古典篇(その十)

(平成15-3-1書込み。23-3-1最終修正) (テキスト約30頁)


トップページ 古典篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

 

<古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その四)> ー安康天皇から武烈天皇までー

 

  目 次

[220安康天皇]

 220A穴穂(あなほ)尊220B穴穂(あなほ)宮220C1雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊220C2忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命220D1木梨軽(きなしのかる)皇子から220D9酒見(さかみ)皇女まで220E中帝(なかし)姫命220G菅原伏見(すがはらのふしみ)陵220H1物部大前(もののべのおほまへ)宿禰220H2根使主(ねのおみ)220H3難波吉師(なにはのきし)日香香(ひかか)

[221雄略天皇]

 221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊221B泊瀬朝倉(はつせのあさくら)宮221C1雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊221C2忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命221D1木梨軽(きなしのかる)皇子から221D9酒見(さかみ)皇女まで221E1草香幡梭(くさかのはたび)姫皇女221E2韓(から)媛221E3稚(わか)姫221E4童女(をみな)君221F1磐城(いはき)皇子221F2星川稚宮(ほしかわのわかみや)皇子221F3白髪武廣国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊221F4稚足(わかたらし)姫皇女221F5春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女221G丹比高鷲原(たちひのたかわしのはら)陵221H1阿閉(あへ)臣國見(くにみ)・廬城(いほき)部連武彦(たけひこ)・廬城(いほき)部連枳呂喩(きこゆ)221H2少子(ちいさこ)部連螺贏(すがる)221H3吉備上道臣田狭(たさ)221H4膳(かしはで)臣斑鳩(いかるが)・吉備臣小梨(をなし)・難波吉士赤目子(あかめこ)221H5凡河内(おほしかふち)直香賜(かたぶ)221H6紀小弓(おゆみ)宿禰・蘇我韓子(からこ)宿禰・大伴談(かたり)連・大伴津麻呂(つまろ)・小鹿火(をかひ)宿禰・紀大磐(おいは)宿禰221H7田辺史伯孫(はくそん)221H8歯田根(はたね)命221H9文石小麻呂(あやしのをまろ)221H10韋奈部(ゐなべ)真根(まね)221H11小根使主(をねのおみ)221H12秦酒公(はたのさけのきみ)221H13伊勢朝日郎(あさけのいらつこ)221H14吉備臣尾代(をしろ)221H15都摩杼比(つまどひ)221H16引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)

[222清寧天皇]

 222A白髪武廣國押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊222B磐余(いはれ)甕栗(みかくり)宮222C1大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊222C2韓(から)媛222D1磐城(いはき)皇子から222D5春日大娘(かすがのおほいらつめ)まで222G河内坂門原(さかとのはら)陵222H1河内三野縣主小根(をね)

[222-2飯豊青(いひとよのあお)皇女]

 222-2A飯豊青(いひとよのあお)皇女222-2B忍海角刺(おしぬみのつのさし)宮222-2C1大兄去来穂別(おほえのいざほわけ)尊222-2C2黒(くろ)媛222-2D1磐坂市辺忍歯(いはさかのいちのべのおしは)皇子から222-2D4中磯(なかし)皇女まで222-2G葛城埴口丘(はにくちのをか)陵

[223顕宗天皇]

 223A弘計(をけ)尊223B近飛鳥(ちかつあすか)八釣(やつり)宮223C1磐坂市辺押羽(いはさかのいちのべのおしは)皇子223C2夷(はえ)媛223D1居夏(ゐなつ)姫223D2億計(おけ)王223D3飯豊(いひとよ)女王223D4橘(たちばな)王223E1難波小野(なにはのをの)王223G傍丘磐杯丘(かたをかのいはつきのをか)陵223H1日下部連使主(おみ)(亦の名田疾来(たとく))・吾田彦(あたひこ)・丹波小子(たにはのわらは)・縮見屯倉首(忍海部造)細目(ほそめ)・伊豫来目部小楯(をだて)(亦の名磐楯(いはたて))223H2置目(おきめ)・倭袋(やまとふくろ)宿禰・売輪(うるわ)・仲手子(なかちこ)・鐸(ぬりて)・韓袋(からふくろ)宿禰223H3阿閉(あへ)臣事代(ことしろ)・歌荒巣田(うたあらすだ)

[224仁賢天皇]

 224A億計(おけ)尊224B石上廣高(いそのかみのひろたか)宮224C1磐坂市辺押羽(いはさかのいちのべのおしは)皇子224C2夷(はえ)媛224D1居夏(ゐなつ)姫から224D4橘(たちばな)王まで224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女224E2糠君娘(あらきみのいらつめ)224F1高橋大娘(たかはしのおほいらつめ)皇女224F2朝嬬(あさづま)皇女224F3手白香(たしらか)皇女224F4樟氷(くすひ)皇女224F5橘(たちばな)皇女224F6小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊224F7眞稚(まわか)皇女224F8春日山田(かすがのやまだ)皇女224G埴生坂本(はにふのさかもと)陵224H1的(いくは)臣蚊嶋(かしま)・穂瓮(ほへ)君224H2麁寸(あらき)・飽田女(あくため)・兄(せ)・難波玉作部鮒魚女(ふなめ)・韓白水郎畠(からまのはたけ)・哭女(なきめ)・住道人山杵(やまき)

[225武烈天皇]

 225A小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊225B泊瀬列城(はつせのなみき)宮225C1億計(おけ)尊225C2春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女225D1高橋大娘(たかはしのおほいらつめ)皇女から225D8春日山田(かすがのやまだ)皇女まで225E春日(かすが)娘子225G傍丘磐杯丘(かたをかのいはつきのをか)陵225H1平群眞鳥(へぐりのまとり)臣・鮪(しび)・物部大連麁鹿火(あらかひ)・影(かげ)媛225H2大伴金村(かなむら)連

<修正経緯>

<古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その四)>

 ー安康天皇から武烈天皇までー

 

[ここでは神武天皇の部を201とし、その中で和風諡号は201A(別名または幼名は201A2~)、宮都は201B、父母は201C1~2、兄弟姉妹は201D1~、后妃は201E1~、皇子は201F1~、陵は201G、治世中特筆すべき人名等は201H1~として整理番号を付し、以下同様に<その一>では201神武天皇から209開化天皇まで、<その二>では210崇神天皇・211垂仁天皇を、<その三>では212景行天皇から219允恭天皇まで、<その四>では220安康天皇から225武烈天皇までを解説し、<その五>以下において順次226継体天皇から241持統天皇の部まで解説する予定です。

表記は原則として記紀ともに岩波日本古典文学大系本によります。本文中001〜199の神名は、古典篇(その五)<『古事記』の神名>により、名義は主として岩波日本古典文学大系本の注および『古事記』(新潮日本古典集成、校注西宮一民、昭和54年)の付録「神名の釈義」によります。

 ポリネシア語による解釈は、原則としてマオリ語により、ハワイ語による場合は注記を付します。]

 

[220安康天皇]

 

220A穴穂(あなほ)尊

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊(允恭天皇)と219E1忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命の第4子、219F4穴穂(あなほ)尊(記は男浅津間若子宿禰(をあさづまわくごのすくね)命と忍坂(おさか)の大中津(おほなかつ)比売命の第4子、穴穂(あなほ)命)とします。

 允恭天皇の皇太子であった219F1木梨軽(きなしのかる)皇子が允恭天皇の葬礼の際に暴虐を行って婦女に淫けた(安康即位前紀。記は允恭天皇の崩後木梨軽皇子が即位前に同母妹219F5軽大郎女(かるのおほいらつめ)と通じたとします)ので人望を失い、群臣すべての信望が集まった弟の穴穂尊を殺そうとしますが、かえって穴穂尊に亡ぼされ、穴穂尊が220安康天皇となります。

 天皇は、216F5大草香(おほくさか)皇子(允恭天皇の弟)の妹の216F6幡梭(はたび)皇女を弟の219F7大泊瀬(おほはつせ)尊(後の221雄略天皇)の妻に迎えようとした際、根使主(ねのおみ)の讒言を信じて軽率に大草香皇子を殺し、その妻の220E中帝(なかし)姫命を自らの妃から皇后とし、皇后との寝物語に「(大草香皇子を殺したので)朕は眉輪(まよわ)王を恐れている」と語ったことを大草香皇子と中帝姫命の間の子眉輪(まよわ)王(記は目弱王)に立ち聞きされて殺されます。

 この「あなほ」は、

  「ア・ナホ」、A-NAHO(a=the...of,belonging to;naho=hasty,quick inspeech or action)、「軽率に・事を運んだ(行動に・慎重さを欠いていた。皇子・天皇。その天皇の宮)」

  または「アナ・ホ」、ANGA-HO(ana=denoting continuance of action,denotes a temporary condition or a continuing action;ho=droop)、「(最初は勢いが良かったが、治政の)途中で・(うなだれた)殺された(皇子・天皇。その天皇の宮)」

の転訛と解します。

 

220B穴穂(あなほ)宮

 紀は石上(いそのかみ。大和国山辺郡)の穴穂(あなほ)宮とし、記も石上の穴穂宮とします。穴穂(あなほ)宮については、220A穴穂(あなほ)尊の項を参照してください。(穴穂を大和の地名とする説がありますが、誤りです。)

 この「いそのかみ」は、

  「イト・ノホ・カミ」、ITO-NOHO-KAMI(ito=object of revenge,trophy of enemy;noho=sit,settle;kami=eat)、「(征服した敵から奪った)戦利品が・置いてある・(山の端が)食いちぎられた場所(浸食された。平地)」

の転訛と解します。

 

220C1雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊

 父は219A雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊(允恭天皇)の項を参照してください。

 

220C2忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命

 母は219E1忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命の項を参照してください。

 

220D1木梨軽(きなしのかる)皇子から220D9酒見(さかみ)皇女まで

 兄弟姉妹は219F1木梨軽(きなしのかる)皇子から219F9酒見(さかみ)皇女までの項を参照してください。

 

220E中帝(なかし)姫命

 紀は216F5大草香(おほくさか)皇子(允恭天皇の弟)の妻で、217A大兄去来穂別(おほえのいざほわけ)尊(履中天皇)と217E2草香幡梭(くさかのはたび)皇女の子、中磯(なかし)皇女(亦の名を長田大娘(ながたのおほいらつめ)皇女)とし、記は長田大郎女(ながたのおほいらつめ)とします。大草香皇子が殺された後、安康天皇の妃から皇后となります。紀は「天皇は皇后をことのほか寵愛した。中帝姫命は、以前に大草香皇子との間に眉輪(まよわ)王を生んでいたが、この子は母に依つて罪を免れて、宮中で育てられた。」と記します。天皇が皇后との寝物語に「(大草香皇子を殺したので)朕は眉輪王を恐れている」と語ったことを大草香皇子と中帝姫命の間の子眉輪王(記は目弱王)に立ち聞きされて天皇は殺されます。

 この「なかし」、「ながたのおほ」、「まよわ」は、

  「ナ・カチ」、NA-KATI(na=satisfied,by,belonging to;kati=leave off,be left in statu quo,block up,prevent,barrier)、「楯となって(安康天皇の妃となることによって子の眉輪王の命を救って)・満足していた(皇女)」

  「ナ・(ン)ガ・タ・ノ・オホ」、NA-NGA-TA-NO-OHO(na=belonging to;nga=satisfied;ta=dash,beat,lay;no=of;oho=start from suprise,wake up,arise)、「どちらかといえば・(子の眉輪王の命を救って)満足して・いた・が・(眉輪王が安康天皇を殺して)びっくりして飛び上がった(姫)」

  「マイオハ」、MAIOHA(greet affectionately,token of regard)、「気になる形見(遺児)」(「イオ」が「ヨ」と、「ハ」が「ワ」となった)

の転訛と解します。

 

220G菅原伏見(すがはらのふしみ)陵

 紀は陵を菅原伏見(すがはらのふしみ)陵(『延喜式』は菅原伏見西陵、大和国添下郡と、『陵墓要覧』は所在地を奈良市宝来町字古城とします)とし、記は「菅原伏見岡(すがはらのふしみのおか)に在り」とします。

 菅原伏見西陵に対する菅原伏見東陵は、垂仁天皇陵の211G菅原伏見陵です。215応神天皇から221雄略天皇に至るいわゆる河内王朝の天皇陵が他はすべて河内に造成されているのに安康天皇陵だけが大和にあるのは不審です。(下記の解釈によれば、大和でなく、河内にあっても不思議ではありません。)

 この「すがはら」、「ふしみ」は、

  「ツ(ン)ガ・ハラ」、TUNGA-HARA(tunga=circumstance of standing;hara=a stick bent at the top used as a sign a chief had died at the place)、「(首長の)葬送の・地」(「ツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ツガ」から「スガ」となった)

  「プチ・ミイ」、PUTI-MII(puti=cross-grained of timber;(Hawaii)mii=attractive,good-looking)、「端正な・(材木の)節のような(陵)」(「プチ」のP音がF音を経てH音に変化して「フチ」から「フシ」となった)

の転訛と解します。

 

220H1物部大前(もののべのおほまへ)宿禰

 允恭天皇の皇太子であった219F1木梨軽(きなしのかる)皇子が允恭天皇の葬礼の際に暴虐を行って婦女に淫けた(安康即位前紀。記は允恭天皇の崩後木梨軽皇子が即位前に同母妹219F5軽大郎女(かるのおほいらつめ)と通じたとします)ので人望を失い、群臣すべての信望が集まった弟の穴穂尊をひそかに殺そうとして兵器の準備をし、穴穂尊もこれに対抗して兵器の準備をし、この際「穴穂括箭(あなほや)・軽括箭(かるほや)」ができたとします。(記の分注は、軽太子が作った「矢はその箭の内を銅にしたので軽箭という」とし、穴穂皇子が作った矢は「即ち今時の矢で穴穂箭という」とします。本居宣長『古事記伝』は「内は前の誤り、軽箭は銅鏃、穴穂箭は鉄鏃」とし、飯田武郷『日本書紀通釈』は「括はヤハズで弦を受ける所、もと角で作るのが習わしなのに銅を以て作った」とします。)

 木梨軽皇子は、物部大前(もののべのおほまえ)宿禰(記は大前小前(おほまへこまへ)宿禰大臣とします。『先代旧事本紀』天孫本紀は大前小前を兄弟とします。)の家に逃げ込み、家を取り囲んだ穴穂皇子と大前宿禰と歌のやりとりがあった後、木梨軽皇子は自殺します(記は大前宿禰が木梨軽皇子を捕らえて差しだし、木梨軽皇子は伊予に流されます)。

 この「あなほや」、「かるや」、「おほまへ」、「こまへ」は、

  「アナ・ホ・イア」、ANA-HO-IA(ana=denoting continuance of action,denotes a temporary condition or a continuing action;ho=droop;ia=current,rushing stream,indeed)、「途中で・(うなだれる)失速する(到達距離が短い)・(激流のように速く飛んで行く)矢」

  「カ・アル・イア」、KA-ARU-IA(ka=to denote the commencement of a new action;aru=follow,pursue;ia=current,rushing stream,indeed)、「(内に銅を入れて重心を調整してあるため)どこまでも・(目標を)追いかけて行く(到達距離が長い)・(激流のように速く飛んで行く)矢」(「カ」のA音と「アル」の語頭のA音が連結して「カル」となった)

  「オホ・マエ」、OHO-MAE(oho=start from suprise,wake up,arise;mae=languid,withered,struck with astonishment)、「(穴穂皇子に家を取り囲まれて)びっくりして飛び上がった・弱気になった(宿禰)」

  「コ・マエ」、KO-MAE(ko=adressing males and females;mae=languid,withered,struck with astonishment)、「弱気になった・男(宿禰)」

の転訛と解します。

 

220H2根使主(ねのおみ)

 天皇が216F5大草香(おほくさか)皇子(允恭天皇の弟)の妹の216F6幡梭(はたび)皇女を弟の219F7大泊瀬(おほはつせ)尊(後の221雄略天皇)の妻に迎えようと使者に立てた坂本臣の祖です。根使主(ねのおみ)は、大草香皇子が天皇に感謝して婚約の引出物に差し出した押木珠縵(おしきのたまかずら。または立縵(たちかずら)、磐木縵(いはきかずら)ともいう)を横領すべく、大草香皇子が暴言を吐いて話を断ったと讒言し、天皇はそれを信じて大草香皇子を殺します。(雄略紀14年4月条に根使主の悪事が露見して殺される話があります。)

 この「ねの」、「おしき」、「たち」、「いはき」は、

  「(ン)ガイ・(ン)ガウ」、NGAI-NGAU(ngai=tribe,clan,group;ngau=bite,hurt,attack)、「人を陥れる・輩(やから)(に属する人間)」(「(ン)ガイ」のNG音がN音に、AI音がE音に変化して「ネ」となり、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

