-NO-KO-IA-NUI(ama=outrigger of a canoe;no=of;ko=sing,shout;ia=indeed;nui=large,many)、「対馬の(祝詞、呪文を)数多く唱える(神)」
  「布刀玉(ふとだま)命」は、「フ・タウ・タマ」、HU-TAU-TAMA(hu=desire;tau=alight,settle down,sing;tama=son,man,spirit)、「祈願(祝詞、呪文)を唱える魂(神))」
  「天の香(かぐ)山」は、「アマ・ノ・カク」、AMA-NO-KAKU(ama=outrigger of a canoe;no=of;kaku=scrape up,bruise)、「対馬のひっかき傷のある(山)」
  「真男(まお)鹿」は、「マウ」、MAU(be fixed,caught)、「(天の香山で)捕獲された(鹿)」
  「天の波波迦(ははか)」は、「アマ・ノ・ハハ・カ」、AMA-NO-HAHA-KA(ama=outrigger of a canoe;no=of;haha=savoury;ka=take fire,burn)、「対馬の芳香を出して燃える(木)」
  「占合(うらな)い麻迦那波(まかなは)しめて」は、「ウラ・ヌイ・マカ・ナハナハ」、URA-NUI-MAKA-NAHANAHA(ura=red,glow;nui=large,many;maka=throw,place;nahanaha=well aranged)、「(鹿骨を)良好な状態で真赤に輝くように焼く(焼いて占う)」
  「五百津(いほつ)真賢木」は、「イホ・ツ・マ・タカ」、IHO-TU-MA-TAKA(iho=inside,kernel,downwards;tu=stand;ma=white,clean;taka=heap)、「(天の香山の)内側(中心)に生えている清らかな高い(木)」
  「根許士爾許士(ねこじにこじ)て」は、「ヌイ・コチ・ヌイ・コチ」、NUI-KOTI(nui=large,many;koti=cut)、「大きなままで(木)切って」
  「八尺(やあた)鏡」は、「イア・アタ」、IA-ATA(ia=indeed,just;ata=clearly,openly)、「実に明らかに(物を)映す(鏡)」
  「白丹寸手(しらにきて)、青丹寸手(あをにきて)」は、「ニキ・タイ」、NIKI-TAI(niki=small;tai=tide,wave)、「小さい波(のように揺れる白い楮または青い麻の繊維または細長い布)」
  「布刀御幣(ふとみてぐら)」は、「フ・タウ・ミヒ・テ・クラ」、HU-TAU-MIHI-TE-KURA(hu=desire;tau=alight,settle down,sing;mihi=greet,admire;te=the;kura=ornamented with feathers)、「(祝詞、呪文を唱えて)祈願を込めた御幣(鳥の羽(後には楮、麻等の繊維、布、紙)で飾った尊い呪物)」(古代、鳥は「神の使い」で、神意を人に伝え、また人の願いを神に伝える役割を担っていました。その鳥を象って作られた物が「御幣」です。アイヌのイナウ(御幣)は、まさにその古い形を今に伝えるもので、清浄な木の枝の先を繊維状に削りだすのは、鳥の羽を模しているといいます。この鳥の羽が後世楮、麻等の繊維や布となり、そして紙になったのです。このことがマオリ語によって明確に説明されています。)
  「布刀詔戸言(ふとのりとごと)祷(ほ)ぎ白(まを)して」は、「フ・タウ・ノ・ル・タウ・(ン)ゴト・ホキ」、HU-TAU-MIHI-TE-KURA(hu=desire;tau=alight,settle down,sing;no=belonging to;ru=agitate,scatter;ngoto=be deep,firmly;hoki=return,restorative charm)、「祈願を込めて堅く宣言し、回復(アマテラスの帰還、天地の光りの回復)の呪文を唱える」
  「天の手力男(たぢからを)神」は、「アマ・ノ・タ・チカロ」、AMA-NO-TA-TIKARO(ama=outrigger of a canoe;no=of;ta=the;tikaro=pick out of a hole)、「対馬の穴(洞窟)から引き出す(神)」
  「天宇受賣(あめのうずめ)命」は、「アマ・ノ・ウツ」、AMA-NO-UTU(ama=outrigger of a canoe;no=of;utu=dip up water,etc.)、「対馬の海に潜る海女(神)」
  「汗気(うけ)伏せて蹈(ふ)み登杼呂許志(とどろこし)」は、「ウキ・フ・テ・フミ・トトロ・コチ」、UKI-HU-TE-HUMI-TOTORO-KOTI(uki=distant past times;hu=desire;te=emphasis;humi=abundant;totoro=stretch forth;koti=cut)、「長い時間にわたって祈願の呪文を長く唱えてきたが、それを打ち切って(次の行動に移った)」

の転訛と解します。

 アマテラスは、世界中が闇のはずなのになぜ神々が歌舞をし、笑っているのかと聞き、アメノウズメがあなたより尊い神が居られるのですと言って、アメノコヤネ、フトタマが鏡をみせ、アマテラスが戸口から少しでたところをアメノタヂカラヲがすばやくアマテラスを引き出し、「尻久米(しりくめ)縄」をその後ろに引き回します。
 この「尻久米(しりくめ)縄」は、マオリ語の

  「チリ・クメ」、TIRI-KUME(tiri=throw,scatter,an incantation to drive out an ATUA(god);kume=pull,stretch)、「神を追い出す呪(まじな)いのために引き回す(縄)」

の転訛と解します。

 アマテラスが外へ出られると、再び天地は光りに輝きます。そこで、八百万の神々は、協議の末、スサノオに「千位(ちくら)の置戸(おきど)」を負わせ、髭と手足の爪を切って(罪を祓わせて)追放します。
 この「千位(ちくら)の置戸(おきど)」は、マオリ語の

  「チ・クラ・ノ・オキ・タウ」、TI-KURA-NO-OKI-TAU(ti=throw,cast;kura=treasure;no=of;oki(hawaii)=cut,devide,separate;tau=alight,fall,be suitable)、「財物を提供して、罪穢れを祓い清める」

の転訛と解します。

(5) ヤマタノオロチ退治ー成功の鍵は「サズキ」にあった

 追放されたスサノオは、出雲国の肥の河上の「鳥髪(とりかみ)」にやってきて、「足名椎(あしなづち)、手名椎(てなづち)、櫛名田比賣(くしなだひめ)」の一家に会います。
 この「鳥髪(とりかみ)」の地名は、マオリ語の

  「トリ・カミ」、TORI-KAMI(tori=cut;kami=eat)、「(女を)食べる大蛇を切った(退治した土地)」

の転訛と解します。
 「足名椎(あしなづち)」、「手名椎(てなづち)」、「櫛名田比賣(くしなだひめ)」の人名は、マオリ語の

  「アチ・ナツ・チ」、ATI-NATU-TI(ati=descendant,clan;natu=scratch,tear out;ti=cast,overcome)、「(女を)略奪されて打ちのめされた一族(の父)」
  「テ・ナツ・チ」、TE-NATU-TI(te=the,emphasis;natu=scratch,tear out;ti=cast,overcome)、「(女を)略奪されて打ちのめされた(母)」
  「クチ・イ・ナチア」、KUTI-I-NATIA(kuti=draw tightly together;i=past time;natia=pinch,fasten bulrush thatch on the roof of a house)、「縮めて(櫛に変えて屋根を葺くように)髪に挿した」

の転訛と解します。
 スサノオは、一家が泣くわけと、ヤマタノオロチのことを聞きます。そしてクシナダヒメを「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)に其の童女を取り成して、其の御美豆良(みみづら)に刺」すのです。
 この「湯津爪櫛(ゆつつまぐし)」は、マオリ語の

