地名篇(その十五)

(平成14-5-1書込み。24-4-1最終修正)(テキスト約37頁)


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 [ここでは『和名抄』所載の旧国名、旧郡名を主としてその地域の主たる古い地名などを解説し、その他はまたの機会に譲ることとします。]

 

<中部地方の地名(その1)>

  目 次

 

15 新潟県の地名
 

 越後(えちご)国(越(こし)国)頸城(くひき)郡親不知・子不知(青海(おうみ)町市振(いちぶり)・歌外波(うたとなみ))・糸魚(いとい)川市・姫(ひめ)川直江津(なおえつ)・関(せき)川・春日(かすが)山・妙高(みょうこう)山・火打(ひうち)岳・焼(やけ)山米(よね)山・福浦(ふくうら)八景・鯨波(くじらなみ)・松之(まつの)山町・松代(まつだい)町古志(こし)郡長岡(ながおか)市・蔵王堂(ざおうどう)・苧引形兜(おびきがたかぶと)城・栃尾(とちお)市・弥彦(やひこ)山・多宝(たほう)山三嶋(みしま)郡・刈羽(かりは)郡柏崎(かしわざき)市・鵜(う)川・鯖石(さばいし)川・西山町妙法寺(みょうほうじ)字草生水(くそうず)/魚沼(いおの)郡小千谷(おぢや)市・波多岐(はたき)荘(妻有(つまあり)荘)入広瀬(いりひろせ)村・破間(あぶるま)川・守門(すもん)岳・浅草(あさくさ)岳・駒ヶ(こまが)岳・中(なか)ノ岳・八海(はっかい)山・苗場(なえば)山蒲原(かむはら)郡新潟(にいがた)市・信濃(しなの)川・寄居(よりい)浜・関屋(せきや)浜・五十嵐(いがらし)浜・燕(つばめ)市沼垂(ぬたり)郡新発田(しばた)市・加治(かじ)川・聖籠(せいろう)町・水原(すいばら)町・阿賀野(あがの)川・瓢(ひょう)湖亀田(かめだ)町・鳥屋野(とやの)潟・白根(しろね)市・能代(のうだい)川・咲花(さきはな)温泉・「白(しろ)だし」・菅名(すがな)岳三条(さんじょう)市・大槻(おおつき)荘・見附(みつけ)市・刈谷田(かりやた)川石船(いはふね)郡村上(むらかみ)市・三面(みおもて)川・イヨボヤ(鮭)・海府(かいふ)浦・笹川流(ささかわながれ)・瀬波(せなみ)海岸・粟(あわ)島

 佐渡(さど)国羽茂(うも、はもち)郡小木(おぎ)町・大石(おおいし)港・赤泊(あかどまり)港雑太(さはた)郡・国中(くになか)平野海府(かいふ)海岸・尖閣湾(せんかくわん)・相川(あいかわ)町・鶴子(つるし)銀山・道遊の割戸(どうゆうのわれと)・真野(まの)町賀茂(かも)郡弾(はじき)崎・夷(えびす)港・ドンデン山・タダラ峰
 

16 富山県の地名
 

 越中(えっちゅう)国礪波(となみ)郡小矢部(おやべ)川・庄(しょう)川・宝達(ほうだつ)丘陵・石動(いするぎ)・倶利伽羅(くりから)峠・井波(いなみ)町・城端(じょうはな)町・垣入(かいにょ)射水(いみづ)郡氷見(ひみ)市・布勢(ふせ)の水海・十二町(じゅうにちょう)潟・「ハダユ」田・有磯(ありそ)海・雨晴(あまはらし)海岸・関野(せきの)・伏木(ふしき)・放生津(ほうじょうづ)潟・奈古(なご)の海・亘理(わたり)湊婦負(ねひ。めひ)郡井田(いだ)川・久婦須(くぶす)川・八尾(やつお)町・越中おわら節新川(にふかは)郡富山(とやま)市・神通(じんづう)川・常願寺(じょうがんじ)川・呉羽(くれは)丘陵滑川(なめりかわ)市・魚津(うおづ)市・美女平(びじょだいら)・弥陀(みだ)ケ原・称名(しょうみょう)川(滝)・室堂(むろどう)平・立(たて)山・雄(お)山・大汝(おおなんじ)峰・剱(つるぎ)岳黒部(くろべ)川・十字(じゅうじ)峡・宇奈月(うなづき)温泉・入善(にゅうぜん)町・五竜(ごりゅう)岳・鹿島槍ケ(かしまやりが)岳・針ノ木(はりのき。はりのけ)岳・爺ケ(じいが)岳・蓮華(れんげ)岳

17 石川県の地名

 加賀(かが)国江沼(えぬま)郡柴山(しばやま)潟・片山津(かたやまづ)温泉・動橋(いぶりはし)川・大聖寺(だいしょうじ)川能美(のみ)郡手取(てどり)川・比楽(ひらか)河(湊)・白山(はくさん・しらやま)・御前(ごぜん。ごぜんが)峰・剣ケ(けんが)峰・翠ケ(みどりが)池・木場(きば)潟・今江(いまえ)潟・那谷(なた)寺・安宅(あたか)関石川(いしかは)郡鶴来(つるぎ)町・金剱(かなつるぎ)宮・白山本宮加賀馬場(ばんば)・獅子吼(ししく)高原・金沢(かなざわ)市・犀(さい)川・浅野(あさの)川・小立野(こだつの)台地加賀(かが)郡(河北(かほく)郡)河北(かほく)潟(蓮(れん)湖・大清(たいせい)湖)・内灘(うちなだ)町・宇ノ気(うのけ)町内日角(うちひすみ)・津幡(つばた)町

 能登(のと)国羽咋(はくひ)郡邑知(おうち)潟(千路(ちじ)湖・菱(ひし)湖・大蛇(おろち)湖)・宝達(ほうだつ)山・志雄(しお)町・之乎路(しおじ)・気多(けた)神社・富来(とぎ)町(荒木(あらき)郷)・福良(ふくら)・能登金剛(のとこんごう)・巌門(がんもん)の洞窟能登(のと)郡・鹿島(かしま)郡七尾(ななお)市・所口(ところぐち)・和倉(わくら)温泉(湧浦(わくうら))・能登島(蝦夷(えぞ)島)・屏風(びょうぶ)崎・石動(せきどう。いするぎ)山・中島町・熊木(くまき)・熊甲(くまかぶと)宮・枠旗(わくはた)行事鳳至(ふきし。ふけし)郡穴水(あなみず)町・宇出津(うしつ)・真脇(まわき)・輪島(わじま)市・白米(しらよね)・曽々木(そそぎ)・舳倉(へくら)島・間垣(まがき)珠洲(すす)郡緑剛(ろっこう)崎・見附(みつけ)島・内浦(うちうら)町・恋路(こいじ)海岸・九十九(つくも)湾

18 福井県の地名

 越前(えちぜん)国敦賀(つるが)郡愛発(あらち)関・疋田(ひきだ)・気比(けひ)神宮・常宮(じょうぐう。つねのみや)神社・気比(けひ)の松原・金ケ崎(かねがさき)城跡・杉津(すいづ)丹生(にふ)郡越知(おち)山・六所(ろくしょ)山・呼鳥門(こちょうもん)・鳥糞(とりくそ)岩・干飯(かれい)崎・武生(たけふ)盆地・鉢伏(はちぶせ)山・木の芽(きのめ)峠・栃ノ木(とちのき)峠今立(いまたち)郡日野(ひの)川(山)・鯖江(さばえ)市・白鬼女(しらきじょ)の渡し足羽(あすは)郡・吉田(よしだ)郡福井(ふくい)市(北ノ庄(きたのしょう))・一乗谷(いちじょうだに)・道守(ちもり)荘・糞置(くそおき)荘・九頭竜(くずりゅう)川・志比(しひ)谷(荘)・鳴鹿(なるか)の渡大野(おほの)郡油坂(あぶらざか)峠・能郷(のうご)白山・温見(ぬくみ)峠・屏風(びようぶ)山・平家(へいけ)岳・牛ケ原(うしがはら)坂井(さかい)郡三国(みくに)湊・東尋坊(とうじんぼう)・芦原(あわら)町・北潟(きたがた)湖・金津(かなづ)・細呂木(ほそろぎ)

 若狭(わかさ)国遠敷(おにゆう)郡小浜(おばま)市・内外海(うちとみ)半島・蘇洞門(そとも)・久須夜ケ岳(くすやがだけ)・多田ケ岳(ただがだけ)・竜前(りゆうぜん)・鵜瀬(うのせ)・太良(たら)荘・熊川(くまがわ)大飯(おほい)郡大島(おおしま)半島・内浦(うちうら)湾・音海(おとみ)断崖・青葉(あおば)山・青(あお)郷・青戸(あおと)の入江三方(みかた)郡常神(つねがみ)半島・久々子(くぐし)湖・日向(ひるが)湖・菅(すが)湖・水月(すいげつ)湖・三方(みかた)湖・梅丈(ばいじょう)岳・彌美(みみ)郷

<修正経緯>

<中部地方の地名(その1)>

 

15 新潟県の地名

 

(1)越後(えちご)国

 

 新潟県は、古くは越後(えちご)国および佐渡(さど)国でした。

 越後国は、東は出羽国・陸奥国、南は上野国、西は越中国・信濃国に接し、北は日本海・佐渡国に面します。古くは、越(こし)国(『日本書紀』は「越」、『古事記』は「高志」と記します)の一部で、久比岐・高志深江の2国造が崇神朝に、高志国造が成務朝に任命されたと伝えられます。越国が越前・越中・越後の3国に分かれたのは天武天皇12年から持統天皇6年の間とされ、当初の越後国は阿賀野川から北の沼垂郡、磐船郡の地域でしたが、大宝2(702)年に頸城、古志、魚沼、蒲原の4郡が越中国から編入され、和銅5年に同元年に建てられた出羽郡を越後国から分離して出羽国を建てています。なお、天平15年から天平勝宝4年までの間、佐渡国が越後国に編入されています。また、貞観13年以前に古志郡から三嶋郡が分かれています。

 『和名抄』は、「古志乃三知乃之利(こしのみちのしり)」と訓じます。

 「越(こし)国」については、「(角鹿の)坂を越した国」とする説、「久志(くし。国栖の別称)」から、「クシ(アイヌ語で「海を越えて渡ってきた人=アイヌの旧称」の意)の転」から、「朝鮮半島・大陸から船で物を運んで越してきた地」などの説があります。

 この「こし」は、

  「コチ」、KOTI(cut in two,divide,cut off)、「(出雲国から)分かれた(国)」

の転訛と解します。

 ここで「出雲国から分かれた」と解するのは、記紀神話にある須佐之男命の「高志之八俣遠呂智(こしのやまたのおろち)」退治伝説、大国主命と「高志国之沼河比売(こしのくにのぬなかはひめ)」の結婚説話、『出雲国風土記』の高志(こし)国から三穂(みほ)埼を引いたとする説話、出雲国美保(みほ)神社の本来の祭神は能登国須須(すす)神社の祭神と同じで大国主命と沼河比売の子である美穂須須見(みほすすみ)神であるとする伝承、能登国一宮の気多(けた)神社の祭神大己貴(おおなむち)命は出雲から来臨して能登を平定したとする伝承や、四隅突出型方形墳の分布など出雲国と越国との関連が極めて濃いことによるものです。

 

(2)頸城(くひき)郡

 

a頸城(くひき)郡

 古代からの郡名で、県の南西部に位置し、北西は日本海、南と西の信濃国・越中国との境は高い山岳地帯で、中央部には関川(荒川)が流れて平野を形成します。おおむね現在の西頸城郡、糸魚(いとい)川市、中頸城郡、上越市、新井市、柏崎市の西部(米山を含む区域)、東頸城郡の地域です。古くは頸城、古志、魚沼、蒲原の4郡は越中国に属していましたが、大宝2(702)年に分けて越後国に編入されました。

 『和名抄』は、「久比支(くひき)」と訓じます。「国引き」の略とする説、「コシ(腰)に対するクビ(頚)の意」とする説、「クイキ(杭柵。杭を立てて柵を作り、蝦夷の侵入を防いだ地)」とする説、「クビ(くびれた地)・キ(接尾語)」または「ク(接頭語)・ヒキ(ヒク。低湿地)」の意とする説があります。

 この「くひき」は、

  「クピ・キ」、KUPI-KI(kupi,kukupi=shrivelled up;ki=full,very)、「(おおむね北東から南西に連なる魚沼丘陵・東頸城丘陵の)山々がしっかりと・捻じ上げられている(山並みの方向と山容を変えて飛騨山脈北部・筑摩山地北部の山々となっている。地域)」

の転訛と解します。

 

b親不知・子不知(青海(おうみ)町市振(いちぶり)・歌外波(うたとなみ))・糸魚(いとい)川市・姫(ひめ)川

 県の西端に飛騨山脈の北縁が300〜400メートルの急崖となって日本海に落ち込む場所(西頸城郡青海(おうみ)町市振(いちぶり)から歌外波(うたとなみ)までの間)があり、波打ち際の波間を親子が互いに相手を顧みる間もなしに駆け抜けなければならないところから親不知・子不知(おやしらず・こしらず)といわれ、古くから北陸道の最大の難所といわれました。

 糸魚(いとい)川市は、姫(ひめ)川下流一帯を占める市で、フォッサ・マグナ(大地溝帯)の上にあり、市名は中世からの姫川下流の地名によります。信濃への千国街道(塩の道)の起点です。

 この「おうみ」、「いちぶり」、「うたとなみ」、「いとい」、「ひめ」は、

  「アウ・フミ」、AU-HUMI(au=firm,intense;humi=abundant)、「急崖(絶壁)が・ずっと続いている(土地)」(「フミ」のH音が脱落して「ウミ」となった)(地名篇(その十三)の山口県の(12)のb青海島の項を参照してください。)

  「イ・チプ・リ」、I-TIPU-RI(i=beside;tipu=swelling,lump;ri=screen,protect,bind)、「膨らんだ・障碍物(膨らんだ山が海にせり出して交通を妨げている)の・あたり一帯(の場所)」

  「ウタ・タウ(ン)ガ・ミ」、UTA-TAUNGA-MI(uta=the land,put persons or goods on board a canoe;taunga=resting place for canoe;mi=strem,river)、「人や貨物を積み卸しする・船の停泊場所の・川(河口)がある(場所)」(「タウ(ン)ガ」のAU音がO音に、NG音がN音に変化して「トナ」となった)

  「イ・トイ」、I-TOI(i=beside;toi=move quickly,encourage)、「勢い良く流れる・川のそば(の地域)」

  「ヒヒ・マイ」、HIHI-MAI(hihi=feelers of crayfish,long plumes ornamenting bow of a war-canoe,thin roots from the root of a plant;mai=to indicates direction or motion towards)、「触角(または細い根)を・上へ上へと伸ばしているような(川)」(「ヒヒ」の反復語尾の「ヒ」が脱落して「ヒ」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

の転訛と解します。

 

c直江津(なおえつ)・関(せき)川・春日(かすが)山・妙高(みょうこう)山・火打(ひうち)岳・焼(やけ)山

 直江津(なおえつ)は、古代の越後国府の所在地とされる関(せき)川河口の港町で、『廻船式目』に三津七湊の一つとして記されます。旧高田市の北西部には一時期上杉謙信の居城であった春日(かすが)山城があります。

 中頸城郡妙高村、妙高高原町にまたがって越後富士と称される秀麗な二重式火山の 妙高(みょうこう)山(2,454メートル)があります。山名は、仏典の須弥山(しゅみせん)を妙高山ということにちなむとされます。また、火打(ひうち)山(2,462メートル)、焼(やけ)山(2,400メートル)とともに頸城三山と呼びます。

 この「なおえつ」、「せき」、「かすが」、「みょうこう」、「ひうち」、「やけ」は、

  「ナ・ホエ・ツ」、NA-HOE-TU(na=by,belonging to;hoe=push away with the hands,convey by canoe,travel in a boat;tu=stand,settle)、「まるで・両手で押し出すような・もの(川。左右から支流が合流する川)がそこにある(場所)」

  「タイキ」、TAIKI(rib,anything of wicker-work)、「肋骨のような(左右から支流を合流する。川)」(AI音がE音に変化して「テキ」から「セキ」となった)

  「カ・ツ(ン)ガ」、KA-TUNGA(ka=take fire,be lighted,burn;tunga=circumstance of standing,site,circumstance of being wounded,decayed tooth)、「傷がある(急崖があって攻め難い)・居住地である(山)」(「ツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ツガ」から「スガ」となった)

  「ミオ・コウ」、MIO-KOU((Hawaii)mio=to move swiftly;narrow,pointed,tapering;kou=knob,stump)、「流れるような(秀麗な山容を持つ)・瘤のような(山)」

  「ヒ・ウチ」、HI-UTI(hi=arise,rise;uti=bite)、「高い・(一方を)食いちぎられた(山)」

  「イ・アケ」、I-AKE(i=beside,ferment,be stirred;ake=indicating immediate continuation in time,forthwith,from below,upwards)、「(煙が)湧き・上がり続けている(山)」

の転訛と解します。

 

d米(よね)山・福浦(ふくうら)八景・鯨波(くじらなみ)・松之(まつの)山町・松代(まつだい)町

 県の中南部、柏崎市と中頸城郡柿崎町の境に米(よね)山(993メートル)があります。東頸城丘陵の北西端にある孤立峰で、山頂には広く信仰を集める米山薬師があり、日本海側は急崖をなして福浦(ふくうら)八景の景勝地となっています。その範囲の中に海水浴場として知られる鯨波(くじらなみ)があります。

 東頸城郡松之(まつの)山町は古くは松代(まつだい)町とあわせて松之山郷と呼ばれ、豪雪と地滑り地帯としてよ有名です。

 この「よね」、「ふくうら」、「くじらなみ」、「まつの」、「まつだい」は、

  「イオ・ネヘ」、IO-NEHE(io=muscle,line,spur,lock of hair;nehe=rafter of a house)、「四方に垂木(尾根)を伸ばしている・峰をもつ(山)」(「ネヘ」のH音が脱落して「ネ」となった)

  「フク・ウラ(ン)ガ」、HUKU-URANGA(huku=tail;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「(米山の尾根の)尻尾の・堅固な(奇岩怪石がある。場所)」(「ウラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ウラ」となった)

  「クフ・チラ・(ン)ガミ」、KUHU-TIRA-NGAMI(kuhu=insert,conceal,cookin shed;tira=row,fn of fish,rays;ngami,whakangami=swallow up)、「鰭を・隠した(白波が立たない。静かな)波を・吸い込む(海岸。穏やかな波が打ち寄せる海岸)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「(ン)ガミ」のNG音がN音に変化して「ナミ」となった)(この「クフ・チラ」は、「鰭を・隠した(魚。鯨)」と同じ語源です。)

  「マツヌ」、MATUNU(skin disease)、「皮膚病を患っている(地すべりが多い。山。その山をふくむ地域)」

  「マツ・タイ」、MATU-TAI(matu=fat,cut,cut in pieces;tai=tide,wave,anger)、「(土地を)粉々にする・地滑りの波(がある。土地。地域)」

の転訛と解します。

 

(3)古志(こし)郡

 

a古志(こし)郡

 古代からの郡名で、県の中央部、信濃川の中流域とその日本海側に位置し、おおむね現在の長岡市、見附市の南部、栃尾市、小千谷市の北部、古志郡山古志村、三島(さんとう)郡(越路町の南部を除く)、西蒲原郡岩室村の西部の一部の地域です。古くは頸城、古志、魚沼、蒲原の4郡は越中国に属していましたが、大宝2(702)年に分けて越後国に編入されました。当初は三嶋郡(現在の刈羽郡、柏崎市)を含む地域でしたが、平安中期の貞観13年以前に三嶋郡を分離し、江戸中期に三嶋郡は刈羽郡となり、古志郡から三島郡を分離しています。

 この「こし」は、国名とはやや違い、

  「コチ」、KOTI(cut in two,divide,cut off)、「(周囲の郡から)切り離された(郡。地域)」

の転訛と解します。((1)越後国の項の「越国」を参照してください。)

 

b長岡(ながおか)市・蔵王堂(ざおうどう)・苧引形兜(おびきがたかぶと)城・栃尾(とちお)市・弥彦(やひこ)山・多宝(たほう)山

 長岡(ながおか)市は、越後平野の南部、信濃川の扇状地の上にある交通の要衝です。市名は、市域に長く小高い所が続いていたからとされます。中世に、信濃川の河岸の要衝の蔵王堂(ざおうどう)に砦が築かれ、江戸時代には堀氏から牧野氏が苧引形兜(おびきがたかぶと)城と呼ばれる長岡城を築き、城下町を整備しています。

 長岡市の東、魚沼丘陵と守門岳北西斜面にまたがって栃尾(とちお)市があります。

 越後平野の西端に、弥彦(やひこ)山(638メートル)がそびえます。米山とともに古くからの海上交通の目標とされました。北の角田(かくた)山(482メートル)、多宝(たほう)山(634メートル)などとともに小山塊をなし、全山が東麓の越後国一宮の弥彦(いやひこ)神社の境内です。

