地名篇(その二十)

(平成14-11-1書込み。24-10-1最終修正)(テキスト約38頁)


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 [ここでは『和名抄』所載の旧国名、旧郡名のほか、その地域の主たる古い地名などを選び、原則としてマオリ語により(ハワイ語による場合はその旨注記します)解説し、その他はまたの機会に譲ることとします。]

 

<九州地方の地名(その2)>

 

目 次

43 熊本県の地名

 

 肥後(ひご)国玉名(たまな)郡大水(おおむつ)郷・荒尾(あらお)市・小岱(しょうだい)山・大坊(だいぼう)古墳・同田貫(どうだぬき)刀鍛冶・江田(えだ)船山(ふなやま)古墳・トンカラリン・小天(おあま)温泉山鹿(やまが)郡弁慶(べんけい)ケ穴古墳・チブサン古墳・オブサン古墳・来民(くたみ)菊池(きくち)郡隈府(わいふ)・隈部(くまべ)・甲佐(こうさ)阿蘇(あそ)郡根子(ねこ)岳・高(たか)岳・中(なか)岳・杵島(きしま)岳・烏帽子(えぼし)岳・草千里(くさせんり)・ヨナ・黒ボク・黒(くろ)川・白(しら)川・立野(たての)・建磐竜(たけいわたつ)命・小国(おぐに)町・杖立(つえたて)川合志(こうし)郡鞍(くら)岳・合志(こうし)町竹迫(たかば)・ドーランジャー・高遊原(たかゆうばる)山本(やまもと)郡植木(うえき)町・味取(みとり)新町・田原(たばる)坂飽田(あきた)郡熊本(くまもと)・坪井(つぼい)川・井芹(いせり)川・金峰(きんぽう)山・権現(ごんげん)山・千金甲(せごんこう)古墳託麻(たくま)郡出水(いずみ)町・江津(えつ)湖・加瀬(かせ)川益城(ましき)郡緑(みどり)川・向坂(むこざか)山・御船(みふね)町・甲佐(こうさ)町・鵜(う)ノ瀬堰・大井手(おおいで)用水・轡塘(くつわとも)城南(じょうなん)町陣内(じんない)・松橋(まつばせ)町・萩尾(はぎお)溜池・砥用(ともち)町・雁股(かりまた)山宇土(うと)郡宇土市御輿来(おこしき)海岸・不知火(しらぬひ)町・永尾(えいのお)神社・三角(みすみ)町・モタレの瀬戸・戸馳(とばせ)島八代(やつしろ)郡徳渕(とくのふち)港・松江(まつえ)城・竜峰(りゅうほう)山・氷(ひ)川・野津(のづ)古墳群・「クド」造り・「漏斗」造り・印鑰(いんやく。いんにゃく)明神池・五家庄(ごかのしょう)・久連子(くれこ)踊り天草(あまくさ)郡・両児(ふたご)島・天両屋(あめふたや)大矢野(おおやの)島・柳(やなぎ)ノ瀬戸・倉(くら)岳・念珠(ねんじゅ)山脈・千巌(せんがん)山・竜(りゅう)ケ岳・本渡(ほんど)市・羊角(ようかく)湾・牛深(うしぶか)市・富岡(とみおか)葦北(あしきた)郡水俣(みなまた)市・津奈木(つなぎ)町・津奈木太郎(たろう)峠・芦北町佐敷(さしき)・八代市日奈久(ひなぐ)温泉球磨(くま)郡市房(いちぶさ)ダム・人吉(ひとよし)盆地・免田(めんだ)川・川辺(かわべ)川・万江(まえ)川・木綿葉(ゆうば)川・才園(さいぞの)古墳・多良木(たらぎ)町・百太郎(ひゃくたろう)溝・白髪(しらが)岳・五木(いつき)村・ビャーラ橋

 

44 大分県の地名

 

 豊前(ぶぜん)国・豊日別(とよひわけ)下毛(しもげ)郡中津(なかつ)市・山国(やまくに)川・薦(こも)神社・古表(こひょう)神社・耶馬(やば)渓・青(あお)ノ洞門・競秀峰(きょうしゅうほう)・山移(やまうつり)川・一目八景(ひとめはっけい)・猿飛(さるとび)の歐穴宇佐(うさ)郡駅館(やっかん)川・伊呂波(いろは)川・寄藻(よりも)川・長洲(ながす)港・御許(おもと)山・安心院(あじむ)町・津房(つぶさ)川豊後(ぶんご)国日田(ひた)郡三隈(みくま)川・夜明(よあけ)峡谷・岳滅鬼(がくめき)山・ガラメキ峠・一尺八寸(みおう。みお)山・津江(かみつえ)・チーゴ岳・酒呑童子(しゅてんどうじ)岳・下筌(しもうけ)ダム・鯛生(たいお)鉱山・五馬(いつま)高原球珠(くす)郡大岩扇(だいがんせん)山・万年(はね)山・九重(くじゅう)山(久住(くじゅう)山)・星生(ほっしょう)山・八丁原(はっちょうばる)・九酔(きゅうすい)峡・震動(しんどう)の滝直入(なおいり)郡竹田(たけた)市・祖母(そぼ)山・姥(うば)ケ岳・曽褒里(そほり)山(添山)・障子(しょうじ)岳・坊(ぼう)ヶツル・朽網(くたみ)郷大野(おほの)郡緒方(おがた)町・井路(ゐろ)・原尻(はらじり)の滝・野津(のつ)町・風連(ふうれん)鍾乳洞・吉四六(きっちょむ)・宇目(うめ)町海部(あま)郡速吸(はやすい)ノ瀬戸・佐賀関(さがのせき)半島・地蔵(じぞう)崎・臼杵(うすき)市・ホキ・津久見(つくみ)市・楠屋鼻(くすやばな)・保戸(ほと)島・最勝海藻(ほつめ)上浦(かみうら)町・佐伯(さいき)市・番匠(ばんじょう)川・大入(おにゅう)島・鶴見(つるみ)半島・米水津(よのうづ)町・蒲江(かまえ)町・小半(おながら)鍾乳洞大分(おほいた)郡大分市荏隈(えのくま)・大分市賀来(かく)・西寒多(ささむた)神社・柞原(ゆすはら)八幡宮・鶴崎(つるさき)・七瀬(ななせ)川・鎧(よろい)ケ岳速見(はやみ)郡別府(べっぷ)市・別府湾(かんたんわん)・鶴見(つるみ)岳・玖倍理(くべり)湯・慍(いかり)湯・鉄輪(かんなわ)・湯布(ゆふ)院町・由布(ゆふ)岳・日出(ひじ)町・杵築(きつき)市・山香(やまが)町・八坂(やさか)川國埼(くにさき)郡両子(ふたご)山・文殊(もんじゅ)山・桂(かつら)川・国見(くにみ)町伊美(いみ)・安岐(あき)町・奈多(なた)海岸・姫島

 

45 宮崎県の地名

 

 日向(ひゅうが)国臼杵(うすき)郡縣(あがた)・延岡(のべおか)・行縢(むかばき)の滝・門川(かどがわ)湾・乙(おと)島・塩見(しおみ)川・細(ほそ)島・椎葉(しいば)村高千穂(たかちほ)町・五ヶ瀬(ごかせ)川・三田井(みたゐ)・真名井(まなゐ)の滝・土呂久(とろく)鉱山児湯(こゆ)郡耳(みみ)川・一ツ瀬(ひとつせ)川・穂北(ほきた)・都万(つま)神社・米良(めら)・竜房(りゅうぶさ)山・銀鏡(しろみ)神社・都濃(つの)神社・尾鈴(おすず)山・名貫(なぬき)川・トロントロン・ひょうすんぼ(ひょうすべ)・小丸(おまる)川・財部(たからべ)那珂(なか)郡佐土原(さどわら)町宮崎(みやざき)郡大淀(おほよど)川・赤江(あかえ)港・青(あお)島・清武(きよたけ)町・田野(たの)町・鰐塚(わにつか)山広渡(ひろと)川・猪八重(いのはえ)峡・飫肥(おび)・吾田(あがた)・油津(あぶらつ)・鵜戸(うど)神宮・串間(くしま)市・都井(とい)岬諸縣(もろがた)郡霧島(きりしま)連峰・韓国(からくに)岳・新燃(しんもえ)岳・高千穂(たかちほ)峰・御鉢(おはち)・夷守(ひなもり)岳・えびの市・加久藤(かくとう)盆地・小林(こばやし)市・長瀬(ながせ)川都島(みやこじま)・母智丘(もちお)・島津(しまづ)荘・麓(ふもと)集落・シラス・赤ホヤ綾(あや)町・本庄(ほんじょう)町

<修正経緯>

 

 

<九州地方の地名(その2)>

 

43 熊本県の地名

 

(1)肥後(ひご)国

 

 熊本県は、古くは火(肥)国から分かれた肥後国でした。

 持統紀10年(696年)4月条に肥後国皮石郡とあり、このころまでに火(肥)国は肥前国と肥後国に分かれたとされます。大化前代肥後国には玉名郡の菊池川流域に日置氏、阿蘇地方に阿蘇君、宇土半島基部から氷川流域を中心に火(肥)君、八代市南部に芦北君、熊本市の白川下流域に建部君などの豪族が蟠踞していたようです。律令時代には、玉名、山鹿、菊池、阿蘇、合志、山本、飽田、託麻、益城、宇土、八代、天草、芦北、球磨の14郡があり、国府・国分寺は託麻郡(現熊本市出水町)から後に国府は飽田郡(現熊本市二本木)に移りました。

 『和名抄』は、「比乃三知乃之利(ひのみちのしり)」と訓じます。肥(ひ)の国名は、『古事記』国生み条に「筑紫島も亦身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、・・・肥国は建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)と謂ふ」とあり、景行紀18年5月条に景行天皇が夜に火を見て上陸したことによるとの「火」国名の起源説話があり、『肥前国風土記』には建緒組が大空から火が降りて山に燃え移るのを見たことに由来するとあり、有明海の「不知火」による、阿蘇山・雲仙岳などの火山の存在による、「干潟」の「干(ひ)」から、「ヒ(水路)」から、「ヒ(扇状地の扇端)」からなどの諸説があります。

 この「ひ」、「たけひむかひとよくじひねわけ」は、

  「ピ」、PI(eye)、「眼(大きな外輪山の中に火口丘がある=阿蘇山)(阿蘇山がある地域・国)」(P音がF音を経てH音に変化して「ヒ」となった)または「ヒヒ」、HIHI(ray of the sun,feelers of crayfish,a method of dressing the hair in horns on each side of the head)、「(輝くばかりに飾り立てた)角状のみづらのような(有明海の東西に二つの火山がある地域が分かれている。国)」(反復語尾が脱落して「ヒ」となった)

  「タ・ケヒ・ムク・ヒタウ・イオ・クチ・ピ・ヌイ・ワカイ(ン)ガ」、TA-KEHI-MUKU-HITAU-IO-KUTI-PI-NUI-WAKAINGA(ta=the;kehi=defame,speakill of;muku=wipe,smear;hitau=short apron;io=muscle,spur,lock of hair;kuti=pinch,contract;pi=eye;nui=large,big,many;wakainga=distant home)、「(出来が悪いと)悪口を言われている・巨大な・眼と・圧縮した・山脈の・(周りに)小さなエプロンのような平地を・なすりつけたような・(大和から)遠く離れた土地に住む(神。その神の住む土地)」(「ヒタウ」のAU音がO音に変化して「ヒト」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)(古典篇(その五)の087建日向日豊久士比泥別神の項を参照してください。)

の転訛と解します。(以上地名篇(その十八)の佐賀県の(1)肥前国の項を再掲しました。)

 

(2)玉名(たまな)郡

 

a玉名(たまな)郡

 古代からの郡名で、肥後国北東部に位置し、北は筑後国、東は山鹿郡、山本郡、南は飽田郡、西は有明海に接します。おおむね現在の荒尾市、玉名市、玉名(たまな)郡の地域です。

 『和名抄』は、「多万伊名(たまいな)」と訓じます。郡名は、景行紀18年6月条には「玉杵名(たまきな)邑」とみえ、奈良時代には「玉名(たまな)」と表記されています。この「たまいな(たまきな)」は「タマ(タバ、タブの転。崖地)・イナ(キナの転。崖、自然堤防)」の意、「タ(接頭語)・マキ(巻。川の曲流部)・ナ(土地を示す接尾語)」の意とする説があります。

 この「たまいな」、「たまきな」は、

  「タ・マイナ」、TA-MAINA(ta=the,dash,beat,lay;maina=kindle)、「浸食を受けた・灯りを灯している(居住地。その地域)」

  「タ・マキナキナ」、TA-MAKINAKINA(ta=the,dash,beat,lay;makinakina=prickly,rough)、「浸食を受けた・ごつごつしている(丘陵が多い。地域)」(「マキナキナ」の反復語尾が脱落して「マキナ」となった)

の転訛と解します。

 

b大水(おおむつ)郷・荒尾(あらお)市・小岱(しょうだい)山・大坊(だいぼう)古墳・同田貫(どうだぬき)刀鍛冶・江田(えだ)船山(ふなやま)古墳・トンカラリン・小天(おあま)温泉

 南関(なんかん)町の中心の関町は、古くは大水(おおむつ)郷の地で、西海道の駅家が置かれ、中世には大津山の関または松風の関と呼ばれる関所があり、江戸時代には薩摩街道の宿場町として栄えました。

 荒尾(あらお)市は、県の北東端、福岡県大牟田市に隣接し、市名は中世からの村名によります。荒尾市の東部、玉名市にまたがる二つの峰を持つ小岱(しょうだい)山(501メートル)の西麓には、古代から中世の製鉄跡、窯跡があり、その山名は、中世にここに築城した地頭小代(しょうだい)氏にちなむとする説があります。

 玉名市は、菊池川河口に位置し、かって肥後六港の一つに数えられました。周辺には史跡の大坊(だいぼう)古墳をはじめ装飾古墳が数多く存在します(全国で約400例のうち、熊本県に40%、菊池川流域にその50%が存在するといわれます)。亀甲(かめのこう)は、この地方の砂鉄を使って慶長年間に始まった同田貫(どうだぬき)刀鍛冶の発祥地です。

 菊水(きくすい)町は、菊池川が玉名平野に出る谷口にあり、中心の江田(えだ)は古くからの交通の要地で、江田船山(ふなやま)古墳からは国宝指定を受けた日本最古の銘文を刻んだ太刀が出土しています。その近くには「トンカラリン」と呼ばれる石のトンネルを持つ謎の構造物があります。

 天水(てんすい)町は、金峰山二ノ岳、三ノ岳の北西斜面にあり、町名は小天(おあま)村と玉水(たまみず)村の合併による合成地名で、南部の小天(おあま)温泉は夏目漱石の『草枕』ゆかりの地です。

 この「おおむつ」、「あらお」、「しょうだい」、「だいぼう」、「どうだぬき」、「えだふな」、「トンカラリン」、「おあま」は、

  「オホ・ムツ」、OHO-MUTU(oho=wakw up,arise;mutu=brought to an end,come or gone without exception)、「高いところにある・例外なく(すべての人や貨物が)行き来する(場所。関所。その地域)」

  「アラ・アウ」、ARA-AU(ara=way,path;au=cloud,wake of a canoe,whirlpool,sea,mat pin)、「カヌーの航跡のような(小岱山の南北に分かれる)・道路(がある。地域)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

  「チホウ・タイ」、TIHOU-TAI(tihou=an implement used for cultivating;tai=the coast,tide,wave,anger)、「荒々しく・鍬で掘られた(浸食された。または砂鉄を掘った。山)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」となった)

  「タヒ・ポウ」、TAHI-POU(tahi=one,unique,sweep,dress;pou=pole,fasten to a stake,elevate upon poles,make a hole with a stake)、「棒で横穴を掘って・整形した(古墳)」(「タヒ」のH音が脱落して「タイ」となった)

  「トウ・タヌク」、TOU-TANUKU(tou=kindle,set on fire;tanuku=be strained,swallow)、「一心不乱に・(鉄を)火にかけて熱する(鍛冶工房)」(「タヌク」の語尾のU音がI音に変化して「タヌキ」となった)

  「エ・タハ・フナ」、E-TAHA-HUNA(e=to denote action progress,by;taha=calabash,side,pass on one side;huna=conceal,destroy)、「傍らを・(人々が)通り過ぎる場所(または瓢箪のような形の台地)の・隠された(封印された。古墳)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」となった)

  「トヌ・カラ・リノ」、TONU-KARA-RINO(tonu=denoting continuance;kara=secret plan,request for assistance in war either verbal or material;rino=twisted cord,a large eel)、「長く続く・秘密の(敵を折伏する祈祷を行った)・よじれた紐(のような通路。トンネルのある構築物)」(「トヌ」が「トン」と、「リノ」が「リン」となった)

  「オ・ア・マハ」、O-A-MAHA(o=the place of;a=the...of,belonging to;(Hawaii)maha=temple,side of the head,gill plate of a fish)、「魚のえらに・あたる・場所(潮の干満によって海水が出入りする。場所。その場所にある温泉)」(「マハ」のH音が脱落して「マ」となった)

の転訛と解します。

 

(3)山鹿(やまが)郡

 

a山鹿(やまが)郡

 古代から明治29年までの郡名で、肥後国の北部、菊池川の中流域の平野部とその北部の筑肥山地の山間部に位置し、北は筑後国八女郡、東は菊池郡、南は山本郡、西は玉名郡に接します。おおむね現在の山鹿市、鹿本(かもと)郡鹿北町、菊鹿町、鹿本町の地域です。明治29年に山本郡と合併して鹿本(かもと)郡となりました。

 『和名抄』は、「夜万加(やまか)」と訓じます。郡名は、「山のある地方」の意(「ヤマ(山)・ガ(処)」または「ヤマガタの下略」)、「山中僻地」の意とする説があります。

 この「やまか」は、

  「イア・マカ」、IA-MAKA(ia=current,indeed;maka=wild,vigorous)、「荒々しい・川が流れる(地域)」

の転訛と解します。

 

b弁慶(べんけい)ケ穴古墳・チブサン古墳・オブサン古墳・来民(くたみ)

 山鹿(やまが)市は、菊池川中流域の菊鹿盆地にあり、周辺の台地には石室の壁面にゴンドラ形の船を描いた弁慶(べんけい)ケ穴古墳・チブサン古墳(地元では、チブサンは「乳房」と解しています)・オブサン古墳などの装飾古墳が多くあります。

 鹿本(かもと)町は、菊麓盆地の中央にあり、中心の来民(くたみ)は江戸時代には山鹿新町と呼ばれ、農産物の集散地として、また来民うちわの製造地として栄えました。

 この「べんけい」、「チブサン」、「オブサン」、「くたみ」は、

  「ペヌ・ケイ」、PENU-KEI(penu=quite,completely;kei=stern of a canoe etc.)、「全く・カヌーの(高く突き出た)艫(の画がある。横穴古墳)」(「ペヌ」が「ベン」となった)

  「チプ・タ(ン)ガ」、TIPU-TANGA(tipu=swelling;tanga=be assembled)、「膨らみが・繋がっている(古墳)」(「チプ」が「チブ」と、「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サン」となった)(なお、ちなみに「乳房(ちぶさ)」は、「チプ・タ」、TIPU-TA(tipu=swelling;ta=lay,alley)、「膨らみが・並んでいる(もの。乳房)」の転訛と解します。)

  「オプア・タ(ン)ガ」、OPUA-TANGA(opua=porch,veranda of a house;tanga=be assembled)、「(入り口が一段高くなっている)玄関が・付いている(古墳)」(「オプア」の語尾のA音が脱落して「オプ」から「オブ」と、「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サン」となった)

  「ク・タミ」、KU-TAMI(ku=silent;tami=press down,smother,completed in weaving)、「静かで・平らな(土地)」

の転訛と解します。

 

(4)菊池(きくち)郡

 

a菊池(きくち)郡

 古代からの郡名で、肥後国の北部、菊池(きくち)川の上流域に位置し、北は豊後国、東は阿蘇郡、南は合志郡、西は山鹿郡に接します。おおむね現在の菊池(きくち)市、菊池郡旭志村の北部、七城町の地域です。明治29年に合志郡を合併しました。

 『和名抄』は、「久久知(くくち)」と訓じます。郡名は、「クク(くくもる。内にこもる)・チ(道・方向を示す)」から「山陰に籠もったあたり」の意、「クク(一種の植物の茎)のような地形の土地」の意とする説があります。

 この「くくち」、「きくち」は、

  「ククチ」、KUKUTI(=kuti=contract,pinch)、「(山々に)挟まれて狭い(平地がある。地域)」

  「キ・クチ」、KI-KUTI(ki=full,very;kuti=contract,pinch)、「(山々に)挟まれて狭い場所(平地)が・たくさんある(地域)」

の転訛と解します。

 

b隈府(わいふ)・隈部(くまべ)・甲佐(こうさ)

 菊池市の中心隈府(わいふ)は、かつて南北朝初期から背後に山城を擁した菊池氏の本拠で、「西の京都」と称され、隈部(くまべ)と呼ばれていたのが隈府(わいふ)となりました。