  「イ・ウツ・ツマウ・クチ」、I-UTU-TUMAU-KUTI(i=past time,beside;utu=spur of a hill;tumau=fixed;kuti=draw tightly together,pinch)、「髪の上部にしっかりと固定した(挿した)」

の転訛と解します。
 そしてスサノオは、ヤマタノオロチを退治する仕掛けとして、「八塩折(やしほをり)の酒を醸み、亦垣を作り廻し、その垣に八門を作り、門毎に八佐受岐(やさずき)を結い、其の佐受岐毎に酒船を置きて、船毎に其の八塩折の酒を盛りて待ちてよ。」と命じます。
 この「八塩折(やしほをり)」は、「八遍も繰り返して醸造した強い(酒)」と解されていますが、これは、マオリ語の

  「イア・チオ・オリ」、IA-TIO-ORI(ia=indeed,each,every;tio=sharp of cold;ori=cause to wave to and fro,agitate)、「本当に強烈な刺激を与える(強い酒)」

の転訛と解します。
 また、この説話でもっとも重要な鍵をにぎる「佐受岐(さずき)」は、これまで「桟敷(さじき)」と解されていますが、これは、マオリ語の

  「タ・ツキ」、TA-TUKI(ta=the;tuki=central passage for water in an eel weir)、「鰻を捕る筌(うへ。うけ。やな。魚を捕る道具で、細い割竹を筒、または篭状に編み、入った魚が出られないように漏斗状の返しなどをつけたもの)の導水部分(通路)」

の転訛と解します(原ポリネシア語のS音がマオリ語ではT音に変化して「サ」が「タ」になっています)。
 つまり、鰻を捕る筌と同じく、一度入ったら出られない(首を抜けない、動かせない)ような仕掛け=「返し」をつけた通路が「サズキ」で、その先に餌としての酒を置くのがこの装置のポイントだったのです。この装置によって、酒に酔って眠りこんだオロチを「切り散(はふ)り」(ずたずたに切り散らかす)したとき、まず一つの首を切ったとき、必ずや残った首が目を覚ますでしょうが、目を覚ましてもすべての首が「返し」によつて首根っこを押さえられているため反撃ができず、スサノオはやすやすとオロチをずたずたに切ることができたのです。これまでの解釈のように「桟敷」に酒が置いてあるだけでは、とても手際よく退治はできなかったでしょう。この「サズキ」の本当の意味を理解することによって、この説話が一挙に真実性を帯び、強い説得力を持つのです。
 なお、神武摂政元年2月条に鹿(正しくは鹿かんむりに弭)坂(かごさか)王・忍熊(おしくま)王が座した「假?(まだれに技)(さずき)」は、「タツ・キ」、TATU(be at ease,be content)-KI(full,very)、「ゆったりとした・休息場所」の意と解します。
 また、この「切り散(はふ)り」の「ハフ」は、マオリ語の

  「ハフ」、HAHU(scatter)、「まき散らす」

の意と解します。

 スサノオは、オロチの尾の中から「都牟刈(つむがり)の大刀」を見つけます。これは「草那藝(くさなぎ)の大刀」なりとされ、紀では「天叢雲(あめのむらくも)の剣」の名が記されています。この「ツムガリ」、「クサナギ」、「ムラクモ」は、マオリ語の

  「ツム・(ン)ガリ」、TUMU-NGARI(tumu=contrary of wind,go against the wind;ngari=disturbance,great,power)、「向かい風を起こす力(を持つ剣)」
  「クタ・ナキ」、KUTA-NAKI(kuta=encumbrance;naki=glide,move with an even motion)、「邪魔物を薙ぎ倒す(剣)」
  「ムラ・クモウ」、MURA-KUMOU(mura=blaze,flame;kumou=komou=cover a fire with ashes or earth to keep it smoudering)、「炎を(灰や土をかけて)鎮める(剣)」

の転訛と解します。

 スサノオは、出雲国に宮を作ろうとして、「須賀(すが)」の地に来て、「我心須賀須賀斯(すがすがし)」と言います。この「スガ」、「スガスガ」は、マオリ語の

  「ツ(ン)ガ」、TUNGA(circumstance of standing,site)、「定住地」または「ツ・(ン)ガ」、TU-NGA(tu=stand,settle;nga=satisfied)、「満足して定住する地」
  「ツ(ン)ガツ(ン)ガ」、TUNGATUNGA(beckon,make signs)、「うなづく、手招きする」

の転訛と解します。

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2 「オオクニヌシ神話」の真実

(1) 八上(やがみ)比賣への求婚

 スサノオの子、オオクニヌシの別名大穴牟遅(オオナムチ)神の名は、オオクニヌシ神話の冒頭のヤガミヒメ求婚譚に出てきます。兄弟の八十神がヤガミヒメに求婚するために稲羽(いなば)に行ったとき、オオナムチに袋を背負わせ、従者として連れていったとあります。この説話の中にはオオナムチが医療神であったことを語る「因幡の白兎」の話が挿入されています。
 この稲羽(いなば。因幡)は、マオリ語の

  「ヒ(ン)ガ・パ」、HINGA-PA(hinga=fall from an erect position,be killed,be overcome with astonishment or fear,be outdone in a contest;pa=touch,reach,be connected with,block up,assault,stockade)、「(昔オオクニヌシや兄達が参加した八上媛の妻問いの)競争が行われた故事に関係する(地域)」または「(昔オオクニヌシが兄達に成功を妬まれて迫害されたという)名誉を失墜した故事に関係する(地域)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」となつた)

の転訛と解します。
 ヤガミヒメは、白兎の予言どおり、八十神の求婚をしりぞけ、オオナムチを選びます。そしてオオナムチは八千神の迫害にあい、根の国に逃れた後、スサノオの女スセリヒメを正妻として戻って来て、八十神を追い払い、ヤガミヒメと悲しい別れをするのです。
 この「ヤガミ」は、マオリ語の

  「イア・(ン)ガ・ミヒ」、IA-NGA-MIHI(ia=indeed;nga=satisfied;mihi=lament,express discomfort)、「(オオナムチの妻となって)実に満足し、(そして後に)悲嘆に暮れた(姫)」

の転訛と解します。
 なお、通説では「ヤガミ」は、『和名抄』にみえる因幡国八上(夜加美)郡(現在の八頭郡の一部)の地名にちなんだものとします。吉田東伍『大日本地名辞書』は、「川上の地方で、「彌上(いやかみ)」と称したことに由来する」としますが、この地名は、マオリ語の

  「イア・(ン)ガ・ミミ」、IA-NGA-MIMI(ia=indeed;nga=satisfied;mimi=river)、「実に満足した(ゆったり流れる)川(の地域)」

の転訛と解します。
 八十神の「ヤソ」は、マオリ語の

  「イア・ト」、IA-TO(ia=indeed,every,each;to=set,as the sun)、「すべて(追い払われて、太陽が沈むように)いなくなった(兄弟神)」

の転訛と解します。
 また、オオナムチは、ヤガミヒメと結ばれたことを妬まれて、八十神に二度も殺されて、その都度生き返るのですが、この名はマオリ語の

  「オホ・ナナム・チア」、OHO-NANAMU-TIA(oho=wake up,wake suddenly;nanamu=smart,tingle;tia=servant)、「痛めつけられ(殺され)ては起き上がった(生き返った)従者」

