地名篇(その二十一)

(平成15-1-1書込み。19-2-15最終修正)(テキスト約31頁)


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 [ここでは『和名抄』所載の旧国名、旧郡名のほか、その地域の主たる古い地名などを選び、原則としてマオリ語により(ハワイ語による場合はその旨注記します)解説し、その他はまたの機会に譲ることとします。]

 

<九州地方の地名(その3)>

目次  

46 鹿児島県の地名
 

 日向(ひゅうが)国諸縣(もろがた)郡志布志(しぶし)湾・安楽(あんらく)川・有明(ありあけ)湾
 

 大隅(おおすみ)国菱苅(ひしかり)郡桑原(くわばら)郡栗野(くりの)岳・天降(あもり)川・踊(おどり)郷・加治木(かじき)町・帖佐(ちょうさ)・蒲生(かもう)町・久徳(ぎゅうとく)囎唹(そお)郡国分(こくぶ)市敷根(しきね)・上野原(うえのはら)・隼人(はやと)町・財部(たからべ)町・末吉(すえよし)町大隅(おほすみ)郡桜島(さくらじま)・雄(お)岳・袴腰(はかまこし)・古里(ふるさと)温泉・垂水(たるみず)市・本城(ほんじょう)川・大根占(おおねじめ)町・佐多(さた)岬姶羅(あいら)郡鹿屋(かのや)市・笠野原(かさのはら。かさのばる)台地・串良(くしら)町肝属(きもつき)郡高山(こうやま)町・波見(はみ)・内之浦(うちのうら)町馭謨(ごむ)郡屋久(やく)島・永田(ながた)・安房(あんぼう)川・宮の浦(みやのうら)川・鯛(たい)の川(てーのこ川)・瀞沖(とろーき)の滝・ヘゴ・口永良部(くちのえらぶ)島熊毛(くまげ)郡種子島(たねがしま)・能満(のま)郡・甲女(こうめ)川・赤尾木(あかおぎ)・門倉(かどくら)崎
 

 薩摩(さつま)国出水(いずみ)郡米之津(こめのつ)川・紫尾(しび)山・阿久根(あくね)市・長島(ながしま)・黒(くろ)之瀬戸高城(たかき)郡川内(せんだい)市・京泊(きょうどまり)・久見崎(ぐみざき)薩摩(さつま)郡入来(いりき)町・樋脇(ひわき)町・市比野(いちひの)川・大口(おおくち)市・祁答院(けどういん)町・藺牟田(いむた)池甑嶋(こしきじま)郡里(さと)村・トンボロ・長目(ながめ)の浜・海鼠(なまこ)池・藺牟田(いむた)瀬戸日置(ひおき)郡串木野(くしきの)市・五反田(ごたんだ)川・冠(かんむり)岳・伊集院(いじゅういん)町・吉利(よしとし)村・セッペトベ伊作(いさく)郡吹上(ふきあげ)町阿多(あた)郡金峰(きんぽう)町・田布施(たぶせ)村・タンコ・バラショケ・加世田(かせだ)市・万之瀬(まのせ)川・笠沙(かささ)町・野間(のま)半島河邊(かわなべ)郡坊津(ぼうのつ)町・枕崎(まくらざき)市・鹿籠(かご)郷・花渡(けど)川・知覧(ちらん)町・「ソラヨイ」行事欸娃(えの)郡(頴娃(えい)郡)開聞(かいもん。ひらきき)岳・「コラ」・「ボラ」・長崎鼻(ながさきばな)・池田(いけだ)湖揖宿(いぶすき)郡魚見(うおみ)岳・知林(ちり)ガ島・山川(やまがわ)町給黎(きいれ)郡生見(ぬくみ)海岸・千貫平(せんがんびら)谿山(たにやま)郡鹿児嶋(かごしま)郡甲突(こうつき)川・稲荷(いなり)川・脇田(わきた)川・磯(いそ)の浜鬼界島(きかいがしま)・吐葛喇(とから)列島・諏訪之瀬(すわのせ)島・ボゼ
 

 大島(おおしま)郡志仁礼久(しにれく)・阿摩彌姑(あまみこ)名瀬(なぜ)市・笠利(かさり)湾・竜郷(たつごう)・赤尾木(あかおぎ)・赤木名(あかぎな)・アラセツ・ヒラセマンカイ・湯湾(ゆわん)岳・宇検(うけん)村・加計呂麻(かけろま)島喜界(きかい)島・徳之(とくの)島・犬の門蓋(いんのじょうぶた)・沖永良部(おきのえらぶ)島・フーチャ洞・与論(よろん)島・ユンヌ

 

47 沖縄県の地名

 

 沖縄(おきなわ)県琉球(りゅうきゅう)国頭(くにがみ)郡間切(まぎり)・国頭(くにがみ)村・辺戸(へど)岬・与那覇(よなは)岳・大宜味(おおぎみ)村・本部(もとぶ)町・八重(やえ)岳・備瀬(びせ)崎・今帰仁(なきじん)村・伊江(いえ)島・伊江島立塔(たっちゅう)・名護(なご)市・屋我地(やがち)島・辺野古(へのこ)崎・宜野座(ぎのざ)村・金武(きん)町・恩納(おんな)村・万座毛(まんざも)・ニライカナイ・ウンジャミ(ウンガミ)・シヌグ中頭(なかがみ)郡美里(みさと)村・具志川(ぐしかわ)市・越来(ごえく)村・読谷(よみたん)村・勝連(かつれん)町・与那城(よなしろ)町・山原(やんばる)船浦添(うらそえ(うらすい))市・浦添ようどれ・宜野湾(ぎのわん)市・普天間(ふてんま)・北谷(ちゃたん)町・エイサー島尻(しまじり)郡那覇(なは)市・安里(あさと)川・首里(しゅり)・国場(こくば)川・真和志(まわし)町・園比屋武御嶽(そのひやんうたき)・真珠(まだま)道・糸満(いとまん)市・サバニ・アギャー・摩文仁(まぶにが)丘・ヨリアゲ御嶽(うたき)・ハーリー(船)競争・南風原(はえばる)町・東風平(こちんだ)町・ジャーガル・佐敷(さしき)町・馬天(ばてん)港・知念(ちねん)村・斎場御嶽(せーふぁうたき)・久高(くだか)島・イザイホー久米(くめ)島(球美(くみ)島)・御願干瀬(うがんびし)・慶良間(けらま)列島・渡嘉敷(とかしき)島・座間味(ざまみ)島・伊平屋(いへや)島・伊是名(いぜな)島
 

 宮古(みやこ)郡平良(ひらら)市・ピイサラ・狩股(かりまた)半島・池間(いけま)島・パーント神・八重干瀬(やえびし)・下地(しもじ)町・来間(くりま)島・与那覇(よなは)湾・東平安名(へんな)崎・赤マタ黒マタ・伊良部(いらぶ)島・多良間(たらま)島八重山(やえやま)郡石垣(いしがき(いしゃなぎ))島・於茂登(おもと)山・バンナ岳・竹富(たけとみ)島・コンドイ岬・西表(いりおもて)島・古見(こみ)岳・波照間(はてるま)森・テドウ山・内浦(うちうら)川・マリウドの滝・カンピラの滝・波照間(はてるま)島・イナマ崎・与那国(よなぐに)島・「ドナン」島・尖閣(せんかく)諸島

<修正経緯>

 

 

<九州地方の地名(その3)>

 

46 鹿児島県の地名

 

 鹿児島県は、古くは日向国の一部、大隅国および薩摩国でした。

 

(1)日向(ひゅうが)国

 

 日向国は、『続日本紀』大宝2(702)年7月条は「筑紫は7ケ国」とし、はじめは九州南部一帯の呼称で熊襲、隼人の居住地をさし、薩摩国、大隅国の地域を含んでいましたが、同2年10月条によれば薩摩(さつま)国が分離し、さらに和銅6(713)年の隼人平定の際、肝杯(きもつき)、贈於、大隅、姶良の4郡を分けて大隅国が分離しました。日向国には、臼杵、児湯、那珂、宮崎、諸縣の5郡が属しました。明治16年に諸縣郡が南・北諸県郡に分割されて南諸県郡は鹿児島県に編入されました。国府の所在地は、現宮崎県西都市三宅国分と、国分寺も同所付近と推定されています。

 『和名抄』は、「比宇加知之知(ひうかちのち)」と訓じ、通常は「ひむか」、「ひゅうが」と呼びならわされています。国名は、景行紀17年3月条に景行天皇が子湯縣に行かれて「是の国は直く日の出る方へ向けり」といわれたので「日向(ひむか)国」というとあり、「日に向かう地」の意、「東(ひがし)」の転、「火向かいの国」で「霧島など火山のある地」の意とする説があります。

 この「ひうかちのち」、「ひむか」、「ひゅうが」は、

  「ヒウ・カチ・ノチ」、HIU-KATI-NOTI((Hawaii)hiu=caudal fin,hind part or tail section of a fish considered less delicious than the head or front section;kati=leave off,well,block up,closed of a passage,boundary,bite;noti=pinch ,contract)、「(九州島の)尻尾が・食いちぎられて・小さくなった(ような地域)」

  「ヒ・ムア・カ」、HI-MUA-KA(hi=raise,rise;mua=the front,the fore part,before,the sacred place;ka=take fire,be lighted,burn)、「高いところにある・(霧島火山などの)火が燃える(山の)・前にある(地域)」(「ムア」の語尾のA音が脱落して「ム」となった)

  「ヒウ・(ン)ガ」、HIU-NGA((Hawaii)hiu=caudal fin,hind part or tail section of a fish considered less delicious than the head or front section;nga=satisfied,breathe)、「満足している(ゆったりとしている)・(九州島の)尻尾(のような。地域)」または「ヒ・ウ(ン)ガ」、HI-UNGA(hi=raise,rise;unga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「(天孫が降臨した)崇高な・上陸地(地域)」

の転訛と解します。(以上地名篇(その二十)の宮崎県の(1)日向国の項を再掲しました。)

 

(2)諸縣(もろがた)郡

 

a諸縣(もろがた)郡

 古代から明治16年までの日向国の郡名で、宮崎県の南部から鹿児島県の東部に位置し、北は肥後国球磨郡、児湯郡、東は宮崎郡、南は志布志湾、西は大隅国曽於郡、同姶良郡に接します。おおむね現在の宮崎県東諸県郡、宮崎市の西部の一部、小林市、えびの市、西諸県郡、都城市、北諸県郡および鹿児島県曽於郡大隅町の東部、松山町、志布志町、有明町、大崎町の地域です。明治16年に諸縣郡は南・北諸県郡に分割されて、宮崎県北諸県郡は明治17年に東・西・北諸県郡に分割され、南諸県郡は鹿児島県に編入され、のち明治29年に曽於郡に編入されました。

 『和名抄』は、「牟良加多(むらかた)」と訓じます。郡名は、景行紀18年3月条に諸方君泉媛が景行天皇を接待したとあり、「諸々の縣(あがた)を集めて立てた郡」とされ、「ムラ(村落)の地」の意、「モロ(山などが並んだ地)」の意、「モロ(脆。崩れやすい地)」の意とする説があります。

 この「むらかた」は、

  「ムラ・カタ」、MURA-KATA(mura=blaze,flame;kata=opening of shellfish,laugh)、「赤々と燃えている(霧島火山群の前の)・貝が口を開けたような(地域)」

  または「ムア・ラ(ン)ガ・タ」、MUA-RANGA-TA(mua=the front,the fore part,before,the sacred place;ranga=raise,pull up by the roots;ta=dash,beat,lay)、「高い土地(霧島連峰)の・前面に・位置している(地域)」(「ムア」のA音が脱落して「ム」と、「ラ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ラガ」となった)

の転訛と解します。(以上地名篇(その二十)の宮崎県の(6)諸縣郡の項を再掲しました。)

 

b志布志(しぶし)湾・安楽(あんらく)川・有明(ありあけ)湾

 志布志(しぶし)町は、県の東端に位置し、志布志湾に臨みます。湾内には特別天然記念物に指定されたビロウの純林を含む亜熱帯性植物群落がある枇榔(びろう)島が浮かびます。町の中央を安楽(あんらく)川が流れて志布志湾に注ぎます。町名は、中世以来の地名によりますが、天智天皇に献上した絹布によるとの説があります。

 有明(ありあけ)町の町名は、志布志湾の別名有明(ありあけ)湾にちなみます。

 この「しぶし」、「あんらく」、「ありあけ」は、

  「チプ・チ」、TIPU-TI(tipu=swelling,lump;ti=throw,cast)、「瘤(のような島)が・放り出されている(湾。その地域)」

  「ア(ン)ガ・ラク」、ANGA-RAKU(anga=driving force,thing driven;raku=scratch,scrape)、「強い力で・削ってゆく(川)」(「ア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「アナ」から「アン」となった)

  「アリ・アケ」、ARI-AKE(ari=clear,white,fence:ake=forthwith,very,upwards)、「(両脇の)垣根が・高くそびえている(中央は砂浜だが東西両湾岸部が急崖となっている。湾)」(地名篇(その十八)の佐賀県の(8)杵島郡の有明海の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

(3)大隅(おおすみ)国

 

 古代からの国名で、はじめ日向国の一部で、「襲(そ)国」と呼ばれ、熊襲、隼人の根拠地とみなされていました。薩摩国よりやや遅れて和銅6(713)年に日向国から肝杯(きもつき)、囎唹、大隅、姶羅の4郡が分かれて大隅国が置かれ、天平勝宝7(755)年に囎唹郡の北端を割いて菱刈郡が新設され、その後延暦23(804)年までの間に囎唹郡から桑原郡が分かれ、天長元(824)年には多禰(たね)国(種子・屋久両島)を廃して大隅国に合併し、熊毛郡、馭謨(ごむ)郡が置かれ、8郡となりました。おおむね現在の鹿児島県の大隅半島(桜島を含む)を含む東半部、種子島・屋久島等の島嶼部の地域です。国府・国分寺は、現国分市府中付近とされます。

 『和名抄』は、「於保須美(おほすみ)」と訓じます。国名は、「オホ(美称)・スミ(角、隅)」から、「隼人の集住地」(吉田東伍)などの説があります。

 この「おほすみ」、「そ」は、

  「オホ・ツ・ミ」、OHO-TU-MI(oho=wake up,spring up,arise;tu=stand,settle;mi=stream,river)、「水(海)の上に・(突然)起き上がった(噴火により出現した)ものが・ある(この地域内で最も特徴的である桜島火山がある。地域。国)」

  「ト」、TO(drag,carry th taiaha(large wooden weapon)at the trail)、「(大きな)木の棍棒を携えて闊歩する人々(戦士達がたむろしている。地域)」

の転訛と解します。

 

(4)菱苅(ひしかり)郡

 

 古代から明治29年までの郡名で、鹿児島県の北部、大隅国の北端に位置し、西から北は薩摩国薩摩郡(のちに伊佐郡)、東から南は桑原郡に接します。おおむね現在の大口市の南部の一部、伊佐郡菱刈町の地域です。はじめ囎唹郡に属しましたが、天平勝宝7(755)年に「菱刈村の浮浪930余人の請願により建郡」されました。近世初頭に建郡された伊佐郡が明治20年に南・北伊佐郡に分かれた後の北伊佐郡(現大口市(南部の一部を除く)の区域)と明治29年に合併して伊佐郡となりました。

 『和名抄』は、「比志加里(ひしかり)」と訓じます。郡名は、「菱(ひし)が自生する湿地が多い土地」から、「ヒシクイ(菱の実を好むガンの一種の鳥)の狩り場」から、「ヒシ(キシに通じ、崖)・カリ(崖)」の意、「ヒシ(海の州)」(隼人語。『大隅国風土記逸文』による)から、「ヒシ(珊瑚礁の浅海)」(南島方言)からなどの説があります。

 この「ひしかり」は、

  「ヒ・チ・カリ」、HI-TI-KARI(hi=raise,rise;ti=throw,cast;kari=dig,dig up,wound,crump of trees)、「(春に発芽して水中から水面へ茎を)高く・伸ばす植物(菱。その実)を・掘り上げる(菱の実を多く産する。地域)」

の転訛と解します。

 

(5)桑原(くわばら)郡

 

a桑原(くわばら)郡

 古代から明治29年までの郡名で、県の北部、大隅国の北中部に位置し、北は菱刈郡、日向国諸縣郡、東は囎唹郡、南は大隅郡、西は薩摩国薩摩郡(のちに伊佐郡)に接します。はじめは囎唹郡に属しましたが、天平勝宝7(755)年(菱刈郡建郡)の後延暦23(804)年までの間に囎唹郡から分かれたようです。おおむね現在の姶良郡吉松町、栗野町、牧園町、横川町、隼人町の北部、溝辺町、加治木町、姶良町、蒲生町の地域です。近世に桑原郡の呼称はあまり行われなくなり、郡の西部(おおむね現在の姶良郡溝辺町、加治木町、姶良町、蒲生町の地域)に始羅(しら)郡の呼称が生じ、明治4年に古代の姶羅(あいら)郡と混同されて姶良(あいら)郡と名称が変更され、明治29年に桑原郡、姶良郡、西囎唹郡が合併して姶良(あいら)郡となりました。

 『和名抄』は、「久波々良(くははら)」と訓じます。郡名は、「桑の生えた原」、「ク(潰)・ハ(端)」から、「キハ(涯)」の転で「崖地」の意などの説があります。

 この「くははら」は、

  「クハ・パラ」、KUHA-PARA(kuha=ragged,tattered,fragment,scrap;para=sediment,dust,cut down bush etc.,clear)、「ざらざらの・(灰が覆う。または藪を切り開いた)原(シラス台地が連なる。地域)」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」と、またはP音がB音に変化して「バラ」となった)

の転訛と解します。

 

b栗野(くりの)岳・天降(あもり)川・踊(おどり)郷・加治木(かじき)町・帖佐(ちょうさ)・蒲生(かもう)町・久徳(ぎゅうとく)

 栗野(くりの)町は、霧島山の北登山口である栗野(くりの)岳(1,094メートル)の西麓にあり、北薩摩の物資集散の中心地です。町名は、中世以来の地名によりますが、霧島山の麓の「くしふる野」の転とする説があります。栗野岳からは、川内川の支流の長江川や天降(あもり)川支流の湯谷川、佃川、錆河川などが源を発します。

 牧園(まきぞの)町は、霧島山南西麓の台地上にあり、南西境を天降(あもり)川が多くの支流を集めて南流します。町名は古代に熊襲の放牧地であったとの伝承によります。近世はじめごろから踊(おどり)郷と呼ばれ、踊馬といわれる良馬の産地でした。