 この「ながおか」、「ざおうどう」、「おびきがたかぶと」、「とちお」、「やひこ」、「かくた」、「たほう」は、

  「ナ・(ン)ガ・アウカハ」、NA-NGA-AUKAHA(na=by,belonging to;nga=satisfied,breathe;aukaha=lash the bulwark to the body of a canoe)、「ゆったりと・している・周囲に塁壁を巡らしたような岡(がある。地域)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」と、「アウカハ」のAU音がO音に変化し、H音が脱落して「オカ」となった)

  「タオ・フ・トウ」、TAO-HU-TOU(tao=spear;hu=hill;tou=dip into water)、「槍のような(細長い)・岡が・水に浸かっている(場所)」(「フ」のH音が脱落して「ウ」となった)

  「オ・ピキ(ン)ガ・タカ・プトイ」、O-PIKINGA-TAKA-PUTOI(o=the...of;pikinga=ascent of a hill etc.;taka=heap,lie in a heap;putoi=tie in a bunch,adorn with a bunch of anything)、「高台の・斜面に・櫓、塀、城壁や建物を建て連ねた(城)」(「ピキ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ピキガ」から「ビキガ」と、「プトイ」の語尾の「イ」が脱落して「プト」から「ブト」となった)

  「トチ・オフ」、TOTI-OHU(toti=limp,halt;ohu=beset in great numbers,surround,stoop)、「あまり高くない丘陵が・密集している(場所)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」から「オ」となった)

  「イア・ヒ・コウ」、IA-HI-KOU(ia=indeed,current;hi=raise,rise;kou=knob,stump)、「実に・高くそびえている・瘤のような(山)」(なお、弥彦神社の「やひこ」は、「イア・ヒ・コ」、IA-HI-KO(ia=indeed,current;hi=raise,rise;ko=adressing males and girls)、「実に・高い地位にある・男子(の神を祀る神社)」かも知れません。)

  「カク・タ」、KAKU-TA(kaku=scrape up,scoop up,bruise;ta=dash,beat,lay)、「(土砂を)積み上げて・ある(山)」

  「タ・ホウ」、TAHO-U(taho=yielding,weak;u=breast of a female)、「しなびた・乳房のような(山)」

の転訛と解します。

 

(4)三嶋(みしま)郡

 

a三嶋(みしま)郡(刈羽(かりは)郡)

 古代からの郡名で、県の中央部、古志郡と頸城郡に挟まれた地域で、おおむね現在の刈羽郡、柏崎市(西部の一部の区域を除く)、三島(さんとう)郡越路町の南部の地域です。古くは古志郡に属し、頸城、魚沼、蒲原郡とともに越中国に属していましたが、大宝2(702)年に分けて越後国に編入されました。平安中期に古志郡から三嶋郡が分離し、江戸中期に三嶋郡は刈羽(かりは)郡となり、古志郡から三島(さんとう)郡を分離しています。

 『和名抄』は、「美之末(みしま)」と訓じます。「ミ(尊称)・シマ(島)」の意とする説などがあります。

 この「みしま」、「かりは」は、

  「ミチ・マ」、MITI-MA(miti=lick up,undertow of surf,backwash;ma=white,clear)、「(日本海の)波が岸を洗う・清らかな(地域)」

  「カリ・ワ」、KARI-WA(kari=dig,wound,rush along violently;wa=definite space,area)、「(日本海の)波が岸を浸食する・場所(地域)」

の転訛と解します。

 

b柏崎(かしわざき)市・鵜(う)川・鯖石(さばいし)川・西山町妙法寺(みょうほうじ)字草生水(くそうず)

 柏崎(かしわざき)市は、米山北東麓にあり、市街地は鵜(う)川河口に臨み、鯖石(さばいし)川との間の海岸砂丘に立地しています。中世以来北陸道の宿場町、港町として、近世には佐渡の金の輸送路の宿駅として栄えました。市名は中世以来の地名によります。

 柏崎平野北端の西山町は、西山丘陵の南西に位置し、明治末から昭和初期にかけて日本最大の西山油田があったところです。古くから石油の存在が知られ、妙法寺(みょうほうじ)は「燃える水」を天智天皇に献上(天智紀7年7月条)した地で、草生水(くそうず)の地名が残ります(ほかに新津市草水(くそうず)町、北蒲原郡黒川村の古地図に久佐宇津(くさうづ)、同郡安田町草水(くそうず)、長岡市草生津(くそうづ。この津は港か)などがあります)。

 この「かしわざき」、「う」、「さばいし」、「みょうほうじ」、「くそうず」は、

  「カチ・ワ・タキ」、KATI-WA-TAKI(kati=prevent,shut of a passage,barrier,bite;wa=definite space,area;taki=take to one side,take out of the way,track,tow with a line from the shore)、「船を岸から綱で引き上げるために・通路を塞いで遠回りしなければならない・場所」

  「ウ」、U(bite,be fixed,reach the land)、「(土地を)浸食する(川)」

  「タパヒ・チ」、TAPAHI-TI(tapahi=cut,chop,grin;ti=throw,cast,overcome)、「(土砂を)切り取って・放り投げる(堆積させる。川)」(「タパヒ」のH音が脱落して「タパイ」から「サバイ」となった)

  「ミ・オウ・ホウ・チ」、MI-OU-HOU-TI(mi=stream,river;ou=few;hou=bind,force downwards of under(houhou=dig up,peck holes in drill);ti=throw,cast,overcome)、「珍しい・水(原油)を・地下に・包蔵している(場所)」または「珍しい・水(原油)を・地下から汲み出す穴が・あたりに在る(場所)」

  「クタ・ウツ」、KUTA-UTU(kuta=encumbrance;utu=return for anything,make response,dip up water)、「始末に困る邪魔物(臭い原油)を・汲み出す(場所)」(地名篇(その六)の群馬県の(17)草津の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

(5)魚沼(いおの)郡

 

a魚沼(いおの)郡

 古代からの郡名で、県の南部、古志郡、三嶋郡の南に位置し、郡の中央に魚野川と信濃川に挟まれた魚沼丘陵が南北に走ります。おおむね現在の北魚沼郡、南魚沼郡、中魚沼郡、十日町市、小千谷市の南部の地域です。古くは頸城、古志、魚沼、蒲原の4郡は越中国に属していましたが、大宝2(702)年に分割されて越後国に編入されました。

 『和名抄』は、「伊乎乃(いおの)」と訓じます。「魚の川」から、「大野」から、「五百沼」からとする説、「イ(接頭語)・ヲ(接頭語)・ノ(野)」の意とする説があります。

 この「いおの」は、

  「イホ・ノホ」、IHO-NOHO(iho=lock of hair,heart,kernel;noho=sit,stay,settle)、「髷(まげ。またはみづら)のような丘陵が・横たわっている(地域。そこを流れる川)」(「イホ」、「ノホ」のH音が脱落して「イオ」、「ノオ」から「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

b小千谷(おぢや)市・波多岐(はたき)荘(妻有(つまあり)荘)

 小千谷(おぢや)市は、県のほぼ中央、信濃川が山地から越後平野へ流れ出る地点にあり、市名は『和名抄』の千屋(ちや)郷にちなみます。

 十日町市は、魚沼丘陵の西側、信濃川の流れる谷にあり、その市名は十日ごとに市が立つたことによりますが、ほぼ現在の十日町市と中魚沼郡全域は中世に波多岐(はたき)荘(『吾妻鏡』文治2(1186)年条)と呼ばれ、のちに妻有(つまあり)荘と呼ばれました。

 この「おぢや」、「はたき」、「つまあり」は、

  「オ・チ・イア」、O-TI-IA(o=the...of;ti=throw,cast,overcome;ia=current,rushing stream,indeed)、「川の流れが・(狭い谷から平野へ)放り出される・場所(谷口にある。土地)」

  「パタ・キ」、PATA-KI(pata=drop of water etc.,seed,fruit;ki=full,very)、「降雪が・多い(地域。そこにある荘園)」(「パタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタ」となった)

  「ツ・マ・アリ」、TU-MA-ARI(tu=stand,settle;ma=white,clear;ari=clear,white,appearance,fence)、「見渡す限り・真っ白に・(雪が)積もっている(地域。そこにある荘園)」

の転訛と解します。

 

c入広瀬(いりひろせ)村・破間(あぶるま)川・守門(すもん)岳・浅草(あさくさ)岳・駒ヶ(こまが)岳・中(なか)ノ岳・八海(はっかい)山・苗場(なえば)山

 魚沼丘陵の東側には、北魚沼郡入広瀬(いりひろせ)村にある守門(すもん)岳(1,537メートル)、浅草(あさくさ)岳(1,585メートル)などを水源とする破間(あぶるま)川が流れて魚野川、次いで信濃川と合流します。

 その南には、信仰の山、修験の霊場として知られる駒ヶ(こまが)岳(2,003メートル)、中(なか)ノ岳(2,085メートル)、八海(はっかい)山(1,654メートル)の越後三山(魚沼三山とも)があり、谷川連峰とともに豪快、峻険なアルペン的山容で知られます。

 南魚沼郡湯沢町、中魚沼郡津南町、長野県下水内郡栄村にまたがって苗場(なえば)山(2,145メートル)があり、その東には苗場国際スキー場があります。

  この「いりひろせ」、「あぶるま」、「すもん」、「あさくさ」、「こまが」、「なかの」、「はっかい」、「なえば」は、

  「イリ・ヒロウ・テ」、IRI-HIROU-TE(iri=be elevated on something,rest upon,hang;hirou=rake,net for dredging shellfish;te=crack)、「高いところにある・熊手で引っ掻いたような・割れ目(谷。その地域)」

  「ア・プル・マ」、A-PURU-MA(a=the...of,belonging to;puru=plug,thrust in,cram in,close and curly of hair;ma=white,clean)、「(水が)突進するように・流れる・清らかな(川)」

  「ツマウ・ヌイ」、TUMAU-NUI(tumau=fixed,continuous;nui=large,many)、「どっしりと腰を据えた・巨大な(山)」(「ツマウ」のAU音がO音に変化して「ツモ」から「スモ」と、「ヌイ」が「ヌ」から「ン」となった)

  「アタ・クタ」、ATA-KUTA(ata=gently,clearly,openly,shape,shadow;kuta=encumbrance)、「温和な(山容をしている)・(交通の)邪魔物(の山)」

  「コマ(ン)ガ」、KOMANGA(elevated stage for storing food upon)、「(巨大な岩壁をもつ)高床倉庫のような(山)」(NG音がG音に変化して「コマガ」となった)

  「ナ・カノイ」、NA-KANOI(na=by,belonging to;kanoi=strand of a rope,twist,authority)、「どちらかというと・(尾根を)撚り合わせたような(山)」(「カノイ」の語尾の「イ」が脱落して「カノ」となった)

  「パツ・カイ」、PATU-KAI(patu=screen,wall,edge,strike,kill;kai=eat)、「食いちぎられた(歯の跡が残る)・壁のような(山)」(「パツ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハツ」となった)

  「ナエ・パ」、NAWE-PA(nawe=scar;pa=touch,strike,block up,stockade,screen)、「(大きな)傷口がある・(交通の)障碍物」

の転訛と解します。

 

(6)蒲原(かむはら)郡

 

a蒲原(かむはら)郡

 古代からの郡名で、県の中央部、信濃川下流左岸に位置し、おおむね現在の西蒲原郡(岩室村の西部の一部の区域を除く)、新潟市、燕市の地域です。古くは頸城、古志、魚沼、蒲原の4郡は越中国に属していましたが、大宝2(702)年に分割されて越後国に編入されました。なお、蒲原、沼垂の両郡は、中世に蒲原郡となり、明治12年に西蒲原、北蒲原、南蒲原、中蒲原郡として編成され、明治19年に東蒲原郡が福島県から編入されました。

 『和名抄』は、「加无波良(かむはら)」と訓じます。「蒲の生えた原」とする説、「カモ(加茂。神に通ずる語)・ワラ(原)」からとする説、「カム(カブ(傾)の転)」からとする説があります。

 この「かむはら」は、

  「カム・パラ」、KAMU-PARA(kamu=eat,munch,close of the hand;para=refuse,dust,cut down bush etc.)、「(信濃川に)浸食されている・藪を切り開いた場所(原。その地域)」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)

の転訛と解します。

 

b新潟(にいがた)市・信濃(しなの)川・寄居(よりい)浜・関屋(せきや)浜・五十嵐(いがらし)浜・燕(つばめ)市

 新潟(にいがた)市は、日本海に臨む県庁所在都市で北陸地方第一の人口をもつ都市です。信濃(しなの)川および阿賀野(あがの)川河口両岸の砂丘と三角州上に広がります。市名は、「砂州により新たに形成された潟湖」の意とされます。市の日本海岸にある寄居(よりい)浜は、信濃川左岸の旧市街地がかつて寄居島であったころの地名を残しており、その西には関屋(せきや)浜、五十嵐(いがらし)浜が続きます。

 燕(つばめ)市は、信濃川の分流中ノ口川沿岸に位置し、江戸時代に長岡舟運の河岸場として発展し、現在は洋食器の生産地として著名です。市名は、中世以来の地名により、「川に浸食されるところ」の意とされます。

 この「にいがた」、「しなの」、「よりい」、「せきや」、「いがらし」、「つばめ」は、

  「ニヒ・カタ」、NIHI-KATA(nihi,ninihi=steep,neap of the tide,move stealthly;kata=opening of shellfish)、「潮の干満が緩やかな・貝が口を開けたような(地形の場所(潟)。そこにある港。そこの地域)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニイ」となった)

  「チ・ナナウ」、TI-NANAU(ti=throw,cast,overcome;nanau=angry(whakananau=be angry;(Hawaii)nanau=unfriendly,bitter,crabbed))、「怒りを・ぶつける(暴れる。川)」もしくは「友好的でない態度を・示す(国。その国から流れ出る川)」(「ナナウ」のAU音がO音に変化して「ナノ」となった)または「チナ・ノホ」、TINA-NOHO(tina=fixed,firm.satisfied,overcome;noho=sit,stay,settle)、「(移住者が)満足して・定着した(国。その国から流れ出る川)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となった)

  「イオ・リヒ」、IO-RIHI(io=muscle,line,spur,ridge,lock of hair;rihi=flat)、「平らな・(砂丘の)高台(が続く海岸)」(「リヒ」のH音が脱落して「リイ」となった)(地名篇(その七)の埼玉県の(11)のb寄居町の項を参照してください。)

  「テキ・イア」、TEKI-IA(teki=scrape lightly,drift;ia=current,indeed)、「川の流れが・漂う(一時的に滞留する(土地が低い)浜。のちに信濃川の氾濫を防止するためにそこに分水路が掘削されました)」

  「イ・(ン)ガラ・チ」、I-NGARA-TI(i=beside,past tense;ngara=snarl;ti=throw,cast,overcome)、「付近一帯に・うなり声を・上げながら波が打ち寄せる(海岸)」(「(ン)ガラ」のNG音がG音に変化して「ガラ」となった)

  「ツパ・マエ」、TUPA-MAE(tupa=dried up,barren,flat;mae=languid,withered,struck with astonishment)、「完全に乾燥した・(川に)浸食された(土地)」(「マエ」のAE音がE音に変化して「メ」となった)

の転訛と解します。

 

(7)沼垂(ぬたり)郡

 

a沼垂(ぬたり)郡

 古代からの郡名で、県の中北部、信濃川右岸および阿賀野(あがの)川流域に位置し、おおむね現在の北蒲原郡、中蒲原郡、南蒲原郡、東蒲原郡三川村の北部、豊栄市、新発田市、白根市、新津市、五泉市、加茂市、三条市、見附市(南部の一部の区域を除く)の地域です。大化3年に設置された「渟足(ぬたり)柵」、『和名抄』にみえる「沼垂郷」に関連するものと考えられ、その場所は古く沼垂(ぬったり)浜といった信濃川右岸の現在の新潟市山の下町付近とする説があります。なお、蒲原、沼垂の両郡は、中世に蒲原郡となり、明治12年に西蒲原、北蒲原、南蒲原、中蒲原郡として編成され、明治19年に東蒲原郡が福島県から編入されました。

 『和名抄』は、「奴太利(ぬたり)」と訓じます。「ヌタ(沼地、湿地)・リ(接尾語)」の意とする説があります。

 この「ぬたり」は、

  「ヌイ・タリ」、NUI-TARI(nui=large,many;tari=carry,bring,urge)、「(信濃川、阿賀野川などの河川が土砂を山間部から平野部へ)大量に・運んできた(地域)」

の転訛と解します。

 

b新発田(しばた)市・加治(かじ)川・聖籠(せいろう)町・水原(すいばら)町・阿賀野(あがの)川・瓢(ひょう)湖

 新発田(しばた)市の市街地は、加治(かじ)川扇状地の端にあり、市名は「シビタ(アイヌ語で鮭がとれるところ)」から、「新田を開発したところ」の意、「スバタ(洲端。湿地)」からなどの説があります。

 北蒲原郡聖籠(せいろう)町は、加冶川下流左岸にある蒲原砂丘列上にあります。

 北蒲原郡水原(すいばら)町は、阿賀野(あがの)川右岸の沖積扇状地にあり、郡南部の穀倉地帯の中心で、明治初期には水原県の県庁が置かれました。市街地の東にある瓢(ひょう)湖は、白鳥の飛来地として知られています。

 阿賀野川は、新潟・福島県境から五泉市咲花温泉の20キロメートルの間、横谷を刻み蛇行して阿賀野川ラインと称される緑色凝灰岩の岩肌と豪快雄大な峡谷を形成し、越後平野に出てからも蛇行しながら北西に流下し、おおむね五泉市と阿賀野市の境界から、阿賀野市と新潟市の境界を経て、新潟市松ヶ崎で日本海に注ぎます。

 この「しばた」、「せいろう」、「すいばら」、「あがの」、「ひょう」は、

  「チパ・タ」、TIPA-TA(tipa=dried up,broad,escape;ta=dash,beat,lay)、「乾燥した場所に・位置している(地域)」

  「テイ・ロウ」、TEI-ROU(tei,teitei=high,top;rou=long stick,stretch out)、「細長く伸びている(砂丘の)・上に(高いところに)立地している(集落。その地域)」

  「ツイ・パラ」、TUI-PARA(tui=pierce,sew,hurt;para=cut down bush,clear)、「傷(沼。瓢湖)がある・藪を切り開いた(場所)」

  「ア(ン)ガ・(ン)ガウ」、ANGA(driving force,move in a certain direction)-NGAU'(bite,attack,wander,go about)、「力で押し流し・(浸食しながら)蛇行する(川)」(「ア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アガ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)(地名篇(その二)の福島県の(8)阿賀川の項を参照してください。)

  「ピアウ」、PIAU(suppurating,offensive)、「(傷が)膿んでいるような(水深が浅く泥濘に覆われている。湖)」(P音がF音を経てH音に、AU音がOU音に変化して「ヒオウ」から「ヒョウ」となった)

の転訛と解します。

 

c亀田(かめだ)町・鳥屋野(とやの)潟・白根(しろね)市・能代(のうだい)川・咲花(さきはな)温泉・「白(しろ)だし」・菅名(すがな)岳

 中蒲原郡亀田(かめだ)町は、信濃川と阿賀野川に挟まれたかつては「亀田水郷」と呼ばれた低湿地でした。

 新潟市の南部、旧亀田郷の最低部に鳥屋野(とやの)潟が残ります。

 白根(しろね)市は、新潟市の南に位置し、信濃川の下流とその分流中ノ口川に囲まれた細長い輪中をなす白根郷の大部分を占めています。大凧合戦で有名です。

 県中部の新津(にいつ)市は、魚沼丘陵の北端に位置し、中央を能代(のうだい)川が流れます。市名は、市中央部の信濃川右岸に残る古津(ふるつ)に対する新しい船着き場の意とされます。

 五泉市は、阿賀野川と早出川の合流点付近に位置し、東部には湯ノ花が噴出する咲花(さきはな)温泉があります。この阿賀野川筋に発生する「白(しろ)だし」と呼ぶフェーン現象により、市はしばしば大火を出しています。阿賀野川が平野へ出る前の左岸には、霊峰として崇められる菅名(すがな)岳(909メートル)がそびえます。

 この「かめだ」、「とやの」、「しろね」、「のうだい」、「さきはな」、「しろだし」、「すがな」は、

  「カメ・タ」、KAME-TA(kame=eat,food,property;ta=dash,beat,lay)、「(洪水で)浸食された(水に浸かったままの土地)が・ある(地域)」

  「ト・イア・(ン)ガウ」、TO-IA-NGAU(to=be pregnant,drag,open or shut a door or window;ia=current,indeed;ngau=bite,hurt,attack,wander)、「潮の干満に応じて水位が変動する・浸食された・水(沼)がある(土地)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「チラウ・ネイ」、TIRAU-NEI(tirau=peg,pick root crops etc.;nei,neinei=stretched forward,wagging)、「細長く伸びた・(植物の根を引き抜いた跡の)穴のような(輪中に囲まれた。土地)」(「チラウ」のAU音がO音に変化して「チロ」から「シロ」となった)

  「ノウ・タイ」、NOU-TAI(nou=jerk;tai=tide,wave,anger)、「波が・急に押し寄せる(川)」

  「タキ・パ(ン)ガ」、TAKI-PANGA(taki=track,bring along;panga=throw,lay,place)、「(湯ノ花を)噴出して・(地上に)もたらす(温泉)」(「パ(ン)ガ」のP音がF音を経てH音に、NG音がN音に変化して「ハナ」となった)

