読み週記 12月

 

第5週(12/30〜1/5)

 年末年始はたっぷり引きこもって読むつもりだったんだけど、思ったほど読めずにがっかり。主に寝過ぎと飲み過ぎが原因です。

 にもかかわらず、スティーヴン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』(白水社)は一気読み。20世紀初頭、自らの内から衝き動かされるようにホテル王への道を歩んだ男、マーティン・ドレスラーを描いた小説だ。物語の展開は、ありふれていると言えばありふれているし、ラストへの展開もさほど意外ではなく、書評などではきっと語られていると思うので、あえて隠す必要はないと思うけど、特に記さない。
 父親が経営するたばこ屋で働く少年時代から、徐々に成功への階段を上っていくディティールがまずワクワクさせて面白い。近代化を象徴するビルディングの勃興とともにふくらんでいく主人公の道筋、それに絡ませるように登場する未亡人と2人の娘達。ビルドゥングスロマンとしてはむしろ月並みな物語かも知れないが、虚実を織り交ぜながら夢のある時代を背景にしたことと、「何か大きな事がしたい」という主人公の衝動の書き込み方がぐいぐい読ませる。

 ロバート・ゴダード『永遠に去りぬ』(創元推理文庫)は、ほんのちょっとの出会いをきっかけにして、殺人事件の渦中に自ら身を投じていくことになる男が主人公。こんなにまぁ自由の利く身分がうらやましいこと、といったやっかみはさておき、尾根道でのわずかなすれ違い程度の出会いだけで、どんどん事件に関係していく主人公の背景や、二転三転する真実に揺すぶられる快感がある。度々示される様々な真相に「スッキリしない」という気持ちが芽生えることで、物語を読み勧めていく内に、すっかりゴダードの手の内にはまってしまう、というからくりが、ここにはある。

 年末年始、ほとんど本が読めなかったくせに、実は本の整理も全く出来なかった。去年の年初に作った机の下本棚はもはやその上に乗った本で姿が見えず、本棚以外の部分にも本を積んでいる始末。本棚と言うより、机の下にただ本を積んでいっているだけのような気がしている。よく考えてみれば、去年本棚を作ったときに、その棚自体は全部埋まっていたので、新しい本は全部その上にただ乗っかっていくだけなんだよね。
 めんどくさいというか、なんとなく惜しくなってしまうというか、本を古本屋に持っていくこともあまり考えていない。それが例え一銭にならなくても全然かまわないんだけど、「あの本を誰かに勧めよう」とか、「あの本のことを話そう」とか思ったときにそれが無くなっている、という悔しさを過去に何度か味わっているので、なかなか処分できずにいるのだ。かといって、古本屋の本というのはどうも苦手なので、滅多に手にすることもなく、古本屋を自分の仮設本棚としてしまう作戦は計画倒れである。果たして来年の今頃はどうなっているのか。

 

第4週(12/23〜12/29)

 2002年最後の読み週記は、年末恒例(どうも去年かららしい)の個人的ベストを発表。ベストを発表というか、たんに年の最後にその年に読んだ物を何冊かピックアップして最後に載せるとなんとなくいいかも、ということに去年気付いた。

 まずは通常の読み週記。というのも最後の週になってベスト入りしそうな一冊があった。永井路子『北条政子』(文春文庫)だ。永井路子は間違いなく巧い作家だけど、なかなか手を出さずにいたのは単に近くの書店にピンと来る物がなかったから。歴史上の女性達にスポットを当てることの多い作家だが、それ故になぜか手が出なかった。
 鎌倉時代の幕開けの時代に特に造詣が深く、同じ時代を描いた『炎環』(文春文庫)で直木賞を受賞しているだけに、『北条政子』は永井文学の代表作と言っていいだろう。少し前になるが『炎環』の方を読んでいただけに、同じ時代を政子一人の視点から描いたこの作品は、対になる作品とも感じられた。
 男達によって作られた歴史小説に慣れていると、この作品には違和感を感じるかも知れない。この作品では、歴史が女性性によって動かされるシーンに度々出会うからだ。日本の歴史において女性が必ずしも影の存在ではなく、むしろ歴史的に意味の強いポジションにいたことは、解説でも触れられているようにあきらかだ。しかし、男性の目で描かれる女性が主人公の歴史小説とは、『北条政子』は違っている。それが新鮮でもあり、違和感でもあるのだ。従来の男性的な歴史観、女性史感とは異なる小説。
 物語は政子が頼朝と出会うところから、やがて「尼将軍」として歴史の動かしてとして表面に浮かび上がり始めるまでの時期をとりあげている。たまたま電車読書用に読んでしまったので細切れだったのがもったいない、再読、再々読に耐えうる名作だ。