 七城(しちじょう)町は、菊池市の西に接し、中央を菊池川が流れ、甲佐(こうさ)は河港として賑わいました。町名は菊池氏の七つの外城跡があったことによれます。

 この「わいふ」、「くまべ」、「こうさ」は、

  「ワイ・フ」、WHAI-HU(whai=possessing,becoming,settled,constantly resident;hu=promontry,hill)、「居住している・丘陵(がある。土地)」

  「クマ・ペ」、KUMA-PE((Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes;pe=crushed,soft)、「手の指の間のような(山の尾根と尾根の間の)・(土が砕けて)平らになった(場所)」

  「カウ・ウタ」、KAU-UTA(kau=alone,only,swim,wade,stalk,pupil of the eye;uta=the land,the inland,put persons or goods on board a canoe)、「人や貨物の積み卸しをする・中心(の場所)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」となった)

の転訛と解します。

 

(5)阿蘇(あそ)郡

 

a阿蘇(あそ)郡

 古代からの郡名で、肥後国の東北部に位置し、南部に世界一のカルデラを持つ阿蘇山、北部に小国盆地があり、北から東は豊後国、南東は日向国、南は益城郡、西は菊池郡、合志郡、託麻郡に接します。おおむね現在の阿蘇(あそ)郡の地域です。

 『和名抄』は、「阿曽(あそ)」と訓じます。郡名は、景行紀18年6月条に「阿蘇都彦・阿蘇都媛がいたので阿蘇という」とあり、「アソ(アズに通じ、崖地、崩壊地)」の意とする説があります。

 この「あそ」は、

  「アト」、ATO(enclose in a fence)、「(外輪山の)垣根に囲まれた(山。その山がある地域)」

の転訛と解します。(オリエンテーション篇の3の(1)「阿蘇」山と関連地名の項を参照してください。)

 

b根子(ねこ)岳・高(たか)岳・中(なか)岳・杵島(きしま)岳・烏帽子(えぼし)岳・草千里(くさせんり)・ヨナ・黒ボク・黒(くろ)川・白(しら)川・立野(たての)・建磐竜(たけいわたつ)命・小国(おぐに)町・杖立(つえたて)川

 阿蘇山は、阿蘇五岳といわれる根子(ねこ)岳(1,408メートル)、高(たか)岳(1,592メートル)、有史以来噴煙を上げ続ける中(なか)岳(1,506メートル)、杵島(きしま)岳(1,321メートル)、烏帽子(えぼし)岳(1,337)を中心とする火山群(狭義の阿蘇山)と、それを囲む阿蘇カルデラをいいます。烏帽子岳の中腹には草千里(くさせんり)と呼ばれる二重火口をもつ側火山があり、その外側火口と内側火口の間に二つの小丘が離れて並びます。阿蘇の火山活動により噴出した火山灰およびそれが降り積もった土地は、地元では「ヨナ」と呼ばれます(九州各地では「黒(くろ)ボク」と呼ぶのが一般的です)。

 阿蘇カルデラの北半の阿蘇谷を流れる黒(くろ)川と、南半の南郷(なんごう)谷を流れる白(しら)川は、カルデラ西端の立野(たての)で合流し、立野火口瀬を経てカルデラの外へ出、西流して有明海へ注ぎます。

 一宮町にある肥後国一宮として尊崇される阿蘇神社は、建磐竜(たけいわたつ)命を主神とする12神を祀っています。

 郡の北東端に小国(おぐに)町があり、全域を標高1,000メートル前後の山々が占め、杖立(つえたて)川の本支流が谷を刻んで北西流しています。

 この「ねこ」、「たか」、「なか」、「きしま」、「えぼし」、「くさせんり」、「ヨナ」、「くろボク」、「くろ」、「しら」、「たての」、「たけいわたつ」、「おぐに」、「つえたて」は、

  「ネコネコ」、NEKONEKO(fancy border of a cloak)、「(外輪山に近い)縁(へり)を飾っている(山)」(反復語尾が脱落して「ネコ」となった)

  「タカ」、TAKA(heap,lie in a heap)、「(一番)高い(山)」

  「ナ・カ」、NA-KA(na=the...of,belonging to;ka=take fire,be lighted,burn)、「そこで・火が燃えている(山)」

  「キ・チマ」、KI-TIMA(ki=full,very;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「十分に・掘り棒で耕したような(なだらかな。山)」

  「エ・ポチ」、E-POTI(e=to denote action in progress,by of the agent;poti=angle,corner,basket for cooked food)、「(湯気を立てている)料理(二重火口をもつ草千里)が・入っている籠(草千里を中腹に抱えている。山)」

  「クタ・テ(ン)ガ・リ」、KUTA-TENGA-RI(kuta=a rush,a woman's apron;tenga=Adam's apple,goitre;ri=bind,screen,protect)、「灯心草(すすきの類)が生えている・喉ぼとけのような丘が・(二つ)くっ付いている(山)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「セン」となった)

  「イ・アウ(ン)ガ」、I-AUNGA(i=past tense,beside;aunga=not including)、「(養分を全く)含まない(そのために有用な植物が生育しない。火山灰。その灰が降り積もった土壌)」(「アウ(ン)ガ」のAU音がO音に、NG音がN音に変化して「オナ」となり、その語頭の「オ」が「イ」と連結して「ヨナ」となった)

  「クフ・ロ・パウク」、KUHU-RO-PAUKU(kuhu=insert,thrust in;ro=roto=inside;pauku=a thick closely woven cloak of flax which when dipped in water served as a protection from spear thrusts)、「(地面の)中へ・入り込んで・水を含むと槍で突いても通さない鎧のように固くなる(火山灰。その土壌)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「パウク」のAU音がO音に変化して「ポク」から「ボク」となった)

  「クフ・ロ」、KUHU-RO(kuhu=insert,thrust in;ro=roto=inside)、「(外輪山の)中へ・入り込んでいる(川)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

  「チラハ」、TIRAHA(bundle,a large basket for sweet-potatoes,face upwards,exposed)、「(外輪山の中から)外へ出てきた(川)」(H音が脱落して「チラ」から「シラ」となった)

  「タ・テ・(ン)ガウ」、TA-TE-NGAU(ta=the,dash,beat,lay;te=crack;ngau=bite,hurt,attack)、「食いちぎられた・割れ目(渓谷)の・場所」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「タケ・イ・ワタ・ツ」、TAKE-I-WHATA-TU(take=stump,base of a hill,chief;i=past tense,beside;whata=elevate,bring into prominence;tu=stand,settle)、「どっしりとした(裾野を長く引く)・高いところ(山)に・鎮座する(神)」

  「オ・(ン)グ・ヌイ」、O-NGU-NUI(o=the place of;ngu=silent;nui=large,many)、「(山の奥の)静まり・かえっている・場所(地域)」(「(ン)グ」のNG音がG音に変化して「グ」となった)

  「ツアイ・タテ」、TUAI-TATE(tuai=thin,lean,lash the tines on to a rake for catching molluscs;tate,tatetate=make any sharp recurring noise,loose of lashings etc.)、「(貝を採るための)熊手で引っ掻くように(流れる急流が)・高い音を繰り返し響かせる(川)」(「ツアイ」のAI音がE音に変化して「ツエ」となった)

の転訛と解します。

 

(6)合志(こうし)郡

 

a合志(こうし)郡

 古代から明治29年までの郡名で、肥後国の北部、白川と菊池川に挟まれ、阿蘇外輪山鞍(くら)岳から西に延びる台地上に位置し、北は菊池郡、東から南は阿蘇郡、南は益城郡、託間郡、西は山本郡、山鹿郡に接します。おおむね現在の菊池郡旭志村の南部、大津町、菊陽町、合志町、西合志町、泗水(しすい)町の地域です。はじめは山本郡を含んでいましたが、貞観元(859)年5月に山本郡を分け(『三代実録』)ています。明治29年に菊池郡に合併されました。

 『和名抄』は、「加波志(かはし)」と訓じます。郡名は、「カハ(川)・イシ(磯。石)」で「川の石の多いところ」の意、「カハ(川)・シキ(底)」で「谷」の意とする説があります。

 この「かはし」は、

  「カハ・チ」、KAHA-TI(kaha=strong,strength,rope,noose;ti=throw,cast,overcome)、「(白川、菊池川などが)強い力で・圧倒した(浸食した。地域)」

の転訛と解します。

 

b鞍(くら)岳・合志(こうし)町竹迫(たかば)・ドーランジャー・高遊原(たかゆうばる)

 旭志(きょくし)村の北東に阿蘇外輪山の鞍(くら)岳(1,118メートル)がそびえます。

 合志(こうし)町の中心の竹迫(たかば)は、江戸時代熊本と菊池を結ぶ住吉街道の宿場町として栄え、竹迫観音堂の夏祭りでは太鼓を乗せ紙飾りや提灯で飾つたドーランジャーと呼ばれる山車が多数巡行します。

 菊陽(きくよう)町の高遊原(たかゆうばる)には、熊本空港が立地します。

 この「くら」、「たかば」、「ドーランジャー」、「たかゆうばる」は、

  「クラ」、KURA(red,ornamented with feathers,precious,treasure)、「羽根飾りを付けたような(美しい。山)」

  「タ・カパ」、TA-KAPA(ta=the,dash,beat,lay;kapa=rank,row,sport)、「(家が)列をなして・いる(土地。地域)」

  「タウラ(ン)ギ・チア」、TAURANGI-TIA(taurangi=unsettled,incomplete,wanderer;tia=stick in,adorn by sticking in feathers)、「(羽根で)美しく飾り立てて・動き回る(巡行する。山車)」(「タウラ(ン)ギ」のAU音がOU音に、NG音がN音に変化して「トウラニ」から「ドウラン」となった)

  「タカ・イフ・パル」、TAKA-IHU-PARU(taka=heap,lie in a heap;ihu=nose,bow of a canoe etc.;paru=plunder,crash)、「高い・鼻がある・粉々の(火山灰が堆積している)場所(原)」(「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユウ」となった)

の転訛と解します。

 

(7)山本(やまもと)郡

 

a山本(やまもと)郡

 古代から明治29年までの郡名で、肥後国の北部に位置し、北は山鹿郡、東は合志郡、南は飽田郡、西は玉名郡に接します。おおむね現在の鹿本(かもと)郡鹿央町、植木町の地域です。はじめは合志郡の一部でしたが、貞観元(859)年5月に分かれて山本郡となり(『三代実録』)、明治29年に山鹿郡と合併して鹿本郡となりました。

 『和名抄』は、「夜末毛止(やまもと)」と訓じます。郡名は、「山の麓」の意とする説があります。

 この「やまもと」は、

  「イア・マ・モト」、IA-MA-MOTO(ia=current,indeed;ma=white,clean;moto=strike with the fist)、「実に・清らかな・(合志川など菊池川の支流が)拳骨で殴った(浸食した。地域)」

の転訛と解します。

 

b植木(うえき)町・味取(みとり)新町・田原(たばる)坂

 植木(うえき)町の町名は、江戸時代中期に町の北西部の森を植木の森と呼んだことによるとされ、『和名抄』の殖生郷に比定されています。江戸時代には味取(みとり)新町とも呼ばれ、三池往還と分離する薩摩街道の宿駅として発展しました。町の西部には、三池往還の玉名市高瀬から熊本鎮台に大砲を運びこもうとした官軍とこれを迎え撃つた薩摩軍との西南戦争の最大の激戦地田原(たばる)坂があります。

 この「うえき」、「みとり」、「たばる」は、

  「ウエ・キ」、UE-KI(ue=nape of the neck;ki=full,very)、「正に・襟首にあたる(薩摩街道のネックである田原坂の周囲の。地域)」

  「ミ・トリ」、MI-TORI(mi=stream,river;tori=cut)、「川(合志川の支流)が・浸食した(土地。そこの町)」

  「タパル」、TAPARU(join,add,eat voraciously)、「(山道の片側または両側が)がつがつ食べられている(浸食されている。山道。坂)」

の転訛と解します。

 

(8)飽田(あきた)郡

 

a飽田(あきた)郡

 古代から明治29年までの郡名で、肥後国の中部、白川下流および緑川下流に位置し、北は玉名郡、山本郡、東は合志郡、託麻郡、南は八代郡、西は有明海に接します。おおむね現在の熊本市(東部の一部を除く)、宇土市の北部の地域です。明治29年に託麻郡と合併して飽託(ほうたく)郡となりました。

 『和名抄』は、「安支多(あきた)」と訓じます。郡名は、熊本市松尾あたりがこの地名の発祥地で「権現山際の微高地、または崖地」の称とする説があります。

 この「あきた」は、

  「ア・キタ」、A-KITA(a=the...of,belonging to;kita=tightly,intensely,tightly clenched)、「(白川の流れに流されないように金峰山・権現山に)しっかりとしがみついている・ような(土地。その地域)」

の転訛と解します。

 

b熊本(くまもと)・坪井(つぼい)川・井芹(いせり)川・金峰(きんぽう)山・権現(ごんげん)山・千金甲(せごんこう)古墳

 熊本(くまもと)市の市名は、はじめ8世紀中ごろに東部(託麻郡)の出水地区に肥後国府・国分寺が置かれ、その後南部の二本木に国府が移り、その後数世紀にわたって肥後の中心となったが、14世紀の南北朝ごろから隈本(くまもと)という呼称がみえ、17世紀近世初頭に加藤清正が城を築いて熊本城としたことによります。

 名城として知られる熊本城は、熊本市を貫流する白川を外堀とし、坪井(つぼい)川の流路を変え、井芹(いせり)川と合流させて内堀としています。

 熊本平野の北西には、金峰(きんぽう)山(665メートル)がそびえます。

 坪井川の河口近く、権現(ごんげん)山(273メートル)の麓に玄室の中に装飾を施した石の隔離板がある装飾古墳の千金甲(せごんこう)古墳があります。

 この「くまもと」、「つぼい」、「いせり」、「きんぽう」、「ごんげん」、「せごんこう」は、

  「クマ・モト」、KUMA-MOTO((Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes;moto=strike with the fist)、「手の指の間のような(山の尾根と尾根の間にある)平地が・拳骨で殴られた(浸食された。土地。地域)」

  「ツポウ・ウイ」、TUPOU-UI(tupou=bow the head,rush of current,steep;ui=disentangle,loosen a noose)、「奔流する・ほどけた輪縄のような(蛇行する。川)」(「ウイ」が「ヰ」となった)

  「ウイ・テリ」、UI-TERI(ui=disentangle,loosen a noose;teri,teriteri=shake,jolt,shiver to pieces)、「震動しながら流れる・ほどけた輪縄のような(蛇行する。川)」(「ウイ」が「ヰ」となった)

  「キナ・ポウ」、KINA-POU(kina=sea egg,a globular calabash;pou=pole,stick in,fix,establish)、「どっしりと座っている・まるい瓢箪のような(山)」(「キナ」が「キン」となった)

  「(ン)ガウ・(ン)ゲネ」、NGAU-NGENE(ngau=bite,hurt,attack;ngene=wrinkle,fat)、「浸食されて・皺ができている(山)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」に、「(ン)ゲネ」が「ンゲン」となった)

  「テ・(ン)ゴ(ン)ゴ・コウ」、TE-NGONGO-KOU(te=the,crack;ngongo=waste away,become thin,suck;kou=knob,stump)、「薄い(石板の)・突起(衝立)が・(玄室の中に)ある(古墳)」(「(ン)ゴ(ン)ゴ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ゴノ」から「ゴン」となった)

の転訛と解します。

 

(9)託麻(たくま)郡

 

a託麻(たくま)郡

 古代から明治29年までの郡名で、肥後国の中部、白川中流左岸に位置し、北は合志郡、東から南は益城郡、西はおおむね白川を境に飽田郡に接します。おおむね現在の熊本市の東部、上益城郡益城町の西部、嘉島町の西部の地域です。明治29年に飽田郡と合併して飽託(ほうたく)郡となりました。

 『和名抄』は、「多久万(たくま)」と訓じます。郡名は、「タギマ(当摩)」と同じ、「湿地」の意、「タク(高)・マ(間。場所)」で「小高いところ」、「微高地」の意とする説があります。

 この「たくま」は、

  「タ・クマ」、TA-KUMA(ta=the,dash,beat,lay;(Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes)、「手の指の間のような(山の尾根と尾根の間に)場所に・ある(土地。地域)」

の転訛と解します。

 

b出水(いずみ)町・江津(えつ)湖・加瀬(かせ)川

 肥後国の国府・国分寺は、はじめ現熊本市出水(いずみ)町にあり、後に南部の現熊本市二本木に移りました。託間台地の末端には、豊富な地下水の湧出がみられ、出水町には水前寺公園があり、その南には江津(えつ)湖があって加瀬(かせ)川が流れ出ています。

 この「いずみ」、「えつ」、「かせ」は、

  「イ・ツ・ミ」、I-TU-MI(i=ferment,be stirred;tu=stand,settle,fight with,energetic;mi=stream,river)、「勢いよく・湧き出す・水が流れる(川。その場所)」または「イツ・ミ」、ITU-MI(itu=side;mi=stream,river)、「川(や湖など)の・ほとり(にある土地。地域)」

  「ハエ・ツ」、HAE-TU(hae=slit,tear,split;tu=stand,settle;fight with,energetic)、「強い力で・引き裂かれた(土地。そこにできた湖)」(「ハエ」のH音が脱落し、AE音がE音に変化して「エ」となった)

  「カハ・テ」、KAHA-TE(kaha=rope,noose;te=crack)、「(江津湖に結びつけられた)輪縄のような・割れ目(川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)益城(ましき)郡

 

a益城(ましき)郡

 古代から明治29年までの郡名で、肥後国の中部、緑(みどり)川流域に位置し、北は合志郡、北から東は阿蘇郡、南は八代郡、西は託麻郡、飽田郡、宇土郡に接します。おおむね現在の上益城郡(益城町の西部、嘉島町の西部を除く)、下益城郡の地域です。明治29年に上益城郡、下益城郡に分かれました。

 『和名抄』は、「万志支(ましき)」と訓じます。郡名は、「籬柵(ませき。屯倉の周りの柵)のあった地」、「馬城(ましき)」で「牧」の意、「マ(接頭語)・シキ(重なったところ。段丘。磯城)」から、「マシ(高い)・キ(場所)」から、「マジ(交じ)・キ(場所)」(谷・川筋などが交わる土地)からなどの説があります。

 この「ましき」は、

  「マチ・キ」、MATI-KI(mati,matimati=toe,finger;ki=full,very)、「(阿蘇外輪山および九州山地から突き出ている)足指(のような尾根)が・たくさんある(地域)」

の転訛と解します。

 

b緑(みどり)川・向坂(むこざか)山・御船(みふね)町・甲佐(こうさ)町・鵜(う)ノ瀬堰・大井手(おおいで)用水・轡塘(くつわとも)

 緑(みどり)川は、熊本・宮崎県境の向坂(むこざか)山(1,684メートル)付近に源を発し、肥後国のほぼ中央部を東西に横断して有明海に注ぐ川で、川名は水源付近に露出する岩石が清流に映えて緑色を呈することによるとされます。

 上益城郡御船(みふね)町の町名は、かつて有明海がこの付近まで湾入しており、景行天皇が九州巡幸の節、ここで船を降りて阿蘇へ向かったという伝説にちなみます。中心集落の御船は、近世には御船川舟運の河港として栄えました。

 甲佐(こうさ)町の町名は、阿蘇四社の一つで、肥後第二の宮とされる甲佐神社にちなみます。慶長12(1607)年に加藤清正公が築造した鵜(う)ノ瀬堰から取水する大井手(おおいで)用水が町を貫流します。

 緑川をはじめ、浜戸川(緑川の支流)、菊池川などには、加藤清正公が築造したと伝えられる轡塘(くつわとも。くつわども)と呼ばれる洪水を制御するための河中堤が設置され、現在も有効に機能しています。この「轡塘」は、轡(口輪)をもって暴れ馬を制御する如く洪水を治めたことによるとする説がありますが、不詳です。

 この「みどり」、「むこざか」、「みふね」、「こうさ」、「うのせ」、「おおいで」、「くつわとも」は、

  「ミ・タウリ」、MI-TAURI(mi=stream,river;tauri=fillet,band,particularly the plaited flax cord for securing the feathers ornamenting the head of a weapon)、「(上流に羽根飾りを固定しているような美しい峡谷がある)帯のような・川」(「タウリ」のAU音がO音に変化して「トリ」から「ドリ」となった)

  「ムコイ・タカ」、MUKOI-TAKA((Hawaii)mukoi=sharp,projecting;taka=heap,lie in a heap)、「鋭く突き出ている・高い(山)」(「ムコイ」の語尾のI音が脱落して「ムコ」となった)

  「ミ・フネ」、MI-HUNE(mi=stream,river;hune=down of birds etc.)、「(人や物が)下船する・川(その場所)」もしくは「鳥が舞い降りるように(滑らかに)流れ下る・川」または「ミ・フネイネイ」、MI-HUNEINEI(mi=stream,river;huneinei=hungeingei=anger,vexation)、「怒っている(荒々しい)・川」(「フネイネイ」の反復語尾の「ネイ」が脱落して「フネイ」から「フネ」となった)