  「チラウ・タハ・チ」、TIRAU-TAHA-TI(tirau=peg,pick root crops etc.;taha=side,go by;ti=throw,cast,overcome)、「植物の根を引き抜くように・(風が)通り過ぎ・(あたりを)圧倒する(フェーン風)」(「チラウ」のAU音がO音に変化して「チロ」から「シロ」に、「タハ」のH音が脱落して「タ」となった)

  「ツ(ン)ガ(ン)ガ」、TUNGANGA(be out of breath)、「(登るのに)息が切れる(山)」(最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ツガナ」から「スガナ」となった)

の転訛と解します。

 

d三条(さんじょう)市・大槻(おおつき)荘・見附(みつけ)市・刈谷田(かりやた)川

 三条(さんじょう)市は、信濃川と五十嵐(いがらし)川(「いがらし」については、(6)蒲原郡のb五十嵐(いがらし)浜の項を参照してください。)の合流点に位置し、長年にわたって信濃川と五十嵐川の洪水で苦しんだ農民が元禄年間に副業として和釘を製造したのが発展して、「金物の三条」として知られるようになりました。この地は、鎌倉時代には大槻(おおつき)荘と、南北朝時代には三条荘と呼ばれ、市名はこの荘名に由来します。

 見附(みつけ)市は、信濃川支流の刈谷田(かりやた)川中流、その谷口に位置します。市名は、「水漬く」からなどという説があります。

 この「さんじょう」、「おおつき」、「みつけ」、「かりやた」は、

  「タ(ン)ガ・チオ」、TANGA-TIO(tanga=be assembled,row;tio=cry)、「(洪水の被害を受けて)泣き声が・絶えない(地域)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「タン」、「サン」となった)

  「オフ・ツキ」、OHU-TUKI(ohu=surround,stoop;tuki=pound,beat,attack)、「一面に・(洪水で)打撃を受けている(地域)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」となった)

  「ミ・ツケ」、MI-TUKE(mi=stream,river;tuke=elbow,angle,nudge,jerk)、「肘(ひじ)で突くように襲う・川(その川の流域)」

  「カリ・イア・タ」、KARI-IA-TA(kari=dig;ia=current,indeed;ta=dash,beat,lay)、「土を掘るように・突進してくる・川」

の転訛と解します。

 

(8)石船(いはふね)郡

 

a石船(いはふね)郡

 古代からの郡名で、県の北端、荒川以北に位置し、おおむね現在の岩船郡、村上市の地域です。北から東は出羽国、南は沼垂(ぬたり)郡に接し、西は日本海に面して切り立った崖の海岸が続きます。

 『和名抄』は、「伊波布祢(いはふね)」と訓じます。「神が岩船に乗って降り立った地」の伝説から、「磐舟柵」または「古墳の石棺」に由来するとの説があります。

 この「いはふね」は、

  「イ・ワ・フネイ」、I-WHA-HUNEI(i=beside,past tense;wha=be disclosed,get abroad;hunei,huneinei=anger,resentment)、「怒っている・(土砂を剥いで剥き出しになつた)岩がある・場所一帯(断崖や岩礁など岩石海岸が続く地域)」(「フネイ」から「フネ」となった)

の転訛と解します。

 

b村上(むらかみ)市・三面(みおもて)川・イヨボヤ(鮭)・海府(かいふ)浦・笹川流(ささかわながれ)・瀬波(せなみ)海岸・粟(あわ)島

 村上(むらかみ)市は、越後平野の北端、三面(みおもて)川の河口に位置します。市名は、近世の城下町名によります。三面川は、日本最古の鮭の産卵保護のための人工河川である「種川の制」を設けたところとして著名で、市内には通称「イヨボヤ(鮭の方言名)会館(内水面漁業資料館)」があります。

 郡の北部には山地が海岸に迫って海府(かいふ)浦と呼ばれる岩石海岸が連なり、その中には特に奇岩の多い笹川流(ささかわながれ)の名勝・天然記念物があり、また南部の瀬波(せなみ)海岸には砂丘が発達しています。

 村上市の北西の日本海には、東岸の内浦に小低地がある以外は周囲を断崖が囲んでいる粟(あわ)島が浮かびます。

 この「むらかみ」、「みおもて」、「イヨボヤ(鮭)」、「かいふ」、「ささがわながれ」、「せなみ」、「あわ」は、

  「ムフ・ラカ・ミ」、MUHU-RAKA-MI(muhu=grope,push one's way through bushes;raka=be entangled,go,spread about;mi=stream,river;)、「手探りで進む・錯綜した(三面川の中流は、三面川、高根川、長津川などの川筋が錯綜しています)・川(三面川。その川が流れる土地)」(「ムフ」のH音が脱落して「ム」となった)

  「ミ・オモ・テ」、MI-OMO-TE(mi=stream,river;omo,omoomo=gourd;te=crack)、「ひょうたんのような(狭い河口の奥に広い平野がある)・割れ目を流れる・川」

  「イ・アウ・ポイ・イア」、I-AU-POI-IA(i=ferment,be stirred;au=cloud,current,sea,string;poi=swarm,cluster;ia=indeed,current)、「海(の中)から・湧いて出てくるもの(魚(いを))で・実に・群がるもの(大群をなして遡上する魚。鮭)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」と、「ポイ・イア」が連結して「ポヤ」から「ボヤ」となった)

  「カイ・フ」、KAI-HU(kai=consume,eat,food;hu=promontry,hill)、「浸食された・(海岸の)丘(岩石海岸)」

  「タタ・カワ・(ン)ガ(ン)ガレ」、TATA-KAWA-NGANGARE(tata=beat down,break in pieces,strike repeatedly;kawa=heap;ngangare=quarrel)、「削られた・山が・口論をしているような(荒々しい岩が連なる。海岸)」(「(ン)ガ(ン)ガレ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガレ」となった)

  「タイ・ナ・アミ」、TAI-NA-AMI(tai=tide,wave;na=by,belonging to;ami=gather,collect)、「波が・集まっているような(地形。砂丘がある場所。そこにある温泉)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」から「セ」と、「ナ・アミ」が連結して「ナミ」となった)

  「アワ」、AWA(channel,river,gorge,bed in a garden(furrow))、「畝(うね)のような(周囲を断崖が囲んで台地状に高くなっている。島)」

の転訛と解します。

(9)佐渡(さど)国

 

 佐渡島は、日本海に浮かぶ日本第2の島(本州、北海道、九州、四国を除き、沖縄島に次ぐ)で、大化改新後に佐渡島は佐渡国となり、養老5(721)年雑太郡から賀茂、羽茂の両郡を分離して3郡となり、天平15(743)年から天平勝宝4(752)年までの間、佐渡国が越後国に編入され、明治29年に佐渡3郡は合併して佐渡郡となりました。『延喜式』では国土の北限とされ、そのため古来遠流の地とされています。金の産出は平安時代から知られ、17世紀のはじめから相川で幕府直営による金山の開発が行われ、近世最大の金銀山となりました。

 『古事記』の国生みの段は、壱岐、対馬に次いで佐渡島を生んだとしますが、この島だけは別名がありません。なお、『日本書紀』の一書(第6)は「億岐洲(おきのしま)と佐度洲(さどのしま)を雙生した(それぞれ双子として生んだ)」とします。

 国名は、『和名抄』には訓注がなく、狭い海路を示す「狭門(さど)」とする説(『古事記伝』)、「狭戸」から、「迫戸」から、「沢田(または沢処(さわど))の転」などとする説があります。

 この「さど」は、

  「タ・タウ」、TA-TAU(ta=the,dash,beat,lay,allay;tau=ridge of a hill,come to rest,float,lie steeping water,be suitable)、「(二つの)山脈が・並行してある(島。その国)」または「波の上で静かに休んで・いる(島。その国)」

の転訛と解します。

 

(10)羽茂(うも、はもち)郡

 

a羽茂(うも、はもち)郡

 古代からの郡名で、小佐渡丘陵の南部、真野川以南の地域で、おおむね現在の小木(おぎ)町、羽茂(はもち)町、赤泊村、真野(まの)町の一部、畑野町の一部の地域です。養老5(721)年雑太郡から分離しました。

 郡名は、『和名抄』には訓注がなく、「うも」、「はもち」と読む両説があります。『日本書紀』欽明紀5年12月条にみえる「禹武邑(うむのさと)」にちなむとする説(『釈日本紀』など)、「ハ(端。崖地の端)・モ(接尾語)・チ(接尾語)」、「ハ(端)・モチ(ミチ(満ち))」で「海に崖が迫った地」の意とする説があります。

 この「うも」、「はもち」は、

  「ウ・モウ」、U-MOU(u=breast of a female;mou=mau=fixed,firm)、「乳房のような(なだらかな低い)丘陵が・張り付いている(地域)」

  「ハモ・チ」、HAMO-TI(hamo=back of head;ti=throw,cast,overcome)、「(欽明紀5年12月条にみえる粛慎人によって)占領されていた・後頭部のような(国の中心部の裏側または小佐渡丘陵の裏側にあたる地域)」または「ハ・モチ」、HA-MOTI(ha=what!;moti=consumed,scarce,surfeited(motiti=extirpated))、「何と・(この地を占領していた欽明紀5年12月条にみえる粛慎人を)絶滅した(地域)」

の転訛と解します。

 

b小木(おぎ)町・大石(おおいし)港・赤泊(あかどまり)港

 小木(おぎ)町は、佐渡島の南端にある町で、町名は南北朝時代以来の地名とされます。近世初期に金銀積み出し港として開かれた小木港は、後に寛文年間から河村瑞賢によって開かれた西廻航路の寄港地として栄えました。なお、羽茂町の大石(おおいし)港は、安永年間以降年貢米の積み出し港として、赤泊町の赤泊(あかどまり)港は、享保年間から佐渡奉行の渡海港として発展しました。

 この「おぎ」、「おおいし」、「あかどまり」は、

  「アウキ」、AUKI(old,of long standing)、「古い(古くからある土地。そこの港)」

  「オ・ホイ・チ」、O-HOI-TI(o=the...of;hoi=lobe of the ear;ti=throw,cast,overcome)、「耳たぶ(のような山)が・放り出されている・場所(そこにある港)」

  「アカ・トマ・リ」、AKA-TOMA-RI(aka=clean off,scrape away;toma=resting place for bones;ri=screen,protect,bind)、「(岩石を)すくい取つた(跡の)・船が休息する・防波堤のような(場所。そこにある港)」

の転訛と解します。

 

(11)雑太(さはた)郡・国中(くになか)平野

 

a雑太(さはた)郡

 古代からの郡名で、佐渡島の中央部、国中(くになか)平野の西部、金北山以南、真野川以北に位置し、おおむね現在の佐和田町、相川町の南部、真野町の北部、畑野町の一部、金井町の一部の地域です。古くは佐渡島は雑太郡1郡でしたが、養老5(721)年に賀茂、羽茂の両郡を分離しました。国府の所在地です。

 『和名抄』は、「佐波太(さはた)」と訓じます。「沢田」の意とする説があります。

 国中平野は、佐渡島の中央部を占める平野で、「国仲」とも書き、大佐渡・小佐渡山地に挟まれ、北東から南西に広がっている平野です。

 この「さはた」、「くになか」は、

  「タワ・タ」、TAWHA-TA(tawha=burst open,crack;ta=dash,beat,lay)、「(大佐渡山地と小佐渡丘陵の間に国中平野という)割れ目が・ある(地域)」

  「クム・ナカ」、KUMU-NAKA(kumu=posterior,clench,close;((Hawaii)naka=to quiver,to crack open,cracked and peeling)、「(大佐渡・小佐渡の両山地に)挟まれた・(間に)開けている(平野)」(「クム」が「クン」となり、「国」の字が当てられたこともあって「クン」から「クニ」となった)

の転訛と解します。

 

b海府(かいふ)海岸・尖閣湾(せんかくわん)・相川(あいかわ)町・鶴子(つるし)銀山・道遊の割戸(どうゆうのわれと)・真野(まの)町

 大佐渡山地の周縁は、ほぼ全域にわたって数段のみごとな海岸段丘が発達し、日本海側は外海府(そとかいふ)海岸、北端から東を内海府(うちかいふ)海岸と呼び、名勝に指定されており、中でも相川町の尖閣湾(せんかくわん)(湾の名が付いていますが湾地形ではありません)は奇岩怪石の続く男性的な景観として有名です。

 相川(あいかわ)町は、佐渡金山の町で、地名は慶長5(1600)年の検地帳に「佐州海府之内羽田村に金山町当に起こる」とみえ、「川の合流点」の意とされます。この年は、すでにその採掘の中心が佐和田町から相川町に移っていた鶴子(つるし)銀山に徳川家康が派遣した敦賀の政商田中清六が鉱区の短期間運上入札制を採用したことによって鉱山が一挙に活気づき、相川(佐渡)金山として飛躍しはじめた年でした。道遊の割戸(どうゆうのわれと)で知られる露頭鉱脈は、その翌年に発見されたと伝えられます。

 真野(まの)町は、小佐渡丘陵と国中平野の南東部、真野湾に面する町で、古く国府、国分寺が置かれ、承久の乱で流された順徳上皇の真野陵など史跡に富んでいます。

 この「かいふ」、「せんかくわん」、「あいかわ」、「つるし」、「どうゆうのわれと」、「まの」は、

  「カイ・フ」、KAI-HU(kai=consume,eat,food;hu=promontry,hill)、「浸食された・(海岸)段丘(岩石海岸)」((8)石船(いはふね)郡のb海府浦の項を参照してください。)

  「テネ・カク・ワニ」、TENE-KAKU-WANI(tene=be importunate;kaku=scrape up,bruise;wani=scrape,comb the hair)、「しつこく・削りに・削った(海岸)」(「テネ」が「テン」から「セン」と、「ワニ」が「ワン」となった)

  「アイ・カワ」、AI-KAWA(ai=beget,substantive;kawa=heap,ceremonies in connection with a new house or canoe)、「しっかりした実質のある・山(金山。その山がある地域)」または「(坑道の開坑に際して)豊富な産出を・祈る儀式を行った(土地)」

  「ツル・チ」、TURU-TI(turu=last a short time;ti=throw,cast,overcome)、「短期間(稼働した後)で・敗北した(相川金山に対抗できずに放棄された。鉱山)」

  「トウ・イフ・ノ・ワレ・ト」、TOU-IHU-NO-WHARE-TO(tou=anus,posteriors;ihu=nose,bow of a canoe;no=of;whare=house,overhang as a wave in breaking;to=set as the sun,dive)、「カヌーの舳先のような(高くなっている)・尻(の割れ目)・の・砕け落ちる波頭が・上から落ちてくるような(絶壁となっている。場所)」(「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユウ」となった)

  「マノ」、MANO(thousand,host,interior part,heart)、「中心(の土地)」または「主人役(の居住地)」

の転訛と解します。

 

(12)賀茂(かも)郡

 

a賀茂(かも)郡

 古代からの郡名で、佐渡島の北部に位置し、おおむね現在の両津(りょうつ)市、新穂村、相川町の北部、金井町の一部、畑野町の一部の地域です。養老5(721)年雑太郡から分離しました。

 郡名は、郡内に賀茂郷、賀茂神社があることから、「神名」にちなむ、「カミ(上。神)の転」、「鴨」にちなむとする説があります。

 この「かも」は、

  「カモ」、KAMO(eyelash,eyelid,eye)、「まぶた(またはまつ毛)のような(湾曲した形の。地域)」

の転訛と解します。

 

b弾(はじき)崎・夷(えびす)港・ドンデン山・タダラ峰

 佐渡島の北端に弾(はじき)崎があります。

 佐渡の表玄関である両津(りょうつ)港は、北西の夷(えびす)と南東の湊(みなと)の両港を合わせた名称です。

 大佐渡山地の北部には、眺望のよい高原状のドンデン山(別名タダラ峰)があり、ツツジ・シャクナゲの群落で著名です。

 この「はじき」、「えびす」、「ドンデン」、「タダラ」は、

  「パチ・キ」、PATI-KI(pati=ooze,spurt,splash;ki=full,very)、「盛大に・波しぶきを上げている(岬)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハチ」から「ハジ」となった)

  「エ・ピ・ツ」、E-PI-TU(e=by;pi=flow of the tide,soaked,origin;tu=stand,settle)、「潮の流れの・そばに・ある(土地。港)」

  「ト(ン)ガ・テ(ン)ガ」、TONGA-TENGA(tonga=restrained,suppressed,blemish on the skin;tenga=Adam's apple,goitre)、「押されて平らになった・喉ぼとけのような(山)」(「ト(ン)ガ・テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「トナ・テナ」から「トンテン」、「ドンデン」となった)

  「タ・タラ」、TA-TARA(ta=dash,beat,lay;tara=point,peak of a mountain,horn of the moon)、「打たれた(平らになった)・山の頂上(峰)」

の転訛と解します。

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16 富山県の地名

 

(1)越中(えっちゅう)国

 

 富山県は、古くは越中(えっちゅう)国でした。

 越中国は、東は越後国・信濃国、南は飛騨国、西は加賀国・能登国、北は日本海に接します。古くは越(こし)国の一部で、伊弥頭(いみず)国造の名が『旧事本紀』にみえ、越国が越前・越中・越後の3国に分かれたのは天武天皇12年から持統天皇6年の間とされ、当初の越中国は頸城、古志、魚沼、蒲原の4郡を含んでいましたが、大宝2(702)年にこの4郡を越後国に編入しています。また、天平13(741)年12月に能登国が越中国に合併されましたが、天平勝宝9(757)年5月に再び能登国が分立し、以後射水(いみず)、礪波(となみ)、婦負(ねい)、新川(にひかは)の4郡の領域が定まりました。

 なお、国府の所在地については、射水郡とするもの(高山寺本ほか。大伴家持が越中守として在任した奈良時代中期には現在の高岡市伏木にありました)と礪波郡とするもの(東急本)があります。

 『和名抄』は、「古之乃三知乃奈加(こしのみちのなか)」と訓じます。「越(こし)国」については、新潟県の(1)越後国の項を参照してください。

 

(2)礪波(となみ)郡

 

a礪波(となみ)郡

 古代からの郡名で、県の西部、射水郡の南、婦負郡の西に位置し、宝達(ほうだつ)丘陵と庄東山地の間の小矢部(こやべ)川と庄(しょう)川によって潤される沖積平野を主体とする地域で、おおむる現在の東礪波郡、西礪波郡、礪波市、小矢部市、、高岡市の南西部の一部の地域です。

 『和名抄』は、「止奈美(となみ)」と訓じます。「ト(接頭語)・ナミ(平坦で滑らかな土地。または並みで、山・川などが並んだ地形)」とする説、「トナ(トラの転。崖、自然堤防)」からとする説、「鳥網(礪波の山々を越えてくる鳥を捕らえる)」から、関所が設けられた礪波山の「関の戸と山並み」からとする説などがあります。

 この「となみ」は、

  「ト(ン)ガミミ」、TONGAMIMI(bladder)、「(左右二つの腎臓から排出される尿を貯蔵する)膀胱(ぼうこう)のような(小矢部川と庄川の二つの水系から供給された水を貯蔵している。地域)」(NG音がN音に変化し、反復語尾の「ミ」が脱落して「トナミ」となった)

の転訛と解します。

 

b小矢部(おやべ)川・庄(しょう)川・宝達(ほうだつ)丘陵・石動(いするぎ)・倶利伽羅(くりから)峠・井波(いなみ)町・城端(じょうはな)町・「垣入(かいにょ)」

 小矢部(おやべ)川は、加賀との国境の大門(だいもん)山に源を発し、礪波平野西部を経て高岡市伏木で富山湾に注ぐ川で、急流河川が多い富山県では珍しい緩やかな川です。

 庄(しょう)川は、岐阜県飛騨高地の烏帽子(えぼし)岳に源を発し、北流して富山県に入り、礪波平野を流れて小矢部川の河口のすぐ東で富山湾に注ぎます。古くは本流、支流とも河道がしばしば変わり、小矢部川を合わせて射水(いみず)川ともよばれていました。

 礪波平野の北には、宝達(ほうだつ)丘陵があり、ほぼその西縁が射水郡との境となっています。

 小矢部市の中心の石動(いするぎ)は、北陸道の倶利伽羅(くりから)峠越えの宿場町として発展しました。古くは今石動(いまいするぎ)と呼ばれ、天正10(1582)年に能登国石動山から虚空蔵尊を移したのでこの名がついたとする説があります。この「いするぎ」は「石動(いしゆるぎ)」で「地滑りの多い」意とする説があります。

 加賀との国境の礪波山の倶利伽羅(くりから)峠は、北陸道の要衝で、寿永2(1183)年木曽義仲が「火牛攻め」によって平維盛の大軍を覆滅させ、一挙に上洛が可能となった古戦場で有名です。地名は、峠に倶利伽羅竜王を本尊とする倶利伽羅堂があったことによるとされます。

 東礪波郡井波(いなみ)町は、越中国一宮高瀬(たかせ)神社が鎮座し、14世紀末には本願寺5代綽如(しゃくにょ)が瑞泉寺を創建し、北陸における布教の本拠としたところです。

