あまりにも(裏)な更新日記7       

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12月27日

 更新した「読み週記」に書いたとおり、月曜の更新をすっかり忘れていて慌ててベストを含め更新した。とりあえずやりきった感じで今年の更新はこれにておしまい。今年もお世話になりました。HPで一年を振り返るとあんまり充実してないのはなぜかしら。ガンバレ来年。

12月15日

 唐突だけど「SURFACE」というバンドがある。このバンド名(ユニット名、なのかな?)は色んな意味に取ることが出来て、本人達がそれを意識してつけたのかどうかはよく知らないんだけど、時折その英語の語彙が頭に浮かぶことがある。このHPもずいぶん長く続いていて、特に今日更新した「読み週記」とかこの更新日記なんかは、かなり自分の薄い表層の部分が大半を占めているような気がして、これだけ続けてきてそれってどうなんだろう、と疑問に思ったりすることがある。まあだからどうということでもないんですが。更新したこととはなんの関係もないですね。そうですね。

12月7日

 なんとなく忙しいような師走である。俺は師ではないんだけど、この「師走」という言葉はうまいこと言い訳に使えて便利だなぁ、と思ったりしながら、今週も更新した「読み週記」には新しい本の追加はない。
 師走で忙しいのはいいけど、振り返ってみると、年末だからっていうような師走の用事はなに一つやってない気がします。あれ。

12月1日

 誕生日近辺の更新日記で、友人が今日も更新した「読み週記」に過去登場した書名その他のエクセルを作ってくれた話を書いた。最初の1、2年はえらく大変だったが、徐々に読んでいる数が減ったので段々楽になってきた、と言われたがその通り、近年とみに「今週はなし」が増えている。祝日に更新を休んだりしたことも一因だとは思うが、どんどん読む量が減っていて、仕事したりで色々忙しいから当たり前なのだが、なにか寂しい。

11月16日

 来週は祝日のタメ更新はお休み!と今回は久しぶりに「読み週記」にも日記にも書いたぞ。というわけで激しく寒い日がぽつぽつと訪れるようになったので、鍋物の事ばかり考える日々が始まった。

11月10日

 更新した「読み週記」にも書いたように(あ、前回と同じ書き出しだ!そして何度も使ってるパターンだ!)、先週は祝日でお休みだった。そして再来週もお休みですね。いいんだか悪いんだか。
 毎月読み週記が新しい月に入るときに、リンクが張れているかを確認するために自分のページを見る。それ以外は何が書いてあるかは知っているので自分で見るようなことがないため、毎回1ヶ月ぶりに訪れる自分のページなのだ。んで、その度に「あ、少しカウンターが回ってるような気がする」って思うんだけど、なにせ前回見たのが一月前なので、どれくらい回っているのか、そもそもホントに回っているのかどうかすらわからない。酷い開設者もあったものである。で、そんなこんなをしている内に、いつしかカウンターが2000回を超えていた。それも大分前に。一月ごとに自分のページを訪れると、「あ、そうだ、2000を突破したんだからお礼を書かなきゃ」と思うんだけど、結局次週の更新時には忘れちゃう。今回祝日休みのことを書きながらついに更新時に思い出したので、ようやく言えます。2000回も来てくれてありがとうございます。

 

10月27日

 更新した「読み週記」にも書いたように、週末を風邪に負けて過ごした。よっぽど酷い風邪でもない限り、一日を寝て過ごすような事は無いと思うんだけど、今回は大した風邪でもないくせに寝て過ごしてみた。風邪で寝ながら読書をしていると、子供の頃、風邪で学校を休んで一日本を読んでいられるのが嬉しかったのを思い出す。その頃との違いは、本を読むつもりで結局寝ちゃうあたりか。

10月20日

 一期一会という言葉があるが、出会いを大切にするのはいったい出会った方なのか、出会われた方なのか。お互いに出会った方なんだけど、なんというか、出会った方と出会われた方、という関係性が成り立つ出会いもある。時にはその出会いを迎えるのに大変な努力がさかれていたりすると、出会った方と出会われた方と、出会わせた方との三者関係になったりして、ますますややこしい。一体誰がどれを大事にしてるのやらさっぱりわからない。と、書いてることがさっぱりわかりませんか。そうですか。
 意味の分からないことを述べつつ、眠気に負けながら「読み週記」を更新。

