地名篇(その十二)

(平成13-6-1書込み。22-10-1最終修正)(テキスト約40頁)


トップページ 地名篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

目 次 <中国地方の地名(その一)>

 

31 鳥取県の地名

 

 因幡国巨濃(この)郡・岩井郡浦留海岸・駟馳(しち)山法美郡袋川・扇ノ山・宇倍神社八上郡河原町・曳田川・郡家町・私都(きさいち)川・船岡町・若桜町智頭郡佐治川・用瀬(もちがせ)町・土師川・駒返・志土坂峠・奈義・黒尾峠邑美(おうみ)郡高草郡鳥取市・千代(せんだい)川・浜坂砂丘・福部砂丘・多鯰ケ池・八幡池・賀露(かろ)・湖山池・白兎海岸氣多郡青谷町・長尾鼻・夏泊・浜村・鹿野・鷲峰(じゅうぼう)山

 伯耆国河村郡羽合町・北条河・天神川・東郷池・橋津・馬ノ山三朝(みささ)町・三徳山・小鹿川・人形峠久米郡北条町・倉吉市・小鴨川・国府川・打吹山・向山・上井・関金町・犬挟(いぬばさり)峠・白金の湯八橋郡赤碕町・船上山・甲(かぶと)ケ山・甲(きのえ)川・庄司ケ滝・勝田川・矢筈ケ山・地獄谷・加勢蛇(かせいち)川・由良川汗入郡火神岳・大山(だいせん)・鍔抜山・鈑戸(たたらど)山・鍋山・豪円山・孝霊山淀江町・佐陀川・名和町・阿弥陀川・御来屋(みくりや)會見郡夜見の嶋・外江(とのえ)町・上道町・米子市・皆生温泉・尾高・日吉津(ひえづ)村・法勝寺(ほっしょうじ)川・天万(てま)日野郡溝口町・野上川・江尾(えび)・擬宝珠(ぎぼし)山・鏡ケ成根雨(ねう)・板井原・黒坂・生山・石霞渓・多里(たり)・船通山・竜駒峠・鍵掛峠

 

32 島根県の地名

 

 出雲国意宇郡宍道湖・野代・嫁ケ島(蚊島)・大庭町・神魂(かもす)神社・佐草町・熊野・天狗山・揖屋(いや)町能義郡安来市・飯梨川・伯太川・富田(とだ)・月山(がっさん)・布部・母里(もり)嶋根郡松江市・朝酌・手角(たすみ)・大根島・江島美保関町・七類港・片江湾・千酌浜島根町・加賀・潜戸(くきど)の鼻・佐太(さだ)大神秋鹿(あいか)郡恵曇(えとも)・佐陀川・波蘇(はそ)・伊野楯縫郡平田市・十六島(うっぷるい)岬・於豆振(おつふり)の埼・佐香・久多美・一畑薬師出雲郡大社町・杵築・日御碕(ひのみさき)・稲佐の浜・斐伊川健部郷・漆沼(しつぬ)郷・神庭・荒神谷・鰐淵神門(かんど)郡差海川・立久恵(たちくえ)峡・田儀川飯石郡三刀屋町・掛合(かけや)町・竜頭の滝・吉田川・多禰(たね)郷・頓原町・大万木(おおよろぎ)山・琴引山・赤名川仁多郡阿井川・馬木川・鬼の舌震(おにのしたぶるい)・三成・亀嵩川・三沢・要害山・横田町・岩屋寺の切開(きりあけ)大原郡赤川・神原・岩倉・阿用・海潮(うしお)温泉・須我・木次町・久野川

 石見国安濃(あの)郡大田市・波根・久手三瓶山・佐比売山・志学迩摩郡仁摩町・宅野浦・馬路浦・琴ケ浜・温泉津・大江高山石見銀山・大森・仙ノ山・竜源寺間歩那賀郡江津市・江(ごう)ノ川・都野津(つのつ)・敬(うや)川・湯路川・有福温泉浜田市・畳ケ浦・周布川・三隅町・杵束・雲月(うつつき)山・波佐川邑知(おうち)郡羽須美村・口羽・阿須那・出羽(いずは)川・都賀行・布施・粕淵・尻無川・湯抱(ゆがかい)温泉川本町・京太郎山・矢上川・断魚渓・桜井・八戸川・日和川・千丈渓美濃郡益田市・高津川・七尾山・都茂(つも)・匹見町・広見川鹿足(かのあし)郡・能濃(のの)郷日原町・安蔵寺(あぞうじ)山・木部谷温泉・吉賀(よしか)川・津和野町・青野山

 隠岐国・天忍許呂別知夫郡浦郷・黒木・別府湾・焼火(たくひ)神社・国賀海岸海部郡金光寺山・三郎岩隠地郡五箇村・久見・水若酢神社・都万村・那久川・壇鏡の滝周吉(すき)郡西郷町・八尾(やび)川・大満寺山・乳房(ちち)杉・布施村・浄土ケ浦

 

<修正経緯>

 

 

<中国地方の地名(その一)>


 

31 鳥取県の地名

 

 鳥取県は、東部は因幡(いなば)国、西部は伯耆(ほうき)国に属しました。

 因幡国、伯耆国の地名には、出雲国の地名と並んで、『古事記』にみえる神話および風土記の記事に登場する「事績地名」が多数存在することが他の国と際だつて異なる大きな特徴となっています。

 

(1)因幡(いなば)国

 

 鳥取県の東部に位置し、北は日本海に面し、中央部に千代(せんだい)川が流れ、北部は鳥取平野、南部は中国山地で、東は但馬国、南東は播磨国、南は美作国、西は伯耆国に接します。

 古代には巨濃(この)郡、法美(ほうみ)郡、八上(やかみ)郡、智頭(ちず)郡、邑美(おうみ)郡、高草(たかくさ)郡、氣多(けた)郡の7郡がありました。

 『古事記』にはオオクニヌシが兄の八十神たちと「稲羽の八上媛(やかみひめ)を婚(よば)ふ」ために稲羽に赴いた記事があり、『日本書紀』雄略紀17年3月条には「因幡の私の民部を詔して名付けて贄(にえ)の土師部といふ」とあります。

 因幡は『和名抄』は「以奈八(いなは)」と、国府所在地と推定される法美郡稲羽郷(現鳥取市及び岩美郡国府町にまたがる地域)は「以奈波」と訓じています。

 この「いなは」は、(1)稲羽に起源し、「稲葉(稲の葉)」、「稲場(刈った稲の置き場)」、「稲庭(稲田)」に由来するとする説、

(2)稲羽郷のある稲葉山が稲積の形をしていることによるとする説、

(3)「イナ(砂)・バ(場)」で「砂丘のある場所」とする説などがあります。

 この「いなは」は、マオリ語の

  「イ・ナ・パ」、I-NA-PA(i=beside,past tense;na=satisfied,belonging to;pa=stockade)、「ゆったりとした巨大な集落のそば(の地域)」

  または「ヒ(ン)ガ・パ」、HINGA-PA(hinga=fall from an erect position,be killed,be overcome with astonishment or fear,be outdone in a contest;pa=touch,reach,be connected with,block up,assault,stockade)、「(昔オオクニヌシや兄達が参加した八上媛の妻問いの)競争が行われた故事に関係する(地域)」または「(昔オオクニヌシが兄達に成功を妬まれて迫害されたという)名誉を失墜した故事に関係する(地域)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」となつた)(この故事については、古典篇(その二)の2「オオクニヌシ」神話の真実の項を参照して下さい。)

の転訛と解します。

 

(2)巨濃(この)郡

 

a 巨濃(この)郡・岩井(いわい)郡

 古代から中世の郡名で、因幡国の東端、蒲生川・小田川の流域に位置し、北は日本海、南と西は法美郡に接します。近世には岩井(いわい。初期には「石井」とも)郡と改称されました。おおむね現岩美郡岩美町、福部村の区域です。

 『和名抄』は「古乃(この)」と訓じています。

 この「この」は、郡内の大野(おほの)郷にちなんで大野郡であったものが好字化して巨濃郡となったとする説がありますが、郡内の石井(いわい)郷には式内社の「許野乃兵主(こののひょうず)神社」があり、やはりもともと「この」であったと考えられます。

 岩美町岩井は、早くから開けた場所で、史跡岩井廃寺塔跡があり、宇治長者伝説をもち、柄杓で湯をかぶって入浴する風習(この風習は、日本海沿岸地帯にはかなり広くあったようです)で知られる岩井温泉が湧出しています。この「いわい」は、「石の多い川」とする説があります。

 この「この」、「いわい」は、マオリ語の

  「コノ」、KONO(bend,loop,noose)、「屈曲した(海岸がある地域)」(この地形的特徴は、因幡国の中で浦富(うらどめ)海岸をもつこの郡だけの特徴です。)

  「イ・ワイ」、I-WHAI(i=beside,ferment;whai=possessing,settled,constantly resident,cat's-cradle)、「定住地一帯」、「温泉が湧く場所」または「(繁栄を極めた宇治長者が)あっという間に没落した(場所)」

の転訛と解します。

 

b 浦富(うらどめ)海岸・駟馳(しち)山

 浦富海岸は、県東部の東は兵庫県境から西は駟馳(しち)山(314メートル)までの屈曲に富み、海食崖、海食洞の多い岩石海岸で、山陰海岸国立公園の核心部です。駟馳山の西には鳥取砂丘が連なります。

 この「うらどめ」、「しち」は、マオリ語の

  「ウラ(ン)ガ・タウ・マイ」、URANGA-TAU-MAI(uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival;tau=ridge of a hill,come to rest,float,lie steeping in water;mai=to indicate direction or motion towards)、「岩山が海に浮かんで連なっている(海岸)」

  「チチ」、TITI(peg,comb for sticking in the hair,long streaks of cloud)、「梳(とか)した髪(砂丘)に挿した櫛(のような山)」

の転訛と解します。

 

(3)法美(ほうみ)郡

 

a 法美(ほうみ)郡

 古代から明治までの郡名で、北は巨濃郡、東は但馬国、南は八上郡、西は邑美郡に接します。袋川流域と塩見川流域にあり、おおむね現岩美郡国府町、鳥取市の北東部及び南東部の一部の区域です。

 『和名抄』は「波不美(はふみ)」と訓じています。

 この「ほうみ」は、隣接する邑美郡に対して「秀邑美(ほおうみ)」からとする説があります。

 この「はふみ」は、マオリ語の

  「ハウミ」、HAUMI(join,lengthen by addition,lay aside,bow of a canoe)、「カヌーの舳先(のように先端が扇ノ山へ向かって高くなっている地域)」(AU音がOU音に変化して「ホウミ」となった)

の転訛と解します。

 

b 袋(ふくろ)川・扇ノ山(おうぎのせん)・宇倍(うべ)神社

 法美郡を貫流する袋川は、郡の東南端、但馬国との国境に近い扇ノ山(1,310メートル)に源を発します。国府町の西部にはもと因幡国府があり、その北の稲葉山の麓、もと宇倍野(うべの)村に、沓だけを残して消え去ったと伝えられる武内宿禰を祀る式内社の因幡国一宮、宇倍神社があり、その境内には亀丘古墳があります。

 この「ふくろ」、「おうぎのせん」、「うべ」は、マオリ語の

  「プク・ロ」、PUKU-RO(puku=swelling;ro=roto=inside)、「内部が膨らんでいる(高い膨らんだ扇ノ山から流れてくる・川)」(「プク」のP音がF音を経てH音に変化して「フク」となった)

  「ア・フ(ン)グイ・ナウ・テ(ン)ガ」、A-HUNGUI-NAU-TENGA(a=the...of,belonging to;hungui=the top of the digging pole;nau=come,go;tenga=Adam's apple,distend,gorged)、「掘り棒(のような尾根)のてっぺん(最上部)が集まって(喉ぼとけのように)膨れ上がっている(山)」(「ア」と「フ(ン)グイ」のH音が脱落した語頭のU音が連結してOU音となり、「フ(ン)グイ」のNG音がG音に、UI音がI音に変化して「オウギ」となり、「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となり、「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「セン」となった)

  「ウ・ペ」、U-PE(u=breast of a female,be firm,be fixed;pe=crashed,soft)、「崩れた乳房(のような丘・そのそばにある神社)」または「(沓だけを残して)消え去ってそこに止まつた(武内宿禰を祀る神社)」

の転訛と解します。

 

(4)八上(やかみ)郡

 

a 八上(やかみ)郡

 古代から明治の郡名で、鳥取県の東部の中央に位置し、北は高草郡、邑美郡、法美郡、東は但馬国、東から南は播磨国、南は智頭郡に接します。郡域は、八東(はっとう)川、私都(きさいち)川、曳田(ひけた)川流域とこれらの川が千代川に合する合流点の地域で、おおむね現八頭郡河原(かわはら)町、郡家(こおげ)町、船岡(ふなおか)町、八東(はっとう)町、若桜(わかさ)町の区域です。

 このうち郡家町(西部の一部の区域を除く)、八東町、若桜町の区域は、平安末期に八東(はっとう)郡として独立し、明治29年八上郡は八東郡、智頭(ちず)郡と合併して八頭(やず)郡となりました。

 『和名抄』は「夜加美(やかみ)」と訓じています。郡名は、(1)「ヤ(土地)・カミ(上流)」で河川の上流域の意、

(2)「ヤ(多数)・カミ(神)」で、式内社が多いことからなどの説があります。

 この「やかみ」は、マオリ語の

  「イア・カミ」、IA-KAMI(ia=current,indeed;kami=eat)、「川に呑み込まれる(洪水が襲う・地域)」

の転訛と解します。

 

b 河原(かわはら)町・曳田(ひけた)川・郡家(こおげ)町・私都(きさいち)川・船岡(ふなおか)町・若桜(わかさ)町

 河原町は、鳥取市の南に隣接し、その中を曳田川が貫流して千代川、八東川と合流します。町名は、これらの川の合流点にあるところからの名称です。

 郡家町は、国府町の南、扇ノ山の山麓に位置し、私都(きさいち)川が貫流しています。中心集落の郡家には若桜(わかさ)街道が通り、周辺の丘陵には古墳などの遺跡が多く存在します。町名は、「高下(水が乏しい小高いところ)」の転訛とされます。

 船岡町は、中世以来の郷名で、八東川に注ぐ大江川、見槻川の流域の町で、江戸時代鳥取への高瀬舟水運(雑楽篇の「1001たかせぶね」の項を参照して下さい。)の起点でした。

 若桜町は、古代以来の郷名で、中央を流れる八東川沿いに谷を遡って戸倉(とくら)峠を越えて播磨国へ抜ける若桜街道が通り、中世には城下町、江戸時代には宿場町として栄えました。

 この「かわはら」、「ひけた」、「こおげ」、「きさいち」、「ふなおか」、「わかさ」、「とくらとうげ」は、マオリ語の

  「カワ・パラ」、KAWA-PARA(kawa=heap,channel,passage between rocks or shoals;para=small fragment,cut down bush,clear)、「清らかな河原」

  「ヒカイ・タ」、HIKAI-TA(hikai,hikaikai=move the feet to and fro,writhe,be impatient;ta=dash,beat,lay)、「(洪水時に)もがきながら襲ってくる(川)」(「ヒカイ」のAI音がE音に変化して「ヒケ」となった)

  「コウ・(ン)ゲ」、KOU-NGE(kou=knob,stump;nge=noise,screech,thicket)、「(洪水に襲われて)悲鳴を上げる丘(がある土地)」

  「キ・タイ・チ」、KI-TAI-TI(ki=to the place,at,upon,full;tai=wave,violence,rage;ti=throw,cast)、「(洪水時に)波が荒々しく打ち寄せる(川)」

  「フナ・オカ」、HUNA-OKA(huna=conceal,destroy,devastate;(Hawaii)oka=dregs,sediment,grounds)、「(洪水で)破壊され尽くした土地」

  「ワカ・タ」、WAKA-TA(waka=canoe,any long narrow receptacle;ta=dash,beat,lay)、「長くて細長いカヌーが横たわっている(ような谷・その地域)」

  「ト・クラ・タウケ」、TO-KURA-TAUKE(to=the...of,be pregnant,drag,calm;kura=red,ornamented with feathers,precious;tauke=apart,separate)、「(羽根で飾られたような)美しい・(国を)隔てる・場所(峠)」

の転訛と解します。

 

(5)智頭(ちず)郡

 

a 智頭(ちず)郡

 古代から明治の郡名で、鳥取県の東部の南に位置し、北は八上郡、南は美作国、西は伯耆国河村郡に接します。千代(せんだい)川上流域とその支流佐治(さじ)川、土師(はじ)川の流域からなり、南部は中国山地の山間部です。おおむね現八頭郡佐治村、用瀬(もちがせ)町、智頭(ちず)町の区域です。

 『和名抄』は「知豆(ちず)」と訓じています。

 この「ちず」は、(1)『日本後紀』大同3年条に当郡道俣駅を「ちまた」と訓じているところから、「チ(道)・ズ(頭)」(都から因幡国に入る最初の郡)の意から、

(2)「ツツ(筒)」状の地形の土地の意とする説があります。

 この「ちず」は、マオリ語の

  「チヒ・ツ」、TIHI-TU(tihi=summit,top,topknot of hair,raised fortification;tu=stand,settle)、「(郡の中で)一番高いところに位置する(地域)」

の転訛と解します。

 

b 佐治(さじ)川・用瀬(もちがせ)町・土師(はじ)川・駒返(こまがえり)・志戸坂(しどさか)峠・那岐(なぎ)山・黒尾(くろお)峠

 佐治川は、因幡、伯耆、美作の三国の境にある三国山に源を発し、佐治村を貫流して用瀬で千代川に合流します。吉田東伍『大日本地名辞書』は、『和名抄』の智頭郡「佐沼」郷は「佐治」の誤りとし、「佐治」は名義不詳とします。この「さじ」、「さち」は、「サ(狭、美称)・ウチ(内)」の略で「山間小盆地」の意とする説があります。

 用瀬は、千代川と佐治川の合流点に形成された谷口集落で、智頭街道の宿場町であり、高瀬舟水運の起点でした。

 土師川は、美作国との境の那岐(なぎ)山(1,240メートル)北面に源を発し、智頭町の西部を流れて、東部から流れてくる千代川と智頭で合流します。

 智頭街道は、美作国との境に近い沖ノ山(1,319メートル)南面に源を発する千代川を遡り、駒返(こまがえり)を経て志戸坂(しどさか)峠を越え、佐用からの因幡街道に接続(現国道373号線)します。このルートが江戸時代の参勤交代でよく使われています。また、智頭で分岐して土師川を遡り、那岐山の東の黒尾(くろお)峠を越え、津山からの備前街道に接続する作州往来(現国道53号線)もありました。

 この「さじ」、「もちがせ」、「はじ」、「こまがえり」、「しどさかとうげ」、「なぎ」、「くろおとうげ」は、マオリ語の

  「タハ・チ」、TAHA-TI(taha=side,edge;ti=throw,cast,overcome)、「山裾を抉って流れる(川・その流域の土地)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」から「サ」となった)

  「モチ・(ン)ガテ」、MOTI-NGATE(moti=consumed,scarce,surfeited;ngate=move,shake)、「激しく動くのに疲れた(川の流れが緩くなつた場所)」(「(ン)ガテ」のNG音がG音に変化して「ガテ」から「ガセ」となつた)

  「パチ」、PATI(shallow water)、「浅瀬(の多い川)」(P音がF音を経てH音に変化して「ハチ」か「ハジ」となつた)

  「コウマ・カヘ・リ」、KOUMA-KAHE-RI(kouma=breastplate,breastbone;kahe,kahekahe=pant;ri=protect,screen,bind)、「息せき切って登る胸板のような(嶮しい場所)」

  「チト・タカ・タウケ」、TITO-TAKA-TAUKE(tito=shaggy;taka=fall off,turn on a pivot,go or pass round,heap;tauke=apart,separate)、「草深い高みにある(国を)隔てる場所(峠)」

  「ナキ」、NAKI(glide,move with an even motion)、「緩やかに流れる(ような地形の山)」

  「ク・ロアウ・タウケ」、KU-ROAU-TAUKE(ku=silent;roau=rail in a fence;tauke=apart,separate)、「(国の境の)垣根の手摺を伝つて越えるような静かな(国を)隔てる場所(峠)」(「ロアウ」のAU音がO音に変化して「ロオ」となった)

の転訛と解します。

 

(6)邑美(おうみ)郡

 

 古代から明治の郡名で、鳥取県の東部に位置し、北は日本海、東は法美郡、南は八上郡、西は高草郡に接します。郡域の大部分は千代(せんだい)川以東の袋川下流域です。おおむね現鳥取市の千代川右岸の区域(東部および東南部の一部の区域を除く)です。