 東礪波郡城端(じょうはな)町は、礪波平野の南端にあり、町名は戦国時代に荒木氏が構えた城の前端に位置することに由来するとされます。

 礪波平野は、水田の中に「垣入(かいにょ。かいにゅう。垣内とも)」と呼ぶ屋敷林で囲まれた家が散在する散居村の景観で著名です。

 この「おやべ」、「しょう」、「ほうだつ」、「いま/いするぎ」、「くりから」、「いなみ」、「じょうはな」、「かいにょ」は、

  「オ・イア・ペ」、O-IA-PE(o=the...of;ia=current,indeed;pe=crushed,soft)、「(勢いを殺がれた)ゆっくり・流れる・川(その川の流れる地域)」

  「チホウ」、TIHOU(an implement used for cultivating)、「鍬で掘るような(土地を浸食する。川)」(H音が脱落して「チオウ」から「チョウ」、「ショウ」となった)(雑楽篇の306しょう(荘、庄)の項を参照してください。)

  「ホウ・タツ」、HOU-TATU(hou=feather,tail feather;tatu=reach the bottom,be content,strike one foot against the other)、「(日本海まで)伸びている・(鳥の尻尾の)羽根のような(丘陵)」

  「イ・ムア/イ・ツル・キ」、I-MUA/I-TURU-KI(i=beside,indeed;mua=the front place,the former time,the future;turu,tuturu=kneel;ki=full,very)、「(小矢部川などが)膝を・十分に・折り曲げて流れる・場所一帯/その前に位置する・一帯(の地域)」

  「クフ・リ・カラ」、KUHU-RI-KARA(kuhu=thrust in,insert,conceal;ri=screen,protect,bind;kara=secret plan,a request for assistance in war)、「秘密の計略(奇襲)を実行して・(松明を角に結びつけた牛を)突入させた・交通の障碍となっている場所(峠)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

  「イ・ナ・アミ」、I-NA-AMI(i=beside;na=by,belonging to;ami=gather,collect)、「(人が)集まって・きた・(大きな神社や寺の門前)一帯の地域」(「ナ」のA音と「アミ」のA音が連結して「ナミ」となった)

  「チオ・パ(ン)ガ」、TIO-PANGA(tio=rock-oyster;panga=throw,place,aim a blow at)、「岩牡蠣のような岡に・位置している(場所。その地域)」(「パ(ン)ガ」のP音がF音を経てH音に変化し、NG音がN音に変化して「ハナ」となった)

  「カイ・ニアオ」、KAI-NIAO(kai=a tree(white pine),quantity,product,fulfil its proper function;niao=gunwale of a canoe,rim of any open vessel)、「カヌーの船縁のような(高く家を囲む)・(防風の機能を果たす・松の)林」(「ニアオ」のAO音がO音またはU音に変化して「ニョ」・「ニュウ」となった)

の転訛と解します。

 

(3)射水(いみづ)郡

 

a射水(いみづ)郡

 古代からの郡名で、県の北端に位置し、おおむね現在の射水郡、氷見(ひみ)市、高岡(たかおか)市の北部、新湊(しんみなと)市、富山市の西部(神通川左岸の区域)の一部の地域です。郡の北半は宝達丘陵と石動山地が海に迫り、南半は小矢部川・庄川の河口と放生津(ほうじょうづ)潟を中心とする低湿地帯です。

 『和名抄』は、「伊三豆(いみつ)」と訓じます。「出水(いみず)」で「川口」または「湧泉地」の意とする説、矢を射るように速い川(小矢部川・庄川)から、「蛟(みずち。水神として祀られる)」にちなむなどの説があります。

 この「いみつ」は、

  「イ・ミ・ツ」、I-MI-TU(i=beside;mi=stream,river;tu=stand,settle)、「水が・そこにある・あたり一帯(の地域。小矢部川、庄川の河口および放生津(ほうじょうづ)潟がある地域)」

の転訛と解します。

 

b氷見(ひみ)市・布勢(ふせ)の水海・十二町(じゅうにちょう)潟・「ハダユ」田・有磯(ありそ)海・雨晴(あまはらし)海岸・関野(せきの)・伏木(ふしき)・放生津(ほうじょうづ)潟・奈古(なご)の海・亘理(わたり)湊

 氷見(ひみ)市は、県の北端、能登半島の基部の東半分を占め、その海岸は能登半島国定公園に指定された景勝地で、『万葉集』に「比美之江」として記されています。市名は、富山湾を隔てて立山連峰から昇る日の出を拝む「日見」とする説、海が干上がって土地ができた「干海」とする説、蝦夷防備の狼煙(のろし)監視場所で、「火見」であったのが火災が頻発したので「氷見」と改めたなどの説があります。天然記念物のオニバス自生地の十二町(じゅうにちょう)潟から南は、古くは「布勢(ふせ)の水海」と呼ばれる湖水でした。十二町潟周辺の水田は、昭和30年代まで田舟を用いて農作業を行った強湿田で、「ハダユ」田とよばれていました。

 また、天平18(746)年から天平勝宝3(751)年まで越中守として赴任していた大伴家持の歌にみえる「荒磯(ありそ)の好風」や芭蕉の句にみえる「有磯(ありそ)の海」は、雨晴(あまはらし)海岸一帯の海と考えられています。雨晴(あまはらし)の地名は、鎌倉時代に源義経の奥州落ちの途中、この海岸の岩の下で雨宿りをしたことによるという説があります。

 高岡(たかおか)市は、慶長14(1609)年前田利長が交通の要衝であった庄川扇状地の末端に突出した洪積台地の関野(せきの)を高岡と命名して築城し、市街地を整備して発達しました。小矢部川河口の伏木(ふしき)の左岸の台地上には越中国府、国分寺が置かれました。高岡市北部の二上(ふたがみ)山(273メートル)は県西部のほぼ全域から望むことができ、古代から信仰の対象でした。

 新湊市は、庄川の最下流域右岸にあり、富山湾沿いの地域は古くは放生津(ほうじょうづ)潟、奈古(なご)の海と呼ばれた景勝地で、漁業と海運で栄えました。古くは亘理(わたり)湊と呼ばれたこともありました。

 この「ひみ」、「ふせ」、「じゅうにちょう」、「はだゆ」、「ありそ」、「あまはらし」、「せきの」、「ふしき」、「ふたがみ」、「ほうじょうづ」、「なご」、「わたり」は、

  「ヒ・ミ」、HI-MI(hi,hihi=make a hissing noise,be affected diarrhoea;mi=stream,river)、「下痢をしているような(山からすぐに海に入る。急流の)・川(これらの川が流れる。地域)」

  「フ・テ」、HUHU-TE(huhu=hiss,diarrhoea;te=crack)、「下痢をしているような(山からすぐに海に入る。急流の)・割れ目(川の瀬。これらの川が流れる地域)」

  「チウ・ヌイ・チオ」、TIU-NUI-TIHO(tiu=wander,swing,unsettled;nui=large,many;tiho=flaccid,soft)、「(位置が)移動する・大きな・(底が泥で)軟らかい(潟)」

  「ハ・タイフア」、HA-TAIHUA(ha=breathe;taihua=shore between high- and low-water marks)、「呼吸をする(潮の干満に応じて水位が上下する)・(満潮と干潮の間にある)常に浅い水の下にある岸(にある水田。決して乾田になることのない強湿田)」(「タイフア」のH音と語尾のA音が脱落して「タイウ」から「タユ」となった)

  「アリ・ト」、ARI-TO(ari=clear,white,appearance;to=drag,open or shut a door or window,calm)、「清らかで・潮の干満がある(または静かな。海岸)」または「アリ・タウ」、ARI-TAU(ari=clear,white,appearance;tau=reef,come to rest,beautiful)、「清らかで・美しい(岩石海岸または砂州)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

  「アマイ・パラチ」、AMAI-PARATI(amai=swell on the sea,giddy,dizzy;parati=splash up,depart)、「きらきらときらめいている・しぶきを上げている(海岸)」(「アマイ」の語尾のI音が脱落して「アマ」と、「パラチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラチ」から「ハラシ」となった)

  「テキ・(ン)ガウ」、TEKI-NGAU(teki=outer fence of a stockade,a round stick or peg;ngau=bite,hurt,attack)、「(川によって)浸食されている・円形に柵を引き回したような(台地)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「フチ・キ」、HUTI-KI(huti=pull up,fish(v.);ki=full,very)、「非常に・高くなっている(場所)」

  「フ・タ(ン)ガ・ミヒ」、HU-TANGA-MIHI(hu=hill,promontory;tanga=be assembled,row;mihi=greet,admire)、「(いくつもの)山が集まっている・尊崇すべき・山」(「タ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「タガ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「ホウ・チホウ・ツ」、HOU-TIHOU-TU(hou=feather,tail feather;tihou=an implement used for cultivating;tu=stand,settle)、「羽根で飾った(美しい)・鍬で掘ったような場所(潟)が・そこにある(土地。地域)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「チョウ」、「ショウ」となった)(雑楽篇の306しょう(荘、庄)の項を参照してください。)

  「ナ・ア(ン)ゴ」、NA-ANGO(na=by,belonging to;ango=gape,be open)、「口を開けている・ような(湾。海)」(地名篇(その十)の千葉県の(19)安房国のb那古(なご)町の項を参照してください。)

  「ワ・タリ」、WA-TARI(wa=definite space,area;tari=bring,carry)、「(人や貨物を)運ぶ・場所」(地名篇(その二)の宮城県の(15)阿武隈川の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

(4)婦負(ねひ。めひ)郡

 

a婦負(ねひ。めひ)郡

 古代からの郡名で、県の中央部、西は庄東山地、東は神通川(下流部は呉羽丘陵西部)の範囲に位置し、おおむね現在の婦負郡、富山市の西部の一部(呉羽丘陵の西)、上新川郡大沢野町の一部(神通川左岸)の地域です。

 『和名抄』は、「祢比(ねひ)」と訓じます。「ネ(根)・オヒ(負)」で「後ろに山があるところ」とする説、郡名の初見が『万葉集』の「売比能野」、「売比河波」であるところから古くは「めひ」であり、式内社姉倉比売神社(富山市呉羽)または『三代実録』貞観5(863)年8月15日条にみえる鵜坂姉比売・鵜坂妻比売両神社(婦負郡婦中町)に関係するなどの説があります。『古事記伝』は『万葉集』の「めひ」が正しいとしますが、『拾芥抄』は両訓を併記しており、両訓とも存在したと考えます。 

 この「ねひ」、「めひ」は、

  「ネイ」、NEI(=neinei=stretched forward,reaching out)、「(海へ向かって)手を伸ばしているような(地域)」

  「マイヒ」、MAIHI(facing boards on the gable of a house often having the lower ends ornamented with carving)、「家屋の切妻(立山連峰・飛騨山脈を擁する新川郡の山地を国府所在地から望んで指した形容)の(下部の)化粧板のような(地域)」(AI音がE音に変化して「メヒ」となった)

の転訛と解します。

 

b井田(いだ)川・久婦須(くぶす)川・八尾(やつお)町・越中おわら節

 郡内を流れる井田(いだ)川の支流の久婦須(くぶす)川、野積川、室牧川などが山地から平野に出て合流する谷口の河岸段丘に八尾(やつお)町の中心市街地があります。町名は、多くの山や谷が集まる場所の意とされます。この町で9月1日から3日に二百十日の風を鎮め、豊穣を祈って行われる「風の盆」は、哀調を帯びた民謡『越中おわら節』とおわら踊りの町流しによって全国に知られます。

 この「いだ」、「くぶす」、「やつお」、「おわら」は、

  「ウイ・タ」、UI-TA(ui=disentangle,relax or loosen a noose;ta=dash,beat,lay)、「突進する・ほどけた輪縄のような(蛇行する。川)」(「ウイ」が「ヰ」となった)

  「クプ・ツ」、KUPU-TU(kupu=anything said,message,talk;tu=stand,settle)、「何かをしゃべっているような音を・立てて流れる(川)」

  「イア・ツ・オフ」、IA-TU-OHU(ia=current,indeed;tu=stand,settle;ohu=beset in great numbers,surround)、「川が・たくさん寄り集まって・いる(場所)」(「オフ」のH音が脱落して「オ」となった)

  「オ・ワラ」、O-WARA(o=the...of;wara=desire,make an indistinct sound)、「(二百十日の風鎮めを)願う・もの(歌。節)」

の転訛と解します。

 

(5)新川(にふかは)郡

 

a新川(にふかは)郡

 古代からの郡名で、県の東半部、神通川の東の地域(古くは現在よりも西を流れていた常願寺川の東とする説があります)を占め、おおむね現在の上新川(かみにいかわ)郡、中新川郡、下新川郡、富山市(西部の一部(呉羽丘陵の西)を除く)、滑川市、魚津市、黒部市の地域です。

 『和名抄』は、「迩布加波(にふかは)」と訓じます。「近江の新川から移転」したとする説、「ニフ(赤土)」から、「ニフ(ミブの転。湿地)」から、「ミホ(激流)の転」などとする説があります。

 この「にふかは」は、

  「ニウ・カワ」、NIU-KAWA(niu=divination,move along,glide;kawa=heap,reef of rocks,passage between rocks or shoals)、「(巨大な)山脈が・(海へ向かって)押し出してきている(地域)」

の転訛と解します。

 

b富山(とやま)市・神通(じんづう)川・常願寺(じょうがんじ)川・呉羽(くれは)丘陵

 富山(とやま)市は、神通(じんづう)川と常願寺(じょうがんじ)川が形成する複合扇状地と、西側の呉羽(くれは)丘陵からなっています。中心市街地は神通川が蛇行していた場所で、北陸街道と飛騨街道の分岐点の交通の要衝にあり、近世に富山藩の城下町として栄えたところです。

 神通川は、飛騨高地の川上岳に源を発する宮(みや)川が富山県に入つて神通川となります。常願寺川は、立山連峰に源を発する川で、古来暴れ川として著名です。呉羽丘陵は富山平野のほぼ中央を南西から北東に伸びる丘陵で、これより東を呉東、西を呉西の両地方に区分されます。

 この「とやま」、「じんづう」、「じょうがんじ」、「くれは」は、

  「タウ・イア・マ」、TAU-IA-MA(tau=come to rest,float,lie steeping in water,be suitable;ia=current,indeed;ma=white,clear)、「(神通川の)川の流れが・休んでいる(蛇行している)・清らかな(場所)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

  「チノ・ツ・フ」、TINO-TU-HU(tin=essenciality,exact,quit;tu=stand,settle;hu=hill,promontry,resound,noise)、「ほとんど・山地(の中)を・流れる(川)」(「チノ」が「チン」に、「フ」のH音が脱落して「ウ」となった)

  「チホウ・カノチ」、TIHOU-KANOTI(tihou=an implement used for cultivating;kanoti=cover up embers with ashes or earth)、「焼木杭に土をかけたようなところ(立山から真っ直ぐに富山平野に向かっている尾根と谷。ここには黒部川の谷と異なりほとんど温泉が湧出しません)を・鍬で耕すように掘りながら流れる(川)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「チョウ」、「ジョウ」と、「カノチ」が「カンチ」、「ガンヂ」となった)

  「クラエ・パ」、KURAE-PA(kurae=headland,project;pa=block up,prevent,stockade)、「(交通を)妨害する・岬のような(丘陵)」(「クラエ」のAE音がE音に変化して「クレ」と、「パ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハ」となった)

の転訛と解します。

 

c滑川(なめりかわ)市・魚津(うおづ)市・美女平(びじょだいら)・弥陀(みだ)ケ原・称名(しょうみょう)川(滝)・室堂(むろどう)平・立(たて)山・雄(お)山・大汝(おおなんじ)峰・剱(つるぎ)岳

 滑川(なめりかわ)市は、富山市の東に隣接し、中川の河口に位置する市で、市名は日本海の荒波(富山湾独特の寄り廻り波)が河川に入り込むところから「波入り川」と称されたことによるなどの説があります。

 魚津(うおづ)市は、滑川市の東に隣接し、もと小津(おづ)という小漁村でしたが、新漁法によって魚がよく取れるようになったことから魚津となったといいます。

 富山市から立山へ向かう途中に、立山西麓の弥陀(みだ)ケ原の西端に美女平(びじょだいら)があり、かつて女人禁制を破って入山した美女が杉に化したとの伝説が残ります。かつて立山火山が押し出した溶岩台地の弥陀(みだ)ケ原にV字形の渓谷を刻んで、称名(しょうみょう)川が流れ、途中には350メートルの日本一の高さをもつ称名滝があります。その奥の立山の西麓の谷間には室堂(むろどう)平があります。

 黒部川左岸に連なる剱(つるぎ)岳(2,998メートル)などを含めた立(たて)山連峰は、富士山、白山と並ぶ日本三大霊峰の一つとされ、古くから修験の聖地でした。立山の名は、通常主峰の雄(お)山(3,003メートル)と大汝(おおなんじ)峰(3,015メートル)、富士ノ折立(ふじのおりたて。2,999メートル)の三峰を指します。

 立山は、『万葉集』では「多知夜麻(たちやま)」としており、山名の由来は「屏風を巡らしたような高い山」から、「座っているのではなく立っている山」から、太刀を立て連ねた「太刀山」から、「館(たち)山」から、神意を顕す「顕(た)ち山」から、「絶(た)ち山」からなどの説があります。

 この「なめり」、「うおづ」、「びじょだいら」、「みだがはら」、「しょうみょう」、「むろどう」、「たて」、「たち」、「お」、「おおなんじ」、「ふじのおりたて」、「つるぎ」は、

  「ナ・メリ」、NA-MERI(na=by,belonging to;meri=enclose)、「しばしば・(河口が富山湾の寄り廻り波によって)塞がれる(川。その河口にある地域)」

  「オツ」、OTU(the part of the figurehead of a canoe)、「カヌーの舳先の守護神像(立山を頭とし、海へ向かう尾根を胴体と見立てたもの)の付け根(のような場所)」

  「ピチ・アウ・タイラ(ン)ガ」、PITI-AU-TAIRANGA(piti=put side by side,add;au=firm,intense;tairanga=be raised up)、「(弥陀(みだ)ケ原の西端に)しっかりと・付加された・高台」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となり、「ピチ」と連結して「ピチオ」から「ビジョ」と、「タイラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「タイラ」となった)(地名篇(その七)の埼玉県の(2)足立郡のh戸田市美女木の項を参照してください。)

  「ミ・タ・(ン)ガ・パラ」、MI-TA-NGA-PARA(mi=stream,river;ta=dash,beat,lay;nga=satisfied;para=cut down bush)、「川(称名川)に・打撃を与えている(称名ノ滝となって落ちている)・藪を切り開いたような(原)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」と、「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)

  「チホウ・ミ・イホ」、TIHOU-MI-IHO(tihou=an implement used for cultivating;mi=stream,river;iho=up above,from above,downwards)、「鍬で掘るように(渓谷を刻んで)・高いところから流れ下る・川(その川の滝)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「チョウ」、「ショウ」と、「イホ」のH音が脱落して「イオ」となり、「ミ」と連結して「ミョウ」となった)

  「ム・ロ・トウ」、MU-RO-TOU(mu=insects;ro=roto=the inside;tou=anus,posteriors)、「中に・(虫食いのような)池がある・尻の穴のような(地形の土地)」

  「タ・アテ」、TA-ATE(ta=dash,beat,lay;ate=liver,heart,spirit)、「霊力(神霊)が・宿る(またはそこから霊力が発散する。山)」(「タ」のA音と「アテ」のA音が連結して「タテ」となった)

  「タ・アチ」、TA-ATI(ta=dash,beat,lay,slant,be oblique;ati=descendant,beginning)、「(そこから)傾き・始める(山。最高の頂点をなす山)」(「タ」のA音と「アチ」のA音が連結して「タチ」となった)

  「アウ」、AU(firm,intense)、「堅固な(しっかりした(基礎がある)。山)」(AU音がO音に変化して「オ」となった)

  「オホ・ナナチ」、OHO-NANATI(oho=wake up,arise;nati,nanati=pinch or contract as by means of a ligature,fasten bulrush thatch on the roof of a house,stifle)、「(むっくりと)高くなっている・(根元を)紐でくくったような(山)」または「(むっくりと)高くなっている・(登ると)窒息する(山)」(「オホ」のH音が脱落して「オオ」と、「ナナチ」が「ナンチ」となった)

  「フチ・ノホ・リタハ・テ」、HUTI-NOHO-RITAHA-TE(huti=pull up;noho=sit,stay,settle;ritaha=lean on one side,incline;te=crack)、「高く引き上げられて・座っている・一方に傾斜して・割れ目がある(山)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」と、「リタハ」のH音が脱落して「リタア」から「リタ」となった)

  「ツルキ」、TURUKI(grow up in addition,come as a supplement,thatch a house)、「瘤のように盛り上がった(山)」

の転訛と解します。

 

d黒部(くろべ)川・十字(じゅうじ)峡・宇奈月(うなづき)温泉・入善(にゅうぜん)町・五竜(ごりゅう)岳・鹿島槍ケ(かしまやりが)岳・針ノ木(はりのき。はりのけ)岳・爺ケ(じいが)岳・蓮華(れんげ)岳

 黒部(くろべ)川は、富山・長野・岐阜3県の県境近くに源を発し、上流では2千メートル級の山岳に挟まれた絶壁が連なる峡谷を形成し、下流では広大な扇状地を形成する日本有数の急流河川です。途中には両側から滝のような川が流入する十字(じゅうじ)峡や、宇奈月(うなづき)温泉があります。