  「オ・チキ」、O-TIKI(o=the...of,belonging to;tiki,tikitiki=girdle,topkno in dressing the hair)、「髪飾り・になっている(珠飾り)」

  「タ・アチ」、TA-ATI(ta=the,dash,beat,lay;ati=descendant)、「(先祖から)子孫に・伝来した(珠飾り)」(「タ」のA音と「アチ」の語頭のA音が連結して「タチ」となった)

  「イ・ハキ」、I-HAKI(i=past tense,beside;haki=ripple)、「(飾りが)さざ波を・打つている(珠飾り)」

の転訛と解します。

 

220H3難波吉師(なにはのきし)日香香(ひかか)

 天皇が根使臣の讒言を信じて大草香皇子を殺したとき、皇子に仕えていた難波吉師(なにはのきし)日香香(ひかか)とその子二人が悲しんで殉死しました。

 この「なには」、「きし」、「ひかか」は、

  「ナ・ニワ」、NA-NIWHA(na=belonging to;niwha=resolute,fierce,bravery,rage)、「荒々しい(波が立つ)・場所(出身の・氏族)」または「勇猛果敢な・部類に属する(氏族)」

  「キヒ・イチ」、KIHI-ITI(kihi=cut off,strip of branches etc.;iti=small)、「小さな・枝のような(氏族。その一員)」(「キヒ」のH音が脱落して「キイ」となり、「イチ」と連結して「キチ」から「キシ」となった)

  「ヒカカ」、HIKAKA(rash,incensed,anger)、「(大草香皇子が無実の罪で殺されたことに)立腹した(従者)」

の転訛と解します。

 

 

[221雄略天皇]

 

221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊

 紀は219A雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊(允恭天皇)の第5子で219E1忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命の子の219F7大泊瀬稚武(おほはつせのわかたけ)尊(記は219E1忍坂大中津(をさかのおほなかつ)比売命の子の219F7大長谷(おほはつせのわかたけ)命)とします。

 安康即位前紀は尊が218反正天皇の皇女を妻に迎えようとしましたが、尊が凶暴で気に入らないとすぐに人を殺す性癖があるからと拒絶されたとします。

 さらに、雄略即位前紀は安康天皇が眉輪王に殺されたと聞いた尊が、復讐しようとしない兄達を疑って最初に責めた219F6八釣白(やつりのしろ)彦皇子が返事をしなかったので斬り、次いで219F3境黒(さかひのくろ)彦皇子が責められますが返事をせず、眉輪王とともに圓(つぶら)大臣の家に逃げ込んだので、遂に火をかけて一同を焼殺します。(安康記はまず黒彦王を斬り、次に白彦王を小治田で生き埋めにしたとします。)

 続いて有力な皇位継承候補者である217F1市辺押磐(いちのべのおしは)皇子を狩猟に誘って謀殺し、さらにその弟217F2御馬(みま)皇子を暗殺して、221雄略天皇となったと伝えます。

 このほか、雄略紀は天皇が暴虐を極めたと同時に偉大な仁慈の天皇でもあったとします。

 この「おほはつせ」、「わかたけ」は、

  「オホ・パツ・テ」、OHO-PATU-TE(oho=start from surprise,wake up,arise;patu=screen,wall,edge,strike,kill;te=crack,emphasis)、「(安康天皇が殺されたと聞いて)びっくりして跳び上がって・(眉輪王および兄達や、他の人々を)殺し・まくった(尊)」(「パツ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハツ」となった)

  「ウアカハ・タケ」、UAKAHA-TAKE(uakaha=vigorous,difficult;take=stump,baseof a hill,origin,chief)、「元気が良い・どっしりとした(偉大な。尊)」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ワカ」となった)

の転訛と解します。

 

221B泊瀬朝倉(はつせのあさくら)宮

 紀は壇を泊瀬(はつせ)の朝倉(あさくら)に設けて宮と定めたとし(即位にあたって壇場を設けるのは雄略天皇が最初です)、記も長谷(はつせ)の朝倉(あさくら)宮とします。

 泊瀬(はつせ)は、現奈良県櫻井市初瀬(はせ)町・黒埼(くろさき)町の辺とされます。(『帝王編年記』に「泊瀬朝倉宮 大和国城上郡磐坂谷也」と、『大和志』に「在黒埼・岩坂二村之間」とあります。)

 朝倉(あさくら)宮については、『新撰姓氏録』山城諸蕃、秦忌寸の条に「秦公の酒は、大泊瀬稚武天皇の御代に諸秦氏を使役して八丈(の高さ)の大蔵を宮の側に構え、その貢物を納めた。よってその地を朝倉宮という。」とあります。

 この「はつせ」、「あさくら」は、

  「パツ・テ」、PATU-TE(patu=screen,wall,edge,strike,kill;te=crack,emphasis)、「割れ目(川)の・縁(の土地)」(「パツ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハツ」となった)または「ハ・ツタイ」、HA-TUTAI(ha=breathe,what!;tutai=spy,watch)、「何と・(天下の情勢を)ひそかに窺っている(場所)」(「ツタイ」のAI音がE音に変化して「ツテ」から「ツセ」となった)

  「アタエ・クラ」、ATAE-KURA(atae=how great!;kura=red,precious,treasure)、「何とまあ巨大な・(財宝を積み上げた)倉庫(その倉庫がある場所。そこにある宮)」(「アタエ」の語尾のE音が脱落して「アタ」から「アサ」となった)

の転訛と解します。

 

221C1雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊

 父は219A雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊(允恭天皇)の項を参照してください。

 

221C2忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命

 母は219E1忍坂大中(おしさかのおほなかつ)姫命の項を参照してください。

 

221D1木梨軽(きなしのかる)皇子から221D9酒見(さかみ)皇女まで

 兄弟姉妹は219F1木梨軽(きなしのかる)皇子から219F9酒見(さかみ)皇女までの項を参照してください。

 

221E1草香幡梭(くさかのはたび)姫皇女

 紀は皇后を216A大鷦鷯(おほさざき)尊(仁徳天皇)と216E2髪長(かみなが)媛の第2子、216F6草香幡梭(くさかのはたび)姫皇女、亦の名を橘(たちばな)姫皇女(記は大雀(おほさざき)命と髪長(かみなが)比売の第2子、若日下部(わかくさかべ)命(亦の名を波多毘能若(はたびのわか)郎女、亦の名を長日(ながひ)命))とします。

 安康紀元年2月条は、220安康天皇が216F6幡梭(はたび)皇女を219F7大泊瀬稚武(おほはつせのわかたけ)皇子(後の221雄略天皇)の妃に迎えようとし、使者に立った根使臣が大草香皇子が差し出した結納の宝物を横領しようとして讒言し、これを信じた安康天皇が大草香皇子を殺し、安康天皇は大草香皇子の妻217F4中帝(なかし)姫命を妃とし、幡梭皇女を大泊瀬皇子の妃に迎えたとします。また、雄略紀14年4月条に根使主の悪事が露見して殺される話があります。

 皇后には子はありませんでした。

 この「くさかのはたび」、「たちばな」、「わかくさかべ」、「はたびのわか」、「ながひ」は、

  「ク・タカ・ノ・パタヒ」、KU-TAKA-NO-PATAHI(ku=silent;taka=heap,lie in a heap;no=of;patahi=befall all alike)、「静かな・高台に・住む・ありとあらゆること(災難)に遭遇した(姫)」または「クタ・カノイ・パタヒ」、KUTA-KANOI-PATAHI(kuta=encumbrance;kanoi=strand of a cord or rope,trace one's descent,show good breeding;patahi=befall all alike)、「(根使臣の讒言によって兄が殺されたために)邪魔者となった・立派な出自の・ありとあらゆること(災難)に遭遇した(姫)」

  「タ・アチ・パナ」、TA-ATI-PANA(ta=the,dash,beat,lay;ati=descendant,clan;pana=thrust or drive away,cause to come or go forth in any way)、「(意を決して大泊瀬稚武皇子の下へ)身を投じた・というべき(種類の)・姫」

  「ワカ・クタ・カペ」、WHAKA-KUTA-KAPE(whaka=make an immediate return for anything;kuta=encumbrance;kape=pass by,refuse,pick out)、「(根使臣の讒言によって兄が殺されたために)急に・邪魔者として・(朝廷から)放り出された(皇女)」

  「パタヒ・ノ・ウアカハ」、PATAHI-NO-UAKAHA(patahi=befall all alike;no=of;uakaha=vigorous,strenuous,difficult)、「(ありとあらゆる)困難に・遭遇した(姫)」(「パタヒ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタヒ」と、「ウアカハ」のH音が脱落して「ウアカ」から「ワカ」となった)

  「ナ・(ン)ガヒ」、NA-NGAHI(na=by,indicating parentage or descent,belonging to;ngahi=suffer penalty,be punished)、「罰を受けた者(兄)の・係累(である。姫)」

の転訛と解します。

 

221E2韓(から)媛

 紀は妃の第一を219F3境黒(さかひのくろ)彦皇子が眉輪王とともに逃げ込んだ葛城圓(つぶら)大臣の女韓(から)媛とし、221F3白髪武廣国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊と221F4稚足(わかたらし)姫皇女を生んだとします。

 記は妃を都夫良意富美(つぶらおほみ)の女訶良(から)比売とし、白髪(しらが)命、若帯(わかたらし)比売命を生んだとします。

 この「から」、「つぶら」、「おほみ」は、

  「カ・アラ」、KA-ARA(ka=take fire,be lighted,burn;ara=rise,rise up,awake)、「(父が焼き殺されたその)火の中から・(天皇の妃という)高い地位に就いた(姫)」(「カ」のA音と「アラ」の語頭のA音が連結して「カラ」となった)

  「ツプラ(ン)ガ」、TUPURANGA(verbal noun of tupu=grow,issue,be firmly fixed)、「(懐に飛び込んできた窮鳥を決して引き渡さないという)意志を強固に固めていた(大臣)」(語尾のNGA音が脱落して「ツプラ」から「ツブラ」となった)

  「オホ・ミヒ」、OHO-MIHI(oho=start from surprise,wake up,arise;mihi=greet,admire)、「(眉輪王が安康天皇を殺して坂合黒彦皇子とともに逃げ込んで来、大泊瀬稚武皇子の軍に家を囲まれて)びっくりして飛び上がった・崇敬すべき(大臣)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 

221E3稚(わか)姫

 紀は妃の第二を吉備上道臣(別本では吉備窪屋(くぼや)臣とします)の女稚(わか)姫とし、221F1磐城(いはき)皇子、221F2星川稚宮(ほしかわのわかみや)皇子を生んだとします。雄略紀7年是歳条は221H3吉備上道臣田狭の妻であったとし、その条に引く別本には葛城襲津彦の子玉田宿禰の女毛(け)媛とあり、清寧即位前紀に星川皇子をそそのかして乱を起こさせ、敗れて焼死したとあります。記には見えません。

 この「わか」、「け」、「くぼや」は、

  「ウアカハ」、UAKAHA(vigorous,difficult)、「元気が良い(姫)」

  「ケ」、KE(different,strange)、「(普通でない)変わっている(姫)」

  「ク・ポイア」、KU-POIA(ku=silent;poia,popoia=handle for a basket,tragus of the ear)、「静かな・外耳の突起(のような丘陵がある。地域)」(地名篇(その十三)の岡山県の(18)窪屋郡の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

221E4童女(をみな)君

 紀は第三の妃を春日和珥(わに)臣深目(ふかめ)の女童女(をみな)君とし、221F5春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女を生んだとします。雄略紀元年3月条には、童女君はもと采女で、天皇と一夜を共にして女子を生みましたが、天皇はこれを疑って認知せず、物部目大連(めのおほむらじ)が群臣の前で女子が天皇によく似ているといい、古人の語「娜毘騰耶旙麼珥(なひとやはばに)(分注は此古語未詳也とします)」を引いて天皇を諫めて認知させ、童女君を妃としたとあります。記には見えません。

 この「おみな」、「ふかめ」、「めの」、「なひとやはばに」は、

  「オ・ミナ」、O-MINA(o=the...of;mina=desire,feel inclination for)、「(子の認知を)切望している・者(采女)」

  「プカ・メ」、PUKA-ME(puka=eager,impatient,out of patience;me=if,as if,like)、「(娘が生んだ子を認知してもらえないことに対する不満の)忍耐が限度に達した・ように見える(采女の父である首長)」(「プカ」のP音がF音を経てH音に変化して「フカ」となった)

  「マイ(ン)ゴ」、MAINGO(=koingo=yearning,fret,sorrow)、「(父無し児とその母を)哀れに思う(大連)」(AI音がE音に、NG音がN音に変化して「メノ」となった)(これらの名の解釈から想像されることは、理不尽な天皇の所業に業を煮やした采女の父の首長が朝廷に強い影響力を持つ物部目大連に訴え、同情した大連が皆の前でこの劇を演出したのではないかということです。)

  「ナ・ピト・イア・パパニ」、NA-PITAU-IA-PAPANI(na=belonging to,indicating parentage or descent;pitau=young succulent shoot of a plant,figurehead of a canoe;ia=indeed,the said,current;pani,papani=persons bereaved,orphan)、「父無し児と・言われている・(樹木のひこばえのような)幼児の・父親は誰か」(「ピト」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」と、「パパニ」の最初のP音がF音を経てH音に、次のP音がB音に変化して「ハバニ」となった)

の転訛と解します。

 

221F1磐城(いはき)皇子

 紀は221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊の第1子、221E3稚(わか)媛の子の磐城(いはき)皇子(記には見えません)とし、清寧即位前紀雄略23年8月条に雄略天皇が崩御した後221E3稚媛が221F2星川稚宮(ほしかわのわかみや)皇子に「天皇位を奪うためにまず大蔵を押さえよ」と言うのを聴き、「皇太子の221F3白髪武廣国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊が弟であっても欺いてはいけない」と言って反乱に荷担しなかったとあります。

 この「いはき」は、

  「イ・ハキ」、I-HAKI(i=past tense,beside;haki=expressing disgust or reviling)、「(星川皇子の反乱に)異議を唱え・た(皇子)」

の転訛と解します。

 

221F2星川稚宮(ほしかわのわかみや)皇子

 紀は221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊の第2子、221E3稚(わか)媛の子の星川稚宮(ほしかわのわかみや)皇子(記には見えません)とし、清寧即位前紀雄略23年8月条に雄略天皇が崩御した後221E3稚媛が星川稚宮(ほしかわのわかみや)皇子に「天皇位を奪うためにまず大蔵を押さえよ」と言い、221F1磐城(いはき)皇子が「皇太子の221F3白髪武廣国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊が弟であっても欺いてはいけない」と反対したのを無視し、大蔵を制圧して反乱を起こしますが、稚媛、異父兄の兄君、城丘前来目(きのをかさきのくめ)と共に大伴室屋(むろや)大連と東漢掬直(やまとのあやのつかのあたひ)の軍によって焼き殺されます。

 この「ほしかわ」、「わかみや」は、

  「ホウ・チカ・ワ」、HOU-TIKA-WA(hou=enter,force downwards or under;tika=straight,direct,keeping the direct course;wa=definite space,area)、「(クーデターの成否を左右する要となる)場所(大蔵)を・真っ先に・押さえた(皇子)」(「ホウ」が「ホ」となった)

  「ウアカハ・ミヒ・イア」、UAKAHA-MIHI-IA(uakaha=vigorous,difficult;mihi=greet,admire;ia=indeed,current)、「実に・元気の良い・尊崇される(高い身分の)(皇子)」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ウアカ」から「ワカ」となった)

の転訛と解します。

 

221F3白髪武廣国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊

 紀は221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊の第3子、221E2韓(から)媛の子の白髪武廣国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊(記は大長谷(おほはつせのわかたけ)命の第1子、訶良(から)比売の子の白髪(しらが)命、または白髪大倭根子(しらがのおほやまとねこ)命)とします。

 尊は、生まれながらの白髪であったとされ、雄略天皇22年正月に皇太子となり、23年7月に天皇が病にかかると政治のすべてが皇太子にゆだねられ、同年8月に天皇が崩御、兄の星川皇子の乱を制圧し、翌年正月即位して222清寧天皇となります。

 この「しらが」、「たけひろくにおしわかやまとねこ」、「しらがのおほやまとねこ」は、

  「チラ・アカ」、TIRA-AKA(tira=row,fin of fish,rays,beam;aka=long and thin roots of trees or plants)、「光線のような・(植物の根に似た)白く細い(頭髪の。尊)」(「チラ」のA音と「アカ」の語頭のA音が連結して「チラカ」から「シラガ」となった)