 加治木(かじき)町は、鹿児島湾北岸に位置し、湾岸では数少ない平野があり、古くから地方の中心で、特に島津義弘、家久の時代にはここに居城が置かれ、薩摩、大隅、日向三国の中心でした。町名は、中世以来の郷名によりますが、海岸に漂着した「梶」が発芽して大クスノキとなり「かじのき」と呼ばれたことによるとの伝承があります。

 姶良(あいら)町の中心地帖佐(ちょうさ)は、『和名抄』の桑原郡答西(てふさ)郷とする説があります。

 蒲生(かもう)町は、三方を山に囲まれ、別府川、前郷川が合流する蒲生盆地に中心市街地の上久徳(かみぎゅうとく)が位置します。町名は、蒲(がま)がたくさん生えていることによるとされます。

 この「くりの」、「あもり」、「おどり」、「かじき」、「ちょうさ」、「かもう」、「ぎゅうとく」は、

  「ク・リノ」、KU-RINO(ku=silent;rino=twisted cord of two or more strands,swirl,twist)、「縄を撚っている(長江川、湯谷川、佃川、錆河川などが源を発している)・静かな(山。その山のある地域)」

  「アモ・リ」、AMO-RI(amo=carry on the shoulder,rush upon;ri=protect,screen,bind)、「奔流する川を・集めて流れる(川)」

  「オ・トリ」、O-TORI(o=the...of;tori=cut(toritori=cut,separate,strenuous,energetic))、「(天降川の支流が刻む渓谷によって)隔絶した・場所(その地域で生産される強健な。馬)」

  「カチ・キ」、KATI-KI(kati=bite,nip;ki=full,very)、「ひどく・(河川の洪水や海の波浪によって)食いちぎられている(浸食された。土地。地域)」

  「チオ・タ」、TIO-TA(tio=rock-oyster;ta=dash,beat,lay)、「岩牡蠣(のような台地)が・横たわっている(土地。地域)」

  「カモ・ウ」、KAMO-U(kamo=eye-lash,eye-lid,eye;u=bite,be fixed,reach the land,reach its limit)、「まぶたのような(地形を集めた)土地に・定着した(盆地。地域)」

  「キフ・ト・ウク」、KIHU-TO-UKU(kihu,kihukihu=fringe;to=drag,open or shut a door or a window;uku,ukuuku=swept away,destroyed)、「縁が・(川の流れによって)繰り返し洗われ・拭い去られている(土地)」(「キフ」のH音が脱落して「キウ」から「ギュウ」と、「ト・ウク」が「トク」となった)

の転訛と解します。

 

(6)囎唹(そお)郡

 

a囎唹(そお)郡

 古代からの明治20年までの郡名で、大隅半島北部に位置し、鹿児島湾に面し、はじめの郡域は広大で、和銅6(713)年に日向国から肝杯(きもつき)、囎唹、大隅、姶羅の4郡が分かれて大隅国が置かれた際は大隅半島北部の大半を占め、天平勝宝7(755)年に囎唹郡の北端を割いて菱刈郡が新設され、その後延暦23(804)年までの間に囎唹郡から桑原郡が分かれています。おおむね現在の国分市、姶良郡霧島町、隼人町の南部、財部町、末吉町、大隅町の西部、福山町、輝北町の地域です。明治20年に東囎唹郡、西囎唹郡に分割され、明治29年には、東囎唹郡は桑原郡及び始羅郡が改名された姶良郡と合併して姶良郡となり、西囎唹郡はすでに明治16年にかつての日向国諸縣郡から分割されて鹿児島県に編入されていた南諸県郡と合併して現在の曽於郡となりました。

 『和名抄』は、「曽於(そを)」と訓じます。郡名は、熊襲の襲(そ)国の二字化による、「背(そ)の国」からなどとする説があります。

 この「そを」は、

  「ト・オフ」、TO-OHU(to=drag,carry th taiaha(large wooden weapon)at the trail;ohu=beset in numbers,surround)、「(大きな)木の棍棒を携えて闊歩する戦士達が・たむろしている(地域)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」から「オ」となった)

の転訛と解します。

 ちなみに『古事記』に背を「曽毘良邇(そびらに)」といい(神巫本『日本紀私記』神代上も「背 曽比良仁(そびらに)」とします(小学館『日本国語大辞典』第二版による))、鹿児島方言でも背を「そびら」ということから「曽於(そを)」を「背(そ)の国」と解する説がありますが、この「そびらに」、「そびら」は、

  「トピ・ラ(ン)ギ」、TOPI-RANGI(topi=shut as mouth or hands;rangi=sky)、「(マオリ神話の創世神であり天の神であるランギが、その妻の地の神であるパパを抱擁したまま離さなかったため、この世ははじめ暗黒に閉ざされていたことから)空(そら)を・閉め出していたもの(背)」(「そびらに」の「らに」は「ラ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ラニ」となったもの。「そびら」の「ら」は「ラ(ン)ギ」の語尾のNGI音が脱落して「ラ」となったもの。)

の転訛と解します。(したがって「背」の国と解する説は誤りです。)

 

b国分(こくぶ)市・敷根(しきね)・上野原(うえのはら)・隼人(はやと)町・財部(たからべ)町・末吉(すえよし)町

 国分(こくぶ)市の市名は、国府、国分寺が置かれていたことによります。敷根(しきね)は、米、材木等の積出し港として栄えました。上野原(うえのはら)には、日本最古の縄文時代集落跡が発掘されています。

 姶良郡隼人(はやと)町の町名は、熊襲の霊を弔うために和銅元(708)年に建てられたとされる史跡隼人塚にちなみます。

 曽於郡財部(たからべ)町は、大淀川の上流、都城盆地の一角のシラス台地にあり、中心市街地は横市川の谷口に位置しています。町名は、古代以来の郷名によります。

 曽於郡末吉(すえよし)町の中央部を大淀川が流れて沖積低地をつくり、都城盆地につながります。町名は、「すみのえ」から転訛したとする説があります。

 この「しきね」、「うえのはら」、「はやと」、「たからべ」、「すえよし」は、

  「チキ・ネイ」、TIKI-NEI(tiki=fetch,proceed to do anything;nei=to indicate continuance of action)、「(荷物を)移入し積み出し・続ける(港。地域)」

  「ウエ・(ン)ガウ・ハラ」、UE-NGAU-HARA(ue=nape of the neck;ngau=bite,hurt,attack;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「えり首を・食いちぎられている(丘の麓を川が浸食して峡谷を形成している)・首長の墓がある(原。地域)」

  「ハ・イア・ト」、HA-IA-TO(ha=what!;ia=indeed,current;to=drag,carry the taiaha(large wooden weapon) at the trail)、「何と・実に・(大きな)木の棍棒を携えて闊歩する(勇壮な)戦士達(その戦士達がたむろしていた。地域)」

  「タカ・ラペ」、TAKA-PAPE(taka=heap,lie in a heap;pape=tattooing on the breech)、「お尻に入れ墨をした(谷口に集落がある)・丘(シラス台地にある。地域)」(地名篇(その二十)の宮崎県の(3)児湯郡のb財部(高鍋)の項を参照してください。)

  「ツアイ・イオ・チ」、TUAI-IO-TI(tuai=thin,lean,lash the tines on to a rake for catching molluscs;io=muscle,line,spur,lock of hair;ti=throw,cast)、「(都城盆地へ向かって)傾斜している(流れて行く)・綱のような川が・放り出されている(地域)」(「ツアイ」のAI音がE音に変化して「ツエ」から「スエ」となった)

の転訛と解します。

 

(7)大隅(おほすみ)郡

 

a大隅(おほすみ)郡

 古代から明治16年までの郡名ですが、姶羅郡、肝属郡とともにその郡域は諸説があって不明です。3郡名のポリネシア語による解釈を総合すると、大隅郡の郡域は、桜島及びその対岸の地域と考えることができます。おおむね現在の桜島(鹿児島市の一部、鹿児島郡桜島町)、垂水市、鹿屋市の西部、肝属郡大根占町、根占町、佐田町の地域と思われます。

 『和名抄』は、訓を欠きます。

 この「おほすみ」は、

  「オホ・ツ・ミ」、OHO-TU-MI(oho=wake up,arise;tu=stand,settle;mi=stream,river)、「水(海)の上に・(突然)起き上がった(噴火により出現した)ものが・ある(桜島火山がある。地域)」

の転訛と解します。前出の(3)大隅(おおすみ)国の項を参照してください。

 

b桜島(さくらじま)・雄(お)岳・袴腰(はかまこし)・古里(ふるさと)温泉・垂水(たるみず)市・本城(ほんじょう)川・大根占(おおねじめ)町・佐多(さた)岬

 桜島(さくらじま)は、約1万3千年前(縄文時代)から活動を開始したされる鹿児島湾北部に位置する円錐状の現在も激しい活動を続ける火山で、北岳(雄(お)岳(1,117メートル))、中岳、南岳の3火口を持ち、大正3(1914)年の噴火により大隅半島と陸続きとなりました。鹿児島市と結ぶ桜島港は島の西岸の袴腰(はかまこし)にあり、島の南部には古里(ふるさと)温泉があります。桜島の地名は、島の五社大明神社にコノハナサクヤヒメが祀られていたことによる、大隅守に任じられた桜島忠信にちなむなどの説があります。

 垂水(たるみず)市は、桜島の基部に位置し、中心市街地は高隈山地から発する本城(ほんじょう)川の河口にあり、交通の要衝で、大隅地方の中心でした。市名は、近世からの郷名によりますが、岩の間から清水が垂れることによるとの説があります。

 根占(ねじめ)町は、鹿児島湾に面し、雄(お)川河口にあり、近くの根占港からは薩摩半島山川港へフェリーが通じます。町名は、中世以来の郷名によりますが、大隅半島の根幹部に位置する意とされます。

 佐多(さた)町は、大隅半島の南端に位置し、かつては「陸の孤島」といわれました。佐多(さた)岬は日本本土の最南端の岬です。岬名は、「先に立つ」の約、「蹉蹄(あしする)」の音読みからなどの説があります。

 この「さくら」、「お(雄岳)」、「はかまこし」、「ふるさと」、「たるみず」、「ほんじょう」、「ねじめ」、「お(雄川)」、「さた」は、

  「サ・クラ」、TA-KURA(ta=the...of,dash,beat,sprinkle by means od a branch dipped in water;kura=red,ornament with feathers,precious,treasure)、「実に・羽根で飾った(美しい。火山島)」または「赤々と燃えて・(木の枝で水や熱湯を振りかける邪気を払うおまじないのように周辺に)火山礫や火山灰を振りまく(火山島)」

  「アウ」、AU(firm,intense)、「堅固な(しっかりした。山)」(AU音がO音に変化して「オ」となった)

  「ハカ・マ・コチ」、HAKA-MA-KOTI(haka=deformed;ma=white,clean,for,by means of;koti=cut in two,divide,cut off across the path of any one)、「通路が(そこで)遮断されて・いる・不格好に変形した(土地)」

  「フル・タタウ」、HURU-TATAU(huru=hair,contract,gird on as a belt,glow;tatau=tie with a cord,count,settle down upon)、「(島の本体に)結びつけられている・帯のような(土地。そこに湧く温泉)」(「タタウ」のAU音がO音に変化して「タト」から「サト」となった)

  「タル・ミ・ツ」、TARU-MI-TU(taru=shake,overcome;mi=stream,river;tu=stand,settle)、「震動する(大地を浸食する)・川が・ある(地域)」

  「ホニ・チホウ」、HONI-TIHOU(honi=nibble,graze;tihou=an implement for cultivating)、「(大地を)鍬で掘るように浸食する・噛み切る(川)」(「ホニ」が「ホン」となり、「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ジョウ」となった)

  「ネチ・マイ」、NETI-MAI(neti=toy dart;mai=to indicate direction or motion towards)、「投げ矢のように・(川の流れが)速く流れて行く(場所)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「アウ」、AU(cloud,current,rapid,sea)、「流れが速い(川)」(AU音がO音に変化して「オ」となった)

  「タタ」、TATA(dash down,strike repeatedly,stem,fence)、「垣根のような(岬)」

の転訛と解します。

 

(8)姶羅(あいら)郡

 

a姶羅(あいら)郡

 古代からの郡名ですが、中世には郡名は失われ、肝属郡に吸収されたようで、桑原郡の西部が始羅(しら)郡と称し、それが改称されて姶良郡となり、明治29年に桑原郡、西囎唹郡と合併して現在の姶良郡となった地域とは全く別の郡名です。その郡域は、大隅郡、肝属郡とともに諸説があって不明です。3郡名のポリネシア語による解釈を総合すると、姶羅郡の郡域は、大隅半島の中心部の地域と考えることができます。おおむね現在の鹿屋市の東部、肝属郡串良町、東串良町、高山町の西部、吾平町の北部の地域と思われます。

 『和名抄』は、「阿比良(あひら)」と訓じます。郡名は、「湿地の称」から、「ア(接頭語)・ヒラ(傾斜地)」からとする説があります。

 この「あひら」は、

  「ア・ピララ」、A-PIRARA(a=the...of,belonging to;pirara=separated,wide apart,gaping,branching)、「(大隅半島の中心部の山に挟まれた)口を開けている・場所に属する(地域)」(「ピララ」のP音がF音を経てH音に変化し、反復語尾の「ラ」が脱落して「ヒラ」となった)

の転訛と解します。

 

b鹿屋(かのや)市・笠野原(かさのはら。かさのばる)台地・串良(くしら)町

 鹿屋(かのや)市は、大隅半島の中心部に位置し、市名は「茅(かや)が密生していた」から、「鹿の住む谷」から、熊襲の人名からとの説があります。東部には、串良町にまたがって北部を頂点とするほぼ正三角形の笠野原(かさのはら。かさのばる)のシラス台地があり、その縁辺は急崖となって下の河川が流れる沖積面に続いています。台地上は水の便が悪く、長く無人の荒野でしたが、最近になって高隈ダムを水源とする畑地潅漑が進んでいます。

 串良(くしら)町は、鹿屋市の東にあり、笠野原台地の中央部を中山川、東部を甫木(ほのき)川、東端を串良川が櫛の歯のように並行して南流し、南辺を東流する肝属川と合流しています。町名は古来の地名によりますが、「君主の所在地」の意、「砂州に抱かれた入り江」の意などの説があります。

 この「かのや」、「かさのばる」、「くしら」は、

  「カ・(ン)ガウ・イア」、KA-NGAU-IA(ka=take fire,be lighted,burn;ngau=bite,beat,attack;ia=indeed,current)、「川の流れが・襲ってくる・居住地」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「カタ・(ン)ガウ・パル」、KATA-NGAU-PARU(kata=opening of shellfish,lsugh;ngau=bite,beat,attack;paru=dirt,excrement,crush)、「(川によって)浸食されている・貝が口を開けたような(三角形の)・火山灰が堆積した(台地)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「クチ・ラ」、KUTI-RA(kuti=contract,pinch,close the mouth or hand;ra=wed)、「(中山川、甫木川、串良川が並行に)接近して流れ・(肝属川と)合流する(場所。地域)」

の転訛と解します。

 

(9)肝属(きもつき)郡

 

a肝属(きもつき)郡

 古代からの郡名ですが、その郡域は、大隅、姶羅郡とともに諸説があって不明です。中世には姶羅郡を吸収し、明治29年には南大隅郡を吸収しています。3郡名のポリネシア語による解釈を総合すると、肝属郡の郡域は、大隅半島南東部の山間地域と考えることができます。おおむね現在の肝属郡高山町の東部、内之浦町、吾平町の南部、田代町の地域と思われます。

 『和名抄』は、「支毛豆支(きもつき)」と訓じます。郡名は、

 この「きもつき」は、

  「キ・モツ・キヒ」、KI-MOTU-KIHI(ki=full,very;motu=separated,broken off,clump of trees;kihi=cut off,strip of branches etc.)、「切り離された・(山脈の)小さな支脈が・たくさんある(地域)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)

の転訛と解します。

 

b高山(こうやま)町・波見(はみ)・内之浦(うちのうら)町

 高山(こうやま)町は、大隅半島の中央部に位置し、北西部は高山城を築いて島津氏に対抗した肝付(きもつき)氏の本拠地です。町名は中世以来の地名(神山とも記しました)によります。東部の志布志湾に臨む波見(はみ)は、中世には倭寇の拠点として知られ、近世には薩摩藩有数の商港として琉球、大坂との交易で賑わいました。

 内之浦(うちのうら)町は、大隅半島南東部に位置し、内之浦湾を抱え、太平洋に臨みます。内之浦港は、琉球・大坂航路の中継港として栄えました。日本最初の人工衛星が打ち上げられた場所です。

 この「こうやま」、「はみ」、「うちのうら」は、

  「コウ・イア・マ」、KOU-IA-MA(kou=knob,stump;ia=indeed,curent;ma=white,clean)、「切り株のような・実に・清らかな(山がある。地域)」

  「ハ・アミ」、HA-AMI(ha=what!;ami=gather,collect)、「何と・(たくさんの船が)集まっている(港)」

  「ウチ・ノホ・ウラ(ン)ガ」、UTI-NOHO-URANGA(uti=bite;noho=sit,settle;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「食いちぎられた場所に・位置する・船付き場(港。その地域)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となり、「ウラ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「ウラ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)馭謨(ごむ)郡

 

a馭謨(ごむ)郡

 古代から明治29年までの郡名で、おおむね現在の屋久(やく)島の地域です。はじめは多禰(たね)国に属し、天長元(824)年までは現在の上屋久町の地域が馭謨(ごむ)郡、屋久町の地域が益救(やく)郡の2郡となっていたのが大隅国に編入されて馭謨(ごむ)郡となり、明治29年に熊毛郡に編入されました。

 『和名抄』は、「五牟(ごむ)」と訓じます。郡名は、「小松(こまつ)」の転、「コマ(川の曲流)・ツ(接尾語)」の転、「戸祭り」からなどとする説があります。

 この「ごむ」は、

  「(ン)ガウ・フム」、NGAU-HUMU(ngau=bite,hurt,attack;humu=hip-bone)、「食いちぎられた・骨盤のような(屋久島北部の東に宮乃浦、西に永田のそれぞれ河口に平地がある地形を骨盤にみたてた。地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「フム」のH音が脱落して「ム」となった)

の転訛と解します。

 

b屋久(やく)島・永田(ながた)・安房(あんぼう)川・宮の浦(みやのうら)川・鯛(たい)の川(てーのこ川)・瀞沖(とろーき)の滝・ヘゴ・口永良部(くちのえらぶ)島

