古典篇(その六)

(平成13-8-15書込み。24-4-1最終修正)


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<古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その一)> ー神武天皇から開化天皇までー

 

目 次

 

[201神武天皇]

201A神日本磐余彦(カムヤマトイハレヒコ)/201A2彦火火出見(ヒコホホデミ)/201A3狭野尊/201A4若御毛沼命/201A5豊御毛沼命/201B畝傍の橿原の宮/201C1彦波瀲武鵜草葺不合(ヒコナギサタケウガヤフキアエズ)尊/201C2玉依(タマヨリ)姫/201D1彦五瀬命/201D2稲飯命/201D3三毛入野命/201E1吾平津(アヒラツ)媛/201E2媛蹈鞴五十鈴(ヒメタタライスズ)媛命/201F1手研耳(タギシミミ)命/201F2岐須美美命/201F3日子八井命/201F4神八井耳命/201F5神渟名川耳尊/201G畝傍山東北陵/201H1櫛玉饒速日(クシタマニギハヤヒ)命/201H2可美真手(ウマシマデ)命/201H3長髓彦/201H4三炊屋媛/201H5名草戸畔/201H6丹敷戸畔/201H7高倉下/201H8頭八咫烏(ヤタノカラス)/201H9兄猾・弟猾/201H10八十梟師(ヤソタケル)/201H11兄磯城・弟磯城/201H12兄倉下・弟倉下/201H13新城戸畔/201H14居勢祝/201H15猪祝

 

[202綏靖天皇]

 

202A神渟名川耳(カムヌナカハミミ)尊/202B葛城の高丘宮/202C1神日本磐余彦/202C2媛蹈鞴五十鈴媛命/202D1手研耳命/202D2岐須美美命/202D3日子八井命/202D4神八井耳命/202E1五十鈴依(イスズヨリ)媛命/202E2川派(カハマタ)媛/202E3糸織媛/202F磯城津彦玉手看尊/202G倭の桃花鳥田(ツキダ)丘上陵

 

[203安寧天皇]

 

203A磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊/203B片鹽の浮孔宮/203C1神渟名川耳尊/203C2五十鈴依媛命/203C3河俣毘売/203E1渟名底仲(ヌナソコナカツ)媛命/203E2川津媛/203E3阿久斗比売/203E4糸井媛/203F1息石耳命/203F2大日本彦耒友尊/203F3磯城彦命/203G畝傍山南御陰井上陵/203H1和知津美命

 

[204懿徳天皇]

 

204A大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊/204B軽の曲峡宮/204C1磯城津彦玉手看尊/204C2渟名底仲媛命/204C3阿久斗比売/204D1息石耳命/204D2磯城彦命/204E1天豊津(アマトヨツ)媛命/204E2泉媛/204E3飯日媛/204E4賦登麻和訶比売/204F1観松彦香殖稲尊/204F2武石彦奇友背命/204G畝傍山南繊沙谿上陵

 

[205孝昭天皇]

 

205A観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊/205B掖上の池心の宮/205C1大日本彦耒友尊/205C2天豊津媛命/205C3賦登麻和訶比売/205D1武石彦奇友背命/205E1世襲足(ヨソタラシ)媛/205E2渟名城津(ヌナキツ)媛/205E3大井媛/205F1天足彦國押人命/205F2日本足彦國押人尊/205G掖上博多山上陵

 

[206孝安天皇]

 

206A日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊/206B室の秋津嶋宮/206C1観松彦香殖稲尊/206C2世襲足媛/206D天足彦國押人命/206E1押(オシ)媛/206E2長媛/206E3五十坂媛/206F1大吉備諸進命/206F2大日本根子彦太瓊尊/206G玉手丘上陵

 

[207孝霊天皇]

 

207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊/207B黒田の廬戸宮/207C1日本足彦國押人尊/207C2押媛/207D大吉備諸進命/207E1細(ホソ。クハシ)媛命/207E2春日千乳早山香媛/207E3真舌媛/207E4倭國香(ヤマトノクニカ)媛/207E5亙某弟(ハヘイロド)/207F1大日本根子彦國牽尊/207F2倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命/207F3彦五十狭芹彦命/207F4倭迹迹稚屋姫命/207F5日子刺肩別命/207F6彦狭嶋命/207F7稚武彦命/207F8千千速比売命/207G片丘馬坂陵