  「タケ・ヒロウ・クニ・オチ・ウアカハ・イア・マト・ネコ」、TAKE-HIROU-KUNI-OTI-UAKAHA-IA-MATO-NEKO(take=absent oneself,crooked;hirou=rake,net for dredglng;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;oti=finished;uakaha=vigorous,difficult;ia=indeed,current;mato=deep swamp,deep valley;neko=a cloak)、「(反乱を)根こそぎにする(鎮圧する)のに・立ち会わなかった・集落の火を・消した(後継者が無くて国を滅ぼした)・気難しい・実に・深い湿地の地(大和の国)の・(外套のような)代表である(天皇)」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ウアカ」から「ワカ」となった)

  「チラ(ン)ガ・ノ・オホ・イア・マト・ネコ」、TIRANGA-NO-OHO-IA-MATO-NEKO(tirangaranga=scattered,disarranged;no=of;oho=start from surprise,wake up,arise;ia=indeed,current;mato=deep swamp;neko,nekoneko=fancy border of a cloak)、「(髪を)振り乱している・(兄の星川皇子が乱を起こして)びっくりして飛び上がった・実に・深い湿地の地(大和の国)の・(外套のような)代表である(天皇)」(「チラ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「チラガ」から「シラガ」ととなった)

の転訛と解します。

 

221F4稚足(わかたらし)姫皇女

 紀は221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊の第4子、221E2韓(から)媛の子の稚足(わかたらし)姫皇女、またの名は栲幡(たくはた)姫皇女(記は大長谷(おほはつせのわかたけ)命の第2子、訶良(から)比売の子の若帯(わかたらし)比売命)とします。

 皇女は、伊勢神宮の斎宮となりましたが、雄略紀3年4月条に221H1阿閉(あへ)臣國見(くにみ)が皇女を湯人(ゆゑ)の廬城(いほき)部連武彦(たけひこ)が孕ませたと讒言し、事実無根の噂を立てられたことに抗議して自殺します。

 この「わかたらし」、「たくはた」は、

  「ウアカハ・タラ・チ」、UAKAHA-TARA-TI(uakaha=vigorous,difficult;tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast)、「困難に遭遇した・ゴシップ(221H1廬城(いほき)部連武彦(たけひこ)との間に不倫の噂)を・流された(姫)」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ウアカ」から「ワカ」となった)

  「タ・クパ・タ」、TA-KUPA-TA(ta=the;kupa=prostrated,exhausted,soar;ta=dash,beat,overcome,lay)、「(不倫の噂を立てられて)疲れ・果てた(その結果自殺した。姫)」(「クパ」のP音がF音を経てH音に変化して「クハ」となった)

の転訛と解します。

 

221F5春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女

 紀は221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊の第5子、221E4童女(をみな)君の子の春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女、またの名は高橋(たかはし)皇女とします。

 皇女は、224仁賢天皇の妃から皇后となりました(仁賢記は仁賢天皇の后を大長谷若建(おほはつせのわかたけ)天皇の子、春日大娘女(かすがのおほいらつめ)とします)。

 この「かすがのおほ」、「たかはし」は、

  「カツア・(ン)ガ・ノ・オホ」、KATUA-NGA-NO-OHO(katua=adult,main fence,main portion of anything;nga=satisfied,breathe;no=of;oho=start from surprise,wake up,arise)、「(大人のように)落ち着きがあって・満足している(悠揚として迫らない)・すっくと立っている(皇女)」(「カツア」の語尾のA音が脱落して「カツ」から「カス」と、「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「タ・カハ・チ」、TA-KAHA-TI(ta=the;kaha=rope,line of ancestry;ti=throw,cast)、「(雄略天皇の子の中でただ一人仁賢天皇皇后となり武烈天皇を生んで)血統を(後に)・伝えた(皇女)」

の転訛と解します。

 

221G丹比高鷲原(たちひのたかわしのはら)陵

 紀は陵を丹比高鷲原(たちひのたかわしのはら)陵(『延喜式』は「在河内国丹比郡」と、『陵墓要覧』は所在地を大阪府羽曳野市大字島泉字高鷲原と大字南島原字丸山にまたがるとします)、記は「御陵は河内の高鷲に在り」とします。

 陵は、現在羽曳野市島泉の高鷲丸山古墳と呼ばれていた直径75メートル、高さ9メートルの円墳とされ、隣接の平塚古墳の前方部を改修して連結させていますが、もともと円墳であった形状、大きさ等から被葬者を雄略天皇とすることを疑問視する説があります。また、その北に隼人(はやと)塚(地元では「ハイトさん」と呼び歯痛の神様として崇めています)と称する一辺20メートル、高さ2メートルの方形墳があります(清寧紀元年10月条の記事と合致します)。

 なお、吉田東伍をはじめ諸氏は河内大塚山古墳(大阪府松原市西大塚、陵墓参考地、全長335メートル、前方後円墳、全国第10位)を雄略天皇陵としますが、この古墳は見瀬丸山古墳とほぼ同時期とみられ、被葬者は謎に包まれています。

 以上の事実および下記の御陵名の解釈を総合すると、顕宗紀2年3月条は、故無くして父を殺された復讐として雄略天皇陵を破壊しようとした顕宗天皇を皇太子意祁(おけ。後の仁賢天皇)が諫めて止めさせたとし、また顕宗記は、雄略天皇陵の破壊を自ら買って出た皇太子意祁が御陵の傍らの土を少し掘っただけに止めたとしているのは、顕宗天皇の復讐が実際には行われ、いったん造成された大規模な前方後円墳が極めて小規模な円墳および方墳に造り直されたのですが、顕宗天皇の名誉を守り、かつ仁賢天皇の仁徳を顕彰しようとする記紀編集者の意図によつて記紀の記事に大幅な修飾・改変が行われたものと解することができます。

 この「たちひ」、「たかわしのはら」は、

  「タ・チヒ」、TA-TIHI(ta=dash,beat,lay;tihi=summit,top,topknot of hair,lie in a heap)、「高台に・在る(地域。河内国丹比郡の地域)」

  「タカ・ワチ・ノ・ハラ」、TAKA(heap,lie n a heap)-WHATI(be broken off short of anything rigid,be bent at an angle)-NO(of)-HARA(a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「墳丘が・(切り取られた)破壊された・(ところ)の・首長の墳墓(陵)」(「ワチ」が「ワシ」となった)

の転訛と解します。

 

221H1阿閉(あへ)臣國見(くにみ)・廬城(いほき)部連武彦(たけひこ)・廬城(いほき)部連枳呂喩(きこゆ)

 221F4稚足(わかたらし)姫皇女、またの名は栲幡(たくはた)姫皇女は、伊勢神宮の斎宮となりましたが、雄略紀3年4月条に阿閉(あへ)臣國見(くにみ)、またの名磯特牛(しことひ)が、皇女を湯人(ゆゑ)の廬城(いほき)部連武彦(たけひこ)が孕ませたと讒言し、事実無根の噂を立てられたことに抗議して皇女は自殺します。

 武彦の父、廬城(いほき)部連枳呂喩(きこゆ)は、この流言を聞いて自分が罰せられることを恐れ、子を謀殺しますが、自殺した皇女の死体が見つかり流言が事実無根であったことが判明すると、子を殺したことを悔やんで、噂を流した國見を殺そうとし、國見は石上神宮に逃げ込んだとあります。

 この「あへ」、「くにみ」、「しことひ」、「ゆゑ」、「いほき」、「たけひこ」、「きこゆ」は、

  「ア・ハエ」、A-HAE(a=the...of;hae=slit,split)、「(山の間に)隙間が・ある(地域(伊賀国阿拝(あへ)郡)。その地域出身の氏族)」(「ハエ」のAE音がE音に変化して「ヘ」となった)または「アヘ」、AHE((Hawaii)timid,shy,wary,to exclaim)、「(枳呂喩と戦うことなく石上神宮に逃げ込むという)臆病な(または(ありもしない栲幡姫の不倫を疑うという)心配性の。人)」

  「クニ・イミ」、KUNI-IMI((Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;(Hawaii)imi=to look,hunt,serch,seek)、「国(の中の出来事)を・調べて廻る(人)」(「クニ」の語尾のI音と「イミ」の語頭のI音が連結して「クニミ」となった)

  「チコ・トヒ」、TIKO-TOHI(tiko=evacuate the bowels,stand out;tohi=pile up,cut)、「空っぽの椀(根も葉もない事実)を・積み上げた(ような嘘をまことしやかに言いふらす。人)」

  「イ・ウエ」、I-UE(i=ferment,be stirred;ue=push,shake,move a canoe with a padle worked against the side)、「沸き立つ湯(温泉)を・(カヌーの片側で方向を変えるために櫂を操るように)湯もみ板で湯を撹拌してほどよい温度に調整する(人。養育の任に当たる人)」

  「イホ・キ」、IHO-KI(iho=heart,inside,up above,from above,downwards;ki=full,very)、「奥地から・長い距離を流れ下る(川(三重県雲出川)。その川の流域出身の氏族)」

  「タ・ケヒ・コ」、TA-KEHI-KO(ta=the,dash,beat,lay;kehi=defame,speak ill of;ko=adressing tomales and females)、「(事実無根の)悪口を・浴びせられた・男子」

  「キコイ・ウ」、KIKOI-U((Hawaii)kikoi=rude,sarcastic,to do irregular;u=bite,be firm,reach its limit)、「異常な行動の・極致に達した(人。罪を免れようとして無実の子を殺してしまった人)」

の転訛と解します。

 

221H2少子(ちいさこ)部連螺贏(すがる)

 雄略紀6年3月条に天皇が后妃たちに蚕を飼わせようと思い、螺贏(すがる)に国中の蚕(こ)を集めさせたところ、誤解して嬰児を集めてきたので、螺贏に嬰児を育てるよう命じ、少子(ちいさこ)部連という姓を与えたとあります。

 また、同7年7月条に天皇が少子部連螺贏に三諸(みもろ)岳の神の姿を見たいから捕らえてこいと命じ、螺贏が山に登って大蛇(おろち)を捕らえてきたので、改めて雷(いかづち)という名を与えたとあります。

 この「すがる」、「ちいさこ」、「みもろ」、「おろち」、「いかづち」は、

  「ツ・(ン)ガルエ」、TU-NGARUE(tu=fight with,energetic;ngarue=shake,move to and fro)、「一生懸命に・(嬰児を集め、大蛇を捕らえるために)東奔西走した(人)」(「(ン)ガルエ」のNG音がG音に変化し、語尾のE音が脱落して「ガル」となった)

  「チ・ヒタコ」、TI-HITAKO(ti=throw,cast,overcome;hitako=yawn)、「(間違いと分かって驚きのあまり)口を開けたまま・打ちひしがれた(呆然自失した人。その氏族)」

  「ミヒ・モロ」、MIHI-MOLO(mihi=sigh for,greet,admire;(Hawaii)molo=to turn,to twist,to interweave and interlace)、「崇敬する神が・(大国主神から大物主神へ)交代した(山)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
  または「ミヒ・モロ」、MIHI-MOLO(mihi=sigh for,greet,admire;(Hawaii)molo=to turn,twist,to interweave and interlace)、「尊崇すべき・とぐろを巻いている(蛇。その神。その神が坐す山)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「オロ・チ」、ORO-TI(oro=clump of trees,copse;ti=throw,cast)、「倒れている・材木(のように太い。蛇)」(雑楽篇の620おろち(大蛇)の項を参照してください。)

  「イカ・ツチカ」、IKA-TUTIKA(ika=warrior,heap,fish;tutika=upright)、「直立している(立派な)・戦士」または「イ・カ・ツチカ」、I-KA-TUTIKA(i=past tense,beside;ka=take fire,be lighted,burn;tutika=upright)、「火(柱)が・真っ直ぐに立つ・た(雷が落ちた。その雷)」(「ツチカ」の語尾の「カ」が脱落して「ツチ」となった)

の転訛と解します。

 

221H3吉備上道臣田狭(たさ)

 雄略紀7年是歳条は吉備上道臣田狭(たさ)が友にその妻221E3稚(わか)媛が絶世の美人であると自慢しているのを天皇が聞き、田狭を任那国司に任命して遠ざけ、その留守に稚媛を奪い、子を生ませます。田狭はそのことを聞き、日本と不和であった新羅に援助を求めようとし、天皇は田狭の子弟君と吉備海部直赤尾(あかを)に新羅を討伐することを命じます。弟君は百済から日本に移住する工人を受け取ったものの、新羅を討たずに父と連絡を取って大嶋に止まり、弟君の妻樟(くす)媛は夫の謀反を許さず、夫を殺し、天皇が派遣した日鷹吉士(ひたかのきし)堅磐固安銭(かたしはこあんせん)とともに工人を引き連れて日本に帰還したとあります。なお、工人を倭国の吾礪(あと)の廣津(ひろきつ)邑に住まわせたが、病死する者が多く、別の場所に移したとあります。

 この「たさ」、「あかを」、「くす」、「ひたか」、「かたしはこあんせん」、「あと」、「ひろきつ」は、

  「タタ」、TATA(dash down,beat down,strike repeatedly)、「さんざんな目に逢わされた(首長)」

  「ア・カオ」、A-KAO(a=the...of,belonging to;kao=assembled,collect together(kaokao=sideways on))、「同行した(だけの。首長)」

  「ク・ツ」、KU-TU(ku=silent;tu=fight with,be ignited,energetic)、「静かに・(国家のために夫を殺すという)戦いをした(妻)」

  「ヒタカ」、HITAKA(whipping-top)、「(鞭を打って廻す)独楽(こま)(のように廻りながら流れる川=和歌山県日高川の流域。その地域出身の氏族)」

  「カタ・チワ・コ・ア(ン)ガ・テネ」、KATA-TIWHA-KO-ANGA-TENE(kata=opening of shellfish,laugh;tiwha=patch,spot,appeal for assistance in war;ko=adressing tomales and females;anga=driving force,thing driven,face or move in a certain direction,aspect;tene=be importunate)、「貝が口を開けたような入り江の・小さな地域の・住人で・辛抱強く・仕事を成し遂げる(人間)」または「笑って・自ら協力を申し出た・男で・辛抱強く・仕事を成し遂げる(人間)」(「ア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「アナ」から「アン」と、「テネ」が「テン」から「セン」となった)

  「アト」、ATO(enclose in a fence,thatch)、「柵で囲った(居住地)」

  「ヒロキ・ツ」、HIROKI-TU(hiroki=thin,lean;tu=stand,settle)、「(地味が)痩せている場所に・位置している(村)」

の転訛と解します。

 

221H4膳(かしはで)臣斑鳩(いかるが)・吉備臣小梨(をなし)・難波吉士赤目子(あかめこ)

 雄略紀8年2月条は、新羅と高麗の争いを記し、新羅王が任那王に救いを求め、任那王の勧めによって日本府の行軍元帥(いくさのきみ)である膳(かしはで)臣斑鳩(いかるが)・吉備臣小梨(をなし)・難波吉士赤目子(あかめこ)が出陣して高麗軍を大いに破ったとします。

 この「いかるが」、「をなし」、「あかめこ」は、

  「イカ・ル(ン)ガ」、IKA-RUNGA(ika=warrior,heap,fish;runga=the top,upwards,above)、「最高の・戦士(である。将軍)」(「ル(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ルガ」となった)(「膳(かしはで)」については古典篇(その二)の2の(7)国譲りの項を参照してください。)

  「オ(ン)ガ・チ」、ONGA-TI(onga=agitate,shake about;ti=throw,cast,overcome)、「奮い立って・(敵を)征服する(将軍)」(「オ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「オナ」となった)

  「アカ・メコ」、AKA-MEKO(aka=clean off,scrape away,yearning;meko=withhold,refuse to give)、「情け容赦なく・殺戮し尽くす(将軍)」

の転訛と解します。

 

221H5凡河内(おほしかふち)直香賜(かたぶ)

 雄略紀9年2月条は、凡河内(おほしかふち)直香賜(かたぶ)と采女を派遣して胸方神を祭らせたところ、香賜が采女を犯したので、難波日鷹吉士を遣わして誅殺しようとしたか逃げられ、弓削連豊穂(とよほ)に捜索させ、三嶋郡の藍原(あゐのはら)で捕らえて斬ったとします。

 この「かたぶ」、「とよほ」、「あゐ」は、

  「カ・タプ」、KA-TAPU(ka=take fire,burn,to denote the commencement of a new action or condition;tapu=under religious or supertitious restriction)、「(神を祭るにあたっての)禁忌を・犯した(人)」(「凡河内(おほしかふち)」については地名篇(その四)の大阪府の(7)河内国の項を参照してください。)

  「トイ・オホ」、TOI-OHO(toi=tip,summit,finger,move quickly,encourage;oho=spring up,wake up,arise)、「(命を受けて)直ちに出発して・迅速に行動(捜索)した(人)」(「トイ」の語尾のI音と「オホ」の語頭のO音が連結して「トヨホ」となった)