 古代には、千代川・袋川の下流域から河口付近、砂丘の内側には大きな潟(ラグーン)や淡水湖があり、それが現在の多鯰ケ池(たねがいけ)、八幡(はちまん)池として残ったものと推定されています。郡名の初見である神亀3年「山背国愛宕郡雲下里計帳」(正倉院文書)にみえる「因幡国海郡」は、近江国が琵琶湖に由来する国名であるのと同様、淡水湖に由来すると考えられます。

 『和名抄』は「於不美(おふみ)」(高山寺本は「於保美(おほみ)」)と訓じています。

 この「おうみ」は、(1)「大海」の意、

(2)「アハ(淡)・ウミ(海、水面)」の約で「アフミ(淡水の海)」の意(「近江」と同じ)、

(3)「オホ」の「ホ」は海岸に突出した岬や、平地に張り出した山の尾根の端を指す、

(4)「負ふ」で「山などを背にした地」の意とする説などがあります。

 この「おうみ」は、マオリ語の

  「オフ・ミ」、OHU-MI(ohu=surround;mi=stream,river)、「水(湖、潟(ラグーン)、川など)を囲んでいる(地域)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」となつた)

の転訛と解します。

 

(7)高草(たかくさ)郡

 

 古代から明治の郡名で、県の東部に位置し、北は日本海、東は千代川を隔てて邑美郡、南は八上郡、西は鷲峰(じゅうぼう)山から北へ伸びる尾根を境に氣多郡に接します。千代川下流域の鳥取平野の千代川西岸の地域で、その中に東西4キロメートル、南北2.4キコメートル、周囲16キロメートルのラグーンである湖山(こやま)池があります。明治29年氣多郡と合併して気高郡となりました。おおむね現鳥取市の区域(千代川東岸の区域を除く)です。

 『和名抄』は「多加久佐(たかくさ)」と訓じています。

 この「たかくさ」は、(1)「野の中に草が高かつた」ため(『因幡国風土記逸文』)、

(2)「もと竹林があった」ため(『因幡国風土記逸文』)、

(3)「タカ(美称)・クサ(朽ち、湿地)」の意とする説などがあります。

 この「たかくさ」は、マオリ語の

  「タ・カク・タ」、TA-KAKU-TA(ta=the...of;kaku=scrape up,scoop up,bruise;ta=dash,beat,lay)、「土を掘り上げたところ(湖山池)が横たわっている(地域)」

の転訛と解します。

 

(8)鳥取(とっとり)市・千代(せんだい)川・浜坂(はまさか)砂丘・福部(ふくべ)砂丘・多鯰ケ池(たねがいけ)・八幡(はちまん)池・賀露(かろ)・湖山(こやま)池・白兎(はくと)海岸

 

 鳥取市の区域は、おおむねもと邑美郡および高草郡の区域に属し、千代(せんだい)川下流域に開けた鳥取平野のほぼ全域を占め、北は日本海に面し、周辺部は山地が広がります。地名は、『和名抄』の邑美郡鳥取郷に由来し、『日本書紀』垂仁紀23年10月条に鳥取(ととり)部の起源説話があり、この鳥を捕らえる鳥取部が住んでいたことによるとされます。

 千代川は、沖ノ山から発し、上流部で土師川、中流部で八東川、佐治川を合わせ、下流部で袋川、野坂川などと合流し、鳥取市賀露(かろ)で日本海に注ぎます。上流部は西日本有数の林業地帯で、下流には鳥取平野が広がります。この川は、過去1200年間に200回以上の洪水記録があり、詳細な記録がある近世の250年間には100回以上の記録がある暴れ川でした。

 千代川の河口両岸には、西岸に湖山(こやま)砂丘、東岸に天然記念物に指定されている浜坂(はまさか)砂丘、福部(ふくべ)砂丘などが連なります。浜坂砂丘などの凹地の底からは縄文から古墳時代にかけての遺物が出土するほか、内陸の風化の進んだ砂丘の砂は黄灰色でなく、黄赤色であることが注目されます。

 浜坂砂丘の内側には、かつて河口の潟湖であった龍神伝説がある多鯰ケ池(たねがいけ)・八幡(はちまん)池が残つています。

 千代川の河口に古くから栄えた賀露(かろ)港(現鳥取港)があります。『三代実録』貞観3(861)年条に「賀露神に従5位下を授けた」とあり、『因幡堂薬師縁起』には長徳3(997)年に賀留(かる)の沖で薬師如来像を引き揚げて祀つたとあり、古くは「かろ」または「かる」といっていたようです。この「かろ」または「かる」は、(1)アイヌ語「カル(回る、巻く、曲がる)」から、(2)地形語「カロ(崖・洞)」、または「カル(崖・洞)」からとする説があります。

 千代川西岸の湖山砂丘の内側には、かつて潟湖であった湖山(こやま)池があります。湖山の地名は、湖山川以西、湖山池東・北岸の地域を指し、もと湖山村の区域で、昔夕日を招き返して田植えを行ったため、一夜にして美田が湖に変わったという湖山長者の伝説が残ります。

 湖山砂丘の西に白兎(はくと)海岸があり、小岬と於岐の島との間に点々と岩礁が連なる場所があって、「因幡の白兎」伝説が残ります。

 この「とっとり」、「せんだい」、「はまさか」、「ふくべ」、「たねが(池)」、「はちまん」、「かろ」、「こやま」、「はくと」は、マオリ語の

  「ト・トリ」、TO-TORI(to=the...of;tori=cut)、「(川や湿地で)分断されている(あの土地)」

  「テネ・タイ」、TENE-TAI(tene=be importunate;tai=tide,wave,anger,violence)、「しつこく暴れまくる(川)」(「テネ」の語尾のE音が脱落して「テン」から「セン」となった)

  「ハ・マタカ」、HA-MATAKA(ha=what!;mataka=red,wild,fearful,crash)、「何と恐ろしい(砂が集落を埋めた・赤い砂の)場所」

  「フク・ペ」、HUKU-PE(huku=tail;pe=crushed,mashed)、「(浜坂砂丘の)尻尾が粉々になつた(場所にある砂丘)」

  「タ(ン)ゲ(ン)ガ(ン)ゲ(ン)ガ」、TANGENGANGENGA(loose,not firmly fixed)、「(大きさ、位置などが)固定しない(変動する・池)」(反復語尾の「(ン)ゲ(ン)ガ」が脱落し、「(ン)ゲ」のNG音がN音に、「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「タネガ」となった)

  「パチ・マヌ」、PATI-MANU(pati=shallow water;manu=overflow,float)、「浅くてよく溢れる(池)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハチ」と、「マヌ」の語尾のU音が脱落して「マン」となつた)

  「カロ」、KARO(parry,avoid a blow,a protective spell)、「風を避ける(港)」または「カル」、KARU(spongy matter enclosing the seeds of a gourd)、「中身が軟らかいひょうたんのような潟(にある港)」

  「コイ・アマ」、KOI-AMA(koi=promontry,headland,almost,good,move about;ama=outrigger of a canoe)、「カヌーのアウトリガーのように日本海と湖山池に挟まれた細長い半島状の土地(その土地に接する池・川)」(「コイ」の語尾の「イ」と「アマ」の語頭の「ア」が連結して「ヤ」となつた)

  「ハク・ト」、HAKU-TO(haku=complain of,find fault with,cold;to=drag,wet,tingle,calm)、「(騙された鰐が兎に)不平を言つて引っ張つた(皮を剥いだ・海岸)」

の転訛と解します。

 

(9)氣多(けた)郡

 

a 氣多(けた)郡

 古代から明治の郡名で、県の中部に位置し、北は日本海、東は高草郡、南から西は伯耆国に接します。鷲峰(じゅうぼう)山に源を発する河内川水系流域の山東(やまひがし)地域とその西の日置川・勝部川流域の山西(やまにし)地域からなります。おおむね現気多郡青谷(あおや)町、気高(けたか)町、鹿野(しかの)町の区域です。明治29年高草郡と合併して気高郡となりました。

 この「けた」は、「キダ・キタ(刻(きだ)む、断崖、自然堤防など)」の転とする説があります。

 この「けた」は、マオリ語の

  「ケ・タ」、KE-TA(ke=strange,different;ta=lay,dash,beat)、「(ずっと砂浜海岸が続く中に)異様な変わったもの(溶岩が押し出した長尾鼻(ながおはな)半島)がある(地域)」

の転訛と解します。

 

b 青谷(あおや)町・長尾鼻(ながおはな)・夏泊(なつどまり)・浜村(はまむら)・鹿野(しかの)町・鷲峰(じゅうぼう)山

 青谷(あおや)町は、日置川と勝部川の流域にあり、沿岸部には溶岩台地の長尾鼻(ながおはな)が日本海に半島状に突出し、その根元には海女の里、夏泊(なつどまり)漁港があります。

 鹿野(しかの)町は、古代の郷村名は「口沼(かぬ)」で、中心集落の鹿野には中世に志加奴(しかぬ)氏が鷲峰(じゅうぼう)山(921メートル)の麓に鹿野(しかの)城を築いて代々の居城とし、後亀井氏の城下町となりました。

 この「あおや」、「ながおはな」、「なつどまり」、「しかの」、「じゅうぼう」は、マオリ語の

  「アオ・イア」、AO-IA(ao=scoop up with both hands,take in quantities;ia=current,indeed)、「(勝部・日置の二つの)川が両手ですくい取るように浸食した(場所)」

  「ナ・(ン)ガオ・ハ(ン)ガ」、NA-NGAO-HANGA(na=belonging to,by;ngao=dress timber with an axe,alternate ridge and depression,sprout;hanga=head of a tree)、「でこぼこしている樹木の先端のような(海に突き出ている半島)」(「(ン)ガオ」のNG音がG音に変化して「ガオ」と、「ハ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ハナ」となった)

  「ナツ・トマ・リ」、NATU-TOMA-RI(natu=scratch,tear out,angry;toma=resting place for bones;ri=protect,screen,bind)、「(大地を)引き裂いて(舟の)休息のための防波堤とした(場所にある港)」

  「チ・カ・ヌイ」、TI-KA-NUI(ti=throw,cast,overcome;ka=take fire,be lighted,burn;nui=large,big,many)、「大きな集落を占拠した(部族。その住む土地)」

  「チウ・ポウ」、TIU-POU(tiu=soar,wander,strike with a weapon;pou=pole,support,erect a stake,establish)、「立てた柱が崩されてあちこちに散らばったような(嶮しくて尾根が南北に伸びている山)」

の転訛と解します。

 

(10)伯耆(ほうき)国

 

 鳥取県の西部に位置し、北は日本海に面し、中央部に大山(だいせん)が聳え、南部には中国山地の山々が連なり、東部には天神川流域の倉吉平野、西部には日野川流域の米子平野が広がり、北西には弓浜半島の大砂州が伸びており、東は因幡国、南は美作国、備中国、備後国、西は出雲国に接します。

 古代には、河村(かわむら)郡、久米(くめ)郡、八橋(やはし)郡、汗入(あせり)郡、会見(あいみ)郡、日野(ひの)郡の6郡がありました。

 国名は、『和名抄』は「波々伎(ははき)」と訓じています。

 その由来については、(1)『伯耆国風土記逸文』は、テナヅチ・アシナヅチの娘イナダヒメがヤマタノオロチから山中に逃れたが、母が遅く来たので「母来ませ、母来ませ」といったことによるとし、

(2)イザナミノミコトの葬地で「母君」に由来する、

(3)「母墓」から、

(4)「箒」から、

(5)ふいごの古称「ハフサ」から、

(6)「ハ(端)・ハキ(崖)」で、大山火山による崩れやすい溶岩地形、火山灰地を指すなどの説があります。

 なお、天神川下流域には河村郡に式内社波々伎(ははき)神社が鎮座し、中流域に国府が置かれる以前の中心地で、国名もこの神社名に由来するのではないかという説がありますが、因幡国式内社50座に対し伯耆国式内社は僅かに6社で、波々伎神社は一宮(久米郡倭文神社)ではないことからすると、極めて疑問です。

 この「ははき」、「ほうき」は、マオリ語の

  「ハハキ」、HAHAKI(ostentatious,vain)、「見栄を張っている(大山という見掛けは立派だが、裏側は空虚な山を見せびらかしている・国)」または「ハハ・キ」、HAHA-KI(haha=seek,search,procure;ki=full,very)、「豊作をもたらす(神。神社)」

  「ハウ・キ」、HAU-KI(hau=wind,breath,famous,project;ki=full,very)、「風が吹くことが多い(国)」(「ハウ」のAU音がOU音に変化して「ホウ」となつた)(俗に「風の伯耆」、「雨の因幡」と称されました。)

の転訛と解します。

 

(11)河村(かわむら)郡

 

a 河村(かわむら)郡

 古代から明治の郡名で、伯耆国の東部、県の中部に位置し、北は日本海に面し、天神川上流域とその支流三朝川流域、天神川中・下流右岸の地域に立地し、南は中国山地の山間地帯で、東は因幡国、南は美作国、西は久米郡に接しています。おおむね倉吉市の東北部の一部(天神川右岸)の区域、東伯郡羽合(はわい)町、泊(とまり)村、東郷(とうごう)町、三朝(みささ)町の地域です。明治29年久米郡、八橋郡と合併して東伯郡となりました。

 『和名抄』は「加波无良(かはむら)」と訓じています。郡名は、「川沿いの村」、または「川漁を生業とする民の村」の意とする説があります。

 この「かわむら」は、マオリ語の

  「カハ・ム・ラ」、KAHA-MU-RA(kaha=rope,boundary line of land,edge;mu=silent;ra=wed)、「静まりかえっている土地が連なる境界の土地」

の転訛と解します。

 

b 羽合(はわい)町・北条河・天神川・東郷(とうごう)池・橋津(はしづ)・馬(うま)ノ山

 羽合(はわい)町は、日本海に注ぐ天神川河口東岸にあり、海岸には北条(長瀬)砂丘が、その南には淡水の潟湖の東郷(とうごう)池が、東郷池から日本海へ流れ出る川の河口に古くから港として栄えた橋津(はしづ)の地が、橋津の東には山陰地方最大級の前方後円墳があり、豊臣軍と毛利軍が対峙した馬(うま)ノ山があります。

 かつて天神川は北条(ほうじょう)河といい、河口近くでS字形にカーブして現在の河口よりも東の橋津付近で日本海に注いでいました(正嘉2(1258)年「伯耆国東郷荘和与中分絵図」による。黒田日出男『謎解き日本史・絵画史料を読む』人間大学テキスト、NHK出版、平成11年)。江戸時代に北条町江北の天神山を開削して現在のような一直線の河道に改修し、「天神(てんじん)川」と改名されました。

 なお、東郷池周辺をその区域とする「東郷荘」は、平安末期の康和5(1103)年の「倭文神社経筒銘」に「山陰道伯耆国河村東郷」とある地が荘園となり、後に荘園内に西郷の地名が生じたとされます(『角川地名大辞典』)から、この東郷は東郷池が先にあって成立したものと考えます。

 この「はわい」、「ほうじょう」、「てんじん」、「とうごう」、「はしづ」、「うま」は、マオリ語の

  「ハワイ」、HAWAI(watercourse,channel,shallow of a lagoon or swamp)、「川の水路や潟の浅瀬(がある場所)」

  「ハウ・チオフ」、HAU-TIOHU(hau=eager,seek,vitality of man;tiohu=stoop)、「暴れ川が身体を屈(かが)めている(河道がS字形にカーブしている場所。そこを流れる川。その近くの砂丘)」(「ハウ」のAU音がOU音に変化して「ホウ」と、「チオフ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」、「ジョウ」となった)または「ホウ・チオ」、HOU-TIO(hou=bind;tio=rock oyster)、「岩牡蛎を並べた(ような砂丘。その砂丘がある土地。そこを流れる川)」

  「テ(ン)ガ・チノ」、TENGA-TINO(tenga=Adam's apple,goitre;tino=essentiality,reality,main)、「全く・のど仏のような(膨らんだ。山。その山を堀割つた川)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「テン」と、「チノ」が「チン」、「ジン」となった)

  「トウ・(ン)ガウ」、TOU-NGAU(tou=wet,dip into a liquid,kindle;ngau=bite,hurt,attack,wander)、「大地が噛み切られて水に浸かっている(場所・湖)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がOU音に変化して「ゴウ」となつた)

  「パチ・ツ」、PATI-TU(pati=shallow water;tu=stand,settle)、「浅瀬がある(場所・そこを流れる川)」

  「ウマ」、UMA(breast,chest)、「胸のような(山)」

の転訛と解します。

 

c 三朝(みささ)町・三徳(みとく)川(山)・小鹿(おしか)川(峡)・人形(にんぎょう)峠

 三朝町は、倉吉市の東、南は岡山県に接する町で、町名は古代の郷名により、「屋根をクマザサで葺いた」ことに由来するとされます。町は、四方を山に囲まれ、天神川の支流三徳(みとく)川、小鹿(おしか)川、加茂(かも)川が流れ、ラジュウム含有量世界一の三朝温泉、山岳修験の道場があった三仏寺のある三徳山(900メートル)、小鹿渓谷があり、津山往来が人形峠を越えて美作国に通じています。

 この「みささ」、「みとく」、「おしか」、「にんぎょう」は、マオリ語の

  「ミ・タタ」、MI-TATA(mi=stream,river;tata=dash down,strike repeatedly,bail water out of a canoe)、「奔流する川(その川の流れる場所)」

  「ミ・ト・ク」、MI-TO-KU(mi=stream,river;to=drag,wet,calm;ku=silent)、「静かに力強く流れる川(その川が流れる場所にある山)」

  「オチ・カハ」、OTI-KA(oti=finished;kaha=rope,boundary line of land,edge)、「境界の尽きるところ(そこを流れる川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「ニヒ・(ン)ギ(ン)ギオ」、NIHI-NGINGIO(nihi=steep;ngingio=wrinkled,shrivelled)、「皺が寄つて嶮しい(山・峠)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」と、「(ン)ギ(ン)ギオ」の初めのNG音がN音に変化してI音が脱落し、次のNG音がG音に変化して「ンギオ」から「ンギョウ」となった)

の転訛と解します。

 

(12)久米(くめ)郡

 

a 久米(くめ)郡

 古代から明治の郡名で、県の中部、北は日本海、東は河村郡、南は美作国、西は八橋(やはし)郡に接し、海岸部には北条(ほうじょう)砂丘、中央部から北部にかけては倉吉平野が広がり、天神(てんじん)川とその支流小鴨(おがも)川、国府(こう)川が流れます。おおむね現倉吉(くらよし)市(東部の天神川右岸の地区を除く)、東伯郡北条町、関金(せきがね)町の区域です。

 この「くめ」は、(1)久米(くめ)部が居住したことに由来する(この久米部は、肥(クマ)で肥人すなわち熟化した隼人を組織化し大伴氏の指揮下に置かれた軍事集団とする説があります)、

(2)「クミ(入り組んだところ)」、「クルメキ(川などの転回するところ)」が転じて「クルメ」、「クメ」となつたとする説があります。

 この「くめ」は、マオリ語の

  @「クメ」、KUME(pull,drag,stretch,asthma)、「(天神川が他の諸河川を)引っ張っている(地域)」

  またはA「クフ・マイ」、KUHU-MAI(kuhu=thrust in,insert;mai=hither,to indicate direction or motion towards)、「(川が集まって海へ向かって)突き進んで行く(先細の地域)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  またはB「ク・フメ」、KU-HUME(ku=silent;hume=bring to a point,taper off,gather up,gird on)、「帯を引き回した静かな(地域)」

の転訛と解します。

 なお、美作国(岡山県)久米郡は、@またはAで「(津山盆地へ向かつて)先細になつている(地域)」の意、沖縄県久米島は、Bで「(周囲に大きな珊瑚礁(御願干瀬、うがんびし)の)帯を引き回した静かな(島)」の意と解します。

 また、久米部は、@「(先頭に立って他の部隊を)引っ張って行く(部隊)」またはA「(敵陣を突き刺すように)突進して行く(部隊)」の意と解します。

 

b 北条(ほうじょう)町・倉吉(くらよし)市・小鴨(おがも)川・国府(こう)川・打吹(うつぶき)山・向(むこう)山・上井(あげい)・関金(せきがね)町・犬挟(いぬばさり)峠・白金(しらかね)の湯

 北条(ほうじょう)町は、天神川西岸に位置し、海岸に北条砂丘が連なる町で、地名は古代条里制によるとされます。

 倉吉(くらよし)市は、天神川と小鴨(おがも)川の流域にあり、小鴨川と国府(こう)川が合流して打吹(うつぶき)山と向山の間を流れるあたりが中心市街地で、その南の打吹山に戦国時代末期山名氏が城を築いてから城下町として発展しました。小鴨川が天神川と合流した下流にもう一つの中心市街地、JR山陰本線倉吉駅がある上井(あげい)地区があります。市内には伯耆国府跡・国分寺跡が発掘されています。倉吉の地名は、(1)「暮らしよい」町から、