10月7日

 月曜日から夜遊びをしていたので「読み週記」の更新が一日遅れ。「読書の秋」なんていうけど、あんまりエンジョイできてないな、俺。というか「読書の秋」なんてフレーズを久しぶりに遣った気がします。全国の小中学校では未だに使ってるんでしょうか。

9月29日

 更新した「読み週記」に、ベッキーというテレビに出ている人を見逃した話を書いたけど、よく考えるとつい最近、この人のこと、下北沢で目撃してるじゃん、俺。

9月22日

 一週間の祝日休みをはさんで、「読み週記」を更新。そっちにも書いたけど、この間に一つ年をとった。一体何歳になったのかは内緒だけど、このページを読んでくれている人はほとんどが知人なのであんまり意味がない。ほんの2年前から、俺の誕生日はあんまり心躍らない歴史的な出来事に隣接することで覚えやすい日になってしまった。だからどうしたと言われても困るけど。向こうは知ったことではないだろうし、あんな事があった日とつながっていても、誕生日は誕生日で祝っているんだから、俺にとってもそういうことなのかもしれない。人間はそんなにたくさんを抱えて生きていけないものだ。

9月8日

 今日更新した「読み週記」で、書名を書いているときに『消えた少年たち』と打とうとして『消えた少年隊』と書いてしまい、笑いそうになってしまった。だからなにというわけではないですが。みんなでよってたかって「暑くない暑くない」と言っているうちに、一夏をミシェル・カミロで過ごしてしまった。ライブアルバムも出たこともあったが、不思議な夏だ。

9月1日

 今日から新学期でございます。憂鬱な気持ちで始業式を迎えた人々その他、ご苦労様でございます。そんな方々を後目にわたくしは夏休み、とは行かずに普通に出勤している。何が言いたいかというと、混み合った電車でため息を付きながら「読み週記」を更新した、ということだ。

8月25日

 何も読まずにしょうもないことをただただ書き連ねた「読み週記」を更新。読書日記を通して自らの日々を振り返る8月。なんて言ってるうちに8月ももうじき終わりである。お、また電車が混むなぁ。

8月18日

 記録的な夏。なんと涼しい毎日が続くことか。凌ぎやすいのは良いけど、こんな事で日本は秋冬を乗り切れるんでしょうか。扱ったり涼しかったり。みなさま風邪などひかぬようにお気をつけ下さい。なんだそりゃ。えーと、「読み週記」を更新しました。
 ほら、見舞うほどの残暑もないし。

8月12日

 記録的に眠い。文字を打っていても間違いが多いくらいの眠さである。別にそのことになんの文句もない。眠いのはいつものことだ。眠さにも色々ある。謎の言葉を書き連ねつつ、「読み週記」を更新。 こんなんですいません。

8月4日

 いよいよ梅雨が明けて、早速暑くなってきた。汗をかくのが嫌いな俺は、文字通りに汗をかくことも嫌い。自然に汗をかくことが健康にいいそうですが、だからって、ねぇ。
 そんな日々にかえって汗をかくようなことをして、よりげんなり。日中から全身がビールを熱烈募集している日々はどうか。というわけで密かに賞味期限が切れたビールを飲みながら「読み週記」を更新。

7月29日

 なんだろう、前回に続いてミシェル・カミロについて書きたいことがあったような気がするんだけど忘れてしまった。残念。別にお気に入りのプレイヤーを紹介するページじゃないのでまあよし。8月にライブアルバムが出るそうで。
 というわけで「読み週記」を更新。そうか、前回は更新しても一冊も読んでなかったのね。

7月14日

 このところすっかりミシェル・カミロにおおハマリである。いつもPCから音楽を吸い出した機械を持ち歩いているんだけど、だんだん暑くなってくるし、ラテン系でゴー、とばかりにミシェル・カミロばかりを吸い出したところ、頭の中がすっかりミシェル・カミロだらけになってしまった。オクターブで高速移動しながらテンション高く歩いている感じになるので、電車の中や歩いている時もすっかりカミロ節に占領されている。これはこれで楽しいんだけど、もっと暑い本格的な夏になったら、こんなに熱い音楽ばかり聴いていたら倒れるんじゃないかと心配になってしまう。季節が進んだら、もっと乾いたラテンサウンドに変えた方がいいのかも。またトリオで日本に来てくれないかなぁ。
 というわけでいきなりJAZZの話題でお茶を濁していることからもわかるとおり、今週の 「読み週記」は更新したけど、本は一冊も出てこない。