  「アウヒ」、AUHI(be humpered,be distressed,grief)、「(捕らえるのに)難儀をした(原)」(H音が脱落して「アウイ」から「アヰ」となった)

の転訛と解します。

 

221H6紀小弓(おゆみ)宿禰・蘇我韓子(からこ)宿禰・大伴談(かたり)連・大伴津麻呂(つまろ)・小鹿火(をかひ)宿禰・紀大磐(おいは)宿禰

 雄略紀9年3月条は、天皇が新羅を親征しようとしますが神意によって取りやめ、紀小弓(おゆみ)宿禰・蘇我韓子(からこ)宿禰・大伴談(かたり)連・小鹿火(をかひ)宿禰に命じて新羅討伐を行わせますが、苦戦します。この戦いで大伴談連は戦死し、その従者津麻呂(つまろ)も主人の死を知って「どうして自分一人生きておられようか」と敵陣に入って戦死し、大将軍紀小弓宿禰は病死します。

 同5月条は、病死した紀小弓宿禰の子紀大磐(おいは)宿禰は新羅に赴き、小鹿火宿禰の所管していた軍を我が物としたので小鹿火宿禰の恨みを買い、小鹿火宿禰は韓子宿禰に大磐宿禰の所業を告げ、三者の間が険悪となり、韓子宿禰は大磐宿禰と私闘して死亡します。

 この「おゆみ」、「からこ」、「かたり」、「つまろ」、「をかひ」、「おいは」は、

  「オイ・フミ」、OI-HUMI(oi=shout,shudder,move continously,agitate;humi=abundant,abundance)、「連戦に連戦を・重ねた(将軍)」(「オイ」のI音と「フミ」のH音が脱落した語頭のU音が連結して「オユミ」となった)

  「カハ・ラコ」、KAHA-RAKO(kaha=strong;rako,rakorako=expose,uncover)、「強さを・誇示していた(将軍)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)または「カラ・コ」、KARA-KO(kara=flag;ko=adressing to males and girls)、「軍旗を・預かっていた(将軍)」

  「カハ・タリ」、KAHA-TARI(kaha=strong;tari=carry,urge,incite)、「強さを・保持していた(将軍)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)

  「ツマロ」、TUMARO(hard,solid)、「(意志・性格が)固い(従者)」

  「オ・カヒ」、O-KAHI(o=the...of,belonging to,provisions of a journey,(Hawaii)to answer,say;kahi=wedge)、「(大磐宿禰を憎んで韓子宿禰に)讒言して・(韓子宿禰と大磐宿禰との間に)くさびを打ち込んだ(仲違いをさせた。宿禰)」

  「オホ・イ・ワ」、OHO-I-WHA(oho=spring up,wake up,arise;i=past tense,beside;wha=be disclosed,get abroad)、「海外に出て・威張り・くさった(将軍)」

の転訛と解します。

 

221H7田辺史伯孫(はくそん)

 雄略紀9年7月条は、河内国の飛鳥戸郡の田辺史伯孫(はくそん)が古市郡の書首加龍(かりょう)に嫁いだ娘の出産祝いの帰途、蓬累(いちびこ)丘の誉田陵の近くで赤い駿馬に乗った人に逢い、頼んで乗馬を交換したところが、翌朝赤馬は埴輪の馬に化し、誉田陵の埴輪の馬の中に交換した馬がいたとします。

 この「はくそん」、「かりょう」、「いちびこ」は、

  「ハク・トノ」、HAKU-TONO(haku=complain of,find fault with;tono=bid,command,demand)、「(馬の交換の)申し出が・誤りだったことを発見した(人)」

  「カリオイ」、KARIOI(loiter,idle,long-continued)、「永く(書記の仕事を)続けている(人)」(語尾のI音がU音に変化して「カリオウ」から「カリョウ」となった)

  「イ・チピ・コウ」、I-TIPI-KOU(i=past tense,beside;tipi=slice,dress the surface of timber with an adze;kou=knob,stump,protuberance)、「(斧で)表面を削・ったような・丘」

の転訛と解します。(誉田陵については、地名篇(その四)の大阪府の(15)羽曳野市のc誉田の項を参照してください。)

 

221H8歯田根(はたね)命

 雄略紀13年3月条は、211E1狭穂媛の兄の狭穂彦の玄孫歯田根(はたね)命がひそかに采女山辺小嶋子(こしまこ)を犯したので罪を問い、歯田根命は馬八匹・刀八口を差し出して罪を贖つたとします。

 この「はたね」、「こしまこ」は、

  「ハ・タネ」、HA-TANE(ha=what!,breathe;tane=male,showing manly qualities,husband)、「何と・男らしい(きっぷの良い。命)」

  「コチ・マコ」、KOTI-MAKO(koti=cut,divide,spurt out,come into bloom;mako=peeled,stripped)、「花が咲いたような(美しさが溢れ出している)・(皮を剥いたように)滑らかな(肌をした。采女)」

の転訛と解します。

 

221H9文石小麻呂(あやしのをまろ)

 雄略紀13年8月条は、播磨国の御井隈(みゐくま)の人文石小麻呂(あやしのをまろ)が通行を妨げ、船の荷物を奪い、租税を納めないなどの暴虐を行ったので、春日小野臣大樹(おほき)を遣わして家を囲んで焼いたところ、火中から白い大きな狗が飛び出し大樹臣に襲いかかったが、大樹臣に斬られて文石小麻呂に化したとします。

 この「あやしのをまろ」、「みゐくま」、「おほき」は、

  「アイア・チ・ノ・オマ・ロ」、AIA-TI-NO-OMA-RO((Hawaii)aia=ungodly,godless,irregious,wicked;ti=throw,cast;no=of;oma=move quickly,run,escape,ro=go,inside)、「邪悪な(所業を)・ほしいままにする・敏速に・行動する(賊)」

  「ミイ・クマ」、MII-KUMA((Hawaii)mii=attractive,good-looking;(Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes)、「景色の良い・山の尾根と尾根に挟まれた(地域)」

  「オホ・キ」、OHO-KI(oho=wake up,arise;ki=full,very)、「(白い大きな狗が火の中から飛び出して襲いかかってきても)すっくと立つたまま・動じなかった(将軍)」

の転訛と解します。

 

221H10韋奈部(ゐなべ)真根(まね)

 雄略紀13年9月条は、石を台にして一日中材木を斧で削っていた木工(きのたくみ)韋奈部(ゐなべ)真根(まね)は、天皇に対して「どんなことがあっても斧を石に当てて刃を傷つけることはない」と豪語します。天皇が采女を裸にして相撲を取らせると、真根は斧の刃を傷つけたので死刑を申し渡されますが、同僚が眞根の腕を惜しんで歌を詠み、すんでのところで助命されたとします。

 この「ゐなべ」、「まね」、「たくみ」は、

  「イ・ナペ」、I-NAPE(i=beside,past tense;nape=weave,ligament of bivalve)、「(鈴鹿山脈と養老山脈を結合している)貝柱のような地域の・傍ら(の地域。その地域出身の人)」

  「マネイ」、MANEI(reach out to,waver,hesitate,vacillate)、「(手が滑って斧が狙ったところから)外れた(匠)」

  「タ・ハク・ミ」、TA-HAKU-MI(ta=the;haku=complain,find fault with;mi=urine,to void urine)、「(仕事についての)不満を・空(から)にした(非の打ち所がない。完璧な仕事をする)・工人」(「タ」のA音と「ハク」の語頭のA音が連結して「タク」となった)

の転訛と解します。

 

221H11小根使主(をねのおみ)

 雄略紀14年4月条は、呉の客人の接待役に選ばれた220H2根使主(ねのおみ)が高貴な珠縵を身に付けたことが評判となり、ついに大草香皇子を陥れて珠縵を横領したことが発覚し、根使主は日根に逃れて稲城(いなき)を造って戦いますが、敗れて殺されます。

 根使主の子、小根使主(をねのおみ)は、夜に人に「天皇の城(き)は堅くない、父の城は堅かった」と語って殺され、根使主の子孫は後に坂本(さかもと)臣となります。

 この「ねの」、「いなき」、「を(ねの)」、「さかもと」は、

  「(ン)ガイ・(ン)ガウ」、NGAI-NGAU(ngai=tribe,clan,group;ngau=bite,hurt,attack)、「人を陥れる・輩(やから)(に属する人間)」(「(ン)ガイ」のNG音がN音に、AI音がE音に変化して「ネ」となり、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)(220H2根使主の解釈を再掲しました。)

  「イナキ」、INAKI(overlap,pack closely,thatch)、「(土砂・石・材木などを)緻密に積み上げた(防塁)」または「イ・(ン)ガキ」、I-NGAKI(i=past tense,beside;ngaki=maki=an action is done spontaneously or on impulse or for one's own benefit)、「急いで作り・上げた(防塁)」(「(ン)ガキ」のNG音がN音に変化して「ナキ」となった)

  「オ」、O(the...of,belonging to,provisions of a journey,(Hawaii)to answer,say)、「(冥土へ旅立った父へ)追悼の言葉を贈つた(子)」または「生き残った(父と同類の子)」

  「タカ・モト」、TAKA-MOTO(taka=fall off,fall away,fail of fulfilment;moto=strike with a fist)、「(高い地位から)滑り落ちて・さんざんに叩かれた(氏族)」

の転訛と解します。

 

221H12秦酒公(はたのさけのきみ)

 雄略紀15年条は、秦の部民を秦造にゆだねず、臣連等に分けて自由に使役するようになったので、これを憂いた秦造酒を天皇が哀れんで秦の部民を集めて秦酒公(はたのさけのきみ)にゆだね、公は百八十種の勝(すぐり)を率いて絹布等を朝廷に奉献し、禹豆麻佐(うつまさ。または禹豆母利麻佐(うつもりまさ)という)の姓を賜ったとします。(前出221B泊瀬朝倉(はつせのあさくら)宮の項を参照してください。)

 この「はた」、「さけ」、「すぐり」、「うつまさ」、「うつもりまさ」は、

  「ハ・アタ」、HA-ATA(ha=what!,breathe;ata=gently,openly,deliberately,cautiously)、「営々と・努力する(氏族)」(「ハ」のA音と「アタ」の語頭のA音が連結して「ハタ」となった)(なお、畑・畠(はた。はたけ)は、「パタ」、PATA(prepare food)、「食料を準備する(生産する。場所)」または「パタ・ケ」、PATA-KE(pata=prepare food;ke=strange,different)、「変わった(狩猟採集時代の食料とは異なった。または平地の通常の畑とは異なった山間にある畑もしくは焼畑の)・食料を準備する(生産する。場所)」(「パタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタ」となった)と解します。)

  「タケ」、TAKE(stump,base of a hill,beginning,chief)、「(どっしりとした)氏族の族長」(なお、酒(さけ)は、「タ・ケ」、TA-KE(ta=dash,beat,lay;ke=strange,different)、「(それを飲むと)奇妙(な気分)に・襲われる(飲料)」の転訛と解します。)

  「ツ(ン)グ・リ」、TUNGU-RI(tungu=kindle;ri=screen,protect,bind)、「灯りを灯した場所(居住地。集落)が・集まった(集落の集合体。組織)」(「ツ(ン)グ」のNG音がG音に変化して「ツグ」から「スグ」となった)

  「ウツ・マタ」、UTU-MATA(utu=dip up water,spur of a hill,return for anything,make response;mata=heap,deep swamp)、「(分散していた族民を集めて賜った)御礼として・(絹織物を)丘のように積み上げた(氏族)」または「丘陵の・突端(の場所。そこを本拠とする氏族)」もしくは「深い湿地が・乾陸化した(場所。そこを本拠とする氏族)」(地名篇(その三)の京都府の(7)のb太秦(うずまさ)の項を参照してください。)

  「ウツ・モリ・マタ」、UTU-MORI-MATA(utu=dip up water,spur of a hill,return for anything,make response;mori=low,mean,fondle;mata=heap,deep swamp)、「(分散していた族民を集めて賜った)御礼として・(絹織物を)低い・丘のように積み上げた(氏族)」または「低い・丘陵の・突端(の場所。そこを本拠とする氏族)」もしくは「低く・深い湿地が・乾陸化した(場所。そこを本拠とする氏族)」

の転訛と解します。

 

221H13伊勢朝日郎(あさけのいらつこ)

 雄略紀18年8月条は、伊勢朝日郎(あさけのいらつこ)を討伐するため物部菟代(うしろ)宿禰、物部目(めの)連を派遣しましたが、朝日郎の放つ矢は二重の鎧を通すほどで、菟代宿禰は怖気づいて前進しようとしなかったので、物部目連は筑紫の聞物部大斧手(おほをのて)とともに突進し、大斧手は矢に楯と二重の鎧を貫かれて体に一寸ほど突き刺さったが、楯で物部目連を隠し、物部目連が朝日郎を捕らえて斬ったとします。菟代宿禰は何もしなかったことを恥じて復命をせず、これをいぶかった天皇に対し、讃岐田蟲別(たむしわけ)が事の次第を報告したので、菟代宿禰の所有する猪使部を取り上げて物部目連に賜ったとあります。

 この「あさけ」、「うしろ」、「めの」、「おほをのて」、「たむしわけ」は、

  「アタ・ケ」、ATA-KE(ata=how horrible;ke=strange,different)、「なんとも恐ろしい・異様な(怪物の。賊)」

  「ウ・チロ」、U-TIRO(u=be firm,be fixed;tiro=look,survey)、「立ちすくんで・見ているだけだった(宿禰)」

  「マイ(ン)ゴ」、MAINGO(=koingo=yearning,fret,sorrow)、「(菟代宿禰が打って出ようとしないのに)業を煮やした(連)」(AI音がE音に、NG音がN音に変化して「メノ」となった)(前出221E4童女(をみな)君の項の物部目大連の解釈を参照してください。)

  「オホ・オ・(ン)ゴテ」、OHO-O-NGOTE(oho=spring up,wake up,arise;o=the...of;ngote=mote=suck,draw in the breath audibly indicating pain or fear)、「(朝日郎の矢が楯と二重の甲を貫き、さらに体に一寸ほど刺さったが)すっくと立ち上がって・苦痛の声を飲み込んで(うめき声も立てずに)・戦った(戦士)」(「(ン)ゴテ」のNG音がN音に変化して「ノテ」となった)

  「タ・ムツ・ワケ」、TA-MUTU-WAKE(ta=dash,beat,lay;mutu=brought to an end,finished;wake,wakewake=hurry,hasten)、「急いで・結論を出すように・詰め寄った(人)」(「ムツ」が「ムチ」から「ムシ」となった)

の転訛と解します。

 

221H14吉備臣尾代(をしろ)

 雄略紀23年8月条は、吉備臣尾代(をしろ)が新羅に遠征するため吉備国にさしかかると、引率していた蝦夷(えみし)等が天皇の崩御を聞き反乱を起こしたので、尾代は娑婆水門で蝦夷を破り、さらに丹波国の浦掛水門まで追跡して蝦夷を全滅させたとあります。

 この「をしろ」、「えみし」は、

  「オチ・ロ」、OTI-RO(oti=finished,gone or come for good;ro=roto=inside)、「奥地で(奥地まで追跡して)・(蝦夷の追討を)達成した(将軍)」

  「エミ・チ」、EMI-TI(emi=be assembled,be gathered together,be ashamed;ti=throw,cast,overcome)、「全滅させられた・群衆」

の転訛と解します。

 

221H15都摩杼比(つまどひ)

 雄略記は、天皇が221E1若日下部(わかくさかべ)命に求婚するため河内に行かれた時、志幾の大縣主の家が天皇の家と同じように堅魚(かつを)を上げているのを見て怒り、その家を焼こうとしましたが、大縣主が無知を謝罪して「能美(のみ)の御幣(みまひ)の物」として犬に白布を掛け、鈴をつけ、一族の腰佩(こしはき)という者に犬の縄を取らせて献上したので許し、若日下部命に「これは今日来る途中で得た珍しい物、都摩杼比(つまどひ)の物である」といって渡したとあります。

 この「かつを」、「のみ」、「みまひ」、「こしはき」、「つまどひ」は、

  「カハツ・オフ」、KAHATU-OHU(kahatu=upper edge of a seine net;ohu=surround,stoop)、「地引網の上部に・付いているもの(浮子(うき)。浮子のような木材=堅魚木)」(「カハツ」および「オフ」のH音が脱落して「カツ」、「オ」となった)

  「ノフ・フミ」、NOHU-HUMI(nohu=sinking pain;humi=abundant)、「大きな・痛手を蒙る(罪を贖う物)」(「ノフ」および「フミ」のH音が脱落して「ノ」、「ミ」となった)