(2)天正10(1582)年近くの岩倉城が落城してそこの住人がここに移住し、住吉神社を中心とする地域と地続きの町を作つたので岩倉の「倉」と住吉の「吉」をとって「倉吉」とした、

(3)「クラ(刳る、谷、崖)・ヨシ(芦、葦、良い)」からで「谷間の良い土地」とする説などがあります。

 関金(せきがね)町は、倉吉市の南にあり、倉吉から犬挟(いぬばさり)峠を越えて勝山に至る美作往来の宿場町で、町名は関金温泉にちなみます。関金温泉は、透明な温泉で、古くは白金(しらかね)の湯といいました。

 この「ほうじょう」、「くらよし」、「おがも」、「こう」、「うつぶき」、「むこう」、「あげい」、「せきがね」、「いぬばさり」、「しらかね」は、マオリ語の

  「ホウ・チオ」、HOU-TIO(hou=bind;tio=rock oyster)、「岩牡蛎を並べた(ような砂丘。その砂丘がある土地。そこを流れる川)」

  「クフ・ラ・イオ・チ」、KUHU-RA-IO-TI(kuhu=thrust in,insert;ra=wed;io=current,indeed;ti=throw,cast)、「(打吹山と向山の間を、小鴨川と国府川が合流して)連合して突き進む川が流れる(場所)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「イオ」が「ヨ」となつた)

  「オ(ン)ガ・マウ」、ONGA-MAU(onga=agitate,shake about;mau=carry,bring,fixed,continuing)、「勢い良く流れ続ける(川)」(「オ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「オガ」と、「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となった)

  「コウ」、KOU(knob,the bend near the point of a bone or wooden fish-hook)、「(小鴨川に対して)釣り針の返りのように曲がっている(川)」

  「ウツ・プキキ」、UTU-PUKIKI(utu=spur of a hill,dip up water;pukiki=stunted,puny)、「ちっぽけな丘」(「プキキ」の反復語尾の「キ」が脱落して「プキ」から「ブキ」となつた)

  「ム・コウ」、MU-KOU(mu=silent;kou=knob,stump)、「木の切り株のような静かな(丘)」

  「ア(ン)ガイ」、ANGAI(north-north-west wind,on the west coast)、「西に河岸がある(土地)」(NG音がG音に、AI音がEI音に変化して「アゲイ」となった)

  「テキ・(ン)ガ(ン)ゲ」、TEKI-NGANGE(teki=outer fence of a stockade;ngange,ngangengange=pierced,perforated)、「外側の境界(国境)を抜ける(場所。そこにある温泉)」(「(ン)ガ(ン)ゲ」の初めのNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ガネ」となった)

  「イヌ・パタリ」、INU-PATARI(inu=drink;patari=divert,entice,provoke)、「水を飲んで・気を取り直す(場所。峠)」または 「イノイ・パタリ」、INOI-PATARI(inoi=pray,beg;patari=divert,entice,provoke)、「(あまりの険しさに身の安全を)祈らずにはいられない(峠)」(「イノイ」のOI音がU音に変化して「イヌ」と、「パタリ」が「バサリ」となつた)

  「チラ・(ン)ガ(ン)ゲ」、TIRA-NGANGE(tira=fin of a fish;ngange,ngangengange=pierced,perforated)、「魚の鰭のような山波を抜ける(場所。そこにある温泉)」(「(ン)ガ(ン)ゲ」の初めのNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ガネ」となった)

の転訛と解します。

 

(13)八橋(やはし)郡

 

a 八橋(やはし)郡

 古代から明治の郡名で、伯耆国の東部、県の中部に位置し、北は日本海に面して平野部があり、南半分は大山北東麓の山間地、丘陵地で、加勢蛇川、由良川、勝田川などが流れ、東は久米郡、南は美作国、西は汗入郡と接します。おおむね現西伯郡中山(なかやま)町の東部の一部の地域、東伯郡赤碕(あかさき)町、東伯(とうはく)町、大栄(たいえい)町の区域です。

 『和名抄』は「夜波志(やはし)」と訓じ、中世以降は「やばせ」と呼んでいます。

 この「やはし」は、(1)「ヤ(海岸の湿地)・ハシ(端。または砂丘の段=階(はし))」から、

(2)「ヤ(数多い)・ハシ(砂丘の段=階(はし))」からという説があります。

 この「やはし」は、マオリ語の

  「イア・パチ」、IA-PATI(ia=current,indeed;pati=shallow water,shoal,ooze,spurt,break wind)、「浅瀬の川(ばかりが流れる地域)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハシ」となった)

の転訛と解します。

 

b 赤碕(あかさき)町・船上(せんじょう)山・甲ケ山(かぶとがせん)・甲(きのえ)川・庄司(しょうじ)ケ滝・勝田(かつた)川・矢筈ケ山(やはずがせん)・地獄谷(じごくだに)・加勢蛇(かせいち)川・由良(ゆら)川

 赤碕(あかさき)町は、県中西部、大山の北の海岸に面し、地名は海食崖が海に突き出す地形によるとされます。南部の船上(せんじょう)山(616メートル)は後醍醐天皇の行在所があった場所で古戦場でもあり、さらにその南には大山の外輪山の甲ケ山(かぶとがせん。1,338メートル)が聳え、その西面からは甲(きのえ)川が、東面からは庄司(しょうじ)ケ滝を持つ勝田(かつた)川が流れ出しています。

 東伯(とうはく)町は、赤碕町の東にあり、地名は郡名によります。南部の甲ケ山の南には矢筈ケ山(やはずがせん。1,359メートル)があり、その南面の地獄谷(じごくだに)から加勢蛇(かせいち)川が流れ出しています。

 大栄(だいえい)町は、東伯町の東にある県下有数の農業地帯で、町名は由良町と合併する前の大栄町(大誠村、栄村が合併)の名によります。町を流れる由良(ゆら)川は、北東に流れた後北西に方向を変えて日本海に注ぎます。

 この「あかさき」、「せんじょう」、「かぶとがせん」、「きのえ」、「しょうじ」、「かつた」、「やはずがせん」、「じごくだに」、「かせいち」、「ゆら」は、マオリ語の

  「アカ・タキ」、AKA-TAKI(aka=clean off,scrape away,vine of any climbing plants;taki=take out of the way,track with a line from the shore)、「(岸から)はみ出した表面が拭い去られたような(場所)」

  「テノ・チオ」、TENO-TIO(teno=notched;tio=rock-oyster)、「ぎざぎざの岩牡蛎のような(山)」(「テノ」の語尾のO音が脱落して「テン」から「セン」となった)

  「カプ・トア(ン)ガ・テ(ン)ガ」、KAPU-TOANGA(kapu=hollow of the hands,curly of the hair;toanga=place of dragging)、「手のひらの窪みのような谷を引っ張り上げている(山)」(「トア(ン)ガ」のOA音がO音に、NG音がG音に変化して「トガ」となつた)

  「キ・(ン)ゴエ(ン)ゴエ」、KI-NGOENGOE(ki=full,very;ngoengoe=scream,screech)、「大きな悲鳴を上げて流れる(川)」(「(ン)ゴエ(ン)ゴエ」の反復語尾が脱落し、NG音がN音に変化して「ノエ」となつた)

  「チオ・チ」、TIO-TI(tio=cry,call;ti=throw,cast)、「悲鳴を上げている(滝)」

  「カハ・ツタ」、KAHA-TUTA(kaha=rope,noose,edge,ridge of a hill;tuta=back of the neck)、「後頭部に引掛けられた輪縄(甲ケ山の裏から流れ出す・川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「イア・パツ(ン)ガ」、IA-PATUNGA(ia=current,indeed;patunga=victim(patu=strike,kill))、「水の流れを犠牲としている(庄司ケ滝で流れを殺している・山)」

  「カハ・テイ・チ」、KAHA-TEI-TI(kaha=rope,noose;tei,teitei=high,loft,top;ti=throw,cast)、「高い山の頂き(大山)に引掛けられた輪縄のような(大山の上の方から流れてくる・川)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「チコ・ク・タ・ハ(ン)ギ」、TIKO-KU-TA-HANGI(tiko=evacuate the bowels;ku=silent;ta=dash,beat,lay;hangi=earth oven)、「崩れた大地の蒸し焼き穴を空にしたような静かな(谷)」(「ハ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「アニ」となり、その前の「タ」と連結して「タニ」となつた)

  「イ・フラ」、I-HURA(i=past tense,beside;hura=remove a covering,discover)、「(目隠しを)外したような(まっすぐ進めなくて急に流れの向きを変えて流れる・川)」(「フラ」のH音が脱落して「ウラ」となり、「イ」と連結して「ユラ」となった)または「イ・プラ」、I-PURA(i=past tense,beside;pura=any small foreign substance in the eye,blind,twinkle)、「眼の中にごみが入つたような(まっすぐ進めなくて急に流れの向きを変えて流れる・川)」(「プラ」のP音がF音を経てH音に変化して「フラ」となり、さらにH音が脱落して「ウラ」となり、「イ」と連結して「ユラ」となった)

の転訛と解します。

 

(14)汗入(あせり)郡

 

a 汗入(あせり)郡

 古代から明治の郡名で、伯耆国の北部、県の西部に位置し、北は日本海に面し、南端に大山(だいせん)が聳え、それを源とする下市川、名和川、阿弥陀川、佐陀川などが日本海に注ぎ、下流部に僅かに平野が広がります。東は八橋郡、西は会見郡と接します。おおむね現西伯郡淀江(よどえ)町(西部の一部の区域を除く)、大山(だいせん)町、名和(なわ)町、中山(なかやま)町の西部の区域です。

 『和名抄』は「安世利(あせり)」と訓じています。

 この「あせり」は、(1)「アセ(畦)・リ(裡、うち)」で水田に関係する地名、

(2)「アセ」は「アサ(低湿地、崖地)」の転、「セリ(せり出した地)」で、海岸、平野などに山が迫つた地の称との説があります。

 この「あせり」は、マオリ語の

  「ア・タイリ」、A-TAIRI(a=the...of,belonging to;tairi=be suspended,raised,block up)、「(大山や鍔抜山、鈑戸山、鍋山、豪円山、孝霊山などがあって)高くなっている(地域)」(「タイリ」のAI音がE音に変化して「テリ」から「セリ」となった)

の転訛と解します。

 

b 火神(ひのかみ)岳・大山(だいせん)・鍔抜(つばぬき)山・鈑戸(たたらど)山・鍋(なべ)山・豪円(ごうえん)山・孝霊(こうれい)山

 大山(だいせん)は、大山隠岐国立公園の中心をなすトロイデ型の火山で、最高峰は剣ケ峰(1,729メートル)で、中国地方の最高峰です。西から見た山容はなだらかで、伯耆富士、出雲富士とも呼ばれますが、北壁、南壁は断崖絶壁が続きます。古来信仰の山で、修験の山でした。

 『出雲国風土記』意宇郡の条は、気宇壮大な国引き神話を歌い、

  「国来(くにこ)々々と引き来縫へる国は、三穂の埼なり。持ち引ける綱は、夜見(よみ)の嶋なり。堅めて立てし加志(かし)は、伯耆の国なる火神岳、是なり。」

と、大山を火神(ひのかみ)岳と記し(「火」を「大」とした写本がありますが、ここでは「火」とします)、国引きの綱を結んだ杭であったとされます。

 大山の名は、伯耆・出雲国で最も雄大な山であることによるとされます。

 また、大山の北から西にかけては、寄生火山の鍔抜(つばぬき)山(705メートル)、鈑戸(たたらど)山(515メートル)、鍋(なべ)山(608メートル)、豪円(ごうえん)山(892メートル)、孝霊(こうれい)山(別名「瓦(かわら)山。751メートル)などがあります。

 この「ひのかみ」、「かし」、「だいせん」、「つばぬき」、「たたらど」、「なべ」、「ごうえん」、「こうれい」、「かわら」は、マオリ語の

  「ヒノ(ン)ガ・カミ」、HINONGA-KAMI(hinonga=doing,undertaking;kami=eat)、「(土地を)食べる・仕事(国引きの事業)を成し遂げた(山)」(「ヒノ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落し、「ヒノ」となった)

  「カチ」、KATI(block up,barrier,boundary,pale)、「(境界の)杭」

  「タイ・テ(ン)ガ」、TAI-TENGA(tai=wave,anger,rage;tenga=Adam's apple,goitre)、「(西側(表側)から見ると)(荒々しい)大波のような・(喉ぼとけのように)膨らんだ(山)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「テン」、「セン」となった)
または「タイ・テノ」、TAI-TENO(tai=wave,anger,rage;teno=notched)、「(南側(裏側)から見ると)荒々しい・(刻み目)断崖絶壁がある(山)」(「テノ」が「テン」、「セン」となった)

  「ツ・パヌク」、TU-PANUKU(tu=stand,settle;panuku=move on after,sledge)、「橇(そり)が置いてある(ような山)」

  「タタラ・ト」、TATARA-TO(tatara=fence,shrub;to=drag)、「垣根を引きずっている(ような山)」

  「ナペ」、NAPE(stone of a fruit,core of a boil)、「果物の芯(のような山)」

  「(ン)ガウ・ヘ(ン)ガ」、NGAU-HENGA(ngau=bite,hurt,attack;henga=circumstance etc. of erring)、「喰いちぎられた出来の悪い(山)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がOU音に変化して「ゴウ」と、「ヘ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「エナ」から「エン」となった)

  「コウ・レイ」、KOU-REI(kou=knob,stump;rei=leap,rush,run)、「(階段を)飛び跳ねているような(切り株が連なったような山)」

  「カワ・ラ」、KAWA-RA(kawa=heap;ra=wed)、「峰が連なった(山)」

の転訛と解します。

 

c 淀江(よどえ)町・佐陀(さだ)川・妻木晩田(むきばんだ)遺跡・名和(なわ)町・阿弥陀(あみだ川)・御来屋(みくりや)

 淀江(よどえ)町は、日本海の美保湾に面し、町名は近世の淀江宿にちなみます。古くは入江や湖であったという淀江平野に位置し、中心地の淀江は宿場町で、米の積出し港でした。大山北壁から流れ出す佐陀(さだ)川が町の西部を流れます。

 大山町と淀江町にまたがる丘陵上に、これまでに発見された中で最大規模(7地区計156ヘクタール)の弥生時代後期の集落跡、妻木晩田(むきばんだ)遺跡(大山町大字妻木字晩田の地名から命名)があり、平成11年に史跡指定を受けています。

 名和(なわ)町は、大山北麓の町で、名和川、阿弥陀(あみだ川)などが扇状地を形成しています。町名は正慶3(1333)年後醍醐天皇の隠岐脱出を援助して建武新政旗揚げの地となったた名和荘の地頭名和長年にちなみます。漁港のある御来屋(みくりや)には名和一族を祀る名和神社があります。

 この「よどえ」、「さだ」、「むきばんだ」、「なわ」、「あみだ」、「みくりや」は、マオリ語の

  「イオ・トエ」、IO-TOE(io=muscle,line,spur,lock of hair;toe=be left as a remnant,split)、「昔(大きな入江であった)名残りの水路(細い川。その場所)」

  「タタ」、TATA(dash down,break in pieces by dashing on the ground,strike repeatedly)、「繰り返し襲う(洪水を起こす・川)」

  「ム・キ・パ(ン)ガ・タ」、MU-KI-PANGA-TA(mu=silent;ki=full,very;panga=pa=stockade;ta=dash,beat,lay)、「非常に静かな地域の・柵で囲った居住地がある場所(丘)」(「パ(ン)ガ」のP音がB音に、NG音がN音に変化して「バナ」から「バン」となった)

  「(ン)ガワ」、NGAWHA(burst open,split of timber,overflow banks of a river)、「(山腹の)裂け目(を流れる川。その川が流れる土地)」(NG音がN音に変化して「ナワ」となった)

  「アミ・タ」、AMI-TA(ami=gather,collect;ta=dash,beat,lay)、「(川手川と)合流して突進する(川)」

  「ミ・クリ・イア」、MI-KULI-IA(mi=stream,river;(Hawaii)kuli=knee,deaf,noisy;ia=indeed,current)、「実に騒がしく音をたてる川(その川が流れる土地)」(なお、供御・神饌を皇室・神社に供進する荘園である御厨(みくりや)は、「ミコイ・リア」、MIKOI-RIA((Hawaii)mikoi=to nibble,eat in small pinches as salt(miko=seasoned with salt);ria=screening,protecting)、「極少量を食する(供進させるために)・保護を加えている(土地。荘園)」(「ミコイ」のOI音がU音に変化して「ミク」となった)の転訛と解します。)

の転訛と解します。

 

(15)會見(あいみ)郡

 

a 會見(あいみ)郡

 古代から明治の郡名で、伯耆国、県の西端に位置し、北は日本海に面し、日野川下流の米子平野と弓浜半島からなり、東は汗入郡、南は日野郡、西は出雲国に接します。おおむね現米子(よなご)市、境港(さかいみなと)市、西伯郡日吉津(ひえづ)村、淀江町の西部の一部の区域、岸本(きしもと)町の西部の一部の区域、会見(あいみ)町、西伯(さいはく)町の地域です。

 『和名抄』は「安不美(あふみ)」と訓じています。

 この「あふみ」は、(1)海湾を抱擁する地であって、「大海」の意(吉田東伍『大日本地名辞書』)、

(2)「アフ(アバ(暴)の転)・ミ(接尾語)」で「崖地」の意とする説があります。

 この「あふみ」は、マオリ語の

  「アフ・ミ」、AHU-MI(ahu=heap,sacred mound,move in a certain direction;mi=stream,river)、「(日本海へ)向かって流れる川(日野川、法勝寺川、佐陀川などの流域の土地)」

の転訛と解します。

 

b 夜見(よみ)の嶋・外江(とのえ)町・上道(あがりみち)町・米子(よなご)市・皆生(かいけ)温泉・尾高(おだか)・日吉津(ひえづ)村・箕蚊屋(みのかや)平野・法勝寺(ほっしょうじ)川・天万(てま)

 境港(さかいみなと)市と米子(よなご)市にまたがる弓浜半島は、かつて『出雲国風土記』で国引きの綱とされた「夜見(よみ)の嶋」で、後に夜見ケ浜、弓ケ浜ともいわれました。

 境港市に、島根県との間の境水道に面して外江(とのえ)町があり、『出雲国風土記』にはその対岸に「戸江(とのえ)の関」が置かれていたとあり、美保湾に面して上道(あがりみち)町があります。

 米子(よなご)市は、弓浜半島と日野川下流デルタに位置します。市名は、(1)稲が良く実る「米生(よなおう)の里」から、

(2)「ユナ(砂地)」からなどの説があります。美保湾岸には、明治初期に発見され、現在山陰一の規模を誇る皆生(かいけ)温泉があります。東部には大山表参詣路の要地で、尾高城跡がある尾高(おだか)地区があります。

 日吉津(ひえづ)村は、日野川下流右岸、箕蚊屋(みのかや)平野の北端にあります。村名は、近世以来の村名で、「稗の生えている海岸」の意とされます。

 西伯(さいはく)町は、日野川の支流の法勝寺(ほっしょうじ)川が流れる町で、「西伯耆」の意の郡名に由来します。会見(あいみ)町は、郡名に由来し、法勝寺川の支流の小松谷川が流れ、町の西部の天万(てま)は『古事記』のオオクニヌシが兄の八十神によつて山から落とされた焼いた大岩に押し潰された場所と伝えられています。

 この「よみ」、「とのえ」、「あがりみち」、「よなご」、「かいけ」、「おだか」、「ひえづ」、「みのかや」、「ほっしょうじ」、「てま」は、マオリ語の

  「イオ・ミ」、IO-MI(io=muscle,line;mi=urine,stream)、「水に浸かつている綱(のような砂州)」または「イオ・ミハ」、IO-MIHA(io=muscle,line;miha=descendant,wonder)、「(美保の埼と大山を結んだ)綱の残骸(砂州)」(「ミハ」の語尾の「ハ」が脱落した)

  「ト・(ン)ゴエ(ン)ゴエ」、TO-NGOENGOE(to=drag,open or shut a door or window;ngoengoe=scream,screech)、「干満に伴って潮が大きな悲鳴を上げて(激しい勢いで)往復する(場所)」(「(ン)ゴエ(ン)ゴエ」の反復語尾が脱落し、NG音がN音に変化して「ノエ」となつた)

  「ア(ン)ガ・リ・ミチ」、ANGA-RI-MITI(anga=driving force,thing driven;ri=protect,screen,bind;miti=lick,back wash)、「(美保湾から寄せてくる波浪の)防波堤を波が舐めている(海岸の場所)」

  「イオ・ナコ」、IO-NAKO(io=muscle,line,spur,lock of hair;nako=adorn,ornament)、「飾りの縄(夜見ケ浜)(がくっついている・土地)」

