―子供部屋―
(ジョー島村もしくはお嬢さんのお部屋)
11月29日 帰りがすっかり遅くなったジョーは、ギルモア邸の前でタクシーを降りた後邸を見つめ小さく息をついた。 一回深呼吸をすると、ジョーは音もなく玄関に向かい静かに鍵を開けた。 耳を打つような静けさがジョーを襲う。 静かに靴を脱ぎ、静かにスリッパを履き――音も無く階段を昇りかけたところで、ジョーは危うくその階段から転げ落ちるところだった。 「なっ・・・!」 階段の真上からこちらをじっと見つめる金色に光る瞳。 「お帰りなさい」 フランソワーズだった。 「そんなに驚くことじゃないでしょ?」 言いながらひっそりと階段を下り、ジョーの腕を取った。 「いや・・・まさか起きてると思わなかったから」 ジョーはシャツの襟元に指をかけて引っ張り、ネクタイを緩めた。 「でも、眠いだろう?」 ジョーの頬が緩む。誰かが自分の帰りを待っていてくれるというのは、何度経験してもやっぱり嬉しい。 「――ところで、今日は何の集まりだったの?」 あまりにもにこやかに会話を進めるフランソワーズに、ジョーは全く無防備だった。 「素敵な色ねぇ。今季の流行色よ、確か」 自室に入って上着を脱いだ途端の出来事だった。 「どうしてついたのかしら?」 知らないよ。 という間をフランソワーズは与えなかった。 「変よねぇ。今日は「そういう集まり」じゃないはずでしょ?」 ジョーは苦虫を噛み潰したかのように――実際に噛み潰したことはなかったので、本当はどういう表情になるのか知らないが――顔を歪めた。 「あのさ。フランソワーズ。これはね」 本気で言ったわけではないだろうが、あまりにも悪い冗談だった。 「フランソワーズ。本気で言ってるのか」 二の腕を凄い力で掴まれ、フランソワーズは顔を歪めた。 「やだ、冗談よ」 ジョーの腕が緩む。が、続くフランソワーズの言葉に再びジョーはうちのめされた。 「でも――だったらどうしてこんなところに口紅がつくの?私、見当違いのことを言ってるわけじゃないと思うんだけど」 ジョーは乱暴に腕を離すと、フランソワーズに背を向けてネクタイを外し、シャツを脱いだ。 「・・・ジョー?」 ジョーは着替える手を休めない。 「じゃあ、・・・男の子?」 ジョーの耳がぴくりと動く。 「まさかと思うけど、もしかして・・・ジョーの元チームメイトの」 しみじみと言った途端、振り向いたジョーに抱き締められた。 「――女にも男にも」 ジョーの元チームメイトのドライバーである「彼」は、今は「彼女」であった。 「・・・だから言いたくなかったんだよっ・・・」 11月24日 フランソワーズはすこぶる不機嫌だった。 *** 「・・・フランソワーズ。ちょっといいかな」 ドアの外からジョーがおそるおそるといった感じで声をかける。 「イヤ!」 フランソワーズはベッドの上に身体を起こし、じっとドアのほうを見つめた。ドアの向こうには所在なげに立っている恋人の姿があった。 「フランソワーズ」 それは本当なのだろうかとしばらくジョーの顔をじっと観察したあと、フランソワーズは立ち上がってドアを開けた。 「みんな悪気はないんだよ」 自分を指差すジョーに、フランソワーズはこっくりと頷いた。 「何で僕が反省――」 言いかけたジョーは、しかし、見つめる冷たい蒼い瞳に言葉を続けられず、中途半端に黙ることとなった。 「――わかった。何も言わないよ。ともかく、・・・入ってもいい?」 細く開けられたドア。半分だけ見える恋人の顔。 *** 「あの話はやめて、って言ってたのに!」 ジョーは一言も反論せず、フランソワーズを抱き締めた。が、いつもならこれで収まるはずの嵐も今日は規模が違うようで一向に収まる気配をみせなかった。 「私とジョーの間では、ちゃんと納得して終わった話よね?」 