  「コウ・タ」、KOU-TA(kou=knob,stump,bunch of feathers on a stern-post of a canoe;ta=dash,beat,lay)、「船の艫の羽根飾り(のような肥後国第二の甲佐神社(第一は船の舳先である阿蘇神社))が・ある(土地)」

  「ウ・(ン)ガウ・テ」、U-NGAU-TE(u=be firm,be fixed;ngau=bite,hurt,attack;te=crack)、「割れ目(緑川)から・水を取り込む・固定された施設(堰)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「オ・フイ・テ」、O-HUI-TE(o=the...of;hui=add together,double up,assembly;te=crack)、「(緑川に)併設された・割れ目(用水)」(「オ」が「オオ」と、「フイ」のH音が脱落して「ウイ」から「ヰ」となった)

  「ク・ツワ・トモ」、KU-TUWHA-TOMO(ku=silent;tuwha=distribute;tomo=be filled,pass in,enter,assault)、「静かに・徐々に・(水が)満ちる(堤)」または「静かに・徐々に・(堤を超えて)溢れ出す(堤)」

の転訛と解します。

 

c城南(じょうなん)町陣内(じんない)・松橋(まつばせ)町・萩尾(はぎお)溜池・砥用(ともち)町・雁股(かりまた)山

 下益城郡城南(じょうなん)町は、古くから開けた町で、陣内(じんない)には肥後最古の白鳳期の寺院跡とされる陣内廃寺があります。

 松橋(まつばせ)町は、江戸時代中期から明治なかばまで大野川の河口港として栄えた町で、その町名は、古代にここが海峡であり、松葉(まつば)の瀬戸とよばれていたことによるとされます。

 豊野(とよの)村の北西部の山間には、鯉、鮒などの釣り場として有名な萩尾(はぎお)溜池があります。

 砥用(ともち)町は、緑川中流の中央構造線に沿った緑川断層崖のある山間にあり、町名は中世以来の地名によります(『和名抄』の「富神(とむち)」の転訛とする説もあります)。熊本と延岡を結ぶ街道の要地であり、また雁股(かりまた)山(1,315メートル)の南の二本杉峠をこえて五家庄へ通ずる交通の要地でした。

 この「じんない」、「まつばせ」、「はぎお」、「ともち」、「かりまた」は、

  「チノ・ヌイ」、TINO-NUI(tino=main,essenciality;nui=large,many)、「大きな・中心の(集落)」

  「マツ・パ・テ」、MATU-PA-TE(matu=ma atu=go,come;pa=stocade;te=crack)、「(人や貨物が)行き来する・柵のある居住地がある・割れ目(川)の場所(地域)」

  「ハ(ン)ギ・アウ」、HANGI-AU(hangi=earth-oven,scarf;au=cloud,sea,string)、「地面に掘った蒸し焼き穴が・(連続して)紐のようになった(谷。そこに設けられた溜池)」(「ハ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ハギ」と、「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

  「ト・モチ」、TO-MOTI(to=drag,open or shut a door or a window;moti=consumed,scarce,surfeited)、「(人の)往来が・多くて飽き飽きした(場所。地域)」

  「カリ・マタ」、KARI-MATA(kari=clump of trees;mata=heap,just,point,headland)、「一かたまりの樹叢をなしている・高い(山)」

の転訛と解します。

 

(11)宇土(うと)郡

 

a宇土(うと)郡

 古代からの郡名で、肥後国の中部、宇土半島一帯に位置し、北は有明海と緑川を境に飽田郡、東は益城郡、南は八代海(不知火海)、西は海峡を隔てて天草郡と接します。おおむね現在の宇土市、宇土郡の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、宇土半島がもとは島で「浮土」の転とする説、駿河国有度郡、薩摩国高城郡宇土郷にみるように細く長い構造谷に由来するとする説があります。

 この「うと」は、

  「ウト」、UTO(revenge,sworn enemy)、「仇を討ったような(刀で切り落としたような断崖がある。半島。その地域)」

の転訛と解します。(地名篇(その十七)の静岡県の(19)有度郡の項を参照してください。)

 

b宇土市御輿来(おこしき)海岸・不知火(しらぬひ)町・永尾(えいのお)神社・三角(みすみ)町・モタレの瀬戸・戸馳(とばせ)島

 宇土市御輿来(おこしき)海岸は、景行天皇巡幸伝説が残る雲仙岳を望む景勝地で、干潮時には「鬼の洗濯板」と呼ばれる岩浜が露出します。

 不知火(しらぬひ)町は、八代海の別名不知火にちなみます。永尾(えいのお)神社には、旧暦8月1日に現れる不知火の観望所が設けられています。

 宇土半島の西端にある三角(みすみ)町は、モタレの瀬戸を隔てて戸馳(とばせ)島と、三角の瀬戸を隔てて大矢野島と接する港町で、町名は古代以来の地名によりますが、山に大蛇が住んでいたので「巳住み」というとの伝承があります。

 この「おこしき」、「しらぬひ」、「えいのお」、「みすみ」、「モタレ」、「とばせ」は、

  「オ・コチ・キ」、O-KOTI-KI(o=the...of;koti=cut in two,divide,separated,striped;ki=full,very)、「(縞のような)条痕が・たくさんある・場所(岩浜がある。海岸)」

  「チラ・ヌイ・ヒ」、TIRA-NUI-HI(tira=file of men,row,fin of fish;nui=large,many;hi=raise,rise,catch with hook and line,fish(v.))、「(海上に)列をなした・多数の・漁をする(漁の火=不知火が見える。その地域)」(「ヌイ」が「ヌ」となった)(「不知火」をめぐる国語学上の問題については、国語篇(その四)の057 しらぬひの項を参照してください。)

  「エイ・ノホ」、EI-NOHO(ei=interjection(ehi=well!);noho=sit,stay)、「(不知火を見て)感嘆の声が・充満する(場所。そこにある神社)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」となった)

  「ミ・ツ・フミ」、MI-TU-HUMI(mi=stream,river;tu=fight with,energetic;humi=abundant,abundance)、「激しい勢いで・大量の水が流れる・川(海峡。その海峡のある場所)」(「ツ」が「ス」となり、「フミ」のH音が脱落して「ミ」となった)または「ミ・ツ・ウミキ」、MI-TU-UMIKI(mi=stream,river;tu=fight with,energetic;umiki=traverse,go round)、「激しい勢いで・流れが往来する・川(海峡。その海峡のある場所)」(「ツ」が「ス」に変化し、そのU音と「ウミキ」の語頭のU音が連結し、語尾のK音が脱落して「スミ」」となった)

  「モタ・ライ」、MOTA-RAI(mota=just;rai=ribbed,furrowed)、「ちょっとした(小さな)・溝(のような海峡)」(「ライ」のAI音がE音に変化して「レ」となった)

  「トパ・テ」、TOPA-TE(topa=fly,a toy consisting of a leaf of a tree into the midrib of which is thrust a culm of a grass which is made to glide in the air for considerable distance;te=emphasis,crack)、「割れ目(海峡)で(半島と)離れている・(葦の軸を付けて飛ばす玩具にする)木の葉のような(形の。島)」

の転訛と解します。

 

(12)八代(やつしろ)郡

 

a八代(やつしろ)郡

 古代からの郡名で、肥後国の南部に位置し、北は益城郡、東は日向国、南は葦北郡、球磨郡、西は八代海(不知火海)に接します。おおむね現在の八代市(南部の一部を除く)、八代郡(坂本村の南西部を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「夜豆志呂(やつしろ)」と訓じます。郡名は、「ヤツ(湿地)・シロ(稲)」で稲が豊に実る八代平野を指す、八代市宮地の妙見宮(八代神社)の「社(やしろ)」の転、「ヤツ(湿地)・シロ(場所)」の意などとする説があります。

 この「やつしろ」は、

  「イア・ツ・チロウ」、IA-TU-TIROU(ia=current,indeed;tu=stand,settle.fight with,energetic;tirou=pointed stick used as a fork,move a canoe sideways by plunging the paddle into the water drawing it towards one)、「川(球磨川)が・カヌーの方向を変えるために片側の櫂だけを使うように・流れている(八代郡の南西隅から八代海に注いでいる。土地。地域)」(「チロウ」の語尾のA音が脱落して「チロ」から「シロ」となった)

の転訛と解します。(地名篇(その十六)の山梨県の(3)八代郡の項を参照してください。)

 

b徳渕(とくのふち)港・松江(まつえ)城・竜峰(りゅうほう)山・氷(ひ)川・野津(のづ)古墳群・「クド」造り・「漏斗」造り・印鑰(いんやく。いんにゃく)明神池・五家庄(ごかのしょう)・久連子(くれこ)踊り

 八代(やつしろ)市は八代海に臨み、その市街地は球磨川下流の扇状地の三角州上に発達します。中世に名和氏が古麓城と呼ばれる山城を築き、後に相良氏が城郭と城下町を拡張し、対外貿易のために球磨川河口に徳渕(とくのふち)港が築かれ、17世紀に加藤清正が松江(まつえ)城を築きました。

 竜北(りゅうほく)町の町名は、南方に見える竜峰(りゅうほう)山(517メートル)にちなみます。町を貫流する氷(ひ)川の流域は、古代に肥(火)国造、「火の君」が拠点とした地域で、町の東部の野津(のづ)古墳群は火の君一族の族長の墓とされます。

 この地域には、三方を屋棟で囲み一方だけ開いているいわば「かまど」のような形をした「クド」造りの民家や、それから発展して四方を屋棟で囲み中央に漏斗のような屋根が中庭に向かつて落ち込む「漏斗(じょうご)」造りの民家が残ります。

 鏡(かがみ)町の町名は、中世以来の地名によりますが、町内の印鑰(いんやく。いんにゃく)明神池の別称である鏡池によるとする説もあります。

 泉村の東部の山間、球磨川の支流川辺川の上流に、平家の落人伝説が残る五家庄(ごかのしょう)があります。久連子(くれこ)地区に残る古代踊りが有名です。

 この「とくのふち」、「まつえ」、「りゅうほう」、「ひ」、「のづ」、「クド」、「じょうご」、「いんやく(いんにゃく)」、「ごかのしょう」、「くれこ」は、

  「ト・ク・(ン)ガウ・プチ」、TO-KU-NGAU-PUTI(to=drag,open or shut a door or a window;ku=silent;ngau=bite,hurt,attack;puti=dried up,cross-grained of timber)、「潮が干満に応じて行き来する・静かな・浸食されて・木の瘤のような地形の(場所。そこの港)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」と、「プチ」のP音がF音を経てH音に変化して「フチ」となった)

  「マツアイウイ」、MATUAIWI(the second ingress of whitebait into the rivers)、「(八代海から球磨川の河口に入り、さらにその奥の支流の入り口である)第二の入り口(喉(のど)にあたる)の場所にある(城)」(AI音がE音に変化し、語尾の「ウイ」が脱落して「マツエ」となった)(地名篇(その十二)の島根県の(4)嶋根郡のb松江市の項を参照してください。)

  「ヒヒ」、HIHI(whistle with finger bent in the mouth)、「(上流の流路が泉村で直角に曲がっている)指笛を吹く(川)」(「ヒヒ」の反復語尾が脱落して「ヒ」となった)(地名篇(その十四)の愛媛県の(14)喜多郡のb肘(ひじ)川の項を参照してください。)

  「リウ・ホウ」、RIU-HOU(riu=valley,belly,chest;hou=bind,lash together)、「お腹(のふくらみ)が・連なっている(山)」

  「(ン)ガウ・ツ」、NGAU-TU(ngau=bite,hurt,attack;tu=stand,settle.fight with,energetic)、「激しく・浸食されている(古墳)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「クフ・ト」、KUHU-TO(kuhu=insert,conceal,cooking shed;to=drag,stove,cooker(toanga=place etc. of dragging))、「(火を引き込む)竈を・その中に隠している(小屋。台所。転じてその中心にある竈。さらに転じて竈のように三方を屋棟で囲み正面に出入口が一つ開いている造りの家屋。その建築様式)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

  「チ・ホウ・(ン)ゴ」、TI-HOU-NGO(ti=throw,cast;hou=enter,force downwards or under;ngo,ngongo=suck,suck out)、「注ぎ入れた(液体を)・下方に向かって・吸い出す(道具。漏斗。転じて四方を屋棟で囲み中央に漏斗のような屋根が中庭に向かつて落ち込む造りの家屋。その建築様式)」(「ホウ」のH音が脱落して「オウ」となり、「チ・オウ」が「チョウ」から「ジョウ」と、「(ン)ゴ」のNG音がG音に変化して「ゴ」となった)

  「イ・ヌヌイ・アク」、I-NUNUI-AKU(i=ferment,be stirred,past tense,beside;nui,nunui=big,many;aku=scrape out,cleanse)、「水が湧き出す・大きな・清い(池。その神社)」(「ヌヌ」が「ンニ」となった)または「イヌ・アク」、INU-AKU(inu=drink(whakainu=a spell recited when a canoe is first taken to the water);aku=scrape out,cleanse)、「(船の)進水にあたって・清める(儀式を行う。池。その神社)」

  「(ン)ガウ・カノヒ・チホウ」、NGAU-KANOHI-TIHOU(ngau=bite,hurt,attack;kanohi=eye;tihou=an implement used for cultivating)、「浸食された・眼(盆地)で・鍬で耕されている(耕地がある。土地)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「カノヒ」の語尾の「ヒ」が脱落して「カノ」と、「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」となった)

  「ク・レコ」、KU-REKO(ku=silent,a game played by opening and shutting the hands while reciting certain verses;reko=white of feathers or hair etc.,a white dog-skin cape)、「白い上衣をまとって・手を叩きながら踊る(踊り。その踊りを奉納する神社。その土地)」

の転訛と解します。

 

(13)天草(あまくさ)郡

 

a天草(あまくさ)郡

 古代からの郡名で、肥後国の南西部、宇土半島の南西に続く群島で、大矢野島、天草上島、天草下島など大小120余の島からなり、北は早崎瀬戸を隔てて肥前国高久郡、東は宇土郡、八代海を隔てて八代郡、葦北郡、南東は長島海峡を隔てて薩摩国出水郡に接します。おおむね現在の本渡市、牛深市、天草郡の地域です。かつて中世までは長島は当郡に属しました。

 『和名抄』は、「安万久佐(あまくさ)」と訓じます。郡名は、『古事記』国生み条に「(知訶島の次に)両児(ふたご)島を生みき。亦の名を天両屋(あめふたや)と謂う」とあり、神功皇后摂政前紀(仲哀天皇)9年9月条に「磯鹿(しか)の海人、名は草(くさ)」とあるところから「海人草(あまくさ)」から、「甘草(あまくさ)」から、「馬草(まくさ)」の転などとする説があります。

 この「あまくさ」、「ふたご」、「あめふたや」は、

  「アマ・クタ」、AMA-KUTA(ama=outrigger of a canoe;kuta=encumbrance,a rush,woman's apron made of the same)、「(交通の)邪魔になっている・カヌーのアウトリガー(舷側に付けられた安定材)(のような本土に並行に並んでいる。島々。その地域)」または「ア・マハ・クタ」、A-MAHA-KUTA(a=the...of,belonging to;maha=satisfied,many;kuta=encumbrance,a rush,woman's apron made of the same)、「たくさんの・(交通の)邪魔になっている・もの(島々)」(「マハ」のH音が脱落して「マ」となった)

  「フ・タ(ン)ゴ」、HU-TANGO(hu=resound,bubble up,hill,promontory;tango=take up,take in hand(tangotango=handle,rail of a fence))、「泡とともに(海中から)浮き上がってきた・垣根の手摺り(のような。群島)」(「タ(ン)ゴ」のNG音がG音に変化して「タゴ」となった)

  「アマイ・フ・タイア」、AMAI-HU-TAIA(amai=swell on the sea,giddy,dizzy;hu=resound,bubble up,hill,promontory;taia=neap of the tide,outer palisade of a stockade)、「海上にそそり立つ・泡とともに(海中から)浮き上がってきた・集落の外側の防柵(のような。群島)」(「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」となった)

の転訛と解します。

 

b大矢野(おおやの)島・柳(やなぎ)ノ瀬戸・倉(くら)岳・念珠(ねんじゅ)山脈・千巌(せんがん)山・竜(りゅう)ケ岳・本渡(ほんど)市・羊角(ようかく)湾・牛深(うしぶか)市・富岡(とみおか)

 天草諸島の北部の大矢野(おおやの)島は、宇土半島との間は三角ノ瀬戸、天草上島との間は柳(やなぎ)ノ瀬戸などで隔てられています。

 天草上(あまくさかみ)島の中央部には、天草最高峰の倉(くら)岳(682メートル)がそびえ、東部には雲仙天草国立公園に属する東海岸に並行する念珠(ねんじゅ)山脈が走り、北端には名勝の千巌(せんがん)山(162メートル)があり、南端には名勝の竜(りゅう)ケ岳(470メートル)がそびえます。

 天草下(あまくさしも)島の天草上島との間を隔てる本渡(ほんど)ノ瀬戸の北端に本渡市の中心市街地があります。下島の大半は高度200メートルから300メートルの山地で、浸食谷が発達し、複雑な地形となっています。南西部には羊角(ようかく)湾の奥深い入り江が、牛深(うしぶか)市には沈水海岸が、天草灘西海岸には富岡(とみおか)の陸繋島があります。

 この「おおやの」、「やなぎ」、「くら」、「ねんじゅ」、「せんがん」、「りゅう」、「ほんど」、「ようかく」、「うしぶか」、「とみおか」は、

  「オフ・イア・(ン)ガウ」、OHU-IA-NGAU(ohu=beset in great numbers,surround;ia=current,rushing stream,indeed;ngau=bite,hurt,attack)、「(潮の干満に伴って)襲ってくる・奔流が・(島を)取り囲んでいる(三角ノ瀬戸、柳ノ瀬戸などで他と隔てられている。島)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」から「オオ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「イア・ナ・ア(ン)ギ」、IA-NA-ANGI(ia=current,rushing stream,indeed;na=belonging to;angi=approach stealthily,move freely,float)、「どちらかといえば・音もなく忍び寄ってくる・(潮の干満に伴う)激流が流れる(瀬戸。海峡)」(「ナ」のA音と、「ア(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「アギ」となったその語頭のA音が連結して「ナギ」となった)

  「ネネ・チウ」、NENE-TIU(nene=fat;tiu=soar,wander,swing)、「尾根が(直進せず)曲がって延びている・肥った(山。山脈)」(「ネネ」が「ネン」と、「チウ」が「ジュ」となった)

  「クラ」、KURA(red,ornamented with feathers,precious,treasure)、「羽根で飾った(美しい。山)」

  「テ(ン)ガ・(ン)ガナ」、TENGA-NGANA(tenga=Adam's apple,goitre;ngana=be eagerly intent,persistent,strong,brave,rage)、「荒々しい・喉ぼとけのような(山)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「セン」に、「(ン)ガナ」のNG音がG音に変化して「ガナ」から「ガン」となった)

  「リウ」、RIU(valley,belly,chest)、「お腹のような(膨らみがある。山)」

  「ホノ・ト」、HONO-TO(hono=join,be on the point of,assembly,retinue;to=drag,open or shut a door or a window)、「(潮の干満に応じて)潮流が行き来する・その場所にある(土地。地域)」(「ホノ」が「ホン」となった)

  「イオ・カク」、IO-KAKU(io=muscle,line,spur,lock of hair,strip;kaku=scrape up,bruise)、「(岬の左右に)みずらのように・(入り江を)掘り上げた(湾)」

  「ウチ・プカ」、UTI-PUKA(uti=bite;puka=eager,impatient,spongy,perspire)、「せっせと(性急に)・食いちぎった(土地。地域)」

  「ト・ミ・アウカハ」、TO-MI-AUKAHA(to=drag,open or shut a door or a window;mi=stream,river;aukaha=lash the bulwark to the body of a canoe)、「行き来する・潮流が打ち寄せる・カヌーの波切り板のような(切り立った岩壁が周囲を囲んでいる。島。土地。そこに築かれた城)」(「アウカハ」のAU音がO音に変化し、H音が脱落して「オカ」となった)

の転訛と解します。

 

(14)葦北(あしきた)郡

 

a葦北(あしきた)郡

 古代からの郡名で、肥後国の南部に位置し、北は八代郡、東は球磨郡、南は薩摩国、西は八代海(不知火海)に接します。おおむね水俣市、葦北郡、八代市の南部の一部、八代郡坂本村の南西部の地域です。

 『和名抄』は、「阿之木多(あしきた)」と訓じます。郡名は、景行紀18年4月条、5月条に「葦北の小島に泊る」、「葦北より発船す」とあり、「アシ(崖地)・キタ(キダ。刻まれた地形)」で「海岸段丘」の意とする説があります。