 平成5(1993)年に世界遺産に指定された屋久(やく)島は、「一月に三十五日雨が降る」(林芙美子『浮雲』)といわれる雨の多い島です。降水量は低地で4,000ミリメートル、高地で10,000ミリメートルに達し、縄文杉をはじめとする豊かな森林を育んできました。ただし、降水量は場所によって差異があり、島の西部はやや乾燥しています(永田(ながた)岬の降水量は、2,620ミリメートル(鹿児島地方気象台、1958年))。

 屋久島には、九州本土の最高峰(久住山(1,787メートル))よりも高い山が宮之浦岳(1,935メートル)をはじめ7座もあり、これらを含む山塊から流れ落ちる川は、山間部の急流から突如平地に出て緩やかに流れる比較的大きな安房(あんぼう)川、宮の浦川などを除き、殆どが海に注ぐまで急流のままの川が多いのが特徴です。なかでも「鯛(たい)の川(てーのこ川)」は、急流が海岸の崖から「瀞沖(とろーき)の滝」となって海に注いでいます。

 山中には、木生のシダが目立ち、丈の高いシダは「ヘゴ」と呼ばれます(九州南部ではシダ類を総称して「ヘゴ」と呼んでいます)。

 屋久島の西に北西から南島に細長い三角形をなす火山島の口永良部(くちのえらぶ)島が浮かびます。

 この「やく」、「ながた」、「あんぼう」、「みやのうら」、「てーのこ」、「とろーき」、「ヘゴ」、「くちのえらぶ」は、

  「イア・ク」、IA-KU(ia=indeed,current;ku=silent,showery unsettled weather)、「実に・定まりなくよく雨が降る(地域。島)」

  「ナ・(ン)ガタ」、NA-NGATA(na=belonging to;ngata=satisfied,dry)、「どちらかといえば・(乾燥して)快適な(場所。岬)」(「(ン)ガタ」のNG音がG音に変化して「ガタ」となった)

  「ア(ン)ガ・ポウ」、ANGA-POU(anga=a=driving force,thing driven etc.;pou=post,pour out)、「強い力で・押し流す(川)」(「ア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「アナ」から「アン」となった)

  「ミ・イア・(ン)ガウ・ウラ(ン)ガ」、MI-IA-NGAU-URANGA(mi=stream,river;ia=indeed,rushing stream;ngau=bite,hurt,attack;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「川(の流れ)が・実に・(その場所を)浸食している・船付場(港。その地域。その地域の山)」

  「タイ・ノコ」、TAI-NOKO(tai=tide,wave,anger;noko=stern of a canoe,a downstream strut of a fish weir)、「(魚を捕る)筌(うけ)の(魚を誘導する真っ直ぐな)樋を流れる・強い水流(の川)」(「タイ」のAI音がEI音に変化して「テエ」となった)

  「トロ・ハキ」、TORO-HAKI(toro=stretch forth,creep;haki=ripple,cast away)、「(川の水を)前方に・放り出している(滝)」(「ハキ」のH音が脱落して「アキ」となり、「トロ」と連結して「トローキ」となった)

  「ヘ(ン)ゴ」、HENGO(break wind)、「風を遮る(植物)」(NG音がG音に変化して「ヘゴ」となった)

  「クチ・ノ・エ・ラプ」、KUTI-NO-E-RAPU(kuti=contract,pinch;no=of;e=to denote action in progress or temporary condition in time past or present or future;rapu=seek,squeeze)、「(中央が)くびれて・いる・一瞬の間に・(獲物に)食らいつく動物(エラブウナギまたはエラブウミヘビ)(の頭部に似た形の。島)」(後出の(26)大島郡のc沖永良部(おきのえらぶ)島の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

(11)熊毛(くまげ)郡

 

a熊毛(くまげ)郡

 古代からの郡名で、はじめは多禰(たね)国に属し、天長元(824)年までは種子(たねが)島の北部の地域(西之表市付近)を郡域とし、南部の地域が能満(のま)郡となっていましたが、熊毛(くまげ)郡が能満(のま)郡を合併して種子島全島を郡域として大隅国に編入され、さらに明治29年に馭謨(ごむ)郡を合併しました。おおむね現在の種子島の地域です。

 『和名抄』は、「久末介(くまけ)」と訓じます。郡名は、「クマ(曲)・ケ(=キ。場所)」で「入り込んだ入り江」からとする説があります。

 この「くまけ」は、

  「ク・マ(ン)ガイ」、KU-MANGAI(ku=silent;mangai=mouth)、「静かな・口のような地形の(島。地域)」(「マ(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「マゲ」となった)

の転訛と解します。

 

b種子島(たねがしま)・能満(のま)郡・甲女(こうめ)川・赤尾木(あかおぎ)・門倉(かどくら)崎

 多禰(たね)国は、『続日本紀』和銅2(709)年6月条に薩摩、多禰両国司とみえ、律令制度上の1国に準ずる扱いを受け、島司、島分寺が置かれ、熊毛(くまげ)郡、能満(のま)郡(以上種子島(たねがしま))、益救(やく)郡、馭謨(ごむ)郡(以上屋久島)の4郡に分かれていました。

 種子島(たねがしま)は、南北に細長い低平な島です。

 島の北部には西之表(にしのおもて)市があり、中心市街地は甲女(こうめ)川の河口に位置します。西之表港は、古くは赤尾木(あかおぎ)港と称し、南島航路の中継港でした。

 島の南端には、鉄砲伝来の地と伝えられる門倉(かどくら)崎があります。

 この「たね」、「のま」、「こうめ」、「あかおぎ」、「かどくら」は、

  「タ(ン)ガイ」、TANGAI(bark,crop of a bird)、「鳥のえさ袋(食道の途中にあるふくらみ)のような(地形の。地域。その地域をもつ島)」(NG音がN音に、AI音がE音に変化して「タネ」となった)または「タ(ン)ガエ(ン)ガエ」、TANGAENGAE(umbilical cord,crop of a bird)、「鳥のえさ袋(食道の途中にあるふくらみ)のような(地形の。島)」(最初のNG音がN音に、AE音がE音に、次のNG音がG音に、AE音がA音に変化して「タネガ」となった)

  「ノホ・マ(ン)ガ」、NOHO-MANGA(noho=sit,settle;manga=branch of trees or river etc.)、「副(そ)えられた(本体から分かれた小さい)場所に・立地している(地域)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」から「ノ」となり、「マ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「マ」となった)

  「コウ・マイ」、KOU-MAI(kou,koukou=anoint,sprinkle;mai=to indicate direction or motion towards)、「水しぶきを上げながら・流れて行く(川)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「アカ・アウキ」、AKA-AUKI(aka=clean off,scrape away;auki=old,of long standing)、「(周囲を)洗い流したような(美しい)・古くからの(港)」(「アウキ」のAU音がO音に変化して「オキ」から「オギ」となった)

  「カト・クラ」、KATO-KURA(kato=pluck,break off,flowing;kura=red,ornamented with feathers,precious)、「羽根飾りを・もぎ取った(飾りのない。岬)」

の転訛と解します。

 

(12)薩摩(さつま)国

 

 古代からの国名で、大宝2(702)年ごろ日向国から分かれて薩摩国が建てられたようです(『続日本紀』)。和銅2(709)年6月条には薩摩・多禰両国司とみえ、これ以降隼人部、吾田隼人、薩摩隼人、甑隼人等の記事が頻出します。『和名抄』は、薩摩国に出水、高城、薩摩、甑島、日置、伊作、阿多、河辺、頴娃、指宿(いぶすき)、給黎(きいれ)、谿山、鹿児島の13郡が記され、国府・国分寺は、高城郡(現川内市御陵下町・国分寺町)に置かれたとされます。おおむね現在の鹿児島県の西半分、薩摩半島をふくむ地域です。

 『和名抄』は、「散豆万(さつま)」と訓じます。国名は、「サ(狭)・ツマ(端)」の意、「サツ(狩猟、獲物)・マ(場所を示す接尾語)」からとする説があります。

 この「さつま」は、

  「タ・ツマ」、TA-TUMA(ta=the...of,dash,beat,lay;tuma=challenge,abscess)、「なにかにつけて・反抗する(隼人が住む。地域)」

  または「タツ・マ(ン)ガ」、TATU-MANGA(tatu=an ancient form of weapon;manga=branch of trees or river etc.)、「(九州島の本体から)枝のように分かれている・斧のような地形の(地域。薩摩半島の地域)」(「マ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「マ」となった)

の転訛と解します。

 

(13)出水(いずみ)郡

 

a出水(いずみ)郡

 古代からの郡名で、薩摩国最北部に位置し、北は八代海、東から南は薩摩郡、高城郡、西は天草灘に接します。おおむね現在の出水市、阿久根市、出水郡の地域です。

 『和名抄』は、「伊豆美(いづみ)」と訓じます。郡名は、「イヅ(出)・ミ(水)」で「泉、湧水」の意とする説があります。

 この「いづみ」は、

  「イツ・ウミ」、ITU-UMI(itu=beside;(Hawaii)umi=to strangle,choke,throtle)、「(九州本土と天草諸島に挟まれて不知火海の出口が狭くなって)息がつまっている・場所のそば(地域)」(「イツ」の語尾のU音と「ウミ」の語頭のU音が連結して「イツミ」が「イズミ」となった)

の転訛と解します。

 

b米之津(こめのつ)川・紫尾(しび)山・阿久根(あくね)市・長島(ながしま)・黒(くろ)之瀬戸

 出水(いずみ)市は、県の北端にあり、市名は古代からの郡名によりますが、周辺に豊富な清水が湧き出しているからとされます。市の中央を米之津(こめのつ)川が北流して八代海に注ぎます。

 紫尾(しび)山(1,067メートル)は、九州山地の南西端にあたる出水山地(紫尾(しび)山地とも)の中央にある最高峰で、北麓には活断層が通っています。

 阿久根(あくね)市は、天草灘に面する港市で、平地に乏しく、西流する小松川河口に良港阿久根港があります。市名は、「鶴の特別な狩り場」の意、「アコ(飛魚)・ネ(岩礁)」から、「アク(上。高地)・ネ(根)」で「台地の麓」の意、「アク(湿地)のほとり」の意などの説があります。

 長島(ながしま)は、八代海の入り口にあり、黒(くろ)之瀬戸を隔てて本土(阿久根市)と、長島海峡を隔てて熊本県の天草下島と相対します。黒(くろ)之瀬戸は、本土と長島の間の海峡で、幅が350メートルと狭く、日本有数の急潮流となっています。

 この「こめのつ」、「しび」、「あくね」、「なが」、「くろ」は、

  「コウ・マイ・(ン)ガウ・ツ」、KOU-MAI-NGAU-TU(kou,koukou=anoint,sprinkle;mai=to indicate direction or motion towards;ngau=bite,hurt,attack;tu=fight with,energetic)、「水しぶきを・上げながら・精力的に・浸食して流れる(川)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となり、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「チピ」、TIPI(pare off,dress the surface of timbers with an adze,glide)、「地盤が滑っている(北麓に急傾斜の断層崖がある。山)」

  「アク・ネイ」、AKU-NEI(aku=scrape out,cleanse;nei=to indicate contunuance of action)、「(航行の邪魔になる岩などを)綺麗に削り・取った(港)」

  「(ン)ガ(ン)ガ」、NGANGA(breathe heavily or with difficulty,make a hoarshe)、「(黒之瀬戸が狭くて潮流が)息を切らす(場所にある。島)」(最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」となった)

  「クフ・ロ」、KUHU-RO(kuhu=thrust in,insert,conceal;ro=roto=inside)、「(潮流が八代海の)内部に・入って行く(海峡。瀬戸)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

の転訛と解します。

 

(14)高城(たかき)郡

 

a高城(たかき)郡

 古代から明治29年までの郡名で、川内川流域の下流北岸に位置し、北は出水郡、東から南は薩摩郡、西は天草灘に接します。国府・国分寺が置かれ、中世からは「たき」郡と呼ばれました。おおむね現在の川内市の北部(川内川北岸)の地域です。明治29年に薩摩郡、甑島郡、南伊佐郡と合併して薩摩(さつま)郡となりました。はじめの郡域は、『和名抄』の郷名の比定からするとかなり広く祁答院町あたりまで含まれるとする説があり、さらにその郷名が肥後国の郷名と一致するものが多いところから移住によるものとする説があります。

 『和名抄』は、「太加木(たかき)」と訓じます。郡名は、『続日本紀』大宝2(702)年10月条の「国内要害の地に柵を建て守兵を置く」とみえる高い城にちなむ、「貴人来る」から、ニニギノミコトが住んだ「高城千台宮」から、「タカ(高)・キ(場所を示す接尾語)」からとする説があります。

 この「たかき」、「たき」は、

  「タカキ」、TAKAKI(neck,throat)、「頚部(または川内川の咽喉部にあたる。地域)」

  「タキ」、TAKI(take to one side,take out of the way,track,bring along)、「一方の側(川内川北岸)に居る(地域)」

の転訛と解します。

 

b川内(せんだい)市・京泊(きょうどまり)・久見崎(ぐみざき)

 川内(せんだい)市は、暴れ川として知られる川内(せんだい)川の河口にあり、古くは千台と書かれ、江戸時代に川内と改められました。地名の由来は、この地にニニギノミコトが高城千台宮を建てて住んだから、川内(かわうち)・川外(かわそと)の呼称から転じたなどの説があります。

 中世に川内川河口の北岸の京泊(きょうどまり)港、南岸の久見崎(ぐみざき)港が中国貿易で栄え、京泊は京・大坂方面への乗船地ともなっていました。

 この「せんだい」、「きょうどまり」、「ぐみざき」は、

  「テネ・タイ」、TENE-TAI(tene=be importunate;tai=tide,wave,anger,violence)、「しつこく・暴れまくる(川。その川の流れる地域)」(「テネ」が「テン」から「センとなった)(地名篇(その十二)の鳥取県の(8)千代(せんだい)川の項を参照してください。)

  「キオ・トマ・リ」、KIO-TOMA-RI((Hawaii)kio=small pool for stocking fish spawn;toma=resting place for bones;ri=protect,screen,bind)、「魚の蓄養池(生け簀)のような・(船が)休息するのを・保護する場所(港)」

  「(ン)グ・ミ・タキ」、NGU-MI-TAKI(ngu=tattoo marks on the side of the nose or under the eye,silent,greedy;mi=stream,river;taki=take to one side,take out of the way,track,bring along)、「鼻の横の入れ墨のような・川の水が・曲流する場所(にある。港)」(「(ン)グ」のNG音がG音に変化して「グ」となった)

の転訛と解します。

 

(15)薩摩(さつま)郡

 

a薩摩(さつま)郡

 古代からの郡名で、川内川流域(下流北岸(高城郡)の地域を除く)に位置し、北は肥後国、出水郡、東は菱刈郡、桑原郡、南は日置郡、西は高城郡、天草灘に接します。おおむね現在の川内市の南部(川内川南岸)、串木野市の西部の一部、薩摩郡東郷町、入来町、樋脇町の地域および近世初頭に伊佐郡として分離(明治20年に南・北伊佐郡に分割)する大口市(南部の一部を除く。のちに北伊佐郡)、薩摩郡鶴田町、宮之城町、薩摩町、祁答院町(以上のちに南伊佐郡)の地域です。明治29年に高城郡、甑島郡、南伊佐郡を合併しました。はじめの郡域は、『和名抄』の郷名の比定からすると高城郡の郡域がかなり広く薩摩郡の郡域が狭いとする説があります。

 『和名抄』は、郡名の訓を欠きます。郡名については、前出(12)薩摩(さつま)国の項を参照してください。

 この郡名の「さつま」は、その示す地域が狭いことから、国名の語源とはやや異なり、

  「タハツ・マ」、TAHATU-MA(tahatu=upper edge of a seine;ma=white,clean)、「地曳網の上の部分のような(九州山地にぶら下がっている川内川がつくる平野の地域)・清らかな(地域)」(「タハツ」のH音が脱落して「タツ」から「サツ」となった)

の転訛と解します。

 

b入来(いりき)町・樋脇(ひわき)町・市比野(いちひの)川・大口(おおくち)市・祁答院(けどういん)町・藺牟田(いむた)池

 入来(いりき)町は、川内川の支流入来川が北流する小盆地にあり、町名は中世の入来院によります。

 樋脇(ひわき)町は、川内川の支流樋脇川、市比野(いちひの)川が北流する沖積低地とシラス台地にあり、町名は、入来院塔之原から清敷となり、さらに樋脇と変更された中世の城名によります。

 大口(おおくち)市は、県の北端、九州山地に囲まれた県下最大の大口盆地に位置し、市名は近世以来の地名によります。

 祁答院(けどういん)町は、県の中西部に位置し、町名は、中世にこの地が祁答院氏の所領であったから、紫尾山麓の祈祷院(きとうとん)神興寺から転じたとの説があります。町の南西端に火山性湖の藺牟田(いむた)池があります。

 この「いりき」、「ひわき」、「いちひの」、「おおくち」、「けどういん」、「いむた」は、

  「イ・リキ」、I-RIKI(i=beside,past tense;riki=small,few,dark)、「小さな(盆地)・一帯(地域)」

  「ヒ・ワキ」、HI-WHAKI(hi=arise,rise;whaki=reveal,disclose,confess)、「高いことを・顕示している(城。その城がある地域)」

  「イ・チヒ・(ン)ガウ」、I-TIHI-NGAU(i=beside,past tense;tihi=summit,topknot of hair,lie in a heap;ngau=bite,hurt,attack)、「高台の・側を・浸食して流れる(川)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「オフ・クチ」、OHU-KUTI(ohu=beset in great numbers,sorround;kuti=contract,pinch)、「山に挟まれて狭くなった(川内川およびその支流の山野川などの川の)谷に・(四方を)囲まれている(盆地。その地域)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」となった)

  「カイトア・イノ」、KAITOA-INO(kaitoa=brave man,warrior,expressing satisfactionor complacency at any event;ino=descendant)、「勇敢な武士の・子孫(の一族。その居住地)」(「カイトア」のAI音がE音に、OA音がOU音に変化して「ケトウ」から「ケドウ」と、「イノ」が「イン」となった)

  「イム・タ」、IMU-TA(imu=umu=earth-oven,dip or scarf in felling a tree;ta=dash,beat,lay)、「(地中に掘った)蒸し焼き穴が・そこにある(池)」

の転訛と解します。

 