  「ミヒ・マヒ」、MIHI-MAHI(mihi=greet,amire;mahi=work,make,do,procure)、「(謝罪の)挨拶を・表すもの(物)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「コチ・パキ」、KOTI-PAKI(koti=cut,divide,separate;paki=proclaim,gossip,scandal)、「悪い噂と・無縁である(者)」(「パキ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハキ」となった)

  「ツマトヒ」、TUMATOHI(errect,watchfull,on the alert)、「刮目すべきもの(珍しい物)」(通説はこれを「妻問(つまと)ひ(求婚のための贈り物)」と解しますが、そうであれば事前に用意して持参すべきもので、『古事記』原文の文脈からしても、たまたま手に入った「珍しい物」という意味に解すべきものです。

 なお、この単語は「ツ・マトヒ」、TU-MATOHI(tu=fight with,energetic;matohi=a kind of dance performed by men only)、「激しい(踊り狂う)・(祭り、戦闘などの際の)男子の踊り」が転じて「刮目すべきもの(珍しい物)」となったもので、この踊りの際に用いられる飾りを付けた槍または棒が後に各地の祭り、田植え神事において男子が振り回しながら所作をし、行進をする大笠や纏(まとひ)となり、さらに戦国時代の武将の軍旗に代わる纏となり、江戸時代の大名行列の毛槍や纏、消防の纏などとなったものと解することができます。)

の転訛と解します。

 

221H16引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)

 雄略記は、天皇が美和河のほとりで引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)という美しい少女に逢い、近いうちに呼ぶから結婚しないで待てと言ったまま忘れてしまい、少女が80歳を過ぎて老婆となって出頭したのに驚き、歌を詠んでいたわったとあります。

 この「ひけたべ」、「あかいこ」は、

  「ヒカイ・タパエ」、HIKAI-TAPAE(hikai,hikaikai=move the feet to and fro,writhe,be impatient;tapae=stack,lie in wait for,present)、「(天皇のお召しを)待って・苦しみもだえながら耐え続けた(人)」(「ヒカイ」のAI音がE音に変化して「ヒケ」と、「タパエ」のAE音がE音に変化して「タペ」から「タベ」となった)

  「ア・カイ・コ」、A-KAI-KO(a=the...of,belonging to;kai=eat,consume,fulfi its proper function;ko=adressing to males and females)、「(天皇のお召しを待つという)義務を立派に果たし・た・女子」

の転訛と解します。

トップページ 古典篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

 

 

[222清寧天皇]

 

222A白髪武廣國押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊

 紀は221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊(雄略天皇)の第3子、221E2韓(から)媛の子の221F3白髪武廣国押稚日本根子(しらかのたけひろくにおしわかやまとねこ)尊(記は大長谷(おほはつせのわかたけ)命の第1子、訶良(から)比売の子の白髪(しらが)命、または白髪大倭根子(しらがのおほやまとねこ)命)とします。

 尊は、生まれながらの白髪であったとされ、雄略天皇22年正月に皇太子となり、23年7月に天皇が病にかかると政治のすべてが皇太子にゆだねられ、同年8月に天皇が崩御、兄の星川皇子の乱を鎮圧し、翌年正月即位して222清寧天皇となります。

 紀は天皇に皇后・子がなく、清寧天皇3年4月に217履中天皇の子の217F1市辺押磐(いちのべのおしは)皇子の子の億計(おけ)王を皇太子に、弘計(をけ)王を皇子とし、同5年正月に崩御したのち億計王と弘計王が皇位を譲り合ったので217F3飯豊青(いひとよのあお)皇女が忍海角刺宮で臨秉朝政したとし、記は天皇に皇后・子がなく、崩御の後217F1市辺忍歯別(いちのべのおしはわけ)王の妹、217F3忍海(おしぬみ)郎女、亦の名飯豊(いひとよ)王が葛城の忍海の高木の角刺宮で政務を見、その後に億祁(おけ)命、袁祁(をけ)命を宮に招いたたとします。

 この「しらが」、「たけひろくにおしわかやまとねこ」、「しらがのおほやまとねこ」は、

  「チラ・アカ」、TIRA-AKA(tira=row,fin of fish,rays,beam;aka=long and thin roots of trees or plants)、「光線のような・(植物の根に似た)白く細い(頭髪の。尊)」(「チラ」のA音と「アカ」の語頭のA音が連結して「チラカ」から「シラガ」となった)

  「タケ・ヒロウ・クニ・オチ・ワカ・イア・マト・ネイ・コ」、TAKE-HIROU-KUNI-OTI-WAKA-IA-MATO-NEI-KO(take=absent oneself,crooked;hirou=rake,net for dredging shellfish;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;oti=finished;waka=crew of a canoe,tribe;ia=indeed,current;mato=deep swamp,deep valley;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;ko=addressing to males and girls)、「国の・(星川王の反乱を)根こそぎにする(平定する)のに・立ち会わなかった(部下に任せた)・一族(の血統)を・終わらせた(子孫が無かった)・実に・深い湿地がある(大和国)の・(世の中を揺るがす)騒ぎを引き起こした(恐らく皇太子を定めずに崩じたため、大きな騒ぎを引き起こし、飯豊皇女から第23代顕宗天皇に至るまでの間、大和国を混乱させた。尊)」

  「チラ・アカ・ノ・オホ・イア・マト・ネイ・コ」、TIRA-AKA-NO-OHO-IA-MATO-NEI-KO(tira=row,fin of fish,rays,beam;aka=long and thin roots of trees or plants;no=of;oho=start from surprise,wake up,arise;ia=indeed,current;mato=deep swamp;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;ko=addressing to males and girls)、「光線のような・(植物の根に似た)白く細い(頭髪)・の・(兄の星川皇子が乱を起こして)びっくりして飛び上がった・実に・深い湿地の地(大和の国)の・(世の中を揺るがす)騒ぎを引き起こした(恐らく皇太子を定めずに崩じたため、大きな騒ぎを引き起こし、飯豊皇女から第23代顕宗天皇に至るまでの間、大和国を混乱させた。尊)」(「チラ」の語尾のA音と「アカ」の語頭のA音が連結して「チラカ」から「シラカ」となった)

の転訛と解します。

 

222B磐余(いはれ)甕栗(みかくり)宮

 紀は壇場を磐余(いはれ。大和国十市郡)の甕栗(みかくり)に設けて宮と定めたとし、記も伊波禮(いはれ)の甕栗(みかくり)宮とします。場所は諸説あって不明です。

 この「みかくり」は、

  「ミ・カク・リ」、MI-KAKU-RI(mi=river,stream;kaku=scrape up,bruise;ri=screen,protect,bind)、「川が・浸食した場所が・連なった(場所)」

  または「ミカ・クリ」、MIKA-KULI((Hawaii)mika=to press,crush;(Hawaii)kuli=knee,deafness,noise)、「膝(のような尾根)が・崩れた(平地の場所)」

の転訛と解します。(「磐余(いはれ)」については、古典篇(その一)の1の(4)「ヤマトイハレヒコ」の意味の項および地名篇(その五)の奈良県の(41)磐余の項を参照してください。)

 

222C1大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊

 父は221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊(雄略天皇)の項を参照してください。

 

222C2韓(から)媛

 母は221E2韓(から)媛の項を参照してください。

 

222D1磐城(いはき)皇子から222D5春日大娘(かすがのおほいらつめ)まで

 兄弟姉妹は221F1磐城(いはき)皇子から221F5春日大娘(かすがのおほいらつめ)までの項を参照してください。

 

222G河内坂門原(さかとのはら)陵

 紀は陵を河内坂門原(さかとのはら)陵(『延喜式』は坂門原(さかとのはら)陵、河内国古市郡と、『陵墓要覧』は所在地を大阪府羽曳野市大字西浦字白髪とします)とし、記は陵を記しません。

 この「さかとのはら」は、

  「タカ・トヌ・ハラ」、TAKA-TONU-HARA(taka=fall off,fall away;tonu=denoting continuance,quite,immediately;hara=a stick bent at the top used as a sign that a chief had died at the place)、「治世が・短命で終わった(天皇の)・墓所(陵)」

の転訛と解します。

 

222H1河内三野縣主小根(をね)

 紀は雄略天皇の崩後、221F2星川稚宮(ほしかわのわかみや)皇子が大蔵を制圧して乱を起こし、大伴室屋(むろや)大連が東漢掬(つかの)直に命じて出した軍隊に焼き殺されますが、この際河内三野縣主小根(をね)が草香部吉士漢(あや)彦の脚にすがりついて助命を嘆願し、漢彦が大伴室屋大連に願ってついに許されたとあります。

 この「をね」、「あや」、「むろや」、「つかの」は、

  「オ・ネイ」、O-NEI(o=the...of,belonging to,provisions of a journey,(Hawaii)to answer,say;nei=to denote proximity to or connection with)、「(相手に)すがりついて・かき口説いた(縣主)」

  「アイア」、AIA(=kaitoa=it is good,it serves one right)、「良いことをした(人の命を救うという功徳を施した。人)」

  「ムフ・ロ・イア」、MUHU-RAU-IA(muhu=grope,push one's way through bushes etc.;rau=catch as in a net,entangle,confused;ia=indeed,)、「実に・種々の問題を抱えて・手探りで進んだ(解決に取り組んだ。大連)」(「ムフ」のH音が脱落して「ム」となった)

  「ツカ・(ン)ガウ」、TUKA-NGAU(tuka,tukatuka=atart up,proceed forward;ngau=bite,hurt,attack)、「(命をうけて)すぐに飛び出して・攻撃した(将軍)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

 

[222-2飯豊青(いひとよのあお)皇女]

 

222-2A飯豊青(いひとよのあお)皇女

 履中紀は217A大兄去来穂別(おほえのいざほわけ)尊(履中天皇)と217E1黒(くろ)媛の第3子(記は大江(おほえ)の伊邪本和氣(いざほわけ)命と黒(くろ)比売命の第3子、217F3青海(あをみ)郎女(亦の名飯豊(いひとよ)郎女))とします。(なお、履中紀元年7月条は217F3飯豊(いひとよ)皇女を217F1磐坂市辺押羽皇子の妹としますが、顕宗即位前紀分注は億計王、弘計王の妹とし、さらに同分注の或本および顕宗即位前紀清寧天皇5年正月条は弘計王の姉とします。記は市辺忍歯別王の妹とします。)

 清寧紀3年7月条に飯豊皇女が角刺宮で「一度夫と交わり、女の道を知ったが、格別のこともない。一生男と交わろうとは思わない」といったとあり、また、顕宗即位前紀清寧5年正月の条に清寧天皇の皇太子億計王と顕宗天皇が天皇位を譲り合って空位となったので、顕宗天皇の姉飯豊青(いひとよのあお)皇女が飯豊青(いひとよのあお)尊とみずから称して忍海角刺(おしぬみのつのさし)宮で臨朝秉政(みかどまつりごと)し、同年11月に皇女は崩じたとあります。

 記は清寧天皇に皇后・子がなく、崩御の後217F1市辺忍歯別(いちのべのおしはわけ)王の妹、217F3忍海(おしぬみ)郎女、亦の名飯豊(いひとよ)王が葛城の忍海の高木の角刺宮で政務を見、その後に億祁(おけ)命、袁祁(をけ)命が見つかり、姨(おば)飯豊王が喜んで二人を宮に招いたとします。

 『扶桑略記』、『本朝皇胤紹運録』は、「飯豊天皇」とし、中継ぎの天皇としての即位を認めています。なお、皇女の名は履中紀元年7月条には「青海(あおみ)皇女」と、履中記には「青海(あおみ)郎女」とみえています。

 恐らく中継ぎの即位はしたものの、わずか10ケ月余の短期間の在位で、下記の人名、地名の解釈にみるように、朝廷を混乱に落とし入れ、全く功績が無く、人望が得られなかったので、記紀は「飯豊天皇」とは明記せず、かつ皇女の特異な性格、行状を伝える逸話を記録して皇女を天皇から抹殺した事情を暗に述べたものと思われます。(上記の逸話を記すこと自体が異例であるばかりでなく、その分注には「ここに夫があったということは、未詳である」とし、婚姻外の関係であったことを匂わせていますが、かりそめにも天皇の叔母であり、かつ、すくなくとも摂政の地位にあった皇女の記録としてはあまりにも非礼な書き方です。)

 この「いひとよのあお」、「あおみ」は、

  「イヒ・トイ・イオ・ノ・アオ」、IHI-TOI-IO-NO-AO(ihi=split,separate;toi=move quickly,encourage;io=muscle,line,tough,obstinate;no=of;ao=daytime,bright,cloud,scoop up,be right,bark)、「(天皇不在の)隙間を・疲れを知らずに・駆け抜けた(短期間天皇を代行した)・(夜が明けたように世の中を)明るくした(皇女)」

  「アオ・ミヒ」、AO-MIHI(ao=daytime,bright,cloud,scoop up,be right,bark;mihi=greet,admire)、「(夜が明けたように)次第に明るくなった・尊敬すべき(皇女)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 

222-2B忍海角刺(おしぬみのつのさし)宮

 紀は宮を忍海角刺(おしぬみのつのさし)宮(奈良県南葛城郡忍海村大字忍海(現北葛城郡新庄町忍海))とし、記は忍海の高木(たかぎ)の角刺宮とします。

 この「おしぬみ」、「つのさし」、「たかぎ」は、

  「オチ・ヌミ」、OTI-NUMI(oti=oki(Hawaii)=divide,separate;numi=fold,bend)、「(葛上郡と葛下郡の)間を切り離して挟み込んだ(郡。その場所にある)」または「オチ・ヌミ」、OTI-NUMI(oti=finished;numi=bend,fold,pass by)、「(政が)挫折して・終わった(皇女の)」

  「ツノウ・サシ」、TUNOU-SASI(tunou=nod the head,beckon;(PPN)sasi→(Hawaii)hahi,hehi=stamp,tread,trample,deny)、「(いったん出した)同意を・(踏みつける)否定する(気まぐれな。皇女の住む宮)」(原ポリネシア語の「サシ、SASI」のS音がハワイ語ではH音に変化して「ハヒ、HAHI」となった(マオリ語には該当語彙が失われています))

  「タカキ」、TAKAKI(neck,throat)、「狭い谷間にある(宮)」

の転訛と解します。

 

222-2C1大兄去来穂別(おほえのいざほわけ)尊

 父は217A大兄去来穂別(おほえのいざほわけ)尊(履中天皇)の項を参照してください。

 

222-2C2黒(くろ)媛

 母は217E1黒(くろ)媛の項を参照してください。

 

222-2D1磐坂市辺忍歯(いはさかのいちのべのおしは)皇子から222-2D4中磯(なかし)皇女まで

 兄弟姉妹は217F1磐坂市辺忍歯(いはさかのいちのべのおしは)皇子から217F4中磯(なかし)皇女までの項を参照してください。

 

222-2G葛城埴口丘(はにくちのをか)陵

 紀は陵を葛城埴口丘(はにくちのをか)陵とします(顕宗即位前紀清寧5年11月条)。『延喜式』は「埴口墓(葛下郡)」、『陵墓要覧』は「葛下郡北花内村(現奈良県北葛城郡新庄町北花内)とします。記は記事を欠きます。なお、この陵は、極めて周濠が狭く、墳長約90メートルの小規模な前方後円墳です。

 この「はにくち」は、

  「ハニ・クチ」、HANI-KUTI(hani=speak ill of,disparage;kuti=contract,pinch)、「軽んじられた(天皇陵としては格が低い)・(圧縮された)小規模な(陵)」

の転訛と解します。(地名篇(その五)の奈良県の(15)葛上郡・忍海郡・葛下郡のb忍海の項を参照してください。)

 

 

[223顕宗天皇]

 

223A弘計(をけ)尊

 紀は217A大兄去来穂別(おほえのいざほわけ)尊(履中天皇)の孫、217F1市辺忍歯別(いちのべのおしはわけ)王の第3子、弘計(をけ)王とし、亦の名を来目稚子(くめのわくご)とします。

 記は217F1市辺(いちのべ)王の子、袁祁之石巣別(をけのいはすわけ)命(即位前は、袁祁(をけ)命)とします。

 安康天皇3年10月に市辺忍歯別王が雄略天皇に謀殺されたので、億計(おけ)王と弘計王は共に身を隠し、清寧天皇2年11月に播磨国司伊豫来目部小楯に弟の弘計王が身分を明かし、兄弟は朝廷に入り、清寧天皇の崩御の後、皇太子の億計王は勇気をもって名乗りを上げた弘計王の即位を主張し、弘計王は長幼の序を尊重して決まらず、空位の間飯豊青皇女が政に臨み、皇女の崩後弘計王が即位して顕宗天皇となります。