 黒部川下流右岸の扇状地に入善(にゅうぜん)町があり、かつては黒部川の流路がたびたび変動し、水位が上昇する夏期には下流部を通る街道は通行不能で山よりの道を通行したところです。町名は、古来の荘園名により、仏教用語からとする説があります。

 黒部川上流右岸には、後立山連峰の五竜(ごりゅう)岳(2,814メートル)、鹿島槍ケ(かしまやりが)岳(2,889メートル)、爺ケ(じいが)岳(2,670メートル)、針ノ木(はりのき。はりのけ)岳(2,821メートル)、蓮華(れんげ)岳(2,799メートル)などがそびえます。

 この「くろべ」、「じゅうじ」、「うなづき」、「にゅうぜん」、「ごりゅうたけ」、「かしまやりがたけ」、「じいが」、「はりのき(はりのけ)」、「れんげ」は、

 「ク・ロ・オペ」、KU-RO-OPE(ku=silent;ro=roto=inside;ope=scoop up,scrape together,bail out water etc.(opeope=wipe up,rinse,float))、「静かな・山奥の・(谷を)ゆすぐように流れる(川)」(「ロ」のO音と「オペ」の語頭のO音が連結して「ロペ」から「ロベ」となった)

  「チ・ウチ」、TI-UTI(ti=throw,cast,overcome;uti=bite)、「水を(高いところから滝として)落として・(岩を)浸食している(場所。十字峡)」

  「ウ(ン)ガ・ツキ」、UNGA-TUKI(unga=circumstance of becoming firm,place of arrival;tuki=beat,attack,central passage for water in an eel weir)、「(川に仕掛ける魚梁(やな)に魚を誘導する)水路(川の流路)の先にある・(水がぶつかる)受け(魚を入れる魚籠(びく))のような(土地。そこの温泉)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」となった)

  「ニウ・テネ」、NIU-TENE(niu=dress timber smooth with an axe,move along;tene=be importunate)、「しつこく(丹念に何回も)・表面を削った(川が浸食した。土地)」(「テネ」が「テン」から「ゼン」となった)

  「(ン)ガウ・リウ・タケ」、NGAU-RIU-TAKE(ngau=bite,hurt,attack;riu=vallay,belly,chest;take=root,stump,base of a hill)、「食いちぎられている・お腹のような・大きな基礎の上に立っている(山)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)

  「カチ・マイア・リ(ン)ガ・タケ」、KATI-MAIA-RINGA-TAKE(kati=bite,a weapon with a notch in the edge;maia=brave,bravery;ringa=hand,arm,weapon;take=root,stump,base of a hill)、「食いちぎられて(ぎざぎざになっている)・猛々しい・武器(槍)のような・大きな基礎の上に立っている(山)」(「マイア」が「マヤ」と、「リ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「リガ」となった)

  「チヒ・(ン)ガ」、TIHI-NGA(tihi=summit,top,lie in a heap;nga=satisfied)、「高いところに居て・満足している(大きな基礎の上に立っている山)」(「チヒ」のH音が脱落して「チイ」から「ジイ」と、「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「パリ・ノケ」、PARI-NOKE(pari=cliff;noke=small(nonoke=struggle together))、「崖が・取っ組み合いをしているような(大きな基礎の上に立っている山)」(「パリ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハリ」となった)

  「レナ・(ン)ガイ」、RENA-NGAI(rena=stretched out,disturbed;ngai=tribe,clan)、「手足を充分に伸ばしている・という部類に属する(大きな基礎の上に立っている山)」(「レナ」が「レン」に、「(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「ゲ」となった)

の転訛と解します。

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17 石川県の地名

 

(1)加賀(かが)国

 

 石川県は、古くは加賀(かが)国および能登(のと)国でした。

 加賀国は、北は能登国、東は越中国・飛騨国、南は飛騨国・越前国、西は日本海に接します。古くは越(こし)国の一部で、天武天皇12年から持統天皇6年の間に越国が越前・越中・越後の3国に分かれた中の越前国に属していましたが、弘仁14(823)年に越前国北半の加賀、江沼2郡を割いて加賀国が立てられました。その際、加賀郡の南半を割いて石川郡を置き、江沼郡の北半を割いて能美郡を置き、国府を能美郡野身(のみ)郷に置きました。国名に国府所在地の地名を採用しなかったのは、「加賀」を嘉字と認めたからとされます。

 この郡名・国名は、輝くの約で「明るい」の意、「鏡」の意、「神子」の意、東北の「カヌカ」や中国山地の「コウゲ」と同じで「草地、芝地」の意(柳田国男)、カケの転で「崖地」の意などとする説があります。

 この「かが」は、

  「カ(ン)ガ」、KANGA(=ka,kainga=place of abode,unfortified place of residense,country)、「(周囲に柵のない)居住地(国)」(NG音がG音に変化して「カガ」となった)

の転訛と解します。

 

(2)江沼(えぬま)郡

 

a江沼(えぬま)郡

 古代からの郡名で、県の南西端に位置し、かつては手取川以南の能美郡を含む地域でしたが、分離後は柴山潟付近より南の低地および動橋(いぶりばし)川、大聖寺川の流域の山岳地帯の地域で、おおむね現在の江沼郡山中町、加賀市、小松市の西部の一部の地域です。

 『延喜式』は「えぬ」または「えぬま」と訓じます。郡名は、沼沢地帯の多い低湿な地形・景観によるとする説、「エ(川)・ヌマ(湿地、沼地)」で「川沿いの湿地」とする説があります。

 この「えぬま」は、

  「ヘ・ヌマ(ン)ガ」、HE-NUMANGA(he=wrong,mistaken,in trouble or difficulty;numanga=disappearance)、「不都合なことに・(砂丘の拡大や川が運ぶ土砂の堆積によって潟が)消滅して行く(地域)」(「ヘ」のH音が脱落して「エ」と、「ヌマ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ヌマ」となった)

の転訛と解します。

 

b柴山(しばやま)潟・片山津(かたやまづ)温泉・動橋(いぶりはし)川・大聖寺(だいしょうじ)川

 柴山(しばやま)潟は、木津潟、今江潟の加賀三湖とともに、古くは日本海が深く湾入していたものが、海側に砂丘が発達して潟湖となり、次第に河川が運ぶ土砂が堆積して周囲が低湿地化してきたものです。戦後国営干拓事業によって、南岸の片山津(かたやまづ)温泉の景観を維持するために、一部を残して干拓されました。

 加賀市の北部には動橋(いぶりはし)川が流れて柴山潟に注ぎ、南部には大聖寺(だいしょうじ)川が流れて日本海に注ぎます。

 この「しばやまがた」、「かたやまづ」、「いぶりはし」、「だいしょうじ」は、

  「チパ・イア・マ・カタ」、TIPA-IA-MA-KATA(tipa=dried up,broad,large;ia=indeed,current;ma=white,clear;kata=opening of shellfish)、「乾燥してきている・実に・清らかな・(貝が口を開いたような)潟」

  「カタ・イア・マ・ツ」、KATA-IA-MA-TU(kata=opening of shellfish;ia=indeed,current;ma=white,clear;tu=stand,settle)、「実に・清らかな・(貝が口を開いたような)潟(の傍ら)に・立地している(土地。そこの温泉)」

  「イプ・リ・パチ」、IPU-RI-PATI(ipu=calabash with narrow mouth,vessel for holding anything(ipuipu=hollw,pool);ri=screen,protect,bind;pati=shallow water,shoal,ooze,splash)、「ひょうたん(柴山潟)に・結び付けられている(流入している)・浅瀬(の川)」(「イプ」のP音がB音に変化して「イブ」と、「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハチ」から「ハシ」となった)

  「タイ・チホウ・チ」、TAI-TIHOU-TI(tai=tide,wave,anger;tihou=an implement used for cultivating;ti=throw,cast,overcome)、「怒り狂つた流れ(洪水)が・鍬で土地を掘るように・征服する(洪水が襲う。川)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「チョウ」、「ショウ」となった)

の転訛と解します。

 

(3)能美(のみ)郡

 

a能美(のみ)郡

 古代からの郡名で、県の南部北寄りに位置し、加賀国の分国とともに手取川以南の地域であった旧江沼郡の北半が分割されて能美郡となったもので、おおむね現在の能美郡(川北町の北部の一部(手取川右岸)を除く)、石川郡美川町の南部の一部(手取川左岸)の区域、同郡鳥越村、尾口村、白峰村、小松市(西部の一部の区域を除く)の地域です。

 『和名抄』は、野身郷を「乃三・乃美(のみ)」と訓じます。「ノミ」は「ノベ、ナベ」に通じ「凹凸のない滑らかな地形」の意とする説があります。

 この「のみ」は、

  「(ン)ガウ・ミ」、NGAU-MI(ngau=bite,hurt,attack;mi=stream,river)、「川が・(しょっちゅう)襲ってくる(洪水がひんぱんにある。地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

b手取(てどり)川・比楽(ひらか)河(湊)・白山(はくさん・しらやま)・御前(ごぜん。ごぜんが)峰・剣ケ(けんが)峰・翠ケ(みどりが)池・木場(きば)潟・今江(いまえ)潟・那谷(なた)寺・安宅(あたか)関

 能美郡と石川郡の境をなす手取(てどり)川は、白山の大汝峰に源を発し、崩壊しやすい砂岩、礫岩、頁岩などの多い山間部を流れて石川郡鶴来町で平野に出て、広大な扇状地を形成し、多数の支流を扇状に分岐し、西流して同郡美川町で日本海に注ぎます。川名は、「手を取って渡らねば渡ることのできない急流」であることによるとされます。古くは、「加賀国比楽(ひらか)河」(『三代実録』貞観11(869)年2月条)と呼ばれ、『延喜式』主税上の部の諸国運漕雑物功賃の条に「越前国比楽(ひらか)湊」がみえ、今も手取川河口の美川町に平加(ひらか)町の名が残っています。(秋田県平鹿(ひらか)郡、同郡平鹿(ひらか)町の名も同じ語源です。入門篇(その三)の比楽(ひらか)河の項を参照してください。)

 白山(はくさん)は、石川・岐阜・福井の3県にまたがる両白山地にある火山で、御前(ごぜん。ごぜんが)峰(2,702メートル)、大汝(おおなんじ)峰(2,684メートル)(富山県の(5)新川郡のc大汝(おおなんじ)峰の項を参照してください。)、剣ケ(けんが)峰(2,677メートル)の3峰を中心とした総称です。富士山、立山と並ぶ日本三大霊峰の一つで、修験の聖地でした。古くは「しらやま」と呼ばれました。山頂近くでは冬季に積雪が10メートルに達し、残雪が多いため白山の称が生まれたとされます。頂上近くには火口湖の翠ケ(みどりが)池などがあります。

 小松市の海岸近くには、加賀三湖の一つの木場(きば)潟が梯(かけはし)川の支流の前川とつながり、今江(いまえ)潟はすでに全面干拓されました。市の南西には奇岩・急崖が連なった紅葉の名所として知られ、松尾芭蕉が「石山の石より白し秋の風」と詠んだ那谷(なた)寺があります。市の北西端、梯川河口左岸には、歌舞伎『勧進帳』、謡曲『安宅』の舞台となった安宅(あたか)関があります。

 この「てどり」、「ひらか」、「しら」、「ごぜん。ごぜんが」、「けんが」、「みどりが」、「きば」、「いまえ」、「なた」、「あたか」は、

  「テ・トリ」、TE-TORI(te=crack;tori=cut(toritori=cut in pieces,strenuous))、「(土地を)切り裂く・割れ目(の川)」

  「ピラカラカ」、PIRAKARAKA(fantail)、「(扇状の尾をもつ)駒鳥のような(扇状地を形成して流れる川)」(P音がF音を経てH音に変化し、反復語尾の「ラカ」が脱落して「ヒラカ」となった)または「ヒラ・カハ」、HIRA-KAHA(hira=numerous,great,important,widespread;kaha=rope,noose,edge,boundary line of land)、「大きな(重要な)・縄のような(または境界をなす。川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「チヒ・イラ」、TIHI-IRA(tihi=summit,top;ira=freckle,shine)、「頂上が・(残雪が日を浴びて)光り輝く(山)」(「チヒ」のH音が脱落して「シ」となり、その語尾のI音と「イラ」の語頭のI音が連結して「シラ」となつた)

  「(ン)ガウ・テ(ン)ガ」、NGAU-TENGA(ngau=bite,hurt,attack;tenga=Adam's apple,goitre)、「食いちぎられた・喉ぼとけのような(峰)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「テ(ン)ガ」が「テンガ」から「ゼンガ」となった)

  「カイ(ン)ガ」、KAINGA(place where fire has burnt(ka=take fire,be lighted,burn))、「(昔は)火を噴いていた(峰)」(AI音がE音に変化して「ケンガ」となった)

  「ミ・トリ・(ン)ガイ・ケ」、MI-TORI-NGAI-KE(mi=stream,river;tori=cut;ngai=tribe,clan;ke=strange,different)、「川が・(短く)断ち切られたような・異様な・部類に属する(変わった色をしている。湖)」(「(ン)ガイ」のNG音がG音に変化して「ガイ」となった)

  「キパ」、KIPA((Hawaii)to turn aside,to turn from the direct path;(Maori=tipa)turn aside,escape,ambush)、「(日本海に注ぐ川の流路から)横道に外れた(ところにある。潟)」(P音がB音に変化して「キバ」となった)

  「イ・マエ」、I-MAE(i=beside,past tense;mae=languid,listless)、「元気を無くして・しまった(周囲の陸地化、低湿地化が進んでいる。潟)」

  「ナ・タ」、NA-TA(na=by,belonging to;ta=dash,beat,lay)、「(岩に)打撃が加えられた・ような(奇岩急崖が連なる。土地。その土地に建てられた寺)」

  「アタ・カ」、ATA-KA(ata=gently,clearly,openly;ka=take fire,be lighted,burn)、「(前方が)開けている・居住地(そこに立てられた関所)」

の転訛と解します。

 

(4)石川(いしかは)郡

 

a石川(いしかは)郡

 古代からの郡名で、県の中央部南寄り、手取川以北の手取川扇状地を含む金沢平野の南半に位置し、加賀国の分国とともに手取川以北の地域であった旧加賀郡の南半が分割されて石川郡となったもので、おおむね現在の石川郡美川町(手取川左岸の区域を除く)、野々市町、鶴来町、河内村、吉野谷村、能美郡川北町の北部(手取川右岸の区域)、松任市、金沢市の南部(犀川(近世以降は浅野川)以北および大野湊の区域を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「伊之加波(いしかは)」と訓じます。郡名は、「石の多い川」の意で、郡域の主要部が手取川の氾濫原をなす地形・景観の特色によるとされます。

 この「いしかは」は、

  「イチ・カハ」、ITI-KAHA(iti=small;kaha=rope,noose,edge,boundary line of land)、「細い(小さい)・縄のような川(が流れる。地域)」

の転訛と解します。

 

b鶴来(つるぎ)町・金剱(かなつるぎ)宮・白山本宮加賀馬場(ばんば)・獅子吼(ししく)高原・金沢(かなざわ)市・犀(さい)川・浅野(あさの)川・小立野(こだつの)台地

 鶴来(つるぎ)町は、手取川中流右岸にあり、中心集落の鶴来は扇頂部に発達した谷口集落で、白山本宮四社の一つ金剱(かなつるぎ)宮の門前町として発展したことから、町名を剱(つるぎ)と称し、元禄年間以降鶴来と改めたとされます。また、町南部の三宮には加賀国一宮の白山比売(しらやまひめ。売は正しくは口偏に羊)神社が鎮座し、白山本宮加賀馬場(ばんば)の中心地(登拝道の起点)となっています。

 鶴来町と金沢市の境にある後高(しりたか)山の頂上一帯に獅子吼(ししく)高原があります。

 金沢(かなざわ)市は、県の中央に所在する県庁所在地で、市名は中世以来の地名によりますが、砂金を洗った沢を金洗沢(かねあらいざわ)と呼んだことによる、兼六園南隅の金城霊沢(きんじょうれいたく)という泉名によるなどの説があります。市の中心市街地は、犀(さい)川と浅野(あさの)川に挟まれた小立野(こだつの)台地の尖端に建設された金沢城を中心として形成された城下町として発展しました。

 この「かなつるぎ」、「ばんば」、「ししく」、「かなざわ」、「さい」、「あさの」、「こだつの」は、

  「カ(ン)ガ・ツルキ」、KANGA-TURUKI(kanga,ka,kainga=place of abode,unfortified place of residense,country;turuki=grow up in addition,come as a supplement,crowded)、「瘤のように張り出した・居住地(そこの宮)」(「カ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「カナ」となった)

  「パナ・パ」、PANA-PA(pana=expel,cause to come or go forth in any way;pa=touch,reach,hold personal communication with,block up,stockade)、「(神との)交流に往復する・接点(起点の。場所)」(P音がB音に変化して「バナバ」から「バンバ」となった)

  「チチ・イク」、TITI-IKU(titi=peg,comb for sticking in the hair;iku,ikuiku=eaves of a house)、「屋根の棟を・棒で梳(くしけず)ったような(場所。高原)」(「チチ」の語尾のI音と「イク」の語頭のI音が連結して「チチク」から「シシク」となった)

  「カ(ン)ガ・タハ」、KANGA-TAHA(kanga,ka,kainga=place of abode,unfortified place of residense,country;taha,tawha=calabash with a narrow mouth)、「ひょうたんのような(形をした。犀川と浅野川に挟まれた小立野台地を指す)・居住地」(「カ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「カナ」と、「タハ」が「サハ」から「ザワ」となった)

  「タイ」、TAI(tide,wave,anger)、「荒れ狂う(川)」

  「アタ・(ン)ガウ」、ATA-NGAU(ata=gently,clearly,openly;ngau=bite,hurt,attack,wander)、「穏やかに・漂流する(流路を変える。川)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「コタ・ツノウ」、KOTA-TUNOU(kota=cockle shell,anything to scrape or cut with;tunou=nod the head)、「頭を下げている(尖端が低くなっている)・鳥貝のような(形をした。台地。丘陵)」

の転訛と解します。

 

(5)加賀(かが)郡(河北(かほく)郡)

 

a加賀(かが)郡(河北(かほく)郡)

 古代からの郡名で、県の中央部北寄り、河北潟を中心とする金沢平野の北半に位置し、加賀国の分国とともに手取川以北の地域であった旧加賀郡の南半を石川郡として分割したもので、中世後半に河北(かほく)郡と改称されました。おおむね現在の河北郡(津幡町の北部および高松町の東部を除く)、金沢市の北部(犀川(近世以降は浅野川)以北および大野湊の区域)の地域です。

 郡名については、(1)加賀(かが)国の項および次の河北(かほく)潟の項を参照してください。

 

b河北(かほく)潟(蓮(れん)湖・大清(たいせい)湖)・内灘(うちなだ)町・宇ノ気(うのけ)町内日角(うちひすみ)・津幡(つばた)町

 河北(かほく)潟は、金沢平野の北部にあり、縄文海進時代には湾であったのが海岸砂丘の発達によって潟湖となつたもので、蓮(れん)湖、大清(たいせい)湖とも呼ばれました。かつては河北潟北部と金沢を結ぶ水運が発達し、漁業も盛んでしたが、江戸時代から干拓が試みられ、昭和38(1963)年から始まった国営干拓事業によって水面の60パーセントが農地となりました。

 内灘(うちなだ)町は、日本海と河北潟の間の内灘砂丘の上に位置する町で、町名は砂丘北方の七塚(ななつか。現七塚町)に対する「内七塚」によるとされます。

 宇ノ気(うのけ)町は、河北潟の北岸に位置し、南岸の須崎と結ぶ内日角(うちひすみ)は、湖上交通と七尾街道の荷の積替え地として明治31(1898)年の七尾鉄道(現JR七尾線)の開通まで栄えました。

 津幡(つばた)町は、河北潟の東部にあり、中心集落の津幡は源平合戦の古戦場倶利伽羅峠(富山県の(2)礪波郡のb倶利伽羅峠の項を参照してください。)を控え、北陸道と能登道が分岐する古くからの交通の要衝の宿場町として発展しました。町名は、河北潟に臨む津の端の「津波多」という中世以来の地名に由来するとされます。

 この「かほく」、「れん」、「たいせい」、「うちなだ」、「うのけ」、「うちひすみ」、「つばた」は、

  「カホ・クフ」、KAHO-KUHU(kaho=batten,rail of a fence etc.;kuhu=insert,conceal)、「垣根(砂丘)で・隠されている(日本海と潟の間に砂丘が挿入されている。潟)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

  「レナ」、RENA(stretch out)、「手足を充分に伸ばした(潟)」(「レナ」が「レン」となった)

  「タヒ・タイ」、TAHI-TAI(tahi=one,unique,altogether;tai=tide,wave,anger)、「(外洋と)変わった・波が立つ(潟)」(「タヒ」のH音が脱落して「タイ」と、「タイ」のAI音がEI音に変化して「テイ」から「セイ」となった)