7月7日

 七夕の夜ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。もはやほとんど意識されない日ですが。
 今週更新の 「読み週記」は、ギリギリ一日の滑り込みでまだ6月分。だからどうしたと言われれば困るだけだが、作業の手順が少なくて済むから大変楽なのだ。特にこんな眠い日には助かる、という話で。

6月30日

 更新した「読み週記」で触れているが、フランスで行われたサッカーのコンフェデレーションズカップで、カメルーン選手が試合中に突然死をしてしまう、ということがあった。なんとも衝撃的な出来事だが、これをきっかけに、選手達の体調を苦しめるサッカーの過密日程に批判がまた持ち上がっているという。そんな批判を意識してなのか、あえてそれに対抗するかのように「今後、コンフェデレーションズカップを亡くなったフォエ選手にちなんだ名前に変更しようか」なんて事を言いだした、FIFA会長ブラッターのやり方はさすが。なんというか、本当に政治家なんだな、このひと、と思ってしまった。悲劇を宣伝含みの急増伝説で塗り固めよう、という姿勢がスゴイ。
 今回、フォエ選手が亡くなったことが、サッカーの過密日程に直接関係があるのかどうかは定かではないので、必ずしもスケジュールや大会批判が的を射ているというわけではない。かといって、全く的はずれだと一顧だにしない、というのもいかがなものか。フィジカルに不安を抱える選手は毎年の様にシーズンを棒に振ることが多いし、クラブチームの監督が代表の試合の日程に文句をつけているのも、理由がないわけではない。サッカーを取り巻くビッグマネーの動きは最早止めようもないほど加速しているが、だからサッカーが面白くなった、とは言い切れない。むしろ、94念のアメリカワールドカップあたりから、大きな大会の決勝戦が批判にさらされる事も多くなっている 。一方で経営難に陥るクラブも多く、ヨーロッパを代表するビッグクラブですら、借金が返せない、給料が払えない、という事態になることもある。フィールドが「マシーン」の様な選手達の物だけにならないためにも、なにかサッカーが健全さを取り戻すすべはないのだろうか。
 なんて事は「サッカー放談」に書けば良かったですね。なんかほとんどの部分を、更新してないなぁ。

6月23日

 更新した「読み週記」にも書いているように、深夜のサッカー中継で寝不足&読書不足である。別にこの大会にそんなに気合いを入れる理由は無いんだけど、愛するインテルのDFコルドバが、コロンビア代表のキャプテンとして参加しているために、大会の注目度があがってしまったせいもあるのかもしれない。これでトルコ代表にエムレやらオカンやらが参加してたら、さらに注目度は増していたと思うんだけど。というか、日本代表がせっせと勝ち続けた挙げ句にトルコとあたらない限り、もし代表にいても、エムレもオカンも観られません。あ、そか。ふーむ。

6月16日

 なんか、つい最近「読み週記」を更新したような気がするんですけど。って、気のせいじゃないか。中途半端な雨降りが続いて鬱陶しい季節になってきた。雨降りといえば傘。この傘というのがまた読書の大敵である。電車に立って乗って、鞄を持って、傘を持っていたら、本を読む手が足りない。かといって床は濡れてるので鞄を置くこともできないし。しかも、俺は特別背が高いわけではないのに、傘だけは大きなサイズのを使っているから、傘だけでも結構邪魔なのだ。梅雨を越えて夏になると、ますます暑くて電車の読書が進みにくくなる。嫌な季節がやってきた。

6月12日

 どうしたことかよくわからんが、月曜日に更新をすっかり忘れていた。火曜水曜の夜が忙しかったので、木曜になってようやく「読み週記」を更新。つい最近、ある人と「日記を続ける難しさ」についてちょっと話をしたんだけど、日記を続けることは、「毎日必ず書く」とか「何行以上書く」とかって言う縛りをつくらないことだね、という結論に至った。
 この間、自分が過去数年に読んだ本の情報をすぐに探せるようにするにはどうしたらいいかを考えた結果、読み週記の全てをテキスト化してしまうことにした。過去の読み週記を拾い読みしながら一つのファイルにしたんだけど、振り返ってみると、結構書いていない日も多い。なるほど、こうやって無理なく続けてきたんだなぁ、と自分の賢さに感心しつつ、それはそれで、読んだ本を網羅する、という目的には穴が開いてしまうのか、とちょっとがっかり。多分更新の休み期間でも、すごく面白いのがあれば翌週に書いたりしたんだと思うけど、どうなのか。