ジョーは、それはあんまりだろうと思ったものの反論すれば倍になって返ってくることがわかっていたので、不本意ながら聞き流した。 「それを「耐え忍ぶ」だなんて!耐え忍んでなんかいないわ!怒ってたのよ!」 確かに、他人から見れば耐え忍んでいるように見えたのかもしれない。が、しかし、実際はどうだったのかを知っているジョーとしては――むしろ、他人から「耐え忍ぶ恋人」に思われていたほうが彼女の印象はよいままなのではないだろうかとも思うのであった。 「公園でスケボーもしたし、海辺で鬼ごっこもしたわよね?」 ジョーは思い出したくないのか口をへの字にした。 「缶ジュースを握りつぶすワザも披露してもらったわ」 エコな彼女にしては、思い切ったものである。まさかこれも再現させられるとは思っていなかった。 「ねっ!?耐え忍んでなんかいないでしょう!」 浮気ではなかった――のだ。 「でもさフランソワーズ。・・・みんなは僕達のことを知っているわけじゃなかったから」 ジョーの言葉に微かに頬を染めて、フランソワーズは彼の肩におでこをくっつけた。 「・・・それだって、あなたが悪いのよ。恥ずかしいから、って」 あの日の夜のことを誰も知らない。 「――ともかく!いったい誰が観ようって言い出したのか知らないけど、もうイヤよ?」 やっと嵐が収まってきたとジョーはほっとしながら、胸の中の恋人をしっかりと抱き締めた。 そう――「ローマの休日」はもう観るな、と。 *** 11月22日
悲しい恋と破れる恋? 「破れる恋と悲しい恋。ジョーはどっちが好き?」 ジョーはじっと目の前の空間を見つめた。いったいフランソワーズは急に何を言い出したのだろうかと思いながら。疑問はふたつ。なぜ突然こんな話を始めたのかと、二者択一の内容である。 「あのさ、フランソワーズ」 間違っていないというからには、答えを出さなくてはならない。が、しかし、フランソワーズのこの手の質問は危険なのだ。過去の経験でじゅうぶんすぎるくらい学習している。従って、ジョーの導き出した答えはこれ以外にはないというものだった。 「どっちも好きじゃないよ」 言い切って、フランソワーズの反応を待つ。 「ええっ、何よそれ」 無断でジョーの腕の中に収まっていたフランソワーズは、彼の答えに頬を膨らませた。 「答えになってないわ」 よし、いいぞ。 諦めて質問を引っ込めたフランソワーズに、ジョーは心の中でガッツポーズをとっていた。 「で?いったい何」 どうしてなのだろうか――と思ったものの、ジョーはその問いを飲み込んだ。いつの間にかフランソワーズのペースになっていたのに気がついたのだ。このまま会話を続ければ、延々と妙な質問に関するレクチャーに変わってしまう。 「そうね、例えば――」 *** 「好きだって言ってるのに、どうして信じてくれないの?」 フランソワーズは目の前のジョーに向かって言葉を投げかけた。 「嘘で好きだなんて言うわけないでしょう?そんなこともわからないの?」 対するジョーは、既に彼女の視線から逃れるように前髪の奥に引っ込んでいる。俯き加減のその顔からはどんな表情をしているのか全くわからない。 「・・・そんなの、誰にだって言えることなんだろう?」 その言い方にフランソワーズはかちんときた。 「また人種差別発言?いい加減にして頂戴。何よ、自分は日本人だからわからないってそればっかり!問題なのはどこの国の人かじゃないでしょう?ジョー個人の話をしているのに」 *** 「ほら、悲しいでしょう?これが悲恋よ。悲しい恋」 自慢げに言うフランソワーズにジョーは小さくため息をついた。 *** 「話ってなに?」 ジョーは窓辺で海を見ているフランソワーズの背中に問いかけた。 「別れて欲しいの。