の転訛と解します。従者とは、八十神に袋を背負わされて随行させられたことを意味しています。

(2) 八十神による迫害

 ヤガミヒメがオオナムチを選んだことで怒った八十神は、共同謀議の末、伯伎(ははき)国の手間(てま)の山本で、猪に似た石を焼いて上から落とし、オオナムチはだまされてそれを受けとめて焼け死にます。
 泣き悲しむ御祖(みおや)命の願いで、神産巣日(かみむすひ)之命が赤貝(きさがい)比賣と蛤(うむぎ)比賣を遣わして「(死体を)岐佐宜(きさげ)集め」、母(おも)の乳汁を塗り、生き返らせます。
 この伯伎(ははき)国の「ハハキ」は、

  「ハハキ」、HAHAKI(ostentatious,vain;(Hawaii)to break,hahaki ku=to break without permission or recklessly)、「(情け容赦なく)見せしめ(の処刑をされた。場所)」

の転訛と解します。
 この手間(てま。現在鳥取県西伯郡会見(あいみ)町手間)の「テマ」は、マオリ語の

  「タエ・マ」、TAE-MA(tae=arrive,proceed,be overcome;ma=a particle used after names)、「(オオナムチが)殺された・場所」(「タエ」のAE音がE音に変化して「テ」となった)

の転訛と解します。
 この「岐佐宜(きさげ)集め」の「キサゲ」は、通常「こそげ落とす」と解釈していますが、これは、マオリ語の

  「キタ・(ン)ゲア」、KITA-NGEA(kita=tightly clenched;ngea=vary numerous)、「(石に)固く焼き付いている無数の破片」

の転訛と解します。
 八十神は、再度オオナムチを欺いて山に誘い、「大樹を切り伏せ、茹矢(ひめや)を其の木に打ち立て」、そこにオオナムチが入るやいなや、「其の氷目矢(ひめや)を打ち離ちて、拷(う)ち殺し」ます。この「ヒメヤ」は、通常「くさび」と解されていますが、これはマオリ語の

  「ヘ・メア」、HE MEA(he mea is often used,followed by a verb active in form but passive in meaning,to supply descriptive details,to the intent)、「詳しく言うと(状況の詳細説明に先行する慣用句)、または・・・の目的で」

の転訛と解します。「ヒメヤ」には、「くさび」というような意味は全くないのです。このことは、記紀の編集者も誤解していたものと思われます。したがって、この箇所の本当の意味は非常に単純で、「大樹を切り伏せ、其の木を(再び垂直に)立て、その下にオオナムチが入るやいなや、其の木を押し倒して、拷(う)ち殺した」と解します。
 御祖命は、再びオオナムチを再生させ、このままでは八十神に殺されてしまうと、木国の大屋(おほや)毘古神の下へ行かせますが、八十神はさらに追ってきて「矢刺し」を乞うので、大屋毘古神は「木の俣より漏(く)き逃がして」、スサノオのいる根の国へ行かせるのです。
 この「木の俣より漏(く)き逃がして」の「キノマタ」、「クキ」は、マオリ語の

  「キノ・マタ」、KINO-MATA(kino=bad,ugly;mata=eye,face)、「怖(こわ)い顔(で)」
  「ク・キ」、KU-KI(ku=silent,wearied;ki=say)、「疲れた声で言う」

の転訛と解します。

(3) アシハラノシコヲの意味とスセリヒメの内助の功

 『日本書紀』では、オオクニヌシの別名の一つとして「葦原醜男(あしはらのしこを)」の名が一書(第六)に出てくるだけですが、『古事記』では、御祖命(みおやのみこと)に再度命を助けられたオオナムチが、木の国のオホヤヒコの下を経て、根の国のスサノオの下に来たとき、スサノオが「此は葦原色許男(あしはらしこを)と謂うぞ」といって、呼び入れて蛇の室に寝させます。
 この「アシハラシコヲ」は、マオリ語の

  「アチ・パラ・シコ・オウ」、ATI-PARA-TIKO-OU(ati=descendant,clan;para=bravery;tiko=protrude;ou,ouou=few)、「稀に見る・ずば抜けた・勇者の・(部類の)一人」

の転訛と解します。
 このアシハラシコヲは、まず蛇の室、次の夜は呉公(むかで)と蜂の室に寝かされますが、いずれもスセリヒメが比禮(ひれ)を与えて「蛇(や、むかで、蜂)が咋(く)はむとせば、此の比禮を三たび挙(ふ)りたまへ」と教えて危難を逃れさせます。
 この「スセリ」は、平成11年3月1日書き込みの「古典篇(その一)」の「7 「ホオリ」の意味」の項で説明しましたように、

  「ツテ・リ」、TUTE-RI(tute=a charm to ward off malign influences;ri=protect)、「災いを避けるまじないで(夫を)守った(姫)」

の転訛です。
 また、鳴鏑を取ろうと入った野原に火を付けられたとき、鼠が「内は富良富良(ほらほら)、外は須夫須夫(すぶすぶ)」といったので、その下の穴にひそんで助かったとあります。
 この「ホラホラ」、「スブスブ」は、マオリ語の

  「ホラホラ」、HORAHORA(expanded,open)、「(内は)開けている(空いている)」
  「スプア・スプア」、TUPUA-TUPUA(tupua=goblin,demon,object of terror etc.)、「(外は)危険、危険」(「スプア」の語尾のA音が脱落して「スプ・スプ」から「スブスブ」となった)

の転訛と解します。後者は、原ポリネシア語の「タフタフ(TAFUTAFU)」が日本語に入って「サフサフ」から「スフスフ」に転訛したものと思われます。 
 そして、オオナムチは、これらの試練を経て、スサノオが寝ている間に、スセリヒメを背負い、生太刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)、天の詔琴(のりごと)を取って逃げ出します。
 スサノオは、黄津比良(よもつひら)坂まで追ってきて、「其の汝が持てる生太刀・生弓矢を以ち、汝が庶兄弟をば、坂の御尾(みを)に追ひ伏せ、亦河の瀬に追ひ撥ひて、意禮(おれ)大国主神と為り、亦宇都志国玉(うつしくにたま)神と為りて、其の我が女須世理毘賣を嫡妻と為て、宇迦能(うかの)山の山本に、底津石根(そこついはね)に宮柱布刀斯理(みやばしらふとしり)、高天の原に氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)て居れ。是の奴。」といったとあります。
 この黄津比良坂の「ヨモツヒラサカ」は、マオリ語の

  「イオ・モツ・ヒラ・タカ」、IO-MOTU-HIRA(io=spur,ridge;motu=separated,anything isolated;hira=great,important;taka=heap,heap up)、「(黄泉の国と葦原中国の)間を隔てる大きな坂」

の転訛と解します。
 この生太刀・生弓矢の「イク」は、ハワイ語の

  「イク」、IKU((Hawaii)int.a word of encouragement to presons about to exert themselves in any exercise,thus)、「このように(相手の行動を勇気づける言葉)」

の転訛と解します。
 この「天の詔(のり)琴」は、岩波本では「託宣の琴」で「宗教的支配力を象徴したものと解すべきである」とされています。しかし、この底本には異本があり、小学館日本古典文学全集本では、「天の沼(ぬ)琴」が採用され、「ヌ」は玉を意味する「ニ」の変化形で、玉飾りのついた琴と解されています。この点に関しては、小学館本が指摘しているように、この琴は逃げ出した直後に樹に触れて「地動(とよ)み鳴りき」とある以外、特に言及されることはありません。このことからすると、この琴は「のり」琴ではなく、「ぬ」琴で、この「ヌ」は、ハワイ語の

  「ヌ」、NU((Hawaii)to cough,roar as wind)、「吼える(ように大きな音を出す。琴)」

の転訛と解します。
 この坂の御尾の「ミオ」は、ハワイ語の

  「ミオ」、MIO(to move swiftly,narrow,pointed,tapering)、「(坂の)狭くなったところ」

の意と解します。
 この意禮の「オレ」は、マオリ語の

  「オレ」、ORE(ore=kaore(poetry)=expressing surprise,admiration,distress,etc)、「尊敬すべき(神の敬称)」