 この「あしきた」は、

  「ア・チキ・タ」、A-TIKI-TA(a=the,belonging to;tiki=sacrum,a post to mark a place which was tapu;ta=dash,beat,lay)、「(球磨川を背骨とし、その下部にあることから)変形した・仙骨(骨盤の後部の骨)の・ような形の(地域)」

の転訛と解します。

 

b水俣(みなまた)市・津奈木(つなぎ)町・津奈木太郎(たろう)峠・芦北町佐敷(さしき)・八代市日奈久(ひなぐ)温泉

 水俣(みなまた)市の市名は、『和名抄』にみえる郷里名によりますが、水俣川と湯出川の合流点にあるところから、川の二股になったところの意とする説があります。

 津奈木(つなぎ)町の町名は、景行天皇が巡幸された際当地に船を繋いだというで伝説にちなむとされます。町の海岸部はリアス式海岸で交通が不便であり、東境の津奈木太郎(つなぎたろう)峠(芦北町の湯浦川の谷へ抜ける峠。現在は旧道の東を迂回して薩摩街道・JR鹿児島本線が通り、トンネルが開通しています)、赤松太郎峠、佐敷太郎峠と並んで古くは水俣市と八代市日奈久の間の「三太郎越」と呼ばれる難所でした。

 芦北町の中心の佐敷(さしき)は、葦北郡のほぼ中央、佐敷、湯浦両川が合流して入り江に注ぐ合流点にあり、古代の西海道の駅家が置かれた水陸交通の要地です。

 八代市日奈久(ひなぐ)温泉は、九州山地の断層崖下の薩摩街道のそばに位置し、八代海にのぞむ古い温泉で、『肥前国風土記』に景行天皇が葦北の火流(ひながれ)浦から船出したとあり、「比奈賀(ひなが)」の転とする説があります。

 この「みなまた」、「つなぎ」、「たろう」、「さしき」、「ひなぐ」は、

  「ミナ・マタ」、MINA-MATA(mina=desire,feel inclination for;mata=deep swamp,heap,face,eye)、「深い湿地が・続く(土地。地域)」

  「ツ(ン)ガ(ン)ギ」、TUNGANGI(a bivalve mollusc(He ara whakaungangi=a stile))、「垣根(峠)を越すための踏み台(のように峠に向かって徐々に高まっている。街道と街道を繋いでいる。土地)」(最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ツナギ」となった)

  「タロア」、TAROA(long,enduring)、「長い(延々と続く厳しい。峠)」

  「タ・チキ」、TA-TIKI(ta=the,dash,beat,lay;tiki=sacrum,a post to mark a place which was tapu)、「仙骨(骨盤の後部の骨)に・突入している(入り江がある。土地。湾)」

  「ヒ(ン)ガ・(ン)グ」、HINGA-NGU(hinga=fall from an errect position,lean;ngu=tattoo marks on the sides of the nose,silent,greedy)、「鼻(八竜山から海岸に沿って南西に延びる山)の脇の・急激に落ち込んだ山の麓(の土地。そこに湧く温泉)」(「ヒ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒナ」と、「(ン)グ」のNG音がG音に変化して「グ」となった)

の転訛と解します。

 

(15)球磨(くま)郡

 

a球磨(くま)郡

 古代からの郡名で、肥後国の南東部、九州山地の南部の山間に位置し、北は八代郡、東から南は日向国、南は薩摩国、西は葦北郡に接します。おおむね現在の人吉市、球磨郡の地域です。

 『和名抄』は、「久万(くま)」と訓じます。郡名は、「クマ(湾曲したものの曲がり目(曲)。奥まっているところ(隈)。暗く陰になっているところ(山陰))」の意とする説があります。

 この「くま」は、

  「クマ」、KUMA((Hawaii)cracking of the skin between fingers and toes as with athlete's foot)、「手の指や足の指の間に(水虫の)ひび割れがあるような(土地。地域)」または「クフ・ウマ」、KUHU-UMA(kuhu=thrust in,insert;uma=bosom,chest)、「胸の乳房の間に・入り込んだような(山間にある。土地。地域)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となり、その語尾のU音が「ウマ」の語頭のU音と連結して「クマ」となった)

の転訛と解します。

 

b市房(いちぶさ)ダム・人吉(ひとよし)盆地・免田(めんだ)川・川辺(かわべ)川・万江(まえ)川・木綿葉(ゆうば)川・才園(さいぞの)古墳・多良木(たらぎ)町・百太郎(ひゃくたろう)溝・白髪(しらが)岳・五木(いつき)村・ビャーラ橋

 球磨(くま)川は、水上村に源を発し、市房(いちぶさ)ダムを経て、人吉(ひとよし)盆地で免田(めんだ)川、川辺(かわべ)川、万江(まえ)川などの支流を集め、盆地西方で九州山地に峡谷を刻み、八代平野に出て三角州を形成し、八代海に注ぎます。下流は早瀬が多く、最上川、冨士川とともに日本三代急流の一つに数えられ、別名を木綿葉(ゆうば)川といいます。

 免田(めんだ)町は、中球磨地方の中心地で、才園(さいぞの)古墳があります。

 多良木(たらぎ)町は、上球磨地方の中心地で、百太郎(ひゃくたろう)溝と呼ばれる潅漑用水路の取水堰が設けられています。

 盆地の南には、北に長い断層崖がある白髪(しらが)岳(1,417メートル)がそびえます。

 盆地の北の山間に木地屋集団が定着したとも、平家の落人が住み着いたともいう五木(いつき)村があり、村名は平家の落人が「居着いた」ことによるとの説があります。

 近年まで球磨地方の各地には、川の浅瀬に小丸太を梯形に組んで橋脚とし、これに丸太を二本架して、その上に長さ約1メートルに切り揃えたビャーラ(木の小枝)を密に敷き並べたビャーラ橋があったといいます(乙益重隆「『八代日記』にたどる求麻ー八代間の交通路」(角川日本地名大辞典月報37、昭和62年11月)による)。

 この「いちぶさ」、「ひとよし」、「めんだ」、「かわべ」、「まえ」、「ゆうば」、「さいぞの」、「たらぎ」、「ひゃくたろう」、「しらが」、「いつき」、「ビャーラ」は、

  「イチ・プタ」、ITI-PUTA(iti=small,unimportant;puta=opening,holepass through)、「こじんまりと・開けている谷がある(山。その谷)」(「プタ」のP音がF音を経てH音に変化して「フタ」から「フサ」となった)

  「ヒタウ・イオ・チ」、HITAU-IO-TI(hitau=short peticoat or apron;io=muscle,line,spur,lock of hair;ti=throw,cast,overcome)、「紐(球磨川)に・付着した短いエプロン(のような平地)が・放り出されている(土地。盆地。地域)」(「ヒタウ」のAU音がO音に変化して「ヒト」となった)

  「メ(ン)ゲ・タ」、MENGE-TA(menge=shrivelled,wrinkled;ta=dash,beat,lay)、「皺が寄った土地が・ある(土地。地域)」(「メ(ン)ゲ」のNG音がN音に変化して「メネ」から「メン」となった)

  「カワ・ペ」、KAWA-PE(kawa=reef of rocks,channel,passage between rocks and shoals;pe=crushed,soft)、「水路を・粉々にしてゆく(川)」

  「マエ」、MAE(languid,withered)、「(あらゆるものを)圧倒して行く(川)」

  「イフ・パ」、IHU-PA(ihu=nose,bow of a canoe;pa=block up,assault,stockade,screen,blow as the wind)、「鼻が・詰まっているような(しょっちゅう一気に水を押し流す。川)」(「イフ」のH音が脱落して「イウ」から「ユウ」となった)

  「タイ・トノ」、TAI-TONO(tai=the sea,tide,wave,anger;tono=bid,command,drive away by means of a charm)、「怒り(魂)を・鎮める儀式を行った(古墳)」

  「タラ・キ」、TARA-KI(tara=point,peak,wane of the moon;ki=full,very)、「正に・三日月の尖端(のような谷)がある(地域)」

  「ヒアク・タロア」、HIAKU-TAROA((Hawaii)hiaku=to cast for bonito;taroa=long,enduring)、「長い・鰹(を獲るための)延縄のような(用水路)」

  「チ・ラ(ン)ガ」、TI-RANGA(ti=throw,cast,overcome;ranga=raise,pull up by the root,rising ground in a plain,avenge a death)、「根こそぎに引き上げて・放り出したような(断層崖がある。山)」(「ラ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ラガ」となった)

  「イツ・ウキウキ」、ITU-UKIUKI(itu=side;ukiuki=old,lasting,undisturbed,peaceful)、「平和な(里)・一帯(土地)」(「イツ」の語尾のU音と、「ウキウキ」の反復語尾が脱落して「ウキ」となったその語頭のU音が連結して「イツキ」となった)

  「ピ・イア・アラ」、PI-IA-ARA(pi=flow of the tide,soaked,source,slight,take no notice of;ia=current,indeed;ara=way,path)、「実に・水に漬かるような(なんということもない小さな)・通路(小さな橋)」

の転訛と解します。

 

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44 大分県の地名

 

(1)豊前(ぶぜん)国

 

 大分県は、古くは豊前国の一部および豊後国でした。

 豊前国は、福岡県東部と大分県北部を占める地域の旧国名で、古くは豊(とよ)国であったのが7世紀末に豊前・豊後に分かれたとされます。ただし、古く豊国はそれほど広い国ではなく、大和朝廷といち早く交誼を結んだ現在の福岡県行橋市付近にあった長峡(ながさ)縣あたりの村落国家的一地方の呼称とする説があります(『大分県史』)。豊前国には、田河、企救、京都、仲津、築城、上毛(以上福岡県)、下毛、宇佐(以上大分県)の8郡が属しました。国府の所在地は、『和名抄』に京都郡とあり、現京都郡豊津町国作または行橋市津熊とする説があります。

 『和名抄』は、「止与久邇乃三知乃久知(とよくにのみちのくち)」と訓じます。豊(とよ)の国名は、『古事記』国生み条に「筑紫島も亦身一つにして面四つ有り。面毎に名有り。故、・・・豊国は豊日別(とよひわけ)と謂ひ」とあり、『豊後国風土記』に「白鳥が地の豊草に化したので豊国という」とあり、「トヨ(響む。川の音などによる擬声語)」からなどとする説があります。

 この「とよ」、「とよひわけ」は、

  「ト・イオ」、TO-IO(to=drag,open or shut a door or a window;io=muscle,line,spur,lock of hair)、「(潮の干満に応じて)潮が行き来する・縄のような海峡(関門海峡(および豊予海峡)に面している。国)」

  「ト・イオ・ヒ・ワカイ(ン)ガ」、TO-IO-HI-WAKAINGA(to=drag,open or shut a door or a window;io=muscle,line,spur,lock of hair;hi=raise,rise;wakainga=distant home)、「(潮の干満に応じて)潮が行き来する・縄のような海峡(関門海峡(および豊予海峡))に面している・高くなっている(山地が多い)・(大和から遠く離れた)地域(に住む神。その神が住む国)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。(以上地名篇(その十八)の福岡県の(28)豊前国の項を再掲しました。)

 

(2)下毛(しもげ)郡

 

a下毛(しもげ)郡

 古代からの郡名で、豊前国東部に位置し、北は周防灘、東は豊前国宇佐郡、南は豊後国玖珠郡、日田郡、西から北は豊前国上毛郡、築城郡、仲津郡、田川郡に接します。おおむね現在の中津市、下毛(しもげ)郡の地域です。

 『和名抄』は、「下毛」については訓を欠きますが、「上毛」を「加牟豆美介(かむつみけ)」と訓じており、これに準ずれば「しもつみけ」と訓ずべきものと考えられます。この「みけ」は、景行紀12年9月条に「御木(みけ)の川上」とみえることによる、『筑前国風土記逸文』上妻県の条に筑紫君磐井が豊前国上膳(かみつみけ)県の南の山深くに逃れたとあるところから「御食(みけ)」による、「ミ(接頭語)・ケ(崩え。崖地)」の意、「ミヤケ」の転などの説があります。

 この「しもつみけ」は、

  「チ・モツ/ミ・ケ」、TI-MOTU/MI-KE(ti=throw,cast,overcome;motu=severed,separated,escaped,cut;mi=stream,river;ke=different,strange)、「(山を)切り裂いて・放り投げてある/変わった・川(耶馬渓のある川が流れる。地域)」

の転訛と解します。

 

b中津(なかつ)市・山国(やまくに)川・薦(こも)神社・古表(こひょう)神社・耶馬(やば)渓・青(あお)ノ洞門・競秀峰(きょうしゅうほう)・山移(やまうつり)川・一目八景(ひとめはっけい)・猿飛(さるとび)の歐穴

 中津(なかつ)市は、周防灘に臨む中津平野の西部、山国(やまくに)川下流の沖積低地とその南東の洪積台地にあります。古代には豊前国の一中心で、宇佐神宮を中核とする文化が栄えた地で、市名は『中津興廃記』の中津宮鎮座の地によるとされます。市内には、大貞公園の池のほとりに宇佐神宮の元宮ともいわれる薦(こも)神社や、閏年の10月12日に傀儡(くぐつ)人形の舞と傀儡角力が奉納される古表(こひょう)神社があります。

 耶馬(やば)渓は、山国川の中・上流域の溶岩台地が川の流れで浸食されてできた渓谷で、頼山陽が激賞して以来有名になりました。北部の本耶馬渓には、青(あお)ノ洞門のある競秀峰(きょうしゅうほう)や、支流山移(やまうつり)川の上流の深耶馬渓には太い縦の柱状節理をもつ一目八景(ひとめはっけい)や、奥耶馬渓の猿飛(さるとび)の歐穴などの景勝地があります。

 この「なかつ」、「やまくに」、「こも」、「こひょう」、「やば」、「あおの」、「きょうしゅうほう」、「やまうつり」、「ひとめはっけい」、「さるとび」は、

  「ナ・アカ・ツ」、NA-AKA-TU(na=the...of,belonging to;aka=clean off,scrape away;tu=stand,settle)、「(山国川の流れによって)洗い流された・ような・場所に位置する(地域)」

  「イア・マク・ヌイ」、IA-MAKU-NUI(ia=current,rushing stream,indeed;maku=wet,moist,(=mamaku)dress timber in a particular way with the adze;nui=large,many)、「斧で削るように土地を浸食する・大きな・川」(「ヌイ」が「ニ」となった)

  「コモ」、KOMO(insert,thrust in)、「(池の中に)突き出ている(神社)」

  「コヒ・イオ」、KOHI-IO(kohi=skeleton,person,collect;io=muscle,line)、「糸で操る・骸骨(のような傀儡(くぐつ)人形の舞を奉納する祭りがある。神社)」(「コヒ」の語尾のI音と「イオ」の語頭のI音が連結して「コヒオ」から「コヒョウ」となった)

  「イア・パ」、IA-PA(ia=current,rushing stream,indeed;pa=block up,assault,stockade,screen,blow as the wind)、「(いたるところに)障壁を造つている・川(渓谷)」

  「アホ・(ン)ガウ」、AHO-NGAU(aho=string,line of descent,shine,open space;ngau=bite,hurt,attack)、「(岩を)喰い千切って造った・紐(のようなトンネル。洞門)」(「アホ」のH音が脱落して「アオ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「キオ・チウ・ホウ」、KIO-TIU-HOU((Hawaii)kio=projection,to protrude;tiu=soir,wander,swing,strike at with a weapon;hou=feather,bind,lash together,force downwards or under)、「空へ高く・また低く・そびえる突起(峰)」

  「イア・マウ・ツリ」、IA-MAU-TURI(ia=current,rushing stream,indeed;mau=carry,bring,fixed,continuing,entangled;turi=knee,post of fence,water)、「(山国川に合流する直前の場所で)膝を曲げて・ためらう・川」

  「ピト・メ・パツ・ケイ」、PITAU-ME-PATU-KEI(pitau=young succulent shoot of a plant,figurehead of a canoe ornamented with spiral carving;me=if,as if,like;patu=screen,wall,edge,strike,beat;kei=at,on,in,with)、「まるで・(カヌーの舳先に付ける)守護神像が・(並んで)壁になっているような(場所。景勝地)」(「ピト」、「パツ」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」、「ハツ」となった)

  「タル・トピ」、TARU-TOPI(taru=shake,overcome,painful,thing;topi=small native earth oven,shut as the mouth or hand)、「(その中で水が)渦を巻いている・小さな蒸し焼き穴がある(歐穴)」

の転訛と解します。

 

(3)宇佐(うさ)郡

 

a宇佐(うさ)郡

 古代からの郡名で、豊前国東端に位置し、北は周防灘、東は豊後国国東郡、速見郡、南は豊後国大分郡、玖珠郡、西は豊前国下毛郡に接します。おおむね現在の宇佐市、宇佐郡の地域です。

 『和名抄』は、訓を欠きます。郡名は、神武即位前紀甲寅年10月条に筑紫国の菟狭(うさ)がみえ、「襲(そ)族」の意、「ユサ(砂が揺すりあげられたところ)」に通じ「砂地・砂丘」の意とする説があります。

 この「うさ」は、

  「ウタ」、UTA(the land,the inland,put persons or goods on board a canoe etc.)、「人や貨物を船に積み卸しする(場所。港のある地域)」

の転訛と解します。

 

b駅館(やっかん)川・伊呂波(いろは)川・寄藻(よりも)川・長洲(ながす)港・御許(おもと)山・安心院(あじむ)町・津房(つぶさ)川

 宇佐市は、周防灘に臨む中津平野の東部、駅館(やっかん)川、伊呂波(いろは)川、寄藻(よりも)川のつくる沖積低地と洪積台地を中心に広がっています。県下随一の穀倉地帯で、駅館川河口の港町の長洲(ながす)は明治10年代に「長洲港粗悪米防止規約」を結んで宇佐米の自主検査を開始し、日本の農産物検査の嚆矢となった地域です。

 宇佐神宮は古代から中世にかけて九州一円に多数の荘園を擁し、全国の八幡社の総本宮として絶大な勢力を持ち、独特の宇佐文化を栄えさせました。奥宮は御許(おもと)山(647メートル)にあります。

 安心院(あじむ)町は、県下有数の穀倉地帯である駅館川支流の津房(つぶさ)川流域の安心院盆地に位置します。町名は、この地がかつて湖で葦の生い茂った土地の意の「葦生(あしぶ、あじむ)」からとする説があり、院の字は弘仁年間の倉院制の名残ともいいます。

 この「やっかん」、「いろは」、「よりも」、「ながす」、「おもと」、「あじむ」、「つぶさ」は、

  「イア・ツ・カ(ン)ガ」、IA-TU-KANGA(ia=current,indeed;tu=stand,settle,fight with,energetic;kanga=ka=take fire,be lighted,burn)、「居住地を・荒々しく襲う・川」(「カ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「カナ」から「カン」となった)

  「イロ・ハ」、IRO-HA(iro=submissive as result of punishment;ha=greathe,sound)、「従順に・(潮の干満に伴って)水位を上下させる(川)」

  「イオ・リ・マウ」、IO-RI-MAU(io=muscle,line;ri=screen,protect,bind;mau=carry,bring,fixed,continuing,caught)、「(御許山の周囲を守る)濠として・定着している・紐のような(川)」

  「(ン)ガ(ン)ガ・ツ」、NGANGA-TU(nganga=breathe heavily or with difficulty;tu=stand,settle,fight with,energetic)、「激しく呼吸する(潮の干満の差が大きい)・場所に位置する(港。その地域)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」となった)

  「オ・モト」、O-MOTO(o=the place of;moto=strike with the fist)、「拳骨で殴ったように浸食されている・場所の(山)」

  「アチ・イム」、ATI-IMU(ati=offspring,descendant,clan;imu=earth oven)、「蒸し焼き穴の・子孫のような(小さな盆地がたくさんある。その地域)」(「アチ」の語尾のI音と「イム」の語頭のI音が連結して「アチム」から「アジム」となった)

  「ツ・プタ」、TU-PUTA(tu=stand,settle;puta=opening ,hole,pass through)、「開けた場所(盆地)に・ある(地域。そこを流れる川)」

の転訛と解します。

 

(4)豊後(ぶんご)国

 

 豊後国は、大分県中部・南部を占める地域の旧国名で、古くは豊(とよ)国であったのが7世紀末に豊前・豊後に分かれたとされます。豊後国には、日高、玖珠、直入、大野、海部、大分、速見、国埼の8郡が属しました。国府の所在地は、現大分市古国府(ふるごう)と推定され、国分寺は現大分市国分に遺跡があります。

 『和名抄』は、「止与久邇乃三知乃之利(とよくにのみちのしり)」と訓じます。豊(とよ)の国名および「豊日別(とよひわけ)」については、前出の(1)豊前国の項を参照してください。

 

(5)日田(ひた)郡

 

a日田(ひた)郡

 古代からの郡名で、豊後国北西部に位置し、北は豊前国田川郡、下毛郡、東は玖珠郡、南は肥後国阿蘇郡、菊池郡、鹿本郡、西は筑後国八女郡、生葉郡、筑前国下座郡に接し、豊後国8郡の中で最も多くの他国に接していた郡です。おおむね現在の日田(ひだ)郡の地域です。