  「ウ・チナ・タ」、U-TINA-TA(u=breast of a female,be fixed,reach the land,arive by water;tina=fixed,firm,satisfied,exhausted,constipated;ta=dash,beat,lay)、「便秘している(水路が狭い)・船着き場が・そこにある(場所。その地域)」

  「ウ・ノケ」、U-NOKE(u=breast of a female,be fixed,reach the land,arive by water;noke=small)、「小さな・船着き場(その地域。そこを流れる川)」

  「ウ・チヒ・ツ・ミ」、U-TIHI-TU-MI(u=breast of a female,be fixed,reach the land,arive by water;tihi=summit,top,topknot of hair;tu=stand,settle;mi=stream,river)、「川(宇気川の河口。または河北潟の岸)に・位置している・最高(最大)の・船着き場(その地域)」

  「ツパ・タ」、TUPA-TA(tupa=dried up,barren,flat,spring of a trap,turn sharply aside;ta=dash,beat,lay)、「(河北潟の湖岸の)乾燥した・場所に位置している(地域)」または「(罠の仕掛けのスプリングのような)道が分岐する場所に・位置している(地域)」

の転訛と解します。

 

(6)能登(のと)国

 

 能登(のと)国は、石川県の北半、能登半島の大部分を占め、東、北、西の三方は日本海に面し、南は越中国および加賀国に接します。古くは越(こし)国の一部で、天武天皇12年から持統天皇6年の間に越国が越前・越中・越後の3国に分かれた中の越前国に属していましたが、養老2(718)年5月に羽咋、能登、鳳至、珠洲4郡を割いて能登国が立てられました。その際、国府を能登郡に置き、国名の由来は国府所在地の郡名によるとされます。のち天平13(741)年12月に越中国に合併されましたが、天平勝宝9(757)年5月に再び能登国が復活しました。

 国名は、建国時の国府所在郡名による、海中に突き出た「能(よ)き門(かど)の国」の意、「ノ(長い)」で国の地形が長いことによる、「ノ(延)・ト(渡)」で「佐渡」に対応する地名、船の航行を妨げた魔物を大己貴命が退治してから船が「能く登る」ようになつたから(『気多神社縁起』)、鹿島郡大呑郷の「呑所(のんと)、呑門(のんと)」から、「咽喉(のど)状のくびれた地形」から、郡家所在地の「沼所(のと)」から、アイヌ語「ノッ(not。岬)」からなどの説があります。

 この「のと」は、

  「(ン)ゴト」、NGOTO(head)、「(日本海に突き出した)頭のような(国」(NG音がN音に変化して「ノト」となった)

の転訛と解します。

 

(7)羽咋(はくひ)郡

 

a羽咋(はくひ)郡

 古代からの郡名で、県の北部南より、口能登の西半を占め、能登半島の外浦の西岸一帯で、おおむね現在の羽咋郡、羽咋市、河北郡津幡町の北部、高松町の東部の地域です。

 『和名抄』は、「波久比(はくひ)」と訓じます。郡名は、「クヒ(クキ(洞)の転。山中の穴)」の意、「クヒ(クキ(洞。漏れる)の転。水が内湾から漏れ出るところ)」の意、「ハ(端)・クヒ(杭)」の意、「ハニ(埴土、粘土)・クヒ(食)」で「浸食されやすい崖、砂丘など」の意とする説、垂仁天皇の皇子がこの地に棲む怪鳥を退治した際、愛犬が怪鳥の羽根を食い破ったことによるとする説があります。

 この「はくひ」は、

  「ハ・クヒ」、HA-KUHI(ha=breath,taste,what!;kuhi=kuhu=insert)、「(能登半島の基部に細長く)挿入された・呼吸をする(潮の干満に応じて水面が上下する潟湖(邑知(おうち)潟)がある。地域。その潟湖から流れ出す川)」または「パ・クヒ」、PA-KUHI(pa=block up,prevent,stockade,blockade,weir for catching eels etc.;kuhi=kuhu=insert)、「(能登半島の基部に細長く)挿入された・ウナギの魚梁(やな)のような(邑知潟がある。地域。その潟湖から流れ出す川)」(「パ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハ」となった)

の転訛と解します。

 

b邑知(おうち)潟(千路(ちじ)湖・菱(ひし)湖・大蛇(おろち)湖)・宝達(ほうだつ)山・志雄(しお)町・之乎路(しおじ)・気多(けた)神社・富来(とぎ)町(荒木(あらき)郷)・福良(ふくら)・能登金剛(のとこんごう)・巌門(がんもん)の洞窟

 邑知(おうち)潟は、能登半島基部を南西から北東に走る邑知潟低地帯(地溝帯)西部に位置する潟湖で、千路(ちじ)湖、菱(ひし)湖とも呼び、大国主命が潟の主の大蛇を退治した伝説から大蛇(おろち)湖とも呼ばれました。邑知潟低地帯は幅約5キロメートル、長さ約25キロメートルの帯状をなし、かつて入り江であった潟湖は江戸時代から干拓が進み、戦後の国営干拓事業によつて110ヘクタールを遊水池として残し、335ヘクタールが農地化されました。

 越中国との境には押水町にある宝達(ほうだつ)山(637メートル)を最高峰とする宝達丘陵が南西から北東に緩やかに湾曲して伸びています。

 志雄(しお)町の地名は、奈良時代に越中守として能登を巡察した大伴家持の歌に「之乎路(しおじ)」としてみえます。

 羽咋市には、大己貴(おおなむち)命を祭神とする能登国一宮の気多(けた)神社が鎮座します。

 富来(とぎ)町はもと荒木(あらき)郷で、地名は「荒」を好字の「富」に変えたことによるとされます。南部の福良(ふくら)港は、古代に渤海使節が入港した港町で、江戸時代には北前船の避難港、風待港として栄えました。福浦から北の門前町との境の深谷までの約30キロメートルの海岸は、奇岩怪石に富み、その景観は朝鮮半島の金剛山に匹敵するとされるところから能登金剛(のとこんごう)の名があり、とくに幅6メートル、高さ10メートル、奥行き60メートルの巌門(がんもん)の洞窟は有名です。

 この「おうち」、「ちじ」、「ひし」、「おろち」、「ほうだつ」、「しお」、「しおじ」、「けた」、「とぎ」、「あらき」、「ふくら」、「のとこんごう」、「がんもん」は、

  「アウ・チ」、AU-TI(au=cloud,sea,wake of a canoe,string;ti=throw,cast,overcome)、「紐が・放り出されているような(潟)」(「アウ」のAU音がOU音に変化して「オウ」となった)

  「チチ」、TITI(peg,sticks,long streaks of cloud)、「長い棒のような(潟)」

  「ヒヒ・チ」、HIHI-TI(hihi=any long appebdages;ti=throw,cast,overcome)、「鯨の髭(または海老の髭などの細長いもの)が・放り出されているような(潟)」(「ヒヒ」の反復語尾が脱落して「ヒ」となった)

  「オロ・チ」、ORO-TI(oro=clump of trees;ti=throw,cast,overcome)、「材木が・放り出されているような(潟)」

  「ホウ・タツ」、HOU-TATU(hou=feather,tail feather;tatu=reach the bottom,be content,strike one foot against the other)、「(日本海まで)伸びている・(鳥の尻尾の)羽根のような(山。丘陵)」

  「チオ」、TIO(rock-oyster)、「岩牡蠣のような(丘陵。その丘陵がある地域)」

  「チオ・チ」、TIO-TI(tio=rock-oyster;ti=throw,cast,overcome)、「岩牡蠣(のような丘陵)が・放り出されている(そこにある。地域。そこを通る街道)」

  「カイタ」、KAITA(large,of superior quality)、「偉大な(神(大己貴(おおなむち)命)を祀る。神社)」(AI音がE音に変化して「ケタ」となった)または「カイ・タ」、KAI-TA(kai=eat;ta=dash,beat,lay)、「(その地方を)征服して・止まった(鎮座した神(大己貴(おおなむち)命)。その神を祀る神社)」(「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)

  「ト(ン)ギ」、TONGI(point,peck as a bird,nibble at bait)、「(岩を)つっついたりかじつたりしたような(場所(能登金剛)がある。地域)」(NG音がG音に変化して「トギ」となった)

  「アラ・キ」、ARA-KI(ara=way,rise up,awake,have the eyes open;ki=full,very)、「目を見張るような(景勝地)が・多い(場所。地域)」

  「プク・ウラ(ン)ガ」、PUKU-URANGA(puku=swelling,abdomen;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「(入り江の中が)膨らんでいる・船着き場(地域)」(「プク」のP音がF音を経てH音に変化して「フク」と、「ウラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ウラ」と、「フク・ウラ」から「フクラ」なった)

  「(ン)ゴト・コ(ン)ガフ」、NGOTO-KONGAHU(ngoto=head;kongahu=stone)、「頭のような・石(岩が続く海岸)」または「能登半島の・石(岩が続く。海岸)」(「(ン)ゴト」のNG音がN音に変化して「ノト」と、「コ(ン)ガフ」のH音が脱落し、AU音がOU音に変化して「コンゴウ」となった)

  「(ン)ガナ・モノ」、NGANA-MONO(ngana=persist,strong,rage;mono=plug,caulk,disable by means of incantations)、「荒々しい・(穴の先が)塞がっている(洞窟)」(「(ン)ガナ」のNG音がG音に変化して「ガナ」から「ガン」と、「モノ」が「モン」となった)

の転訛と解します。

 

(8)能登(のと)郡

 

a能登(のと)郡(鹿島(かしま)郡)

 古代から中世の郡名で、県の北部南より、口能登の東半、能登半島の東岸に大きく湾入する七尾湾を抱く地域で、おおむね現在の鹿島郡、七尾市の地域です。

 郡名については、(6)能登(のと)国の項を参照してください。

 なお、郡名は古代の国津であった加島(かしま)津があった加島郷の名から中世に鹿島(かしま)郡と改称されました。

 この「かしま」は、

  「カ・チマ」、KA-TIMA(ka=take fire,be lighted,burn;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「掘り棒で掘ったような地形の場所の・居住地(地域。そこの港)」

の転訛と解します。

 

b七尾(ななお)市・所口(ところぐち)・和倉(わくら)温泉(湧浦(わくうら))・能登島(蝦夷(えぞ)島)・屏風(びょうぶ)崎・石動(せきどう。いするぎ)山・熊木(くまき)郷・熊甲(くまかぶと)宮・枠旗(わくはた)行事

 七尾(ななお)市は、東は富山湾、北は七尾南湾に臨み、中央部は邑知潟低地帯の北端の低地にあたります。古代には国府、国分寺が置かれ、室町時代には守護畠山氏の七尾城の城下町となり、中世には所口(ところぐち)と呼ばれる港町でした。

 和倉(わくら)温泉は、七尾西湾に面して能登島などの島々を望む風光明媚な場所にあり、古くは海中に噴出していた温泉で、湧浦(わくうら)と呼ばれていました。

 七尾湾に浮かぶ能登島は、標高100メートル前後の低い山地に覆われた島で、蝦夷(えぞ)島とも呼ばれました。昭和57(1982)年屏風(びょうぶ)崎と七尾市を結ぶ能登島大橋が架橋されました。

 七尾市の東部には修験の霊場であった鹿島町の石動(せきどう。いするぎ)山(564メートル)を最高峰とする石動山系の山脈が北へ伸びて崎山半島となっています。

 能登半島中部東側の中島(なかじま)町は、古くは熊木(くまき)郷で、町名は熊木川の河口が二筋に分かれて島をなしていたことによるとされます。この町の熊甲(くまかぶと)宮の9月20日の二十日祭における長さ15メートルもの枠旗(わくはた)を担ぎ廻る枠旗行事は、重要無形民俗文化財に指定されています。

 この「ななお」、「ところぐち」、「わくら」、「わくうら」、「えぞ」、「びょうぶ」、「いするぎ」、「くまき」、「くまかぶと」、「わくはた」は、

  「ナナオ」、NANAO(handle,feel with the hand,lay hold of)、「取っ手(崎山半島)がある(土地。地域)」

  「トカウ・ロ・クチ」、TOKAU-RO-KUTI(tokau=plain,devoid of ornament;ro=roto=inside;kuti=pinch,contract)、「奥が・狭くなっている(細長い邑知潟低地帯となっている)・何の変哲もない(飾りがない。特徴がない。土地。港町)」(「トカウ」のAU音がO音に変化して「トコ」となった)

  「ワ・クラ」、WA-KURA(wa=definite space,area;kura=kura=ornamented with feathers,precious,treasure)、「風光明媚な(羽根で飾ったように美しい)・場所(そこの温泉)」

  「ワク・ウラ(ン)ガ」、WAKU-URANGA(waku=rub,scrape;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「(温泉に浸かるために海岸の砂を)掘る・船着き場(地域)」(「ウラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ワクウラ」となった)

  「ヒ・ツルキ」、HI-TURUKI(hi=raise,rise;turuki=grow up in addition,come as a supplement,thatch a house)、「高い(尊崇を受ける)・瘤のような(山)」(「ヒ」のH音が脱落して「イ」となった)

  「エト」、ETO(lean,attenuated)、「薄っぺらな(高い山がない。島)」

  「ピオ・プ」、PIO-PU(pio=be extinguished;pu=tribe,bunch,heap)、「崩れた(消えかかった)・岡のような(岬)」

  「クマ・キ」、KUMA-KI((Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers;ki=full,very)、「指の間のひびのような(山の尾根に挟まれた低湿な谷間の)場所が・多い(地域)」

  「クマ・カプ・ト」、KUMA-KAPU-TO((Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers;kapu=hollow of the hand,sole of the foot;to=drag(toanga=place of dragging))、「指の間のひびのような(山の尾根に挟まれた低湿な谷間の)場所の・手のひらの窪みのようなところで・カヌーを引き揚げておく(場所。その地域の神社)」

  「ワク・パタ」、WAKU-PATA(waku=rub,scrape;pata=drop of water,suckers on the tentaculae of the cuttle-fish)、「烏賊の足(のような旗)を・引きずって歩く(祭の行事)」(「パタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタ」となった)

の転訛と解します。

 

(9)鳳至(ふきし。ふけし)郡

 

a鳳至(ふきし。ふけし)郡

 古代からの郡名で、県の北端、奥能登の中央部から西部一帯を占め、おおむね現在の鳳至郡(能都町の東部の一部の区域を除く)、輪島市の地域です。

 『和名抄』は、「不希志(ふきし)」と訓じます。中世以降は「ふけし(ふげし)」と呼ばれます。郡名は、「フ(接頭語)・ケシ(岸。崖地)」の意、「フケ・シ(湿地)」の意、「フク(膨、脹)・ス(洲)」で「凹所に水が脹れ上がる洲」の意、「烽火(とぶひ)・狼煙(のろし)の転」とする説があります。

 この「ふきし」、「ふけし」は、

  「フキ・チ」、HUKI-TI(huki=spit a bird etc. on a stick,stick in as feathers in the hair;ti=throw,cast,overcome)、「(能登半島の)真中を串刺しにした串(穴水(あなみず)と輪島(わじま)または能都町宇出津(うしつ)と門前町曽々木(そそぎ)を結ぶ道路)が・横たわっている(地域)」

  「フケ・チ」、HUKE-TI(huke=dig up,excavate,disembowled;ti=throw,cast,overcome)、「(能登半島の山地を)開削した場所(穴水と輪島または能都町宇出津と輪島市曽々木を結ぶ道路)が・横たわっている(地域)」

の転訛と解します。

 

b穴水(あなみず)町・宇出津(うしつ)・真脇(まわき)・輪島(わじま)市・白米(しらよね)・曽々木(そそぎ)・舳倉(へくら)島・間垣(まがき)

 穴水(あなみず)町は、奥能登の交通の中心で、道が諸方に通ずる港町であり、のと鉄道の輪島方面と蛸島方面の分岐点です。

 能都町宇出津(うしつ)は、天然の良港で近世以降クジラ、ブリ、イカ漁など能登屈指の漁港として、また奥能登の産物の積出港として栄えました。能都町東端の史跡真脇(まわき)遺跡(旧珠洲郡の域内でした)の縄文前期から晩期の集落跡からは、巨木の列柱などとともにイルカの骨が出土しています。

 輪島(わじま)市は、外浦のほぼ中央、輪島川の河口に位置し、古くから日本海交通の要地でした。市名は、この地の地形が輪のような入り海であるところから、重蔵神社の本地十輪地蔵の「輪地」から、昔ここに鷲の悪鳥が棲んでいた「鷲魔」からなどの説があります。市の東部には、山裾の傾斜地に約2000枚の小さな水田が並ぶ白米(しらよね)の千枚田、海食と隆起によってできた奇岩が続く曽々木(そそぎ)海岸があり、また、沖合50キロメートルには夏期に輪島市海士(あま)町および鳳至町の漁民が季節移住することで有名な舳倉(へくら)島があります。

 外浦には風浪を防ぐ間垣(まがき)が発達しています。

 この「あなみず」、「うしつ」、「まわき」、「わじま」、「しらよね」、「そそぎ」、「へくら」、「まがき」は、

  「ア(ン)ガ・アミ・ツ」、ANGA-AMI-TU(anga=face or move in a certain direction,turn to;ami=gather,collect;tu=stand,settle)、「方々へ向かうもの(道、人、船)が・集まっている・ところに位置する(土地。地域。港)」(「ア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「アナ」と、「アナ」の語尾のA音と「アミ」の語頭のA音が連結して「アナミ」となった)

  「ウチ・ツ」、UTI-TU(uti=bite;tu=stand,settle)、「食いちぎられた(浸食されて入り江となっている)・場所に位置する(土地。地域。港)」

  「マワキ」、MAWHAKI(broken,torn off)、「裂けている(入り江がある。土地)」または「破壊された(集落。その土地)」

  「ワ・チマ」、WA-TIMA(wa=definite space,area;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「掘り棒で掘ったような・場所(湾がある。土地)」または「ワチ・マ」WHATI-MA(whati=be broken off short,be bent at an angle,break of the sea;ma=white,clear)、「(山の尾根を)折り取ったうな・清らかな(土地)」

  「トト・キ」、TOTO-KI(toto=ooze,gush forth,spring up;ki=full,very)、「盛大に・波しぶきを上げる(奇岩怪石がある。海岸)」

  「チラ・イホ・ネイ」、TIRA-IHO-NEI(tira=fin of a fish,file of men;iho=up above,from above,downwards;nei=to indicate continuance of action)、「魚のひれのような(小さな水田が)・上に向かって・ずっと並んでいる(場所。地域)」(「イホ」のH音が脱落して「イオ」から「ヨ」と、「ネイ」が「ネ」となったなった)

  「ヘ・クラ」、HE-KURA(he=a,an,wrong,in trouble or difficulty;kura=ornamented with feathers,precious,treasure,ceremonial restriction)、「争い事が多い・(漁業期間や漁種などについて種々の)制限がある(島)」

  「マ(ン)ガ・キ」、MANGA-KI(manga=branch of a tree;ki=full,very)、「たくさんの・木の枝(を集めて結った。垣根)」(「マ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「マガ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)珠洲(すす)郡

 

a珠洲(すす)郡

 古代からの郡名で、能登半島の尖端に位置し、おおむね現在の珠洲(すず)郡、珠洲(すず)市、鳳至郡能都町の東部の一部の地域です。

 『和名抄』は、「須々(すす)」と訓じます。郡名は、「スス(篠)」から、「スズ(マレー語で尖端)」から「岬」の意、「スズ(稲積み)」山名から、烽火(とぶひ)・狼煙(のろし)の古訓「ススミ」の転とする説があります。

 この「すす」は、

  「ツツ」、TUTU(hoop for holding open a hand net)、「(東方へ向かって飯田湾を抱くように)手網の支柱のような二股になった土地(がある。地域)」

の転訛と解します。

 

b緑剛(ろっこう)崎・見附(みつけ)島・内浦(うちうら)町・恋路(こいじ)海岸・九十九(つくも)湾

 珠洲市の北部、能登半島の突端には、奈良時代に烽火台が置かれたという緑剛(ろっこう)崎があります。市の南部には、内浦海岸を代表する景勝、軍艦島とも呼ばれる見附(みつけ)島があります。

 見附島の南の内浦(うちうら)町には、恋路(こいじ)海岸や、九十九(つくも)湾の景勝地が続いています。

 この「ろっこう」、「みつけ」、「うちうら」、「こいじ」、「つくも」は、

  「ロク・コウ」、ROKU-KOU(roku=bend,grow weak,decline;kou=knob,stump)、「衰弱している(金剛崎などに比して断崖が少ない)・瘤のような(岬)」

  「ミ・ツ・フケ」、MI-TU-HUKE(mi=stream,river;tu=fight with,energetic,persistent;huke=dig up,excavate)、「潮流が・根気よく・掘った(結果できた。島。軍艦島)」(「ツ」のU音と「フケ」のH音が脱落した語頭のU音が連結して「ツケ」となった)

  「ウチ・ウラ(ン)ガ」、UTI-URANGA(uti=bite;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「食いちぎられた(浸食された。リアス式地形の)・船着き場(地域)」

  「コヒチ」、KOHITI(pick out,a place where fern root has been dug)、「羊歯の根を堀取った跡のような(奇岩怪石がある。場所。海岸)」(H音が脱落して「コイチ」から「コイジ」となった)