の意と解します。
 この宇都志国玉(うつしくにたま)神の「ウツシクニタマ」は、マオリ語の

  「ウツ・チ・クニ・タマ」、UTU-TI-KUNI-TAMA(utu=return for anything,satisfaction,reward(whakautu=fondle);ti=throw,cast;(Hawaii)kuni=to burn,kindle;tama=son,spirit)、「(灯をともす)国の・(子の)民に・恩恵を・施す(神)」

の転訛と解します。
 この宇迦能(うかの)山の「ウカ」は、マオリ語の

  「ウカ」、UKA(hard,be fixed)、「鎮座する(山)」

の意と解します。
 次の「底津石根(そこついはね)に宮柱布刀斯理(みやばしらふとしり)、高天の原に氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)て」という語句は、祈年祭や大祓の延喜式祝詞などに常套的に用いられている語句です。これは、「地底の磐に宮殿の柱を太く掘り立て、天空に、垂木を高く上げて、我がものとして領する」意(岩波日本古典文学大系本)や、「大磐石の上に宮柱を太く立て、高天原に千木を高くそびえさせて」(「高天原の世界に相対する形で」、「葦原中国の支配者として宮殿を営み、平安を確立する」)の意(小学館日本古典文学全集本)などと解されています。
 しかし、以上の解釈には無理があると言わざるをえません。とくに、この宮殿を営む場所は「葦原中国」であるのに、原文には「於高天原氷椽多迦斯理而居」とあり、原文を素直に読むならば、「葦原中国」の中に「高天原」があることになるからです。
 この底津石根(そこついはね)の「ソコツイワネ」は、マオリ語の

  「トコ・ツ・イ・ワネア」、TOKO-TU-I-WANEA(toko=pole;tu=stand;i=past tense,beside;wanea=satisfied,satisfaction)、「満足する・ほどに・柱を・立てた」

の転訛と解します。
 この宮柱布刀斯理(みやばしらふとしり)の「フトシリ」は、マオリ語の

  「フ・タウ・チリ」、HU-TAU-TIRI(hu=silent;tau=settle down;tiri=place one by one)、「(柱を)一本一本静かに立てた」

の転訛と解します。
 この高天の原の「タカマノハラ」は、前項で解説したように、マオリ語で二通りの解釈が可能です。その第一は、

  「タカムア・ノ・ハラ」、TAKAMUA-NO-HARA(takamua=fore,front;no=of;hara=a stick bent at the top,used as a sign that a chief had died at the place)、「(氏族の首長がその場所で死んだことを示す)先を折った杖の前の土地」

の転訛(「ムア」が「マ」に変化した)と解します。この「先を折った杖を立てた所」とは、古くは杖は旅の必需品でしたから、「氏族の首長がその場所で死んだことを示す=死亡の場所」だけでなく、「旅を終えて、旅に使った杖を折った=定住した場所」をも示すものと解釈すべきだと思います。したがってそこは「首長の墳墓のある聖地」であり、かつ「首長の定住した場所」と解することができます。
 第二の解釈は、マオリ語の熟語で、

  「タカ・マハラ」、TAKA-MAHARA(taka=prepare;mahara=thought,memory;taka mahara=entertain a design,propose;taka...mahara=be formed,be developed)、「提案する、形作られた→追憶を形にした=墓を作った(場所)。祖先の祭祀を行う場所」

の意と解することもできます。これも第一の解釈と同義です。
 この「首長の墳墓のある聖地」、「首長の定住した場所」または「祖先の祭祀を行う場所」が「高天の原」であるとしますと、高天の原は天孫族の本拠地であった対馬の中にまずあることになります。さらに天孫族が移動した先々の土地、すなわち「葦原中国」の中にも存在し得るのです。
 したがってスサノオがオオナムチに対して言ったこの「高天の原」は、オオナムチがオオクニヌシとなって定住し、祖先の祭祀を行う場所を指しているのです。
 この氷椽多迦斯理(ひぎたかしり)の「ヒギタカシリ」は、マオリ語の

  「ヒキ・タカ・チリ」、HIKI(HI-KI)-TAKA-TIRI(hiki=raise,recite the charm HIKI(a charm to cause people to migrate,or to free the hands from tapu);taka=revolve,go or pass round;tiri=throw or place one by one)、「人々の災いを除くまじないを四方に向けてまんべんなく唱える」

の転訛と解します。これが国の統治をおこなう者の義務の一つだったのです。
 そしてオオクニヌシは、八十神を追い伏せ、追い払って、始めて国を作りました。
 さらにヤガミヒメは、先の期(ちぎり)のごとく「美刀阿多波志都(みとあたはしつ)」とあり、ヤガミヒメを連れてきたが、スセリヒメを畏れて、その産んだ子を木の股に挟んで帰ったので、その子を「木股神」または「御井神」というとあります。
 この美刀阿多波志都(みとあたはしつ)は、「御所(みと。結婚の場所。寝所)を与えた(結婚をした)」と解されていますが、これはマオリ語の

  「ミト・アタ・ワチ・ツ」、MITO-ATA-WHATI-TU(mito,whakamito=pout;ata=slowly,clearly,openly;whati=be broken off,be interrupted,turned and go away;tu=stand,be wound)、「(スサノオがスセリヒメを正妻として帰ってきたことを知って)明らかに・ふくれっ面をして・傷ついて・立ち帰つた」(「ワチ」のWH音がH音に変化して「ハチ」から「ハシ」となった)

の転訛と解します。
 この「木股神」、「御井神」は、マオリ語の

  「キノ・マタ」、KINO-MATA(kino=bad,ugly;mata=face,eye)、「醜い顔(の神)」
  「ミイ」、MII((Hawaii)short of umii=clasp,trap,cramp)、「(木の股に)挟まれた(神)」

の転訛と解します。

(4) ヤチホコの神の神語ー「ヤチホコ」は「武勇」の意味ではない

 『日本書紀』では、オオクニヌシの別名の一つとして「八千戈(やちほこ)神」を記すだけですが、『古事記』では、ヤチホコの神の名は高志(こし)の国の沼河(ぬなかは)比賣に求婚した場面と、それに続く正妻スセリヒメの嫉妬譚の中の歌謡の中にでてきます。
 この「ヤチホコ」は、通常は「八千の矛。多数の武器」とし、「武勇の神」と解されていますが、求婚譚および嫉妬譚にしか出てこないことから、「(男女の)愛情生活」(大林太良『東アジアの王権神話』弘文堂、1984年)に関する言葉とする説があります。
 この「ヤチホコ」は、マオリ語の

  「イア・チ・ホコ」、IA-TI-HOKO(ia=indeed;ti=throw,cast;hoko=lover)、「恋人をいたるところに置いている(神)」

の転訛と解します。
 また、沼河(ぬなかは)比賣の「ヌナカハ」は、「古典篇(その一)」の「5 「カム」の意味ー「ヤマト」の征服とタギシミミ殺害」の項ですでに説明しましたように、

  「ヌナ・カワ」、NUNA-KAWA((Hawaii)nuna=luna=high,above,foreman,boss,leader;kawa=heir,heap)、「筆頭の・相続人(である。媛)」

の転訛と解されます。したがって、この「ぬなかは」をヒスイの原石が産出する糸魚川水系に比定する説もあるようですが、以上の語源解釈で明らかなとおり、まったく関係はありません。
 なお、このヤチホコの神とヌナカワヒメの掛け合いの歌の末尾の「いしたふや」の語については、枕詞で「い(強調語)・慕うや」(岩波日本古典文学大系本など)と解する説が有力ですが、この「イシタフヤ」は、マオリ語の