 『和名抄』は、「日高」と記し、「比多(ひた)」と訓じます。郡名は、『豊後国風土記』に景行天皇が熊襲を討っての帰途、筑後国生葉の行宮を出発して当地に巡幸した際、久津(ひさつ)媛が出迎えたので「久津(ひさつ)媛の郡」が転じた、「山ひだの地」の意、「ヒタカミ」で蝦夷と関係するとする説などがあります。

 この「ひた」は、

  「ヒ・タ」、HI-TA(hi=raise,rise;ta=dash,beat,lay)、「高いところに・位置している(地域)」

の転訛と解します。

 

b三隈(みくま)川・夜明(よあけ)峡谷・岳滅鬼(がくめき)山・ガラメキ峠・一尺八寸(みおう。みお)山・津江(つえ)・チーゴ岳・酒呑童子(しゅてんどうじ)岳・下筌(しもうけ)ダム・鯛生(たいお)鉱山・五馬(いつま)高原

 郡の北部寄りに日田盆地があり、東の玖珠郡から九重山地に発する玖珠川が流れ込み、三隈(みくま)川となって西流し、四周の山地の北からは有田川、花月川、大肥川などが、南からは阿蘇外輪山に発する大山川、高瀬川などが合流し、国境の夜明(よあけ)峡谷を経て筑後国に入つて筑後川となります。

 盆地の北には、田川郡との境に岳滅鬼(がくめき)山(1,037メートル)がそびえ、その南東の下毛郡との境にはガラメキ峠が、さらにその南東に一尺八寸(みおう。みお)山(707メートル)があります。一尺八寸山は、「三つの尾根をもつ山」の意、狩りで捕らえた三頭の猪の尾(三尾)の長さが計一尺八寸あったから、麓に草刈り場があって草刈り鎌の柄の長さが一尺八寸であったところから「草刈りの三尾山」から一尺八寸山となったとする説があります、

 上津江(かみつえ)村、中津江(なかつえ)村および前津江(まえつえ)村の村名は、古代からの地方名称「津江」によります。上津江村の中央にはチーゴ岳(911メートル)が、中津江村との境には酒呑童子(しゅてんどうじ)岳(1,181メートル)がそびえ、中津江村と熊本県阿蘇郡小国村にまたがって長期にわたって建設反対運動が繰り広げられた下筌(しもうけ)ダムがあり、中津江村には明治32(1889)年から昭和47(1972)年まで日本有数の金山として稼働した鯛生(たいお)鉱山がありました。

 天瀬(あまがせ)町の南部には五馬(いつま)高原が広がります。

 この「みくま」、「よあけ」、「がくめき」、「ガラメキ」、「みおう(みお)」、「つえ」、「チーゴ」、「しゅてんどうじ」、「しもうけ」、「たいお」、「いつま」は、

  「ミ・クマ」、MI-KUMA(mi=stream,river;(Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes)、「手指の間(山の尾根の間)を・流れる川」

  「イオ・アケ」、IO-AKE(io=muscle,line;ake=indicating immediate continuance in time,forthwith,intensifying the force)、「ほんの短い間の通り過ぎる・紐のような(峡谷)」

  「(ン)ガ・クメ・キ」、NGA-KUME-KI(nga=satisfied,content;kume=pull,stretch,drag away;ki=full,very)、「尾根を長々と伸ばして・十分に・満足している(ような。山)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)または「(ン)ガク・マイキ」、NGAKU-MAIKI(ngaku=strip,shred(ngakungaku=reduced to shreds,soft);maiki=remove,depart,disaster,misfortune)、「落石の・危険がある(山)」(「(ン)ガク」のNG音がG音に変化して「ガク」と、「マイキ」のAI音がE音に変化して「メキ」となった)

  「(ン)ガラ・マイキ」、NGARA-MAIKI(ngara=snarl(ngarangara=anything small);maiki=remove,depart,disaster,misfortune)、「小さな(落石の)・危険がある(山)」(「(ン)ガラ」のNG音がG音に変化して「ガラ」と、「マイキ」のAI音がE音に変化して「メキ」となった)

  「ミオ」、MIO((Hawaii)to move swiftly,narrow,pointed,tapering)、「(頂上が)細長い(山)」

  「ツアイ」、TUAI(thin,lean,lash the tines on to a rake for catching molluscs)、「(貝を採るための)熊手で引っ掻いたような(急流が浸食した。地域。そこを流れる川)」(AI音がE音に変化して「ツエ」となった)(前出の熊本県の(5)阿蘇郡のb杖立川の項を参照してください。)

  「チヒ・(ン)ガウ」、TIHI-NGAU(tihi=summit,top,peak;ngau=bite,hurt,attack)、「浸食されている・(付近で)最も高い(山)」(「チヒ」のH音が脱落して「チイ」から「チー」と、「(ン)ガウ」のNG音がG音に変化して「ゴ」となった)

  「チウ・テ(ン)ガ・トチ」、TIU-TENGA-TOTI(tiu=soar,wander,swing;tenga=Adam's apple,goitre;toti=limp,halt)、「びっこを引いて・さまよっている(曲がった足を引きずるように尾根が曲がって延びている)・喉ぼとけのように膨らんだ(山)」(「チウ」が「シュ」と、「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「テン」と、「トチ」が「トウチ」から「ドウジ」となった)

  「チモ・フケ」、TIMO-HUKE(timo=peck as a bird,prick;huke=dig up,excavate)、「鳥がつつくように・掘り開いた(狭い峡谷。そこに造られたダム)」(「フケ」のH音が脱落して「ウケ」となった)

  「タイオ」、TAIO(=kaio=lock of hair)、「みずら(を垂らしたような山がある。地域。そこを流れる川。そこにある鉱山)」または「タイ・アウ」、TAI-AU(tai=sea,wave,anger,violence;au=firm,intense)、「躍起になって・しっかり(掘り続ける。鉱山)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

  「イツ・ウマ」、ITU-UMA(itu=beside;uma=bosom,chest)、「胸板のような・場所一帯(地域。高原)」(「イツ」の語尾のU音と「ウマ」の語頭のU音が連結して「イツマ」となった)

の転訛と解します。

 

(6)球珠(くす)郡

 

a球珠(くす)郡

 古代からの郡名で、豊後国の北部に位置し、北は豊前国下毛郡、宇佐郡、東は速見郡、南は直入郡、肥後国阿蘇郡、西は日田郡に接します。おおむね現在の玖珠(くす)郡の地域です。

 『和名抄』は、「久須(くす)」と訓じます。郡名は、『豊後国風土記』に「洪(おお)きな樟樹」が生えていたことによるとあり、「クス(クシの転。崩崖)」の意とする説などがあります。

 この「くす」は、

  「ク・ウツ」、KU-UTU(ku=silent;utu=spur of a hill,front part of a house)、「静かな・(九重山など四方を囲む)山の前面にある(地域)」(「ク」のU音と「ウツ」の語頭のU音が連結して「クツ」から「クス」となった)

の転訛と解します。

 

b大岩扇(だいがんせん)山・万年(はね)山・九重(くじゅう)山(久住(くじゅう)山)・星生(ほっしょう)山・八丁原(はっちょうばる)・九酔(きゅうすい)峡・震動(しんどう)の滝

 玖珠町には、中央部に天然記念物に指定されている山頂が平らなメサ地形(テーブル状台地)の大岩扇(だいがんせん)山(691メートル)や、西部に軍艦山とも呼ばれる二重(二段)メサ地形の万年(はね)山(1,140メートル)があります。

 九重(ここのえ)町は、九州本島で最高峰の九重(くじゅう)山の北部に位置する町で、町名は九重山に由来します。九重山の最高峰は中腹から煙を上げている中(なか)岳(1,791メートル)(山名については、前出の熊本県の(5)阿蘇郡のb中岳の項を参照してください。)で、ほかに颯爽とした久住(くじゅう)山(1,787メートル)、いかつい岩山の星生(ほっしょう)山(1,762メートル)などの鐘状火山が並びます。九重山(久住山)の山名については、九重山法華院白水寺、久住山猪鹿狼(しから)寺のそれぞれの山号から、「くしふる」の峰の転、朽網(くたみ)山の「くたみ」が「くさみ」、「くすみ(久住)」と転じ、「くじゅう」となったなどとする説があります。

 町には日本最大規模の八丁原(はっちょうばる)地熱発電所や、玖珠川の源流の九酔(きゅうすい)峡、80メートルの落差を誇る震動(しんどう)の滝があります。

 この「がんせん」、「はね」、「くじゅう」、「ほっしょう」、「はっちょうばる」、「きゅうすい」、「しんどう」は、

  「(ン)ガ(ン)ガ・テ(ン)ガ」、NGANGA-TENGA(nganga=stone of fruit,shell;tenga=Adam's apple,goitre)、「貝殻のような(頂上が平らな)・喉ぼとけ(のように膨らんでいる。山)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ガナ」から「ガン」と、「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「セン」となった)

  「ハ(ン)ガイ」、HANGAI(opposite,confronting,across)、「(大岩扇山に)相対している(頂上が平らな。山)」(NG音がN音に、AI音がEおとに変化して「ハネ」となった)または「パネ」、PANE(head)、「頭(に特徴がある。山)」(P音がF音を経てH音に変化して「ハネ」となった)

  「クチ・ウ」、KUTI-U(kuti=contract,pinch;u=breast of a female)、「(根元を)圧縮した・乳房のような(鐘状の。山)」

  「ホツ・チホウ」、HOTU-TIHOU(hotu=sob,desire eagerly;tihou=an implement used for cultivating)、「熱心に・鍬で削った(ようにごつごつした。山)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」となった)

  「パツ・チオ・パル」、PATU-TIO-PARU(patu=screen,edge,strike,kill;tio=rock-oyster;paru=mud,excrement,deep,low,crush)、「岩牡蠣(のような山)の・縁にある・砕けた岩石の場所」(「パツ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハツ」と、「チオ」が「チョウ」となった)

  「キフ・ツイ」、KIHU-TUI(kihu,kihukihu=fringe;tui=pierce,thread on a string,lace,sew)、「(川の)縁に・レースの飾りを縫いつけたような(峡谷)」(「キフ」のH音が脱落して「キウ」から「キュウ」と、「ツイ」が「スイ」となった)

  「チノ・トウトウ」、TINO-TOUTOU(tino=essentiality,reality,main,exact;toutou=dip frequently into liquid,sprinkle with water)、「全く・水と共にしぶきを撒き散らしている(滝)」(「チノ」が「シン」と、「トウトウ」の反復語尾が脱落して「トウ」から「ドウ」となった)

の転訛と解します。

 

(7)直入(なおいり)郡

 

a直入(なおいり)郡

 古代からの郡名で、豊後国の南西部、九重山の南部に位置し、北は玖珠郡、大分郡、東は大野郡、南は日向国臼杵郡、西は肥後国阿蘇郡に接します。おおむね現在の竹田(たけた)市、直入郡、大分郡庄内町の南部の地域です。

 『和名抄』は、「奈保里(なほり)」と訓じます。郡名は、『豊後国風土記』は「陵(たか)く直(なほ)い桑」があったので「直桑(なほくは)の村」から転じたとし、「都(または太宰府)の役人が山の中に入った地」の意、「ナホ(美称)・ホリ(ハリ(墾)の転)」から、「ナホ(美称)・クハ(崖地)」からなどの説があります。

 この「なほり」は、

  「ナ・ホリ」、NA-HORI(na=belonging to;hori=cut,slit,be gone by,a cloak with black twisted strings here and there)、「どちらかというと・(捻った紐の飾りが所々に付いている)マントを広げたような(九重山・阿蘇外輪山の裾野が長く平らに広々と延びている(その所々に僅か突出した山がある)。地域)」

の転訛と解します。

 

b竹田(たけた)市・祖母(そぼ)山・姥(うば)ケ岳(曽褒里(そほり)山・添(そい)山)・障子(しょうじ)岳・坊(ぼう)ヶツル・朽網(くたみ)郷

 竹田(たけた)市は、大野川上流の多くの本支流が九重山南麓・阿蘇外輪山東麓の溶岩台地を浸食して形成した丘陵地にあり、市街地は本支流の扇の要にあたる地にあります。市名は、中世以来の地名によりますが、城下町をつくる際、水田湿地を埋め、竹林を切り開いたことによるとの説があります。

 市の南には、豊後・肥後・日向の三国にまたがる鎮西の名山として名高い祖母(そぼ)山(1,757メートル)がそびえます。この山は、姥(うば)ケ岳とも称され、『日本書紀』に登場する「曽褒里(そほり)山」または「添(そい)山」の転とする説もあります。

 祖母山の東には障子(しょうじ)岳があります。

 久住山の北東には、標高1,300メートルの尾瀬を小さくしたような坊(ぼう)ヶツルの湿原があります。

 直入(なおいり)町は、古くは隣の久住町の一部とともに景行紀12年10月条に記される来田見(くたみ)邑、『豊後国風土記』に記される朽網(くたみ)郷と考えられています。

 この「たけた」、「そぼ」、「うば」、「そほり」、「そい」、「しょうじ」、「ぼうがつる」、「くたみ」は、

  「タケ・タ」、TAKE-TA(take=root,stump,base of a hill;ta=dash,beat,lay)、「(久住山・阿蘇外輪山の)山麓に・位置する(土地。地域)」

  「タウポ」、TAUPO(a ferruginous earth or stone)、「鉄のような(黒々とした)岩の(山)」(AU音がO音に変化して「トポ」から「ソボ」となった)

  「ウパ」、UPA(fixed,at rest,satisfied)、「静かに休んでいる(山)」

  「ト・ホリ」、TO-HORI(to=drag;hori=cut,slit,be gone by,a cloak with black twisted strings here and there)、「(捻った紐の飾りが所々に付いている)マントを・引きずっているような(山。九重山、阿蘇外輪山、祖母山など)」

  「トイ」、TOI(tip,point,summit,finger)、「(突出した)峰(をもつ。山)」または「指(を伸ばしている。山)」

  「チホウ・チ」、TIHOU-TI(tihou=an implement used for cultivating;ti=throw,cast,overcome)、「鍬が・放り出されているような(山)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」となった)または「チオ・チ」、TIO-TI(tio=rock-oyster;ti=throw,cast,overcome)、「岩牡蠣が・放り出されているような(山)」

  「ポウ・ウ(ン)ガ・ツル」、POU-UNGA-TURU(pou=pole,support,fasten to a stake,make a hole with a stake;unga=circumstance of becoming firm,place of arrival;turu=leak,drip)、「水が滲み出してくる・棒で掘って・できた窪地(湿地)」(「ポウ」の語尾のU音と「ウ(ン)ガ」の語頭のU音が連結し、NG音がG音に変化して「ボウガ」となった)

  「ク・タミ」、KU-TAMI(ku=silent;tami=press down,suppress,smother)、「静かで・平らな(原野。地域)」

の転訛と解します。

 

(8)大野(おほの)郡

 

a大野(おほの)郡

 古代からの郡名で、豊後国の南部に位置し、中世には直入郡と併せ南郡と呼ばれ、北は大分郡、東は海部郡、南は日向国臼杵郡、西は直入郡に接します。おおむね現在の大野(おおの)郡、南海部(みなみあまべ)郡宇目(うめ)村の地域です。

 『和名抄』は、「於保乃(おほの)」と訓じます。郡名は、『豊後国風土記』に郡内悉く原野であることによるとあり、「オホ(美称)・ノ(野。傾斜地)」の意とする説があります。

 この「おほの」は、

  「オホ・ノホ」、OHO-NOHO(oho-wake up,arise;noho=sit,stay,settle)、「高く引き上げられた場所に・位置している(地域)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となった)

の転訛と解します。(地名篇(その十五)の福井県の(6)大野郡の項などを参照してください。)

 

b緒方(おがた)町・井路(ゐろ)・原尻(はらじり)の滝・野津(のつ)町・風連(ふうれん)鍾乳洞・吉四六(きっちょむ)・宇目(うめ)町

 緒方(おがた)町は、大野川の支流緒方川が貫流する北部の緒方盆地が町の中核となっています。古代の緒方郷は宇佐八幡の封郷で、のち緒方氏の拠る荘園となり、江戸時代初期に開削された緒方上下井路(ゐろ)により水田化され、県下有数の穀倉地帯となりました。緒方平野には、日本の滝百選に入った「大分ナイアガラ」と呼ばれる幅120メートル、高さ20メートルの原尻(はらじり)の滝があります。

 野津(のつ)町の中心の野津市(のついち)は、日向街道(国道10号線)と臼杵と三重を結ぶ街道が交わる交通の要衝にあり、市場町として栄えました。野津川上流には天然記念物の風連(ふうれん)鍾乳洞があります。笑話吉四六(きっちょむ)の主人公はこの地に実在した広田吉右衛門といわれます。

 南海部郡宇目(うめ)町には、江戸時代から歌われてきた民謡「宇目の唄げんか」があり、大分県を代表する民謡となっています。

 この「おがた」、「ゐろ」、「はらじり」、「のつ」、「ふうれん」、「きっちょむ」、「うめ」は、

  「オ・(ン)ガタタ」、O-NGATATA(o=the...of;ngatata=split,open)、「開けた・場所(盆地)」(「(ン)ガタタ」のNG音がG音に変化し、反復語尾の「タ」が脱落して「ガタ」となった)

  「ヰロ」、WHIRO(sweep away(whirowhiro=whirl,swirl as an eddy in a stream))、「(小さな渦を巻きながら)押し流してゆく(水路)」(WH音がW音に変化した)

  「ハラ・チリ」、HARA-TIRI(hara=excess above a round number(harahara=abundance);tiri=throw or place one by one,scatter,stuck)、「(水を)次から次へと大量に・放り出す(滝)」

  「(ン)ガウ・ツ」、NGAU-TU(ngau=wander,go about,raise a cry;tu=fight with,energetic)、「(人々が)忙しく・行き来する(場所。市場。その地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「フフ・レ(ン)ガ」、HUHU-RENGA(huhu=strip off outer covering,free from tapu;renga=overflow,be full,scattered about)、「これまで禁忌とされてきたものが明らかになったものが・たくさんある(鍾乳洞)」(「フフ」の後のH音が脱落して「フウ」と、「レ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「レナ」から「レン」となった)

  「キ・チオマ」、KI-TIOMA(ki=full,very;tioma=hasten,not confined to progress along the ground)、「たいへんな・あわて者」(「キ・チオマ」が「キッチョム」となった)

  「ウメ」、UME((Hawaii)to draw,attract,fermata in music,to lengthen as a sound)、「音を引き延ばして歌う(その唄を歌う土地)」または「ウメレ」、UMERE(sing or chant to keep time in any united effort,shout in wonder etc.,applause)、「節に変化を付けて引き延ばして歌う(その唄を歌う土地)」(語尾の「レ」が脱落して「ウメ」となった)

の転訛と解します。

 

(9)海部(あま)郡

 

a海部(あま)郡

 古代から明治11年までの郡名で、豊後国の東南部に位置し、北から東は豊後水道に面し、南は日向国臼杵郡、西は大分郡、大野郡に接します。おおむね現在の臼杵市、津久見市、大分市の東部の一部、北海部(きたあまべ)郡、佐伯市、南海部(みなみあまべ)郡(宇目町を除く)の地域です。明治11年に北海部(きたあまべ)郡、南海部(みなみあまべ)郡に分かれました。

 『和名抄』は、「安万(あま)」と訓じます。郡名は、『豊後国風土記』に「この郡の百姓は竝(みな)海辺の白水郎(あま)」であることによるとあり、漁業・航海を中心とした職業的品部に由来するとの説があります。

 この「あま」は、

  「ア・マハ」、A-MAHA(a=the...of,belonging to;(Hawaii)maha=temple,side of the head,gill plate of a fish)、「魚のえらにあたる(潮の干満によって海水が出入りする。地域)」(「マハ」のH音が脱落して「マ」となった)

の転訛と解します。(地名篇(その十七)の愛知県の(2)海部郡の項などを参照してください。)

 

b速吸(はやすい)ノ瀬戸・佐賀関(さがのせき)半島・地蔵(じぞう)崎・臼杵(うすき)市・ホキ・津久見(つくみ)市・楠屋鼻(くすやばな)・保戸(ほと)島・最勝海藻(ほつめ)

 佐賀関(さがのせき)半島と愛媛県西宇和郡佐田岬半島との間の豊予海峡は潮流が激しい海の難所で、古くは速吸(はやすい)ノ瀬戸と呼びました(神武即位前紀)。佐賀関(さがのせき)の地名は、『和名抄』に佐加(さか)郷としてみえ、交通の要衝として関が置かれことによります。半島の北岸には顕著な断層崖が連なり、先端近くに南北から湾入があり、風待港として栄えました。半島の突端は地蔵(じぞう)崎で、養老年間に役行者がここで難破したとき地蔵尊が現れたことによるとの伝説があります。