6月8日

 何もすることの無い日。本当にすることがない訳じゃなくて、何をする気にもなれない日。本当に何もせずに一日が終わりそうだったので、必要のない焦燥感に負けてを一編追加。詩を書いてHPに載せるとき、これはなんというか失礼も甚だしいんだけど、ほとんど推敲という物がなされない。多分もっと言葉を選びなおしたりすれば、もう少しいい詩になるんじゃないかと思うこともあるけど、なおしてもっと変になるのが怖くてなおせない。未だに俺は詩のことがよくわからない。更新するにあたって、なんとなく読み返してみたら、なおすべきところが一杯ある気がしたが、今更なおす気にもなれずに放っておいてしまった。気がついた誤字のみいくつか訂正。

6月2日

 あれまぁ、もう6月。いつのまにそんなことになってしまったんでしょうか。これでもう5月病、という言い訳が使えなくなってしまうので不便この上ない。どんな言い訳で人生をさぼったらいいのか。困った物である。特に語ることもないまま「読み週記」を更新。

5月26日

 今以上にテンションを落とす理由もない、と思い返して通常通り「読み週記」を更新。今ひとつ元気が出ないが、そんなこともある。

5月19日

 今ひとつそんな気持ちになれないので、単純に作業として「読み週記」を更新。

5月12日

 GWが終了しました。今年は飛び石連休だったせいで、GW気分も中途半端。なんだかわからないうちに、また日常が始まってしまった。そもそも非日常なんてあった?
 現実を離れ、どっぷりと豪勢に浸かるような非日常が味わえないのなら、むしろ日々のショートトリップを重ねてそれに変えるしかない。一年中走り続ける変わりに、毎周回ピットインである。そんなに働いてない俺が言うと説得力がないんだけど。
 そんな日々のショートトリップに本でも一冊いかがでしょうか。そんなわけで「読み週記」を更新。

4月28日

 久しぶりに書名の挙がる「読み週記」を更新。いつのまにやらGWに突入してるっぽいんだけど、今年は見事な飛び石連休なのでちっとも面白くないです。毎年この時期に連休を頼りに本の片付けをしてたんだけど、今年はそんなわけでやらなそう。というか、なんだかもっと違うエネルギーがスパークしそうな勢いなんだけど、たいして飲んでないのに酔ってるのでまた今度。なんということだ。

4月21日

 2週だか3週だか連続で、更新した「読み週記」に読み終えた本が出てこない。こういうのはスランプと言うんでしょうか。そんな状態なのに、ちょっとした機会に都心の大型書店に立ち寄ったところ、欲しい本だらけで困ってしまった。本は読みたいのに読めない、というのはある種病気ですか?

4月14日

 おお、先週の更新日記をちらりと見て気がついた。再読は書かない、という自分だけのルールのせいで、更新した「読み週記」は2週続けて新しい本の紹介が全くない。別に本の紹介をすることが義務づけられた活動ではないけど、なんとなく、「新しい本を次々読む」という趣味が十分に楽しまれていないような感じがしてしまって、口惜しいことこの上ない。
 よって更新した読み週記に続いてダラダラした話題を一つ。このところ職場で図書館の本の返却が話題になった。都内の公立図書館は、貸し出し期限が2週間くらいの所が多いようなんだけど、コレに公然と反旗を翻す人たちがいることがわかったのだ。図書館の本って、すぐに返さなきゃいけないから、面倒くさいな、借りにくいな、と思っていたんだけど、なんと「読み終わるまで返さない」と普通に言い切る人たちがこれまた普通に存在していたのだ。
 俺自身が借りにくい、返しにくい、という理由だけでなく、そもそも図書館の本があまり好きでないので、ヘビーユーザーではない。だから「返さない」理屈に対してさほど厳しい姿勢を示しているわけではないし、返さないのはいかんと思うんだけど、それにしてもどうか。確かに「もっと更新がしやすい方がいい」とか、「返却の手間が楽な方がいい」という意見もあると思うけど、その辺も含めて、図書館はもう少し便利になって良いと思う。返さない人たちに罪がないわけじゃなくて、それが決して少数ではない、という現実に、図書館のシステムの限界というか、足りない部分が見え隠れしているように思えるのだ。2週間という期限も、なにも適当に切っている訳ではないはず。何も犯罪被害者を責めるような言説を垂れ流したいわけではないんだけど、もうちょっとうまく流れるように工夫できない物だろうか。
  人々の読書生活を支えている図書館。今のままでも十分に機能しているし、いい物だと思うんだけど、利用する側もされる側も、もう少しその価値を増すためにできることがあるのではないだろうか。