(16)甑嶋(こしきじま)郡

 

a甑嶋(こしきじま)郡

 古代からの明治29年まで郡名で、東シナ海に浮かぶ上甑・中甑・下甑の3島からなります。おおむね現在の薩摩郡里村、上甑村、下甑村、鹿島村の地域です。

 『和名抄』は、「古之木之万(こしきしま)」と訓じます。郡名は、甑の形をした巨岩(上甑村字黒岩)に由来する、「コシ(崖)・キ(場所を示す接尾語)」からとする説があります。

 この「こしきしま」は、

  「コチ・キ・チマ」、KOTI-KI-TIMA(koti=divide,cut off,cut across the path of any one;ki=full,very;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「全く・(集落間の)連絡路が絶たれている・掘り棒で掘ったような(島)」

の転訛と解します。

 

b里(さと)村・トンボロ・長目(ながめ)の浜・海鼠(なまこ)池・藺牟田(いむた)瀬戸

 上甑島の表玄関の里(さと)村の中心集落は、トンボロと呼ばれる陸繋砂州上に位置します。島の北部には、長目(ながめ)の浜という砂州があり、その砂州で形成された海鼠(なまこ)池などの潟湖があります。

 中甑島と下甑島との間の海峡を藺牟田(いむた)瀬戸と呼びます。

 この「さと」、「トンボロ」、「ながめ」、「なまこ」、「いむた」は、

  「タタウ」、TATAU(tie with a cord,count,settle down upon)、「(上甑島と遠見山のある島を)結ぶ紐のような(陸繋砂州の。地域)」(AU音がO音に変化して「タト」から「サト」となった)

  「タウ(ン)ガ・ポロ」、TAUNGA-PORO(taunga=resting place,anchorage for canoes,be at home in a place,bond of connection between families;poro=termination,block,cut short or broken off)、「居住する家がある・一郭(の土地)」(「タウ(ン)ガ」のAU音がO音に、NG音がN音に変化して「トナ」から「トン」となった)

  「ナ・(ン)ガ・メノ」、NA-NGA-MENO(na=belonging to;nga=breathe,satisfied;meno,whakamenomeno=show off,make a display)、「(潟湖が)呼吸している(潟湖の水が外海と繋がっているため水位が外海の潮の干満とともに上下する)ことを・見せつけている・ような(浜)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「ナ・マコ」、NA-MAKO(na=belonging to;mako=peeled,stripped off)、「(固い)皮を剥ぎ取った・ような(軟らかい。動物(海鼠)。その海鼠が採れる潟湖)」

  「イム・タ」、IMU-TA(imu=umu=earth-oven,dip or scarf in felling a tree;ta=dash,beat,lay)、「(東シナ海と甑海峡との間を繋ぐ)蒸し焼き穴が・そこに(掘って)ある(海峡。瀬戸)」(前出(15)薩摩郡のb藺牟田(いむた)池と同じ語源です。)

の転訛と解します。

 

(17)日置(ひおき)郡

 

a日置(ひおき)郡

 古代からの郡名で、薩摩半島北西部に位置し、北は薩摩郡、桑原郡、東は鹿児島郡、谿山郡、南は伊作郡、西は東シナ海に接します。おおむね現在の串木野市(西部の一部を除く)、日置郡(吹上町、金峰町を除く)の地域です。明治29年に阿多郡(吹上町、金峰町)を合併しました。

 『和名抄』は、「比於支(ひをき)」と訓じます。郡名は、日置部に由来する、「戸数を調べ置く」意で租税の徴収と関係する、「ヒオキ(暦、ト占)」から、浄火を管理する神事からなどの説があります。

 この「ひをき」は、

  「ヒオ・キ」、HIO-KI((Hawaii)hio=a sweep or gust of wind,lean,incline;ki=full,very)、「強い風が・しばしば吹く(地域)」

の転訛と解します。

 

b串木野(くしきの)市・五反田(ごたんだ)川・冠(かんむり)岳・伊集院(いじゅういん)町・吉利(よしとし)村・セッペトベ

 串木野(くしきの)市は、五反田(ごたんだ)川の河口に位置し、古くはしばしば大洪水に見舞われていた地域(縄文時代の遺物と弥生時代の遺物が混交して出土し、それぞれの時代の生活遺跡が発見されない特徴をもつ地域)です。甑海峡に面する遠洋漁業の基地で、江戸時代からの金銀を産出する串木野鉱山があった市です。市名は、北東境の冠(かんむり)岳(516メートル)(徐福が冠を捧げたという伝説が残ります)の冠岳神社の祭神櫛御気(くしみけ)之命による、葦の生い茂る場所(アイヌ語)から、猪田神社の祭神の行く手を遮つた臥木(ふしき)からとする説があります。

 伊集院(いじゅういん)町は、薩摩半島の頚部に位置し、標高150メートル前後のシラス台地と西流する神之川が刻んだ谷底平地からなります。町名は、古代にここに置かれた官倉にちなみます。

 日吉(ひよし)町の町名は、昭和30(1955)年日置(ひおき)と吉利(よしとし)の2村が合併した合成地名です。6月の日置八幡神社の御田植祭には白装束の若者が泥まみれになって踊る「セッペトベ」が奉納されます。

 この「くしきの」、「ごたんだ」、「かんむり」、「いじゅう」、「よしとし」、「セッペトベ」は、

  「クチ・キノ」、KUTI-KINO(kuti=contract,pinch;kino=bad,ugly,dislike)、「狭く・(住むのに)条件が悪い(風が強く、またしばしば洪水の被害がある。地域)」

  「(ン)ガウ・タ(ン)ガタ」、NGAU-TANGATA(ngau=bite,hurt,attack;tangata=man,human being)、「人々を・苦しめる(川)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となり、「タ(ン)ガタ」のNG音がN音に変化して「タナタ」から「タンダ」となった)

  「カネ・ムリ」、KANE-MURI(kane=head;muri=the rear place,behind,afterward)、「(居住地の)後ろの・頭のような(山)」(「カネ」が「カン」となった)

  「イ・チウ」、I-TIU(i=beside,past tense;tiu=soar,wander,swift)、「(台地または河岸段丘の上に)高く登って・いる(場所。そこに設けられた官倉)」または「(川がシラス台地を)蛇行して・刻んでいる(地域。そこに設けられた官倉)」

  「イオ・チ・トチ」、IO-TI-TOTI(io=muscle,line,spur,lock of hair;ti=throw,cast,overcome;toti=limp,halt)、「びっこを引いている(波を打つている)・砂丘が・放り出されている(地域)」

  「テペ・トペ」、TEPE-TOPE(tepe=congeal,coagulate;tope=cut,smear or stain of paint etc.)、「泥を塗りたくって・(そのまま)凝固した(衣装で踊る。祭事)」

の転訛と解します。

 

(18)伊作(いさく)郡

 

a伊作(いさく)郡

 古代からの中世までの郡名で、薩摩半島中西部に位置し、北は日置郡、東は谿山郡、南は阿多郡、西は東シナ海に接します。おおむね現在の日置郡吹上町の地域です。文治3(1187)年当時の郡司平重澄が当郡を島津荘一円荘に寄進し、郡名は消滅したようです。のち阿多郡に含まれ、明治29年に日置郡に編入されました。

 『和名抄』は、「伊佐久(いさく)」と訓じます。郡名は、吹上浜に近いところから「イサ(砂)」にちなむ、伊作川渓谷の谷口にあたり「イ(接頭語)・サク(迫、谷間)」からとする説があります。

 この「いさく」は、

  「イ・タク」、I-TAKU(i=beside,past tense;taku=edge,border,gunwale,hollow)、「船縁のようにそそり立つ渓谷の・そばに位置する(地域)」

の転訛と解します。

 

b吹上(ふきあげ)町

 吹上(ふきあげ)町は、薩摩半島西岸中央、伊作川渓谷の谷口の前方に位置し、吹上(ふきあげ)浜の砂丘地帯が開けています。

 この「ふきあげ」は、

  「フキ・ア(ン)ガイ」、HUKI-ANGAI(huki=trabsfix,stick in feathers in the hair;angai=north-north-west wind,on the west coast)、「(薩摩半島の)西岸にある・羽根で飾ったような美しい(場所。吹上浜のある地域)」(「ア(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「アゲ」となった)

の転訛と解します。

 

(19)阿多(あた)郡

 

a阿多(あた)郡

 古代から明治29年までの郡名で、薩摩半島西部の万之瀬川流域から野間半島あたりまでの地域で、北は伊作郡、東は谿山郡、給黎郡、南は河辺郡、西は東シナ海に接します。おおむね現在の加世田市、日置郡金峰町、川辺郡笠沙町の地域です。郡域はその後変遷を重ね、明治29年には吹上町、金峰町の区域を郡域として日置郡に合併編入されました。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、「アタ(川岸、川端)」の意、「アタ(日の当たる場所)」の意、「アタキシ(急崖、断崖)」から、「アタ(崖、急斜面)」から、「アタ(吾田。私田)」からなどの説があります。

 この「あた」は、

  「ア・タハ」、A-TAHA(a=the...of,belonging to;taha=side,edge,pass on one side)、「(野間半島の)そばに・位置する(地域)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」となった)

の転訛と解します。

 

b金峰(きんぽう)町・田布施(たぶせ)村・タンコ・バラショケ・加世田(かせだ)市・万之瀬(まのせ)川・笠沙(かささ)町・野間(のま)半島

 金峰(きんぽう)町の町名は、中央にそびえる金峰(きんぽう)山(636メートル)に由来します。昭和31(1956)年に阿多(あた)、田布施(たぶせ)の両村が合併して町制を施行しました。江戸時代からの開田により南薩の穀倉といわれる地域で、阿多の大工、木挽、タンコと呼ばれる桶職人、バラショケ(ざる)作りの職人を輩出しています。

 加世田(かせだ)市はこの地方の中心で、島津家中興の祖といわれる島津忠良の本拠地でした。市の北境を万之瀬(まのせ)川が流れます。市名は、記紀の「笠狭(かささ)」の地名から、「痩せた土地」の意などの説があります。

 笠沙(かささ)町は、薩摩半島から突出した野間(のま)半島に位置し、野間半島北岸には天然の良港、片浦(かたうら)、野間池(のまいけ)の2港があります。町名は、「カセ(船の停泊地)」からとする説があります。

 この「きんぽう」、「たぶせ」、「タンコ」、「バラショケ」、「かせだ」、「まのせ」、「かささ」、「のま」は、

  「キノ・ポウ」、KINO-POU(kino=bad,ugly;pou=pole,stick in,erect a stake)、「ごつごつとした・柱を立てたように高い(山)」(「キノ」が「キン」となった)

  「タ・プテ」、TA-PUTE(ta=the...of;pute=bag or basket of fine woven flax)、「繊維(竹)を編んで作る籠を・生産する場所(地域)」(地名篇(その十六)の長野県の(8)高井郡のb小布施(おぶせ)町の項を参照してください。)

  「タ(ン)ガ・コフ」、TANGA-KOHU(tanga=be assembled,row,company;kohu=hollow,concave,bent or warped so as to become concave etc.)、「桶(中が凹んだもの)を作る・人々の群れ(桶職人達)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「タン」となり、「コフ」のH音が脱落して「コ」となった)

  「パラ・チハケ」、PARA-TIHAKE(para=sediment,refuse,scraps;tihake=a kind of basket,vessel)、「(屑のような)割竹で作る・籠(ざる)」(「チハケ」のH音が脱落し、IA音がIO音に変化して「チオケ」から「ショケ」となった)

  「カ・アテ・タ」、KA-ATE-TA(ka=take fire,be lighted,burn;ate=liver,heart;ta=dash,beat,lay)、「(地域の)心臓のような・場所に位置している・居住地(地域)」(「カ」のA音と「アテ」の語頭のA音が連結して「カテ」から「カセ」となった)または「カタエ・タ」、KATAE-TA(katae=how great!;ta=dash,beat,lay)、「何と偉大な人物(島津忠良)が・住む(場所)」(「カタエ」のAE音がE音に変化して「カテ」から「カセ」となった)(なお、加世田市や笠沙町の語源説がある「カセ(船の停泊地)」は、「かせ(枷・綛)」と同じ語源で、「カテテ」、KATETE(be securely fastened)、「(船、人の手足、糸などを)しっかりと固定する(場所、道具など。またはその固定された物)」(反復語尾の「テ」が脱落して「カテ」から「カセ」となった)の転訛と解します。)

  「マノ・テ」、MANO-TE(mano=interior part,heart;te=crack)、「(地域の)内部の・割れ目(の川)」

  「カタ・タ」、KATA-TA(kata=opening of shellfish,laugh;ta=dash,beat,lay,alley)、「貝が口を開けたような入り江が・並んでいる(半島。そこの地域)」

  「ノホ・マ(ン)ガ」、NOHO-MANGA(noho=sit,settle;manga=branch of trees or river etc.)、「副(そ)えられた(本体から分かれた枝のような)ものとして・そこに位置している(岬。その岬がある半島)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」から「ノ」となり、「マ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「マ」となった)

の転訛と解します。

 

(20)河邊(かわなべ)郡

 

a河邊(かわなべ)郡

 古代からの郡名で、薩摩半島南西部に位置し、北は阿多郡、東は谿山郡、給黎郡、頴娃郡、南から西は東シナ海に接します。おおむね現在の枕崎市、川辺郡(笠沙町を除く)の地域です。(通説では、現大浦町、坊津町は阿多郡としますが、下記の当郡名の解釈に従い、河邊(かわなべ)郡として解説します。)

 『和名抄』は、「加波之へ(かはのへ)」と訓じます。郡名は、「川沿いの地」の意とする説があります。

 この「かはのへ」は、

  「カハ・ノペ」、KAHA-NOPE(kaha=crested grebe,strong,rope;nope=constricted)、「冠カイツブリを・押し潰したような地形の(西岸にカイツブリの冠毛に似た小さな岬がいくつもある。地域)」

の転訛と解します。

 

b坊津(ぼうのつ)町・枕崎(まくらざき)市・鹿籠(かご)郷・花渡(けど)川・知覧(ちらん)町・「ソラヨイ」行事

 坊津(ぼうのつ)町は、薩摩半島の南西端に位置する古い港町で、町名は古代からの地名によりますが、「碆(はえ)の津」から、一条院の僧坊からなどの説があります。古代の遣唐使船の発着港で、鑑真和尚の上陸地として知られ、天下の三津ともいわれました。

 枕崎(まくらざき)市は、薩摩半島の南西端に位置し、市名は海藻産地の海人草(まくり)崎から、潮の流れの急な捲(まくり)崎からとする説があります。この地は、古くは鹿籠(かご)郷でした。花渡(けど)川河口付近には、ふるくから塩田がありました。

 知覧(ちらん)町の町名は、古代の院(郷)名によりますが、「ツラミ(川沿いに連なった集落)」からとする説があります。

 坊津町から知覧町にかけて旧暦8月の十五夜の晩に行われる綱引きに続いて「ソラヨイ」行事があり、重要無形民俗文化財に指定されています。

 この「ぼうのつ」、「まくらざき」、「かご」、「けど」、「ちらん」、「ソラヨイ」は、

  「ポウ・(ン)ガウ・ツ」、POU-NGAU-TU(pou=pole,stake,make a hole with a stake;ngau=bite,hurt,attack;tu=fight with,energetic)、「掘り棒で・一生懸命に・掘り崩したような(入り江。そこにある港。その地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「マ・アクラ・タキ」、MA-AKURA-TAKI(ma=white,clear,in the names of streams;akura=entrance to an eel-pot;taki=take to one side,track,bring along)、「鰻を捕る籠へ・誘導する・水路の入り口のような(地形の場所。地域)」(「マ」のA音と「アクラ」の語頭のA音が連結して「マクラ」となった)

  「カ・ア(ン)ゴ」、KA-ANGO(ka=take fire,be lighted,burn;ango=gape,be open)、「口を開けた場所(枕崎湾)の・居住地(地域)」(「カ」のA音と、「ア(ン)ゴ」のNG音がG音に変化して「アゴ」となった語頭のA音が連結して「カゴ」となった)

  「ケト」、KETO(extinguished)、「(流れが)弱くなって消え失せる(川)」

  「チラ(ン)ゴ」、TIRANGO(scattered,in disorder)、「(住居が)散在している(地域)」(NG音がN音に変化して「チラノ」から「チラン」となった)

  「トラ・イオ・オイ」、TORA-IO-OI(tara=burn,blaze,erect;io=muscle,line,spur,lock of hair;oi=shout,shudder,move continuously,agitate)、「(月が)輝く中で(十五夜の晩に)・頭の上の飾り(頭にすっぽりと被った藁で作った大きな帽子)を・震わせて踊る(行事)」または「(月が)輝く中で(十五夜の晩に)・綱を・引く(行事)」(「イオ」の語尾のO音が「オイ」の語頭のO音と連結して「イオイ」から「ヨイ」となった)

の転訛と解します。

 

(21)欸娃(えの)郡

 

a欸娃(えの)郡(頴娃(えい)郡)

 古代から明治29年までの郡名で、薩摩半島南端東部に位置し、北は河辺郡、給黎郡、東は揖宿郡、南から西は東シナ海に接します。おおむね現在の揖宿郡頴娃町、開聞町、山川町の西部、指宿市の西部の一部の地域です。明治29年に指宿郡、給黎郡の一部(当時)と合併して揖宿郡となりました。

 『和名抄』は、「江乃(えの)」と訓じます。郡名は、『続日本紀』文武天皇4(700)年6月3日条に「衣評(えのこほり)」、「衣君(えのきみ)」としてみえ、「エ(江)」で「美しい海岸」の意とする説があります。古くから「えい」と呼びならわされています。

 この「えの」、「えい」は、

  「アイ・ノホ」、AI-NOHO(ai=procreate,beget;noho=sit,settle)、「(海岸に)子供が生まれている(開聞岳が海に突出している)・場所に位置している(地域)」(「アイ」のAI音がE音に変化して「エ」となり、「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となった)

  「エア・アイ」、EA-AI(ea=appear above water,be flooded of a house or a camp etc.,rise as heavenly bodies;ai=procreate,beget)、「海上に浮ぶ・子供が生まれたような(開聞岳が海に突出している山(開聞岳)がある。地域)」(「エア」のA音と「アイ」の語頭のA音が連結して「エアイ」から「エイ」となった)