 

[208孝元天皇]

 

208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊/208B軽の境原宮/208C1大日本根子彦太瓊尊/208C2細媛命/208D1倭迹迹日百襲姫命/208D2彦五十狭芹彦命/208D3倭迹迹稚屋姫命/208D4日子刺肩別命/208D5彦狭嶋命/208D6稚武彦命/208D7千千速比売命/208E1鬱色謎(ウツシコメ)命/208E2伊香色謎(イカガシコメ)命/208E3埴安媛/208F1大彦命/208F2稚日本根子彦大日日尊/208F3倭迹迹姫命/208F4少彦男心命/208F5彦太忍信命/208F6武埴安彦命/208G剱池嶋上陵

 

[209開化天皇]

 

209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊/209B春日の率川宮/209C1大日本根子彦國牽尊/209C2鬱色謎命/209D1大彦命/209D2倭迹迹姫命/209D3少彦男心命/209D4彦太忍信命/209D5武埴安彦命/209E1伊香色謎(イカガシコメ)命/209E2丹波竹野媛/209E3姥津(ハハツ)媛/209E4鷲比売/209F1彦湯産隅命/209F2御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)尊/209F3御間津比売命/209F4彦坐王/209F5建豊波豆羅和気/209G春日率川坂本陵

 

<修正経緯>

 

  <古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その一)> ー神武天皇から開化天皇までー

 

[ここでは神武天皇の部を201とし、その中で和風諡号は201A(別名または幼名は201A2~)、宮都は201B、父母は201C1~2、兄弟姉妹は201D1~、后妃は201E1~、皇子は201F1~、陵は201G、治世中特筆すべき人名等は201H1~として整理番号を付し、以下同様に<その一>では209開化天皇までを解説し、<その二>以下において順次241持統天皇の部まで解説する予定です。

表記は原則として記紀ともに岩波日本古典文学大系本によります。本文中001〜199の神名は、古典篇(その5)<『古事記』の神名>により、名義は主として岩波日本古典文学大系本の注および『古事記』(新潮日本古典集成、校注西宮一民、昭和54年)の付録「神名の釈義」によります。

 ポリネシア語による解釈は、原則としてマオリ語により、ハワイ語による場合は注記を付します。]

 

[201神武天皇]

 

201A神日本磐余彦(カムヤマトイハレビコ)

 201C1彦波瀲武鵜草葺不合(ヒコナギサタケウガヤフキアエズ)尊201C2玉依(タマヨリ)姫の子です。記は神倭伊波禮毘古命とします。この名義は「神聖な、大和国の磐余の男性」とする説があります。

 この「かむやまといはれびこ」は、

  「カム・イア・マト・イ・ワレ・ヒコ・ホホ・テ・ミヒ」、KAMU(eat)-IA(indeed)-MATO(deep swamp)-I(past tense,beside)-WHARE(house,habitation,a division of an army)-HIKO(move at random or irregularly)-HOHO(prominent)-TE(the,emphasis)-MIHI(greet,admire)、「実に・大きな沼地がある地域(大和)を・征服した・各地を遍歴して・定住・した・とりわけて・特に・崇敬すべき(天皇)」

の転訛と解します。(地名篇(その五)の奈良県の(1)大和国(41)磐余の項を参照して下さい。)

 

201A2彦火火出見(ヒコホホデミ)

 紀が記す諱(実名)です。祖父の009天津日高日子穂々出見命と共通です。この名義は「日の御子である(または立派な男子である)、多くの稲穂が出る神霊」とする説があります。

 この「ひこほほでみ」は、

  「ヒコ・ホホ・テ・ミヒ」、HIKO-HOHO-TE-MIHI(hiko=move at random or erregularly;hoho=prominent;te=the,emphasis,crack;mihi=greet,admire,sigh for)、「(新天地を求めて)あちこち遍歴した・卓越した・特に・尊敬すべき(または(安芸・吉備国に長期間滞在したことを)嘆いた。尊)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった。祖父の場合の「ヒコ」は「(釣り針を求めて)あちこち遍歴した」の意)

の転訛と解します。

 

201A3狭野(サノ)尊

 紀の一書が記す年少のときの名です。「サ」は神稲、「ノ」は野の意とする説があります。

 この「さの」は、

  「タ(ン)ゴ」、TANGO(take up,acquire,remove)、「(何かを)求めた(または何かを求めて移動した。じっとして居られない。尊)」(NG音がN音に変化して「タノ」から「サノ」となった)