  「イチ・タフ・イア」、ITI-TAHU-IA(iti=small;tahu=lover;ia=indeed)、「実に小さい(可愛い)恋人よ」

の転訛と解します。
 この掛け合いの歌の「いしたふや」の語に続く「天馳使(あまはせづかひ)」には、「天かける鳥」と解する説と「海人の仕丁」と解する説がありますが、この「アマハセヅカヒ」は、マオリ語の

  「ア・マハ・タイツ・カヒ」、A-MAHA-TAITU-KAHI(a=the...of,belonging to;maha=many,abundance;taitu=be hindered,be intermitted,slow;kahi,kakahi=chief,bivalve mollusc)、「たいへん・(大国主命と逢うのを)拒んでいる・首長(である。沼河比売)」(「タイツ」のAI音がE音に変化して「テツ」から「セツ」となった)

の転訛で、「イシタフヤ(実に可愛い恋人よ)」の被修飾句と解します。
 正妻スセリヒメは、ヤチホコの女性関係にひどく嫉妬したため、「其の日子遅(ひこぢ)神は和備弖(わびて)」、出雲から倭国に行かれようとして歌をうたい、スセリヒメが歌を返して、「宇岐由比(うきゆひ)して、宇那賀気理弖(うながけりて)、今に至るまで鎮まり坐す」とあります。
 このオオクニヌシを指す日子遅(ひこぢ)神の「ヒコヂ」は、通常は「ヒコ」は男子、「ヂ」は男性を示す接尾語としますが、これはマオリ語の

  「ヒコ・チ」、HIKO-TI(hiko=move at random or irregularly;ti=throw)、「あちこち(浮気して)飛んで歩く(神)」

の転訛と解します。
 この「和備弖(わびて)」は、マオリ語の

  「ワヒ・テ」、WAHI-TE(wahi=break,split;te=particle used with verbs to make an emphatic statement)、「きっぱりと・別れて」

の転訛と解します。
 この「宇岐由比(うきゆひ)」は、マオリ語の

  「ウキ・イ・ウイ」、UKI-I-UWHI(uki=distant times;i=past time;uwhi=cover,spread out)、「前々から・(恨みに覆いを掛ける)何もなかった・かのように(振る舞う)」または「ウキ・イ・ウイ」、UKI-I-UI(uki=distant times;i=past time;ui=disentangle,relax)、「(今となっては)とっくの昔に・心を和らげ・て」

の転訛と解します。
 この「宇那賀気理弖(うながけりて)」は、マオリ語の

  「ウ(ン)ガ・(ン)ガケ・リテ」、UNGA-NGAKE-RITE(unga=act or circumstance etc. of becoming firm;ngake,ngakengake=swollen,distended,capacious;rite=like,corresponding in position,performed)、「(身分に)ふさわしく・(自らの置かれた状況を受け止める)大きな度量を示し・落ち着いて(鎮座する)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」と、「(ン)ガケ」のNG音がG音に変化して「ガケ」となった)

の転訛と解します。

(5) スクナヒコナは、大男の「将軍」だつた

a 「スクナ」は「小」ではない

 記紀のスクナヒコナは謎の多い神です。
 オオクニヌシの前身のオオナムチと協力して国造りをした神として語られ、その体躯が極めて小さく、わんぱく者とされています。
 しかし、『播磨国風土記』神前郡の条に語られるオオナムチとスクナヒコナの我慢くらべの話からしますと、スクナヒコナは、けっして一寸法師のような小男ではなく、赤土の重荷を担って数日歩き続けられる人並みはずれた強い体力を持った頑丈な大男の印象を受けます。スクナヒコナが頑丈な大男であったのに対し、オオナムチは「ヤチホコ(あちこちに愛人を持つ)の神」の名にみるように、肉体労働を不得手とした優男であったことをこの説話は語っていると解すべきで、この二神が活動した地元に残るこの伝承にこそ真実があると考えるべきでしょう。
 スクナヒコナを小男としたのは、「スクナ」を「小」と誤解し、「オホ」を「大」と誤解して記紀を編纂した編集者たちの誤りによるものです。
 記紀でスクナヒコナが小男であったとされる記述も、マオリ語で解釈しますと、全く異なる真相が見えてきます。
 『古事記』ではカミムスヒノミオヤノミコトが「(スクナヒコナは)我が手俣(たなまた)より久岐斯(くきし)子ぞ」といい、『日本書紀』ではタカミムスヒノミコトが「(スクナヒコナは)指間(たま)より漏(く)き堕(お)ちにし」といったとあります。
 この「タナマタ」、「クキシ」は、マオリ語の

  「タ・ナマタ」、TA-NAMATA(ta=the...of;namata=ancient times)、「その・昔」
  「ク・キヒ・チ」、KU-KIHI-TI(ku=silent;kihi=cut off;ti=throw,cast)、「黙って・(集団から切り)離して・放り出した」または「クイキ・チ」、KUIKI-TI(kuiki=cold,cramp;ti=throw,cast)、「痙攣して・放り出した」

の転訛と解します。カミムスヒは、スクナヒコナを我が子と認めて、オオナムチと協力しての国造りを命じていたのです。
 なお、スクナヒコナが乗ってきた「天の羅摩船」の「羅摩」は、通説では『名義抄』に従って「かがみ(ががいも)」、「ががいもの莢で作った(船)」と解していますが、これを字音通り「ラマ」と読みますと、これは、マオリ語の

  「ラマ」、RAMA(torch light)、「松明(または篝火)(を灯した船)」

の意と解します。これは紀の一書(第六)で、スクナヒコナが常世郷に去った後、大三輪の神が「神(あや)しき光海に照らして、忽然(たちまち)に浮び来る」とあることと、奇妙な類似を示しています。これはスクナヒコナの出現の伝承と混交したものかも知れません。
 また、スクナヒコナが出現した際、その名を知る神がいなかったときに、「多迩具久(たにぐく)」が「久延(くえ)毘古、山田の曽富騰(そほど)」が知っているといい、クエビコからスクナヒコナの素性が知れたとあります。
 この「タニグク」は、通説では「ひきがえる」と解されていますが、これはマオリ語の

  「タ(ン)ギ・クク」、TANGI-KUKU(tangi=sound,cry,lamentation;kuku=pigeon,grating sound)、「(託宣をくだす)鳩」

の転訛と解します。「タ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「タニ」となったもので、「タ(ン)ギ」の語には、「タ(ン)ギ・アタフ、TANGI-ATAHU(love spell)、恋(を成就させるため)の呪文」、「タ(ン)ギ・タウィチ、TANGI-TAWHITI(incantation,spell)、(遠く離れて唱える)呪文」のように他の語と複合して「呪文を唱える」、「神霊の言葉を語る」という意味が含まれています。古墳や銅鐸、土器の絵にある船や宮室の屋根に描かれた「鳥」は、この「タニグク」である可能性が高いと思われます。
 また、「クエビコ」、「ヤマダノソホド」は、いわゆる「山田の案山子」ですが、これはマオリ語の

  「クハ・エ・ヒコ」、KUHA-E-HIKO(kuha=ragged;e=emphasis;hiko=move at random or irregularly)、「ぼろを着てあちこち彷徨する神」
  「イア・マ・タ・ノ・ト・ハウ・タウア」、IA-MA-TA-NO-TO-HAU-TAUA(ia=indeed;ma=white,clean;ta=breathe;no=of;to=the...of;hau=famous;taua=old man)、「実に清らかに息づいている、かの有名な老人」