4月7日

 何がショックかって、今週読んだ本の一冊が再読であることに気付いたのが「読み週記」の更新をしようとしてページを開いた直後だと言うこと。「さあ、書くぞ」と思った瞬間に本棚に目がいってしまい、つい探してしまい、うっかりに気付いてしまい、すっかりおち込んだ次第である。もはや何も言うべき事はない。

3月31日

 毎週の様に繰り返している話題で申し訳ありません。今日が年度末で、年度末の勤務が終わって、翌日が新年度とはこれ如何に。俺の職場は年度ごとに人やらなにやらの変化があったりして、年度変わりは結構重要なタイミングなのに、何のことはなく、普通の月曜火曜のように年度またぎをしてしまうとはどういうことなのか。じゃあ、どんな年度またぎを期待しているのか、と聞かれると、それはそれで困るんですけど。
 年度替わりの出会いと別れの感傷に身を任せつつ「読み週記」を更新。

3月24日

 高校時代に山ほどお世話になった先輩にお子さんが産まれた、というニュースがついさっき飛び込んできた。しばらくご無沙汰していた人なので、ビックリしたけど、ニュースをもらえたことももちろん、色んな意味で幸せになれる話だった。俺は自分の子どもなんて全然欲しくないけど、好きな人たちが子どもを持つのは嬉しいことだ。そういう人たちによって世界が繁栄していってくれればまことに嬉しい。出所ははっきりしてるけど、原因は不明な多幸感に包まれつつ、「読み週記」を更新。

3月18日

 先週、春休みが欲しい、という話を書いたばかりなのだが、よく考えてみると今週末は個人的に4連休。もっとも間にちょっとだけ仕事が入っていたり、逆に毎週末の予定が無かったりで、必ずしも幸せな4連休とは言い切れない感じがなんとも切ないが、何はともあれ春休み的休日が目前に迫っているのだ。でも、これって切り替えとなんの関係もないよね。俺が求めてるのはそういうことではないんですけど。
  更新した「読み週記」共々テンションが微妙に違う気がするのは俺だけですか。

3月10日

 子どもの頃、もしくは学生の頃、夏休みがあり、冬休みがあり、春休みがある。一年にも大きな区切りが二つあって、年末年始と、年度末年度始めがあるわけで。年末年始と年度末年度始めは、丁度冬休み春休みとぶつかってるじゃないですか。子どもの世界にも大人の世界にも共通する2大区切り目なのに、春休みは大人になると無いのはどういうことなんですか、お客さん。これは職業にもよるだろうとは思うけど、年度末なんていろんな切り替えがあって、出会いと別れがあって、新しい年度の様々な事業・計画がスタートしていく大事な時期に、普通の週末と同じようにそれらが一気に変わっていくなんて、間違ってるんじゃないですか、大臣。というわけで、強烈に春休みを要求していきたいのに、年度末年度始めが忙しくてそれどころでない、という現実は一体どうなっているのか。
 と意味もなく愚痴ってみたりしながら「読み週記」を更新。別に特別休みが欲しいわけでもないんだけど、なんか、気持ちを切り替える四分休符くらいは欲しいと思いませんか。
 え、夏休み・・・?暑いんだしさ、休もうよ。

3月3日

 今日は楽しいひなまつり。別にひなまつりなんて俺にはなんの関係もないんですが、今年は和菓子を色々食べたので、なんとなくひなまつり気分を味わったりした。「ひなまつり、おめでとう」なんて挨拶もないし、どうやって過ごして良いのか少し疑問ななかで、「読み週記」を更新。

2月24日

 5年ぶりにニューヨークに帰ってきたグラミー賞は、サイモン&ガーファンクルの「Sound of Silence」で幕を開けた。これにはずいぶんビックリしたけど、のっけからがっちり心を捕まれたようで、まことににくい限り。どうもこういうのには単純に載せられやすいらしい。毎年楽しみにしているイベントの一つだ。洋楽なんてほとんどしらないし、出てくる歌手も、以前の年のグラミーで観た、くらいしかわからないんだけど。
 毎年の様にただ関心して画面を見つめ続けた後に、「読み週記」を更新。グラミーとはなんの関係もないですな。