私、もうアナタと一緒にいるの、疲れちゃった」 ・・・フランソワーズ? 「だから、もうやめたいの。・・・終わりにしましょう。私たち」 ジョーは自分の頬をつねってみたが、痛くなかった。ということは、やっぱり夢だという結論に達した。 「わかった・・・今までありがとう。フランソワーズ」 夢だとわかったなら、話は簡単だった。このあとどんな流れになるにせよ、カッコつけてみたっていいだろう。 「どうして・・・」 *** 「やだわ、思い出しただけで泣けちゃうわ」 目尻を拭うフランソワーズにジョーは嫌そうに顔を歪めた。 「あのね、フランソワーズ」 そんなジョーに気付いているのかいないのか、わざとらしく鼻をすすってフランソワーズは彼を見つめた。 「これが破れる恋よ。可哀相な私」 ジョーは喉の奥で小さくけっと言った。 「ふん。何が可哀相な私、だ。この場合可哀相なのは間違いなく僕だ」 ジョーはなんだかもうメンドクサクなって、フランソワーズを抱き締めると唇を重ねていた。 「――ん。ジョーったら」 そうなのだ。実はフランソワーズの言う「例え話」は全て実話だったのだ。 「いいかい、フランソワーズ」 ジョーの声音が険しくなって、フランソワーズは彼の膝の上で居住まいを正した。 「僕たちはどちらも経験しているし、それを踏み越えてここまで来ているんだ。だから、どっちが好きかなんて質問は二度としないでくれ」 ジョーをちらりと上目遣いで見つめ、フランソワーズは背後に置いていた雑誌を取り出した。 その後、半年間その雑誌の講読禁止を言い渡されたフランソワーズであった。 ***
しんと静まり返った邸。どこの窓からも灯りは見えない。何しろ、夜中の3時なのだ。
いくら仕事とはいえ、こんな時間に帰るなんて同居人が多数居る中では迷惑極まりないだろうと思うものの、かといって誰もいない自分の自宅マンションに帰るのはあまりにも味気なくてイヤだった。そのほうが気兼ねしなくていいだろうと思う反面、何しろそこにはフランソワーズがいないのだ。これはジョーにとって大きなポイントだった。
およそ誰も起きてなどいないだろう。玄関灯が申し訳程度に灯っている以外は全て闇に呑まれていた。
彼らにとって、暗闇というのはさほど不便ではなかったから、電気代の節約のため夜中に点灯したままということは殆ど無かった。
獣のようなその光は一瞬だけ煌くとすぐに消えた。
「た、ただいま」
てっきり就寝しているものと思っていただけに、意外だった。
「あら、起きてちゃ駄目だった?」
「そんなことないよ」
「そうね。――でも、待っていたかったから」
「・・・そうか」
おそらく人によっては迷惑だったり、鬱陶しいと思ったりもするのだろう。けれどもジョーは、過去に一度もそういう鬱陶しいくらいの愛情や親切を経験したことがなかったから、迷惑だなんて思ったこともなかった。むしろ、何度経験しても嬉しかった。早く「鬱陶しいなあ、寝ててくれよ」なんて思う自分にも出会ってみたかった。
「うん?言わなかったっけ?納会だって」
「――納会」
「うん。打ち上げとは違って、日本のスタッフとの食事会さ」
「飲み会の間違いでしょ?」
「まぁ、そうとも言う」
「で、その口紅はいったい何事?」
「えっ?」
「え、そんなの――」
「私はまだ持ってないのよ、この色」
ジョーの肩のあたりを指先でつついてフランソワーズはにっこり笑んだ。
「え。し――」
「薄着の女の子たちがいるお店?」
「・・・違うよ」
「あら、いま一瞬間があったわ」
「違うって。そんなところは行ってない」
「・・・本当は飲み会じゃなかったりして」
「えっ?」
「浮気。――とか」
ジョーの頬が引き締まり、眼光鋭くフランソワーズを見据えた。
「悪い冗談だ」
「そうね。ごめんなさい」
「・・・」