の転訛と解します。ここでも例によってAU音がO音に変化しています。

b 「スクナヒコナ」の意味

 この「スクナヒコナ」は、マオリ語の

  「ツクヌイ・ヒコ・ヌイ」、TUKUNUI-HIKO-NUI(tukunui=main body of an army,large;hiko=move at random or irregularly,flash,shine;nui=big,many)、「国中をくまなく巡視した偉大な(神)」または「軍隊を率いて諸方を転戦した(神)」

の転訛と解します。
 この「ツクヌイ」=「スクナ」(ツクのT音がS音に変化し、ヌイがナに変化)の語には、二つの意味があります。
 これを「大きな、偉大な」と解釈しますと、すでに「古典篇(その一)」で解説した神武と崇神の両天皇の称号「はつくにしらす(ハ・ツクヌイ・チラツ。何と偉大なカヌーのマストのような天皇)」の「ツクヌイ」=「ツクニ」(ヌイがニに変化)と同じで、前者の「国中をくまなく巡視した偉大な(神)」の意味になります。
 また、「ツクヌイ」を「軍隊(戦闘部隊)」と解しますと、後者の「軍隊を率いて諸方を転戦した(神)」の意味になります。
 なお、この「ツクヌイ」の語は、「スクナ」に転訛したのみならず、「スクネ」にも転訛しています。後に武内宿禰(たけのうちのすくね)の宿禰(すくね)のように古代の貴人の敬称や、大伴宿禰のように天武天皇13(684)年10月に制定された八色姓(やくさのかばね)の第三位の姓で、連(むらじ)の姓をもっていた神別豪族に与えられた姓(かばね)としての宿禰(すくね)の語源です。
 したがって、この語は、単なる敬称ではなく、もともとは「大軍を率いる将軍」という意味から、「偉大なる氏族の首長」、「偉大なる氏族」という意味をもつ敬称に転じたものと考えられます。
 この「スクネ」は、一般には、「おおえ(大兄)」に対する「すくなえ(少兄)」の転訛(小学館『日本国語大辞典』)と解されたり、また高句麗の官名の「小兄」に由来するという説もあるようです。
 しかし、この「大兄」は、マオリ語の

  「オ・ホヘ」、O-HOHE(o=belonging to;hohe=active,strong)、「積極的で力のある(皇子)」

の転訛と解します。「大兄」は、皇太子制が導入される以前の皇位継承権をもつ通常長兄の皇子と解されていますが、必ずしもそうではないのです。また「スクネ」は、「大兄」に対する「少兄」の敬称ではないのです。

c 「スクナヒコナ」は、将軍だった

 記紀や『出雲国風土記』などの伝承には、スクナヒコナ単独の事績がまったく見えません。医療や農業の指導も、常にオオナムチと共同の事績として語られています。オオナムチも、八十神を追放した記事を除きますと、具体的な戦いの記事が見当たりません。紀の一書には、スクナヒコナが常世郷に去った後、「国の中に未だ成らざる所をば、オオナムチの神、独能く巡り造る。」とありますが、国の大勢が定まった後の最後の仕上げをオオナムチが一人で行ったということでしょう。
 前項で解説したように、「八千矛(ヤチホコ)」という名も、武器とは何の関係もありません。スクナヒコナが、オオナムチとの国造りの最初の段階で、極めて重要な役割を果たしたことは否定できないところです。オオクニヌシと並ぶ国土建設の最大の功労者ですから、国譲りの後も、オオクニヌシと一緒に杵築大社に祀られてもよいはずなのに、国造りの最終段階で姿を消したままです。
 これらのことからすると、スクナヒコナは、国土建設の最初の段階での軍事部門の総指揮者であったのではないでしょうか。したがって、出雲国とその周辺の地域の征服、叛乱の鎮定が終わり、平和な時代に入ると、スクナヒコナの役割は終わって姿を消すこととなったのではないでしょうか。
 スクナヒコナは軍事部門の総指揮者であり、オオクニヌシは民政部門の総責任者であったと考えると、記紀のスクナヒコナにまつわるもろもろの疑問がすべて氷解するだけでなく、最初に述べたアマテラス、ツクヨミ、スサノオの例に見るような、年長の兄が軍事防衛、末弟が行政を担当するという役割分担の伝統的構図に正に適合します。この構図は、神武東遷における神武と五瀬(いつせ)命(五瀬命が戦死した後は、タギシミミ)の関係においても同様です。

(6) 葦原中国の平定

 オオクニヌシが国造りを終えた後、アマテラスは、葦原中国は我が子の「正勝吾勝勝速日天忍穂耳(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみ)命」が統治する国であると仰せになって、天降りをさせますが、命は「天の浮橋(うきはし)に多多志(たたし)て」、葦原中国は「伊多久佐夜藝弖有那理(いたくさやぎてありなり)」と言い、帰ってきてしまいます。
 この「マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミ」は、アマテラスとスサノオのウケヒから生まれた子で、その意味はすでに説明したとおりです。
 この「ウキハシ」、「タタシ」は、マオリ語の

  「ウクイ・パチ」、UKUI-PATI(ukui=wipe,sweep away;pati=shallow)、「(葦原中国の海岸の)浅瀬を一回りして」
  「タタ・チ」、TATA-TI(tata=nod;ti=throw,cast)、「何度もうなづいて」

の転訛と解します。
 この「イタクサヤギ」、「アリナリ」は、マオリ語の

  「イ・タク・タイ・ア(ン)ギ」、I-TAKU-TAI-ANGI(i=beside,past time;taku=threaten;tai=rage,violence;angi=move freely)、「(葦原中国一帯は)脅迫、暴行が横行し、(人々が)無秩序に動き回っていた」
  「アリ・(ン)ガリ」、ARI-NGARI(ari=appearance;ngari=annoyance,disturbance)、「厄介な様相(を呈していた)」

の転訛と解します。後者の「ナリ」は、伝聞の助動詞などと解されていますが、そうではなく、独自の意味をもつ言葉で、「(ン)ガリ」のNG音がN音に変化して「ナリ」となったものです。
 そこで、高天原では協議の末、葦原中国を平定するために天菩比(穂日)(アメノホヒ)命を遣わしますが、オオクニヌシに「媚び付きて」、三年たっても復命しません(『出雲国造神賀詞』では直ちに状況を見定めて復命したとあります)。
 この「アメノホヒ」は、マオリ語の

  「ア・メノ・ホピ」、A-MENO-HOPI(a=the...of,belonging to;meno=whakameno=show off,make a display;hopi=be terrified,be faint-hearted)、「気が弱い(復命できない)ことを・さらけ出した(神)」(「ホピ」のP音がF音を経てH音に変化して「ホヒ」となつた)

の転訛と解します。
 この「コビツキ」は、「親しくなって」と解されていますが、マオリ語の

  「コピ・ツク」、KOPI-TUKU(kopi=weak,timid;tuku=allow,offer,settle down)、「(命令を果たすことに)憶病になって居付いた」

の転訛と解します。
 そこで、次ぎに天若日子(稚彦)(アメノワカヒコ)に、天之麻迦古(あめのまかこ)弓(後段では天之波士(あめのはじ)弓とあります)、天之波波(あめのはは)矢(後段では天之加久(あめのかく)矢とあります)を与えて遣わしますが、オオクニヌシの女下照(したてる)比賣を娶って八年たっても復命しません。
 この「ワカヒコ」は、マオリ語の

  「ウァカハ・ヒコ」、UAKAHA-HIKO(uakaha=vigorous,difficult;hiko=move at random or irregularly,flash,shine)、「活発であちこち旅行した(神)」または
  「ワカ・ヒコ」、WAKA-HIKO(waka=medium of an atua(god);hiko=move at random or irregularly,flash,shine)、「神意を伝えるあちこち旅行した(神)」