  または「イオ・(ン)ガ(ン)ガウ」、IO-NGANGAU(io=muscle,line,spur,lock of hair;ngangau=disturbance,noise,quarrel)、「縄(夜見ケ浜)がきしんで音を立てている(土地)」(「イオ」が「ヨ」となり、「(ン)ガ(ン)ガウ」の初めのNG音がN音に、次のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ナゴ」となった)

  「カイ・ケ」、KAI-KE(kai=consume,eat,drink;ke=different,strange)、「奇妙なもの(温泉)を飲み込んでいる(海岸)」(この地名の解釈によりますと、何時の頃からかは分かりませんが、海底から温泉が湧出していることが判明していたと考えられます。)

  「オ・タカ」、O-TAKA(o=the place of;taka=heap,lie in a heap)、「高台(の土地)」

  「ヒア・イツ」、HIA-ITU(hia=desire,wish;itu=side)、「(不足しているものを)渇望しているあたり(の土地)」(「ヒア」の語尾のA音と「イツ」の語頭のI音が連結して「エ」となった)

  「ミ・(ン)ガウ・カイア」、MI-NGAU-KAIA(mi=urine,stream;ngau=bite,hurt,attack;kaia=steal,thief)、「静かに・襲ってくる・川(その川が流れる平野)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「ホツ・チオ・チ」、HOTU-TIO-TI(hotu=sob,pant,heave as the swell;tio=rock-oyster;ti=throw,cast)、「岩牡蛎を急いで(オオクニヌシの治療のために採取・利用して)投げ捨てた(場所。そこを流れる川)」

  「タイマハ」、TAIMAHA(heavy)、「重い(石が山から転落してきた場所)」(AI音がE音に変化し、語尾のH音が脱落して「テマ」となつた)

の転訛と解します。

 

(16)日野(ひの)郡

 

a 日野(ひの)郡

 古代からの郡名で、伯耆国、県の西端に位置し、日野川上・中流域、中国山地の山間地にあり、北は会見郡、東は美作国、南は備中・備後国、西は出雲国に接します。おおむね現西伯郡岸本(きしもと)町の東部の山間地帯の区域、日野郡溝口(みぞぐち)町、江府(こうふ)町、日野(ひの)町、日南(にちなん)町の地域です。

 『和名抄』は「比乃(ひの)」と訓じています。

 この「ひの」は、(1)『出雲国風土記』大原郡斐伊郷の条に「樋速日子命がここに住んだので「樋(ひ)」という」とあり、出雲・伯耆両国境の鳥髪山(船通山)付近を源とし、出雲国を流れるのが「斐伊川」、伯耆国を流れるのが「日野川」とする説、

(2)山間の最奥部にあることから「ヒナ(鄙)」の意、

(3)「日当たりの良い土地」の意、

(4)「烽火を置いた野」の意、

(5)「日野神社の所在地」または「日野氏の居住地」などの説があります。

 この「ひの」は、マオリ語の

  「ピ(ン)ゴ」、PINGO(shrunk,thrust in)、「(山並みが)縮んでいる(山間の土地)」(P音がF音を経てH音に、NG音がN音に変化して「ヒノ」となった)

の転訛と解します。

 

b 溝口(みぞぐち)町・野上(のがみ)川・江尾(えび)・擬宝珠(ぎぼし)山・鏡ケ成(かがみがなる)

 溝口(みぞぐち)町は、大山西麓、日野川とその支流野上(のがみ)川の流域にある町で、町名は中世以来の地名によります。野上川は、父原のあたりで大きく進路を曲げ、古市でほぼ直角に日野川にぶつかつて合流します。

 江府(こうふ)町は、大山の南麓にあり、町名は水(江)の集まる中心(府)の意です。江尾(えび)はその中心集落で、近世の宿場町です。大山の南東の擬宝珠(ぎぼし)山(1,110メートル)の西麓、鏡ケ成(かがみがなる)は国民休暇村があり、スキー場、キャンプ場が整備されています。

 この「みぞぐち」、「のがみ」、「えび」、「ぎぼし」、「かがみがなる」は、マオリ語の

  「ミ・ト・クチ」、MI-TO-KUTI(mi=stream,river;to=drag;kuti=pinch,contract)、「川の流れを導くもの(溝)の狭くなったところ(口)」(地名篇(その十一)の神奈川県の(2)川崎市のa溝口の項を参照して下さい。)

  「ヌカ・ミ」、NUKA-MI(nuka=deceive;mi=stream,river)、「(真っ直ぐに流れるかのように)人を騙して(曲がって)流れる川」(「ヌカ」が「ノカ」に変化した)(地名篇(その五)の和歌山県の(7)貴志川のb野上の項を参照して下さい。)

  「エ・ピ」、E-PI(e=to denote action in progress,to denote future action or condition;pi=flow of the tide,soaked)、「いつも浸水する(場所)」

  「キ・ポチ」、KI-POTI(ki=full,very;poti=angle,corner)、「ごつごつで角張った(山)」

  「カ(ン)ガ・ミ・(ン)ガ・(ン)ガル」、KANGA-MI-NGA-NGARU(kanga=ka=take fire,be lighted,burn;(Hawaii)mi=urine,to void urine;nga=the;ngaru=wave,corrugation)、「人の住む集落が全く無い大地が波のようにうねつている(場所)」(「カ(ン)ガ」と「(ン)ガ」のNG音はG音に、「(ン)ガル」のNG音はN音に変化して「カガ・ミ・ガ・ナル」となった)

の転訛と解します。

 

c 根雨(ねう)・板井原(いたいばら)川・黒坂(くろさか)・生山(しょうやま)・石霞渓(せっかけい)・多里(たり)・船通(せんつう)山・竜駒峠(りゆうのこまだわ)・鍵掛(かっかけ)峠

 日野(ひの)町は、江府町の日野川の上流の町で、町名は古来の郷名によります。江戸時代の宿場町の根雨(ねう)には県の出先機関が集中し、板井原(いたいばら)川が日野川に合流し、その合流点には川に沿って細長い丘があり、根雨神社が鎮座します。黒坂(くろさか)は、中世の日野氏、江戸時代初期の関氏の城下町で、鳥取藩の黒坂陣屋が置かれました。

 日南(にちなん)町は、日野川の最上流の町で、町名は日野郡最南端の意です。石見川が日野川に合流する生山(しょうやま)付近に石霞渓(せっかけい)があり、その上流多里(たり)の北にはスサノオの八岐大蛇(やまたのおろち)退治の舞台となつたと伝えられる船通(せんつう)山(鳥髪山とも。1,143メートル)が聳え、その多里からは西南の竜駒峠(りゆうのこまだわ)を経て出雲に、日野川を遡って鍵掛(かっかけ)峠を経て備後に、道後(どうご)山(1,269メートル。広島県の項で説明します)の北を経て備中に通ずる路が分岐しています。

 この「ねう」、「いたいばら」、「くろさか」、「しょうやま」、「せっかけい」、「たり」、「せんつう」、「りゆうのこまだわ」、「かっかけ」は、マオリ語の

  「ネイ・ウ、NEI-U(nei=to denote proximity to or connection with,to indicate continuance of action;u=breast of a female,be fixed,be firm)、「(川に)近接している(川に沿った細長い)・乳房のような丘(がある。土地)」

  「イ・タイパラ」、I-TAIPARA(i=beside,past tense;taipara=fire a volley at)、「一斉射撃をするような(水流が岩にぶつかって音を立て、しぶきを上げる・場所の)そば(その川)」

  「ク・ロ・タカ」、KU-RO-TAKA(ku=silent;ro=roto=inside;taka=heap,lie in a heap)、「静かな奥地の高台」

  「チホウ・イア・マ」、TIHOU-IA-MA(tihou=an implement for cultivating;ia=current,indeed;ma=white,clear)、「川の流れが土地を耕した(押し流した)清らかな(場所)」

  「テ・ツカハ」、TE-TUKAHA(te=crack;tukaha=strenuous,vigorous,hasty)、「勢い良く流れる割れ目(渓谷)」(「テ」と「ツカハ」の語頭の「ツ」が連結・促音化し、語尾の「ハ」が脱落して「テッカ」から「セッカ」となった)

  「タリ」、TARI(a mode of plaiting with several strands)、「何本かの紐が撚り合わさっている(三本の街道が分岐している・場所)」

  「テ(ン)ガ・ツ・ウ」、TENGA-TU-U(tenga=Adam's apple,goitre;tu=stand,settle;u=breast of a female)、「乳房のような高まりの上にある喉ぼとけ(のような・山)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「セン」となった)

  「リウ・ノコ・マ・タワハ」、RIU-NOKO-MA-TAWAHA(riu=valley,belly,bilge of a canoe,pass by;noko=stern of a canoe;ma=white,clean;tawaha=opening,entrance,mouth of a river)、「清らかなカヌーの舳先のような(狭くて嶮しい)谷が口を開けている(場所。峠)」

  「カカ・カケ」、KAKA-KAKE(kaka=line,ridge of a hill;kake=ascend,climb upon or over)、「登って越す峰(峠)」

の転訛と解します。

トップページ 地名篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

 

 

32 島根県の地名

 

 島根県は、本土の東部は出雲(いずも)国、西部は石見(いわみ)国、隠岐島は隠岐(おき)国に属しました。出雲国の地名には、『出雲国風土記』の記事を主体とし、一部『古事記』にみえる神話に登場する「事績地名」が多数存在することが他の国と際だつて異なる大きな特徴となっています。

 

(1)出雲(いずも)国

 

 島根県の東部に位置し、北は日本海に面する出雲半島、中央部に出雲平野、宍道湖、松江平野、中海を含む地峡部、南部に中国山地の山間部があり、東は伯耆国、南は備後国、西は石見国に接します。

 出雲国は、『日本書紀』推古紀25(617)年の記事が初見です。『出雲国風土記』には、意宇(いう)郡、嶋根(しまね)郡、秋鹿(あいか)郡、楯縫(たてぬい)郡、出雲(いずも)郡、神門(かんど)郡、飯石(いいし)郡、仁多(にた)郡、大原(おおはら)郡の9郡があり、後に意宇郡から能義(のぎ)郡が分かれて10郡となりました。

 『和名抄』は「以豆毛(いずも)」と訓じています。

 この「いずも」は、(1)八束水臣津野命が「八雲立つ」といったことによる(『出雲国風土記』)、

(2)「厳雲」から(吉田東伍『大日本地名辞書』)、

(3)「出で雲」から、

(4)「厳藻(いつも)」(美しい藻が生える土地)から、

(5)国引き神話にちなむ「五面」から、

(6)「イ(接頭語)・ツモ(ツマの転。端)」の意、

(7)「厳面」(崖のある地)の意、

(8)アイヌ語「エツモイ(岬、入江)」からなどの説があります。

 この「いずも」は、マオリ語の

  「イツ・マウ」、ITU-MAU(itu=side;mau=fixed,continuing,established,caught,captured,retained)、「国土を引いてきて固定した場所のそば(の地域)」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となった)

  または「イ・ツモウ」、I-TUMOU(i=beside,past tense;tumou,tumau=fixed,constant,permanent,slave)、「国土を引いてきて固定した場所のそば(の地域)」

の転訛と解します。

 なお、「八雲立つ(やくもたつ)」は、マオリ語の

  「イア・クモウ・タツ」、IA-KUMOU-TATU(ia=indeed,current;kumou,komou=cover a fire with ashes or earth to keep it smouldering;tatu=reach the bottom,be at ease,be content)、「実に埋み火に灰を盛ったような(なだらかな)山がゆったりと休んでいる(国)」

の転訛と解します。

 

(2)意宇(いう)郡

 

a 意宇(いう)郡

 古代から明治の郡名で、郡の範囲は、『出雲国風土記』ではおおむね現松江市の南部(大橋川以南)の区域、八束郡宍道(しんじ)町(西端の伊志見地区を除く)、玉湯(たまゆ)町、八雲(やくも)村、東出雲(ひがしいずも)町、安来(やすぎ)市、能義郡広瀬(ひろせ)町(西南部の比田地区を除く)、伯太(はくた)町の地域で、『和名抄』では上記の地域から安来市を含む能義郡を独立させた残りの地域です。明治29年に意宇郡、嶋根郡、秋鹿郡が合併して八束(やつか)郡となりました。

 『万葉集』には「飫宇」、「於保」、『日本書紀』には「於友(おう)」とみえ、『和名抄』は「於宇(おう)」と訓じており、近世以降「いう」とします。

 『出雲国風土記』意宇郡の条には郡名の由来として八束水臣津野命が国引きの大業を成し遂げて、「”今は国は引き訖(お)へつ”と詔りたまひて、意宇の社に御杖衝き立てて、”意惠(おゑ)”と詔りたまひき。」故に「意宇」というとあります。

 この「おう」、「おゑ」は、マオリ語の

  「アウヱ」、AUWE(=aue=expressing astonishment or distress)、「ああ疲れた」(AU音がO音に変化して「オヱ」となり、またWE音がU音に変化して「オウ」となった)

の転訛と解します。

 

b 宍道(しんじ)湖・野代(のしろ)・嫁ケ島(蚊島(かしま))・大庭(おおば)町・神魂(かもす)神社・佐草(さくさ)町・熊野(くまの)・天狗(てんぐ)山・揖屋(いや)町

 郡の北部には、宍道(しんじ)湖があります。湖の南西、現八束郡宍道(しんじ)町は、古代の宍道(ししぢ)郷に由来し、(1)『出雲国風土記』宍道郷の条はオオナムチが狩をして追いかけた猪と犬がともに同じような石像になったことによる、(2)「シシ(縮)・チ(道)」で「次第に狭まる方向にある土地」の意とする説があります。宍道湖は、この町の沖合の名称であったのが、明治時代以後湖全体の名称となつたものです。

 宍道湖の東南、松江市嫁島町の沖200メートルに嫁ケ島が浮かんでいます。『出雲国風土記』は「野代(のしろ)の海の中に蚊島(かしま)あり」と記します。松江市大庭(おおば)町には本殿が国宝に指定されている出雲国造の祖アメノホヒノミコトを祀る神魂(かもす)神社が、同佐草(さくさ)町には鏡ノ池を奥社とする八重垣神社が鎮座します。

 現八束郡八雲村の南部の意宇川上流の熊野(くまの)に『出雲国風土記』に杵築大社とともに「大社」と記され、平安初期まで杵築大社以上に尊崇された熊野大社が鎮座します。その南の天狗(てんぐ)山(610メートル)に奥社があります。

 現八束郡東出雲町の中心に揖屋(いや)町があります。

 この「ししじ」、「しんじ」、「のしろ」、「かしま」、「おおば」、「かもす」、「さくさ」、「くまの」、「てんぐ」、「いや」は、マオリ語の

  「チチ・チ」、TITI-TI(titi=peg,stick,comb for sticking in the hair;ti=throw,cast)、「髪の毛(低い丘)に櫛を挿したような(楔状の平地が並んでいる土地。その土地の前にある湖)」

  「チニ・チ」、TINI-TI(tini=caulk;ti=throw,cast)、「(海へ通ずる水路を)塞がれて横たわっている(湖)」(「チニ」の語尾のI音が脱落して「チン」から「シン」となった)または「(海へ通ずる水路を)塞がれたところに横たわっている(土地)」

  「ノチ・ロ」、NOTI-RO(noti=pinch,contract;ro=roto=inside)、「内陸部で狭くなっている(川。その流域の土地)」(地名篇(その二)の秋田県の(5)能代平野の項を参照して下さい。)

  「カチ・マ」、KATI-MA(kati=leave off,cease;ma=white,clean)、「(ポツンと)取り残された清らかな(島)」

  「ク・マヌ」、KU-MANU(ku=silent;manu=person held in high esteem)、「非常に尊崇されている物言わぬ神(「熊野大神」が鎮座する社。その社がある土地)」

  「オフ・パ」、OHU-PA(ohu=surround;pa=stockade)、「集落が取り囲んでいる(場所)」

  「カモ・ツ」、KAMO-TU(kamo=eyelash,eyelid;tu=stand,settle)、「眉毛のような場所(湾曲した丘)に鎮座している(神社)」

  「タク・タ」、TAKU-TA(taku=edge,border,gunwale,hollow;ta=dash,beat,lay)、「穴(池。または急崖)がある(土地)」

  「テ・(ン)グ」、TE-NGU(te=the;ngu=silent,speechless,ghost)、「物言わぬ神(「熊野大神」が鎮座する山)」

  「イ・イア」、I-IA(i=beside,past tense;ia=current)、「水路のそば(の土地)」

の転訛と解します。

 

(3)能義(のぎ)郡

 a 能義(のぎ)郡

 意宇郡の東南の地域が分離(『出雲国風土記』から『和名抄』までの間の時期)して能義郡となつたもので、おおむね現安来(やすぎ)市、能義郡広瀬(ひろせ)町(西南部の比田地区を除く)、伯太(はくた)町の地域です。

 『和名抄』は「乃木(のき)」と訓じています。

 郡名は、(1)『出雲国風土記』に記す「野城駅(のきのうまや)」、「野城大神」にちなむ、

(2)「ノギ(崖地)」の意とする説があります。

 この「のき」は、マオリ語の

  「(ン)ゴキ」、NGOKI(=ngao-ki;ngao=dress timber with an axe,alternate ridge and depression,trough of the sea;ki=full,very)、「材木を斧で削つたような(高低のある山脈が連なる・地域)」(NG音がN音に変化して「ノキ」となった)

の転訛と解します。

 

b 安来(やすぎ)市・飯梨(いいなし)川・伯太(はくた)川・富田(とだ)・月山(がっさん)・布部(ふべ)・母里(もり)

 安来(やすぎ)市は、県の東部、中海南岸にある市で、飯梨(いいなし)川、伯太(はくた)川の沖積によつて形成された安来平野に位置します。市名は、(1)『出雲国風土記』安来郷の条にスサノオがこの地に来て「吾が御心は安平(やす)けくなりぬ」と言われたことによる、(2)「ヤ(美称。多数)・スキ(砂礫地)」から、(3)「ヤ(美称。多数)・スキ(スク(剥く)の転)」で「崖地」の意とする説があります。

 能義郡広瀬(ひろせ)町は、安来市の南に位置し、町名は近世以来の村名、藩名によります。町の北東部、富田(とだ)の月山(がっさん)にある富田城は峻険で難攻不落の名城で、鎌倉時代から守護が居住し、尼子氏の時代には一時山陰・山陽の11ケ国を支配し、悲運の武将山中鹿之介が出た城としても著名です。

 町の東部を流れる飯梨川の途中に布部(ふべ)地区があります。

 能義郡伯太町の中心集落の母里(もり)は、『出雲国風土記』母理郷の条にオオナムチが「八雲立つ出雲国は、我が静まります国と、青垣山廻らし賜ひて、玉珍置き賜ひて守らむ」と言われたことによるとされます。

 この「やすぎ」、「いいなし」、「はくた」、「とだ」、「がっさん」、「ふべ」、「もり」は、マオリ語の

  「イア・ツキ」、IA-TUKI(ia=current,indeed;tuki=beat,attack,curved wooden mouthpiece for a calabash)、「川(伯太川)が溢れて襲う(土地)」または「(中海という)ひょうたんの注ぎ口(にあたる土地)」

  「イヒ・ナチ」、IHI-NATI(ihi=split,separate;nati=pinch,contract)、「狭い山間を押し分けて流れてくる(川)」

  「ハク・タ」、HAKU-TA(haku=complain of,find fault with,chief;ta=dash,beat,lay)、「不満をぶつける(洪水を起こす・川)」

  「トタハ」、TOTAHA(bind,encircle with a band)、「腰に帯を巻いた(川が山の周りを巡っている・土地)(または急崖が山裾を取り巻いている・山)」(語尾のH音が脱落した)(地名篇(その二)の青森県の(5)十三湊(とさみなと)の項を参照して下さい。)

  「(ン)ガツ」、NGATU(crushed,mashed,lower part of the stem of bulrush)、「(山裾が)崩れ落ちている(急崖で囲まれた山)」(地名篇(その二)の山形県の(7)出羽三山(羽黒山、月山、湯殿山)の項を参照して下さい。)

  「フペ」、HUPE(discharge from the nose,tatoo marks at the point of the nose)、「鼻(から口にかけて)の入れ墨のような(カーブを持つ・川。その場所)」

  「マウ・リ」、MAU-RI(mau=fixed,established,retained;ri=screen,protect,bind)、「障壁を堅固に造つた(集落)」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となつた)

の転訛と解します。

 

(4)嶋根(しまね)郡

 

a 嶋根(しまね)郡

 古代から明治の郡名で、出雲国の東北部、島根半島の東部に位置し、おおむね現松江市の大橋川以北の大部分、八束郡鹿島町の大部分、島根町、美保関町、八束町の地域で、北から東は日本海、南は意宇郡、西は秋鹿郡に接します。