  「ツク・モウ」、TUKU-MOU(tuku=let go,give up,leave,settle down,steep in dye etc.;mou=fixed,firm)、「(谷に)海水が侵入して・止まった(湾)」(地名篇(その十四)の高知県の(1)土佐国のb九十九洋(つくもなだ)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

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18 福井県の地名

 

(1)越前(えちぜん)国

 

 福井県は、古くは越前(えちぜん)国および若狭(わかさ)国でした。

 越前国は、北は加賀国、東は飛騨国、美濃国、南は美濃国、近江国、南西は若狭国、西は日本海に接します。古くは越(こし)国の一部で、角鹿(つぬが)国造、三国(みくに)国造、高志(こし)国造の名が『旧事本紀』にみえ、記紀は武烈天皇の後応神天皇5世の孫男大迹(おほど)王が越国三国から出て継体天皇となったと伝え、越国が越前・越中・越後の3国に分かれたのは天武天皇12年から持統天皇6年の間とされ、当初の越前国は能登国、加賀国を含んでいましたが、養老2(718)年に羽咋、能登、鳳至、珠洲の4郡を分けて能登国を建て、弘仁14(823)年に江沼、加賀の2郡を分けて加賀国を建てています。国内では同年丹生(にふ)郡から今立(いまたち)郡を分け、『延喜式』では敦賀(つるが)、丹生(のちに南条郡が分かれます)、今立、足羽(あすは。のちに吉田郡が分かれます)、大野(おほの)、坂井(さかい)の6郡からなります。

 なお、国府の所在地は、丹生郡で現在の武生市付近とされます。

 『和名抄』は、「古之乃三知乃久知(こしのみちのくち)」と訓じます。「越(こし)国」については、新潟県の(1)越後国の項を参照してください。

 

(2)敦賀(つるが)郡

 

a敦賀(つるが)郡

 古代からの郡名で、越前国の南西端に位置し、敦賀湾をU字形に囲む地域で、おおむね現在の敦賀市の区域です。古くは丹生郡の南部(現在の南条郡を含む)を含む地域であったとされます。

 『和名抄』は、「都留我(つるが)」と訓じます。古代に漂着した任那の王子都怒我阿羅斯等(つぬがあらしと)にちなむ「角鹿(つぬが)」の転、敦賀半島を角(つの)に見立てたことによる、「ツ(津)・ヌ(助詞ノの転)・ガ(処)」の意、「ツル(ツラの転。砂州の連なったところ)」の意などの説があります。

 この「つるが」、「つぬが」は、

  「ツ・ル(ン)ガ」、TU-RUNGA(tu=stand,settle;runga=the top,above,the south,the southern parts)、「(越国の)南に・位置する(場所。地域)」(「ル(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ルガ」となった)

  「ツ(ン)グ・ウ(ン)ガ」、TUNGU-UNGA(tungu=kindle;unga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「灯りが灯されている(居住地である)・船着き場(その地域)」(「ツ(ン)グ」のNG音がN音に変化して「ツヌ」と、「ウ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ウガ」となり、「ツヌ」の語尾のU音と「ウガ」の語頭のU音が連結して「ツヌガ」となった)

の転訛と解します。

 

b愛発(あらち)関・疋田(ひきだ)・気比(けひ)神宮・常宮(じょうぐう。つねのみや)神社・気比(けひ)の松原・金ケ崎(かねがさき)城跡・杉津(すいづ)

 近江国から越前国に入ったところに奈良時代から平安時代の始めに畿内防衛のために伊勢国鈴鹿関、美濃国不破関とともに置かれた愛発(あらち)関がありました。天然の良港敦賀津の南の国境の愛発(あらち)山は歌枕ともなり、その地名は加賀白山の女神がこの山で出産し、「荒血」がこぼれたことによるとされます。関があった場所は不詳で、琵琶湖北岸の海津からの西近江街道と塩津からの東近江街道が合する疋田(ひきだ)説、笙ノ川谷口の道ノ口説などがありますが、下記の解釈からしますと疋田と考えられます(「鎖骨」と「両腕」は同一地形の別表現ではないでしょうか)。

 市街地の東に越前国一宮、北陸道総鎮守の気比(けひ)神宮が鎮座します。その西の敦賀半島の付け根の小湾には気比神宮の奥宮とされる常宮(じょうぐう。古くは「つねのみや」)神社が鎮座します。

 市街地の西の海岸には奈良時代に一夜にして数千本の松が出現し、樹上に数万羽のシラサギが群集して外敵を驚かし、時の聖武天皇を助けたと伝えられる気比(けひ)の松原があります。

 市街地の東には中世以来数々の合戦の舞台となつた金ケ崎(かねがさき)城跡があります。

 敦賀湾の東の湾口の杉津(すいづ)から北には、奇岩怪石に富む越前加賀海岸国定公園の岩石海岸が連なります。

 この「あらち」、「ひきだ」、「けひ(神宮)」、「つねの」、「けひ(松原)」、「かねがさき」、「すいづ」は、

  「アラ・チ」、ARA-TI(ara=way,path,means of conveyance,rise up)、「(都への物資の)運搬路に・置かれた(関所)」または「ア・ラハ・チ」、A-RAHA-TI(a=the...of,belonging to,collar-bone;raha=open,extended;ti=throw,cast,overcome)、「鎖骨のような(山がある)地形の・開けたところに・設けられた(関所)」(「ラハ」のH音が脱落して「ラ」となった)

  「ヒキ・タ」、HIKI-TA(hiki=lift up,carry in the arms,convey;ta=dash,beat,lay)、「両腕で抱えているような場所が・ある(土地。地域)」

  「カイ・ヒ」、KAI-HI(kai=food;hi=raise,catch with hook and line,rise)、「食物(イルカ)を・釣り上げた(場所。そこにある神社)」(「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)(古典篇(その五)の064気比の大神の項を参照してください。)または「ケ・ヒ」、KE-HI(ke=strange,different;hi=raise,rise)、「不思議な(変わった)・崇高な(高い地位を与えられた神。その神を祀る神社)」

  「ツ・ネイ・(ン)ガウ」、TU-NEI-NGAU(tu=fight with,energetic;nei=indicate continuance of action;ngau=bite,hurt,attack)、「荒々しく・次から次へと・噛みついた(跡のような場所。小湾。そこにある神社)」(「ネイ」が「ネ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」なった)

  「ケ・ヒ」、KE-HI(ke=strange,different;hi=raise,rise)、「不思議なことに・(一夜にして樹高が)高くなった(松原)」

  「カネ・(ン)ガタ・キ」、KANE-NGATA-KI(kane=head;ngata=satisfied;ki=full,very)、「充分に・満足している(城を築く条件を満たしている)・頭のような(地形の土地。そこに築かれた城)」(「(ン)ガタ」のNG音がG音に変化して「ガタ」から「ガサ」となった)

  「ツイ・ツ」、TUI-TU(tui=pierce,thread on a string,hurt;tu=stand,settle)、「(岩に穴を開けて糸で縫い合わせたような)浸食された岩が連なっている・ところに位置する(場所)」

の転訛と解します。

 

(3)丹生(にふ)郡

 

a丹生(にふ)郡

 古代からの郡名で、丹生山地(北部の一部の区域を除く)およびその南に連なる越美山地の区域を占め、おおむね現在の丹生(にゅう)郡、福井市の西南部の一部、鯖江市の西部の一部(おおむね日野川の左岸の区域)、武生市の西部(おおむね日野川の左岸の区域)、南条(なんじょう)郡の地域です。中世に南仲条郡が分かれ、江戸初期に南条郡と改称されています。

 『和名抄』は、「尓布(にふ)」と訓じます。「ニ(丹。水銀)を産する地」とする説が有力で、「ニ(粘土、赤土)・フ(のあるところ)」の意、ヌはニの転で玉に関係するとする説などがあります。

 この「にふ」は、

  「ヌイ・フ」、NUI-HU(nui=large,many;hu=promontory,hill)、「(岬のような)細長くて低い山が・たくさんある(地域)」(「ヌイ」が「ニ」となった)

  または「ニウ」、NIU(dress timber smooth with an axe,move along;(Hawaii)niu=spinning)、「(斧で表面を削ったような)小さい起伏がある(地域)」または「(粒となつてころころと流れる)水銀(を産する。地域)」

の転訛と解します。

 

b越知(おち)山・六所(ろくしょ)山・呼鳥門(こちょうもん)・鳥糞(とりくそ)岩・干飯(かれい)崎・武生(たけふ)盆地・鉢伏(はちぶせ)山・木の芽(きのめ)峠・栃ノ木(とちのき)峠

 越前岬を頂点として日本海に張り出している丹生山地の中央には白山信仰の霊地の越知(おち)山(613メートル)があり、越知山から西に連なる尾根には丹生山地の最高峰六所(ろくしょ)山(698メートル)があり、六所山から伸びる尾根が海岸に落ち込むところが高い断崖をもつ越前岬となり、近くには呼鳥門(こちょうもん)や鳥糞(とりくそ)岩の景勝があります。越前岬の南には干飯(かれい)崎があります。

 丹生山地と越前中央山地の間に日野川によって形成された沖積平野の武生(たけふ)盆地があり、その北部の福井市南端の文殊(もんじゅ)山などの狭隘部によって排水が妨げられ低湿地となつています。盆地の南端の扇状地性堆積地に武生(たけふ)市が立地します。市名は、古代の国府の所在地で府中と呼ばれていましたが、催馬楽(さいばら)に「武生(たけふ)の国府」とあることにちなんで改称されたものです。

 武生盆地の南端、南条山地にある今庄(いまじょう)町と敦賀市との間の鉢伏(はちぶせ)山(762メートル)の南の木の芽(きのめ)峠(標高628メートル)は、古代北陸道(西近江路)の要衝で源平両軍から信長・朝倉両軍の戦記に登場します。今庄町と滋賀県余呉町との境の栃ノ木(とちのき)峠(標高537メートル)は、東近江路の要衝で柴田勝家が改修したと伝えます。

 この「おち」、「ろくしょ」、「こちょうもん」、「とりくそ」、「かれい」、「たけふ」、「はちぶせ」、「きのめ」、「とちのき」は、

  「オチ」、OTI(finished)、「(丹生山系の中の)終わりの(最も奥にある。山)」

  「ロク・チオ」、ROKU-TIO(roku=bend,grow weak,wane;tio=rock-oyster)、「(越智山から伸びてきた尾根が)曲がっている・岩牡蠣のような(山)」

  「コチ・アウ・モナ」、KOTI-AU-MONA(koti=spurt out,flow,cut off,divide;au=sea;mona=scar,trace)、「海の・(叩きつける)激流が・残した傷跡のような(海岸)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となり、「モナ」が「モン」となった)

  「トリ・ク・ウト」、TORI-KU-UTO(tori=cut;ku=silent;uto=revenge,object of one's revenge)、「静かに・(復讐するように)めちゃめちゃに・切り裂いた(ような。岩)」(「ク」のU音と「ウト」の語頭のU音が連結して「クト」から「クソ」となった)

  「カレイ」、KAREI(heart-wood)、「材木の芯材のような(岬)」

  「タケ・フ」、TAKE-HU(take=stump,base of a hill,cause,biginning;hu=hill,promontry)、「丘陵(丹生山地および越美山地)の・始まり(山裾の土地。地域)」

  「パ・チプ・テ」、PA-TIPU-TE(pa=screen,blocade,stocade;tipu=swelling,lump;te=crack)、「割れ目がある・膨らんだ・(交通の)障碍物となっている(山)」(「パ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハ」となった)

  「キノ・マイ」、KINO-MAI(kino=bad,ugly;mai=hither,towards,mussels taken out of the shells,become quiet)、「向こうの・醜い(ごつごつした。峠。そこから流れる川)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)または「キ・ナウマイ」、KI-NAUMAI(ki=full,very;naumai=guest)、「お客(峠を通る旅人)が・多い(峠)」(「ナウマイ」のAU音がO音に、AI音がE音に変化して「ノメ」となった)

  「ト・チ(ン)ゴ(ン)ゴ・キ」、TO-TINGONGO-KI(to=be pregnant,drag;tingongo=cause to shrink,shrivel;ki=full,very)、「縮み上がる(肝を冷やすような険しい)ところが・たくさん・中にある(峠)」(「チ(ン)ゴ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「チノノ」となり、反復語尾が脱落して「チノ」となった)

の転訛と解します。

 

(4)今立(いまたち)郡

 

a今立(いまたち)郡

 古代からの郡名で、古くは丹生郡に属していましたが弘仁14(823)年に分立しました。おおむね現在の日野川右岸の鯖江市の東部、武生市の東部、今立(いまだて)郡の地域です。

『和名抄』は、「伊万太千(いまたち)」と訓じます。「新たに立てられた」郡の意とされます。

 この「いまたち」は、

  「イ・マタ・チ」、I-MATA-TI(i=beside,past temse;mata=heap,face,eye,deep swamp;ti=throw,cast,overcome)、「低湿地が・そこらにある・付近一帯(地域)」

の転訛と解します。

 福井市域南端には文殊(もんじゅ)山など越前中央山地の分離丘陵群があり、これに日野川の排水を阻まれて、この郡の人口が集中する武生盆地には低湿地が多いことがこの地域の大きな特徴でした。

 

b日野(ひの)川(山)・鯖江(さばえ)市・白鬼女(しらきじょ)の渡し

 日野(ひの)川は、岐阜・滋賀県境の三国ケ岳に源を発し、南条山地を貫いて、武生盆地を流れます。谷口の右岸には越前富士と称される日野(ひの)山(795メートル)がそびえます。

 武生盆地の北部、日野川右岸の川に沿った河岸段丘状台地に鯖江(さばえ)の市街が立地し、南の旧鯖江は日野川水運の上限で、北陸街道の渡河点白鬼女(しらきじょ)の渡しを控えた交通の要衝でした。

 この「ひの」、「さばえ」、「しらきじょ」は、

  「ヒ・(ン)ガウ」、HI-NGAU(hi=raise,rise;ngau=bite,hurt,attack)、「高いところにあって・浸食する(川)」または「浸食されている・高い(山)」

  「タパエ」、TAPAE(lay on one another,surround,lie in a slanting position or across)、「(川の)前に置かれている(土地。台地。地域)」

  「チラ(ン)ギ・チホイ」、TIRANGI-TIHOI(tirangi=be unsettled;tihoi=diverge,go to a distance)、「(川の水量などの状況によって)一定していない・渡河する場所」(「チラ(ン)ギ」のNG音がG音からK音に変化して「チラギ」から「シラキ」と、「チホイ」のH音と語尾のI音が脱落して「チオ」から「ショ」、「ジョ」となった)

の転訛と解します。

 

(5)足羽(あすは)郡

 

a足羽(あすは)郡(吉田(よしだ)郡)

 古代からの郡名で、九頭竜(くずりゅう)川と足羽(あすわ)川の合流点のすこし下から上流の両川の流域の狭義の福井平野を中心とする地域で、おおむね現在の福井市(北西部を除く)、吉田(よしだ)郡、坂井郡丸岡町の南部の一部(九頭竜川を挟む区域)、足羽郡美山町の北西部の地域です。中世に入り建久3(1192)年までに九頭竜川をはさむ地域が吉田郡として分かれました。

 『和名抄』は、「安須波(あすは)」と訓じます。「アス(崖)・ハ(端)」で崖地の端の意、「アスハの神」を祀つた地、「足磐(あしいわ)」で地盤の強固な土地の意、朝鮮語で「集落」の意などとする説があります。

 吉田(よした)郡の郡名は、「ヨシ(葦)・タ(田)」の意、「ヨシ(美称)・タ(処)」の意とする説があります。

 この「あすは」、「よした」は、

  「アツ・ハ」、ATU-HA(atu=indicate a direction or motion onwards,away,forth;ha=breath,breathe)、「(日本海の呼吸=)潮の干満が・やってくる(影響が及ぶ。地域)」

  「イオ・チタハ」、IO-TITAHA(io=muscle,line,spur;titaha=lean to one side,pass on one side)、「(河口へ向かって)一直線に走っている・紐のような(川)」(「イオ」が「ヨ」と、「チタハ」のH音が脱落して「チタ」から「シタ」となった)

の転訛と解します。

 

b福井(ふくい)市(北ノ庄(きたのしょう))・一乗谷(いちじょうだに)・道守(ちもり)荘・糞置(くそおき)荘・九頭竜(くずりゅう)川・志比(しひ)谷(荘)・鳴鹿(なるか)の渡

 福井(ふくい)市は福井平野の中央に位置する県庁所在都市で、古く室町時代には北ノ庄(きたのしょう)と称しましたが、寛永元(1624)年に結城秀康の子忠直の後を継いだ松平忠昌が北は敗北に通ずるとして「福居」と改称したことから「福井」となったとされます。

 福井市の南東には戦国大名朝倉氏の栄華の跡を偲ばせる一乗谷(いちじょうだに)遺跡があります。市街地の西、足羽川と日野川の合流点付近には、古代の奈良東大寺領荘園として著名な道守(ちもり)荘(旧足羽郡道守村)、糞置(くそおき)荘(旧足羽郡糞置村。現福井市二上町・帆谷町)がありました。

 九頭竜(くずりゅう)川は、岐阜県白鳥町境の油坂峠付近に源を発し、大野盆地へ入り、北端の勝山から志比(しひ)谷を西流し、谷口の鳴鹿(なるか)の渡を過ぎて坂井平野の西縁を北流し、三国で日本海に注ぎます。曹洞宗大本山の永平寺は、もと志比(しひ)荘に建立されています。

 この「きたのしょう」、「いちじょうだに」、「ちもり」、「くそおき」、「くずりゅう」、「なるか」、「しひ」は、

  「キ・タヌ・チホウ」、KI-TANU(ki=full,very;tanu=bury,smother with;tihou=an implement used for cultivating)、「しっかりと・平らに・耕されている(荘園)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」となった)

  「イチ・チホウ・タハ・ヌイ」、ITI-TIHOU-TAHA-NUI(iti=small;tihou=an implement used for cultivating;taha=calabash;nui=large,many)、「僅かな・耕地がある・大きく・ひょうたんのように中が膨らんだ(谷。土地)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」、「ジョウ」と、「タハ」のH音が脱落して「タ」と、「ヌイ」が「ニ」となった)または「イチ・チホウ・タ(ン)ギ」、ITI-TIHOU-TANGI(iti=small;tihou=an implement used for cultivating;tangi=sound,cry,weep,mourn)、「僅かな・耕地がある・(滅亡の悲劇に)泣いた(谷。土地)」(「タ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「タニ」となった)

  「チモ・リ」、TIMO-RI(timo=peck as a bird,prick;ri=screen,protect,bind)、「鳥がつついたような窪みが・連なっている(土地。そこにある荘園)」

  「ク・ウト・オキ」、KU-UTO-OKI(ku=silent;uto=revenge,object of one's revenge;(Hawaii)oki=to stop,finish,cut,separate)、「静かに・(復讐するように)徹底的に・切り刻んだ(土壌を掘り起こした。耕地(荘園))」(「ク」のU音と「ウト」の語頭のU音が連結して「クト」から「クソ」となった)

  「クフ・ツ・リウ」、KUHU-TU-RIU(kuhu=thrust in,insert;tu=fight with,be ignited,energetic,persistent;riu=valley,belly,bilge of a canoe,pass by)、「荒々しく・お腹(のような山々)の・中を突き進む(川)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

  「(ン)ガル・カハ」、NGARU-KAHA(ngaru=wave of the sea,corrugation;kaha=strong,persistency,rope,edge)、「波が打ち寄せる(または皺が寄った波状の)・川岸(土地)」(「(ン)ガル」のNG音がN音に変化して「ナル」と、「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「チヒ」、TIHI(summit,top,lie in a heap)、「高いところにある(谷。荘園)」

の転訛と解します。

 

(6)大野(おほの)郡

 

a大野(おほの)郡

 古代からの郡名で、九頭竜川の上流域に位置し、勝山盆地、大野盆地、両白山地を占め、おおむね現在の大野(おおの)郡、勝山(かつやま)市、大野(おおの)市、足羽郡美山町(北西部の区域を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「於保乃(おほの)」と訓じます。「オホ(美称)・ノ(野。傾斜地)」で「人手の入らない原野」の意とする説があります。

 この「おほの」は、

  「オホ・ノホ」、OHO-NOHO(oho=wake up,arise;noho=sit,stay,settle)、「高く引き上げられて・居る(地域)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」から「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

b油坂(あぶらざか)峠・能郷(のうご)白山・温見(ぬくみ)峠・屏風(びようぶ)山・平家(へいけ)岳・牛ケ原(うしがはら)

 九頭竜川の源近くの油坂(あぶらざか)峠は、福井・滋賀県境にある美濃街道の峠です。

 福井・滋賀県坂井の両白山地南部の越美山地の主峰は白山信仰の霊山、能郷(のうご)白山(1617メートル)で、山頂に白山権現社、岐阜県側山麓の本巣郡根尾村能郷(のうごう)にはその御旅所があります。山の北東に古来越前・美濃両国を結ぶ主要路の温見(ぬくみ)峠(標高1019メートル)があり、根尾(ねお)谷に通じています。

能郷白山の東には、屏風(びようぶ)山(1354メートル)、平家(へいけ)岳(1442メートル)などがそびえます。大野盆地の北西の牛ケ原(うしがはら)は、平安時代に醍醐寺の荘園として名がみえる古く開発された土地です。