の転訛と解します。

 

201A4若御毛沼(ワカミケヌ)命

 記が記す大和へ遷る前の名です。この名義は「若々しい御食物の主」とする説があります。

 この「わかみけぬ」は、

  「ワカミヒ・ケ・ヌイ」、WHAKAMIHI-KE-NUI(whakamihi=commend,compliment,acknowledge,thank;ke=different,strange,unique;nui=large,many)、「非常に・卓抜していると・賞賛された(命)」(「ワカミヒ」の語尾のH音が脱落して「ワカミ」と、「ヌイ」のI音が脱落して「ヌ」となった)

の転訛と解します。

 

201A5豊御毛沼(トヨミケヌ)命

 記が記す大和へ遷る前の別名です。この名義は「豊かな御食物の主」とする説があります。

 この「とよみけぬ」は、

  「トイ・イオ・ミヒ・ケ・ヌイ」、TOI-IO-MIHI-KE-NUI(toi=move quickly,encourage;io=muscle,tough;mihi=greet,admire,sigh for;ke=different,dtrange,unique;nui=large,many)、「疲れを知らずに・敏速に行動した・非常に・卓抜していた・尊敬すべき(命)」

の転訛と解します。

 

201B畝傍(ウネビ)の橿原(カシハラ)の宮

 記は「畝火の白檮原(カシハラ)宮」とします。この畝傍山の「うね」は「山の尾根がうねり廻ったところとする説があります。この「うねび」、「かしはら」は、

  「ウ・ネピ」、U-NEPI(u=breast of a female;nepi=stunted,diminutive)、「いじけた(変形した)・乳房(のような・山)」

  「カチ・パラ」、KATI-PARA(kati=leave off,block up,closed,bite;para=a flake of stone,cut down bush,clear)、「(開墾されずに)残された・薮を切り開いた平地」(「パラ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハラ」となった)

の転訛と解します。

 

201C1彦波瀲武鵜草葺不合(ヒコナギサタケウガヤフキアエズ)尊

 神武天皇の父です。記は008天津日高日子波限建鵜葺草葺不合(アマツヒコヒコナギサタケウガヤフキアエズ)命と記し、その名義は、「天上界の神聖な男子で、日の御子である、渚で勇ましく鵜の羽で産屋の屋根を葺き終わらぬうちに生まれた者」の意とされます。011天照大御神の玄孫。009天津日高日子穂々出見(ホホデミ)命098豊玉毘売(トヨタマビメ)の間に生まれた子です。母は、見るなの禁忌を犯されて海宮に戻り、母の妹玉依毘売(タマヨリビメ)に育てられた後玉依毘売と結婚します。

 この「あまつひこ/ひこなぎさたけ/うがやふきあえず」は、

  「アマ・ツ・ヒ・コ/ヒコ・ナ・(ン)ギタ・タケ/ウ(ン)ガ・イア・フキ・アエ・ツ」、AMA-TU-HI-KO-HIKO-NA-NGITA-TAKE-UNGA-IA-HUKI-AE-TU(ama=outrigger of a canoe;tu=stand,settle;hi=raise,rise;ko=adressing to girls and males;hiko=move at random or erregularly;na=satisfied,belonging to;ngita=fast,firm;take=stump,chief;unga=send;ia=indeed,current;huki=transfix,glance suddenly;ae=in answer to a negative question it affirms the negative and must be rendered by no;tu=be wound)、「対馬の地に・住む・身分の高い・男子(の系統)で/あちこち遍歴した・しっかりした・信頼される氏族の長で/(見るなの禁忌を犯されて産屋を)覗かれて・傷ついた・(母が)残した(子)」

の転訛と解します。(古典篇(その五)の008天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命の項を参照して下さい。)

 

201C2玉依(タマヨリ)姫

 神武天皇の母です。名義は、「神霊の依り憑く巫女」の意とされます。海神の娘、098豊玉(トヨタマ)毘売の妹で、姉に代わって008天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命を養育し、後にその妻となり、五瀬命・稲氷命・御毛沼命・若御毛沼命(神武天皇)を生みます。