黙々と着替えるその背中を見つめ、フランソワーズは小さく首をかしげた。
「・・・」
「まさか本当に女の子?」
「・・・」
「言うな」
「でも」
「正解だから言うな」
「どうして?」
「・・・」
「いいじゃない。美人だもの――彼」
「いいから」
「もてるのねぇ。ジョーは」
「ふふっ。この口紅素敵ね、って伝えて頂戴」
「やだね」
「いやあ、でもさ・・・」
「イヤったら、イヤ!」
「うーん・・・でもワケくらい教えてくれてもいいんじゃないかな。何しろ階下は大変なコトになってるんだし」
「・・・」
「・・・怒らない?」
「怒らないよ。・・・怒ってないし」
「・・・そう」
「本当だよ?それに――悪かった、って反省してるし」
「ジョーも?」
「え。僕?」
フランソワーズは身体を引くと、ジョーを部屋の中へ招き入れた。
「うん、そうだね」
「二度としたくもないし、聞きたくもないのよ?」
「うん。僕もそうだよ」
「なのに、・・・ひどいわ!」
「そうだね」
「何よ、もう!」
「うん。もちろん」
「なのに、どうして今頃言われなきゃいけないの」
「うん――それは迂闊だった、ってみんな反省してる」
「忘れてるなら忘れてるままでいてくれればいいのに」
「そうだね」
「なのに、――何よ、もうっ!あんなにびくびくして探るように見なくてもいいじゃない!」
「あれは、彼らなりに気を遣ったんだよ。・・・たぶん」
「気を遣ったですって!?だったらどうして私が「耐え忍ぶ恋人」になっちゃうのよ!失礼にもほどがあるわ!大体ね、私がもし「耐え忍ぶ恋人」だとしたら、いい?ジョー。あなたのことをなーんにも信じてないってことになるのよ、わかってる!?」
「え。あ。うん」
「私が信じてないわけないでしょう、だって私があなたを信じなかったら誰が信じるっていうの!」
「・・・そうだったね」
何しろ、その後のフランソワーズはジョーにとってものすごく怖かったのだ。
その日の彼と彼女の行動全てを逐一報告させ、不明な点は明らかになるまで追求し――ジョーが少しでも言葉に詰まると容赦しなかった。
そして、更に後日。彼と彼女がとった行動全てを自分とジョーできっちり再現させたのだ。
それはジョーにとって、――浮気ではないとお互いにわかっていたから、罰というのは憚られるのだが――きつい罰ゲームとなった。
「・・・そうだね」
「ディスコでジョーの変な踊りも見せてもらったし」
「・・・そうだったね」
「耐え忍んでなんかいないもん!やきもちやいてたんだから!」
だったら何だったのかというと――勘違い。間違えた恋。ただ「自分以外の何者かになりたかった二人がたまたま一緒に過ごしただけ」の話。恋ではなかったし、もちろん愛でもなかった。ただの、同志。それだけのことだったのだ。
だから、彼の恋人であるフランソワーズが「耐え忍ぶ」わけはなかったし、実際に耐え忍んでなどはいなかったのである。その証拠に、みんなが彼女を腫れ物に触るように扱う中、勇敢にもからかったグレートに怒ったのだった。
「それはそうだけど」
「だってからかわれるだろう?」
「私は平気だったのに」
「嘘だね。君だって恥ずかしいわって言ってたじゃないか」
「・・・あなたに合わせたの」
「なんだよそれ。酷いなぁ。結局、僕が悪者かい?」
「そうよ」
パーティから戻ってきたジョーが帰ったのは、フランソワーズの部屋だということを。
以前から、ふたりはそういう関係なのだということを。
「うん」
「絶対絶対、観ないし上映だってさせないわ!」
「そうだね」
「ヘップバーンが可愛いのはそう思うけれど、でもあの映画だけはイヤ!」
「うん――」
後で階下のみんなにちゃんと言わなければと思いながら。
特にフランソワーズの前では。
新ゼロ「王女」ものは「ローマの休日」がモトネタなのは御存知ですよね???