 安野光雅『ふしぎなえ』(福音館書店)は、エッシャーの様な絵が全編に描かれた絵本。人に頂いた本だが、安野光雅を読むのは子どもの時以来で懐かしかった。俺はアルファベットも安野光雅で学んだおぼろげな記憶がある。
 子どもの頃に読んだ安野作品は、ものすごく言語的に捉えていた記憶がある。読みながら色んな理屈や言葉が頭に浮かんでいたに違いない。実際には一言も文字が描かれていないんだけど。作中で使われる字はすべて記号や絵として使われているものだけで、それもほとんど数はない。そして子どもの頃に読んだときには、それを字ではなく、絵として感じていたはず。
 これが今読むと、かえって非言語的な感覚を働かせて”読ん”でいるのが驚き。それが少し嬉しい。

 

 さて、それでは今年のベスト。ベスト10にするほどたくさん読んだわけではないけど、ベスト5に絞るのも辛い、という年だったように思う。あえて順不同にはせず、以下の通り。

@ ハンス・ベンマン『石と笛』(河出書房新社)全4冊 4月第2週〜

A 平安寿子『グッドラックららばい』(講談社) 9月第1週

B いしいしんじ『麦踏みクーツェ』(理論社) 8月第3週

C T・E・カーハート『パリ左岸のピアノ工房』(新潮クレストブックス) 4月第1週

D ローレンス・ブロック『慈悲深い死』(二見文庫) 11月第3週

 

 なんと、文字が色つきですよ、奥さん!

 ええと、今年一年、例の「ハリー・ポッター」が目についてしかたない年だった。しかも、過去の読み週記を読み返したら、意外に俺、『ハリー・ポッターと賢者の石』(静山社)を結構誉めてる。何で?
 そんなファンタジーブームに押されて、悩んでいたのをついに買って大正解だったのが1位の『石と笛』だった。読み週記上でも触れているし、ベンマンの作品の解説でも度々語られているが、ベンマン自身は自らの作品をファンタジーでなく「メルヘン」だと読んでいる。確かにベンマン文学は「ファンタジー」とくくることもできず、「メルヘン」と考えるとうなずけるが、この作品はファンタジーの文脈で捉えても的はずれではないはず。何はともあれ、物語を楽しむにはうってつけ。今年一番夢中になった「お話」だ。

 日本人強化年間が今年だったのか去年だったのかよく覚えていないけど、2年越しの計画と考えて、一番の収穫が平安寿子『グッドラックららばい』なのは間違いない。と思って自分の書いたものを読んだら、「日本人強化年間が〜」と同じこと書いてるし。
 4人のそれぞれ勝手な家族が織りなす家族小説だが、止まらずに読み進んだ記憶がある。最初から最後まで、飽きることがない。明らかに異常な家族風景が、なぜか日常とオーバーラップする感覚といい、それぞれのキャラクターの魅力といい、どこを切っても、良い読書記憶しかない。何度も「ああ、ここでやめておかなきゃ」と思って本を置いたくせに、結局最後まで読んじゃったはず。

 小さな港町の吹奏楽団から物語が始まるあたりで、炭坑の町の吹奏楽団が出てくる映画「ブラス」となんとなく重なったせいで余計にそんな印象があったのかもしれないが、いしいしんじ『麦踏みクーツェ』は外国文学の匂いがしていた。そう思わせるのが何なのか、自分への宿題にしたまま、まだ残っている。いろんな感覚が刺激される心地よさが「とん、たたん、とん」という文中の音に象徴される。年末年始、休みの中でふと開いた日にじっくりと浸って読んでもらいたい本なんだけど、こんなに年の瀬が迫ってから言ってもダメです。

 全く持って個人的な感傷である可能性は高いけど、まあ、個人のページなんだからいいや。今年読んだノンフィクションの中ではカーハート『パリ左岸のピアノ工房』が素晴らしかった。再びピアノを弾き始めようと思っていた著者が出会った、パリの路地で見つけたピアノ工房での素晴らしい体験が綴られた一作。所々ピアノについての知識が飛び出して、知らない人は「なんのこっちゃ」と思うかも知れないけど、そんな部分は全くわからなくてもなんの問題もない。ピアノが奏でる音楽、むしろその創り出される音への愛情を介した人間の話なのだ。
 同時にその人間を介して音楽が作られていく。ピアノがいかに素晴らしい楽器であったのか、を思い出したのはこの本に依るところが大きい。その気持ちを伝える腕が(ピアノのね)ないのが本当に残念でならない。精進を怠った自分が悪いんだけど。
 この本、さる人に差し上げようとずっと思っていたのに、結局その人に会えぬまま年を越してしまった。自分の気持ちの中で時期を逃してしまったかなぁ。