 臼杵(うすき)市は、豊後水道に面する臼杵湾に臨む市で、市名は下山古墳の石人を「うすきね様」と呼んだことによるとされます。阿蘇溶岩台地の山裾に露出した凝灰岩の岩壁にホキ、堂ケ迫、山王山、古園の4群、60余体の石仏が彫られ、特別史跡、重要文化財に指定されている日本最大規模の摩崖仏があります。

 津久見(つくみ)市は、豊後水道に面する楠屋鼻(くすやばな)と四浦(ようら)半島を湾口とする津久見湾に面する市で、市名は中世の津久見浦によるとされます。四浦半島の北の突端にまぐろ延縄漁の基地となっている保戸(ほと)島があります。この「保戸」は、もと「最勝海藻門(ほつめのと)」が転じて「穂門(ほと)」郷となったとする説があります。

 この「はやすい」、「さが」、「じぞう」、「うすき」、「ホキ」、「つくみ」、「くすやばな」、「ほと」、「ほつめ」は、

  「ハ・イア・ツヒ」、HA-IA-TUHI(ha=breathe,what!;ia=current,rushing stream,indeed;tuhi=draw,point at,conjure,invoke with proper cerempnies)、「呼吸する(潮の干満に伴い方向を変えて流れる)・潮の強い流れが・呪文を唱えることで呼び出されてくるような(海峡)」(「ツヒ」のH音が脱落して「ツイ」から「スイ」となった)

  「タカ」、TAKA(fall off,fall away)、「(断崖が)落ち込む(場所。地域)」

  「チ・トウ」、TI-TOU(ti=throw,cast,lay;tou=dip into a liquid,wet(toutou=dip frequently into liquid,sprinkle with water))、「(海に)放り出されて・水に漬かってしぶきを上げている(岬)」

  「ウ・ツキ」、U-TUKI(u=bite,be fixed,reach its limit;tuki=pound,beat,attack)、「(鑿を)叩きに叩いて・(膨大な数の石仏を)仕上げた(場所。地域)」

  「ホキ」、HOKI(return)、「(他の石仏群を拝んだ後)また帰ってくる(石仏群のとっつきにある場所。そこの石仏群)」

  「ツク・ミ」、TUKU-MI(tuku=let go,leave,receive,send,side,coast,space between the defence of a stockade;mi=stream,river)、「集落の防衛のための柵と柵の間(楠屋鼻のある半島と四浦半島の間)の・水を湛えた濠(津久見湾。その湾に面した地域)」または「ツ・クミクミ」、TU-KUMIKUMI(tu=stand,settle;kumikumi=beard,white throat feathers of the parson bird)、「エリマキミツスイ鳥の咽喉の白い羽根にあたるところ(東の四浦半島を口を開けた鳥の頭に見立て、その咽頭にあたるところ)に・位置している(土地。地域)」(「クミクミ」の反復語尾が脱落して「クミ」となった)

  「ク・フツ・イア・パナ」、KU-HUTU-IA-PANA(ku=silent,hutu=a fishing net for sea fishing;ia=indeed,current;pana=thrust or drive away,expel,throb)、「実に・静かに・(定置)網を・突き出しているような(岬)」(「ク」のU音と、「フツ」のH音が脱落した語頭のU音が連結して「クツ」から「クス」となった)

  「ホト」、HOTO(spike on the tail of a sting-ray)、「アカエイの尾の先にある突起(毒針)のような(四浦半島の突端にある。島)」(かつて縄文海進時代にはこの島は半島と繋がっていたのかも知れません。)

  「ホツ・マイ」、HOTU-MAI(hotu=desire eagerly,long;mai=sour,mussels taken out of the shells and other food)、「(人々が)渇望する・(上質の)海産物」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

の転訛と解します。

 

c上浦(かみうら)町・佐伯(さいき)市・番匠(ばんじょう)川・大入(おにゅう)島・鶴見(つるみ)半島・米水津(よのうづ)町・蒲江(かまえ)町・小半(おながら)鍾乳洞

 典型的なリアス式沈降海岸の四浦半島の南側、佐伯湾に面して南海部郡上浦(かみうら)町があります。

 佐伯(さいき)市は、豊後水道に面する四浦半島と鶴見半島に挟まれた佐伯湾に臨む市で、市街地は番匠(ばんじょう)川の三角州上に発達しています。市名は、古代末期から中世の豪族名によります。湾内には大入(おにゅう)島があります。

 鶴見(つるみ)町は、鶴見(つるみ)半島の北側、佐伯湾に面する町です。

 鶴見半島の南側には、米水津(よのうづ)町があり、その南には蒲江(かまえ)町があります。

 本匠(ほんじょう)町には、世界でも例のない斜柱石がある小半(おながら)鍾乳洞があります。

 この「かみうら」、「さいき」、「ばんじょう」、「おにゅう」、「つるみ」、「よのうづ」、「かまえ」、「おながら」は、

  「カミ・ウラ(ン)ガ」、KAMI-URANGA(kami=eat;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「食いちぎられた(浸食された)・船着き場(浦)」(「ウラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ウラ」となった)

  「タイキ」、TAIKI(rib,wicker basket,a line carrying nooses placed near water for anaring pigeons)、「あばら骨のような(山脈が並んでいる。土地。地域)」

  「パナ・チホウ」、PANA-TIHOU(pana=thrust or drive away,throb;tihou=an implement used for cultivating)、「鍬で掘っては・押し流す(河口に土砂を堆積させる。川)」(「パナ」が「バン」と、「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」、「ジョウ」となった)

  「オ・ニウ」、O-NIU(o=the...of;niu=small sticks used for purposes of divination,dress timber smooth with a axe,(Hawaii)spinning,whirling)、「(地表を)斧で削った・ような(島)」または「(島の周囲を潮流が)回転している(島)」

  「ツ・ルミ」、TU-LUMI(tu=stand,settle;(Hawaii)lumi=to crowd uncomfortably,to overturn as the surf,to press)、「(半島の南北にいくつもの枝のような岬が突き出し、その間にできた入り江・浦が)ぎっしりと密集して・存在している(半島)」

  「イオ・(ン)ガウ・ツ」、IO-NGAU-TU(io=muscle,line,spur,lock of hair;ngau=bite,hurt,attack;=fight with,energetic)、「激しく・食いちぎられた・丘(地域)」(「イオ」が「ヨ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がOU音に変化して「ノウ」となった)

  「カマ・アイ」、KAMA-AI(kama=eager;ai=procreate,beget)、「熱心に・子供を生んだ(たくさんの岬の先にまた岬や島がある。地域)」(「アイ」のAI音がE音に変化して「エ」となった)

  「オ・(ン)ガ(ン)ガラ」、O-NGANGARA(o=the...of ;ngangara=snarl)、「(洞内で声を出すと反響して)唸り声を出す・場所(鍾乳洞)」(「(ン)ガ(ン)ガラ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガラ」となった)

の転訛と解します。

 

(10)大分(おほいた)郡

 

a大分(おほいた)郡

 古代からの郡名で、豊後国中部に位置し、北は別府湾、東は海部郡、南は大野郡、西は直入郡、西から北は速見郡に接します。おおむね現在の大分市(東部の一部を除く)、別府市の東部の一部、大分郡(庄内町の南部、湯布院町を除く)の地域です。

 『和名抄』は、「於保伊太(おほいた)」と訓じます。郡名は、景行紀12年10月条に碩田(おほきた)国は「地形広く大きく亦麗(うる)わしい」ことによるとあり、『豊後国風土記』も同様で、「オホ(美称)・イタ(キダ(刻)の転)」で「刻まれたような地形(段丘)」の意とする説があります。

 この「おほいた」、「おほきた」は、

  「オ・ホイ・タ」、O-HOI-TA(o=the...of;hoi=lobe of the ear;ta=dash,beat,lay)、「耳たぶの・ような場所(大分平野を耳たぶに、大分川河口を耳穴に、古城山を耳穴の前の突起に見立てた)に・位置している(地域)」

  「アウホキ・タ」、AUHOKI-TA(auhoki=eddy,backwater;ta=dash,beat,lay,alley)、「(海岸に)淀んだ潟が・ある(並んでいる。地域)」(「アウホキ」のAU音がO音に変化して「オホキ」となった)

の転訛と解します。(地名篇(その十五)の福井県の(10)大飯(おおい。おほいた)郡の項を参照してください。)

 

b大分市荏隈(えのくま)・大分市賀来(かく)・西寒多(ささむた)神社・柞原(ゆすはら)八幡宮・鶴崎(つるさき)・七瀬(ななせ)川・鎧(よろい)ケ岳

 豊前国府は、『和名抄』にみえる荏隈(えのくま)郷(現大分市荏隈)にあり、現大分市古国府(ふるごう。荏隈の東)と推定されています。大分市賀来(かく)には国分寺と推定される礎石が残り、一帯には条里制の以降が見られます。大分市の南部には『延喜式』にみえる名神大社の豊前国一宮の西寒多(ささむた)神社が、西部には後に一宮として崇敬を集める式外社の柞原(ゆすはら)八幡宮が鎮座します。

 大分市東部の大野川河口の鶴崎(つるさき)は、近世に港町として栄えました。

 大分郡野津原(のつはる)町は、大野川支流の七瀬(ななせ)川流域に位置し、七瀬川沿いにかつての熊本藩主の参勤交代路であった肥後街道(現国道442号線)が通り、宿場町として栄えました。(「野津(のつ)」については前出の(8)大野郡のb野津町の項を参照してください。)南部には鎧(よろい)ケ岳(859メートル)がそびえます。

 この「えのくま」、「かく」、「ささむた」、「ゆすはら」、「つるさき」、「ななせ」、「よろい」は、

  「ヘ(ン)ゴ・クマ」、HENGO-KUMA(hengo=break wind;(Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes)、「手指の間のひび割れのような土地で・風を避けている(日溜まりの。土地)」(「ヘ(ン)ゴ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「エノ」となった)

  「カク」、KAKU(scrape up,scoop up,bruise)、「(土を)盛り上げた(または切り盛りをした。土地)」

  「イ・ウツ・ハラ」、I-UTU-HARA(i=past tense,beside;utu=return for anything,satisfaction;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「満足している(安穏に祀られている)・氏族の首長の墳墓の地の・そば(に鎮座する。神社)」(「イ」のI音と「ウツ」の語頭のU音が連結して「ユツ」から「ユス」となった)

  「タタ・ムア・タ」、TATA-MUA-TA(tata=near of place or time,fence;mua=the front,the future,the sacred place;ta=dash,beat,lay)、「聖なる地の・そばに・鎮座している(神社)」(「ムア」のA音が脱落して「ム」となった)

  「ツル・タキ」、TURU-TAKI(turu=kneel;taki=take to one side,track,lead)、「膝を曲げている(大野川が河口近くで大きく蛇行している)場所を・回り込んでゆく(土地。地域)」

  「ナナ・テ」、NANA-TE(nana=eyebrow,tattoo marks between the eyebrows;te=crack)、「(鎧ケ岳から東北に延びる山脈に沿った)眉毛のような・割れ目(を流れる川)」

  「イオ・ロイ」、IO-ROI(io=muscle,line,spur,lock of hair;roi=fern root,knot,bond,tied)、「瘤のような・峰(山)」

の転訛と解します。

 

(11)速見(はやみ)郡

 

a速見(はやみ)郡

 古代からの郡名で、豊後国の東北部に位置し、北は国東郡、東は別府湾、南は大分郡、直入郡、西は豊前国宇佐郡、玖珠郡に接します。おおむね現在の別府市(南部の一部を除く)、杵築市(東部の一部を除く)、速見(はやみ)郡、大分郡湯布院(ゆふいん)町の地域です。

 『和名抄』は、「波夜美(はやみ)」と訓じます。郡名は、景行紀12年10月条に景行天皇を碩田(おほきた)国速見邑で速津媛が出迎え、土蜘蛛を征伐したとあり、『豊後国風土記』もこれによって「速津媛の国」といったのが転じたとし、「蛇」に関係する、「ハミ(山嶺近くの草地)」の転、「ハ(端)・ミ(廻)」の転とする説があります。

 この「はやみ」は、

  「ハイ・アミ」、HAI-AMI(hai=hei=tie round the neck,an ornament for the neck;ami=gather,collect,odour)、「頚飾り(のように山の麓から白煙を上げている温泉)が・集まっている(地域)」(「ハイ」のI音と「アミ」のA音が連結して「ハヤミ」となった)

の転訛と解します。

 

b別府(べっぷ)市・別府湾(かんたんわん)・鶴見(つるみ)岳・玖倍理(くべり)湯・慍(いかり)湯・鉄輪(かんなわ)・湯布(ゆふ)院町・由布(ゆふ)岳・日出(ひじ)町・杵築(きつき)市・山香(やまが)町・八坂(やさか)川

 別府(べっぷ)市は、別府湾に臨み、鶴見(つるみ)岳(1,375メートル)を主峰とする鶴見火山群の裾野の扇状地に湧き出す多種の豊富な温泉で有名で、古く『豊後国風土記』に赤湯の泉、玖倍理(くべり)湯の井、慍(いかり)湯の井としてみえ、貝原益軒の『豊国紀行』にも「鉄輪(かんなわ)村は、・・・熱泉所々に多し。民俗是を地獄と称す。」とあります。別府市の市名は、平安時代末期に国衙領で、荘園の開墾・領有に免符を得た別符(べっぷ)からとされます。

 別府市の東、国東半島と佐賀関半島に挟まれた別府湾は、古く(明治一六(一八八三)年海図作成まで)は「かんたんわん」といいました。「かん」は草冠に函、「たん」は草冠に陷の旁で、「かんたん」は「蓮の花」の意とされます。「かんたんわん」の由来については、@蓮の花の形に似る、A別府湾沿岸の大分市西大分に残る「かんたん」の地名からなどの説があります。

 現大分郡湯布(ゆふ)院町は、大分川の源流、豊富な温泉が湧出する湯布院盆地を中心に広がる町で、盆地の北には由布(ゆふ)岳(1,583メートル)がそびえます。

 日出(ひじ)町は、別府湾北岸にあり、中世に湾岸の断崖上に日出城が築かれました。町名は古代の荘名によります。

 杵築(きつき)市は、国東半島南部にあり、近世は杵築藩の城下町として栄えました。市名は、八坂郷木付ノ庄によりますが、幕府朱印状に「杵築」と記され、そのまま用いられるようになりました。

 山香(やまが)町は、国東半島の基部、八坂(やさか)川上・中流部に位置します。

 この「べっぷ」、「かんたん」、「つるみ」、「くべり」、「いかり」、「かんなわ」、「ゆふ」、「ひじ」、「きつき」、「やまが」、「やさか」は、

  「ペ・プ」、PE-PU(pe=crushed,soft,suppurating as a boil;pu=tribe,bunch,heap,origin,base of a mountain)、「煮えくり返っている膿(うみ)がある(「地獄」と呼ばれる噴泉がある)・山の麓(の土地。地域)」

  「カネ・タ(ン)ゴ」、KANE(head)-TANGO(take hold of,take in the hand,)、「頭(国東半島と佐賀関半島の二つの半島)に・抱えられている(湾)」(「カネ」が「カン」と、「タ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「タノ」から「タン」となった)

  「ツ・ルミ」、TU-LUMI(tu=stand,settle,fight with,energetic;(Hawaii)lumi=to crowd uncomfortably,to overturn,to be overwhelmed with trouble)、「(麓の)活発な温泉活動に・耐えきれずに瀕死の状態にある(山)」

  「クペレ」、KUPELE((Hawaii)to knead as bread dough;kupere=flow swiftly)、「こねるように強くまた弱く噴出を繰り返す(温泉)」(「クペレ」が「クベリ」となった)

  「イ・カリ」、I-KARI(i=past tense,beside;kari=dig up,rush along violently)、「荒々しく流れ・出ている(温泉)」

  「カ(ン)ガ・ナヱ」、KANGA-NAWE(kanga=ka=take fire,be lighted,burn;nawe=scar)、「火が燃えているような(熱い)・大地の傷口(の土地。地域)」(「カ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「カナ」から「カン」と、「ナヱ」が「ナワ」となった)

  「イ・ウフ」、I-UHU(i=past tense,beside;uhu=cramp,stiffness,benumbed)、「締め上げられて・いる(火口の大きさに比して山体が小さい。山)」または「(由布岳や周囲の山々に)締め上げられて・いる(狭い。盆地)」(「イ」と「ウフ」の語頭のU音が連結して「ユフ」となった)

  「ヒヒ・チ」、HIHI-TI(hihi=front gable of a house;ti=throw,cast,lay)、「家の正面の破風(のような山)が・ある(土地。地域)」(「ヒヒ」の反復語尾が脱落して「ヒ」となった)

  「キヒ・ツキ」、KIHI-TUKI(kihi=indistinct of sound,barely audible,murmur of the sea;tuki=beat,attack,give the time to paddlers in a canoe)、「微かに潮騒が・聞こえる(場所。地域)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)(地名篇(その十二)の島根県の(7)出雲郡のb杵築大社の項を参照してください。)

  「イア・マ(ン)ガ」、IA-MANGA(ia=current,indeed;manga=branch of a river or a tree)、「(地域のすべてに)川の・支流が流れる(流域内にある。地域)」(「マ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「マガ」となった)

  「イア・タカ」、IA-TAKA(ia=current,indeed;taka=fall off,turn on a pivot,come round)、「(国東半島の奥に向かって流れる川が)反転して(海へ向かって)流れる・川」

の転訛と解します。

 

(12)國埼(くにさき)郡

 

a國埼(くにさき)郡

 古代から明治11年までの郡名で、豊後国の北部、国東半島に位置し、西から北は周防灘、東は伊予灘および別府湾、南は速見郡、西は豊前国宇佐郡に接します。おおむね現在の豊後高田市、西国東(にしくにさき)郡、東国東(ひがしくにさき)郡、杵築市の東部の一部の地域です。明治11年に西国東(にしくにさき)郡、東国東(ひがしくにさき)郡に分かれました。

 『和名抄』は、「君佐木(くむさき)」と訓じます。郡名は、『豊後国風土記』に景行天皇が周防国佐婆津を出航してこの国をみて「国の崎ならむ」といわれたことによるとあり、「クニ(国)・サキ(先)」で陸地の突端の意とする説があります。

 この「くむさき」は、

  「クム・タキ」、KUMU-TAKI(kumu=anus,posterior,clench,close;taki=take to one side,take out of the way,track)、「(頂上に二つの峰がある)お尻のような・遠回りをしなければならない突き出た崎(半島。その地域)」

の転訛と解します。

 

b両子(ふたご)山・文殊(もんじゅ)山・桂(かつら)川・国見(くにみ)町伊美(いみ)・安岐(あき)町・奈多(なた)海岸・姫島

 国東半島は、ほぼ円形の半島で、中央部に両子(ふたご)山(720メートル)、文殊(もんじゅ)山(614メートル)などの錘状火山が群立し、海岸に向かつて放射状の浸食谷が形成されています。

 豊後高田市は、半島の基部西側の桂(かつら)川の河口三角州に立地しています。

 半島の北部、国見(くにみ)町伊美(いみ)は、『豊後国風土記』に景行天皇がこの村にこられて「この国は道路遙かに遠く、山と谷とは阻(さか)しく深くして、往還疎希(まれ)なり。すなわち国を見ることを得つ。」と言われたので「国見(くにみ)の村」といい、今「伊美(いみ)の郷」というのはその転訛であるとあります。

 半島の東部、安岐(あき)町の海岸には大分空港が立地し、杵築市東部の奈多(なた)海岸には奈多(なた)八幡宮が鎮座します。

 半島の北方5キロメートルに姫(ひめ)島(東国東郡姫島村)が浮かびます。『古事記』にイザナキ・イザナミ二神が生成した女島(ひめじま)、亦の名「天一根(あめひとつね)」はこの島とする説があります。四つの山が砂州で繋がって生成した島で、古代から良質な黒曜石や藍鉄鉱を産し、瀬戸内海航路の目標となる島でした。

 この「ふたご」、「もんじゅ」、「かつら」、「くにみ」、「いみ」、「あき」、「なた」、「ひめ」、「あめひとつね」は、

  「フ・タ(ン)ゴ」、HU-TANGO(hu=promontory,hill;tango=take up,take possession of,remove)、「(西側から)取り上げた・丘(山)」(「タ(ン)ゴ」のNG音がG音に変化して「タゴ」となった)

  「モナ・チウ」、MONA-TIU(mona=scar,trace,knot of a tree,knee joint,fat;tiu=soar,wander,swing,swift,north)、「(両子山の)北にある・肥つた(山)」(「モナ」が「モン」となった)

  「カハ・ツラ」、KAHA-TURA(kaha=rope,noose;tura,turatura=molest,spiteful)、「(洪水を起こして人を)悩ませる・縄(のような。川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「クニ・イミ」、KUNI-IMI((Hawaii)kuni=to burn,blaze,kindle;(Hawaii)imi=to look,nunt,seek)、「(景行天皇がやっと)探し当てた・灯を灯している居住地(国)」(「クニ」の語尾のI音と「イミ」の語頭のI音が連結して「クニミ」となった)