 『和名抄』は「三(之)末祢(しまね)」と訓じています。

 郡名は、(1)『出雲国風土記』嶋根郡の条に八束水臣津野命が命名されたから、

(2)「島根(島、島状の土地)」の意、(3)「シマ(ツバ、シバの転で崖地)」からとする説があります。

 この「しまね」は、マオリ語の

  「チマ・ヌイ」、TIMA-NUI(tima=a wooden implement for cultivating the soil;nui=big,large,many,numerous)、「掘り棒で掘り散らかした場所(屈曲の激しい海岸)がたくさんある(地域)」

の転訛と解します。

 

b 松江(まつえ)市・朝酌(あさくみ)・手角(たすみ)・大根(だいこん)島・江(え)島

 松江(まつえ)市は、中海と宍道湖を結ぶ大橋川の両岸に位置する県庁所在都市で、古くから水の都といわれ、市名は中国浙江省の西湖に臨む風光明媚な松江府(淞江)に似ていることに由来するとされます。

 大橋川の河口の朝酌(あさくみ)は、船の停泊地で対岸への渡し場であり、『出雲国風土記』に熊野大神の贄(にえ)を奉る部民の居住地と定められたことに由来するとされ、市の北東端の手角(たすみ)は、『出雲国風土記』にオオナムチが「丁寧(たし)に造れる国なり」として「丁寧(たし)」と命名したのが「手染(たしみ)」となつたとされています。

 『出雲国風土記』は、八束郡八束(やつか)町の薬用人参と牡丹で知られる大根(だいこん)島は「たこ嶋」であったのが「栲(たく)嶋」となつたとし、江(え)島は「蜈蚣(むかで)嶋」と記します。

 この「まつえ」、「あさくみ」、「たすみ」、「たく」、「むかで」は、マオリ語の

  「マツアイウイ」、MATUAIWI(a term applied to the second ingress of whitebait into the rivers)、「二番目の入り口(喉(のど)。その周辺の土地)」(外海から中海に入る境水道が第一の入り口、中海から宍道湖に入る大橋川が第二の入り口で、この大橋川周辺の土地がいわば「喉(のど)」にあたります。)(AI音がE音に変化し、語尾のWI音が脱落して「マツエ」となった)

  「アタ・クフ・ミ」、ATA-KUHU-MI(ata=gently,clearly,openly;kuhu=insert,thrust in;mi=stream,river)、「(大橋)川が進入するところの清らかな(場所)」(「クフミ」のH音が脱落して「クミ」となつた)

  「タツ・ミ」、TATU-MI(tatu=reach the bottom,be content;mi=stream,river)、「入江の奥にある(土地)」

  「タク」、TAKU(edge,border)、「(出雲国と伯耆国との、または意宇郡と嶋根郡との)境界にある(島)」

  「ムカ・テ」、MUKA-TE(muka=ara,way;te=crack)、「(夜見ケ嶋との間の)裂け目を渡る通路(の島)」(なお、虫の「百足(むかで)」は、「ム・カテテ」、MU-KATETE(mu=insects;katete=leg)、「足の(たくさんある)・虫」(「カテテ」の反復語尾が脱落して「カテ」から「カデ」となった)の転訛と解します。)

の転訛と解します。

 

c 美保関(みほのせき)町・七類(しちるい)港・片江(かたえ)湾・千酌(ちくみ)浜

 美保関(みほのせき)町は、島根半島の東端にあり、美保の名は『出雲国風土記』はオオナムチと越のヌナカワヒメの子、ミホススミノミコトが住んだことに由来するとします。

 島根半島北岸には、屈曲に富んだ岩石海岸が続き、『出雲国風土記』に「三十隻の船が停泊できる」と記された七類(しちるい)港は、境港と並ぶ隠岐へのフェリーの発着港で、その西には片江(かたえ)湾、『出雲国風土記』に「駅家があって、隠岐国に渡る港がある」と記された千酌(ちくみ)浜などが並びます。

 この「みほ」、「みほすすみ」、「しちるい」、「かたえ」、「ちくみ」は、マオリ語の

  「ミホ」、MIHO((Hawaii)to pile up,place in a pile)、「(岩が)積み上がっている(岬。または半島の先に付け足した・岬)」

  「ミホ・ツツ・ミ」、MIHO-TUTU-MI(miho=(Hawaii)to pile up,place in a pile;tutu=hoop for holding open a hand net,steep in water,stand errect,move with vigour;mihi=greet,admire)、「(岩が)積み上がっている(または半島の先に付け足した)岬の場所で活躍した尊貴な(神)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となつた)

  「チチ・ルイ」、TITI-RUI(titi=peg,comb for sticking in the hair;rui=shake,sprinkle)、「水しぶきを上げている岩の柱(がある湾)」

  「カタ・アイ」、KATA-AI(kata=opening of shellfish;ai=not generally to be translated,beget)、「貝が口を開けたような(潟、湾)」

  「チ・クミクミ」、TI-KUMIKUMI(ti=throw,cast;kumikumi=beard,white throat feathers of a parson bird)、「水鳥の白い羽毛が散乱しているような(白い波が打ち寄せる海岸)」(「クミクミ」の反復語尾が脱落して「クミ」となった)

の転訛と解します。

 

d 島根(しまね)町・加賀(かが)・潜戸(くきど)の鼻・佐太(さだ)大神

 島根(しまね)町の北の海岸に、加賀(かが)の潜戸(くきど)の鼻があり、『出雲国風土記』嶋根郡の加賀郷および加賀の神埼(かんざき)の条は「(秋鹿郡に鎮座する)佐太(さだ)大神の産れた窟があり、・・・母のキサカヒメノミコトが金の弓矢で(暗い窟を)射通したところ光り輝いたので「加加(かが)といった」と記しています。

 この「かが」、「くきど」、「さだ」は、マオリ語の

  「カ(ン)ガ」、KANGA(=ka=take fire,be lighted,burn)、「明るく照らされた(火を燃やしているような・洞窟)」(NG音がG音に変化して「カガ」となつた)

  「クフ・クイ・ト」、KUHU-KUI-TO(kuhu=thrust in,insert;kui=streamlet,source of a stream;to=drag,open or shut a door or window)、「小水路が突き抜けて潮流が出入りする(洞穴のある場所)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「クイ」のUI音がI音に変化して「キ」となった)

  「タタ」、TATA(bail water out of a canoe,bailer)、「舟の中に滲み出すあか水(湿地の水)を汲み出す(川。佐陀川を開削した神。その神が鎮座する場所)」

の転訛と解します。

 

(5)秋鹿(あいか)郡

 

a 秋鹿(あいか)郡

 古代から明治の郡名で、出雲国の北部、島根半島の中部に位置し、おおむね現松江市の西北部の一部、八束郡鹿島町の一部、平田市伊野の一部の地域で、北は日本海、東は島根郡、南は宍道湖、西は楯縫郡に接します。

 『和名抄』は「安伊加(あいか)」と訓じています。

 この「あいか」は、(1)『出雲国風土記』は「秋鹿日女(あいかひめ)命が住んでいた」からと記し、

(2)「アイ(アエの転、崖地、切り立った地)・カ(処)」から、

(3)「アイ(アユの転、崩れ地)・カ(処)」からとの説があります。

 この「あいか」は、マオリ語の

  「ア・イカ」、A-IKA(a=the...of,belonging to;ika=cluster,band,troop,heap)、「(小さな丘が)房のように集まつている(地域)」

の転訛と解します。

 

b 恵曇(えとも)・佐陀(さだ)川・波蘇(はそ)・伊野(いの)

 鹿島(かしま)町恵曇(えとも)は、『出雲国風土記』恵曇郷の条にスサノオの御子イハサカヒコノミコトが「国形、絵鞆(えとも)の如きかも」といわれたことによるとあり、『出雲国風土記』恵曇浜の条は(恵曇)浦の西の磯から楯縫郡の境に至るまでの間は「浜は高く嶮しくて船が停泊できない」と記します。

 郡の東部を流れる佐陀川は、『出雲国風土記』佐太川および恵曇浜の条によると、佐太本郷を境に南に流れて宍道湖にほとりにあった「佐太の水海」に入る佐太川と、北へ流れて島根郡の大領社部臣訓麻呂(こそべのおみくにまろ)の祖波蘇(はそ)達が岩壁を掘り割って日本海に入る運河があったといいます。地形からしますと、古く佐陀本郷あたりは排水口のない低湿地であったのが、神名備山(朝日山)麓の佐陀宮内に鎮座する佐陀神社(『出雲国風土記』では「佐太御子社」)に祀られる佐太大神が朝日山から東方に伸びる尾根を開削して南へ排水するとともに、北の日本海への排水口を開削して付近一帯を開発した記憶がこのような伝承となつたものでしょう。

 なお、現在の佐陀川は、江戸時代に松江藩主松平不眛公が松江市周辺の洪水対策として、清原太兵衛を奉行に任じ、これまでの河川に沿いあるいは利用して、宍道湖から日本海までの一貫した流路を開削し、宍道湖の水位上昇時に日本海へ排水できるようにしたものです。

 平田市伊野(いの)は、『出雲国風土記』伊農(いぬ)郷の条はアカフスマイヌオホスミヒコサワケノミコトの后アメノミカツヒメノミコトが国巡りをしてここで「伊農(伊努)はや」といわれたことによると記します。

 この「えとも」、「さだ」、「はそ」、「いの」は、マオリ語の

  「エト・マウ」、ETO-MAU(eto=lean,attenuated;mau=fixed,established,continuing)、「(岩が剥がれて薄くなっている)絶壁が連なっている(海岸)」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となつた)(地名篇(その二)の北海道の(6)室蘭の項を参照して下さい。)

  「タタ」、TATA(bail water out of a canoe,bailer)、「舟の中に滲み出すあか水(湿地の水)を汲み出す(川。佐陀川を開削した神。その神が鎮座する場所)」

  「パト」、PATO(break,crack,knock)、「(岩を)砕いて掘り割つた(人)」(P音がF音を経てH音に変化して「ハト」から「ハソ」となつた)

  「イヌ」、INU(drink)、「水を飲んでいる(宍道湖の水に浸かっている・土地)」

の転訛と解します。

 

(6)楯縫(たてぬい)郡

 

a 楯縫(たてぬい)郡

 古代から明治の郡名で、出雲国の西北部、島根半島の西部に位置し、おおむね現平田市(西から南の一部および伊野の一部の地域を除く)の地域で、北は日本海、東は秋鹿郡、南は宍道湖、南から西は出雲郡に接します。

 『和名抄』は「多天奴比(たてぬひ)」と訓じています。

 この「たてぬい」は、(1)『出雲国風土記』はカムムスビノミコトがアメノミトリノミコトをこの地に下ろして杵築大社の飾り用の祭器として「楯を造り始めた所」からと記し、

(2)「タテ(台地)・ヌヒ(ヌベの転、平坦地)」で「段丘上の平坦地」の意、

(3)「タテ(台地)・ヌヒ(ヌキ(抜)の転)」で「高地の端の崖」の意とする説があります。

 この「たてぬい」は、マオリ語の

  「タ・テ・ヌイ」、TA-TE-NUI(ta=dash,beat,lay;te=crack;nui=big,large,many,numerous)、「大きな裂け目(十六島湾から東南に伸びる地溝帯がある・地域)」

の転訛と解します。

 

b 平田(ひらた)市・十六島(うっぷるい)岬・於豆振(おつふり)の埼・佐香(さか)・久多美(くたみ)・一畑(いちばた)薬師

 平田(ひらた)市の名は、毛利氏の代官平田屋佐渡守に由来するとされます。

 十六島湾の入り口にある十六島(うっぷるい)岬は、海食による男性的海岸が美しく、良質の「うっぷるい海苔」の産地で、『出雲国風土記』は「於豆振(おつふり)の埼」と記します。この名は、(1)十六善神がこの地に降臨した、(2)スクナヒコナノミコトが美保御埼から杵築大社に向かう途中、この地に香り高い海苔があるのを見て、岩からはぎ取り、海水に浸して何度も打ち振るって水分を取つたので「うっぷるい」となった、(3)この地に漂着して朝鮮の人が、故郷の海苔の産地の地名「ウップルイ」でこの地を呼んだことによるなどの説があります。

 同市佐香(さか)の名は『出雲国風土記』に「百八十神が集まって百八十日間酒盛りをしたことによる」とあり、久多美(くたみ)の名は同じく「オオナムチが神饌の米を作る田とその稲を収蔵する倉を造るのに適当なところを探しに行き、”波夜佐雨(はやさめ)、久多美(くたみ)の山”といわれたことによる」とあります。 同市小境町に一畑(いちばた)薬師があり、目の薬師として尊崇を集めています。

 この「うっぷるい」、「おつふり」、「さか」、「くたみ」、「はやさめ」、「いちばた」は、マオリ語の

  「ププ・ルイ」、PUPU-RUI(pupu=bundle,volute univulve moluscs;rui=shake,sprinkle)、「水しぶきを上げる栄螺(さざえ)(のような岩がある・岬)」(「ププ」の語頭のP音が脱落して「ウプ」から「ウップ」となつた)

  「ホツ・フリ」、HOTU-HURI(hotu=sob,desire eagerly;huri=turn round,overflow)、「(岩の地層が十六島湾の内側に向かって傾斜しているため)波が岬を越えて(湾内に)流れ込み・たがっている(岬)」(「ホツ」のH音が脱落して「オツ」となった)

  「タカ」、TAKA(heap,lie in a heap)、「高台(の土地)」または「高床(の御殿。その御殿がある場所)

  「ク・タミ」、KU-TAMI(ku=silent;tami=press down,suppress,smother)、「(浸食されて)平たくなつた静かな(場所)」

  「パイア・タメ」、PAIA-TAME(paia=stockade;tame=food,eat)、「食料を貯蔵する木柵を巡らした集落」(「パイア」のP音がF音を経てH音に変化して「ハヤ」となつた)

  「イチ・パタ」、ITI-PAPATA(iti=small,compact;papata=small waves,ripples)、「皺が寄つたこじんまりした(土地)」

の転訛と解します。

 

(7)出雲(いずも)郡

 

a 出雲(いずも)郡

 古代から中世の郡名で、出雲国の西北部、西から北は日本海に面し、北東は楯縫郡、東南は意宇郡、大原郡、西南は斐伊川を隔てて神門郡に接し、北部と南部は山地、その間は平坦地で東に宍道湖、南に斐伊川があります。おおむね現出雲市の北部の区域、平田市の西から南の一部の区域、簸川郡大社(たいしゃ)町、斐川(ひかわ)町、八束郡宍道町の西部の一部の区域です。

 出雲郡は、『出雲国風土記』には健部(たけるべ)、漆沼(しつぬ)、河内、出雲、杵築、伊努(いぬ)、美談(みたみ)、宇賀(うか)の8郷と神戸1ケ所が記されますが、中世には西部の杵築、伊努、河内の3郷は神門郡に、北部の美談、宇賀の2郷は楯縫郡に合併され、残る健部、漆沼(しつぬ)、出雲の3郷は出東(しゅっとう)郡となり、明治29年神門郡と合併して簸川(ひかわ)郡となります。

 郡名の由来について『出雲国風土記』は「名を説くこと国の如し」と国名と同じとします((1)出雲国の項を参照して下さい)。

 出雲郡に出雲郷(現簸川郡斐川町出西あたり)があり、郡・郷ともに上記のマオリ語による解釈に適合します。

 

b 大社(たいしゃ)町・杵築(きづき)・日御碕(ひのみさき)・稲佐(いなさ)の浜・斐伊(ひい)川

 簸川郡大社(たいしゃ)町は、島根半島西端の町で、杵築(きづき)には出雲大社(杵築大社)があり、町名は出雲大社の鳥居前町であることにより、杵築の名は(1)『出雲国風土記』はオオクニヌシの宮を築いたからとし、(2)「キ(接頭語。または「断絶」の意)・ツキ(微高地)」からとする説があります。

 半島最西端には日御碕(ひのみさき)神社(『出雲国風土記』には「美佐伎(みさき)社」、『延喜式』には「御碕神社」と記されます)が、西部には『古事記』の国譲り神話の舞台となった稲佐(いなさ)の浜(『出雲国風土記』には「薗(その)」と記されます)があります。

 『出雲国風土記』に「出雲の大川」と記される斐伊(ひい)川は、古くは郡の中央の平坦地を西に流れ、海岸近くにあった神門水海(かんどのみずうみ)に入り、次いで日本海に注いでおり、斐伊川が出雲郡と神門郡の境となっていました。

 この「きづき」、「ひのみさき」、「いなさ」、「その」、「ひい」は、マオリ語の

  「キ・ツキ」、KI-TUKI(ki=full,very,to(of place,of a person);tuki=beat,attack,give the time to paddlers in a canoe(tutuki=be finished,be completed))、「(大きな宮を建設するために)しっかりと・(地盤を)突き固めた(土地)」もしくは「終焉を迎えた人(大国主命)・に献じられた(宮がある土地)」または「キヒ・ツキ」、KIHI-TUKI(kihi=indistinct of sound,barely audible,murmur of the sea;tuki=beat,attack,give the time to paddlers in a canoe)、「微かに潮騒が聞こえる(場所)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)

  「ヒノヒ・ミ・タキ」、HINOHI-MI-TAKI(hinohi=compressed,contracted;mi=stream,riverr;taki=take to one side,take out of the way)、「山が積み上がって圧縮されている・潮が迂回して流れる場所(岬)(その岬にある神社)」(「ヒノヒ」の語尾の「ヒ」が脱落して「ヒノ」となつた)

  「イナ・タ」、INA-TA(ina=adducing a fact as proof of anything;ta=dash,beat,lay)、「(タケミカヅチがタケミナカタを)打倒した事件があった(浜)」

  「トノ」、TONO(bid,command,demand)、「(国を譲ることを)要求した(浜)」または「タウ(ン)ガ」、TAUNGA(resting place,anchorage for canoes,fishing ground)、「船の停泊地(の浜)または人々がゆつくり休息する場所」(AU音がO音に、NG音がN音に変化して「トナ」となり、「トノ」から「ソノ」となつた)

  「ヒヒ」、HIHI(make a hissing noise,be affected with diarrhoea)、「下痢を起こしたように流れ下る(川)」(後のH音が脱落して「ヒイ」となつた)

の転訛と解します。

 

c 健部(たけるべ)郷・漆沼(しつぬ)郷・神庭(かんば)・荒神谷(こうじんだに)・鰐淵(わにぶち)

 出雲国庁から宍道湖南岸を西進する山陰道が出雲郡に入るところ(八束郡宍道町の西部および簸川郡斐川町の東部)に、健部(たけるべ)郷があり、その名は『出雲国風土記』には「最初はウヤツベノミコトがその山に降臨したので”宇夜(うや)の里”といったが、後に景行天皇がヤマトタケルの名を忘れてはならないと健部を定められたことによる」とあります。また、健部郷の北の宍道湖畔(斐川町)には漆沼(しつぬ)郷があり、その名は『出雲国風土記』には「カムムスビノミコトの子、アマツキヒサカミタカヒコノミコト、又の名”菰枕志都沼値(こもまくらしつぬち)”が住んだことによる」と記します。

 昭和59(1984)年斐川町大字神庭(かんば)の荒神谷(こうじんだに)から銅剣358本、翌年銅矛16本、銅鐸6個が発掘され、古代史を大きく書き換えました。

 平田市鰐淵(わにぶち)地区には極めて古く草創された浮浪(ふろう)山鰐淵(がくえん。「わにぶち」の音読み)寺があり、推古天皇の病気平癒の祈祷の際、浮浪の滝に落とした仏具を鰐が口にくわえて出てきたとの伝説が残ります。 

 この「たけるべ」、「うや」、「しつぬ」、「こもまくらしつぬち」、「かんば」、「こうじんだに」、「わにぶち」、「ふろう」は、マオリ語の

  「タケ・ルペ」、TAKE-RUPE(take=stump,root of a hill;rupe=lintel of a doorway)、「(出雲郡の入口の)まぐさ(門・扉の上の横木)のような山の麓(の土地)」

  「ウ・イア」、U-IA(u=breast of a female;ia=indeed,current)、「本当に乳房のような(山)」

  「チツプ・ヌイ」、TITUPU-NUI(titupu=peel off,chap;nui=big,large,many)、「大きく(大地の)皮が剥けている(大きな湖に面している土地)」(「チツプ」の語尾のP音が脱落して「チツ」から「シツ」となつた)

  「コモウ・マク・ラ・チツプ・ヌイ・チ」、KOMOU-MAKU-RA-TITUPU-NUI-TI(komou,kumou=cover a fire with ashes or earth to keep it smouldering;maku=wet,moist;ra=wed;titupu=peel off,chap;nui=big,large,many;ti=throw,cast)、「霧がよくかかる埋み火に灰を盛ったような(なだらかな)山があり・大きく(大地の)皮が剥けている(大きな湖に面している)ところに居る(神)」(「チツプ」の語尾のP音が脱落して「チツ」から「シツ」となつた)