 天皇は、若い頃辺境で庶民の苦しい暮らしをつぶさに見てきたことから、恵み深い善政を施したとされます。

 天皇は、父の仇を報じようと雄略天皇の陵を破壊させました(紀は破壊しようとしたのを皇太子億計王が諫言して中止させたとしますが、天皇の名誉を守るために記事の改竄が行われたと解します。221G丹比高鷲原陵の項を参照してください。)

 この「をけ」、「くめのわくご」、「をけのいはすわけ」は、

  「ワウ・カイ」、WAU-KAI(wau=quarrel,discuss;kai=fulfil its proper function,have full play)、「議論好きで・(何事にも)全力で事に当たつた(尊)」(「ワウ」のAU音がO音に変化して「ヲ」と、「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)

  「クメ・ノ・ウアカハ・コ」、KUME-NO-UAKAHA-KO(kume=pull,drag,stretch,asthma;no=of;uakaha=vigorous,difficult;ko=adressing to males and females)、「(先頭に立って人を)引っ張る・元気の良い・男子」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ワカ」から「ワク」となった)

  「ワウ・カイ・ノ・イ・ワツ・ワカイ(ン)ガ」、WAU-KAI-NO-I-WHATU-WAKAINGA(wau=quarrel,discuss;kai=fulfil its proper function,have full play,no=of;i=past tense,beside;whatu=stone,kernel,pupil of the eye,weave garment or basket etc.;wakainga=distant home)、「議論好きで・(何事にも)全力で事に当たつた・王で・(自らの)朝廷を作り上げた・遠いところに住んでいた(命)」(ワウ」のAU音がO音に変化して「ヲ」と、「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

223B近飛鳥(ちかつあすか)八釣(やつり)宮

 紀は宮を近飛鳥(ちかつあすか)八釣(やつり)宮とします。宮の所在については、奈良県高市郡明日香村大字八釣とする説(地形が狭小で宮の地にふさわしくなく、履中記の遠飛鳥の地ときわめて近接します)、河内国安宿(あすかべ)郡飛鳥(履中記の近飛鳥の地です)とする説があって、不明とされます。

 なお、分注の或本には宮は二所あって小郊(をの)、池野(いけの)にあったと、或本には甕栗(みかくり)(前出222B磐余(いはれ)甕栗(みかくり)宮の項を参照してください。)にあったと記します。『播磨国風土記』美嚢(みなぎ)郡条には「高野宮、少野宮、川村宮、池野宮」があったと記します。また、顕宗紀、仁賢紀には壇場を設けたとの記事がありません。

 記は近飛鳥(ちかつあすか)宮とします。

 この「ちかつあすか」、「やつり」、「をの」、「いけの」は、

  「チカ・ツ・アツ・カ」、TIKA-TU-A-TUKA(tika=straight,direct,right,correct;tu=stand,settle;atu=to form comperative or soperlative or simply as an intensive,very;ka=take fire,be lighted,burn)、「正義が・そこにあった(実現した)・最高の・居住地」(ここでは、「善政を布いた・天皇の居住地」という意味で、履中記にいう河内の近飛鳥の意味ではありません。古典篇(その八)の217H1刺領巾(さしひれ)の項の「近飛鳥」を参照してください。)

  「イア・ツリ」、IA-TURI(ia=current,indeed;turi=knee,post of fence,deaf,obstinate)、「実に・頑固な(人の諫言をなかなか聞こうとしない天皇が住む。宮)」

  「オノ」、ONO(six,plant root crops)、「(里芋などの球根類の)作物の栽培地(耕地にある。宮)」

  「イケ・ノホ」、IKE-NOHO(ike=high,lofty,strike with a hammer or other heavy instrument;noho=sit,stay,settle)、「高いところに・位置している(宮)」または「金槌で叩いてできた地形(穴、池など)が・そこにある(宮)」(「ノホ」のH音が脱落して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

223C1磐坂市辺押羽(いはさかのいちのべのおしは)皇子

 父は217F1磐坂市辺押羽(いはさかのいちのべのおしは)皇子の項を参照してください。

 

223C2夷(はえ)媛

 顕宗即位前紀分注は母を葦田(あしだ)宿禰の子の蟻(あり)臣の女、夷(はえ)媛とし、223D1居夏(ゐなつ)姫、223D2億計(おけ)王、223A弘計(をけ)王、223D3飯豊(いひとよ)女王、223D4橘(たちばな)王の3人の男、2人の女を生んだとします。記には記事がありません。

 この「はえ」、「あしだ」、「あり」は、

  「ハエ」、HAE(cherish envy,jealousy,cause pain)、「嫉妬深かった(姫)」

  「ア・チタハ」、A-TITAHA(a=the...of,belonging to;titaha=lean to one side,pass on one side,crooked)、「傾斜・地に住んでいた(将軍)」(「チタハ」のH音が脱落して「チタ」から「シダ」となった)

  「アリ」、ARI(clear,white,appearance,fence)、「すがすがしい(臣)」

の転訛と解します。

 

223D1居夏(ゐなつ)姫

 紀は217F1市辺忍歯別(いちのべのおしはわけ)王の第1子、居夏(ゐなつ)姫とします。記には記事がありません。

 この「ゐなつ」は、

  「ウイ・ナツ」、UI-NATU(ui=disentangle,relax or loosen a noose,ask;natu=scratch,mix,tear out,show ill feeling,angry)、「(周囲に)遠慮せずに・怒ってばかりいた(姫)」

の転訛と解します。

 

223D2億計(おけ)王

 後出224A億計(おけ)尊の項を参照してください。

 

223D3飯豊(いひとよ)女王

 前出222-2A飯豊青(いひとよ)皇女の項を参照してください。

 なお、履中紀元年7月条は217F3飯豊(いひとよ)皇女を217F1磐坂市辺押羽皇子の妹としますが、この顕宗即位前紀分注は億計王、弘計王の妹とし、さらに同分注の或本および顕宗即位前紀清寧天皇5年正月条は弘計王の姉とします。記は市辺忍歯別王の妹とします。

 

223D4橘(たちばな)王

 紀は217F1市辺忍歯別(いちのべのおしはわけ)王の第5子、橘(たちばな)王とします。記には記事がありません。

 この「たちばな」は、

  「タ・チ・パナ」、TA-TI-PANA(ta=the,dash,beat,lay;ti=throw,cast;pana=thrust or drive away,cause to come or go forth in any way)、「(危険が迫ったため川などに)身を・投げ・込んだ(入水して果てた。王)」または「タ・チパ・ナ」、TA-TIPA-NA(ta=the,dash,beat,lay;tipa=turn aside,escape;na=satisfied,belonging to)、「(危険が迫ったため朝廷から)身を・逃げ出して・ホッとした(王)」

の転訛と解します。

 

223E1難波小野(なにはのをの)王

 紀は皇后を219A雄朝津間稚子宿禰(をあさづまわくごのすくね)尊(允恭天皇)の曾孫、磐城(いはき)王(紀の允恭天皇の皇子に名が見えません。『古事記伝』は雄略紀元年3月条の吉備稚媛の生んだ221F1磐城皇子かとします)の孫、丘稚子(をかのわくご)王の女の難波小野(なにはのをの)王とします。

 仁賢紀2年9月条は、皇后がかつて億計王に対して不敬を働いたことがあった(果物ナイフを立ったまま渡し、また酒の酌をするのに立ったまま名を呼んだといいます)ので、罰を受けることを恐れて自殺したとします。

 記は石木(いはき)王の女、難波(なには)王とし、子が無かったとします。

 この「なにはのをの」、「をかのわくご」は、

  「ナ・ニワ・ノ・オノ」、NA-NIWHA-NO-ONO(na=belonging to;niwha=resolute,fierce,bravery,rage;no=of;ono=six,plant root crops)、「荒々しい(波が立つ)・場所(難波)・の・(里芋などの球根類の)作物の栽培地(がある場所出身の。王)」

  または「ナ・ニワ・ノ・オホ(ン)ガ・アウ」、NA-NIWHA-NO-OHONGA-AU(na=belonging to;niwha=resolute,fierce,bravery,rage;no=of;ohonga=anything which may serve to connect an incantation with the person on whom it is intended to take effect as a lock of hair anything which he has touched etc.;au=firm,intense,certainly)、「(自殺という)恐ろしく荒々しいことを・しでかした・(過去の億計王に対する無礼な)所業によって罰を受けることを・実に恐れた(皇后)」(「オホ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「オオナ」から「オナ」となり、「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となり、両者が連結して「オノ」となった)

 (この王に関する記紀の記事からは、難波(地名)や小野氏または小野(地名)との関係は発見できません。

 また、最初の遣隋使となった小野妹子(おののいもこ)、平安時代の三十六歌仙の一人である小野小町(おののこまち)は、小野氏の出身とされますが、いずれも生没年不詳で、事績人名である可能性があります。この場合「おののいもこ」、「おののこまち」は、

  「オホ(ン)ガ・アウ・ノ・イ・マウ・カウ」、OHONGA-AU-NO-I-MAU-KAU(ohonga=anything which may serve to connect an incantation with the person on whom it is intended to take effect as a lock of hair anything which he has touched etc.;au=firm,intense,certainly;no;i=past tense,beside;mau=bring,carry;kau=alone,only,swim,wade)、「(遣隋使として聖徳太子の起草した国書を提出して隋の皇帝の不興を買い、朝廷の意に添わない返書を持ち帰って罰せられることを恐れて返書を破棄したと伝えられる)所業によって罰を受けることを・実に恐れた・(国書を)運び・(両国の間を)往復・した(使臣)」(「オホ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「オオナ」から「オナ」となり、「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となり、両者が連結して「オノ」と、「マウ」および「カウ」のAU音がO音に変化して「モ」、「コ」となった)

  「オホ(ン)ガ・アウ・ノ・コマ・チヒ」、OHONGA-AU-NO-KOMA-TIHI(ohonga=anything which may serve to connect an incantation with the person on whom it is intended to take effect as a lock of hair anything which he has touched etc.;au=firm,intense,certainly;no;koma=pale,whitish;tihi=summit,top,lie in a heap)、「(才能と美貌に慢心して高慢な生活を送ってきた)所業によって(見る影もなく落魄するという)罰を受けることを・実に恐れた・とびきり・色白の(美人)」(「オホ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「オオナ」から「オナ」となり、「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となり、両者が連結して「オノ」と、「チヒ」のH音が脱落して「チ」となった)または「オ・ノノ・コマ・チヒ」、O-NONO-KOMA-TIHI(o=the...of,belonging to;nono=anus,vagina;koma=pale,whitish;tihi=summit,top,lie in a heap)、「性的(女性器)に・問題があった(不具であった)・とびきり・色白の(美人)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」となった)(この解釈が俗説のもととなったとも考えられます。)

と解することができます。)

  「オカ・ノ・ウアカハ・コ」、OKA-NO-UAKAHA-KO(oka=prick,branch line of descent;no=of;uakaha=vigorous,difficult;ko=adressing to males and females)、「傍系の血統に・属する・元気な・男子(王)」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ワカ」から「ワク」となった)

の転訛と解します。

 

223G傍丘磐杯丘(かたをかのいはつきのをか)陵

 紀は陵を傍丘磐杯丘(かたをかのいはつきのをか)陵とします。『延喜式』は傍丘磐杯丘南陵(大和国葛下郡)と、『陵墓要覧』は所在地を奈良県北葛城郡香芝町大字北今市字的場とします。記は「片岡の石杯(いはつき)の岡の上に在り」とします。

 片岡三陵(この陵、孝霊天皇の207G片丘馬坂陵および武烈天皇の225G傍丘磐杯丘北陵をさします)の一つで、北今市集落の東端の平地に位置し、南北を開析谷によって挟まれた細い丘陵尾根の先端に築造された東西90メートルの円墳です。

 この「かたをか」、「いはつき」は、

  「カタ・アウカハ」、KATA-AUKAHA(kata=opening of shellfish;aukaha=lash the bulwark to the body of a canoe)、「貝が口を開けたような(谷にある)・塁壁を巡らしたような(丘陵がある地域)」(「アウカハ」のAU音がO音に変化し、H音が脱落して「オカ」となった)

  「イ・ワ・ツキ」、I-WHA-TUKI(i=past tense,beside;wha=be disclosed,get abroad;tuki=beat,attack,piece attached to the body of a canoe to lengthen it)、「(丘陵尾根の先に尾根を)延長するように・外へ出て・来ている(墳墓)」

の転訛と解します。

 

223H1日下部連使主(おみ)(亦の名田疾来(たとく))・吾田彦(あたひこ)・丹波小子(たにはのわらは)・縮見屯倉首(忍海部造)細目(ほそめ)・伊豫来目部小楯(をだて)(亦の名磐楯(いはたて))

 安康天皇3年10月に市辺忍歯別王が雄略天皇に謀殺されたので、億計(おけ)王と弘計王は、日下部連使主(おみ)と吾田彦(あたひこ)が随行して、まず丹波国余社(よざ)郡に身を隠します。日下部連使主は、名を改めて田疾来(たとく)とし、追っ手を恐れて自殺しますが、吾田彦は億計王と弘計王が播磨国赤石郡に逃れ、名を丹波小子(たにはのわらは)と改めて縮見屯倉首に仕えるまで随行します。

 清寧天皇2年11月に播磨国司伊豫来目部小楯(をだて)(亦の名磐楯(いはたて))が新嘗祭の準備の途次、家の新築祝いの宴を張っていた縮見屯倉首(忍海部造)細目(ほそめ)を訪れた際、祝いの歌の中で弟の弘計王が身分を明かします。驚いた小楯が兄弟の存在を清寧天皇に報告して朝廷に迎えるよう求め、天皇は喜んで兄弟を朝廷に迎え、兄の億計王を皇太子とします。清寧天皇の崩御の後、億計王は勇気をもって名乗りを上げた弟の弘計王の即位を主張し、弘計王は長幼の序を尊重して決まらず、空位の間飯豊青皇女が政に臨み、皇女の崩後弘計王が即位して顕宗天皇となります。

 この「おみ」、「たとく」、「あたひこ」、「わらは」、「をだて」、「いはたて」、「ほそめ」は、

  「オ・ミヒ」、O-MIHI(the...of,belonging to,provisions of a journey,(Hawaii)to answer,say,talk;mihi=greet,admire)、「尊敬される(首長)」

  「タ・トク」、TA-TOKU(ta=dash,beat,overcome;toku=my)、「自分自身に・負けた(自殺した。人)」

  「アタ・ヒコ」、ATA-HIKO(ata=gently,clearly,carefully,how horrible!;hiko=move at random or irregularly)、「(億計王、弘計王の身の安全を守るために)注意深く・各地を放浪した(従者)」

  「ワラ・ウア」、WARA-UA(wara=desire,make an indistinct sound;ua=backbone,neck,thick twisted or plaited hem on the collar of a cloak)、「(兄弟が)堅く結び付いている(離れたくない)ことを・望んでいる(童子)」

  「オ・タタイ」、O-TATAI(the...of,belonging to,provisions of a journey,(Hawaii)to answer,say,talk;tatai=measure,arrange,set in order,adorn)、「(億計王、弘計王の2王が皇位継承資格者として世に出られるよう)お膳立てを・した(人)」(「タタイ」のAI音がE音に変化して「タテ」となった)

  「イ・ワ・タタイ」、I-WHA-TATAI(i=past tense,beside;wha=be disclosed,get abroad;tatai=measure,arrange,set in order,adorn)、「(億計王、弘計王の2王を)世に出・して・(皇位継承資格者になれるよう)お膳立てをした(人)」(「タタイ」のAI音がE音に変化して「タテ」となった)

  「ホト・メ」、HOTO-MAI(hoto=begin,make a convulsive movement;mai=become quiet,to indicate direction or motion towards)、「(億計王、弘計王の身分が判明して)それ以後は・おとなしくなった(首長)」

の転訛と解します。

 

223H2置目(おきめ)・倭袋(やまとふくろ)宿禰・帳内(とねり)佐伯部売輪(うるわ)・仲手子(なかちこ)・鐸(ぬりて)・韓袋(からふくろ)宿禰

 顕宗紀元年2月条および5月条は顕宗天皇と億計王が父の遺骨を探し求めたとき、近江国の狭狭城山君倭袋(やまとふくろ)宿禰の妹置目(おきめ)が遺骨を埋めた場所を知っていると名乗り出て掘り出しますが、一緒に殺されて埋められた帳内(とねり)佐伯部売輪(うるわ)(亦の名仲手子(なかちこ))の頭骨は上の歯が脱けていた(記は押磐皇子の歯が三枝(さきくさ。山百合)のような押歯(おしは)だったとします)ことから判別できましたが、それ以外の骨は入り交じって分離できなかったとします。