 この「たまより」は、

  「タマ・イオ・リ」、TAMA-IO-RI(tama=son,child;io=muscle,lock of hair,tough;ri=protect,bind)、「子供を・しっかりと・保護した(育てた)(姫)」または「タ・マイオリ」、TA-MAIORI(ta=the;maiori=maori=normal,ordinary,native)、「普通の(ワニではない)・(姫)」

の転訛と解します。(古典篇(その五)の098豊玉(トヨタマ)毘売の項を参照して下さい。)

 

201D1彦五瀬(ヒコイツセ。ヒコゴカセ)命

 神武天皇の長兄で東遷に同行しますが、ナガスネヒコとの戦いで負傷し、戦死します。名義は、(1)「立派な男子で、厳めしい神稲」の意、「瀬(セ)」は「稲(サ)」の転とする説、(2)五瀬(ゴカセ)川(九州山地の向坂山(1,684m)に発し、五ヶ瀬町、高千穂町などを経て延岡市で日向灘に注ぐ川)にちなむとする説があります。記は「伊呂兄(イロセ)五瀬命」と記します(「イロセ」については、雑楽篇の「302いろせ」の項を参照して下さい。)。

 この「ひこいつせ」、「ごかせ」は、マオリ語の

  「ヒコ・イ・ツテ」、HIKO-I-TUTE(hiko=move at random or erregularly;i=past tense,beside;tute=push,a charm to ward off malign influences)、「(1)(神武天皇とともに)各地を遍歴し・(神武天皇を)援助・した(命)」または「(2)(神武天皇とともに)各地を遍歴し・(巫覡として)災難を避けるまじないを・した(命)」((2)の「ツテ」は、076須勢理毘売の「スセ」と同じです。)

  「(ン)ガウ・カテア」、NGAU-KATEA(ngau=bite,hurt,wander,raise a cry;katea=whitened,scattered)、「(川が山を)喰いちぎったところ(嶮しい渓谷)が・あちこちに散在する(川)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となり、「カテア」の語尾の「ア」が脱落した)

の転訛と解します。

 

201D2稲飯(イナヒ)命

 神武天皇の次兄です。名義は「稲の神霊」の意、「ヒ」は「霊」とされます。紀の一書は「彦稲飯命」と記します。神武即位前紀戊午年6月条は、神武軍が熊野で暴風に遭遇し、「わが祖は天つ神、わが母は海神であるのに、どうして海陸で私を苦しめるのかと言つて剣を抜いて海に入つて鋤持(サヒモチ)神(古典篇(その五)の068佐比持神の項を参照して下さい。)となつた」と伝え、記は稲氷命と記し、「亡き母の住む海原の世界へ入った」とします。

 この「いなひ」は、

  「イ・(ン)ガヒ」、I-NGAHI(i=past tense;ngahi=ngawhi=be punished)、「(何かの)罰を受けた(死んだ)(命)」(「(ン)ガヒ」のNG音がN音に変化して「ナヒ」となった)

の転訛と解します。

 

201D3三毛入野(ミケイリノ)命

 神武天皇の三番目の兄です。「ミケノ」の名義は「御食物の主」の意、「イリ」は不詳とされます。紀の一書は「三毛野(ミケノ)命」、また「稚三毛野(ワカミケノ)命」と、記は「御毛沼(ミケヌ)命」と記し、神武即位前紀戊午年6月条は、神武軍が熊野で暴風に遭遇し、稲飯命が海に入ったのに続いて「私の母と伯母は海神であるのに、どうして波を起こしてわれわれを溺らせるのかと言って、波の秀(スエ)を踏んで常世国へ行った」と伝え、記も「波の穂(ホ)を跳んで常世国へ渡った」と伝えます。

 この「みけいりの」、「みけぬ」は、

  「ミヒ・ケ・イリ・ヌイ」、MIHI-KE-IRI-NUI(mihi=greet,admire,sigh for;ke=different,dtrange,unique;iri=be elevated on something,be published;nui=large,many)、「(不運を)嘆いた・非常に・卓抜していたと・世に聞こえた(命)」

  「ミヒ・ケ・ヌイ」、MIHI-KE-NUI(mihi=greet,admire;ke=different,dtrange,unique;nui=large,many)、「(不運を)嘆いた・非常に・卓抜していた(命)」

の転訛と解します。

 