  「カヌ・パ」、KANU-PA(kanu=ragged,distracted;pa=stockade)、「荒れはてた集落」

  「コウ・チノ・タハ・ヌイ」、KOU-TINO-TAHA-NUI(kou=knob,stump;tino=essentiality,main;taha=side,edge,calabash with a narrow mouth;nui=large,many)、「重要な丘がある、大きなひょうたんのような膨らみ(または貯水池などの水面)がある場所(谷)」(「チノ」の語尾のO音が脱落して「チン」と、「タハ」のH音が脱落し、「ヌイ」のUI音がI音に変化して「タ・ニ」となった)または「コウ・チナ・タハ・ヌイ」、KOU-TINA-TAHA-NUI(kou=knob,stump;tina=fixed,firm,satisfied,constipated;taha=side,edge,calabash with a narrow mouth;nui=large,many)、「(宝物を)固定した(埋蔵した)丘がある谷」(「チナ」の語尾のA音が脱落して「チン」と、「タハ」のH音が脱落し、「ヌイ」のUI音がI音に変化して「タ・ニ」となった)

  「ワニ・プチ」、WANI-PUTI(wani=scrape,skim over,comb the hair;puti=dried up,cross-grained of timber)、「(材木の節のように)渦を巻いている滝壷の表面に浮いたものを掬い取つた(場所)」

  「プロウ」、PUROU(pointed stick,take upon a pointed stick)、「先の尖った棒で(仏具を)拾い上げた(滝)」(P音がF音を経てH音に変化して「フロウ」となつた)

の転訛と解します。

 

(8)神門(かんど)郡

 

a 神門(かんど)郡

 古代から明治の郡名で、出雲国の西部、かつて海岸にあった神門水海(かんどのみずうみ)に流入していた斐伊川の旧流の南の地域で、北は出雲郡、東は意宇郡、大原郡、南は飯石郡、西は石見国安濃郡および日本海に接します。おおむね現出雲市の南部の区域、簸川郡湖陵(こりょう)町、多伎(たき)町、佐田(さた)町の西部(窪田地区)、大田(おおだ)市の東部(山口地区)の区域です。

 『和名抄』は「加毛止(かもと)」と訓じています。

 この「かんど」は、(1)『出雲国風土記』は「神門臣伊加曽然(かむどのおみいかそね)の時神門を貢つたことによる」とし、

(2)杵築大社の神戸があったから、

(3)「カム(カブの転、崖、傾斜地、自然堤防)・ド(処)」からとする説があります。

 この「かもと」は、マオリ語の

  「カハ・モト」、KAHA-MOTO(kaha=rope,boundary line of land,edge;moto=strike wiyh the fist)、「綱(斐伊川)が拳骨で殴られたように膨れ上がっている(神門水海がある・地域)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となつた)

の転訛と解します。

 

b 差海(さしみ)川・立久恵(たちくえ)峡・田儀(たぎ)川

 西流していた斐伊川の河道が東に付け替えられて宍道湖に入るのは寛永年間(1624〜44年)のことですが、その後神門水海は、貞享年間(1684〜88年)に大梶氏が差海(さしみ)川を開削して排水を図るとともに、埋め立て、開田が進み、現在では出雲市と湖陵町にまたがる神西(じんざい)湖として残るだけになりました。

 出雲市南部を流れる神戸(かんど)川の上流に、100から200メートルの石柱や断崖が2キロメートルにわたってそそり立つ立久恵(たちくえ)峡があり、「山陰の耶馬渓」と称されています。

 多伎町には、田儀(たぎ)川が流れます。

 この「さしみ」、「たちくえ」、「たぎ」は、マオリ語の

  「タ・アチ・ミ」、TA-ATI-MI(ta=dash,dash water out of a canoe;ati=descendant,clan;mi=stream,river)、「(神西湖から)水を排出する川(その川が流れる場所)」(「タ」のA音に続く「アチ」の語頭のA音が脱落して「タチ」から「サシ」となつた)

  「タハ・チ・クワイ」、TAHA-TI-KUWAI(taha=side,edge,boundary;ti=throw,cast;kuwai=wet,watery)、「水しぶきにぬれている・(川)岸に・放り出されている(位置している。峡谷)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」と、「クワイ」のAI音がE音に変化して「クヱ」となった)または「タチカ・ウエ」、TATIKA-UE(tatika=coastline;ue=push,shake,affect by an incantation)、「(あまりの険しさに呪文を唱える)安全を祈らずにはいられない・川岸(渓谷)」(「タチカ」の語尾のA音が脱落し、次の「ウエ」と連結して「タチクヱ」となった)

  「タ(ン)ギ」、TANGI(sound,cry,weep)、「すすり泣く(川。その流域の土地)」

の転訛と解します。

 

(9)飯石(いいし)郡

 

a 飯石(いいし)郡

 古代からの郡名で、出雲国の西南部、郡の東半は北流する三刀屋(みとや)川の流域、西半は北流する神戸(かんど)川の流域で、北は神門郡、出雲郡、東は大原郡、仁多郡、南は備後国、西は石見国安濃郡・邑智郡に接します。おおむね現飯石郡三刀屋(みとや)町、掛合(かけや)町、吉田(よしだ)村、頓原(とんばら)町、赤来(あかぎ)町の東部(来島地区)、簸川郡佐田(さた)町の東部(須田地区)の区域です。

 『和名抄』は「伊比之(いひし)」と訓じています。

 この「いひし」は、(1)『出雲国風土記』飯石郡の条に「飯石郷の中に伊毘志都幣(いひしつべ)命が住んでいたから」とあり、

(2)「飯を盛った形の石」があったから、

(3)「イヒ(ウヘに同じ、高地)・シ(場所を表す接尾語)」から、

(4)「イヒ(ウヘに同じ、高地)・シ(石の略)」で「岩石の多い高地」の意とする説があります。

 この「いひし」は、マオリ語の

  「イヒ・チ」、IHI-TI(ihi=split,divide,tendril of a plant,power;ti=throw,scatter)、「(神戸川、三刀屋川が)植物の巻ひげのように触手を伸ばしている(地域)」

の転訛と解します。

 

b 三刀屋(みとや)町・掛合(かけや)町・竜頭(りゅうず)の滝・吉田(よしだ)川・多禰(たね)郷・頓原(とんばら)町・大万木(おおよろぎ)山・琴引(ことひき)山・赤名(あかな)川

 三刀屋(みとや)町は、斐伊川支流の三刀屋川下流域に位置する町で、『出雲国風土記』三屋郷の条には「オオクニヌシの御門(みと)がここにあったので三刀矢という」とあります。

 掛合(かけや)町は、三刀屋川上流に位置し、戦国時代には懸谷(かけや)城が築かれ、中国地方随一の名瀑といわれる竜頭(りゅうず)の滝があります。

 三刀屋川とその支流吉田(よしだ)川の流域で、三刀屋町、掛合町、吉田町にまたがる地域が『出雲国風土記』の多禰(たね)郷の地で、オオクニヌシとスクナヒコナがここを巡行して稲種を落としたことによるとされます。

 頓原(とんばら)町は、飯石郡の南端に近く、大万木(おおよろぎ)山(1,218メートル)や、『出雲国風土記』にオオクニヌシの琴がその岩窟にあると記された琴引(ことひき)山(1,044メートル)などの山に囲まれ、かつては冬には陸の孤島と呼ばれていました。神戸川の支流、頓原川には来島(きじま)ダムがあります。

 飯石郡の南端の赤来(あかぎ)町に赤名(あかな)川が流れて来島貯水池に流入します。

 この「みとや」、「かけや」、「りゅうず」、「よしだ」、「たね」、「とんばら」、「おおよろぎ」、「ことひき」、「きじま」、「あかな」は、マオリ語の

  「ミ・ト・イア」、MI-TO-IA(mi=stream,river;to=drag,open or shut a door or window;ia=indeed,current)、「実に潮の干満によって水位が上下する川の流れ(その場所)」(この潮の干満が及んだのは、斐伊川が西流していたときのことでしょう。)

  「カカイ・イア」、KAKAI-IA(kakai=eat frequently;ia=current,indeed)、「しょっちゅう洪水に見舞われる(土地)」(「カカイ」のAI音がE音に変化して「カケ」となった)

  「リウ・ツ」、RIU-TU(riu=bilge of a canoe,valley,belly;tu=stand,settle)、「カヌーのあか水のようなものがある(船壁の隙間から水が噴き出るような・滝)」

  「イオ・チタハ」、IO-TITAHA(io=muscle,spur,lock of hair;titaha=lean to one side,pass on one side,crooked)、「曲がりくねって流れる(川。その流れる土地)」(「チタハ」のH音が脱落して「チタ」から「シタ」となった)

  「タ・ヌイ」、TA-NUI(ta=dash,beat,lay;nui=big,many,numerous)、「(洪水による)被害を数限りなく受けた(土地)」

  「ト(ン)ガ・パラ」、TONGA-PARA(tonga=south,restrained,supressed,secret;para=cut down bush,clear)、「(飯石郡の)南にある清らかな(土地)」または「秘密の(外界から隔絶した)清らかな(土地)」

  「オホ・イオ・ロキ」、OHO-IO-ROKI(oho=wake up,arise;io=muscle,spur,lock of hair;roki=make calm,calm)、「むっくり立ち上がつた静かな(山)」

  「コトコト・ヒキ」、KOTOKOTO-HIKI(kotokoto=projection;hiki=lift up,raise,nurse,convey)、「高く突出した(山)」(「コトコト」の反復語尾が脱落して「コト」となった)

  「キ・チマ」、KI-TIMA(ki=full,very;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「掘り棒で掘り散らかしたような地形がたくさんある(場所)」

  「アカ・ナ」、AKA-NA(aka=clean off,scrape away,(=anga)driving force;na=to indicate position near or connection)、「(大地を)洗い流して行く(川。その流域)」

の転訛と解します。

 

(10)仁多(にた)郡

 

a 仁多(にた)郡

 古代からの郡名で、出雲国の南部、斐伊川の上流の横田(よこた)川、馬木(まき)川、阿井(あい)川などが小盆地を形成しながら南から北へ流れる地域で、北は大原郡、能義郡、東は伯耆国、南は備後国、西は飯石郡に接します。おおむね現仁多郡仁多町、横田町、大原郡木次(きすき)町の南部(温泉地区)、能義郡広瀬町の南部(比田地区)の地域です。

 『和名抄』は「尓以多(にいた)」と訓じています。

 この「にいた」は、(1)『出雲国風土記』はオオナムチが「にたしき小国なり」といわれたから、

(2)「ニタ(ヌタ、ムタなどと同じ。湿地)」から、

(3)「ニ(丹)」で「赤土の地」の意とする説があります。

 この「にいた」は、マオリ語の

  「ニヒ・タ」、NIHI-TA(nihi,ninihi=steep,move stealthily,come stealthily upon;ta=dash,beat,lay)、「突然襲う洪水により被害を受ける(地域)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」となった)

の転訛と解します。中国山地は花崗岩が風化した土壌(砂鉄分を含むマサ土など)が多く、降雨の水分保持力が乏しいため、急激に河川の水位が上昇する特性があります。

 

b 阿井(あい)川・馬木(まき)川・鬼の舌震(おにのしたぶるい)・三成(みなり)・亀嵩(かめだけ)川・三沢(みさわ)・要害(ようがい)山・横田(よこた)町・岩屋寺の切開(きりあけ)

 仁多町は、斐伊川の上流に位置し、西部を阿井(あい)川(『出雲国風土記』は「阿位(あゐ)川」と記します)が流れ、東部の馬木(まき)川(『出雲国風土記』は「阿伊(あい)川」と記します)には「鬼の舌震(おにのしたぶるい)」と呼ばれる巨岩・怪石や歐穴群がある峡谷があり、『出雲国風土記』は「ワニの恋(した)う」タマヒメが川を石で塞ぎったと伝えます。町の中心集落、三成(みなり)は、横田川、馬木川、亀嵩(かめだけ)川の合流点にあり、その下流の『出雲国風土記』がオオナムチの子アジスキタカヒコノミコトがここで漸く言葉をしゃべるようになったと伝える三沢(みさわ)の北西の要害(ようがい)山(419メートル)には中世の三沢氏の居城跡があります。

 横田(よこた)町は、斐伊川上流に位置し、鳥取・広島両県に接し、横田郷の名は『出雲国風土記』に「横に細長い田があったから」とします。町には花崗岩の峡谷、天然記念物の「岩屋寺の切開(きりあけ)」があります。

 この「あい(あゐ)」、「まき」、「おにのしたぶるい」、「みなり」、「かめだけ」、「みさわ」、「ようがい」、「よこた」、「きりあけ」は、マオリ語の

  「ア・ウイ」、A-WI(a=drive,collect,the...of,belonging to;wi,wiwi=flinch)、「ひるみながら流れる(勢いを弱めて川幅が広くなつた・川)」(なお、ちなみに馬木川の古名「阿伊(あい)川」は、「アイ」、AI(procreate,beget)、「子供を産む(かのように川幅が膨れた(平地がある)・川)」の意と解します。)

  「マキ」、MAKI(invalid,sore)、「勢いが弱い(川)」

  「オニ・ヌイ・チタプ・ルイ」、ONI-NUI-TITAPU-RUI(oni=move,wriggle;nui=big,large,many;titapu=certain feathers of white-heron;rui=shake,scatter,sprinkle)、「(川の流れが)さんざん・のたうち回って・白鷺の羽が・水しぶきを上げているような(白い水しぶきをあげる奇岩怪石がある・渓谷)」

  「ミ・(ン)ガリ」、MI-NGARI(mi=stream,river;ngari=annoyance,disturbance,greatness,power)、「(亀嵩川、馬木川、室原川が合流して)強い力を持った川(またはその川が流れる土地)」(「(ン)ガリ」のNG音がN音に変化して「ナリ」となった)

  「カメ・タケ」、KAME-TAKE(kame=eat,food;take=root,stump,base of a hill)、「崩壊した山の麓(の土地。そこを流れる川)」

  「ミ・タワ」、MI-TAWHA(mi=stream,river;tawha=burst open,crack,calabash)、「(瓢箪のように)瀬(平地)が開けた川(その土地)」

  「イオ・カイ」、IO-KAI(io=muscle,spur,lock of hair;kai=consume,eat,food)、「崩壊した峰(山)」

  「イオ・コタ」、IO-KOTA(io=muscle,line,spur,lock of hair;kota=open,crack,cockle shell,anything to scrape or cut with)、「平地が開けている川(その流れる地域)」

  「キリ・アケアケ」、KIRI-AKEAKE(kiri=skin,bark;akeake=poor land)、「荒涼とした表面(をもつ渓谷)」(「アケアケ」の反復語尾が脱落して「アケ」となった)

の転訛と解します。

 

(11)大原(おおはら)郡

 

a 大原(おおはら)郡

 古代からの郡名で、出雲国の中央部に位置し、群の中央を斐伊川の支流の赤(あか)川が東から西へ流れ、全体に山地丘陵の多い地域で、北は意宇郡、東は能義郡、南は仁多郡、西は飯石郡、出雲郡に接します。おおむね現大原郡加茂町、大東町、木次(きすき)町(熊谷地区、温泉地区を除く)、能義郡広瀬町の南部(比田地区)の地域です。

 『和名抄』は「於保波良(おほはら)」と訓じています。

 この「おおはら」は、(1)『出雲国風土記』は「田が10町あって平原であった」からとし、

(2)「オ(接頭語。広大な、重要な)・ハラ(原)」の意とする説があります。

 この「おおはら」は、マオリ語の

  「オ・ホウ・パラ」、O-HOU-PARA(o=the place of;hou=bind;para=cut down bush,clear)、「清らかな土地が集まった(地域)」

の転訛と解します。

 

b 赤(あか)川・神原(かんばら)・岩倉(いわくら)・阿用(あよ)・海潮(うしお)温泉・須我(すが)・木次(きすき)町・久野(くの)川

 加茂(かも)町は、暴れ川の赤(あか)川流域にあり、町名は中世に京都の賀茂別雷神社の社領であったことに由来し、『出雲国風土記』神原郷の条に「オオクニヌシの財宝を積み置いたところ」と記されている神原(かんばら)の神原神社古墳からは景初3年銘の銅鏡が出土したほか、岩倉(いわくら)からは銅鐸39個が出土しています。

 大東(だいとう)町は、赤川の上流にあり、町名は中世に大原郡東荘であったことにより、『出雲国風土記』に出てくる「阿用(あよ)」、「海潮(うしお)」、「海潮(うしお)温泉」の地があるほか、スサノオを祀る須我(すが)神社が鎮座します。

 木次(きすき)町は、加茂町の南に位置し、斐伊川が北流・その支流久野(くの)川が西流し、町名は、(1)『出雲国風土記』来次郷の条に「オオクニヌシが八十神を追い払つてここで追い付いた」ことによるとあり、(2)「キス(キシの転。崖地、川岸)・キ(場所を表す接尾語)」、(3)「キ(きざみ目、断絶)・スキ(崖地)」の意とする説があります。

 この「あか」、「かんばら」、「いわくら」、「あよ」、「うしお」、「すが」、「きすき」、「くの」は、マオリ語の

  「アカ」、AKA(=anga=driving force)、「(土砂を)押し流す(川)」

  「カム・パラ」、KAMU-PARA(kamu=eat,munch,close of the hand;para=cut down bush,clear)、「(洪水に)呑み込まれた(襲われた)清らかな(場所)」

  「イワ・クラ」、IWA-KURA(iwa=nine(numerous);kura=red feathers,precious,treasure)、「大量の宝物(を埋蔵した場所)」

  「ア・イオ」、A-IO(a=the...of,belonging to,drive,urge,collect;io=muscle,spur,lock of hair)、「山が集まった(地域)」

  「ウチ・アウ」、UTI-AU(uti=bite(utiuti=annoy,worry);au=smoke,current,sea)、「浸食する流れ(が流れる土地)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)または「人を悩ませる流れ(温泉が流れる土地)」

  「キ・ツキ」、KI-TUKI(ki=full,very;tuki=pound,beat,attack)、「頻繁に(洪水に)襲われる(土地)」

  「ク・(ン)ガウ」、KU-NGAU(ku=silent;ngau=bite,hurt,attack)、「静かに襲う(川)」

の転訛と解します。

 

(12)石見(いわみ)国

 

 島根県の東部に位置し、北は日本海に面し、東は出雲国、東南は備後国、南は安芸国、西南は周防国、西は長門国に接します。

 石見国は、『日本書紀』斉明紀3年9月9日条の記事が初見です。

 『和名抄』は「以波三(いはみ)」と訓じ、安濃、迩磨(にま)、那智(賀)、邑智(おほち)、鹿足(かのあし)、美濃の6郡が記されます。

 この「いわみ」は、(1)中国山地から数条の大河がほとんど平野を形成せずに日本海に注いでおり、山の断崖や渓谷の岩石が目立つところから、石神(いわがみ)、石海(いわうみ)、石水(いわみず)、石巳(いわみ。蛇神、水神)、石廻(いわみ)、石群(いわむれ)などの転、

(2)「イハ(岩石)・ミ(辺。または接尾語)」(石のあるところ)の意とする説があります。

 この「いはみ」は、マオリ語の

  「イ・ワ・ミ」、I-WHA-MI(i=beside,past tense;wha=be disclosed,get abroad;mi=stream,river)、「(大きな平野を形成せずに)外へ出て行く川のそば(の地域)」

の転訛と解します。

 

(13)安濃(あの)郡

 

a 安濃(あの)郡

 古代から明治の郡名で、石見国最東北部に位置し、忍原川が中央を北に流れて海岸近くに田畑が開ける地域で、北は日本海、東は出雲国神門郡、飯石郡、南は邑智郡、西は迩磨郡に接します。おおむね大田(おおだ)市の地域(東部の一部の区域および南西部の区域(中世の大森領(石見銀山領)の区域)を除く)です。

 この郡名は、伊勢国安濃(あのう)郡の人、安濃宿禰の同族の人が賜つたことによる(『三代実録』)とされます。

 この「あの」は、マオリ語の

  「ア(ン)ゴ」、ANGO(gape,be open)、「大きく口を開けている(地域)」(NG音がN音に変化して「アノ」となった)

の転訛と解します。(入門篇(その二)の2の(5)のaの(c)安濃津の項を参照して下さい。)

 

b 大田(おおだ)市・波迩(はに。波根(はね))・久手(くて)

 大田(おおだ)市は、県中北部にあり、市名は古代の邑陀(おうだ)郷によります。水陸交通の要地で、『延喜式』に山陰道の石見国最初の駅として波迩(はに)駅が記載されており、久手(くて)には久手港があって、近世には石見銀山の隆盛とともに大いに栄えました(石見銀山については、迩磨郡の項で解説します)。