の転訛と解します。

 

b開聞(かいもん。ひらきき)岳・「コラ」・「ボラ」・長崎鼻(ながさきばな)・池田(いけだ)湖

 開聞(かいもん)町の町名は、薩摩冨士と称される端正な美しい円錐形の火山である開聞(かいもん)岳(922メートル)によります。古くは枚聞(ひらきき)岳と呼び、海上交通の目標で、北麓には薩摩国一宮の式内社枚聞(ひらきき)神社が鎮座し、広く崇敬を集めています。古くから噴火の記録があり、この山から噴出した火山灰は、薩摩半島南部から大隅半島まで広い範囲に堆積し、「コラ」と呼ばれています。なお、南九州一帯に分布する軽石は、通常「ボラ」と呼ばれています。

 開聞岳の東には、竜宮伝説が残る風光明媚な長崎鼻(ながさきばな)があります。

 開聞岳の北には、周囲15キロメートル、水面標高66メートル、水深233メートルのカルデラ湖である池田(いけだ)湖があります。

 この「ひらきき」、「コラ」、「ボラ」、「ながさきばな」、「いけだ」は、

  「ヒラ・キキ」、HIRA-KIKI(hira=numerous,great,important;kiki=crowded,confined)、「偉大な(霊力を)・秘めている(神が宿る。山)」

  「コラ」、KORA(small fragment,spark,fire)、「細かな(灰)」

  「ポラ」、PORA(large sea-going canoe,stranger,floor mat,a white stone)、「(一種の)白い石」

  「ナ・(ン)ガ・タキ・パナ」、NA-NGA-TAKI-PANA(na=belonging to;nga=satisfied,content;taki=take to one side,take out of the way,track,lead;pana=thrust or drive away,expel)、「実に・(景色が良くて)満足する・脇道に逸れた・突出した(岬)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「イ・カイタ」、I-KAITA(i=beside,past tense;kaita=large,of superior quality)、「大きな(立派な)湖の・あたり一帯(地域。そこの湖)」(「カイタ」のAI音がE音に変化して「ケタ」となった)または「イケ・タ」、IKE-TA(ike=high,strike with a hammer or other heavy instrument;ta=dash,beat,lay)、「(大きな)金槌を打ち込んだような(窪みの)湖が・ある(地域。そこの湖)」

の転訛と解します。

 

(22)揖宿(いぶすき)郡

 

a揖宿(いぶすき)郡

 古代からの郡名で、薩摩半島の東南端に位置し、北は給黎郡、東から南は鹿児島湾、西は頴娃郡に接します。おおむね現在の指宿(いぶすき)市(西部の一部を除く)、揖宿郡山川町の東部の地域です。明治29年に頴娃郡、給黎郡の一部(当時)を合併しました。

 『和名抄』は、「以夫須支(いぶすき)」と訓じます。郡名は、「湯宿(ゆふすき)」から、「湯豊宿(ゆほすき)」から、「イ(接頭語)・フス(フシの転。高地)・キ(場所を表す接尾語)」の意、「イフス(燻す)・キ(場所を表す接尾語)」で温泉の意とする説があります。

 この「いぶすき」は、

  「イプ・ツキ」、IPU-TUKI(ipu=calabash with narrow mouth(ipuipu=hollow,ulcerated,pool,bail out a canoe);tuki=pound,butt,attack,curved wooden mouthpiece for a calabash)、「(池田湖という水を容れた)ひょうたんの・吸い口(のように尖った地形がある。地域)」または「潰瘍を・突っついて膿を出している(ように温泉が湧出している。地域)」

  または「イ・ププ・ツ・ウキ」、I-PUPU-TU-UKI(i=beside,past tense;pupu=bubble up,boil,spring up;tu=stand,settle;uki=distant times(ukiuki=old,continuous,undisturbed,peaceful))、「温泉が湧く(蒸気が上がる)・そばに・長時間(いい気持ちで)・横たわる(砂蒸し温泉がある。地域)」(「ププ」の反復語尾が脱落して「プ」から「ブ」となり、「ツ」のU音と「ウキ」の語頭のU音が連結して「ツキ」から「スキ」となった)

の転訛と解します。

 

b魚見(うおみ)岳・知林(ちり)ガ島・山川(やまがわ)町

 指宿(いぶすき)市の市名は、古代からの郡名によります。市の東北部に魚群の回遊の見張りをしたという魚見(うおみ)岳(214メートル)があり、その北東に連なる砂州の先に知林(ちり)ガ島が浮かびます。

 山川(やまがわ)町は、鹿児島湾の湾口にあり、中心の山川港は、旧火口の沈水によって形成された天然の良港です。町名は、古代の郷名によります。

 この「うおみ」、「ちりが」、「やまがわ」は、

  「ウ・ハウミ」、U-HAUMI(u=breast of a female,be fixed;haumi=join,lengthen by addition,lay aside)、「(知林ガ島を)脇に従えている・乳房のような(山)」(「ハウミ」のH音が脱落し、AU音がO音に変化して「オミ」となった)

  「チ・リ(ン)ガ」、TI-RINGA(ti=throw,cast;ringa=hand,arm)、「手(砂州)を・(魚見岳へ向かって)差し伸べている(島)」(「リ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「リガ」となった)

  「イア・マ・(ン)ガワ」、IA-MA-NGAWA(ia=indeed,current;ma=white,clean;ngawha=burst open,split of timber)、「実に・清らかな・(大地の)裂け目(がある土地。地域)」(「(ン)ガワ」のNG音がG音に変化して「ガワ」となった)

の転訛と解します。

 

(23)給黎(きいれ)郡

 

a給黎(きいれ)郡

 古代から明治29年までの郡名で、薩摩半島南部に位置し、北は谿山郡、東は鹿児島湾、南は揖宿郡、頴娃郡、西は河辺郡に接します。おおむね現在の揖宿郡喜入(きいれ)町の地域です。江戸時代初期に知覧郷(現川辺郡知覧町)を合併し、明治29年に知覧郷は川辺郡に、喜入郷(現喜入町)の地域は頴娃郡とともに揖宿郡に合併されました。

 『和名抄』は、「支比禮(きひれ)」と訓じます。郡名は、「キ(割。きざみ目、断絶)・ヒレ(ヒラの転、崖地、急傾斜地)」から、女性の「ヒレ(頒布)」から、「郡(コホリ)」の転とする説があります。

 この「きひれ」は、

  「キヒ・レイ」、KIHI-REI(kihi=cut off,strip of branches etc.;rei=large tooth,jewel,leap,rush)、「大きな歯で・噛み切られたような(土地。地域)」または「急傾斜の・細長い条をなしている(地域)」

の転訛と解します。

 

b生見(ぬくみ)海岸・千貫平(せんがんびら)

 喜入(きいれ)町の町名は、中世の郷名によります。町南端の生見(ぬくみ)海岸に自生するメヒルギ(リュウキュウコウガイ)は、世界最北端のマングローブ林として特別天然記念物に指定されています。高速道指宿スカイラインの途中の千貫平(せんがんびら)は眺望絶佳で知られます。

 この「ぬくみ」、「せんがんびら」は、

  「ヌク・ミ」、NUKU-MI(nuku=wide extent,distance;mi=stream,river)、「広々とした・海面(がある。海岸)」

  「テ(ン)ガ・カネ・ピララ」、TENGA-KANA-PIRARA(tenga=Adam's apple,goitre;kana=stare wildly,bewitch;pirara=scatter,wide apart,gape)、「目をみはって・方々を見渡す・喉仏のように膨らんだ(高所)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「セン」となり、「ピララ」の反復語尾が脱落して「ピラ」から「ビラ」となった)

の転訛と解します。

 

(24)谿山(たにやま)郡

 

 古代から明治29年までの郡名で、薩摩半島東部中央に位置し、北は鹿児島郡、東は鹿児島湾、南は給黎郡、西は河辺郡、阿多郡、日置郡に接します。おおむね現在の鹿児島市南部の地域です。明治29年に鹿児島郡に合併されました。

 『和名抄』は、「多仁也万(たにやま)」と訓じます。郡名は、「タナ(棚)・ヤマ(山)」の転で「棚状の段丘(火山灰台地)」のある地とする説があります。

 この「たにやま」は、

  「タ・アニ・イア・マ」、TA-ANI-IA-MA(ta=the;ani=echoing(aniani=belittle);ia=indeed,current;ma=white,clear)、「ほんの・小さな・山がある(台地が続く。地域)」

の転訛と解します。

 

(25)鹿児嶋(かごしま)郡

 

a鹿児嶋(かごしま)郡

 古代からの郡名で、薩摩半島北東部に位置し、北は大隅国桑原郡、東は鹿児島湾、南は谿山郡、西は日置郡に接します。おおむね現在の鹿児島市の北部、鹿児島郡吉田町の地域です。「鹿児島」を桜島の古名と解して、初めは鹿児島神社が鎮座する鹿児島湾北岸から桜島を含んでいたのが、桑原郡の建郡によって郡域が定まったとする説があります。明治29年に谿山郡、北大隅郡(桜島)を合併し、同48年に大島郡十島村(トカラ列島)、三島村(硫黄島、竹島、黒島)を合併しました。

 『和名抄』は、「加古志万(かこしま)」と訓じます。郡名は、彦火火出見命の無目籠(まなしかたま)の小舟から、彦火火出見命の鹿島矢から、鹿の総称の「カゴ」から、火神「カグ」から、船頭・水夫の「カコ」から、「カコ(コゴ(凝)の転)」で「険しい地形」の意から、「カク・カキ・カケ(欠)の転」で「崖」の意からなどの説があります。

 この「かこしま」は、

  「カカウ・チマ」、KAKAU-TIMA(kakau=swim,wade;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「あちこちと(不規則に)泳ぎ回るように・掘り棒で掘り散らかした(谷がある。地域)」(「カカウ」のAU音がO音に変化して「カコ」から「カゴ」となった)

  または「カ・(ン)ガウ・チマ」、KA-NGAU-TIMA(ka=take fire,be lighted,burn;ngau=bite,hurt,attack;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「(桜島火山の)噴火に・襲われた(火山礫や火山灰が堆積した)台地を・掘り棒で掘り散らかした(谷がある。地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)

の転訛と解します。

 

b甲突(こうつき)川・稲荷(いなり)川・脇田(わきた)川・磯(いそ)の浜

 鹿児島市の市域のほとんどは、シラス台地で、それを甲突(こうつき)川、稲荷(いなり)川、脇田(わきた)川などが刻み、下流部に複合三角州を形成しています。

 磯(いそ)の浜には、幕末に日本最初の近代工業である紡績所、集成館などが作られました。

 この「こうつき」、「いなり」、「わきた」、「いそ」は、

  「コウ・ツキ」、KOU-TUKI(kou=knob,stump;tuki=beat,knock,attack)、「(切り株のような)台地を・浸食して流れる(川)」

  「イ・(ン)ガリ」、I-NGARI(i=beside,past tense;ngari=annoyance,greatness,power)、「おおきな川(甲突川)の・傍ら(を流れる。川)」

  「ワキ・タ」、WHAKI-TA(whaki=disclose,confess;ta=dash,beat,lay)、「猛然と襲う・(本質を)さらけ出している(川)」

  「イト」、ITO(object of revenge)、「(復讐をしたかのように)さんざんに打ち砕かれた岩が散乱する(海岸)」

の転訛と解します。

 

c鬼界島(きかいがしま)・吐葛喇(とから)列島・諏訪之瀬(すわのせ)島・ボゼ

 口之三島の一つ、薩摩半島の南方の鬼界カルデラの北縁に位置する硫黄(いおう)島は、古くは産出する硫黄で黄色になるところから黄海ケ島、鬼界島(きかいがしま)とも呼ばれ、俊寛や文覚が流罪になった島として著名です。

 屋久島と奄美大島との間に、ほぼ一列に吐葛喇(とから)列島が連なります。列島のほぼ中央にある諏訪之瀬(すわのせ)島の御(お)岳(799メートル)は間欠的に噴火を繰り返すストロンボリ式火山として知られます。

 悪石(あくせき)島の盆踊行事には、宮古・八重山列島の赤マタ・黒マタに似た来訪神で、大きな角と口をもつ仮面を頭からすっぽりと被った「ボゼ」が出現します。

 この「きかいが」、「とから」、「すわのせ」、「ボゼ」は、

  「キヒ・カイ(ン)ガ」、KIHI-KAINGA(kihi=murmur of the sea,cut off,destroy completely,strip of branches etc.;kainga=refuse of a meal as cockle shells)、「鳥貝の殻の残骸のような・(火山活動によって)完全に荒廃した(島)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となり、「カイ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「カイガ」となった)

  「トカ・ラ」、TOKA-RA(toka=stone,rock,solid;ra=wed)、「岩が・連なっている(列島)」

  「ツワ・(ン)ガウ・タイ」、TUWHA-NGAU-TAI(tuwha=spit,distribute;ngau=bite,hurt,attack;tai=tide,wave,anger,violence)、「荒々しく・唾を飛ばして(間欠的に噴火して)・周囲を攻撃する(島)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となり、「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」から「セ」となった)

  「ポタエ」、POTAE(covering for the head,put on to the head so as to cover or envelop it)、「頭から被る(仮面を付けた。神)」(AE音がE音に変化して「ポテ」から「ボゼ」となった)

の転訛と解します。

 

(26)大島(おおしま)郡

 

a大島(おおしま)郡

 明治12年からの郡名で、奄美諸島及び鳥島の地域です。古くは琉球に属しましたが、慶長14(1609)年以降薩摩藩に支配され、明治に入り鹿児島県に所属し、同12年大島郡として編成されました。

 郡名は、奄美諸島の主島、奄美(あまみ)大島によります。「奄美(あまみ)」は、「アマミ神」にちなむ、「アマ(海)・ミ(水)」からなどとする説があります。

 奄美大島に伝わる開闢神話は、琉球の古典『球陽』と『琉球神道記』(僧袋中著。慶長10年)の開闢神話を合成したような内容を持つもので、天から降臨した志仁礼久(しにれく)・阿摩彌姑(あまみこ)の両神(『琉球神道記』では「シネリキヨ」・「アマミキヨ」)が国を開いて3男2女を生み、長男が国君の初め、次男は按司の初め、三男は百姓の初め、長女はノロの初め、次女は村々のミコの初めとなったと伝えます。(「ノロ」、「ミコ」については、雑楽篇の106みこ(巫女)118のろ(巫女)の項などを参照してください。)

 この「しにれく(しねりきよ)」、「あまみこ(あまみきよ)」は、

  「チニ・レイ・ク」、TINI-REI-KU(tini=very many;rei=leap,rush,run;ku=silent)、「黙って・走り廻って・膨大な仕事をする(神)」または「チニ・レイ・キオ」、TINEI-RI-KIO(tinei=put out,quench;ri=screen,protect;(Hawaii)kio=projection,protuberance)、「障碍を・除去する・突出した存在である(神)」

  「アマ・ミコ」、AMA-MIKO((Hawaii)ama=talkative,tattling,bright;miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of the flesh or skin from fear or sickness)、「おしゃべりの・(鳥肌が立つて異常に興奮する)神懸りになる(巫女。その子孫が住む諸島)」または「ア・マハ・ミヒ・キオ」、A-MAHA-MIHI-KIO(a=the...of,belonging to;maha=satisfied,many,abundance;mihi=greet,admire,show itself;(Hawaii)kio=projection,protuberance)、「実に・偉大で・崇敬すべき・突出した存在である(神。その子孫が住む諸島)」(「マハ」・「ミヒ」のH音が脱落して「マ」・「ミ」と、「キオ」が「キヨ」となった)

の転訛と解します。

 

b名瀬(なぜ)市・笠利(かさり)湾・竜郷(たつごう)・赤尾木(あかおぎ)・赤木名(あかぎな)・アラセツ・ヒラセマンカイ・湯湾(ゆわん)岳・宇検(うけん)村・加計呂麻(かけろま)島

 名瀬(なぜ)市は、享保5(1720)年に薩摩藩が代官所を笠利からこの北へ向かって開ける名瀬湾の名瀬港に移して以来発達した市で、市名は大島の「中地(なーじ)」、中央部に位置する意とする説があります。

 大島の北部には、笠利(かさり)湾があり、その中には西から竜郷(たつごう)、赤尾木(あかおぎ)、赤木名(あかぎな)の三つの小湾があります。竜郷の秋名(あきな)集落には、旧暦8月に行われる秋名アラセツ行事(収穫感謝・豊作祈願)の「ヒラセマンカイ」があり、重要無形民俗文化財に指定されています。

 大島の南部には最高峰の湯湾(ゆわん)岳(694メートル)があり、その南に宇検(うけん)村があります。

 大島の南には、大島海峡を隔てて典型的なリアス式海岸をもつ加計呂麻(かけろま)島があります。

 この「なぜ」、「かさり」、「たつごう」、「あかおぎ」、「あかぎな」、「アラセツ」、「ヒラセマンカイ」、「ゆわん」、「うけん」、「かけろま」は、

  「ナ・テ」、NA-TE(na=belonging to,satisfied;te=crack)、「ゆったりとした(満足している)・割れ目(湾。そこの地域)」または「ナ・アテ」、NA-ATE(na=belonging to,satisfied;ate=liver,heart,spirit)、「(奄美大島の)中心に・相当する(地域。そこの湾)」(「ナ」のA音と「アテ」の語頭のA音が連結して「ナテ」から「ナゼ」となった)

  「カタ・リ」、KATA-RI(kata=opening of shellfish;ri=screen,protect,bind)、「貝が口を開けたような湾が・並んでいる(湾)」

  「タツ・(ン)ガウ」、TATU-NGAU(tatu=reach the bottom,be content;ngau=bite,hurt,attack,wander)、「さまよった末に・到達した(場所。地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がOU音に変化して「ゴウ」となった)

  「アカ・オキ」、AKA-OKI(aka=clean off,scrape away;(Hawaii)oki=divide,separate)、「(周囲を)洗い流したような(美しい)・(小湾を)分離した(湾。その地域)」

  「アカ・キナ」、AKA-KINA(aka=clean off,scrape away;kina=sea-egg,a globular calabash)、「(周囲を)洗い流したような(美しい)・瓢箪のような(湾)」

  「アラ・テ・ツ」、ARA-TE-TU(ara=rise,awake,way;te=emphasis,crack;tu=remain,stand,settle)、「(弱った稲魂の)目を覚まさせて(活力を取り戻して)・離れるのを・留める(行事)」

  「ヒラ・テ・マ(ン)ガイ」、HIRA-TE-MANGAI(hira=numerous;te=emphasis;mangai=mouth)、「何回も何回も・熱心に・(稲魂を招く言葉を掛け合いで)唱える(ことによって稲魂を呼び戻す。行事)」(「マ(ン)ガイ」のNG音がG音を経てK音に変化して「マンカイ」となった)