201E1吾平津(アヒラツ)媛

 紀は日向国の吾田邑(アタノムラ)の吾平津(アヒラツ)媛を妃として201F1手研耳(タギシミミ)命を生んだとし、記は阿多(アタ)の小椅(オハシ)君の妹阿比良(アヒラ)比売を娶って201F1多藝志美美(タギシミミ)命201F2岐須美美(キスミミ)命を生んだとします。この「アタ」は薩摩国の地名、「アヒラ」は大隅国の姶良(アイラ)の地名とする説があります。紀は日向吾平山上陵(『陵墓要覧』は「鹿児島県肝属郡吾平町大字上名。洞窟」に所在とします)を201C1彦波瀲武鵜草葺不合(ヒコナギサタケウガヤフキアエズ)尊の陵とします。

 この「あひらつ」、「あた」、「おはし」は、

  「ア・ヒラ・ツ」、A-HIRA-TU(a=the...of,before names of persons;hira=important,shy;tu=stand,settle)、「内気な・ところがある(姫)」

  「アタ」、ATA(gentry,clearly,openly)、「開けた(場所)」

  「オ・パチ」、O-PATI(o=the...of;pati=shallow,ooze,try to obtain by coaxing or flattery)、「(娘を貢上して)取り入ろうとした(豪族)」(「パチ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハチ」から「ハシ」となった)

の転訛と解します。

 

201E2媛蹈鞴五十鈴(ヒメタタライスズ)媛命

 紀は三嶋溝厥耳(ミシマミゾクヒミミ)神の女玉櫛(タマクシ)媛と事代主(コトシロヌシ)神(古典篇(その五)の065事代主神の項を参照して下さい。)の間に生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命を皇后とし、201F4神八井(カムヤイ)命201F5神渟名川耳(カムヌナカハミミ)尊(綏靖天皇)を生んだとします。

 記は三嶋溝咋(ミシマノミゾクヒ)の女勢夜陀多良(セヤダタラ)比売と美和(ミワ)の大物主(オホモノヌシ)神(古典篇(その五)の051大物主神の項を参照して下さい。)の間に生まれた富登多多良伊須須岐(ホトタタライススキ)比売命、亦の名を比売多多良伊須気余理(ヒメタタライスケヨリ)比売を嫡后とし、201F3日子八井(ヒコヤイ)命201F4神八井耳(カムヤイミミ)命201F5神沼河耳(カムヌナカハミミ)命を生んだとします。

 記は神武天皇崩御の後201F1多藝志美美命が伊須気余理比売を娶り、その生んだ3柱の弟を殺そうとし、悩んだ伊須気余理比売が暗喩の歌を歌つて御子達に危険を知らせ、御子達が先手を打って多藝志美美命を殺し、神沼河耳命が綏靖天皇となったと伝えます。

 この「ひめたたらいすず」、「ほとたたらいすすき」、「ひめたたらいすけより」は、

  「ヒ・マイ・タタラ・イ・ツツ」、HI-MAI-TATARA-I-TUTU(hi=raise,rise;mai=clothing,dance;tatara=loose,active;i=past tense;tutu=move with vigour)、「高い身分の・着飾った(または踊りを舞い踊る(姫で))・活発な性格で・勇気をもつて行動した(わが子を助けるために暗喩の歌で危険を知らせた)(姫)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「ホト・タタラ・イ・ツツ・キ」、HOTO-TATARA-I-TUTU-KI(hoto=make a convulsive movement;tatara=loose,active;i=past tense;tutu=move with vigour;ki=full,very)、「衝動的に行動する・活発な性格で・いっぱいの・勇気をもつて行動した(わが子を助けるために歌で危険を知らせた)(姫)」

  「ヒ・マイ・タタラ・イ・ツ・ケ・イオ・リ」、HI-MAI-TATARA-I-TU-KE-IO-RI(hi=raise,rise;mai=clothing,dance;tatara=loose,active;i=past tense;tu=fight with;ke=different,extraordinary;io=muscle,tough;ri=protect)、「高い身分の・着飾った(または踊りを舞い踊る(姫で))・活発な性格で・風変わりな方法で・戦って(わが子に暗喩の歌で危険を知らせて)・(子供達を)しっかりと・保護した(姫)」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

の転訛と解します。(古典篇(その三)の4の(4)イハレヒコの妃と御子たちの項を参照して下さい。)