の転訛と解します。
 この「シタテル」比賣は、マオリ語の

  「チタハ・テ・ル」、TITAHA-TE-RU(titaha=lean to one side,pass on one side;te=crack;ru=shake,agitate,scatter)、「(夫と)離別する・成り行きとなって・取り乱した(姫)」(「チタハ」のH音が脱落して「チタア」から「シタ」となつた)

の転訛と解します。
 この「マカコ」弓、「ハジ」弓、「ハハ」矢、「カク」矢は、マオリ語の

  「マカ・コ」、MAKA-KO(maka=throw,cast;ko=descend,cause to descend)、「射出した矢が下に降りてくる(弓矢)」
  「ワチ」、WHATI(be broken off,turn and go away)、「射出した矢が反転して飛んで行く(弓矢)」
  「ハハ」、HAHA(seek,search)、「(標的を)探し求める(矢)」
  「カク」、KAKU(scrape,bruise,shred)、「破壊する(矢)」

の転訛と解します。
 そこで雉の鳴女(なきめ。紀では無名雉)を遣わして復命しない理由を問いたださせますが、天佐具賣(あまのさぐめ。紀では天探女。隠密のものを探り出す力をもった女と解されている)の進言によって、アメノワカヒコはアメノハジ弓、アメノカク矢でナキメを射殺します。その矢は、ナキメを貫通して、天安河のタカミムスヒのところに届き、この矢がアメノワカヒコが悪い神を射た矢であれば彼に中るな、もし彼に邪心があれば「アメノワカヒコこの矢に麻賀禮(まがれ)」と仰せになってその矢を投げ返しますと、矢はアメノワカヒコの胸に中り死ぬのです。
 この「ナキメ」、「サグメ」は、マオリ語の

  「ナ・キミ」、NA-KIMI(na=by,belonging to;kimi=seek,look for)、「探索する(鳥、者)」(この名からは、女性であるとはいえません)
  「タ・クメ」、TA-KUME(ta=the;kume=pull,drag)、「誘引する(者)」(この名からは、女性であるとはいえません)

の転訛と解します。
 この「マガレ」は、マオリ語の

  「マ・(ン)ガレ」、MA-NGARE(ma=go,come(used only in the imperative);ngare=send,urge)、「(標的に)当たれ!」

の転訛と解します。

(7) 国譲り

 そこで、次ぎに使いに出すのは、天安河の上流を堰で塞ぎ、岩屋に住んでいる伊都之尾羽張(いつのをはばり)神か、その子の建御雷之男(たけみかづちのを)神がよかろうということで、天迦久(あめのかく)神を使いに立てた結果、建御雷神に天鳥船(あまのとりふね)神を添えて遣わします(紀では、経津主(ふつぬし)神に、自ら志望して名乗り出た武甕槌(たけみかづち)神を添えて遣わします)。
 この「イツノオハバリ」、「タケミカヅチ」、「カク」、「トリフネ」、「フツヌシ」は、マオリ語の

  「イツ・ノ・オハ・パリ」、ITU-NO-OHA-PARI(itu=side;no=of;oha=generous,abundant;pari=cliff)、「崖の多いところのそば(に住む神)」
  「タケ・ミカ・ツ・ウチ」、TAKE-MIKA-TU-UTI(take=stump,chief;(Hawaii)mika=to press,crash;tu=stand,fight with,energetic;uti=bite)、「(氏族の)首長で・(敵を)押さえつけ・荒々しく・刺す(戦士)」(「ツ」のU音と「ウチ」の語頭のU音が連結して「ツチ」となった)
  「カク」、KAKU(scrape,bruise,shred)、「(障害物を)破壊する(神)」
  「トリ・フネイネイ」、TORI-HUNEINEI(tori=cut;huneinei=hungeingei=anger)、「怒ると(相手を)切る(神)」(同音反復の語尾「ネイ」が脱落)
  「フ・ツ・ヌイ・チ」、HU-TU-NUI-TI(hu=silent,secret;tu=stand;nui=large,many;ti=cast,throw,overcome)、「静かに座っているだけで他(の多くの人々)を圧倒する(神)」

の転訛と解します。
 建御雷神(紀では武甕槌神)は、雷電の神と解されてきましたが、武勇の神ではありますが、雷とは関係ありません。
 天鳥船神の「鳥」は、空を飛び、海を渡るもので、また「雷」は「船」に乗って天と地を往来すると考えられ、「天鳥船」は、タケミカヅチを運こぶ「船」と解する説がありますが、これは「船」ではないのです。ちなみに、天磐船(あまのいわふね。神武即位前紀)、天磐樟船(あまのいわくすふね。四神出生)、天鴿船(あまのはとふね。熊野の諸手船(もろたふね)の別名、天孫降臨注)は、マオリ語の

  「アマ・ノ・イ・ワ・フヌ」、AMA-NO-I-WHA-HUNU(ama=outrigger of a canoe;no=of;i=past tense;wha=be disclosed,get abroad;hunu,huhunu=double canoe)、「(列島の舷外浮材のように海峡に浮かぶ)対馬の地・から・外へ・出た・(大きな)船」(「フヌ」のU音がE音に変化して「フネ」となった)

  「アマ・ノ・イ・ワ・クツ・フヌ」、AMA-NO-I-WHA-KUTU-HUNU(ama=outrigger of a canoe;no=of;i=past tense;wha=be disclosed,get abroad;kutu=louse,vermin of any kind infesting human beings;hunu,huhunu=double canoe)、「(列島の舷外浮材のように海峡に浮かぶ)対馬の地・から・外へ・出た・(人が)忌み嫌う生物を載せた・(大きな)船」(「フヌ」のU音がE音に変化して「フネ」となった)
  「ハトペ」、HATOPE(=hatepe=proceed in an orderly manner,follow in regular sequence)、「規律正しく櫂が漕がれて進む(船)」(語尾の「ペ」が脱落)
  「マウ・ロタロタ」、MO-ROTAROTA(mo=for,for the use of,against;rotarota=sign with the hands,without speaking)、「手の合図で(漕ぎ)進む(船)」(「ロタロタ」の反復語尾が脱落して「ロタ」となった)

の転訛と解します。
 経津主神は、「フツ」は物を断ち切る擬態語で、荒ぶる神々をぶった切る刀剣の神などと解されていますが、そうではないのです。
 これらの二神は、出雲国の伊那佐(いなさ。紀では五十田狭(いたさ))の小浜に来て、剣を逆さに立てた上に座って、オオクニヌシに「汝が宇志波祁流(うしはける)葦原中国」を譲るよう迫ります。
 オオクニヌシは、わが子の八重言代主(やえことしろぬし)神がなんと返事をするかといい、コトシロヌシは国を譲るといって「その船を蹈み傾(かたぶ)けて、天の逆手(さかて)を青柴垣(あおふしがき)に打ち成して隠れ」ます。
 この「イナサ」、「イタタ」は、マオリ語の

  「イ・ナチ」、I-NATI(i=past time,beside;nati=pinch,restrain)、「抑圧された(浜)」
  「イ・タタ」、I-TATA(i=past time,beside;tata=dash down,break in pieces by dashing on the ground,strike repeatedly)、「(力比べをして)散々に打ち負かされた(浜)」

の転訛と解します。
 この「ウシハケル」は、「ウシ」は主人、「ハク」は佩くで、領主として治めるの意と解されていますが、これはマオリ語の

  「ウチ・ハケレ」、UTI-HAKERE(uti(Fu.,Tik.)=bite;hakere=stingy,grudge)、「(オオクニヌシが)けちけちと(丹念に、隅々まで注意を行き届かせて)治めている(国)」