  「イフ・ワ(ン)ガ」、IHU-WHANGA(ihu=nose;whanga=bay,space,spread the legs)、「手足を伸ばしている・鼻のような(山)」(「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユ」となり、「ワ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ワナ」から「ワン」となった)

  「ウ・ケナ」、U-KENA(u=breast of a female,be fixed;kena,kenakena=the prominence at the front of the neck)、「喉ぼとけのような山(湯湾岳)が・そこにある(地域)」(「ケナ」が「ケン」となった)

  「カケ・ロマ」、KAKE-ROMA(kake=ascend,climb upon;roma=current,stream,channel)、「潮流が・(満潮のときリアス式海岸の)溺れ谷を駆け上がる(水位が急に上昇する。島)」

の転訛と解します。

 

c喜界(きかい)島・徳之(とくの)島・犬の門蓋(いんのじょうぶた)・沖永良部(おきのえらぶ)島・フーチャ洞・与論(よろん)島・ユンヌ

 喜界(きかい)島は、奄美大島の東方にあり、隆起珊瑚礁からなる低平な台地状の島で、源為朝や僧俊寛が来島したとも、平家の一門が逃れてきたとも伝えます。

 徳之(とくの)島は、奄美大島に次ぐ大きさを持ち、白い砂浜と断崖絶壁が交互に連なる海岸があり、西海岸の海食崖には大飢饉の際飢えて危険になった犬を穴に投げ込んだと伝える「犬の門蓋(いんのじょうぶた)」などの観光名所があります。

 沖永良部(おきのえらぶ)島は、徳之島と与論島の間にあり、珊瑚礁起源の石灰岩地域が広く分布する低平な細長い三角形の島です。東端の国頭岬付近には、「フーチャ洞」と呼ぶ潮吹洞があり、海が荒れるときには10メートルもの高さに海水を吹き上げます。

 与論(よろん)島は、大島郡最南端の島で、全島が隆起珊瑚礁からなる低平な島で、島の周囲には裾礁が発達しています。地元では島を「ユンヌ」と称しています。

 この「きかい」、「とくの」、「いんのじょうぶた」、「おきのえらぶ」、「フーチャ」、「よろん」、「ユンヌ」は、

  「キ・カイ」、KI-KAI(ki=full,very;kai=food,eat,consume)、「十分に・食物が得られる(島)」

  「ト・ウク・(ン)ガウ」、TO-UKU-NGAU(to=drag,open or shut a door or a window;uku,ukuuku=swept away,destroyed;ngau=bite,hurt,attack)、「拭い去られた(砂浜の)海岸が・(戸を開閉するように)現れては消える(遠浅の砂浜と断崖が交互に連なる)・浸食された(海岸の断崖に鍾乳洞がある。島)」(「ト・ウク」が「トク」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「イヌ・(ン)ガウ・チオ・プタ」、INU-NGAU-TIO-PUTA(inu=drink;ngau=bite,hurt,attack;tio=rock-oyster;puta=opening,hole,pass through in or out)、「(海水を)飲み込んでいる・浸食された・岩牡蠣のような岩崖にある・(上に)穴が開いている(場所)」(「イヌ」が「イン」となり、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「オキ・ノ・エ・ラプ」、OKI-NO-E-RAPU((Hawaii)oki=cut,separate,finish,extraordinary;no=of;e=to denote action in progress or temporary condition in time past or present or future;rapu=seek,squeeze)、「特大・の・一瞬の間に・(獲物に)食らいつく動物(エラブウナギまたはエラブウミヘビ)(の頭部に似た形の。島)」(前出の(10)馭謨(ごむ)郡のb口永良部(くちのえらぶ)島の項を参照してください。)

  「フ・フチア」、HU-HUTIA(hu=resound,bubble up;hutia=huti=hoist,fish(v.),pull out of the ground)、「(海食崖の穴から海水が)泡立つて・地上に噴出する(場所)」(「フ」のU音と「フチア」のH音が脱落した語頭のU音が連結して「フウチア」から「フーチャ」となった)

  「イオ・ロナ」、IO-RONA(io=muscle,strip,line;rona=bind,confine with cords,encircle)、「(珊瑚礁の)紐が・取り巻いている(島)」(「ロナ」が「ロン」となった)

  「イ・ウヌ・ヌイ」、I-UNU-NUI(i=beside,past tense;unu=drink;nui=large,many)、「(島と島を取り巻く珊瑚礁の裾礁との間の浅い海に)たらふく・水を飲んで・いる(島)」(「イ」のI音と「ウヌ」の語頭のU音が連結して「ユヌ」から「ユン」となり、「ヌイ」が「ヌ」となった)

の転訛と解します。

 

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47 沖縄県の地名

 

(1)沖縄(おきなわ)県

 

 明治以前の沖縄は、独立国たる琉球(りゅうきゅう)国で、中国から册封を受けるとともに慶長14(1609)年以降は薩摩藩に隷属していました。明治政府は明治5(1872)年の琉球処分によって琉球藩とし、同12年藩を廃して沖縄県としました。南西諸島のうち琉球諸島、すなわち沖縄諸島、先島諸島(八重山列島、宮古列島)、尖閣諸島、大東諸島などの島々です。

 沖縄(おきなわ)の地名は、古く『唐大和上東征伝』に「阿児奈波島」とあり、『おもろさうし』に「おきなは」とみえ、沖縄本島、首里を中心とする中部地方、または那覇港の入り口の漁場の名でした。地名の由来については、「オキ(沖)・ナ(魚)・ハ(場)」の意、「オキ(沖・遠)・ナハ(場所)」の意、尚円王(1470〜76年)の代に泊村の大安里が浮縄御嶽のそばの川岸に漁の釣縄を置いたのが置縄となり、御嶽の名となり島の名となったなどとする説があります。

 この「おきなは」は、

  「オキ・ナハ」、OKI-NAHA((Hawaii)oki=to stop,finish,extraordinary,to cut,separate;naha=noose for snaring ducks,(Hawaii)naha=cracked,broken,to split)、「ずたずたに・切られた投げ縄のような(列島)」もしくは「(他の場所から)遠く離れた・裂け目(湾のある場所。那覇港の前の海。その場所のある島)」

  または「オキ・ナ・ウワ」、OKI-NA-UWHA((Hawaii)oki=to stop,finish,extraordinary,to cut,separate;na=belonging to;uwha=female,calm,gentle)、「(日本本土および中国から)遠く離れた・静かな・部類に属する(地域)」

の転訛と解します。

 

(2)琉球(りゅうきゅう)

 

 琉球(りゅうきゅう)は、古くからの国名で、『隋書』東夷伝に「流求国」としてみえます。その範囲は、現在の沖縄県とする説、台湾とする説、沖縄及び台湾とする説などがあって定説はありません。国名は、中国人による命名とされます。

 この「りゅうきゅう」は、

  「リウ・キフ」、RIU-KIHU(riu=pass by(riunga=passage,way);kihu,kihukihu=fringe)、「(縄文海進時代以前には東シナ海は陸地で、中国大陸の)縁の・通路(であった。列島)」(「キフ」のH音が脱落して「キウ」から「キュウ」となった)

の転訛と解します。

 

(3)国頭(くにがみ)郡

 

a国頭(くにがみ)郡

 明治29年からの郡名で、沖縄本島北部と周辺離島の地域です。三山鼎立時代の北山の地域に相当します。おおむね現在の名護市、国頭郡国頭村、大宜味村、東村、今帰仁村、本部町、伊江村、金武町、恩納村の地域です。郡名は、王府時代から9間切(まぎり)に区切られていた時代からの呼称により、「国の上(かみ)」にあるからとされます。

 この「くにがみ」、「まぎり」は、

  「ク・ヌイ・(ン)ガミ」、KU-NUI-NGAMI(ku=silent;nui=large,many;ngami,whakangami=swallow up)、「静まり・かえっている・膨れて高くなっている(山地が多い。地域)」

  「マ(ン)ギ・リ」、MANGI-RI(mangi=floating,drifting,unsettled;ri=screen,protect,bind)、「変動する(村の区画を)・束ねて設定した(行政区画)」(「マ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「マギ」となった)

の転訛と解します。

 

b国頭(くにがみ)村・辺戸(へど)岬・与那覇(よなは)岳・大宜味(おおぎみ)村・本部(もとぶ)町・八重(やえ)岳・備瀬(びせ)崎・今帰仁(なきじん)村・伊江(いえ)島・伊江島立塔(たっちゅう)・名護(なご)市・屋我地(やがち)島・辺野古(へのこ)崎・宜野座(ぎのざ)村・金武(きん)町・恩納(おんな)村・万座毛(まんざも)・ニライカナイ・ウンジャミ(またはウンガミ)・シヌグ

 国頭(くにがみ)村には、北端にカルスト地形が発達した辺戸(へど)岬の景勝地があり、中央には沖縄本島最高峰の与那覇(よなは)岳(498メートル)がそびえます。

 日本一の長寿村である大宜味(おおぎみ)村は、北部の脊梁山地から開析された隆起海食台地が海に迫る場所に位置します。村名は、近世以来の間切名によります。

 本部(もとぶ)町は、本部半島西部にあり、八重(やえ)岳(453メートル)などの山々が海岸に迫る山がちの地域で、備瀬(びせ)崎には昭和50(1975)年に開催された国際海洋博覧会の記念公園があります。町名は、近世以来の間切名によります。

 今帰仁(なきじん)村は、本部半島北部にあり、山がちの沖縄島北部の中では比較的に平地が多く、良港に恵まれています。三山鼎立時代には北山王が今帰仁城を居城とし、北部の政治、経済、文化の中心地でした。村名は、近世以来の間切名によります。

 伊江(いえ)村は、本部半島の西に浮かぶ平らな石灰岩台地からなる伊江島にあり、塔状に屹立する伊江島立塔(たっちゅう)と呼ばれる城(ぐすく)山(172メートル)があります。

 名護(なご)市は、本部半島の付け根に位置し、東シナ海側の西北部には屋我地(やがち)島が羽地内海を形成し、西南部には名護湾が開け、太平洋側の東部には辺野古(へのこ)崎があります。市名は、近世以来の間切名によります。

 宜野座(ぎのざ)村は、沖縄島中部東岸に位置し、昭和21(1946)年に金武(きん)村から分離した村で、村名は中心地区名によります。

 金武(きん)町は、沖縄島中部東岸に位置し、町名は、近世以来の間切名によります。

 恩納(おんな)村は、沖縄島中部西岸に位置し、万座毛(まんざも)ビーチなどの砂浜海岸が発達しています。村名は、近世以来の間切名によります。

 名護市以北の地域では、旧暦7月の盆のあとに「ニライカナイ(海上の他界)」から訪れる海神を迎える「ウンジャミ(またはウンガミ。海神祭)」が行われ、同北部の東海岸ではあわせて「シヌグ」と呼ばれる男性を遠ざけて女性達だけで行われる秘密の祭礼行事が行われることで知られます。

 この「へど」、「よなは」、「おおぎみ」、「もとぶ」、「やえ」、「びせ」、「なきじん」、「いえ」、「たっちゅう」、「なご」、「やがち」、「へのこ」、「ぎのざ」、「きん」、「おんな」、「まんざも」、「ニライカナイ」、「ウンジャミ(またはウンガミ)」、「シヌグ」は、

  「ヘ・ト」、HE-TO(he=a,an,wrong,erring,in trouble or difficulty;to=drag,openor shut a door or a window)、「醜悪な・(表面に)出入りの多い(凹凸が多いカルスト地形の。岬)」

  「イオ・ナ・ハ(ン)ガ」、IO-NA-HANGA(io=muscle,line,spur,lock of hair;na=belonging to;hanga=make,fashion,thing,head of a tree)、「樹木の頂上(頭)の・ような・峰(山)」(「ハ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「ハ」となった)

  「オ・ホ(ン)ギ・ミ」、O-HONGI-MI(o=the...of;hongi=smell,salute by pressing the noses together)、「海に対して・鼻を押さえて挨拶をしているような(海食台地の先端が浸食されて低くなっている)・場所(地域)」(「ホ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ホギ」となった)

  「モト・プ」、MOTO-PU(moto=strike with the fist;pu=heap,stack,bundle)、「拳骨で殴ったような(浸食された)・台地(地域)」

  「イア・アイ」、IA-AI(ia=indeed,current;ai=beget,procreate)、「実に・子を生んでいる(四方に尾根を伸ばしている。山)」(「アイ」のAI音がE音に変化して「エ」となった)

  「ピタイ」、PITAI(whakapitai=nibble)、「(歯で)少しづつ噛み切ったような(湾曲した海岸の先にある。岬)」(AI音がE音に変化して「ピテ」から「ビセ」となった)

  「ナキ・チノ」、NAKI-TINO(naki=glide,move with an even motion;tino=essentiality,reality,)、「本質的に・なだらかな(平地が多い。地域)」(「チノ」が「ジン」となった)

  「イエ」、IE((Hawaii)flat,braided,tapa beater)、「平らな(島)」または「(珊瑚礁の)組み紐で周囲を飾っている(島)」

  「タ・チウ」、TA-TIU(ta=the,dash,beat,lay;tiu=soar,wander)、「空に向かって・舞い上がっている(山)」

  「ナ・ア(ン)ゴ」、NA-ANGO(na=the...of,belonging to;ango=gape,be open)、「(海へ向かって)口を開いている・ような(湾。そこの地域)」(「ナ」のA音と、「ア(ン)ゴ」のNG音がG音に変化して「アゴ」となった語頭のA音が連結して「ナゴ」となった)

  「イ・ア(ン)ガ・チ」、I-ANGA-TI(i=beside,past tense;anga=driving force,thing driven,face or move in a certain direction,aspect,shell;ti=throw,cast)、「貝殻のような土地が・放り出されて・いる(島)」

  「ヘ・ノコ」、HE-NOKO(he=a,an,wrong,erring,in trouble or difficulty;noko=stern of a canoe)、「不整形の・カヌーの艫(船尾)のように端が高く反り上がっている(岬)」(男性のシンボル)と同じ語源と考えられます。)

  「(ン)ギ(ン)ギオ・タ」、NGINGIO-TA(ngingio=withered,shrivelled,wrinkled;ta=dash,beat,lay)、「皺が寄っている場所に・位置している(地域)」(「(ン)ギ(ン)ギオ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ギニオ」から「ギノ」となった)

  「キニ」、KINI(nip,pinch)、「(山と海に)挟まれて狭い(地域)」(「キニ」が「キン」となった)

  「オ・(ン)ガ(ン)ガ」、O-NGANGA(o=the...of,belonging to;nganga=breathe heavily or difficulty)、「息が苦しい・場所(山と海に挟まれて狭い。地域)」(「(ン)ガ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ナナ」なら「ンナ」となった)

  「マ(ン)ガ・タモエ」、MANGA-TAMOE(manga=branch of a tree or a river etc.;tamoe=press flat,smother)、「平らな・枝のように突き出た岬(その岬の側の砂浜)」(「マ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「マナ」から「マン」となり、「タモエ」のOE音がOU音に変化して「タモウ」から「ザモウ」となった)または「マヌ・タモエ」、MANU-TAMOE(manu=thousand,indefinitely large number;tamoe=press flat,smother)、「大きな・平らな(岬。その近くの砂浜)」(「マヌ」が「マン」となり、「タモエ」のOE音がOU音に変化して「タモウ」から「ザモウ」となった)

 「ニヒ・ラヒ・カノイ」、NIHI-RAHI-KANOI(nihi=come stealthly;rahi=great,abundant;kanoi=strand of a rope,position,trace one's descent)、「(大昔に)多くの人が・渡来してきた・その先祖(の国)」(「ニヒ」、「ラヒ」のH音が脱落して「ニ」、「ライ」となった)

  「ウ(ン)ガ・チア・ミヒ」、UNGA-TIA-MI(unga=place of arrival;tia=stick in,adorn by sticking in feathers;mihi=greet,admire)、「尊崇すべき・頭に羽根飾りをつけた(正装した)・(海から来訪する)海神が到着する浜辺(そこで行われる祭り)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」から「ウン」となり、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)または「ウ(ン)ガ・アミ」、UNGA-AMI(unga=place of arrival;ami=gather,collect)、「(人々が)集まる・(海から来訪する)海神が到着する浜辺(そこで行われる祭り)」(「ウ(ン)ガ」が「ウンガ」となり、その語尾のA音と「アミ」の語頭のA音が連結して「ウンガミ」となった)

  「チ・(ン)グ(ン)グ」、TI-NGUNGU(ti=throw,cast,overcome;ngungu=glance off,turn aside,ward off)、「(男性の)覗き見を・禁じて追い返す(行事)」(「(ン)グ(ン)グ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ヌグ」となった)

の転訛と解します。

 

(4)中頭(なかがみ)郡

 

a中頭(なかがみ)郡

 明治29年からの郡名で、沖縄本島中部と周辺離島の地域です。三山鼎立時代の中山の地域に相当します。おおむね現在の石川市、具志川市、沖縄市、宜野湾市、浦添市、中頭郡読谷村、嘉手納町、北谷町、勝連町、与那城町、北中城村、中城村、西原町の地域です。郡名は、王府時代から11間切(まぎり)に区切られていた時代からの呼称によります。

 この「なかがみ」は、

  「ナカ・(ン)ガミ」、NAKA-NGAMI(naka=move in a certain direction;ngami,whakangami=swallow up)、「(国頭郡へ)向かう途中にある・膨れて高くなっている(山地が多い。地域)」

の転訛と解します。

 

b美里(みさと)村・具志川(ぐしかわ)市・越来(ごえく)村・読谷(よみたん)村・勝連(かつれん)町・与那城(よなしろ)町・山原(やんばる)船

 石川(いしかわ)市は、金武(きん)湾に臨み、もと美里(みさと)村の一部が昭和20(1945)年に分離して市制を施行したもので、美里(みさと)は近世以来の間切名です。

 具志川(ぐしかわ)市は、北は金武(きん)湾に、南は中城(なかぐすく)湾に臨み、天願川や豊富な地下水・湧水に恵まれた地域で、市名は近世以来の間切名によります。

 沖縄(おきなわ)市は、中城湾に面し、昭和31(1956)年に越来(ごえく)村がコザ村となり、市制を施行、同49年に美里村と合併して沖縄市となったもので、越来(ごえく)は近世以来の間切名です。

 読谷(よみたん)村は、沖縄島中部西岸に位置し、東の読谷山岳(236メートル)を頂点に南側に緩やかに傾斜する丘陵地で、村名は近世以来の間切名「読谷山(ゆんたんざ)」によります。北部の長浜港は、14世紀には対明貿易、15世紀には南蛮貿易の中心地でした。