2月18日

 更新した「読み週記」にあるように、飛び石連休の一週間を過ごしたために、昨日の夜はほとんど眠れず、今日はいつもの週明けに比べても圧倒的に眠い。一日眠い状態でいたのだが、夜になってもう我慢の限界です。といったわけで、更新日記は淡泊に。

2月16日

 えらく久しぶりなんだけど、「短編小説群」を更新。と言っても、新しいのを書いたわけではなく、自分でもすっかり忘れていた、昔書いた「ルーズソックスをはいた猫」を載せただけ。
 このページを作った頃は友達のページに載っていたので載せなかったんだけど、そのページも今は形を変えてしまっていて、「ルーズソックスをはいた猫」は闇に葬られていた。今回ありがたい事に復活することになった。いや、めでたい。俺自身は無くしていたテキストが、その友達のもとには残っていた、というのもまたありがたい話だ。
 何年かぶりに帰ってきた「猫」を自分で読んで、なんでこんな話を書いたのかさっぱりわからない。多分学生だった時分だと思うんだけど。別に友達とケンカしたわけじゃないと思いますが。
 読み返してみると、なんだか恥ずかしい感じがするんだけど、なんとなく嫌いでないので載せることにした。
 

2月11日

 月曜の祝日が多いので、火曜日の祝日というのはどうも馴染めない。今週は個人的に休みが多くてイベントも多くて、なんだか不思議な週だ。それが嫌なわけではなく、むしろ来週からの日常が耐え難く感じられてしまう所に罠がある。人間、楽しみを覚えてしまうと、際限なくわがままになっていく。
 休みの多い週だと本が読めるか、というと、必ずしも自信がない。こういのは全てタイミングの問題である。今週も一杯読めるといいなぁ、と自堕落な願望に身を任せつつ「読み週記」を更新。
 

2月3日

 お、今日は節分ですな。小さい頃は「鬼はー外」が大好きで、仕事から帰った父が鬼のお面をかぶっていた、ということが一度だけあったと思う。その後ねだって、家にいる父に鬼の面をかぶってもう一度外に出てもらったことがあったが、不意打ちに鬼の父が現れたのは多分その時だけだと思う。その当時の父の年齢にだんだん近づきつつ有るような気がしてちょっとビックリするんだけど、今思い出すと結構嬉しい記憶だ。なぜかしんみりした気分になりながら「読み週記」更新。

1月27日

 今年最初の、情報量の少ない「読み週記」更新。文中にあるとおり、雑誌を読むのに時間を使ったこともあるけど、一冊の本に時間をとられてちっとも読書がすすまない、という事情もある。今週読み終えることが出来れば、来週の「読み週記」に書くと思うけど、どうもいつになってもフランス人とは合いません。

1月20日

 さて、相も変わらず「読み週記」の更新である。2003年の1月号がスタート。なんと、もうそんな年なんですね。読み週記ももう何年目だかに入った。あれ、何年目だかの終わりだったか。とにかくそれくらい。そういう話を書く度に思うんだけど、なんと成長の無い事よ。何年かの人生のなかの何時間かを使ってこれだけの本を読み、今があるわけで。別に本を読むことでなにか人間的な成長を期待してるわけではないけど、それにしたって、それだけの年月を使って、もうちょっとなんとかならないものか。
 でも特に何を改めるわけでもなく本は読んでいきそうなので、それはそれでいいか。

1月7日

 丁度新年なので、更新日記も新しく。といっても更新した「読み週記」はまだ12月分なんですけどね。というわけで、新年明けましてオメデトウゴザイマス。ギリギリ松の内に間に合ったぞ。
 今日というか昨日というか、6日はついに仕事初め。ちっとも嬉しくないと思っていたのに、前日の寝る直前になったら急にワクワクしてきたのが不思議。「お、俺って結構働き者じゃん!」とか思ったのに、一日仕事したらもううんざりしてました。とは言うものの、仕事がまるっきり嫌いなわけでもないらしい。楽しんでもいる訳なので、贅沢は言わない。アフターファイブを楽しむため(主に飲むためだけど)に夜をあと3時間、読書のために夜中をあと3時間、睡眠のために朝をあと5時間、日曜日をあと2日、それぞれ追加して、電車を24時間営業にしてくれるだけでいい。そうしたら私、週にあと2日くらい働いてもいいです。
 

 

 
 

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