 この「あぶら」、「のうご」、「ぬくみ」、「びようぶ」、「へいけ」、「うしがはら」は、

  「アプ・ラ」、APU-RA(apu=cram into the gorge,gather into the hands,heap upon;ra=wed)、「(岩を)積み上げ・並べたような(高い場所にある。峠)」

  「(ン)ゴウ(ン)ゴウ」、NGOUNGOU(thoroughly ripe,soft,a fashion of wearing the hair tied up in a knot at the forehead)、「(岐阜県側から見て)前頭部に髷を結つている(山の前面に突起した峰がある。白山)」(最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ノウゴウ」となった)

  「ヌク・フミ」、NUKU-HUMI(nuku=wide extent,distance,move;humi=abundant)、「どこまでも・長く続く(道がある。峠)」(「フミ」のH音が脱落して「ウミ」となり、語頭のU音と「ヌク」の語尾のU音が連結して「ヌクミ」となった)

  「ピヒ・オプ」、PIHI-OPU(pihi=cut,split;opu=set)、「(岩が)切り落とされて・(その平らな面がそのまま)置かれている(山)」(「ピヒ」のH音が脱落して「ピイ」となり、「ピイ」の語尾のI音と「オプ」の語頭のO音が連結して「ヨ」となり、「ピ・ヨ・プ」から「ビョウブ」となった)

  「ヘイ・ケ」、HEI-KE(hei=at,go towards,tie round the neck,collar-bone;ke=strange,different)、「変なもの(ごつごつした岩など)を・頚の周りに付けている(山)」(背甲に人面に似た突起が特徴の平家(へいけ)蟹の「へいけ」も同じ語源です。)

  「ウチ・(ン)ガ・ハラ」、UTI-NGA-HARA(uti=bite;nga=satisfied;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「浸食された・ゆったりとしている・首長を葬った場所(原)」 

の転訛と解します。

 

(7)坂井(さかい)郡

 

a坂井(さかい)郡

 古代からの郡名で、県の北端、九頭竜川の河口部を含む福井平野の北部(坂井平野)に位置し、おおむね現在の坂井(さかい)郡(丸岡町の南部の一部(九頭竜川を挟む区域)を除く)、福井市の北西部の地域です。

 『和名抄』は、「佐加井(さかゐ)」と訓じます。「サカ(逆)・ヰ(川)」で「(潮汐の影響を受けて)逆流する川」の意、「サカ(境)・ヰ(居)」で「国・郡の境界に近い郷」の意、「サカ(境)・ヰ(川)」で「国・郡の境界に近い川」の意、「サカ(坂)・ヰ(川)」で「傾斜地を流れる川」の意、「サカ(坂)・ヰ(居)」で「傾斜地の郷」の意などの説があります。

 この「さかゐ」は、

  「タ・カウイ」、TA-KAUI(ta=dash,beat,lay,the...of;kaui=lace,thread articles on a string)、「編んだレースのような(川の流れが縦横に入り組んでいる九頭竜川の河口付近一帯の)土地を・(九頭竜川の洪水が)襲う(地域)」

の転訛と解します。

 

b三国(みくに)湊・東尋坊(とうじんぼう)・芦原(あわら)町・北潟(きたがた)湖・金津(かなづ)・細呂木(ほそろぎ)

 三国(みくに)湊は、九頭竜川の河口に位置する古くから栄えた港町です。宝亀9(778)年の渤海使の渡来をはじめ、中世にかけては興福寺領荘園の貢米の積出しなどで栄え、近世は北前船の寄港地、越前諸藩の外港として重要な地位を占めてきました。この地名は、古代に河口部一帯が広い湿地であったことから「水国(みずくに)」と称したのが転じたとされます。

 三国町の北西隅、九頭竜川河口東岸の陣ケ岡台地が日本海に落ち込むところに高さ25メートルもの柱状節理の海食崖の絶壁がある東尋坊(とうじんぼう)があり、越前加賀海岸国定公園の第一の景勝地となっています。この地名は、謀計によってここで墜落死した勝山市の平泉寺の悪僧の名によるといわれます。

 県の北東の加越台地と竹田川に低地にまたがって芦原(あわら)町があり、台地の谷に北潟(きたがた)湖があります。芦原町の町名は、低湿な「あわら田」によるとする説、芦原温泉の開湯時の優秀な井戸に名によるとする説があります。北潟湖は、北東から南東に細長い湖で、かつては北は石川県大聖寺川河口に、南は竹田川から三国湊へ通じ、水運に利用されていました。

 金津(かなづ)町金津は、竹田川を挟む北陸道の宿場町で、三国湊へ通ずる河港でした。金津の北、国境に近い細呂木(ほそろぎ)は中世に奈良興福寺領の細呂宜(ほそろぎ)郷で関所が置かれ、近世には福井藩の口留番所が置かれていました。

 この「みくに」、「とうじんぼう」、「あわら」、「きたかた」、「かなづ」、「ほそろぎ」は、

  「ミ・イク・ヌイ」、MI-IKU-NUI(mi=stream,river;iku=hiku=tail of a fish or reptile,tip of a leaf etc.)、「巨大な・魚の尻尾のような場所(福井平野の河口部)を・流れる川(その河口部の流域の地域。その河口の港)」(「ミ」のI音と「イク」の語頭のI音が連結して「ミク」と、「ヌイ」が「ニ」となった)

  「トウ・チナ・ポウ」、TOU-TINA-POU(tou=dip into liquid,wet;tina=fixed,firm,hard,satisfied;pou=pole,stake)、「どっしりとした・柱(のような岩)が・海に浸かっている(場所。地域)」(「チナ」が「チン」から「ジン」に変化した)

  「アワ・ラ」、AWA-RA(awa=channel,river,gorge;ra=wed)、「水路が・繋がっている(三国湊と加賀国大聖寺川を北潟湖を経由して結んでいる場所。地域)」

  「キタ・カタ」、KITA-KATA(kita=tightly,intensely,tightly clenched;kata=opening of shellfish)、「強く握りしめられた(細長くなった)・貝が口を開けたような(湖)」

  「カ・ナツ」、KA-NATU(ka=take fire,be lighted,burn;natu=scratch,stir up,tear out)、「(川が)二つに引き裂いている(川を挟んでいる)・居住地(宿場)」

  「ホト・ロキ」、HOTO-ROKI(hoto=begin,suspicious,dislike;roki=make calm)、「(関所の検問という)心配が・無口にさせる(場所。関所)」

の転訛と解します。

 

(8)若狭(わかさ)国

 

 若狭(わかさ)国は、県の西半(おおむね敦賀半島の中央から西)、北は日本海、東は越前国、南は近江国、南から西は丹波国、丹後国に接します。北陸道のうち最も畿内に近い国で、遠敷(おにゆう)、大飯(おほい)、三方(みかた)の3郡からなります。

 なお、国府の所在地は、遠敷郡で現在の小浜市府中とされます。

 『和名抄』は、「和加佐(わかさ)」と訓じます。国名は、後に若狭国造となる膳(かしわで)臣が稚櫻部(わかさくらべ)臣の名を賜つたことによる、海を渡つてきた男女(若狭彦、若狭姫)が年を取らず少年のようであったから、古代朝鮮語で「ワカソ(来て行く)」からとする説があります。

 この「わかさ」は、

  「ワ・カタ」、WA-KATA(wa=definite space,area;kata=opening of shellfish)、「(小浜湾、内浦湾など)貝が口を開けたような・場所(がある。地域)」

の転訛と解します。

 

(9)遠敷(おにゆう)郡

 

a遠敷(おにゆう)郡

 古代からの郡名で、県西部のほぼ中央に位置し、鳥羽川の流域から西、南川の流域までの地域で、おおむね現在の遠敷郡、小浜(おばま)市(小浜市の中心市街地の西の小浜湾岸の区域を除く)の地域です。はじめは大飯郡を含む地域でしたが、天長2(825)年7月に郡の西部を分けて大飯郡が建てられました。

 『和名抄』は、「乎尓不(をにふ)」と訓じます。「オ(小(美称)・処)・ニ(丹。水銀)」で「水銀を産する地」とする説が有力で、「オ(小(美称)・処)・ニ(粘土、赤土)・フ(のあるところ)」の意、「ニフ(壬生(ミフ)の転)」からとする説などがあります。

 この「をにふ」は、

  「オ・ヌイ・フ」、O-NUI-HU(o=the place of;nui=large,many;hu=promontory,hill)、「(内外海(うちとみ)半島、大島半島という)大きな・岬がある・場所(地域)」(「ヌイ」が「ニ」となった)

の転訛と解します。

 

b小浜(おばま)市・内外海(うちとみ)半島・蘇洞門(そとも)・久須夜ケ岳(くすやがだけ)・多田ケ岳(ただがだけ)・竜前(りゆうぜん)・鵜瀬(うのせ)・太良(たら)荘・熊川(くまがわ)

 小浜(おばま)市は、若狭湾中央に突き出た内外海(うちとみ)半島と大島半島によって囲まれた小浜湾に面した市で、天然の良港と九里半越(若狭街道)によって畿内に通ずる位置に恵まれ、古くから栄えたた市です。市名の由来は不詳とされます。

 内外海半島の外湾側に2キロメートルにわたる花崗岩の海食崖の洞窟や奇岩が続く蘇洞門(そとも)があり、その後ろには久須夜ケ岳(くすやがだけ。619メートル)がそびえます。

 市の中央には多田ケ岳(ただがだけ。712メートル)がそびえ、北へ伸びた尾根の麓の竜前(りゆうぜん)に若狭国一宮の若狭彦神社があり、遠敷川上流の飛び地境内の鵜瀬(うのせ)では奈良東大寺の若狭井に水を送る神事が行われます。

 なお、この東大寺の修二会に遅参した若狭遠敷明神が遠敷川の水を東大寺二月堂前の若狭井(わかさい)に送るという伝承は、この井戸の名称がもと「ワカ・タウイ」、WAKA-TAUI(waka=canoe,any narrow receptacle as trough for water;taui=be sprained,be slack)、「細長い桶(のような水溜まり)に・水が淀んでいる(井戸)」(「タウイ」が「タヰ」から「サヰ」となった)であつたものに「若狭井(わかさゐ)」の字があてられたことから、後代に創作付加されたものと考えられます。

 市の中央を流れる北川の中流には中世に太良(たら)荘がありました。

 北川の断層谷に沿って九里半越(今津湊までを若狭街道といい、小浜から若狭街道の途中保坂(ほうざか)で分かれて朽木(くつき)谷を経由して京へ通ずる道を鯖(さば)街道と通称します)が走り、熊川(くまがわ)を越えて近江国に入ります。

 この「おばま」、「うちとみ」、「そとも」、「くすやがだけ」、「ただがだけ」、「りゆうぜん」、「うのせ」、「たら」、「くまがわ」は、

  「オパ・アマ」、OPA-AMA(opa=throw,pelt;ama=outrigger of a camoe)、「打ち捨てられた・カヌーのアウトリガーのような(河口に北川と南川に挟まれた細長い洲がある。土地。地域)」または「オ・パマラ(ン)ガイ」、O-PAMARANGAI(o=the place of;pamarangai=the entrance of an eel-pot)、「うなぎの寝床の入り口のような・場所(河口から東へ長く伸びる北川の断層谷があるその河口の場所。その地域)」(「パマラ(ン)ガイ」の語が長いので「ラ(ン)ガイ、RANGAI(flock,raised)」が脱落して「パマ」となった)

  「ウチ・イト・ミ」、UTI-ITO-MI(uti=bite;ito=object of revenge,enemy;mi=stream,river)、「潮流が・敵を討つように(躍起になって)・食いちぎった(浸食した。半島)」(「ウチ」の語尾のI音と「イト」の語頭のI音が連結して「ウチト」となった)

  「トト・モウ」、TOTO-MOU(toto=drag a number of object,chip or knock off,chop;mou=fixed,firm)、「(岩を)叩きに叩き切り刻んで・仕上げた(海食崖)」

  「ク・ツ・イア・(ン)ガ・タケ」、KU-TU-IA-NGA-TAKE(ku=silent;tu=fight with,be ignited,energetic;ia=indeed,current;nga=satisfied;take=stump,base of a hill,origin,chief)、「静かだが・荒々しい(山容の)・ゆったりとしている(満足している)・どっしりとした(山)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「タタ・(ン)ガ・タケ」、TATA-NGA-TAKE(tata=bail water out of a canoe,bailer;nga=satisfied;take=stump,base of a hill,origin,chief)、「(船の)あか水を汲み出しているような(水量が安定した渓流がある)・ゆったりとしている(満足している)・どっしりとした(山)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「リウ・テ(ン)ガ」、RIU-TENGA(riu=valley,belly,chest;tenga=Adam's apple,goitre)、「お腹のような・喉ぼとけのように膨らんでいる(山。岡。そのあたりの土地)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「テン」、「ゼン」となった)

  「ウヌ・テ」、UNU-TE(unu=pull off,draw out,bring out;te=crack)、「(東大寺へ水を)送り出す・川瀬(割れ目)」

  「タラ」、TARA(point,peak,horn of the moon)、「欠けた月の角(つの)のような(地形の土地。荘園)」

  「クフ・ウマ・カワ」、KUHU-UMA-KAWA(kuhu=thrust in,insert;uma=bosom,chest;kawa=heap,reef of rocks,channel)、「胸の奥(山の中)へ・入って行く・水路(通路。その土地)」(「クフ」のH音が脱落し、その語尾のU音と「ウマ」の語頭のU音が連結して「クマ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)大飯(おほい)郡

 

a大飯(おほいた)郡

 古代からの郡名で、県の西端、南川の流域の西側に位置し、おおむね現在の大飯(おおい)郡、小浜(おばま)市の西部の一部(小浜市の中心市街地の西の小浜湾岸の区域)の地域です。はじめは遠敷郡の一部でしたが、天長2(825)年7月に分けて建てられました。

 『和名抄』は、「於保伊太(おほいた)」と訓じます。この「太」は「比」の誤りとし、「オホ(美称)・イヒ(ウヘ(高所)に同じ)」とする説、または「オホイフ」と訓じて「オホニフ(大丹生)」の転と解する説があります。

 この「おほいた」は、

  「オ・ホイ・タ」、O-HOI-TA(o=the place of;hoi=lobe of the ear;ta=dash,beat,lay)、「食いちぎられた・耳たぶが・ある場所(地域)」(内浦湾を耳穴とし、青葉山(若狭富士)を耳穴の傍らの突起とし、内浦湾の外側から大島半島にかけて半月形の山脈の内側を耳たぶに見立てたもの)

の転訛と解します。

 

b大島(おおしま)半島・内浦(うちうら)湾・音海(おとみ)断崖・青葉(あおば)山・青(あお)郷・青戸(あおと)の入江

 内外海半島と相対して小浜湾を囲んでいるのが大島(おおしま)半島です。

 県の西端には、内浦(うちうら)湾があり、岬の外湾側にはわが国屈指の規模の音海(おとみ)断崖があります。

 内浦湾の南には若狭富士と称される青葉(あおば)山(693メートル)があり、山麓には青郷(あおのごう)、同地に式内社青海(せいかい。あおうみ)神社(祭神は青豊郎女。また椎根津彦とも)、大島半島の付け根には青戸(あおと)の入江など「青」のつく地名が多いことで注目されています(これらは、下記の解釈にみるように、神の青葉山作りの神話にちなむものと考えられます)。

 この「おおしま」、「うちうら」、「おとみ」、「あおば」、「あお」、「あおと」は、

  「オホ・チマ」、OHO-TIMA(oho=wake up,arise;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「(岸が)そそり立つている・掘り棒で掘つたような地形の(半島)」

  「ウチ・ウラ(ン)ガ」、UTI-URANGA(uti=bite;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「食いちぎられた(浸食された。リアス式地形の)・船着き場(湾。地域)」(石川県の(10)珠洲郡のb内浦町の項を参照してください。)

  「ホト・ミ」、HOTO-MI(hoto=wooden spade;mi=stream,river)、「潮流が・鍬を振るうように削った(断崖)」(「ホト」のH音が脱落して「オト」となった)

  「アオ・オパ」、AO-OPA(ao=scoop up with both hands,take in quantities,daytime,cloud,bright,be right;opa=throw,pelt)、「(神が土を)両手で掬い上げて・放り投げてできた(山)」(「アオ」のO音と「オパ」のO音が連結して「アオパ」から「アオバ」となった)

  「アオ」、AO(scoop up with both hands,take in quantities,daytime,cloud,bright,be right)、「(神が青葉山を作るために土を)両手で掬い上げた(土地。場所)」

  「アオ・ト」、AO-TO(ao=scoop up with both hands,take in quantities,daytime,cloud,bright,be right;to=drag,open or shut a window or a door)、「(神が青葉山を作るために土を)両手で掬い上げて・運んだ(土地。その結果できた入り江)」

の転訛と解します。

 

(11)三方(みかた)郡

 

a三方(みかた)郡

 古代からの郡名で、県の西部の中央東寄りに位置し、おおむね敦賀半島の中央から西、常神(つねがみ)半島の付け根までの地域で、おおむね現在の三方(みかた)郡の地域です。

 『和名抄』は、「美加太(みかた)」と訓じます。「三潟(水月・三方・久々子の三湖)」の意、「ミ(美称。または水)・カタ(潟。三方五湖)」の意などとする説があります。

 この「みかた」は、

  「ミヒ・カタ」、MIHI-KATA(mihi=greet,admire,show itself;kata=opening of shellfish)、「貝が口を開いたような地形(潟のある地形)を・見せつけている(誇示している。地域)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 

b常神(つねがみ)半島・久々子(くぐし)湖・日向(ひるが)湖・菅(すが)湖・水月(すいげつ)湖・三方(みかた)湖・梅丈(ばいじょう)岳・彌美(みみ)郷

 若狭湾に突き出た凹凸の激しい常神(つねがみ)半島の付け根に、『万葉集』に「三方の海」と歌われた三方五湖があります。五湖は南北に走る断層上にあり、久々子湖だけが潟湖、他は陥没湖で、久々子(くぐし)湖と日向(ひるが)湖はもと独立していましたが、浦見川、嵯峨隧道によって今は上三湖と呼ばれる菅(すが)湖、水月(すいげつ)湖、三方(みかた)湖と繋がっています。水月湖の西には三方富士と呼ばれる梅丈(ばいじょう)岳(400メートル)がそびえます。

 美浜(みはま)町の町名は、耳(みみ)川が流れる彌美(みみ)郷という美しい地名によるものです。

 この「つねがみ」、「くぐし」、「ひるが」、「すが」、「すいげつ」、「ばいじょう」、「みみ」は、

  「ツ・ネイ・カミ」、TU-NEI-KAMI(tu=fight with,energetic;nei=indicate continuance of action;kami=eat)、「荒々しく・次から次へと・食いちぎった(跡のような。半島)」(「ネイ」が「ネ」となった)

  「ククチ」、KUKUTI(draw tightly together,contract,pinch)、「締め付けられた(細くなっている。湖)」

  「ヒ・ル(ン)ガ」、HI-RUNGA(hi=raise,catch with hook and line,rise;runga=the top,above,the south)、「高いところに・引き上げられている(湖)」(「ル(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ルガ」となった)

  「ツ(ン)ガ」、TUNGA(circumstance of standing etc.,site,wound)、「脇に付いている(または(水月湖についた)傷のような。湖」(NG音がG音に変化して「ツガ」から「スガ」となった)

  「ツイ・ケツ」、TUI-KETU(tui=pierce,thread on a string,hurtput the hand or arm through a loop;ketu=remove earth by digging with a blunt instrument,begin to ebb)、「(三方湖と菅湖を)糸で綴り合わせている(両湖と細い口で繋がっている)・鈍器で掘つたような(岸に凹凸が多い。湖)」

  「パイ・チオ」、PAI-TIO(pai=good,excellent,good-looking;tio=rock-oyster)、「非常に美しい・岩牡蠣のような(山)」

  「ミミ」、MIMI(stream,river)、「川(耳川。その川が流れる地域)」

の転訛と解します。

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<修正経緯>

1 平成14年6月15日

 新潟県の(2)頸城郡のc「妙高(みょうこう)山」の解釈を修正しました。 

2 平成16年12月1日

 新潟県の(5)魚沼郡の破間川の解釈を修正し、

 富山県の(5)新川郡の黒部川の解釈を修正し、

 福井県の(2)敦賀郡の新発関の別解釈を追加、(3)丹生郡の鳥糞岩の解釈を修正、(5)足羽郡の糞置荘の解釈を修正しました。

3 平成19年2月15日

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

4 平成19年10月15日

 福井県の(3)丹生(にふ)郡の別解釈を追加しました。

5 平成22年9月1日

 新潟県の(11)雑太郡のb海府海岸の項の尖閣湾(せんかくわん)の解釈を一部修正しました。

6 平成22年10月1日

 新潟県の(7)沼垂郡のb新発田市の項の阿賀野川の解釈を一部修正し、(11)雑太(さはた)郡の項に国中(くになか)平野の解釈を追加し、

 石川県の(3)能美郡のb手取川の項の白山の解釈を修正しました。

7 平成24年4月1日

 富山県の(5)新川郡のc滑川(なめりかわ)市の項の室堂平の解釈を修正しました。

地名篇(その十五) 終わり


U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
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(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
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