 置目はその功を賞され、鐸(ぬりて)を鳴らして天皇の近くに参上することを許され、狭狭城山君韓袋(からふくろ)宿禰は押磐皇子の謀殺に荷担した罪で殺されるところを許され、剥奪された狭狭城山君の氏は置目の兄倭袋宿禰に与えられました。

 この「おきめ」、「やまとふくろ」、「とねり」、「うるわ」、「なかちこ」、「おしは」、「ぬりて」、「からふくろ」は、

  「オ・キミ」、O-KIMI(o=the...of,belonging to,(Hawaii)to answer,say;kimi=seek,look for)、「(天皇の父の御骨を)探すことを・申し出た(老婆)」

  「イア・マト・フクロア」、IA-MATO-HUKUROA(ia=indeed,current;mato=deep swamp,growing vigorously,of pleasing appearance;hukuroa=train,retinue)、「実に・(妹の功によって賞を与えられて)満面の笑みをたたえた・随行者」(「フクロア」の語尾のA音が脱落して「フクロ」となった)

  「ト・(ン)ゲリ」、TO-NGERI(to=drag,carry the weapon at the trail;ngeri=look fierce or savage,rhythmic chant with actions)、「見るからに恐ろしげな・武器(刀)を携さえた(戦士)」(「(ン)ゲリ」のNG音がN音に変化して「ネリ」となった)

  「ウル・ワ」、URU-WHA(uru=head,top;wha=be disclosed,get abroad)、「その頭(骨)が・掘り出された(戦士)」

  「ナカ・チコ」、NAKA-TIKO(naka=denoting position near or connection with the person spoken to;tiko=settled upon as by frost,stand out)、「(主人の体の上に)覆い・被さった(戦士)」

  「オ・チハエ」、O-TIHAE(o=the...of,belonging to;tihae=tear,tear off,)、「割れて・いる(歯)」(「チハエ」の語尾のE音が脱落して「チハ」から「シハ」となった)

  「ヌ・リテ」、NU((Hawaii)to cough,roar as wind,grunting,groaning)-RITE(like,alike,corresponding in position etc.)、「(突然)咳をする・のに似た(うるさい音を出して合図をするもの。鐸。鈴の一種)」

  「カラ・フクロア」、KARA-HUKUROA(kara=secret plan,conspiracy,a request for assistance in war;hukuroa=train,retinue)、「(押磐皇子を謀殺する)陰謀に荷担した・随行者」(「フクロア」の語尾のA音が脱落して「フクロ」となった)

の転訛と解します。

 

223H3阿閉(あへ)臣事代(ことしろ)・歌荒巣田(うたあらすだ)

 顕宗紀3年2月条および4月条は、阿閉(あへ)臣事代(ことしろ)が月神が人に憑って土地を奉れといったと朝廷に奏上して山背國の歌荒巣田(うたあらすだ)の土地を献じ、また日神が自分に憑って土地を奉れといったと朝廷に奏上して磐余の土地を献じました。

 この「あへ」、「ことしろ」、「うたあらすだ」は、

  「ア・ハエ」、A-HAE(a=the...of;hae=slit,split)、「(山の間に)隙間が・ある(地域(伊賀国阿拝(あへ)郡)。その地域出身の氏族)」(「ハエ」のAE音がE音に変化して「ヘ」となった)または「アヘ」、AHE((Hawaii)timid,shy,wary,to exclaim)、「(神のお告げがあったと騒ぎ廻る)臆病な(または心配性の。人)」(前出221H1阿閉(あへ)臣國見(くにみ)の項を参照してください。)

  「コト・チロ」、KOTO-TIRO(koto=loarhing,sob,make a low sound;tiro=look)、「低い声を出している(神意を告げている)・ように見える(人)」

  「ウタ・アラ・ツタ」、UTA-ARA-TUTA(uta=put persons or goods on board a canoe;ara=way,path;tuta=back of the neck)、「船に人や貨物を積み卸しする場所・へ通ずる道の・(山の)裏(の場所)」(地名篇(その三)の京都府の(9)桂川のd嵐山の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

 

[224仁賢天皇]

 

224A億計(おけ)尊

 紀は217A大兄去来穂別(おほえのいざほわけ)尊(履中天皇)の孫、217F1市辺忍歯別(いちのべのおしはわけ)王の第の子、億計(おけ)王とし、諱(いみな)を大脚(おほし)、亦の名を大為(おほす)、字(あざな)を嶋郎(しまのいらつこ。顕宗即位前紀には嶋稚子(しまのわくご))とします。

 記は217F1市辺(いちのべ)王の子、袁祁(をけ)命の兄、億祁(おけ)命とします。

 安康天皇3年10月に市辺忍歯別王が雄略天皇に謀殺されたので、億計(おけ)王と弘計王は共に身を隠し、清寧天皇2年11月に播磨国司伊豫来目部小楯に弟の弘計王が身分を明かし、兄弟は朝廷に入り、清寧天皇の崩御の後、皇太子の億計王は勇気をもって名乗りを上げた弘計王の即位を主張し、弘計王は長幼の序を尊重して決まらず、空位の間飯豊青皇女が政に臨み、皇女の崩後弘計王が先に即位して顕宗天皇となり、億計王はその皇太子となり、顕宗天皇の崩後即位して仁賢天皇となります。

 億計王は、顕宗天皇の政治をよく補佐し、父の仇を報じようと雄略天皇の陵を破壊しようとした顕宗天皇に諫言して中止させたと紀は記しますが、これは仁賢天皇の仁徳を強調するための記事の改竄であったと解します。(221G丹比高鷲原陵の項を参照してください。)

 天皇の治世は稀にみる平穏であったようです。

 この「おけ」、「おほし」、「おほす」、「しまのいらつこ」は、

  「アウ・カイ」、AU-KAI(au=firm,intense;kai=fulfil its proper function,have full play)、「着実に・(何事にも)全力で事に当たつた(尊)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」と、「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)

  「オホ・チ」、OHO-TI(oho=start from fear,wake up,begin speaking;ti=throw,cast)、「(父王が殺されて)びっくりして・(地方へ)逃げ出した(王)」または「オ・ホ・チ」、O-HO-TI(the...of,belonging to,provisions of a journey,(Hawaii)to answer,say,talk;ho=put out the lips,shout;ti=throw,cast,overcome)、「口から泡を・飛ばして・(熱心に)しゃべった(弘計王を諫めた。王)」

  「オホ・ツ」、OHO-TU(oho=start from fear,wake up,begin speaking;tu=fight with,energetic)、「(清寧天皇の崩後天皇の位につけられそうになって)びっくりして・(功績がある弟が天皇になるべきだとして)熱心に説いた(王)」または「オ・ホ・ツ」、O-HO-TU(the...of,belonging to,provisions of a journey,(Hawaii)to answer,say,talk;ho=put out the lips;tu=fight with,energetic)、「口を尖らせて・熱心に・しゃべった(弘計王を諫めた。王)」

  「チマ・ノ・イラ・ツ・コ」、TIMA-NO-IRA-TU-KO(tima=a wooden instrument for cultivating the soil;no=of;ira=freckle,mole;tu=stand,settle;ko=adressing to males and females)、「掘り棒で掘り散らかしたような地形の場所(大和国高市郡嶋か。その場所出身)・の・黒子の・ある・男子」または「チマ・(ン)ガウ・イラ・ツ・コ」、TIMA-NGAU-IRA-TU-KO(tima=a wooden instrument for cultivating the soil;ngau=bite,hurt,attack;ira=freckle,mole;tu=stand,settle;ko=adressing to males and females)、「掘り棒で掘り・進むような(丹念に相手の主張を論破してゆく)・黒子の・ある・男子」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

224B石上廣高(いそのかみのひろたか)宮

 紀・記は宮を石上廣高(いそのかみのひろたか)宮とします。宮の所在については、奈良県天理市石ノ上付近とする説、天理市田部付近とする説、天理市嘉幡付近とする説があって、不明とされます。(石上については、前出の220B穴穂(あなほ)宮の項を参照してください。)

 なお、紀の分注の或本には宮は二所あって川村(かわむら)、縮見(しじみ)の高野(たかの)にあったとと記します。『播磨国風土記』美嚢(みなぎ)郡条には「高野宮、少野宮、川村宮、池野宮」があったと記します。

 この「ひろたか」、「かわ(むら)」、「たかの」は、

  「ヒロウ・タカ」、HIROU-TAKA(hirou=rake,net for dredging shellfish;taka=fall off,turn on a pivot,be completely encircled,prepare,heap)、「(貝を採取する)鋤(レーキ)を引いて平らにしたような・高台(地域)」または「(宮の)周囲(に敷き詰めた砂)に・レーキで引いた筋が付けてある(宮)」(「ヒロウ」の語尾のU音が脱落して「ヒロ」となった)

  「カワ」、KAWA(small bed in a garden,heap,reef of rocks,channel,passage between rocks or shoals)、「水路がある(川がある。地域)」

  「タカ・(ン)ガウ」、TAKA-NGAU(taka=fall off,turn on a pivot,be completely encircled,prepare,heap;ngau=bite,hurt,attack)、「浸食された・高台(地域)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。

 

224C1磐坂市辺押羽(いはさかのいちのべのおしは)皇子

 父は217F1磐坂市辺押羽(いはさかのいちのべのおしは)皇子の項を参照してください。

 

224C2夷(はえ)媛

 母は223C2夷(はえ)媛の項を参照してください。

 

224D1居夏(ゐなつ)姫から224D4橘(たちばな)王まで

 兄弟姉妹は223D1居夏(ゐなつ)姫から223D4橘(たちばな)王まで、および223A弘計尊の項を参照してください。

 

224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女

 紀は皇后を221A大泊瀬幼武(おほはつせのわかたけ)尊の第5子、221E4童女(をみな)君の子の221F5春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女、亦の名は高橋(たかはし)皇女と、記は后を大長谷若建(おほはつせのわかたけ)天皇の子、春日大娘女(かすがのおほいらつめ)とします。

 皇后は、224F1高橋大娘(たかはしのおほいらつめ)皇女、224F2朝嬬(あさづま)皇女、24F3手白香(たしらか)皇女、224F4樟氷(くすひ)皇女、224F5橘(たちばな)皇女、224F6小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊(武烈天皇)、224F7眞稚(まわか)皇女を生んだ(或本は樟氷(くすひ)皇女を第三子、手白香(たしらか)皇女を第四子とします)とします。記は高木(たかき)郎女、財(たから)郎女、久須毘(くすび)郎女、手白髪(たしらが)郎女、小長谷若雀(をはつせのわかさざき)命、眞若(まわか)王を生んだとします。

 この「かすがのおほ」、「たかはし」は、

  「カツア・(ン)ガ・ノ・オホ」、KATUA-NGA-NO-OHO(katua=adult,main fence,main portion of anything;nga=satisfied,breathe;no=of;oho=start from surprise,wake up,arise)、「(大人のように)落ち着きがあって・満足している(悠揚として迫らない)・すっくと立っている(皇女)」(「カツア」の語尾のA音が脱落して「カツ」から「カス」と、「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「タ・カハ・チ」、TA-KAHA-TI(ta=the;kaha=rope,line of ancestry;ti=throw,cast)、「(雄略天皇の子の中でただ一人仁賢天皇皇后となり武烈天皇を生んで)血統を(後に)・伝えた(皇女)」

の転訛と解します。

 

224E2糠君娘(あらきみのいらつめ)

 紀は妃を和珥(わに)臣日爪(ひつめ)の女の糠君娘(あらきみのいらつめ)(一本は和珥(わに)臣日触(ひふれ)の女の大糠娘(おほあらのいらつめ)とします)とし、記は丸邇(わに)の日爪(ひつま)の女の糠若子(ぬかのわくご)郎女とします。

 妃は224F8春日山田(かすがのやまだ)皇女を生んだとし、記も春日山田(かすがのやまだ)郎女を生んだとします。

 (なお、欽明紀2年3月条は欽明天皇の五人の妃の一人を春日日抓(かすがのひつめ)臣の女の糠子(あらこ)とし、春日山田(かすがのやまだ)皇女および橘(たちばな)麻呂皇子を生んだとします。本居宣長『古事記伝』は、春日山田皇女が安閑天皇皇后となっていることから、欽明紀の記事を誤りとします。)

 この「あらきみ」、「おほあら」、「ぬかのわくご」、「ひつめ」、「ひふれ」、「ひつま」は、

  「アラ・キ・ミヒ」、ARA-KI-MIHI(ara=way,path,rise,awake,have the eyes open;ki=full,very;mihi=greet,admire)、「目を見開いている・非常に・尊崇すべき(媛)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「オホ・アラ」、OHO-ARA(oho=start from surprise,wake up,arise;ara=way,path,rise,awake,have the eyes open)、「すっくと立って・目を見開いている(媛)」

  「ヌカ・ノ・ウアカハ・コ」、NUKA-NO-UAKAHA-KO((Hawaii)nuka=large,plump;no=of;uakaha=vigorous,difficult;ko=adressing to males and females)、「肥って・いる・元気な・女性」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ワカ」から「ワク」となった)

  「ヒ・ツメ」、HI-TUME(hi=raise,rise;tume=slow,dilatory)、「身分が高く・(動作が)ゆっくりしている(首長)」

  「ヒ・フレ」、HI-HURE(hi=raise,rise;hure=search)、「身分が高く・(常に何かを)探している(首長)」

  「ヒ・ツマ」、HI-TUMA(hi=raise,rise;tuma=challenge,any hard swelling in the flesh)、「身分が高く・(常に何かに)挑戦している(首長)」

の転訛と解します。(「和珥(わに)」については、古典篇(その六)の209E3姥津(ははつ)媛の項を参照してください。)

 

224F1高橋大娘(たかはしのおほいらつめ)皇女

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第1子、高橋大娘(たかはしのおほいらつめ)皇女とし、記は億祁(おけ)命と春日大娘女(かすがのおほいらつめ)の第1子、高木(たかき)郎女とします。「高橋」は、母の亦の名と同じで所伝に混乱があるとする説、大和国添上郡の地名(奈良市または天理市)とする説があります。

 この「たかはしのおほ」、「たかき」は、

  「タ・カハ・チ・ノ・オホ」、TA-KAHA-TI-NO-OHO(ta=the;kaha=rope,line of ancestry;ti=throw,cast;no=of;oho=start from surprise,wake up,arise)、「(雄略天皇の)血統を・伝えている・すっくと立っている(皇女)」

  「タカキ」、TAKAKI(neck,throat)、「首が目立っている(細く長い。皇女)」

の転訛と解します。

 

224F2朝嬬(あさづま)皇女

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第2子、朝嬬(あさづま)皇女とし、記は億祁(おけ)命と春日大娘女(かすがのおほいらつめ)の第2子、財(たから)郎女とします。「朝嬬」は、大和国葛上郡の地名とする説があります。

 この「あさづま」、「たから」は、

  「アタ・ツマ」、ATA-TUMA(ata=clearly,openly,gently;tuma=challenge,any hard swelling in the flesh)、「清らかな・(常に何かに)挑戦している(皇女)」

  「タカ・アラ」、TAKA-ARA(taka=fall off,turn on a pivot,be completely encircled,prepare,heap;ara=way,path,rise,awake,have the eyes open)、「高い(身分の)・目を見開いている(皇女)」(「タカ」の語尾のA音と「アラ」の語頭のA音が連結して「タカラ」となった)

の転訛と解します。

 

224F3手白香(たしらか)皇女

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第3子、手白香(たしらか)皇女(或本は224F4樟氷(くすひ)皇女を第三子、224F3手白香(たしらか)皇女を第四子とします)とし、記は億祁(おけ)命と春日大娘女(かすがのおほいらつめ)の第4子、手白髪(たしらが)郎女とします。「たしらか」は、『延喜主計式』の「多志羅加」など水を入れる大きな容器の名とする説があります。

 この「たしらか」は、

  「タ・チ・ラカ」、TA-TI-LAKA(ta=the...of,dash,beat,lay;ti=throw,cast,overcome;(Hawaii)laka=tame,domesticated,gentle,attracted to)、「魅力を・振りまく・女性(皇女)」(なお、『延喜式』の「多志羅加(たしらか)」も同じ語源で、「そつと・(水を)注ぐもの」と解します。雑楽篇(その二)の1049たしらか(多志良加。甕)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

224F4樟氷(くすひ)皇女

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第4子、樟氷(くすひ)皇女(或本は224F4樟氷(くすひ)皇女を第3子、224F3手白香(たしらか)皇女を第4子とします)とし、記は億祁(おけ)命と春日大娘女(かすがのおほいらつめ)の第3子、久須毘(くすび)郎女とします。

 この「くすひ(くすび)」は、

  「ク・ツヒ」、KU-TUHI(ku=silent;tuhi=adorn by painting,odour,conjure,invoke)、「物静かな・化粧をした(皇女)」または「物静かな・神が憑依する(皇女)」