 また、この「みしまみぞくひみみ」、「たまくし」、「せやだたら」は、

  「ミ・チマ・ミト・クヒ・ミミヒ」、MI-TIMA-MITO-KUHI-MIMIHI(mi=stream,river;tima=a wooden implement for cultivating the soil;mito,whakamito=pout;kuhi=gush forth,insert,conceal;mimihi,mihi=greet,admire)、「川が・掘り棒で掘り散らかすように浸食した場所の・(川に)堰を設けて・(水を)貯めている場所の(農業用の貯水池・堰・水路を管理する)・尊崇すべき(豪族)」(「ミミヒ」のH音が脱落して「ミミ」となった)

  「タマ・クチ」、TAMA-KUTI(tama=son,child;kuti=pinch,contract)、「子供を・抱いて離さない(溺愛した・姫)」

  「テ・イア・タタラ」、TE-IA-TATARA(te=the;ia=indeed;tatara=loose,active)、「実に・活発な性格の(姫)」

の転訛と解します。

 

201F1手研耳(タギシミミ)命

 201神武天皇と201E1吾平津媛との間に生まれた長子です。記は多藝志美美(タギシミミ)命と記し、父の死後201E2媛蹈鞴五十鈴媛命を娶り、年長者として政治の実権を握り、異母弟の201F5神渟名川耳尊等を殺そうとしますが、媛蹈鞴五十鈴媛命が歌で危険を知らせて、その子等に殺されます。

 この「たぎしみみ」は、

  「タ(ン)ギ・チ・ミミヒ」、TANGI-TI-MIMIHI(tangi=cry;ti=throw,cast,overcome;(Hawaii)mimihi=intensive of mihi,to repent,to change one's course,to cease to do wrong)、「悲鳴を上げて・打倒された・(自らの)運命が変わった(悪だくみに終止符を打った。命)」(「タ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「タギ」と、「ミミヒ」のH音が脱落して「ミミ」となった)

の転訛と解します。

 

201F2岐須美美(キスミミ)命

 記は201神武天皇と201E1阿比良比売との間に生まれた第2子としますが、紀には記載がありません。

 この「きすみみ」は、

  「キ・ツ・ミミヒ」、KI-TU-MIMIHI(say,tell,full,very;tu=fight with,energetic;(Hawaii)mimihi=intensive of mihi,to repent,to change one's course,to cease to do wrong)、「精力的に・話をする・後悔した(命)」(「ミミヒ」のH音が脱落して「ミミ」となった)

の転訛と解します。

 

201F3日子八井(ヒコヤイ)命

 記は201神武天皇と201E2伊須気余理比売との間に生まれた第1子としますが、紀には記載がありません。

 この「ひこやい」は、

  「ヒコ・イア・ウイ」、HIKO-IA-UI(hiko=move at random or irregularly;ia=indeed;ui=disentangle)、「(天皇位の争奪をめぐる)紛糾を解決する際に・実に・あちこち出歩いていた(その場に居なかった・命)」

の転訛と解します。

 

201F4神八井耳(カムヤイミミ)命

 紀は201神武天皇と201E2媛蹈鞴五十鈴媛命との間に生まれた第1子(記は第2子)とし、気が弱くて201F1手研耳命を射ることができず、弟の201F5神渟名川耳尊に天皇位を譲ります。

 この「かむやいみみ」は、

  「カム・イア・ウイ・ミミヒ」、KAMU-IA-UI-MIMIHI(kamu=eat;ia=indeed;ui=disentangle;(Hawaii)mimihi=intensive of mihi,to repent,to change one's course,to cease to do wrong)、「(庶兄タギシミミを)倒して・実に・(天皇位を弟に譲って)紛糾を一挙に解決した・(自らの)運命を変えた(命)」(「ミミヒ」のH音が脱落して「ミミ」となった)

の転訛と解します。

 

201F5神渟名川耳(カムヌナカハミミ)尊

 紀は201神武天皇と201E2媛蹈鞴五十鈴媛命との間に生まれた第2子(記は第3子)とし、兄201F4神八井命に代って異母兄201F1手研耳命を射殺し、綏靖天皇となります。記はその勇気を称えて「建沼河耳(タケヌナカハミミ)命」とします。

 202A神渟名川耳(カムヌナカハミミ)尊の項を参照してください。

 