 勝連(かつれん)町は、沖縄島中部東岸の勝連半島の南側、与那城(よなしろ)町は勝連半島の北側に位置し、町名はいずれも近世以来の間切名「勝連(かつれん)」、与那城(よなぐすく)」によります。与那城町は、太平洋戦争以前は山原(やんばる)船を多数擁し、沖縄近海での海上輸送を大規模に行なっていました。

 この「みさと」、「ぐしかわ」、「ごえく」、「ゆんたんざ」、「かつれん」、「よなぐすく」、「やんばる」は、

  「ミ・タタウ」、MI-TATAU(mi=stream,river;tatau=settle down upon)、「(金武(きん)湾という)海辺に・位置している(地域)」(「タタウ」のAU音がO音に変化して「タト」から「サト」となった)

  「(ン)グツ・カワ」、NGUTU-KAWA(ngutu=lip,beak,mouth;kawa=channel,passage between rocks or shoals)、「川(天願川)の・河口の(地域)」(「(ン)グツ」のNG音がG音に変化して「グツ」から「グシ」」となった)または「クチ・カワ」、KUTI-KAWA(kuti=contract,pinch;kawa=channel,passage between rocks or shoals)、「川(天願川)の・(狭くなった)口にあたる場所(地域)」

  「(ン)ゴエ・ク」、NGOE-KU(ngoe,ngoengoe=scream,screech;ku=silent,wearied)、「騒動に・疲れ果てた(地域)」

  「イ・ウ(ン)ガ・タ(ン)ガタ(ン)ガ」、I-UNGA-TANGATANGA(i=beside,past tense;unga=place of arrival;tangatanga=loose,comfortable,free from pain)、「快適な(通商に支障がない)・船着き場(港)・の場所一帯(地域)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」から「ウン」と、「タ(ン)ガタ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「タナタ」から「タンザ」となった)

  「カ・ツ・レナ」、KA-TU-RANA(ka=take fire,be lighted,burn;tu=stand,settle;rena=stretch out,disturbed)、「(太平洋へ向かって)伸びている場所(半島)に・位置している・居住地(地域)」

  「イオ・ナ・クフ・ツク」、IO-NA-KUHU-TUKU(io=muscle,line,spur,lock of hair;na=brlonging to;kuhu=thrust in,insert,conceal;tuku=let go,leave,send,evade a blow)、「紐・のような(細長い。半島にある)・(敵の)攻撃を避けて・逃げ込む(施設。城。その城のある地域)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」から「グ」となった)

  「イアナ・パル」、IANA-PARU(iana=intensive;paru=deep,low)、「(荷物を積んで喫水が)実に・深い(船)」(「イアナ」が「ヤナ」から「ヤン」となった)

の転訛と解します。

 

c浦添(うらそえ(うらすい))市・浦添ようどれ・宜野湾(ぎのわん)市・普天間(ふてんま)・北谷(ちゃたん)町・エイサー

 浦添(うらそえ)市は、沖縄島南部西岸に位置し、那覇市に隣接し、市名は近世以来の間切名によりますが、「うらそえ(地元では「うらすい」といいます)」は「うらおそい(浦々を襲う。諸国を統治する)」の意とされ、古琉球の王権発祥の地であり、首里に王府が移転するまで王城の地として栄え、牧港(まきみなと)は12〜14世紀における琉球最大の貿易港でした。浦添城跡の北側断崖の中腹の洞窟内に英祖王および尚寧王の墓陵の「浦添ようどれ」があります。「ようどれ」は、「凪(なぎ)」の意で、「夕凪(ゆうとれ)」が「夕喪(ようとれ)」に転じたとする説があります。

 宜野湾(ぎのわん)市は、沖縄島南部西岸に位置し、移転が問題となっている米軍普天間(ふてんま)基地を抱える市で、市名は近世以来の間切名によります。

 北谷(ちゃたん)町は、沖縄島中部西岸に位置し、東半部は丘陵地、西半部は平坦な低地で、町名は近世以来の間切名によります。旧盆には三線・太鼓を鳴らし、歌を歌いながら家々を廻る盆踊りのエイサーが行われます。

 この「うらそえ(うらすい)」、「ようどれ」、「ぎのわん」、「ふてんま」、「ちゃたん」、「エイサー」は、

  「ウラ(ン)ガ・トエ」、URANGA-TOE(uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival;toe=be left as a remnant,divide)、「見捨てられた・船付き場(港。その地域)」または「ウラ(ン)ガ・ツイ」、URANGA-TUI(uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival;tui=pierce,thread on a string,sew)、「縫いつけられた(海岸にへばりついた)・船付き場(港。その地域)」(「ウラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ウラ」となった)

  「イ・オウ・トレ」、I-OU-TORE(i=past tense,beside;(Hawaii)ou=to lean on something,hide;tore=cut,split,shine,burn)、「分離して(別々に)・埋葬(隠す)を・した(墓陵)」

  「(ン)ギ(ン)ゴ・ワナ」、NGINGO-WANA(ngingo=riko=wane;wana=recoil,bent)、「(月が欠けるように)湾曲し・後退した海岸(湾に面した。地域)」(「(ン)ギ(ン)ゴ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ギノ」と、「ワナ」が「ワン」となった)

  「フ・テノ・マ」、HU-TENO-MA(hu=hill,promontory;teno=notched;ma=white,clean)、「起伏がある・清らかな・丘陵(地域)」

  「チア・タ(ン)ガ」、TIA-TANGA(tia=stick in,adorn by sticking in feathers;tanga=be assembled)、「羽根飾りを付けた(美しい)場所が・連なっている(地域)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「タン」となった)

  「エヒ・タハ」、EHI-TAHA(ehi=well!;taha=side,part,pass on one side)、「家から家を廻る・素晴らしい(行事)」(「エヒ・タハ」のH音が脱落して「エイ・タア」から「エイ・サア」となった)

の転訛と解します。

 

(5)島尻(しまじり)郡

 

a島尻(しまじり)郡

 明治29年からの郡名で、沖縄本島南部と周辺離島の地域です。三山鼎立時代の南山の地域に相当します。おおむね現在の那覇市、糸満市、島尻郡豊見城村、南風原町、与那原町、佐敷町、知念村、大里村、東風平町、玉城村、具志頭村、仲里村、座間味村、渡嘉敷村、粟国村、渡名喜村、伊平屋村、伊是名村、北大東村、南大東村の地域です。郡名は、王府時代から15間切(まぎり)(島嶼を除く)に区切られていた時代からの呼称によります。

 この「しまじり」は、

  「チマ・チリ」、TIMA-TIRI(tima=a wooden implement for cultivating the soil;tiri=throw or place one by one,scatter)、「堀り棒で耕作する場所(耕地)が・(広く)分布している(耕地が多い。地域)」

の転訛と解します。

 

b那覇(なは)市・安里(あさと)川・首里(しゅり)・国場(こくば)川・真和志(まわし)町・園比屋武御嶽(そのひやんうたき)・真珠(まだま)道・糸満(いとまん)市・サバニ・アギャー・摩文仁(まぶにが)丘・ヨリアゲ御嶽(うたき)・ハーリー(船)競争・南風原(はえばる)町・東風平(こちんだ)町・ジャーガル・佐敷(さしき)町・馬天(ばてん)港・知念(ちねん)村・斎場御嶽(せーふぁうたき)・久高(くだか)島・イザイホー

 那覇(なは)市は、沖縄島南部西岸、東シナ海に面する県庁所在都市で、河口に離島航路の泊(とまり)港があった安里(あさと)川と、同じく河口に首都首里(しゅり)の外港那覇(なは)港があった国場(こくば)川に挟まれた三角州を中心に発展しました。市名は、古くからの地名によりますが、「漁場(なば)」の意とする説があります。

 首里城の城門の一つ、守礼門の近く真和志(まわし)町(町名は近世以来の間切名によります。)に首里城の守護神を祀る園比屋武(そのひやん)御嶽(うたき)があります。守礼門を出て南に下ると、かつて首里城と島尻を結んだ主要道路である石畳の真珠(まだま)道があります。

 糸満(いとまん)市は、沖縄島の南西端に位置し、市名は近世以来の村名によります。旧糸満村は、漁業の町で、糸満漁夫は勇敢で知られ、昔から日本各地のみならず東南アジア各地に出漁して定住し、「サバニ」というくり舟と「アギャー」と呼ぶ独特の追い込み漁で活躍していました。市名は、白銀堂の側の泉から絹(イーチュー)、繭(マン)が出たから、「崎」の意、「イト(岬)・マン(磯、干瀬)」の意とする説があります。

 市南部の摩文仁(まぶにが)丘は、太平洋戦争終結の地でひめゆりの塔、健児の塔、各県の慰霊塔などが多く、沖縄戦跡国定公園となっています。

 旧暦5月4日に市内の海神を祀る白銀堂(古くは「ヨリアゲ御嶽(うたき)」といいました)に奉納するハーリー(船)競争が行われます。

 南風原(はえばる)町は、那覇市の南に接し、起伏のある丘陵地で、国場川とその支流に沿って沖積地があります。町名は近世以来の間切名によりますが、首里の南にある意とされます。

 東風平(こちんだ)町は、南風原町の南の内陸にあり、おおむね平坦な地形で、ジャーガルと呼ばれる泥灰岩の風化した肥沃な土壌に恵まれ、沖縄県屈指の農業地帯です。町名は近世以来の間切名によります。

 佐敷(さしき)町は、沖縄島南部の知念半島の北側、中城湾に面する町で、馬天(ばてん)港に拠って日本や中国との貿易で力を蓄え、琉球を統一した第一尚氏の本拠地です。町名は近世以来の間切名によります。

 知念(ちねん)村は、沖縄島南部の知念半島の南側、太平洋に面する町で、琉球で最高の聖地とされる斎場御嶽(せーふぁうたき)があります。斎場御嶽から見通される東の海上に昔琉球の創造神であるアマミキヨが降臨したと伝える久高(くだか)島があり、12年毎にイザイホーと呼ばれる神女昇格のための秘密の祭事が行われていましたが、昭和53(1978)年を最後に神女昇格の資格者が不在のため行われなくなりました。町名は近世以来の間切名によります。

 この「なは」、「あさと」、「しゅり」、「こくば」、「まわし」、「そのひやんうたき」、「まだま」、「いとまん」、「サバニ」、「アギャー」、「まぶにが」、「ヨリアゲうたき」、「ハーリー」、「はえばる」、「こちんだ」、「ジャーガル」、「さしき」、「ばてん」、「ちねん」、「せーふぁうたき」、「くだか」、「イザイホー」は、

  「ナハ」、NAHA((Hawaii)cracked,broken,to split)、「(他の場所から)遠く離れた・裂け目(湾のある場所。那覇港の前の海。その場所のある島)」または「ナ・アハ」、NA-AHA(na=the...of,belonging to;aha=open space,aperture)、「開けた・場所(地域)」(「ナ」のA音が「アハ」の語頭のA音と連結して「ナハ」となった)

  「アタ・ト」、ATA-TO(ata=gently,clearly,openly;to=drag,open or shut a door or a window)、「清らかな・(潮の干満に応じて)水位が上下する(川)」

  「チウ・リ」、TIU-RI(tiu=soar,wander,swift;ri=screen,protect,bind)、「高くそびえる・障壁(城壁)がある場所(地域)」

  「コクフ・パ」、KOKUHU-PA(kokuhu=insert,fill up gaps where plants have failed in a crop;pa=stockade)、「集落(と集落)の・隙間を埋めて流れる(川)」(「コクフ」のH音が脱落して「コク」となった)

  「マ・ワチ」、MA-WHATI(ma=white,clean;whati=be broken off short,be bent at an angle)、「清らかな・ほんの少しの(地面。土地)」

  「トノ・ヒア(ン)ガ・ウ・タキ」、TONO-HIANGA-U-TAKI(tono=bid,command,drive away by means of a charm;hianga=act of raising,vicious,deception;u=be fixed,reach its limit;taki=take out of the way,track,bring along,recite)、「(国王の外出に際して)最高のお祓いを・要求された・至高の・呪文を唱える(神を祀る)場所(聖地)」(「ヒア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒアナ」から「ヒヤン」となった)

  「マタムア」、MATAMUA(first,elder,fore of limbs)、「(首里城の城郭の)縁の前方に延びる(道路)」(UA音がA音に変化して「マタマ」から「マダマ」となった)

  「イ・タウ・マ(ン)ガ」、I-TAU-MANGA(i=beside,past tense;tau=come to rest,float,lie steeping in water;manga=branch of a tree or a river)、「枝(本村から離れた分村)を・(漁場先に)作って定住を・した(その慣習をもつ人々か住む。地域)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」と、「マ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「マナ」から「マン」となった)

  「タパニヒ」、TAPANIHI(go stealthly)、「静かに(軽快に)動き回る(船)」(H音が脱落して「タパニ」から「サバニ」となった)

  「ア(ン)ギ・アハ」、ANGI-AHA(angi=free,move freely,approach stealthly;aha=expressing warning)、「(魚群に)そっと近づいて・大きな音を立てる(網に追い込む。漁法)」(「ア(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「アギ」と、「アハ」のH音が脱落して「アア」となった)

  「マプ・ヌイ(ン)ガ」、MAPU-NUINGA(mapu=sob,sigh,shout,flow freely;nuinga=majority,larger part,people)、「殆どは・不規則な起伏が続く(丘)」または「悲しみ(嘆く)・人々が多い(丘)」(「ヌイ(ン)ガ」のUI音がI音に、NG音がG音に変化して「ニガ」となった)

  「イ・オリ・ア(ン)ガイ・ウ・タキ」、I-ORI-ANGAI-U-TAKI(i=past tense,indeed;ori=agitate,sway,bad weather,wind from a bad quarter;angai=north-north-west wind,on the west coast;u=be fixed,reach its limit;taki=take out of the way,track,bring along,recite)、「実に・悪天候(を鎮める)神を祀る・(沖縄島の)西岸にある・至高の・呪文を唱える(神を祀る)場所(聖地)」(「ア(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「アゲ」となった)

  「パハ・アリ」、PAHA-ARI(paha=attack;ari=clear,visible,appearance)、「(衆人環視の下での)公明正大な・競争」(「パハ」のP音がF音を経てH音に変化し、二番目のH音が脱落して「ハア」となった)

  「ハエ・パル」、HAE-PARU(hae=slit,tear,split;paru=mud,excrement,deep,crush)、「(国場川とその支流がつくる)裂け目がある・細粒の土壌の(土地。地域)」

  「コチ・(ン)ゴタ」、KOTI-NGOTA(koti=divide,cut off,cut across the path;ngota=fragment,particle)、「(他の地域から)切り離されている(ここだけに特別の)・細粒の土壌がある(地域)」(「(ン)ゴタ」のNG音がN音に変化して「ノタ」から「ンダ」となった)

  「チア(ン)ガ・ル」、TIANGA-RU(tianga=mat to lie on,a flax basket;ru=shake,scatter)、「(大地に)敷物を・敷き散らしたような(大地を覆っている。土壌)」(「チア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「チアガ」から「ジャーガ」となった)

  「タ・チキ」、TA-TIKI(ta=the...of,dash,beat,lay;tiki=fetch,proceed to do anything,go for a purpose)、「(日本や中国との貿易のために)外へ出て行く・場所(港がある。地域)」

  「パテ(ン)ギ」、PATENGI(storehouse or pit for sweet potato)、「甘藷の貯蔵穴のような(多数の船舶が停泊する。港)」(NG音がN音に変化して「パテニ」から「バテン」となった)

  「チ・(ン)ゲネ」、TI-NGENE(ti=throw,cast;ngene=wrinkle,fold,fat)、「折り畳まれた(岩が)・放り出されている(斎場御嶽が・そこにある。地域)」(「(ン)ゲネ」のNG音がN音に変化して「ネネ」から「ネン」となった)

  「テイ・フア」、TEI-HUA(tei,teitei=high,tall,summit;hua=section of land,screen from wind,raise with a lever)、「至高の・(周囲を囲った)場所(聖地)」

  「ク・タカ」、KU-TAKA(ku=silent;taka=fall off,fall away,heap)、「(昔創造神アマミキヨが)降臨した・静かな(島)」

  「イ・タイホウ」、I-TAIHOU(i=from,beside,beyond;taihou=stranger)、「部外者を・脱する(神女の資格を持たない部外者に・神女の資格を与える。儀式)」

の転訛と解します。

 

c久米(くめ)島(球美(くみ)島)・御願干瀬(うがんびし)・ 慶良間(けらま)列島・渡嘉敷(とかしき)島・座間味(ざまみ)島・伊平屋(いへや)島・伊是名(いぜな)島 久米(くめ)島は、那覇市の西100キロメートルに位置し、島尻郡仲里村および具志川村に属します。古くは球美(くみ)島、米(くみ)島と呼ばれ、琉球王府時代は琉球と中国を結ぶ航路の要衝でした。島の南西側および東側には珊瑚礁が発達し、とくに東側は12キロメートルにおよび御願干瀬(うがんびし)と呼ばれます。

  慶良間(けらま)列島は、那覇市の西30キロメートルに位置し、大小30余の島からなり、東部の渡嘉敷(とかしき)島を主島とし渡嘉敷村に属する前慶良間と、西部の座間味(ざまみ)島を主島とし座間味村に属する後慶良間に分かれています。

 伊平屋(いへや)伊是名(いぜな)諸島は、沖縄島の北西に位置し、7つの島ならなり、伊平屋(いへや)村および伊是名(いぜな)村に属します。伊平屋(いへや)島は山がちで細長く、伊是名(いぜな)島はほぼ円形で平らな島です。

 この「くみ」、「うがんびし」、「けらま」、「とかしき」、「ざまみ」、「いへや」、「いぜな」は、

  「クミ」、KUMI(kumikumi=beared)、「髭(ひげ)を立てている(東側に長い珊瑚礁がある。島)」(この「くみ」は、京都府熊野郡久美浜(くみはま)町の「くみ」と同じです。)

  「ウ・(ン)ガナ・ピチ」、U-NGANA-PITI(u=be fixed;ngana=be eagerly intent,persist,strong;piti=put side by side,add)、「しっかりと・定着している・(島の傍らに)付加された(浅瀬)」(「(ン)ガナ」のNG音がG音に変化して「ガナ」から「ガン」となった)

  「カイラムア」、KAIRAMUA(forestall removal of a mark to warn people against trespassing)、「(黒潮が洗う沖縄本島の前に位置して)先祓いをしているような(列島)」(AI音がE音に、UA音がA音に変化して「ケラマ」となった)