  「イミ」、IMI((Hawaii)to look,nunt,seek)、「(景行天皇がやっと)探し当てた(集落。地域。そこを流れる川)」

  「アキ」、AKI((Hawaii)to furl as sailshair switch)、「畳んだ帆のような(並行する山の尾根がある。土地。地域)」

  「ナチア」、NATIA(=nati=pinch,contract)、「(山の尾根と海に)挟まれて狭い場所(土地。そこに鎮座する神社)」(IA音がA音に変化して「ナタ」となった)

  「ヒ・メ」、HI-ME(hi=rise,raise;me=with,denoting concomitance)、「(四つの山が)連れ立って・隆起した(島)」

  「アマイ・ヒタウ・ツ(ン)ゲヘ」、AMAI-HITAU-TUNGEHE(amai=swell on the sea;short petticoat or apron;tungehe=quail,be alarmed)、「(海上に)隆起した(島で)・(周囲のエプロンのような)平地が狭くて・びっくりする(島)」(「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」と、「ヒタウ」のAU音がO音に変化して「ヒト」と、「ツ(ン)ゲヘ」のNG音がN音に変化し、H音が脱落して「ツネ」となった)

の転訛と解します。

 

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45 宮崎県の地名

 

(1)日向(ひゅうが)国

 

 宮崎県は、古くは日向(ひゅうが)国の大部分でした。

 日向国は、『続日本紀』大宝2(702)年7月条は「筑紫は7ケ国」とし、はじめは九州南部一帯の呼称で熊襲、隼人の居住地をさし、薩摩国、大隅国を含んでいましたが、同2年10月条によれば薩摩(さつま)国が分離し、さらに和銅6(713)年の隼人平定の際、肝杯(きもつき)、贈於、大隅、姶良の4郡を分けて大隅国が分離しました。日向国には、臼杵、児湯、那珂、宮崎、諸縣の5郡が属しました。明治16年に諸縣郡が南・北諸県郡に分割されて南諸県郡は鹿児島県に編入されました。国府の所在地は、現西都市三宅国分と、国分寺も同所付近と推定されています。

 『和名抄』は、「比宇加知之知(ひうかちのち)」と訓じ、通常は「ひむか」、「ひゅうが」と呼びならわされています。国名は、景行紀17年3月条に景行天皇が子湯縣に行かれて「是の国は直く日の出る方へ向けり」といわれたので「日向(ひむか)国」というとあり、「日に向かう地」の意、「東(ひがし)」の転、「火向かいの国」で「霧島など火山のある地」の意とする説があります。

 この「ひうかちのち」、「ひむか」、「ひゅうが」は、

  「ヒウ・カチ・ノチ」、HIU-KATI-NOTI((Hawaii)hiu=caudal fin,hind part or tail section of a fish considered less delicious than the head or front section;kati=leave off,well,block up,closed of a passage,boundary,bite;noti=pinch ,contract)、「(九州島の)尻尾が・食いちぎられて・小さくなった(ような地域)」

  「ヒ・ムア・カ」、HI-MUA-KA(hi=raise,rise;mua=the front,the fore part,before,the sacred place;ka=take fire,be lighted,burn)、「高いところにある・(霧島火山などの)火が燃える(山の)・前にある(地域)」(「ムア」の語尾のA音が脱落して「ム」となった)

  「ヒウ・(ン)ガ」、HIU-NGA((Hawaii)hiu=caudal fin,hind part or tail section of a fish considered less delicious than the head or front section;nga=satisfied,breathe)、「満足している(ゆったりとしている)・(九州島の)尻尾(のような。地域)」または「ヒ・ウ(ン)ガ」、HI-UNGA(hi=raise,rise;unga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「(天孫が降臨した)崇高な・上陸地(地域)」

の転訛と解します。

 

(2)臼杵(うすき)郡

 

a臼杵(うすき)郡

 古代から明治17年までの郡名で、日向国の北部に位置し、北は豊後国大野郡、海部郡、東は日向灘、南は児湯郡、西は肥後国球磨郡、八代郡、益城郡、阿蘇郡に接します。おおむね現在の延岡市、日向市(南部の一部を除く)、東臼杵(ひがしうすき)郡、西臼杵(にしうすき)郡の地域です。明治17年に東臼杵(ひがしうすき)郡、西臼杵(にしうすき)郡に分かれました。

 『和名抄』は、「宇須伎(うすき)」と訓じます。郡名は、「臼・杵の産地」または「臼をつくる木の産地」、「ウサ(宇佐)・キ(城)」から、「ウ(オホ(大)に同じ)・スキ(剥)」で「崩崖」の意とする説があります。

 この「うすき」は、

  「ウツ・キ」、UTU-KI(utu=satisfaction,reward,dip up water etc.,dip into for the purpose of filling;ki=full,very)、「海水にどっぷりと浸かっている場所(リアス式沈降海岸)が・たくさんある(海岸のほとんどがリアス式海岸である。地域)」

の転訛と解します。(前出の大分県の(9)海部郡のb臼杵市の項の解釈とは異なります。)

 

b縣(あがた)・延岡(のべおか)・行縢(むかばき)の滝・門川(かどがわ)湾・乙(おと)島・塩見(しおみ)川・細(ほそ)島・椎葉(しいば)村

 延岡(のべおか)市は、県北部、五ヶ瀬川の下流、日向灘に面する市で、市名は江戸時代の城下名に由来します。五ヶ瀬川と支流大瀬川の間の川中島の約50メートルの丘陵上に築かれた城の城下は、古くは縣(あがた)と称しましたが、元禄5(1692)年藩主有馬氏のとき延岡(のべおか)と改められました。

 市の西部には、祖母傾国定公園に含まれる行縢(むかばき)の滝があります。

 東臼杵郡門川町の門川(かどがわ)湾の湾口には、日向灘に面した東岸には数十メートルの柱状節理の絶壁、反対側の西岸には磯釣りやキャンプで賑わう砂質海岸がある乙(おと)島があります。

 日向市は、中央を塩見(しおみ)川が東流し、河口に陸繋島の細(ほそ)島をつくり、その背後に天然の良港細島港があり、日向第一の港として栄えました。

 椎葉(しいば)村は、県北西部、熊本県との境、耳川上流の九州山地中心部にあり、高峻な山々が連なる秘境と呼ばれる過疎地帯で、耳川が山地を浸食し、V字形の渓谷を形成し、渓谷の上部の緩傾斜地帯に集落、畑、道路が立地します。

 この「あがた」、「のべおか」、「むかばき」、「かどがわ」、「おと」、「しおみ」、「ほそ」、「みみ」、「しいば」は、

  「ア(ン)ガ・タ」、ANGA-TA(anga=driving force,thing driven etc.;ta=dash,beat,lay)、「強制する力が・ある(場所。行政機構がある土地。縣)」(「ア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アガ」となった)(地名篇(その十八)の長崎県の(9)上縣郡の項を参照してください。)

  「ノペ・アウカハ」、NOPE-AUKAHA(nope=constricted;aukaha=bulwark to the body of a canoe)、「圧縮された・周囲に塁壁を巡らすしたような丘(がある土地。そこに築かれた城)」(「アウカハ」のAU音がO音に変化し、H音が脱落して「オカ」となった)

  「ムカカ・パキヒ」、KUKAKA-PAKIHI(mukaka=provoke,irritate;pakihi=dig for fern root,place where fern root has been dug)、「怒り狂って・(木の根を掘るように)穴を掘っている(滝)」(「ムカカ」の反復語尾が脱落して「ムカ」と、「パキヒ」の語尾のH音が脱落して「パキ」から「バキ」となった)

  「カト・(ン)ガワ」、KATO-NGAWHA(kato=flowing,flood;ngawha=burst open,bloom,split of timber)、「潮流が流れる・河口(の港。その地域)」(「(ン)ガワ」のNG音がG音に変化して「ガワ」となった)

  「アウト」、AUTO(trailing behind,slow,drag out)、「後ろ(の砂質海岸)しか歩けない(島)」(AU音がO音に変化して「オト」となった)

  「チホウ・ミ」、TIHOU-MI(tihou=an implemrnt used for cultivating;mi=stream,river)、「鍬で掘るように・流れる川」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「シオ」となった)

  「ホト」、HOTO(wooden spade,spike on the tail of a sting-ray)、「アカエイの尾の先にある突起(毒針)のような(島)」(前出の大分県の(9)海部郡のb保戸島の項を参照してください。)

  「チヒ・パ」、TIHI-PA(tihi=summit,top,peak,topknot of hair,lie in a heap;pa=stockade)、「(山の)頂上にある・(柵を巡らした)居住地(地域)」(「チヒ」のH音が脱落して「シイ」となった)

の転訛と解します。

 

c高千穂(たかちほ)町・五ヶ瀬(ごかせ)川・三田井(みたゐ)・真名井(まなゐ)の滝・土呂久(とろく)鉱山

 西臼杵郡高千穂(たかちほ)町は、県の北西部、五ヶ瀬(ごかせ)川上流域に位置し、北は祖母山を境に大分県に接します。建国神話の天孫降臨の地とされ、『日向国風土記逸文』は天孫が臼杵郡知舗(ちほ)郷に降臨して「天暗冥(くら)く、夜昼別かず、人物道を失ひ、物の色別き難たかりき」と伝え、天岩戸神社、高千穂神社などがあります。

 中心地の三田井(みたゐ)は交通の要衝で、五ヶ瀬川の浸食によって形成された高千穂渓谷には、地下水が絶壁の途中から噴出する真名井(まなゐ)の滝などの景勝地があります。

 岩戸地区にはかつては亜砒酸の生産が盛んだった土呂久(とろく)鉱山がありました。

 この「たかちほ」、「ごかせ」、「みたゐ」、「まなゐ」、「とろく」は、

  「タカ・チホイ」、TAKA-TIHOI(taka=fall down,go round;tihoi=go astray,wander)、「(天孫が)降臨して・道に迷った(場所。地域)」(「チホイ」の語尾のI音が脱落して「チホ」となった)(古典篇(その三)の3の(1)のc天孫の降臨の項を参照してください。)または「タカ・チホウ」、TAKA-TIHOU(taka=heap,lie in a heap;tihou=an implement used for cultivating)、「高いところにあって・鍬で耕されている(場所。地域)」

  「(ン)ガウ・カテア」、NGAU-KATEA(ngau=bite,hurt,attack;katea=scattered,separated)、「(土地を)喰い千切って流れ(上流で高千穂渓谷を形成し)・(下流で支流の大瀬川を)分流する(川)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「カテア」の語尾のA音が脱落して「カテ」から「カセ」となった)

  「ミ・タウィ」、MI-TAWHI(mi=stream,river;tawhi=hold,suppress)、「川(の流れ)が・停滞する(場所。地域)」

  「マ・ナウェ」、MA-NAWE(ma=white,clear;nawe=scar)、「清らかな・(大地の)傷口(から流れ出す。滝)」(「ナウェ」の語尾のE音がI音に変化して「ナヰ」となった)

  「ト・ロク」、TO-ROKU(to=drag,open or shut a door or a window;roku=bend,be weighed down,grow weak of a person dying)、「(人が砒素中毒で)だんだんと弱くなって死に・引き込まれる(鉱山)」または「(江戸時代末期には)さびれて・(戸を閉めて)廃山となった(鉱山)」

の転訛と解します。

 

(3)児湯(こゆ)郡

 

a児湯(こゆ)郡

 古代からの郡名で、県の中央部に位置し、北は臼杵郡、東は日向灘、南は諸県郡、宮崎郡、西は肥後国球磨郡に接します。おおむね現在の西都市、日向市の南部の一部、児湯(こゆ)郡の地域です。

 『和名抄』は、「古田由(こたゆ)」と訓じますが、通常「こゆ」と呼びならわされています。郡名は、景行紀17年3月条に子湯(こゆ)縣において「日向」の国名を名付けたとあり、またこの地域には全長170メートルを越える男狭穂塚古墳・女狭穂塚古墳など巨大古墳をはじめ大小多数の古墳がある西都原古墳群などがあり、日向国府の所在地は西都原古墳群にほど近い現西都市三宅国分と、国分寺も同所付近と推定されているところから、この地域は国の中心であったと考えられているほか、「こゆ」は「コユ(越ゆ)」で「峠道を越えた場所及び山名」の意とする説があります。

 この「こたゆ」、「こゆ」は、

  「コタイアフ」、KOTAIAHU(bell-bird)、「鐘のような音で鳴く鳥(がいる場所。国中に法令等を告知する国衙のある場所。地域)」(H音が脱落して「コタイアウ」から「コタユ」となった)

  「コイ・ウ」、KOI-U(koi=sharp,promontory,good,suitable;u=say,be fixed,breast of a female)、「きちんと・告知する(国衙のある場所。地域)」(「コイ」のI音と「ウ」のU音が連結して「コユ」となった)

の転訛と解します。

 

b耳(みみ)川・一ツ瀬(ひとつせ)川・穂北(ほきた)・都万(つま)神社・米良(めら)・竜房(りゅうぶさ)山・銀鏡(しろみ)神社・都濃(つの)神社・尾鈴(おすず)山・名貫(なぬき)川・トロントロン・ひょうすんぼ(ひょうすべ)・小丸(おまる)川・財部(たからべ)

 日向市南部の耳(みみ)川河口の美々(みみ)津は、神武天皇東征の出発地の伝説地です。

 西都(さいと)市は、県の中部、一ツ瀬(ひとつせ)川の中流にあり、市域の西部には米良(めら)山地が、東部の台地には大小約330基の古墳が集中する西都原(さいとばる)古墳群をはじめとする古墳群があり、合計では500基におよぶ古墳があります。西都市妻(つま)(西都市の中心部で、旧児湯郡下穂北(しもほきた)村が大正13(1924)年に下穂北町から妻(つま)町となり、昭和30(1955)年に児湯郡上穂北(かみほきた)村と合併して西都町となり、昭和33(1958)年に児湯郡三納(みのう)村、都於郡(とのこおり)村と合併して西都市となりました。西都市の主たる部分は、古くは穂北(ほきた)と呼ばれていました。)には、総社的役割を担ったと考えられる式内社の都万(つま)神社があります。

 米良(めら)地方は、椎葉とともに平野部から隔絶していた地域で独特の民俗を有し、竜房(りゅうぶさ)山(1,021メートル)の銀鏡(しろみ)神社の祭神は山の神とされて狩猟者の信仰を集めていました。

 郡の北東部の都濃(つの)町は、東部の海岸段丘上には日向国一宮の都濃(つの)神社が鎮座し、北部には尾鈴(おすず)山(1,405メートル)がそびえます。

 都濃町と川南(かわみなみ)町の境を名貫(なぬき)川が流れます。

 川南町の海岸段丘上、町役場の近くに通称地名「トロントロン」があります。

 この地方では、河童(かっぱ)を「ひょうすんぼ」または「ひょうすべ」と称します。馬を川に引きずり込む悪さをする河童を懲らしめた名貫川のほとりの徳泉寺の和尚さんの話が伝えられています(都濃町商工会ホームページ「ひょうすんぼ」。「ひょうすんぼの由来」中村地平著『河童の遠征』による)。(「河童」については地名篇(その十八)の福岡県の(20)竹野郡のb河童(かっぱ。えんこう。がわたろ)の項を参照してください。)

 高鍋(たかなべ)町は、小丸(おまる)川の河口、日向灘に面する交通の要衝で、古くは財部(たからべ)町でしたが、近世以後高鍋藩秋月氏3万石の城下町となり、高鍋と改称しました。

 この「みみ」、「ひとつせ」、「ほきた」、「つま」、「めら」、「りゅうぶさ」、「しろみ」、「つの」、「おすず」、「なぬき」、「トロントロン」、「ひょうすんぼ」、「ひょうすべ」、「おまる」、「たからべ」は、

  「ミミ」、MIMI(stream,river)、「川」

  「ヒタウ・ツ・テ」、HITAU-TU-TE(hitau=short peticoat or apron;tu=stand,settle;te=crack)、「縁にエプロン(小さな平地)を・付けている・割れ目(の川)」(「ヒタウ」のAU音がO音に変化して「ヒト」となった)

  「ホウ・キタ」、HOU-KITA(hou=bind,lash together;kita=tightly,fast,intensely)、「(古墳が)密に・集合している(地域)」(「ホウ」が「ホ」となった)または「ホキ・タ」、HOKI-TA(hoki=return,restorative charm for a sick person or blighted crops etc.;ta=dash,beat,lay)、「(故郷に)帰還して・横たわっている(人々を葬った古墳が多くある地域)」

  「ツマ(ン)ガイ」、TUMANGAI(a kind of incantation)、「一種の(国の安穏を願う)祈願を行う(神社)」(語尾のNGAI音が脱落して「ツマ」となった)

  「マイラ(ン)ガ」、MAIRANGA(raise,elevate)、「高い(場所。山地)」(AI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「メラ」となった)

  「リウ・プタ」、RIU-PUTA(riu=valley,belly,pass by;puta=opening,pass on,come out,appear)、「(神が)降臨した・お腹のような(膨らみをもつ。山)」

  「チ・ロミ」、TI-ROMI(ti=throw,cast,overcome;romi=squeeze,seize,crush,engulf)、「(狩猟の)獲物を・供える(神社)」

  「ツ(ン)ゴ(ン)ゴ」、TUNGONGO(cause to shrink)、「皺が寄った(場所。そこの神社。そこを流れる川)」もしくは「(征服されて)縮み上がった(神を祀る神社)」(反復語尾のNGO音が脱落し、NG音がN音に変化して「ツノ」となった)または「ツ(ン)ガウル」、TUNGAURU(a platform in the stern of a canoe reserved for persons of importance)、「(カヌーの)船尾に設けられた重要人物のための特別席(のような土地。そこにある神社)」(NG音がN音に、AU音がO音に変化し、語尾の「ル」が脱落して「ツノ」となった)

  「オ・ツツ」、O-TUTU(o=the...of,belonging to;tutu=hoop for holding open a hand net)、「手網の支柱のようなU字形の尾根が・ある(尾根の間の谷に尾鈴山瀑布群(名勝)がある。山)」

  「ナヌ・キ」、NANU-KI(nanu=mixed,indistinct,murmur,express dissatisfaction)、「ぶつぶつ言う(不平不満が)・多い(洪水を起こすことが多い。川)」

  「トロ(ン)ガトロ(ン)ガ」、TORONGATORONGA(=toro=stretch forth)、「ずっと延びている(土地)」(NG音がN音に変化して「トロナトロナ」から「トロントロン」となった)

  「ヒオ・ツム・ポウ」、HIO-TUMU-POU((Hawaii)hio=a sweep or gust of wind,to blow of gusts;tumu=halt suddenly;pou=plunge in)、「(一陣の風のように)さっと・不意に掴んで・(川の中に)引きずり込む(動物。河童)」(「ヒオ」が「ヒョウ」と、「ツム」が「スム」から「スン」となった)

  「ヒオ・ツペ」、HIO-TUPE((Hawaii)hio=a sweep orgust of wind,to blow of gusts;tupe,whakatupe=frighten by shouting at)、「(一陣の風のように)さっと(不意に襲って)・びっくりさせる(動物。河童)」(「ヒオ」が「ヒョウ」となった)

  「オマ・ル」、OMA-RU(oma=move quickly,run,escape;ru=shake,agitate,scatter,earthquake)、「水しぶきを上げながら・速く流れる(川)」

  「タカ・ラペ」、TAKA-RAPE(taka=heap,lie in a heap;rape=tatooing on the breech)、「お尻に入れ墨をしたような・丘(地域)」

の転訛と解します。

 

(4)那珂(なか)郡

 

a那珂(なか)郡

 古代から明治17年までの郡名で、県の中央部に位置し、北は児湯郡、東は日向灘、南から西は宮崎郡に接します。平安時代前期の郡域はおおむね現在の宮崎市の北東部の一部(住吉地区)、宮崎郡佐土原町の地域で、近世には宮崎郡をふくめて郡域は錯綜し、天保郷帳ではおおむね現在の宮崎市の一部と南那珂郡の地域をふくめて那珂郡とされ、明治17年に宮崎郡、北那珂郡、南那珂郡の郡域が定められ、北那珂郡は後に宮崎市に編入されて消滅します。

 『和名抄』は、「中(なか)」と訓じます。

 この「なか」は、

  「ナ・アカ」、NA-AKA(na=belonging to;aka=clean off,scrape away,long and thin root of trees or plants)、「(一ツ瀬川の氾濫によって)洗い流された・ような土地(地域)」(「ナ」の語尾のA音と「アカ」の語頭のA音が連結して「ナカ」となった)

の転訛と解します。

 

b佐土原(さどわら)町

 宮崎平野中部、日向灘へ注ぐ一ツ瀬川下流南岸に佐土原(さどわら)町が位置します。江戸時代は佐土原藩島津氏2万7千石の城下町として栄えました。

 この「さどわら」は、

  「タタウ・ワラ」、TATAU-WHARA(tatau=tie with a cord,settle down upon,draw or push a sliding board;whara=flooor mat)、「(茅などで編んだ)敷物を・敷き広げた(土地。地域)」(「タタウ」のAU音がO音に変化して「タト」から「サド」となった)