 この「おおだ」、「はに(はね)」、「くて」は、マオリ語の

  「オフ・タ(ン)ガ」、OHU-TANGA(ohu=surround;tanga=circumstance or place of dashing or striking)、「(三瓶川や忍原川の洪水に)襲われる土地に囲まれている(土地)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」と、「タ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「タ」から「ダ」となった)

  「パ・ヌイ」、PA-NUI(pa=stockade;nui=big,large)、「大きな集落」(「パ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハ」となった)

  「ク・タイ」、KU-TAI(ku=silent;tai=the sea,the coast,tide,wave)、「静かな波(の港)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」となつた)

の転訛と解します。

 

c 三瓶(さんべ)山・佐比売(さひめ)山・志学(しがく)

 三瓶(さんべ)山は大田市の南東部、出雲・石見の国境にあるトロイデ型の火山で、主峰の男三瓶(親三瓶。1,126メートル)と女三瓶(母三瓶)、孫三瓶、子三瓶が環状に並び、これらを総称して三瓶山といいます。

 古名は佐比売(さひめ)山といい、『出雲国風土記』の国引き神話に登場します。「サヒメ」は、(1)砂鉄の「サビ」から、(2)「境」の意などの説があります。

 南麓の志学(しがく)には、温泉が湧出しています。

 この「さんべ」、「さひめ」、「しがく」は、マオリ語の

  「タ(ン)ガ・ペ」、TANGA-PE(tanga=be assembled,row,company;pe=crushed,soft,suppurating as a boil)、「ぶつぶつの化膿したおでき(男三瓶、女三瓶、子三瓶、孫三瓶など)が集まっている(山)」(「タ(ン)ガ」のGA音が脱落して「タン」から「サン」となつた)

  「タヒ・マイ」、TAHI-MAI(tahi=one,unique,one...the other,together;mai=fermented,become quiet,hither)、「一つまた一つと湧き上がった(山)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「チ・(ン)ガク」、TI-NGAKU(ti=throw,cast;ngaku=strip,shred)、「岩屑が散乱している(土地)」

の転訛と解します。

 

(14)迩磨(にま)郡

 

a 迩磨(にま)郡

 古代から明治の郡名で、石見国の東部に位置し、中国山地、とくに大江高(おおえたか)山から北に伸びる丘陵が岩石海岸に接し、平地の少ない地域で、北は日本海、東は安濃郡、南は邑智郡、西は那賀郡に接します。おおむね現迩摩郡仁摩(にま)町、温泉津(ゆのつ)町、大田(おおだ)市の南西部(中世の大森領(石見銀山領)の区域)の区域です。

 この「にま」は、(1)昔仁万から大国にかけて大きな沼があり、「ヌマ(沼)」が転じた、

(2)備中国下道郡迩磨(にま)郷(中大兄皇子が兵士を徴発したところたちまち二万の兵士が集まったので「迩磨」という)から住民が移住してきたことによるとする説があります。

 この「にま」は、マオリ語の

  「ニヒ・マ」、NIHI-MA(nihi=steep;ma=white,clean)、「嶮しくて清らかな(海岸と山の続く地域)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニイ」から「ニ」となつた)

の転訛と解します。

 

b 仁摩(にま)町・宅野(たくの)浦・馬路(まじ)浦・琴(こと)ケ浜・温泉津(ゆのつ)町・大江高(おおえたか)山

 仁摩(にま)町は、大田市の西に位置し、近世には石見銀山の積出し港、物資の供給地となり、西回り航路の寄港地として栄えました。町の東部には宅野(たくの)浦が、西部の馬路(まじ)浦には鳴き砂で有名な琴(こと)ケ浜があります。

 温泉津(ゆのつ)町は、仁摩町の西に位置し、町名は温泉のある港の意とされます。温泉津港は、大きな湾入のある天然の良港で、近世には石見銀山の積出し港、北前船の寄港地として栄えました。町の東南には、大江高(おおえたか)山(808メートル)が聳えます。

 この「たくの」、「まじ」、「こと」、「ゆのつ」、「おおえたか」は、マオリ語の

  「タクヌイ」、TAKUNUI(wide)、「広い(浦)」

  「マチ」、MATI(=matimati=toe,finger)、「(高山から伸びた尾根の先端の)爪先(にあたる場所)」

  「コト」、KOTO(sob,make a loe sound)、「(歩くと砂が)すすり泣く(浜)」(地名篇(その二)の宮城県の(10)十八鳴(くぐなり)浜の項を参照して下さい。)

  「イ・フヌ・ツ」、I-HUNU-TU(i=beside,past tense;hunu,huhunu=be scorched,singe,double canoe;tu=stand,settle)、@「(火山である大江高山の火または温泉の熱で)焦げている場所のそば(の土地)」(「イ」と「フヌ」のH音が脱落した語頭のU音とが連結し、「フヌ」の語尾のU音がO音に変化して、「ユノ」となった)またはA「ダブル・カヌーの上に乗っている場所(温泉津湾が切れ込んでいる岩壁上の土地)のそば(の土地)

  「オ・ハウェ・タカ」、O-HAWE-taka(o=of,the...place of;hawe=eddy as wind,turn aside,bend in a road or river;taka=heap,lie in a heap)、「尾根が(V字形に)曲がっている山」(「ハウェ」のAWE音がOUE音に変化して「ホエ」となった)

の転訛と解します。

 

c 石見銀山・大森(おおもり)・仙(せん)ノ山・竜源寺間歩(りゅうげんじまぶ)

 太田市大森(おおもり)地区に戦国時代からの代表的銀山、石見銀山があります。16世紀前半に仙(せん)ノ山に銀坑が開発され、竜源寺間歩(りゅうげんじまぶ)は最大の坑道として史跡に指定されています。

 この「おおもり」、「せんの」、「りゅうげんじまぶ」は、マオリ語の

  「オフ・マ・ウリ」、OHU-MA-URI(ohu=surround;ma=white,clean;uri=dark,deep in colour,deep green)、「濃い木々の緑に覆われた清らかなところ(=森)に囲まれている(場所)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」と、「マ」のA音と「ウリ」のU音が連結してO音となり、「モリ」となった)

  「テ(ン)ガ・(ン)ガウ」、TENGA-NGAU(tenga=Adam's apple;ngau=bite)、「浸食された(なだらかな)喉ぼとけ(のように膨れた・山)」(「テ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「テナ」から「テン」、「セン」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となつた)

  「リウ・(ン)ゲネ・チ・マプ」、RIU-NGENE-TI-MAPU(riu=bilge of a canoe,valley,belly;ngene=wrinkle,fold;ti=throw,cast;mapu=flow freely)、「皺が寄った谷に掘られた、あちこちと曲がりくねって進む(坑道)」(「(ン)ゲネ」のNG音がG音に変化し、語尾のE音が脱落して「ゲン」となった)( 地名篇(その四)の兵庫県の(1)のc多田銀山の項を参照して下さい。)

の転訛と解します。

 

(15)那賀(なか)郡

 

a 那賀(なか)郡

 古代からの郡名で、石見国の中央に位置し、中国地方第一の河川である江(ごう)ノ川が貫流して日本海に注ぐ地域で、北は日本海、東は迩摩郡、邑智郡、南は安芸国、西は美濃郡に接します。おおむね現江津(ごうつ)市、浜田(はまだ)市、那賀郡三隅(みすみ)町、弥栄(やさか)村、金城(かなぎ)町、旭(あさひ)町の地域です。

 この「なか」は、(1)石見国の中央に位置するので「中」から「那賀」となつた、

(2)「ナガ(河川の堤防などが長く続く地。谷などが長く入り込んでいる地)」の意、

(3)忌部氏が阿波国那賀郡から移住したからとする説があります。

 この「なか」は、マオリ語の

  「(ン)ガ(ン)ガ」、NGANGA(breathe heavily,stone of fruit,shell or husk of shell-fish or fruit)、「苦しそうに息をする(川(江ノ川)が流れる・地域)」または「果物の芯(のような・国の中心に位置する・地域)」(最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガ」から「ナカ」となつた)

の転訛と解します。

 

b 江津(ごうつ)市・江(ごう)ノ川・都野津(つのつ)・敬(うや)川・湯路(ゆじ)川・有福(ありふく)温泉

 江津(ごうつ)市は、日本海に面した江(ごう)ノ川河口の都市で、市名は古来江ノ川水運の拠点として江津、郷津と称したことによります。江の川は、中国地方最大の河川で、「中国太郎」の異名を持ち、広島県三次盆地から脊梁山脈を横切つて江津市で日本海に注ぎますが、下流部に沖積平野を形成しないため、能無し川とも呼ばれます。この川は、とくに初秋から春にかけて濃い川霧を発生することで著名です。

 江津市西郊の都野津(つのつ)地区の北部は海岸砂丘、南部は良質の粘土層がある丘陵で石州瓦の産地です。江津市の南西部の敬(うや)川の支流湯路(ゆじ)川の渓谷斜面に階段状に旅館が建ち並ぶ有福(ありふく)温泉があり、「山陰の伊香

 この「ごう(ノ)」、「つのつ」、「うや」、「ゆじ」、「ありふく」は、マオリ語の

  「コフ・ノ」、KOHU-NO(kohu=fog,mist;no=of)、「霧の(霧が湧く・川)」(「コフ」のH音が脱落して「コウ」から「ゴウ」となった)または「コフ・ナウ」、KOHU-NAU(kohu=fog,mist;nau=come,go)、「霧が湧く(川)」(「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「ツノツノウ」、TUNOTUNOU(bend or bow repeatedly as in planting potatoes)、「芋を植える穴(粘土を採取する穴)がたくさん掘られている(場所)」(語尾の「ノウ」が脱落した)

  「フイア」、HUIA(the rare bird,the tail feathers of which are prized as ornament,anything much prized)、「珍重される(温泉の側を流れる川)」(H音が脱落し、IA音がYA音に変化して「ウヤ」となった)

  「イ・ウチ」、I-UTI(i=ferment,beside,past tense;uti=bite)、「湧き出た湯が浸食した(川)」(「イ」のI音とと「ウチ」のU音が連結して「ユ」となった)

  「アリ・プク」、ARI-PUKU(ari=clear,appearance,fence;puku=swelling,abdomen)、「膨らんだお腹のように見える(場所に湧く温泉)」

の転訛と解します。

 

c 浜田(はまだ)市・畳(たたみ)ケ浦・周布(すふ)川・三隅(みすみ)町・杵束(きつか。木都賀)・雲月(うつつき)山・波佐(はざ)川

 浜田(はまだ)市は、全国有数の水揚げ高をほこる水産都市で、市名は11世紀に藤原常方が浜に田を開いたことに由来するとされます。市の北部には天然記念物の畳(たたみ)ケ浦があり、貝化石、鯨骨などを核とした直径50センチメートルほどの丸椅子状の石塊が点在する隆起海床の千畳敷を高さ25メートル余の海食崖が囲んでいます。市の西部には、周布(すふ)川が流れます。

 三隅(みすみ)町は、浜田市の西に位置し、町名は律令時代からの地名によります。

 弥栄(やさか)村は、昭和31(1956)年に安城(やすぎ)村と杵束(きつか)村が合併し、公募によつて村名が付けられました。

 金城(かなぎ)町は、浜田市の南に位置し、町名は昭和31(1956)年に雲城(くもぎ)村、今福(いまふく)村、波佐(はざ)村が合併した際、3村の境界の金木(かなぎ)山(720メートル)にちなんで付けられたものです。南部の広島県との境には雲月(うつつき)山(912メートル)が聳え、周布川の上流の波佐(はざ)川が流れます。

 この「たたみがうら」、「すふ」、「みすみ」、「きつか」、「うつつき」、「はざ」は、マオリ語の

  「タタミ・(ン)ガ・ウラ(ン)ガ」、TATAMI-NGA-URA(tatami=press down,smother,vine used to protect the thatch of a roof from the action of the wind;nga=satisfied,breathe;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「(屋根が風で飛ばされないように置いた)置石がある・潮が出入りする舟付き場(の海岸。浦)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」と、「ウラ(ン)ガ」の語尾の「(ン)ガ」が脱落して「ウラ」となった)

  「ツ・フ」、TU-HU(tu=stand,settle;hu=hill,promontry)、「丘の上に立地している(集落。そのそばを流れる川)」

  「ミ・ツ・ミヒ」、MI-TU-MIHI(mi=stream,river;tu=stand,settle;mihi=sigh for,greet,express discomfort)、「不平を表す(洪水を起こす・川)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となつた)

  「キ・ツカハ」、KI-TUKAHA(ki=full,very;tukaha=vigorous,hasty,passionate)、「勢い良く(流れる川。その川が流れる土地)」(「ツカハ」の語尾のH音が脱落して「ツカ」となった)

  「ウツ・ツキ」、UTU-TUKI(utu=spur of a hill,front part of a house;tuki=pound,attack)、「軽く打たれた(少し浸食された)山」

  「ハタタ」、HATATA(blustering)、「荒れ狂う(川)」(反復語尾の「タ」が脱落して「ハタ」から「ハサ」、「ハザ」となった)

の転訛と解します。

 

(16)邑知(おうち)郡

 

a 邑知(おうち)郡

 古代からの郡名で、石見国の東南に位置し、中国地方第一の河川である江(ごう)ノ川が貫流する山間地帯で、西から北は那賀郡、北は迩磨郡、安濃郡、東は出雲国飯石郡、備後国、南は安芸国、西は美濃郡に接します。おおむね現邑智郡桜江(さくらえ)町、川本(かわもと)、邑智(おうち)町、石見(いわみ)町、瑞穂(みずほ)町、大和(だいわ)村、羽須美(はすみ)村、飯石郡赤来(あかぎ)町の西部(赤名地区)の地域です。

 『和名抄』は「於保知(おほち)」と訓じています。

 この「おうち」は、(1)大市(おおち)氏が住んでいたから、

(2)「大内(周囲を山で囲まれた小盆地)」の意、

(3)「崖地」地名で、「落ちた地」の転、

(4)「大市(大きな市場)」からとする説があります。 

 この「おほち」は、マオリ語の

  「オ・ホチウ」、O-HOTIU(o=the place of;hotiu=oblique,inclined)、「(江ノ川とともに西に向かって)傾いている・地域」(「ホチウ」の語尾のU音が脱落して「ホチ」となった)または「オ・ホチキ」、O-HOTIKI(o=the place of;hotiki=tie,fasten with cord etc.,tattoo marks on the forehead of a woman)、「紐(江ノ川とその支流)に結びつけられている・地域」(「ホチキ」の語尾のK音が脱落して「ホチ」となつた)

の転訛と解します。

 

b 羽須美(はすみ)村・口羽(くちば)・阿須那(あすな)・出羽(いずは)川・都賀行(つがゆき)・布施(ふせ)・粕淵(かすぶち)・尻無(しりなし)川・湯抱(ゆがかい)温泉

 江ノ川は備後国と石見国の境に位置する羽須美(はすみ)村の東端の山間の渓谷を流れて邑知郡に入ります。羽須美村は、昭和32(1957)年口羽(くちば)、阿須那(あすな)両村が合併した村で、中央を出羽(いずは)川が流れます。

 江ノ川は、北上して大和(だいわ)村を貫流し、邑智(おおち)町粕淵(かすぶち)で大きく方向を変えて西流します。大和村は、昭和32(1957)年都賀行(つがゆき)、都賀(つが)、布施(ふせ)の3村が合併した村です。邑智町の町名は、邑智郡の表玄関に位置する意とされます。町の北部には、尻無(しりなし)川が流れ、その川沿いに湯抱(ゆがかい)温泉があり、柿本人麻呂終焉の地鴨山が近くにあります。

 この「くちば」、「あすな」、「いずは」、「つがゆき」、「ふせ」、「かすぶち」、「しりなし」、「ゆがかい」は、マオリ語の

  「クチ・パ」、KUTI-PA(kuti=pinch,contract;pa=stockade)、「(両側の山から)挟みつけられている集落」

  「ア・ツ(ン)ガ」、A-TUNGA(a=the...of,belonging to;tunga=circumstance of standing,site,foundation)、「(我らの)居住地」(「ツ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ツナ」から「スナ」となった)

  「イ・ツハ」、I-TUHA(i=beside,past tense;tuha=tuwha=spit,expectorate)、「唾を吐く(ときどき急に大水が出る)川のそば(の土地。またその川)」

  「ツ(ン)ガ・イ・ウキ」、TUNGA-I-UKI(tunga=circumstance of standing,site,foundation;i=beside,past tense;uki=distant times past or future)、「昔からの居住地」(「ツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ツガ」となった)

  「フ・テ」、HU-TE(hu=hill,promontry,resound,silent;te=crack)、「割れ目の入った丘」

  「カツア・プチ」、KATUA-PUTI(katua=stockade or main fence of a fort;puti=dried up,cross-grained of timber)、「川の流れが渦を巻くところ(淵)にある主要な集落(がある土地)」(「カツア」の語尾のA音が脱落して「カツ」から「カス」となつた)

  「チリ・ナチ」、TIRI-NATI(tiri=throw or place one by one,scatter,share;nati=pinch,contract)、「狭い谷が次から次に連なっている(川)」

  「イ・フ・カカイ」、I-HU-KAKAI(i=beside,past tense,fermented;hu=bubble up;kakai=eat frequently,frequentative)、「頻繁に湯を噴出する温泉のそば(の土地)」(「イ」のI音と「フ」のH音が脱落したU音が連結して「ユ」となった)

の転訛と解します。

 

c 川本(かわもと)町・京太郎(きょうたろう)山・矢上(やかみ)川・断魚(だんぎょ)渓・桜井(さくらい)・八戸(やと)川・日和(ひわ)川・千丈(せんじょう)渓

 邑智町の西に川本(かわもと)町があり、町名は古来の郷村名によります。

 川本町の南に石見(いわみ)町があり、町名は石見地方の中央に位置することから命名されました。町の中央に京太郎(きょうたろう)山(827メートル)があり、その南から東には矢上(やかみ)川が流れ、その下流には名勝断魚(だんぎょ)渓があります。

 川本町の西には桜江(さくらえ)町があり、町名は古代の桜井(さくらい)郷と江ノ川の名によります。町の南部、石見町との境に、八戸(やと)川に合流する日和(ひわ)川の渓谷に名勝千丈(せんじょう)渓があります。

 この「かわもと」、「きょうたろう」、「やかみ」、「だんぎょ」、「さくらい」、「やと」、「ひわ」、「せんじょう」は、マオリ語の

  「カワ・モト」、KAWA-MOTO(kawa=heap,reef of rocks,channel,passage between rocks or shoals;moto=strike with the fist)、「拳骨で殴られた(ように谷が広くなった)川瀬(の場所)」

  「キオ・タ・ロウ」、KIO-TARAU((Hawaii)kio=projection,protuberance;tarau=beat,pound,paddle sideways)、「突出した山を平らに叩き潰したような(山)」

  「イア・カミ」、IA-KAMI(ia=current,indeed;kami=eat)、「大地を呑み込む(川)」

  「タンガ・キオ」、TANGA-KIO(tanga=be assembled,row,company;(Hawaii)kio=small pool for stocking fish spawn usually attached to longer ponds)、「大小の魚の蓄養池が一列に並んでいるような(渓谷)」

  「タク・ライ」、TAKU-RAI(taku=edge,gunwale,hollow;rai=ribbed,fullowed)、「皺が寄った山の端(の場所)」

  「ヒワ」、HIWA(watchfull,alert,vigorous growth)、「勢い良く水嵩が増す(川)」

  「テノ・チオ」、TENO-TIO(teno=notched;tio=rock-oyster)、「ぎざぎざの岩牡蛎(が連なっている・渓谷)」(「テノ」の語尾のO音が脱落して「テン」から「セン」となつた)

の転訛と解します。

 

(17)美濃(みの)郡

 

a 美濃(みの)郡

 古代から明治の郡名で、石見国の西南部に位置し、高津(たかつ)川・益田(ますだ)川の流域の山地の多い地域で、北は日本海、東は那賀郡、南は安芸国と鹿足(かのあし)郡、西は長門国に接します。おおむね現益田(ますだ)市、美濃郡美都(みと)町、匹見(ひきみ)町の地域です。承和10(843)年に郡の南西部を分離して鹿足(かのあし)郡が成立しました(『続日本後紀』)。

 この「みの」は、(1)「この地には大農郷、美濃郷、小野郷の大中小の三野(みの)があった」から、

(2)「ミ(水)・ノ(野)」で、「湿地」の意、

(3)「ミ(美称)・ノ(野)」の意とする説があります。

 この「みの」は、マオリ語の

  「ミ(ン)ゴ」、MINGO(wrinkled)、「皺が寄っている(地域)」(NG音がN音に変化して「ミノ」となつた)