  「トカ・チキ」、TOKA-TIKI(toka=rock,firm;tiki=fetch,proceed to do anything,a personification of primeval man)、「石の・神像のような(島)」

  「タ・マミ(ン)ガ」、TA-MAMINGA(ta=the...of,dash,beat,lay;maminga=impose upon,beguile)、「人々を・だます(外側から見ると港がないように見えるが、内側から見ると船を付けるのに好適な入り江がある。島)」(「マミ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「マミ」となった)

  「イヘ・イア」、IHE-IA(ihe=garfish;ia=indeed)、「サヨリ(長いくちばしをもつ細長い魚)に・そっくりの(形の。島)」

  「イ・テ(ン)ガ」、I-TENGA(i=beside,past tense;tenga=Adam's apple,goitre,crop of a bird)、「鳥の砂袋のような(中膨れの)・場所一帯の(島)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「ゼナ」となった)

の転訛と解します。

 

(6)宮古(みやこ)郡

 

a宮古(みやこ)郡

 明治29年からの郡名で、宮古列島の全域を指し、おおむね現在の平良市、宮古郡下地町、上野村、城辺町、伊良部町、多良間村の地域です。

 郡名は、主島の宮古(みやこ)島によります。宮古島は、最高点の標高が109メートル(野原(のばる)岳)の低平な石灰岩の台地状をなし、北西から南東へ数条のカルスト地形の石灰岩堤が走る島で、古くから歌謡などに「みぁこ」、「みゃーこ」、「みゃーく」、「ぼらみゃーく」などと呼ばれ、「太平山」(『中山伝信録』)、「麻姑(まこ)山」(『中山世譜』、『球陽』)とも呼ばれてきました。

 この「みやこ」、「ボラミャーク」、「まこ」は、

  「ミヒ・イア・コ」、MIHI-IA-KO(mihi=greet,admire,show itself;ia=indeed,current;ko=a wooden implement for digging or planting)、「全く・掘り棒で掘られたような地形(カルスト地形)があることを・見せつけている(島=宮古島。その島を主とする諸島)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミイ」となり、その語尾のI音と、「イア」の語頭のI音が連結して「ミヤ」となった)

  「ポラ・ミヒ・アク」、PORA-MIHI-AKU(pora=large sea-going canoe,floor mat,a white stone,flat-roofed;mihi=greet,admire,show itself;aku=scrape out,cleanse)、「白い岩(石灰岩)の・(表面が)掻き削られていることを・見せつけている(島=宮古島)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミイ」となり、その語尾のI音と、「アク」の語頭のA音が連結して「ミヤク」から「ミャーク」となった)

  「マコ」、MAKO(peeled,stripped off)、「(上の)皮を剥いたような(島=宮古島)」

の転訛と解します。

 

b平良(ひらら)市・ピイサラ・狩股(かりまた)半島・池間(いけま)島・パーント神・八重干瀬(やえびし)・下地(しもじ)町・来間(くりま)島・与那覇(よなは)湾・東平安名(へんな)崎・赤マタ黒マタ・伊良部(いらぶ)島・多良間(たらま)島

 平良(ひらら)市は、宮古島の北部と大神・池間の2島を占め、島名は近世以来の間切名により、「平坦地」の意とする説があります。港に面した市街地の中心を平良(ピイサラ)といい、北西には細長く伸びて先端が二股になった狩股(かりまた)半島と、その先に宮古島と橋で結ばれた馬蹄形の池間(いけま)島があります。

 平良市島尻には、赤マタ・黒マタ(後出)に代わり、仮面を付けて自由奔放、神出鬼没に出現して祝福を与え、また悪人を懲らしめるパーント神が現れる秋の収穫感謝祭の行事があります。

 狩俣半島の北16キロメートルにはふだんは好漁場ですが、幻の大陸と呼ばれ、春秋の大潮の際には南北12キロメートル、東西7キロメートルにおよぶ広大な礁原が海上に姿を現し、旧暦3月3日には島民が潮干狩りを楽しむ八重干瀬(やえびし)があります。

 下地(しもじ)町は、宮古島の南西部と来間(くりま)島を占め、島名は近世以来の間切名により、宮古島の南の「下手(しもて)」の意とする説があります。町の西部には与那覇(よなは)湾が口を開けています。

 島の南東には、日本百景に選ばれた東平安名(へんな)崎が2キロメートルほど突出しています。

 宮古・八重山地方に伝わる豊年祭に、異境から到来して人々に祝福を与え、豊作を約束する仮面を付けた赤マタ・黒マタの神を送迎する行事があります。

 伊良部(いらぶ)島は、宮古島の西方7キロメートルにある楕円形で、石灰岩に覆われ、カルスト地形が発達した低平な島で、隣接する下地島とともに伊良部町に属します。島名は、古語「いらふ(緑豊かで美しいの意)」からとする説があります。

 多良間(たらま)島は、宮古島と石垣島の中間にあり、石灰岩に覆われた円形、低平な島で多良間村に属します。

 この「ひらら」、「ピイサラ」、「かりまた」、「いけま」、「パーント」、「やえびし」、「しもじ」、「くりま」、「よなは」、「へんな」、「マタ」、「いらぶ」、「たらま」は、

  「ヒ・ララ」、HI-RARA(hi=raise,rise;rara=rib(whakarara=mark in parallel lines))、「(北西に向かって)高くなっている・肋骨のような(数条のカルスト地形の石灰岩堤が走る。地域)」

  「ピヒ・タラ」、PIHI-TARA(pihi=cut,split,spring up;tara=point,peak of a mountain,papillae on the skin,side wall of a house)、「台地の端が・裂けている場所(土地)」(「ピヒ」のH音が脱落して「ピイ」となった)

  「カリ・マタ」、KARI-MATA(kari=dig,dig up;mata=deep swamp,eye(mataahi=spit for roasting)、「深い湿地を・掘ったような(半島)」または「掘って・先を二股にした(魚や肉を焼くための)串のような(半島)」

  「イケ・マ」、IKE-MA(ike=strike with a hammer or other heavy instrument;ma=white,clean)、「金槌で叩いた(湿地であった島の中央部を掘り込んで入り江にした)・清らかな(島)」

  「イア・アイ・ピチ」、IA-AI-PITI(ia=indeed,current;ai=beget,procreate;piti=put side by side,add)、「実に・次から次へと・子を生んでいる(四方に浅瀬を伸ばしている。浅瀬)」(「アイ」のAI音がE音に変化して「エ」となった)

  「チモ・チ」、TIMO-TI(timo=peck as a bird,prick with a pointed instrument;ti=throw,cast)、「鳥が嘴(くちばし)でついばんだような場所が・放り出されている(カルスト地形がある。場所。島)」(伊良部町の下地(しもじ)島には、石灰岩が浸食された通り池という二つの大きな池があり、海と繋がっています。)

  「クリ・マ」、KURI-MA(kuri=dog,any quadruped;ma=white,clean)、「犬のような形の(島に周囲に珊瑚礁が手足を伸ばしている)・清らかな(島)」

  「イオ・ナ・アハ」、IO-NA-AHA(io=muscle,line,spur,lock of hair;na=the...of,belonging to;aha=open space,aperture)、「(湾口に)紐(のような岬)がある・開けた・場所(湾)」(「ナ」のA音が「アハ」の語頭のA音と連結して「ナハ」となった)

  「ヘ(ン)ガ・ナ」、HENGA-NA(henga=circumstance of erring,the batten covering the outside of the joint between the body and the attached sides of the canoe,curve from keel to gunwale of a canoe;na=belongign to)、「カヌーの船腹のように・切り立った(岬)」(「ヘ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヘナ」から「ヘン」となった)

  「マタ」、MATA(face,eye)、「仮面(をつけた神。その神を送迎する行事)」

  「イラ・プ」、IRA-PU(ira=freckle,mole,life principle(whakaira=conceive,be pregnant;pu=tribe,bundle,heap,originate,foot of a mountain)、「そばかす(カルスト地形)が多い・(下地島の)根っこの(島)」または「荷物(下地島)を・抱え込んでいる(島)」

  「タラ・マ」、TARA-MA(tara=point,peak of a mountain,papillae on the skin,side wall of a house;ma=white,clean)、「清らかな・ニキビのような(島)」

の転訛と解します。

 

(7)八重山(やえやま)郡

 

a八重山(やえやま)郡

 明治29年からの郡名で、琉球諸島の南西端の八重山諸島を指し、石垣島、竹富島、小浜島、黒島、新城島、鳩間島、由布島、西表島、波照間島、与那国島、尖閣諸島などの諸島で、おおむね現在の石垣市、八重山郡竹富町、与那国町の地域です。

 郡名は、古くからの列島名によりますが、『おもろさうし』などでは「やへましま」、「やゑましま」、「やいま」と呼ばれました。

 この「やえやま」、「やへま(やゑま)」、「やいま」は、

  「イア・ヘ・イア・マ」、IA-HE-IA-MA(ia=indeed,current;he=wrong,erring,in trouble or difficulty;ma=white,clean)、「全く・(島と島の間または島内の首長間の)争いが絶えない・実に・清らかな(諸島)」または「イ・ハエ・イア・マ」、I-HAE-IA-MA(i=past tense,beside;hae=slit,tear,cut,split;ma=white,clear)、「(島と島とが)切り離されて・いる(それぞれ独立した特色を持っている)・実に・清らかな(諸島)」(「イ」のI音と、「ハエ」のH音が脱落した語頭のA音が連結して「ヤエ」となった)

  「イア・ヘマ」、IA-HEMA(ia=indeed,current;hema=empty,open,at peace,free from distractions or trouble)、「実に・平和な(争い事がない。諸島)」

  「イ・アイ・マ」、I-AI-MA(i=past tense,beside;ai=procreate,beget;ma=white,clean)、「子供(の島)を・生んでいる(小さな付属の島が多い。諸島)」(「イ」のI音と「アイ」のA音が連結して「ヤイ」となった)

の転訛と解します。

 

b石垣(いしがき(いしゃなぎ))島・於茂登(おもと)山・バンナ岳・竹富(たけとみ)島・コンドイ岬・西表(いりおもて)島・古見(こみ)岳・波照間(はてるま)森・テドウ山・内浦(うちうら)川・マリウドの滝・カンピラの滝・波照間(はてるま)島・イナマ崎・与那国(よなぐに)島・「ドナン」島・尖閣(せんかく)諸島

 石垣(いしがき)島は、八重山列島の主島で、尖閣諸島とともに石垣(いしがき)市に属します。島の主体部の北側に於茂登(おもと)山(526メートル)を最高峰とする山地が東西に連なり、南側には眺望の良いバンナ岳(230メートル)を最高位とする台地が広がります。市名は、近世以来の間切名によりますが、地元では石垣島を「イシャナギ島」といいます。

 石垣島の西、西表島との間にある竹富(たけとみ)島は、石灰岩で覆われた円形の低平な島で、周囲を珊瑚礁の堡礁(barrier reef)が囲んでいます。島の西部には、ゆるやかなカーブを描く砂浜にコンドイ岬があります。

 西表(いりおもて)島は、八重山諸島の中央にあり、沖縄島に次ぐ県下第2位の面積をもつ豊かな手つかずの自然が残された島で、古見(こみ)岳(470メートル)を最高峰とし、波照間(はてるま)森(447メートル)やテドウ山(442メートル)の山地の間の谷を県下最長の内浦(うちうら)川が流れ、上流には日本の滝百選に選ばれた幅20メートル、落差16メートルのマリウドの滝や、長さ200メートルにわたって小さな落差が続くカンピラの滝があります。島名は、「石垣島の最高峰於茂登(おもと)山より深奥にある島」、「西の顔または西の表」などの意とする説があります。竹富島、波照間島とともに竹富町に属します。

 波照間(はてるま)島は、西表島の南にある日本最南端の島です。石灰岩からなる楕円形の低平な島で、南部の海岸線には絶壁が連なります。島名は、「最果てのウルマ(珊瑚礁)」の意、台湾のボテルトバコ島(紅頭嶼)の「ボテル(沖の島)」から(金関丈夫)とする説があります。島の北西にイナマ崎があり、この付近の海は珊瑚礁が発達していないため、沖から直接浜に接岸できる唯一の場所となっています。

 与那国(よなぐに)島は、西表島の西にある日本最西端の島です。石灰岩からなる東西に長い楕円形の低平な島で、東端の海岸線には一直線の絶壁が続きます。島名は、方言では「ドナン」と呼ばれます。与那国(よなぐに)村に属します。

 尖閣(せんかく)諸島は、西表島の北にあり、石垣市に属する島です。

 この「いしがき」、「いしゃなぎ」、「おもと」、「バンナ」、「たけとみ」、「コンドイ」、「いりおもて」、「こみ」、「はてるまもり」、「テドウ」、「うちうら」、「マリウド」、「カンピラ」、「はてるま」、「いなま」、「よなぐに」、「ドナン」、「せんかく」は、

  「イチ・(ン)ガキ」、ITI-NGAKI(iti=small;ngaki=clear off weeds or brushwood,cultivate)、「少しばかり・耕地がある(場所。土地」(「(ン)ガキ」のNG音がG音に変化して「ガキ」となった)

  「イ・チア(ン)ガ・ア(ン)ギ」、I-TIANGA-ANGI(i=at,beside,upon,past tense;tianga=mat to lie on,a flax basket for holding karaka berries while coking in the earth-oven;angi=light air,free,float)、「(海の上に)漂っている・美味な食物を満たした籠(または敷物)を・載せている(島)」(「チア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「チアナ」から「シャナ」と、「ア(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「アギ」となった)

  「オモ・タウ」、OMO-TAU(omo,omoomo=gourd;tau=come to rest,float,be suitable,beautiful)、「美しい・瓢箪のような(山)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

  「パ(ン)ガ(ン)ガ」、PANGANGA(lean)、「(海へ向かって)傾斜している(山)」(NG音がN音に変化して「パナナ」から「バンナ」となった)

  「パハ・(ン)ゴト」、PAHA-NGOTO(paha=arrive suddenly,attack;ngoto=head)、「突然出現する・(仮面を付けた)頭(の神)」(「パハ」のH音が脱落して「パア」と、「(ン)ゴト」のNG音がN音に変化して「ノト」から「ント」となった)

  「タカイ・ト・ミヒ」、TAKAI-TO-MIHI(takai=wrap up,wrap round;to=drag,open or shut a door or a window;mihi=greet,admire,show itself)、「(堡礁(barrier reef)が島の)周囲に・引き回されていることを・見せつけている(島)」(「タカイ」のAI音がE音に変化して「タケ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「コノ・トイ」、KONO-TOI(kono=bend,curve,loop,knot;toi=tip,finger,toe)、「曲がった・指のような(岬。その近くの浜)」(「コノ」が「コン」となった)

  「イリ・オ・モテ」、IRI-O-MOTE(iri=be elevated on something,rest upon,hang;o=the...of;mote=suck,water)、「水が豊富な・場所で・高い山がある(島)」

  「コミ」、KOMI(bite,eat)、「浸食された(山)」

  「ハ・タイルア・マ・マウリ」、HA-TAIRUA-MA-MAURI(ha=what!;tairua=valley,depression;ma=white,clean;mauri=a timber valued for making canoes)、「何とすごい・谷がある・清らかな・カヌーを造るのに好適な樹木がある(山)」(「タイルア」のAI音がE音に変化し、語尾のAおとが脱落して「テル」と、「マウリ」のAU音がO音に変化して「モリ」となった)

  「テ・トウ」、TE-TOU(te=crack;tou=anus,posteriors)、「お尻の・割れ目(のような谷に臨む。山)」

  「ウチ・ウラ」、UTI-URA(uti=bite;ura=red,glow(uraura=angry,fierce))、「荒れ狂って・浸食する(川)」

  「マリウ・ト」、MARIU-TO(mariu=be favourably disposed towards;to=drag)、「気持ちよさそうに・引かれて落ちる(滝)」

  「カノ・ピラ(ン)ガ」、KANO-PIRANGA(kano=sort,kind,seed;piranga=in shoals)、「浅瀬の・部類に属する(滝)」(「カノ」が「カン」となり、「ピラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ピラ」となった)

  「ハ・タイルア・マ」、HA-TAIRUA-MA(ha=what!;tairua=valley,depression;ma=white,clean)、「何とすごい・絶壁がある・清らかな(島)」(「タイルア」のAI音がE音に変化し、語尾のA音が脱落して「テル」となった)

  「イナマタ」、INAMATA(formerly,immediately)、「(沖で本船からはしけに乗り換えたり、曲折した航路を辿ることなく)迅速に(接岸できる。浜。その浜の近くの岬)」(語尾の「タ」音が脱落して「イナマ」となった)

  「イオ・ナク・ヌイ」、IO-NAKU-NUI(io=muscle,line,spur,lock of hair;naku=dig,scratch;nui=large,many)、「(山の)尾根を・大きく・切り取った(島の東部に一直線の大きな断崖がある。島)」

  「ト(ン)ガ(ン)ガ」、TINGANGA(broken,raw)、「(島の東端が)ぶった切られている(島)」(NG音がN音に変化して「トナナ」から「ドナン」となった)

  「テ(ン)ガ・カク」、TENGA-KAKU(tenga=Adam's apple,goitre;kaku=scrape up,bruise)、「傷のある・喉ぼとけのような(島々からなる。諸島)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「セン」となった)または「テネ・カク」、TENE-KAKU(tene=be importunate;kaku=scrape up,bruise)、「しつこく・削った(島々からなる。諸島)」(「テネ」が「テン」から「セン」となった)(地名篇(その十五)の新潟県の(11)雑太郡の尖閣湾の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

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<修正経緯>

1 平成16年12月1日

 鹿児島県の(19)阿多郡の加世田市の別解釈を追加、(22)揖宿郡の別解釈を追加し、

 沖縄県の(7)八重山郡の尖閣諸島の別解釈を追加しました。

2 平成19年2月15日 

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

 

[おことわり] お陰様で日本全国の地名の概観を一応終えることができました。これまでに解説した地名は、47都道府県で全4,237件(地名4,145件、民俗語彙92件。若干の重複を含み、富士山神話、民俗学会報告の山岳地名、海岸地名など特集篇掲載分を除く。)に達しました。
 連載途中から『和名抄』記載の郡名すべての解釈を行うことに方針を改めたため、東北地方、近畿地方などでは多少未解釈の郡名が残りましたが、これらは次の機会に譲ることとしたいと考えています。

 

 

 

地名篇(その二十一)終わり

 
U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
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