の転訛と解します。

 

(5)宮崎(みやざき)郡

 

a宮崎(みやざき)郡

 古代からの郡名で、県の中央部から南部に位置し、北は児湯郡、那珂郡、東から南は日向灘、西は大隅国曽於郡、諸県郡に接します。おおむね現在の宮崎市(北東部の一部を除く)、宮崎郡(佐土原町を除く)、南那珂郡の地域です。近世には那珂郡をふくめて郡域は錯綜し、天保郷帳ではおおむね現在の宮崎市の大部分と宮崎郡(佐土原町を除く)の地域が宮崎郡とされ、明治17年に宮崎郡、北那珂郡、南那珂郡の郡域が定められ、北那珂郡は後に宮崎市に編入されて消滅します。

 『和名抄』は、「三也佐伎(みやさき)」と訓じます。郡名は、「神社前の地」の意、「神社付近の岬」の意とする説があります。

 この「みやさき」は、

  「ミ・イア・タキ」、MI-IA-TAKI(mi=stream,river;ia=current,indeed;taki=take to one side,take out of the way,track)、「川(大淀川)の・流れが・遠回りする(河口近くで海岸に並行して蛇行する。地域)」

の転訛と解します。

 

b大淀(おほよど)川・赤江(あかえ)港・青(あお)島・清武(きよたけ)町・田野(たの)町・鰐塚(わにつか)山

 宮崎(みやざき)市の市名は、古代以来の地名によりますが、本来の宮崎の地は、宮崎郡内の式内社江田神社の近辺とする説、神武天皇の宮のあった皇宮屋(こぐや。宮崎市下北方町)付近とする説、奈古神社の前の宮前とする説などがあります。

 大淀(おほよど)川は、都城盆地南部の山地に源を発し、北流して盆地西方の小林盆地から流れる岩瀬川を合流して東流し、宮崎平野の広い沖積地を形成して日向灘に注ぎます。河口の左右岸には、かつて砂州によって形成された大きな潟があり、江戸時代には河口右岸に赤江(あかえ)港があって繁栄しましたが、砂の堆積によって港の機能を失いました。

 宮崎市南部の青(あお)島には、天然記念物に指定された「鬼の洗濯板」があります。

 宮崎郡清武(きよたけ)町の町名は、中世以来の郷名によります。町の中心を流れる清武(きよたけ)川沿いの沖積地には、古くから水田が開かれていました。

 宮崎郡田野(たの)町の町名は、中世以来の地名によります。清武川の上流の小盆地に立地します。南部は鰐塚(わにつか)山(1,118メートル)に連なります。

 この「おほよど」、「あかえ」、「あお」、「きよたけ」、「たの」、「わにつか」は、

  「オホ・イオ・ト」、OHO-IO-TO(oho=wake up,arise;io=muscle,line,spur,lock of hair;to=drag,open or shut a door or a window)、「高くそびえる・山々を・引っ張っている(ような。川)」

  「ア・カエア」、A-KAEA(a=the...of,belonging to;kaea=a long wooden trumpet)、「(木製の)長い先が広がったラッパ・のような形の(河口または潟。そこにある港)」(「カエア」の語尾のA音が脱落して「カエ」となった)

  「アホ」、AHO(string,line,woof,cross threads of a mat)、「敷物の横糸(が並んでいるような岩場。「鬼の洗濯板」がある島)」(H音が脱落して「アオ」となった)

  「キオ・タカイ」、KIO-TAKAI((Hawaii)kio=projection,to protrude,small pool for stocking fish spawn;takai=wrap up,wrap round)、「魚を蓄養する溜池(のような湿地または水田)を・包み込むようにして流れる(川。その川が流れる地域)」(「タカイ」のAI音がE音に変化して「タケ」となった)

  「タ(ン)ゴ」、TANGO(take hold of,take possession of,remove)、「抱え込まれているような(盆地。地域)」(NG音がN音に変化して「タノ」となった)

  「ワニ・ツカ」、WANI-TUKAHA(wani=scrape,comb the hair;tukaha=strenuous,vigorous,hasty,passionate)、「せっせと・削った(山)」

の転訛と解します。

 

c広渡(ひろと)川・猪八重(いのはえ)峡・飫肥(おび)・吾田(あがた)・油津(あぶらつ)・鵜戸(うど)神宮・串間(くしま)市・都井(とい)岬

 南那珂郡北郷(きたごう)町の町名は、中世以来の郷名によります。鰐塚山から発する広渡(ひろと)川が中央を貫流し、猪八重(いのはえ)峡を形成します。

 日南(にちなん)市の市名は、昭和25(1950)年藩政時代の飫肥藩の城下町であった飫肥(おび)、純農村地帯から市役所が置かれて行政の中心となった吾田(あがた)、県南有数の良港として飫肥杉を積み出した油津(あぶらつ)の3町と東郷村が合併して市制を施行した際、日向国の南部に位置することにより付した名です。

 市の東部の海岸の岩陰には、鵜戸(うど)神宮が鎮座します。

 串間(くしま)市の市名は、中世の地名櫛間院(くしまいん)に由来します。南部には、藩政時代から保護を受けてきた野生の岬馬で知られる都井(とい)岬があります。

 この「ひろと」、「いのはえ」、「おび」、「あがた」、「あぶらつ」、「うど」、「くしま」、「とい」は、

  「ヒロウ・ト」、HIROU-TO(hirou=rake,net for dredging shellfish;to=drag,open or shut a door or a window)、「底引き網を・曳くような(荒々しく流れる。川)」(「ヒロウ」の語尾のU音が脱落して「ヒロ」となった)(地名篇(その十三)の岡山県の(4)勝田郡のb那岐山の広戸(ひろと)風の項を参照してください。)

  「イノイ・ハエ」、INOI-HAE(inoi=beg,pray;hae=slit,tear,split,fear)、「(安全を)ひたすら祈願して(通り過ぎる)・(大地の)割れ目(峡谷)」(「イノイ」の語尾のI音が脱落して「イノ」となった)

  「オ・ピ」、O-PI(o=the...of;pi=flow of the tide,soakedsource,eye,corner of the eye or mouth)、「眼のような地形の・場所(土地。その土地がある地域)」

  「ア(ン)ガ・タ」、ANGA-TA(anga=driving force,thing driven etc.;ta=dash,beat,lay)、「(川が)強い力で・襲ってくる(場所)」(「ア(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「アガ」となった)

  「アプ・ウラ(ン)ガ」、APU-URANGA(apu=move or be in a flock or crowd,bark as a dog;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「たくさんの船が群集している・船着き場(港。その土地)」(「アプ」の語尾のU音と、「ウラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ウラ」となったその語頭のU音が連結して「アプラ」から「アブラ」となった)

  「ウト」、UTO(revenge)、「仇を討つたような(首を切り落としたような断崖をなして鵜戸山地が海に落ち込む場所。そこにある神社)」または「ウ・トウ」、U-TOU(u=be fixed,reach its limit,bite;tou=annus,posteriors)、「肛門(のような岩陰の洞窟の中)に・(社殿が)ある(神社)」(「トウ」の語尾のU音が脱落して「ト」から「ド」となった)(地名篇(その十七)の静岡県の(19)有度郡の項および地名篇(その十六)の長野県の(4)筑摩郡のb善知鳥(うとう)峠の項を参照してください。)

  「クチ・マ」、KUTI-MA(kuti=contract,pinch;ma=white,clear)、「(周囲の山地で)締め付けられている・清らかな(土地。平野。その地域)」

  「トイ」、TOI(tip,point,finger,citadel of a stockade,native)、「野生の(馬がいる。岬)」または「タウウィ」、TAUWHI(cover,sprinkle)、「波しぶきをあげている(岬)」(AU音がO音に変化して「トヰ」となった)

 

(6)諸縣(もろがた)郡

 

a諸縣(もろがた)郡

 古代から明治16年までの郡名で、県の南部に位置し、北は肥後国球磨郡、児湯郡、東は宮崎郡、南は志布志湾、西は大隅国曽於郡、同姶良郡に接します。おおむね現在の東諸県郡、宮崎市の西部の一部、小林市、えびの市、西諸県郡、都城市、北諸県郡、鹿児島県曽於郡末吉町の東部、大隅町の東部、松山町、志布志町、有明町、大崎町の地域です。明治16年に諸縣郡は南・北諸県郡に分割されて、南諸県郡は鹿児島県に編入(のち明治29年に曽於郡に編入)され、北諸県郡は明治17年に東・西・北諸県郡に分割されました。

 『和名抄』は、「牟良加多(むらかた)」と訓じます。郡名は、景行紀18年3月条に諸方君泉媛が景行天皇を接待したとあり、「諸々の縣(あがた)を集めて立てた郡」とされ、「ムラ(村落)」の地の意、「モロ(山などが並んだ地)」の意、「モロ(脆。崩れやすい地)」の意とする説があります。

 この「むらかた」は、

  「ムラ・カタ」、MURA-KATA(mura=blaze,flame;kata=opening of shellfish)、「赤々と燃えている(霧島火山群の前の)・貝が口を開けたような(地域)」

  または「ムア・ラ(ン)ガ・タ」、MUA-RANGA-TA(mua=the front,the fore part,before,the sacred place;ranga=raise,pull up by the roots;ta=dash,beat,lay)、「高い土地(霧島連峰)の・前面に・位置している(地域)」(「ムア」のA音が脱落して「ム」と、「ラ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ラガ」となった)

の転訛と解します。

 

b霧島(きりしま)連峰・韓国(からくに)岳・新燃(しんもえ)岳・高千穂(たかちほ)峰・御鉢(おはち)・夷守(ひなもり)岳・えびの市・加久藤(かくとう)盆地・小林(こばやし)市・長瀬(ながせ)川

 宮崎・鹿児島両県にまたがって安山岩質の火山群の霧島(きりしま)連峰がそびえます。最高峰の韓国(からくに)岳(1,700メートル)(小円錐火山、比高約600メートルですが、頂上には直径約900メートル、深さ約300メートルの大火口があります。)、新燃(しんもえ)岳(1,421メートル)(円錐形のコニーデ型火山で、有史以来御鉢とともに活発に噴火を繰り返し、最近では昭和9(1934)年から平成3(1991)年まで数回噴火している火山で、山頂には直径約750メートルの火口と火口湖があります。)、高千穂(たかちほ)峰(1,574メートル)、その山腹に寄生する御鉢(おはち。1,420メートル)(有史以来霧島火山群は、主に御鉢と新燃岳で噴火を繰り返してきており、御鉢は1923(大正12)年の噴火以来穏やかですが、過去の活動記録によれば霧島火山群中もっとも活動的な火口といわれます。)、夷守(ひなもり)岳(1,344メートル)などが北西から南東へ列をなしています。

 えびの市の中央部はカルデラ起源の加久藤(かくとう)盆地で、北はカルデラ壁、南は霧島火山群に挟まれた細長い盆地の中を川内(せんだい)川が西流しています。市名は、えびの高原にちなみます。

 小林(こばやし)市もカルデラ起源の小林盆地にあり、扇状地とシラス台地からなり、大淀川の支流長瀬(ながせ)川が東流しています。市名は、近世以来の郷名によります。

 この「きりしま」、「からくに」、「しんもえ」、「たかちほ」、「おはち」、「ひなもり」、「えびの」、「かくとう」、「こばやし」、「ながせ」は、

  「キヒ・リ・チマ」、KIHI-RI-TIMA(kihi=cut off,destroy completely,strip of branches etc.;ri=screen,protect,bind;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「(一連の)衝立のような山脈が・掘り棒で掘られて・(いくつもの山に)切断された(連峰)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)

  「カラク・ニヒ」、KALAKU-NIHI((Hawaii)kalaku=to proclaim,to release as evil by prayer,chilled,shivering;nihi,ninihi=steep)、「急峻な・(深い大火口があつて)震え上がる(山)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」となった)

  「チノ・マウエ」、TINO-MAUE(tino=main,essenciality,reality;maue=shake,tremble,quiver)、「本質的に(表面は穏やかでも)・震えている(いつ噴火するか判らない活火山の。山)」(「チノ」が「シン」と、「マウエ」のAU音がO音に変化して「モエ」となった)

  「タカ・チホウ」、TAKA-TIHOU(taka=heap,lie in a heap;tihou=an implement used for cultivating)、「(山体が)鍬で削られている・高い(山)」(前出の(2)臼杵郡のc高千穂町の項を参照してください。)

  「オ・パチ」、O-PATI(o=the...of;pati=spurt,splash)、「(噴火して溶岩を)はね飛ばした・山」または「オ・パチ」、O-PATI(o=the...of;pati=try to obtain by coaxing,flattery)、「(高千穂峰に寄り添って)機嫌を取っている・ような(山)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハチ」となった)

  「ヒ(ン)ガ・モリ」、HINGA-MORI(hinga=fall from an erect position,lean;mori=low,mean)、「高い場所から滑り落ちた・(標高が)低い(山)」(「ヒ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒナ」となった)または「ヒ(ン)ガ・マウリ」、HINGA-MAURI(hinga=fall from an erect position,lean;mauri=a forest tree for making canoes)、「高い場所から滑り落ちた(標高が低い)・カヌーを造るのに好適な木(槇)がある(山)」(「ヒ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒナ」と、「マウリ」のAU音がO音に変化して「モリ」となった)

  「ヘ・ピ・(ン)ガウ」、HE-PI-NGAU(he=a,an;pi=flow of the tide,soaked,slight,eye;ngau=bite,hurt,attack)、「一つの・眼のような(高原が)・食いちぎられている(浸食されている。高原)」(「ヘ」のH音が脱落して「エ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「カク・トウ」、KAKU-TOU(kaku=scrape up,scoop up,bruise;tou=annus,posteriors)、「お尻の割れ目(のような地形の場所)に・(土を)掻き集めた(盆地)」

  「コパ・イア・チ」、KOPA-IA-TI(kopa=folded,pass by,space in front of a house;ia=indeed,current;ti=throw,cast,overcome)、「実に・家(霧島連峰)の前の場所に・放り出されている(地域)」または「コパイ・ファチ」、KOPAI-FATI(kopai=front wall or side wall of a house;(PPN)fati=hati=(Hawaii)haki=easy broken,fragile)、「崩れやすい・家の壁(シラス台地)がある(地域)」(「コパイ」の語尾のI音と、「ファチ」のF音が脱落して「アチ」となったその語頭のA音が連結して「コパヤチ」から「コバヤシ」となった)

  「(ン)ガ(ン)ガ・テ」、NGANGA-TE(nganga=breathe heavily or with difficulty,make a harsh noise;te=crack)、「咳込む(ときどき氾濫を起こす)・割れ目(の川)」(「(ン)ガ(ン)ガ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」となった)

の転訛と解します。

 

c都島(みやこじま)・母智丘(もちお)・島津(しまづ)荘・麓(ふもと)集落・シラス・赤ホヤ・東諸県郡綾(あや)町

 都城(みやこのじょう)市は、都城盆地にあり、大淀川の東側には開析扇状地、西側には母智丘(もちお)などのシラス台地が分布します。

 市名は天授元(1375)年に北郷(ほんごう)氏(のち島津氏に改姓)2代義久が南郷都島(みやこじま)に城を築いて都城(みやこのじょう)と称したことに始まります。島津(しまづ)荘の発祥地で、薩摩藩特有の武士が城下に集中せずに領内に分散して居住する麓(ふもと)集落が形成されました。

 南九州地方には農耕に適しない火山灰土壌が広く分布しますが、そのうちの「シラス」は鹿児島県姶良カルデラの爆発に伴い噴出した軽石を主体とする土壌で、「赤(あか)ホヤ」は鹿児島県南方の鬼界カルデラの爆発に伴い噴出したガラス質火山灰を主体とする土壌です。(「黒ボク」については、前出の熊本県の(5)阿蘇郡のb黒ボクの項を参照してください。なお、「ボラ」、「コラ」については鹿児島県の部で解説します。)

 この「みやこじま」、「もちお」、「しまづ」、「ふもと」、「シラス」、「アカホヤ」は、

  「ミ・イア・コウ・チマ」、MI-IA-KOU-TIMA(mi=stream,river;ia=indeed,current;kou=knob,stump;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「実に・川の流れが・掘り棒で掘るように浸食する・切り株のような(台地。そこの地域)」

  「モチ・アウ」、MOTI-AU(moti=consumed,scarce,surfeited;au=firm,intense)、「消耗して(植物の養分を含まない)・固結した(台地)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

  「チ・マ・アツ」、TI-MA-ATU(ti=throw,cast,overcome;ma=go,come;atu=ti indicate reciprocated action)、「(一所に人々を集中して住まわせず)ばらまいて(分散して住まわせて)・(互いに)行き来する(集落の編成方式。その方式をとる荘園(島津荘)。そこに拠る氏族)」(「マ」のA音と「アツ」の語頭のA音が連結して「マツ」から「マヅ」となった)

  「フ・モト」、HU-MOTO(hu=resound,noise,bubble up;moto=strike with the fist)、「(外敵が侵入すると)沸き立つように(集まって)・拳骨で殴る(やっつける。集落)」

  「チラ・ツ」、TIRA-TU(tira=row,fin of fish,bundle,make into a bundle;tu=fight with,energetic)、「熱心に・荷物をつくる(非常に強く・凝り固まる性質を持つ。火山灰土壌)」

  「アカ・ホイア」、AKA-HOIA(aka=long and thin roots of trees or plants;hoia=wearied,annoyed)、「(樹木や作物の)長くて細い根を・困らせる(根が地中に延びるのを妨げる。火山灰土壌)」

の転訛と解します。

 

d綾(あや)町・本庄(ほんじょう)町

 東諸県郡綾(あや)町は、宮崎平野西端に位置する町で、古くは肥後へ通ずる街道の要地で、『延喜式』にみえる亜椰(あや)駅に比定されます。町名は、江戸時代の郷名によります。

 国富(くにとみ)町は、本庄(ほんじょう)川北岸に位置し、古くは諸県荘450町といわれた穀倉地帯で、昭和31(1956)年に本庄(ほんじょう)町と八代(やつしろ)村が合併してこの地に住んだとの伝承がある景行天皇の孫久邇止美比古(くにとみひこ)命にちなんで町名としました。

 この「あや」、「ほんじょう」は、

  「アイア」、AIA(interjection.=kaitoa=it is good,it serves one right etc.(a=well;ia=indeed))、「申し分のない(土地。地域)」

  「ホノ・チホウ」、HONO-TIHOU(hono=assembly,company,crowd;tihou=an implement used for cultivating)、「鍬で耕す土地(耕地)が・集まっている(地域。そこを流れる川)」(「ホノ」が「ホン」と、「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ジョウ」となった)

の転訛と解します。

 

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<修正経緯> 

1 平成15年1月1日

 宮崎県の(6)諸縣郡の解釈の一部を修正しました。

2 平成16年4月1日

 熊本県の(11)宇土郡の「不知火」の解釈を修正しました。

3 平成16年12月1日

 熊本県の(1)肥後国の建日向日豊久士比泥別の解釈の一部を修正、(7)山本郡の植木町の解釈を修正、(9)詫摩郡の出水町の別解釈を追加、(10)益城郡の緑川の解釈を修正、(11)宇土郡の三角町の別解釈を追加、(12)八代郡の印鑰明神池の別解釈を追加、(15)球磨郡の多良木町の解釈を一部修正し、

 大分県の(1)豊前国の豊日別の解釈の一部を修正、(3)宇佐郡の安心院町の解釈を修正、(5)日田郡の鯛生鉱山の別解釈を追加、(6)玖珠郡の万年山の別解釈を追加し、

 宮崎県の(2)臼杵郡の土呂久鉱山の解釈の一部を修正、(3)児湯郡の都濃神社の別解釈を追加しました。

4 平成17年6月1日

 大分県の(10)大分郡の項に碩田(おほきた)国の解釈を追加しました。

5 平成17年8月1日

 熊本県の(12)八代郡のbの項に「漏斗」造りの解釈を追加しました。

6 平成18年8月1日

 大分県の(12)國埼(くにさき)郡のbの項に「姫島」、「天一根」の解釈を追加しました。

7 平成19年2月15日

 (1)インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。これに伴う本文の実質的変更はありません。

 (2)宮崎県の(3)児湯郡のbの「ひょうすんぼ(ひょうすべ)」の解釈を修正しました。

8 平成19年6月1日

 熊本県の(10)益城郡のbの項に「轡塘」の解釈を追加しました。

9 平成20年5月1日

 宮崎県の(6)諸縣郡のbの韓国岳、新燃岳、御鉢および夷守岳の解釈を修正しました。

10 平成22年9月1日

 大分県の(11)速水郡のb別府市の項に「別府湾(かんたんわん)」の解釈を追加しました。

11 平成24年10月1日 >p> 宮崎県の(3)児湯郡のb耳川の項の「西都原」の解釈を削除し、「穂北」の解釈を追加しました。

 

地名篇(その二十)終わり

 
U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
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