の転訛と解します。

 

b 益田(ますだ)市・高津(たかつ)川・七尾(ななお)山・都茂(つも)・匹見(ひきみ)町・広見(ひろみ)川

 益田(ますだ)市は、県の西端に位置し、高津(たかつ)川と益田(ますだ)川がつくる沖積平野に市街地が広がっています。市名は、古代以来の郷名により、「真砂田(ますなだ)」の意と解されています。鎌倉時代初期に石見守護益田兼高が七尾(ななお)山に城を築いて以来、中世を通じ城下町として発展しました。  美都(みと)町は、益田市の東南にあり、昭和32(1957)年東仙道(ひがしせんどう)、二川(ふたがわ)、都茂(つも)の3村が合併し、美濃の郡名と都茂の村名から町名が合成されました。都茂には、古代からの銅山がありましたが、昭和37(1962)年に閉山しました。

 匹見(ひきみ)町は、美都町の南、四方を嶮しい山地に囲まれた町で、町名は「桧木見(ひのきみ)」によるとされます。高津川の支流匹見川に変化に富む表匹見峡、幽閑な奥匹見峡、そしてその支流広見(ひろみ)川に荒々しい奇岩怪石をもつ裏匹見峡の渓谷があります。

 この「ますだ」、「たかつ」、「ななお」、「つも」、「ひきみ」、「ひろみ」は、マオリ語の

  「マツ・タ」、MATU-TA(matu=cut,cut in pieces;ta=dash,beat,lay)、「粉々になつたもの(砂)がそこにある(場所)」

  「タカ・ツ」、TAKA-TU(taka=rise,raise;tu=stand,settle)、「高いところにある(高いところから流れてくる・川)」

  「ナナ・アウ」、NANA-AU(nana=eyebrow,tatoo marks between the eyebrow;au=certainly)、「確かに眉のところにある(眉毛のようにカーブした益田川の南にある・山)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

  「ツマウ」、TUMAU(fixed,constant,continuous)、「永く続いている(鉱山。その鉱山のある土地)」(AU音がO音に変化して「ツモ」となった)

  「ヒキ・ミ」HIKI-MI(hiki=lift up,carry in the arms,convey;mi=stream,river)、「高いところから流れ下る川(その川の流れる土地)」

  「ヒロウ・ミ」、HIROU-MI(hirou=rake,net for dredging shellfish;mi=stream,river)、「熊手で引っ掻くように流れる川(その川の流れる土地)」

の転訛と解します。

 

(18)鹿足(かのあし)郡

 

a 鹿足(かのあし)郡・能濃(のの)郷

 古代からの郡名で、石見国の西端に位置し、高津(たかつ)川の上流、その支流津和野(つわの)川の流域の山間地帯で、北から東は美濃郡、南は周防国、西は長門国に接します。おおむね現鹿足(かのあし)郡日原(にちはら)町、津和野(つわの)町、柿木(かきのき)村、六日市(むいかいちち)町の地域です。承和10(843)年に美濃郡鹿足郷と能濃(のの)郷が分離して成立しました(『続日本後紀』)。郡名は、郷名によります。中世は、吉賀(よしか)郡の郡名がもつぱら使われました。

 『和名抄』は「加乃阿之(かのあし)」と訓じています。

 この「かのあし」は、(1)昔八角八足の怪鹿が暴れたのを江熊太郎という勇者が退治したことにちなむ、

(2)「カノ(刈野。崖地、崩壊地)・アシ(アズに同じ。崖地)」の意とする説があります。

 この「かのあし」は、マオリ語の

  「カノイ・アチ」、KANOI-ATI(kanoi=strand of a rope,twist as in making a rope;ati=beginning,descendant,clan)、「何本もの紐(支流の川)を集めて縄(高津川)を綯っているような(地域)」(「カノイ」の語尾の「イ」が脱落した)

の転訛と解します。

 なお、古代の郷名「のの」は、マオリ語の

  「ノノホ」、NONOHO(=noho=sit,stay,settle)、「居住(地)」(H音が脱落して「ノノオ」から「ノノ」となった)

の転訛と解します。

 

b 日原(にちはら)町・安蔵寺(あぞうじ)山・木部谷(きべたに)温泉・吉賀(よしか)川・津和野(つわの)町・青野(あおの)山

 日原(にちはら)町は、益田市の南に位置し、町名は近世以降の村名によります。日原町、柿木村、美濃郡匹見町の境に南北朝時代山岳仏教の聖地であった島根県最高峰の安蔵寺(あぞうじ)山(1,263メートル)があります。

 柿木(かきのき)村は、県南西端の村で、村名は柿の大木があることによります。村の東部に2.5メートルの高さに噴き上げる間欠泉がある木部谷(きべたに)温泉があります。

 六日市(むいかいち)町は、県南端の町で、町名は六の日に市が立ったことによります。柿木村から六日市町にかけてが古代の鹿足郷と考えられますが、津和野川が合流した高津川の上流の別名を吉賀(よしか)川ということもあり、中世には郡名・郷名を「吉賀」と称しました。

 津和野(つわの)町は、県最西端、津和野川沿いの盆地にある町で、中心部は近世の津和野藩の城下町で、「山陰の小京都」といわれます。町の東には、青野(あおの)山(908メートル)が聳えます。

 この「にちはら」、「あぞうじ」、「きべたに」、「よしか」、「つわの」、「あおの」は、マオリ語の

  「ニチ・パラ」、NITI-PARA(niti=toy dart;para=cut down bush,clear,sediment)、「投げ矢が真つ直に飛んできて刺さった(津和野川が真っ直に流れて高津川に合流した地点にある)原(の地域)」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)

  「アト・ウチ」、ATO-UTI(ato=thatch,enclose in a fence;uti=bite)、「喰いちぎられた(草葺きの)屋根(のような・山)」

  「キ・イ・ペタペタ・ヌイ」、KI-I-PETAPETA-NUI(ki=full,very,to(of place),upon,at;i=ferment;petapeta=all at once;nui=big,large,many)、「周りにまとめて一遍に大量の湯を噴き上げる(温泉)」(「ペタペタ」の反復語尾が脱落して「ペタ」と、「ヌイ」が「ニ」となった)

  「イオ・チカ」、IO-TIKA(io=muscle,line,spur,lock of hair;tika=shrill,burning,straight)、「騒がしい音を立てて流れる川(その流域)」または「イオ・チ(ン)ガ」、IO-TINGA(io=muscle,line,spur,lock of hair;tinga=ti=throw,cast,overcome)、「氾濫する川(その流域)」

  「ツ・ワノ」、TU-WHANO(tu=stand,settle;whano=proceed,lead of a road,verge towards)、「(長門国への)進路に位置している(場所)」

  「アオ・(ン)ガウ」、AO-NGAU(ao=scoop up with both hands,take in quantities;ngau=bite,hurt,attack)、「崩れている・両手で掬って積み上げた(山)」

の転訛と解します。

 

(19)隠岐(おき)国・天忍許呂別

 

 隠岐国は、島根半島の北44キロメートルの日本海に浮かぶ隠岐群島に置かれた国です。西ノ島(現隠岐郡西ノ島町)、中ノ島(海士(あま)町)、知夫里(ちぶり)島(知夫(ちぶ)村)の3島を島前(どうぜん)と呼び、島後(どうご。五箇()村、都万(つま)村、西郷(さいごう)町、布施(ふせ)村)島のほか、約180の島からなります。

 『古事記』、『日本書紀』では「隠岐之三子之島」、別名「天忍許呂別(あめのおしころわけ)」と記します。古代の郡は、智夫(ちぶり)(西ノ島、知夫里島)、海部(あま)(中ノ島)、周吉(すき)(島後)、役道(えち)(島後)の4郡でしたが、『和名抄』は知夫、海部、周吉、隠地(おち)と記します。昭和44(1969)年に4郡を統一して隠岐郡となりました。

 『和名抄』は「於伎(おき)」と訓じています。

 この「おき」は、「(海の)沖の島」からとされます。

 この「おき」、「あめのおしころわけ」は、

  「オキ」、OKI((Hawaii)cut in two,divide,separate)、「(縄文海進により島前、島後が)切り離された(島。国)」

  「アマイ・ノホ・チコロ・ワカイ(ン)ガ」、AMAI-NOHO-TIKORO-WAKAINGA(amai=swell on the sea;noho=sit,stay,settle;tikoro=sunken,wasted away;wakainga=distant home)、「遠くにある・(縄文海進により全体が)沈んで・(海の上に)残った・隆起(島)」(「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」と、「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。(オリエンテーション篇の3の(2)「隠岐」と関連地名の項を参照して下さい。)

 

(20)知夫(ちぶ)郡

 

a 知夫(ちぶ)郡

 おおむね島前の西ノ島(隠岐郡西ノ島町)および知夫里島(同郡知夫村)の地域です。

 『和名抄』は訓を欠きますが、藤原宮跡出土の木簡に「知夫里評(ちぶりのこほり)」とありますので、ここでは「ちぶり」と訓ずることとします。

 この「ちぶり」は、マオリ語の

  「チプ・リ」、TIPU-RI(tipu=swelling,lump(tiputipu=scrofulous nature);ri=protect,screen,bind)、「(おできのような)膨らみが繋がっている(島の地域)」

の転訛と解します。

 

b 浦郷(うらごう)・黒木(くろき)・別府(べっぷ)湾・焼火(たくひ)神社・国賀(くにが)海岸

 西ノ島町は、西ノ島にあり、昭和32(1957)年浦郷(うらごう)町と黒木(くろき)村が合併して島名を町名としました。

 別府(べっぷ)湾東海岸の黒木山には後醍醐天皇の黒木御所跡があります。島の南部の焼火(たくひ)山(452メートル)の岩窟に焼火(たくひ)神社があり、神火を絶やさず、海上の守護神として崇敬されています。島の北西部には、大絶壁、大断崖や岩礁、洞窟などが続く変化に富んだ国賀(くにが)海岸があります。

 この「うら」、「くろき」、「べっぷ」、「たくひ」、「くにが」は、マオリ語の

  「ウラ(ン)ガ」、URANGA(circumstance of becoming firm,place of arrival)、「到着地(船着き場)」(語尾のNGA音が脱落して「ウラ」となった)

  「クフ・ロキ」、KUHU-ROKI(kuhu=thrust in,insert;roki=make calm,calm)、「奥が静かな(山)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

  「ペ・プ」、PE-PU(pe=crushed,suppurating;pu=tribe,bunch,heap,base or foundation of a mountain)、「崩壊した山裾(にある湾)」

  「タクヘ」、TAKUHE(secure,without apprehension)、「間違いなく(航行の)安全を確保する(灯火)」(語尾のE音がI音に変化して「タクヒ」となつた)

  「ク・ヌイ(ン)ガ」、KU-NUINGA(ku=silent;nuinga=majority,party,people)、「殆どの人が(感動して)絶句する(絶景の土地)」(「ヌイ(ン)ガ」のUI音がI音に、NG音がG音に変化して「ニガ」となった)

の転訛と解します。

 

(21)海部(あま)郡

 

a 海部(あま)郡

 中の島を郡域とし、海士(あま)町となっています。

 この「あま」は、マオリ語の

  「アマ」、AMA(outrigger of a canoe,thwart of a canoe)、「カヌーのアウトリガーのような(島前三島のうちの最大の西ノ島というカヌーの本体の東南にあるアウトリガーのような中ノ島の地域)」

  または「ア・マ」、A-MA(a=drive,collect,the...of;ma=white,clean,free from TAPU)、「禁忌から解き放たれた人々(この世の一般の決まりごとに拘束されない人々=海人の住む地域)」

の転訛と解します。

 

b 金光寺(きんこうじ)山・三郎(さぶろう)岩

 中ノ島には中央部に展望のよい金光寺(きんこうじ)山があり、島の北部の海岸には大中小の3つの奇岩、三郎(さぶろう)岩があります。

 この「きんこうじ」、「さぶろう」は、マオリ語の

  「キニ・コウ・チ」、KINI-KOU-TI(kini=pinch;kou=knob,stump;ti=throw,cast)、「つまんで高くした丘が放り出されている(山)」(「キニ」の語尾のI音が脱落して「キン」となった)

  「タプ・ロウ」、TAPU-ROU(tapu=under religious or superstitious restriction,beyond one's power,inaccessible;rou=a long stick or pole,stretch out)、「近寄り難い柱(状の岩)」

の転訛と解します。

 

(22)隠地(おち)郡

 

a 隠地(おち)郡

 島後の西半分が郡域で、五箇(ごか)村と都万(つま)村の地域です。古くは役道(えち。隠岐国正税帳・平城宮出土木簡)、越智(えち、おち)、越知(えち、おち)などとも記しました。『続日本後紀』承和9年9月条には「穏地(おち)郡」とあります。

 この「おち」は、「中央から遠隔の地」の意とする説があります。

 この「えち」、「おち」は、マオリ語の

  「エチ」、ETI(shrink,recoil)、「(縄文海進の結果、陸地が)縮んだ(または後退した・地域)」

  「オチ」、OTI(finished)、「中央からの街道の終わり(の土地)もしくは(縄文海進の結果黒曜石が海底に沈んだため、その採取が)終了した(地域)」または「オホ・チ」、OHO-TI(oho,ohooho=of gtrat value,needing care;ti=throw,cast)、「貴重なもの(黒曜石)を放棄した(地域)」(「オホ」のH音が脱落して「オ」となつた)

の転訛と解します。

 

b 五箇(ごか)村・久見(くみ)・水若酢(みずわかす)神社・都万(つま)村・那久(なぐ)川・壇鏡(だんぎょう)の滝

 五箇村は、島後の北西部にあり、村名は中世以来の地域名によります。村の北岸に久見(くみ)があり、その地先の海底から産する黒曜石は硬度が高く良質で、石器時代に広い範囲に運搬され、本土は勿論、ロシアの沿海州の1万8千年前の遺跡や、朝鮮半島からも発見されていることが蛍光X線分析により証明されています。また、村には式内社で明神大社である隠岐国一宮の水若酢(みずわかす)神社が鎮座します。

 都万(つま)村は、五箇村の南、島後の南西部にあり、村名は古代以来の郷名で、天健金草(あまたけかなくさ)神社の主祭神抓津姫(つまつひめ)命にちなむとされます。村の北部の那久(なぐ)川の上流に日本名水百選・日本の滝百選に選ばれた落差50メートルの雄滝・40メートルの雌滝が左右に分かれた壇鏡(だんぎょう)の滝があります。

 この「ごか」、「くみ」、「みずわかす」、「つま」、「なぐ」、「だんきょう」は、マオリ語の

  「(ン)ガウ・カ」、NGAU-KA(ngau=bite,hurt,attck,wander;ka=take fire,be lighted,burn)、「(縄文海進によって海に)呑み込まれ(て移転し)た集落(の土地)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)

  「クフ・ミ」、KUHU-MI(kuhu=thrust in,insert,conceal;mi=stream,river)、「水の中に(黒曜石を)隠している(場所)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となつた)

  「ミ・ツ・ワカツ」、MI-TU-WHAKATU(mi=stream,river;tu=stand,settle;whakatu=(in the expressin whakatu rakau)practise with weapons(tu=fight with,energetic,persistent))、「人を奮い立たせるもの(黒曜石の武器)を包蔵する水(海)(の神を祀る神社)」

  「ツ・ムア」、TU-MUA(tu=stand,settle;mua=the front of place,the fore part of place,before)、「(島後の)前面に位置する(土地)」(「ムア」のUA音がA音に変化して「マ」となった)または「ツフア・ムア」、TUHUA-MUA(tuhua=obsidian;mua=the front of place,the former time)、「黒曜石(が採れる場所)の前面の土地」または「昔は黒曜石が採れていた(土地)」(「ツフア」のH音と語尾のA音が脱落して「ツウ」から「ツ」と、「ムア」のUA音がA音に変化して「マ」となった)

  「ナク」、NAKU(dig,scratch)、「(大地を)掘って流れる(川。その流れる土地)」

  「タ(ン)ガ・イホ」、TANGA-IHO(tanga=be assembled,row,tier;iho=that wherein consists the strength of a thing)、「長い筋のような滝が左右に並んでいる(滝)」(「タ(ン)ガ」の語尾のA音と「イホ」のH音が脱落して連結し、「タンギオ」から「ダンギョウ」となった)

の転訛と解します。

 

(23)周吉(すき)郡

 

a 周吉(すき)郡

 島後の東半分の地域で、西郷(さいごう)町と布施(ふせ)村の地域です。初見は藤原宮出土木簡で「次評(すきのこほり)」とあります。

 『和名抄』は訓を欠きますが、『郡名考』は「しゅきつ」、『天保郷帳』は「すきつ」と訓じています。

 この「しゅきつ(すきつ)」は、マオリ(ハワイ)語の

  「ツ・キヒ・ツ」、TU-KIHI-TU(tu=girdle;kihi=cut off,strip of branches etc.;(Hawaii)kihi=outside corner,edge;tu=stand,settle)、「(島を取り巻く)帯の外側にある(地域)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となつた)

の転訛と解します。

 

b 西郷(さいごう)町・八尾(やび)川・大満寺(だいまんじ)山・乳房(ちち)杉・布施(ふせ)村・浄土ケ浦(じようどがうら)

 西郷(さいごう)町は、おおむね島後の東半分を占める町で、町名は近世の八尾(やび)村の八尾川の河口、天然の良港西郷湾に臨む西郷に、松江藩の陣屋が置かれたことに由来します。町の中央に、隠岐最高峰の大満寺(だいまんじ)山(608メートル)があり、山腹には鍾乳石状の乳根を垂らした樹齢800年の乳房(ちち)杉があります。

 布施(ふせ)村は、島後北東部にあり、村名は古来からの地名によります。村の東部には、切り立った断崖と赤褐色の多島海景観をもつ浄土ケ浦(じようどがうら)があります。

 この「さいごう」、「やび」、「だいまんじ」、「ちち」、「ふせ」、「じようどがうら」は、マオリ語の

  「タイ・(ン)ガウ」、TAI-NGAU(tai=the sea,the coast,tide,wave;ngau=bite,hurt,attack)、「波を鎮める(湾)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がOU音に変化して「ゴウ」となつた)

  「イ・アピ」、I-APIAPI(i=beside,past tense;apiapi=crowded,constricted)、「人が多く集まっている場所のそば(を流れる川。その場所)」

  「タイマハ・ナチ」、TAIMAHA-NATI(taimaha=heavy,oppressed in body or mind;nati=pinch,contract,fasten bulrush thatch on the roof of a house)、「(屋根に草を生やしているように)乳房杉を生やしている・重くどっしりした(山)」(「タイマハ」のH音が脱落して「タイマ・ナチ」から「タイマンチ」、「ダイマンジ」となった)

  「チチ」、TITI(peg,pin)、「棒(のような乳根を垂らした・杉)」

  「フ・テ」、HU-TE(hu=hill,promontry;te=crack)、「(大満寺山から北方に伸びる)山の割れ目(の土地)」

  「チホウ・ト(ン)ガ・ウラ(ン)ガ」、TIHOU-TONGA-URANGA(tihou=an implement used for cultivating;tonga=blemish on the skin,wart;uranga=circumstance of becoming firm,place of arrival)、「人の皮膚を鍬で掘つたような(血みどろの傷がある)船着き場(の海岸)」(「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「チョウ」、「ジョウ」と、「ト(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「トガ」から「ドガ」と、「ウラ(ン)ガ」の語尾の「(ン)ガ」が脱落して「ウラ」となった)

の転訛と解します。

トップページ 地名篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

<修正経緯>

1 平成15年11月1日

 鳥取県の(16)日野郡のc根雨の項の「根雨(ねう)」の解釈を現地の地形を検討した結果修正しました。

2 平成16年11月1日

 鳥取県の(2)巨濃郡の岩井の解釈を一部修正、(4)八上郡の戸倉峠の解釈を修正、(11)河村郡に天神川の解釈を追加、(12)久米郡の犬挟峠の別解釈を追加、(14)汗入郡の御来屋の項に参考として「御厨(みくりや)」の解釈を追加、(15)会見郡に箕蚊屋平野の解釈を追加し、

 島根県の(2)意宇郡の解釈を一部修正、(4)嶋根郡の蜈蚣島の項に参考として「百足(むかで)」の解釈を追加、潜戸の解釈を一部修正、(7)出雲郡の杵築の別解釈を追加、(8)神門郡の立久恵峡の別解釈を追加、(16)邑智郡の別解釈を追加しました。

3 平成17年6月1日

 島根県の(19)隠岐国に「天忍許呂別」の解釈を追加しました。

4 平成19年2月15日

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

5 平成22年10月1日

 鳥取県の(14)汗入郡のb火神岳の項中「大山」の別解釈を追加し、島根県の(6)盾縫郡のb平田市の項中「於豆振の埼」の解釈を修正しました。

地名篇(その十二) 終わり

 
U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
 このHPの内容をそのまま、または編集してファイル、電子出版または出版物として
許可なく販売することを禁じます。
Copyright(c)1998-2007 Masayuki Inoue All right reserved