当サイトの補完SSではちょっぴり「耐え忍ぶ」系になってしまいましたが、結論はSSに書いた通りです。
アニメ放送を捻じ曲げて申し訳ないですが、私はあれは決して「浮気」とは思いたくないのでこうなりました。
たまには「暴風域のお嬢さん」であってもいいかな?と・・・思います。
「は?」
「は?じゃなくて、どっちが好き?」
「・・・何が」
「だから。破れる恋と悲しい恋、よ」
ひとつめの答えはすぐに見つかった。彼女が突然こういう問いを放つことは決して珍しくは無かったのである。
だから、もうひとつの疑問に考えを集中させた。
破れる恋と悲しい恋。どっちが好きなのか。
とはいえ、それってどちらも悲惨なのではないかと思ったので、フランソワーズが選択肢を間違えているのだろうという結論しか出てこなかった。
「なあに?」
「それって・・・破れる恋と破れない恋、もしくは悲しい恋と幸せな恋、の間違いじゃないのかな」
「間違いじゃないわ。破れる恋と悲しい恋のどっちが好きか、って」
「あ、そう・・・」
そう。彼女が二者択一をせまった時、ミッションならともかく、普段の生活の中であればどちらも選んではいけないのだ。特に彼女がジョーに「どう答えて欲しいのか」が解らない時は。ジョーがよくよく考えて、誠意をもってどちらかを選んだとしても、フランソワーズは100%気に入らないのだから。
「そう?」
「そうよ。・・・もうっ。ジョーに訊いた私がばかだったわ」
今度からはこう答えよう。そうすればきっと二度と質問しようなんて思わないだろうから。
「・・・ん。あのね。成就しないなら、どちらのほうがマシか、っていう話」
「マシ?」
「そう・・・」
「・・・ふうん。フランソワーズはどっちがいいわけ」
「私?私はね、・・・悲しい恋のほうがまだマシかしら」
「あ、そ」
しかし、ジョーの思惑とは全く関係なく、フランソワーズは勝手に喋り出していた。
「そんなことないよ。でも・・・」
「何よそれ」
「君はフランスのひとだし。・・・ちょっと好きになったら簡単に誰にでも言えるんじゃないのか」
「ひどいわ」
「そうかな。日本人の僕にはわからないよ」
「・・・僕のことなんてどうでもいいじゃないか」
「どうしてそう言うの?どうして・・・信じてくれないの」
「君は僕のことなんか好きじゃないって知ってるからさ」
「――何よ、それ!」
「わかるよ。女の人が自分のことを好きかどうかくらい。見ればわかる」
「だったら」
「だから・・・君は僕のことなんか好きじゃないってわかるんだ。君は誤解しているだけだ。同情を愛情だと思い込んで」
「・・・何よそれ。・・・どうしてわかってくれないのよ」
だって、これって・・・
すると彼女はゆっくりと振り向いて言った。
そうでなかったら、フランソワーズがこんな事を言うわけがない。
そう、夢なのだ。
・・・夢。
何しろ夢なのだ。だったら、物分りの良い恋人を演じてみるのも悪くは無い。現実ならばこんなこと絶対にできないのだから。
にっこり笑って言ったジョーに、けれどもフランソワーズは信じられないと言いたげに目を見開いた。そして、みるみるうちにその瞳に涙の粒が盛り上がった。
「えっ?」
「どうしてイヤだって言ってくれないの」
「だって別れたいんだろう?」
「だけど」
「君がそう言うなら仕方ないじゃないか」
「なあに?」
「あら、違うでしょう?きっと内心はそう思っているから簡単にこんな言葉が出てきちゃうのよ」
「・・・あのね」
「あーあ、なんて可哀相な私。悲しい恋も破れる恋もどっちも――」
「もういいじゃないか。どっちも経験したんだから」
「・・・そうだけど」
「・・・ハイ」
「もう一度経験するなんて、僕はゴメンだね。君はいいの?平気なのかい?」
「ううん、そんなわけないわ!」
「だったらもう二度といわないこと。いいね?」
「・・・ハイ」
「大体、どこからそんな質問が出てきたんだ」
それは彼女の愛読している月刊ファッション誌であった。が、ジョーにとってそれは鬼門であった。
「悲しい恋」のほうは特にどのお話というのはありませんが、敢えて言うなら「諦めと期待」「同情じゃない」あたり。
「同情じゃない」の詳細はジョーの誕生日の頃になります。
「破れる恋」は「セプテンバーバレンタイン」でした。
ちなみに「セプテンバー・バレンタイン」のラストは補完ものSS第23話の「一瞬の未来〜未来視」と繋がります。
11月8日