の転訛と解します。
 この「ヤエコトシロヌシ」は、マオリ語の

  「イア・ヘ・コト・チロ・ヌイ・チ」、IA-HE-KOTO-TIRO-NUI-TI(ia=indeed;he=wrong,mistaken,in trouble or difficulty,dead;koto=loathing,sob;tiro=look,survey;nui=large,many;ti=cast,throw,overcome)、「本当にもめ事(戦い)を嫌がったように見える敗北した(神)」

の転訛と解します。
 この「その船を蹈み傾(かたぶ)けて、天の逆手(さかて)を青柴垣(あおふしがき)に打ち成して隠れ」は、海上の船を傾け、神の隠れる青柴垣にして隠れた意などと解されていますが、この「フミカタブケ」、「アマノサカテ」、「アオフシガキ」は、マオリ語の

  「フミ・カ・タブケ」、HUMI-KA-TAPUKE(humi=abundant;ka=to denote the commencement of a new action or condition;tapuke=hillock,bury)、「(船、カヌーを)多数山のように積み上げて」
  「アマ」、AMA(outrigger of a canoe)、「カヌーのアウトリガー」
  「タ・カテア」、TA-KATEA(ta=lay;katea=separated)、「(カヌーのアウトリガーを)外して置く(カヌーを解体する)」
  「アオ・フチ・(ン)ガキ」、AO-HUTI-NGAKI(ao=be right,be fitting;huti=pull up;ngaki=clear off weeds or brushwood,cultivate)、「きちんと陸に揚げて清掃して(海藻や貝殻を取り除いて)」

の転訛と解します。国譲りの終戦処理、武装解除としてのカヌーの処理をキチンと行ったという意味だったのです。したがって、「隠れた」は退去した意で、死んだわけではないのです。
 オオクニヌシのもう一人の子、建御名方(たけみなかた)神は、抵抗を試みますが、力比べに敗れて逃げだし、科野(しなの)国の州羽(すわ)海に追いつめられ、降伏します。
 この「タケミナカタ」、「シナノ」、「スワ」は、マオリ語の

  「タケ・ミナカ・タ」、TAKE-MINAKA-TA(take=stump,chief;minaka=desire;ta=dash,strike,overcome)、「希望を打ち砕かれた氏族の首長(神)」
  「チナ・ナウ」、TINA-NAU(tina=fixed,satisfied,overcome;nau=come,go)、「打倒されて移住した(土地)」または「移住して満足した(土地)」
  「ツワ}、TUWHA(spit)、「唾を吐く(冬に御神渡(おみわたり)ができる湖。その湖がある地域)」

の転訛と解します。
 そこでオオクニヌシは、国を譲るが、「唯僕の住所(すみか)を、天つ神の御子の天津日継(ひつぎ)知ろしめす登陀流(とだる)、天の御巣(みす)如(な)して、底津石根(そこついわね)に宮柱布刀斯理(みやばしらふとしり)(前項参照)、高天の原に氷木多迦斯理(ひぎたかしり)(前項参照)て治め賜はば、僕は百(もも)足らず八十くま手に隠りて侍ひなむ」、また我が子達は、コトシロヌシが「神の御尾前(みおさき)」となるならば叛くものは居ないでしょうといいます。
 そして出雲の国の多藝志(たぎし)の小浜で、水戸(みなと)神の孫、櫛八玉(くしやたま)神が膳夫(かしはで)となって御饗(みあえ)を獻ります。
 この「トダル」、「ミス」、「モモタラズヤソクマデ」、「ミオサキ」は、マオリ語の

  「タウタラ」、TAUTARA(peak,hilltop)、「山の頂上」
  「ミヒ・ツ」、MIHI-TU(mihi=greet,admire;tu=stand,be erect,be established)、「鄭重に(宮を)建てて」
  「モモ・タラ・ツ・イア・ト・ク・マテ」、MOMO-TARA-TU-IA-TO-KU-MATE(momo=in good condition;tara=peak;tu=stand;ia=indeed,every,each;to=set,as the sun;ku=calm;mate=dead,extinguished)、「良好な高い宮殿に鎮座して、ほんとうに(太陽が沈むように)姿を消して静かに死ぬ」
  「ミヒ・オ・タキ」、MIHI-O-TAKI(mihi=greet,admire;o=the...of;taki=lead,recite,make a speech)、「尊とい神職」

の転訛と解します。
 この「タギシ」、「ミナト」、「クシヤタマ」、「カシハデ」、「ミアエ」は、マオリ語の

  「タ(ン)ギ・チ」、TANGI-TI(tangi=sound,weep;ti=cast,throw)、「悲嘆(がいっぱいの。浜)」
  「ミナ・ト」、MINA-TO(mina=desire,feel inclination for;to=set as the sun,dive)、「潜水が好きな(神)」
  「クチ・イア・タマ」、KUTI-IA-TAMA(kuti=draw tightly together;ia=indeed;tama=son)、「性格がそっくりの子孫」
  「カ・チ・ハテペ」、KA-TI-HATEPE(ka=take fire,burn;ti=cast,throw;hatepe=cut off,proceed in an orderly manner,follow in regular sequence)、「(食材を)キチンと切り刻んで火にかける(人、調理人)」(「ハテペ」の語尾の「ペ」が脱落)

「ミヒ・アエ」、MIHI-AE(mihi=greet,admire;ae(Hawaii)=saliva drooling of the mouth)、「尊い(神に供える)・よだれの垂れそうな(美味しそうな。食物)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。「柏の葉」を「食器、膳」とする「手=人」だから「膳夫(かしわで)」というとする説は誤りです。

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<修正経緯>

1 平成15年1月1日

 1の(2)スサノオのアマテラス訪問の中の「曽毘良邇(そびらに)」の語源解釈を修正しました。

2 平成16年4月1日

 2の(4)ヤチホコの神の神語の中の「いしたふや」の解釈を修正しました。

3 平成17年6月1日

 1の(1)bの高天原の第一の解釈を修正、1の(1)dのスサノヲの別解釈を追加、海原の解釈を修正、1の(2)の美豆羅、伊都竹鞆の解釈の一部を修正、2の(3)のアシハラシコヲ、須夫須夫の解釈を修正、2の(6)の下照比売の解釈を修正、2の(7)に御饗(みあえ)の解釈を追加しました。

4 平成18年7月1日

 2の(7)の天磐船、天磐樟船の解釈を修正しました。

5 平成19年1月1日

 2の1の(1)のdのスサノオの解釈を修正しました。

6 平成19年2月15日

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

7 平成19年7月1日

 1の(1)のbの項に「天(あま)」、「海人(あま)」の解釈を追加し、同項の「玉の緒母由羅迩取り」の解釈を修正し、dの項の「根の国」、「根の堅州国」、「淡海の多賀」、「日の少宮」の解釈を修正し、1の(3)の「天之菩卑能命」・「天津日子根命」・「活津日子根命」・「熊野久須毘命」の解釈を修正し、2の(1)の「因幡国」の解釈を修正し、(2)の「手間」の解釈を修正し、(3)の「生太刀」・「生弓矢」の「生」、「天の詔(沼)琴」、「宇都志国玉神」、「底津石根」、「美刀阿多波志都」、「御井神」の解釈を修正し、(4)の「沼河比賣」、「和備弖」、「宇那賀気理弖」の解釈を修正し、(5)の「手俣」、「久岐斯」の解釈を修正し、(6)の「天菩比命」の解釈を修正し、(7)の「建御雷神」、「諏訪」の解釈を修正しました。

8 平成23年3月1日

 1の(5) ヤマタノオロチ退治の項に神功摂政紀の「さずき」の解釈を追加しました。

古典篇(その二) 終わり


U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
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