 毎年一作くらいは、面白いミステリやハードボイルドのシリーズ物を見つけている。今年はブロックの「マット・スカダー・シリーズ」と、フリーマントルの「チャーリー・マフィン・シリーズ」(新潮文庫)だった。今年の収穫としてどちらも挙げたかったが、ブロックの方にした。一杯手に入った、というのも大きいかも。
 アル中探偵のスカダーが主人公で、シリーズの半ばで、彼はアル中である自分に気付き、酒を断つことになる。というあたりはもう有名なので、書いてしまってもいい、かしら?
 シリーズの転回点になる『八百万の死にざま』(ハヤカワ文庫)がやっぱり一番有名だけど、むしろ現時点(今読んだところ)では、その後の作品『慈悲深い死』(二見文庫) の方を真っ先に挙げておきたい。シリーズ物はどうしても作品単体としてよりも、シリーズの流れの中での意味合いにも注意が向かってしまうが、その点で前者よりも遙かにシリーズの要になっている作品だ。

 というわけで今年のベスト5。もっと挙げたい本がいくつもあって、例えば海外文学で言えば、3月のランズデール『ボトムズ』(早川書房)とか個人的にオースター再発見の年だったので7月の『ミスター・ヴァーディゴ』(新潮社)とかも挙げたかったし、日本人強化年間としては、バカにしすぎてすまんすまんと年初から強く詫びた宮部みゆき『模倣犯』(小学館)だってあったし、あっと、SFが全然ないや、11月のル・グィン『言の葉の樹』(ハヤカワ文庫)なんてのもあったのに。そう考えると、今年は思ったより面白い本が読めたのかしら。

 というわけで、今年はおしまい。

 

 

第2週(12/9〜12/15)

 今週は1冊もなし。だと思う。諸事情により机の下本棚を少しいじったので、一番最近に読んだ本をどこに置いたのかわからなくなってしまったので、もしかしたらあるのかも。ないかも。

 新潮文庫のカバーの片隅に、三角形のブドウのマークがある。これを切り取って応募用紙に貼り付けると商品がもらえる、というキャンペーンを新潮社がずいぶん長いことやっている。他社でも似たようなキャンペーンがあるのかどうかは知らないが、キャンペーン無しだけどとりあえず応募券はついてて、そのうちやるカモね、という版元もあるらしい。
 別に欲しい物もなかったので全然考えもしなかったけど、ある日それを狙ってる、という人に出会ったので、近くにある新潮文庫のカバーを片っ端から切り取ることにした。流石に面倒くさくて奥の本棚は手を着けなかったが、思ったほど無かったのでびっくり。おそらくハヤカワについて一番買ってる文庫だろうと思ったのに、それでもたいした冊数がない。家中本だらけで困ったなぁ、と思ったのに、実際に見てみるとそうでない、ということは、これは間違いなく家が狭い、ということだと思う。本を読んでそれが誰かに還元されるのは良いことだ。本来の趣旨と違う気がするけど、まあよし。

 それにしてもあのパンダ、可愛くないよね。

 

第1週(12/2〜12/8)

 人と本の話をする機会って、考えてみるとあまりない。もうこのページに本のことを書き続けて5年近くになるようだが、その間にメールその他含め、本の話をしたのはこれらの百分の一程度ではないだろうか。いや、もっと少ないかも。それだけに、そういう機会に恵まれたりすると嬉しい。それが本の些細な会話であっても。

 アル中と闘い続ける男マット・スカダーシリーズの『墓場への切符』(二見書房)は本当に怖い。シリーズ中、これだけの犠牲者が傷つくものも初めてだし、前作でクローズアップされたアルコールとスカダーの関係がこれほど痛切に語られるのも初めてのことだと思う。しかもその語られ方はあくまで押し殺した口調で語られるのがシリーズらしい。
 久しぶりに登場した娼婦のエレイン・マーデル。彼女とスカダーの過去に関わりのある男が今回の敵役。このキャラクター造形がまた秀逸。そして怖い。彼の武器は、恐るべき指の力と、それによって与えられる身体的苦痛に端を発する人間の征服方法。それらが淡々と行われるあたりが一層の恐怖感をもたらしている。今までの流れの中では異色の作品と思えるが、今後のシリーズの進み方を幅広く想像させる作品であるのかも知れない。

 本の保管方法について語る機会はもっと少ない。他の人はいったいどうやっているのか、興味深いことでもあるのだが。本はとりあえず買って所有したい、という欲望を持った人達のなかで、それらがどのように所蔵されているのか、色々聞いてみたい気がする。書名などのデータをエクセルで保管している、という話を聴いたときはうらやましく思った物だ。かつてアクセスで試そうと思ったことがあるんだけど、本棚の一段目の裏面だけで挫折したことがある。エクセルならもっとデータを絞って楽だと思うけど、それでも大変な作業だしなぁ。
 せめて書名と著者名、保管場所が示されたデータだけでも作りたいが、そんな時間があったら読みたいし、そもそも保管場所が結構変わるし。難しい。