一緒にいる、ってこういう意味じゃなかったのに。 フランソワーズはこの一週間の事を思うたび繰り返し自分に問うていた。 そうよね?普通は「一緒にいる」ってそういう意味じゃないわよね? もちろん、答えはイエスである。 いつも一緒。 フランソワーズが思い描くそれは、例えば同じ場所に出かけたり、一緒に映画を観たり、ごはんを食べる時間を共有したり――そういうものだった。 「ん。駄目だよ、フランソワーズ。ずっと一緒だろ?」 邪気の無い笑顔を向けられ、フランソワーズはいったん浮かせた腰を元に戻した。 指と指を絡める恋人繋ぎ。 彼の言う「ずっと一緒」とは「ずっと身体が触れ合っていること」だったのだ。 「ジョー。これじゃなんにもできないわ」 自分にもたれるジョーが重い。特に肩に乗っているジョーの頭が。 「・・・ジョー。重い」 ちょっと身体を起こしたジョー。その隙に、フランソワーズは自分の身体を彼から引き出すのに成功していた。 「僕のこと放っておけない?」 そんな妙なオーラ持ってないぞ、と鼻白むジョーにフランソワーズは続ける。 「つまり、やっぱり放っておけない、ってことよ」 途端に笑顔になったジョーに、再びフランソワーズは胸の裡でため息をつく。 ――だから、「一緒にいる」って意味はそうじゃなくてっ・・・ ジョーの腕に絡めとられる自分。
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11月1日
「わあっ・・・綺麗ねぇ。トワイライトレースだなんて知らなかったわ」 コースを見回し、うっとりするフランソワーズに隣のジョーはほっと息をついた。 「ジョー?こんな綺麗なところを走れるなんて幸せね」 まっすぐこちらを見つめる蒼い瞳。 ――フランソワーズはいったいどう思っているのだろうか。 気になるけれど、訊けずにいた。もしも自分が思うとおりのサイアクな答えを言われてしまったら、きっと深い自己嫌悪の海に沈むだろうことは明らかだったから。 全ては僕の弱さのせい、だ。 「・・・ジョー?」 ふっと目を伏せたジョーに怪訝そうな瞳を向け、フランソワーズは首を傾げた。 「どうかした?こっちに来てから、なんだかいつもと違うみたいだけど・・・」 いつもと違う。とは、ずいぶん控えめな表現だなと思いつつジョーは笑みを頬に貼り付けた。 「・・・初めてのサーキットだからかな。ちょっと緊張してるみたいだ」
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フランソワーズを強引に自分の元へ来させ、そして――彼女に溺れた。 そして実際にフランソワーズはここへやって来て、そして――堕ちてくれたのだ。 しかし。 その繰り返しの毎日だった。 僕は――フランソワーズの知らない僕になってしまった。 昔の自分。 二度と戻らないはずの自分に戻ってしまった。 誰かにそばに居て欲しくて、かといってずっと一緒に居られるのは迷惑で。ただ自分が堕落するに任せ、綺麗なものを自分と同じように汚したかった。 そんな自分はもう見たくなかったのに。
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「ジョー?」 隣で静かになったままのジョーが気になって、その腕にそっと触れた。 「・・・ほんと、緊張してるのね」 気付かないふり。 ジョーの横顔はどこか苦しそうな――とはいえ、見ようによっては本当に緊張しているようにも思われた。 フランソワーズはそこにこそ意味があると思っていた。 ジョーが落ち込んでおり、自己嫌悪に浸っているのはわかっていた。そして、もしも自分が「気にしてないわ」と言ったら、彼の気持ちは軽くなるどころではなく、更に深く落ち込んでしまうのであろうということも。 いつもは見せないジョーの心。 彼は――いったい、自分に何を求めているのだろう?
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「うん。自分で思っているより緊張しているんだなぁ。神経過敏すぎるよね」 ははと笑ってみせた。
***
あ。 わかった。 ・・・ような気がする。
ジョーの乾いた声を聞いて、答えが見えたような気がした。 何に――怯えているのか。
そう――怯えていたのだ。ジョーはずっと。
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「ねぇ、ジョー。レースが終わったら何をしましょうか」 ジョーに触れた手を引っ込めて、フランソワーズは空を見ながら明るく言った。 「レースが・・・終わった、ら?」 フランソワーズはジョーの顔を覗きこんだ。 「いいのよ。別のことを考えたって」 顔を強張らせ、ふいっと目を背けるジョーの頬に手をかける。 「駄目。ちゃんとこっちを見て」 それでも目は逸らしたままだ。 「ジョー。こっち向くの。ちゃんと」 強い声で言われ、のろのろと彼女に目を向ける。 「見て。ちゃんと」 煌く蒼い瞳。その双眸がジョーを射る。 「まっすぐ見ないから忘れちゃうのよ。・・・駄目でしょう。自分の味方を忘れちゃったら」 褐色の瞳が揺れる。 「ね?ちゃんとまっすぐ前を見れば、きっと思い出すわ」 あなたは独りじゃないってことが。 「――だから、あなたが走っている間に私が考えておくわね?これからの予定」 レースが終わってもあなたは独りにならない。 「だって、ずっと一緒にいるんだもの」 ね?
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