の転訛と解します。

 

224F5橘(たちばな)皇女

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第5子、橘(たちばな)皇女とします。記には見えません。

 この「たちばな」は、

  「タ・チパ・ナ」、TA-TIPA-NA(ta=the,dash,beat,lay;tipa=turn aside,escape;na=satisfied,belonging to)、「(何らかの理由で朝廷から)身を・逃げ出して・ホッとした(皇女)」

の転訛と解します。

 

224F6小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第6子、小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊(225武烈天皇)とし、記は億祁(おけ)命と春日大娘女(かすがのおほいらつめ)の第5子、小長谷若雀(をはつせのわかさざき)命とします。

 後出の225A小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊の項を参照してください。

 

224F7眞稚(まわか)皇女

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第7子、眞稚(まわか)皇女とし、記は億祁(おけ)命と春日大娘女(かすがのおほいらつめ)の第6子、眞若(まわか)王とします。

 この「まわか」は、

  「マ・ウアカハ」、MA-UAKAHA(ma=white,clear;uakaha=vigorous,difficult)、「清らかで・元気な(皇女)」

の転訛と解します。

 

224F8春日山田(かすがのやまだ)皇女

 紀は224A億計(おけ)尊と224E2糠君娘(あらきみのいらつめ)の第1子、春日山田(かすがのやまだ)皇女(一本に山田大娘(やまだのおほいらつめ)皇女、亦の名を赤見(あかみ)皇女とします)とし、記は億祁(おけ)命と糠若子娘女(ぬかのわくごのいらつめ)の第1子、春日山田(かすがのやまだ)郎女とします。皇女は、後に227安閑天皇の皇后となります。

 この「かすが」、「やまだ」、「やまだのおほ」、「あかみ」は、

  「カツア・(ン)ガ」、KATUA-NGA(katua=adult,main fence,main portion of anything;nga=satisfied,breathe)、「(大人のように)落ち着きがあって・満足している(悠揚として迫らない。皇女)」(「カツア」の語尾のA音が脱落して「カツ」から「カス」と、「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

  「イア・マタ」、IA-MATA(ia=indeed,current;mata=face,eye,deep awamp,medium of communication of spirit,spell)、「実に・神霊の啓示を受けることができる(皇女)」

  「イア・マタ・ノ・オホ」、IA-MATA-NO-OHO(ia=indeed,current;mata=face,eye,deep awamp,medium of communication of spirit,spell;no=of;oho=start from surprise,wake up,arise)、「実に・神霊の啓示を受けることができる・すっくと立っている(皇女)」

  「アカ・ミヒ」、AKA-MIHI(aka=yearning,affection,clean off,=anga=driving force,thing driven;mihi=greet,admire)、「尊崇すべき・(何かに)熱中する(皇女)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 

224G埴生坂本(はにふのさかもと)陵

 紀は陵を埴生坂本(はにふのさかもと)陵とします。『延喜式』は「在河内国丹比郡」と、『陵墓要覧』は所在地を大阪府南河内郡藤井寺町大字野中字ボケ山(現藤井寺市青山3丁目)とします。記には記事がありません。陵は、羽曳野丘陵の自然地形を巧みに利用して築造した周濠と周堤をもつ墳長122メートルの前方後円墳です。通称「野中ボケ山古墳」と呼ばれています。

 紀は仁賢天皇11年8月に崩御、同年10月に葬ったと記します。極めて異例な短期間の葬儀です(オリエンテーション篇の3の(3)「ぼけ」山古墳と関連地名等の項を参照してください。)。

 この「はにふ」、「さかもと」、「ボケ」は、

  「ハ(ン)ギ・フ」、HANGI-HU(hangi=earth-oven;hu=promontory,hill)、「土中の蒸し焼き穴(のような墳坑)がある・丘(墳丘)」(「ハ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ハニ」となった)

  「タカ・モト」、TAKA-MOTO(taka=fall off,turn on a pivot,be completely encircled,prepare,heap;moto=strike with the fist)、「丘を・拳骨で殴ったような(丘の一部を・削り取って造成した。墳丘)」

  「ポケ」、POKE(beset in numbers,work at in croweds,haunt,appear as a spirit)、「大勢の人間が群集し(て築造し)た(陵)」

の転訛と解します。

 

224H1的(いくは)臣蚊嶋(かしま)・穂瓮(ほへ)君

 仁賢紀4年5月条は、的(いくは)臣蚊嶋(かしま)・穂瓮(ほへ)君が罪を得て獄死したと伝えます。

 この「いくは」、「かしま」、「ほへ」は、

  「イ・クハ」、I-KUHA(i=past tense,beside;kuha=gasp,ragged,tattered,fragment,scrap)、「(的を)掴んだ(命中させた。その人の属する氏族)」

  「カチ・マ」、KATI-MA(kati=leave off,block up,close up,bite,nip;ma=white,pale,clear)、「捕縛されて・蒼白となった(人)」

  「ホウ・ヘ」、HOU-HE(hou=bind,lash together,force downwards or under;he=wrong,erring,in trouble or difficulty)、「押さえつけられた・悪人」

の転訛と解します。

 

224H2麁寸(あらき)・飽田女(あくため)・兄(せ)・難波玉作部鮒魚女(ふなめ)・韓白水郎畠(からまのはたけ)・哭女(なきめ)・住道人山杵(やまき)

 仁賢紀6年9月条に日鷹吉士が高麗に遣わされ、これに従つた麁寸(あらき)の妻飽田女(あくため)が難波津で「母にも兄(せ)、吾にも兄(せ)」といって夫を恋しがつて泣いたとあります。これは難波玉作部鮒魚女(ふなめ)が韓白水郎畠(からまのはたけ)に嫁いで哭女(なきめ)を生み、哭女が住道人山杵(やまき)に嫁いで飽田女を生み、住道人山杵がさきに難波玉作部鮒魚女を犯して生んだ麁寸に飽田女が嫁いだことによるものと解説しています。

 この「あらき」、「あくため」、「せ」、「ふなめ」、「はたけ」、「なきめ」、「やまき」は、

  「アラ・キ」、ARA-KI(ara=way,path,yonder;ki=full,very)、「遠く・離れている(夫)」

  「ア・クタ・マイ」、A-KUTA-MAI(a=the...of,belonging to;kuta=encumbrance,clog as old and infirm people on a march;mai,maimai=a dance)、「(軍隊の)後ろに付いて歩く・足手まといの(泣き叫んで始末に困る)・(踊りを踊る類の)女」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「タイ」、TAI(the other side)、「(夫婦の)片方(の呼称)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」から「セ」となった)または「テ」、TE(crack)、「引き裂かれた(相手。相愛の片方から片方の呼称)」

  「フナ・マイ」、HUNA-MAI(huna=conceal,destroy,unnoticed;mai,maimai=a dance)、「(娘の夫と関係したことを)隠していた・(踊りを踊る類の)女」

  「ハ・タケ」、HA-TAKE(ha=what!,breathe;take=absent oneself)、「何と・(妻が不倫しているのに気が付かない)ぼんやり者」

  「ナキ・マイ」、NAKI-MAI(naki=glide,move with an even motion;mai,maimai=a dance)、「(夫が母と不倫したのに)成り行きに任せていた・(踊りを踊る類の)女」

  「イア・マキ」、IA-MAKI(ia=indeed,current;maki=invalid,sick person,sore;(Hawaii)maki=to roll,fold)、「実に・(妻の母と不倫したという)傷を持つ(男)」または「実に・(妻とその母の間を)渡り歩く(男)」

の転訛と解します。

 

 

[225武烈天皇]

 

225A小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊

 紀は224A億計(おけ)尊と224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の第6子、224F6小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊とし、記は億祁(おけ)命と春日大娘女(かすがのおほいらつめ)の第5子、小長谷若雀(をはつせのわかさざき)命とします。

 仁賢天皇7年に皇太子となりますが、刑法に明るく、悪事を行い、一つも善行がなかったとされます。仁賢天皇の崩後、娶ろうとした影媛が真鳥大臣の子鮪(しび)に横取りされたので、鮪親子を殺し、その後に即位して、悪行暴虐の限りを尽くしたとされます。子はありません。

 この「をはつせ」、「わかさざき」は、

  「オ・パツ・テ」、O-PATU-TE(o=the...of,belonging to;patu=screen,edge,strike,beat,kill;te=crack,emphasis)、「実に・(専横を極めていた大臣平群眞鳥(へぐりのまとり)臣と子鮪(しび)を)殺し・まくった(尊))(「パツ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハツ」となった)

  「ウアカハ・タタキ」、UAKAHA-TATAKI(uakaha=vigorous,difficult;tataki=take to one side,take out of the way,take food from the fire,gannet,viscous,racy)、「元気な・(大臣平群眞鳥(へぐりのまとり)臣と子鮪(しび)を殺し、反対勢力がいなくなった)頃合いを見計らって皇位に就いた(天皇)」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ワカ」となった)

の転訛と解します。

 

225B泊瀬列城(はつせのなみき)宮

 紀は壇場を泊瀬列城(はつせのなみき)に設けて宮としたとし、記も長谷(はせ)の列木(なみき)宮とします。「列城」は地名で長谷寺の南とする説があります。「泊瀬」については前出の221B泊瀬朝倉(はつせのあさくら)宮の項を参照してください。

 この「なみき」は、

  「ナ・ミキ」、NA-MIKI(na=satisfied,belonging to;miki=ridge of hills,buttocks,a shrub)、「なだらかな丘の起伏が・続く(地域。そこにある宮)」

の転訛と解します。

 

225C1億計(おけ)尊

 父は224A億計(おけ)尊(仁賢天皇)の項を参照してください。

 

225C2春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女

 母は224E1春日大娘(かすがのおほいらつめ)皇女の項を参照してください。

 

225D1高橋大娘(たかはしのおほいらつめ)皇女から225D8春日山田(かすがのやまだ)皇女まで

 兄弟姉妹は224F1高橋大娘(たかはしのおほいらつめ)皇女から224F8春日山田(かすがのやまだ)皇女までの項を参照してください。

 

225E春日(かすが)娘子

 紀は皇后を春日(かすが)娘子とします。その父(かぞ)は不詳とします。記には后妃の記事がありません。子はありません。「春日(かすが)」については前出224F8春日山田(かすがのやまだ)皇女の項を参照してください。

 この「かぞ」は、

  「カ・トイ」、KA-TOI(ka=kanga=place of abode,home;toi=tip,summit,finger,origin)、「家庭の・長(父)」(「トイ」の語尾のI音が脱落して「ト」から「ゾ」となった)

 (なお、『和名抄』は、「父母」を「カゾイロハ。俗にチチハハ」と訓じますが、この「かぞいろは」は、「カ・トイ・ロハ」、KA-TOI-ROHA(ka=kanga=place of abode,home;toi=tip,summit,finger,origin;roha=spread out,expanded)、「広がった(廣い意味の)・家庭の・長(父母)」と解します。)

の転訛と解します。

 

225G傍丘磐杯丘(かたをかのいはつきのをか)陵

 紀は陵を傍丘磐杯丘(かたをかのいはつきのをか)陵(顕宗天皇陵と同名です)とします。『延喜式』は傍丘磐杯丘北陵(大和国葛下郡)と、『陵墓要覧』は所在地を奈良県北葛城郡志津美村大字今泉(現香芝町今泉)とします。記は「片岡の石杯(いはつき)の岡に在り」とします。「傍丘磐杯」については、前出の223G傍丘磐杯丘(かたをかのいはつきのをか)陵の項を参照してください。

 片岡三陵(この陵、孝霊天皇の207G片丘馬坂陵および顕宗天皇の223G傍丘磐杯丘南陵をさします)の一つで、王子から平野、今泉にかけての裾部に位置し、自然丘陵を前方後円形に生け垣を巡らしてあり、東西20メートル、南北150メートルの規模です。埋葬施設の存在は疑問視されています。

 

225H1平群眞鳥(へぐりのまとり)臣・鮪(しび)・物部大連麁鹿火(あらかひ)・影(かげ)媛

 武烈即位前紀仁賢天皇11年8月条に天皇が崩御されると大臣平群眞鳥(へぐりのまとり)臣が国政を我が物として専横を極めたとします。また、大臣の子鮪(しび)は225A小泊瀬稚鷦鷯(をはつせのわかさざき)尊が娶ろうとした物部大連麁鹿火(あらかひ)の女、影(かげ)媛を横取りし、歌垣の場で尊を辱めたので、225H2大伴金村(かなむら)連と計り、奈良山で鮪を殺し、悲嘆に暮れる影媛は石上から奈良山まで葬送の行列に加わって歩きます。(この事件は記では顕宗天皇の話として伝えられています。)さらに同11月に大伴金村連が平群眞鳥臣の家に火をかけて討ち、翌月小泊瀬稚鷦鷯尊は即位して武烈天皇となります。

 この「へぐり」、「まとり」、「しび」、「かげ」、「あらかひ」は、

  「へ・クリ」、HE-KULI(he=wrong,mistaken,troublous;(Hawaii)kuli=knee)、「故障のある(片方が低い)・膝(高い生駒山脈と低い矢田丘陵の間の地域)」(「クリ」が「グリ」となった)(地名篇(その五)の奈良県の(7)平群郡の項を参照してください。)

  「マ・トリ」、MA-TORI(ma=white,pale,clear;tori=cut)、「(攻撃されて)蒼白となって・斬られた(臣)」

  「チピ」、TIPI(pare off,go quickly,play at ducks and drakes)、「速く泳ぐ(鮪)」、「先行した(先に影媛を射止めた。男)」または「金を湯水のように費消した(贅沢三昧をして遊び呆けていた。男)」

  「アラ・カヒ」、ARA-KAHI(ara=way,path,yonder,rise,raise;kahi=a species of whales,chief,wedge,a comb made of fish bones)、「直立した(姿勢の正しい)・首長(大連)」または「(継体紀6年12月条に記される任那に領土を割譲しようとする)動きに・くさびを打ち込んだ(大連)」

  「カハ・(ン)ガエ」、KAHA-NGAE(kaha=strong,strength,persistency;ngae=wheeze)、「いつまでも・(しゃくりあげるように)泣き続けた(媛)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」と、「(ン)ガエ」のNG音がG音に、AE音がE音に変化して「ゲ」となった)

の転訛と解します。

 

225H2大伴金村(かなむら)連

 武烈即位前紀仁賢天皇11年8月条において鮪(しび)を討ち、次いで同11月条で平群眞鳥臣の家に火をかけて討ち、翌月小泊瀬稚鷦鷯尊が即位して武烈天皇となるのに功績があった大伴金村(かなむら)連は、即位と同時に大連(おほむらじ)に任命されます。

 この「かなむら」は、

  「カナ・ムラ」、KANA-MURA(kana=stare wildly,bewitch;mura=blaze,flame)、「(害意を持って)目を凝らして敵を見つめる・敵に火をかける(または輝いている。首長)」

の転訛と解します。

 
トップページ 古典篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

 

<修正経緯>

1 平成15年5月1日

 221F5春日大郎女皇女の解釈を修正、221H11小根使主の項中稲城(いなき)の解釈を一部追加、224E1春日大郎女皇女の解釈を修正、224F8春日山田皇女の解釈を修正、224F8春日山田皇女の項中「あかみ」の解釈の一部が脱落していたのを補完しました。

2 平成15年8月1日

 223H2帳内(とねり)佐伯部売輪の「とねり」の解釈を修正しました。

3 平成15年9月1日

 222Aおよび222-2Aの解釈の一部を修正しました。

4 平成17年6月1日

 220G,221E1,221F3,222-2B(忍海),225H1(影媛)の解釈の一部を修正しました。

5 平成18年10月10日

 223A,224Aの解釈の一部を修正しました。

6 平成19年2月15日

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

7 平成19年7月1日

 222A清寧天皇の項の一部(ヤマトネコの解釈)を修正しました。

8 平成19年10月15日

 224F3手白香皇女の項の多志羅加の解釈を修正しました。

9 平成19年12月30日

 223H2鐸(ぬりて)の解釈を修正しました。

10 平成22年12月1日

 221H2少子部連螺贏の項の三諸岳の解釈を修正しました。

11 平成23年1月1日

 222-2A飯豊青皇女の解釈の一部を修正しました。

12 平成23年3月1日

 221G丹比高鷲原陵(雄略天皇陵)の解釈、222-2G葛城埴口丘陵(飯豊天皇陵)の解釈、223A弘計尊(顕宗天皇)の記事の一部および224A億計尊(仁賢天皇)の記事の一部を修正しました。

古典篇(その十)終わり

 

U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
 このHPの内容をそのまま、または編集してファイル、電子出版または出版物として
許可なく販売することを禁じます。
Copyright(c)1998-2007 Masayuki Inoue All right reserved