201G畝傍(ウネビ)山東北陵

 紀は「畝傍(ウネビ)山東北陵」、記は「畝火山之北方の白檮尾上(カシノヲノウヘ)」とします。

 この「かしのを」は、

  「カチ・ノホ」、KATI-NOHO(kati=block up,shut of a passage,barrior;noho=sit,settle)、「垣を引き巡らした所に・(陵が)置かれている」

の転訛と解します。

 

201H1櫛玉饒速日(クシタマニギハヤヒ)命

 記は邇藝速日(ニギハヤヒ)命とします。天神の子(『旧事記』天孫本紀には「天照国照彦天火明櫛玉饒速日命、亦の名天火明命」とし、014天忍穂耳尊が栲幡千々姫を后として儲けた子とします。この伝承によれば、饒速日命は、記の028天火明命で、014天忍穂耳尊の第1子であり、第2子の天孫020ホノニニギの兄ということになります。)で、天磐船(アマノイハフネ)に乗って天から下り、201H3長髓彦(ナガスネヒコ)の娘201H4三炊屋(ミカシキヤ)媛を娶って201H2可美真手(ウマシマデ)命を儲けたとされます。神武軍と戦い、最後に降伏して臣従します。

 この「くしたまにぎはやひ」は、

  「クチ・タマ・(ン)ギ(ン)ギハ・イア・ヒ」、KUTI-TAMA-NGINGIHA-IA-HI(kuti=contract,pinch;tama=son,child;ngingiha=burn,fire;ia=indeed;hi=raise,rise)、「圧迫された(後継者の地位を奪われた)・子供で・燃えるような情熱をもって行動した・実に・尊崇すべき(命)」

の転訛と解します。

 

201H2可美真手(ウマシマデ)命

 201H1櫛玉饒速日(クシタマニギハヤヒ)命201H3長髓彦(ナガスネヒコ)の娘201H4三炊屋(ミカシキヤ)媛を娶って儲けた子です。記は宇摩志麻遅(ウマシマヂ)命とします。

 この「うましまで」、「うましまぢ」は、

  「ウ・マチ・マテ」、U-MATI-MATE(u=be fixed,be firm,reach its limit;mati=toe,finger,surfeited;mate=dead,damaged)、「手指を・極限まで伸ばして(最後までできる限りの努力をして)・死んだ」

  「ウ・マチマチ」、U-MATIMATI(u=be fixed,be firm,reach its limit;matimati=toe,finger)、「手指を・極限まで伸ばした(最後までできる限りの努力をした。最後に名誉ある降伏をした)(命)」

の転訛と解します。

 

201H3長髓彦(ナガスネヒコ)

 記は登美能那賀須泥(トミノナガスネ)毘古(登美は地名で「鳥見」とも記されます)とします。大和の登美の豪族で、神武軍が最初生駒(イコマ)山を越えて大和に入ろうとしたとき、孔舎衛(クサエ)坂で待ち伏せしてこれを破りますが、熊野を経由して再び入ってきた神武軍に破れ、201H1櫛玉饒速日(クシタマニギハヤヒ)命に殺されます。

 この「ながすねひこ」、「とみ」、「いこま」、「くさえ」は、

  「ナ・(ン)ガツ・ネイ・ヒ・コ」、NA-NGATU-NEI-HI-KO(na=belonging to;ngatu=crashed;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「打ち負かされ・て・荒れ狂った・高い身分の・男子(首長)」(「(ン)ガツ」のNG音がG音に変化して「ガツ」から「ガス」となった)

  「タウ・ミ」、TAU-MI(tau=beautiful;mi=stream,river)、「美しい・川が流れる(地域)」

  「イカ・ウマ」、IKA-UMA(ika=warrior;uma=bossom,chest)、「戦士の・胸(のようにそそり立っている・山)」

  「ク・タエ」、KU-TAE(ku=silent;tae=arrive,reach)、「静かな・取っつきの場所(山麓の坂)」

の転訛と解します。

 

201H4三炊屋(ミカシキヤ)媛

 201H3長髓彦(ナガスネヒコ)の娘で、201H1櫛玉饒速日(クシタマニギハヤヒ)命と結婚して201H2可美真手(ウマシマデ)命を儲けます。亦の名を「長髓(ナガスネ)媛」、「鳥見屋(トミヤ)媛」とします。

 この「みかしきや」、「ながすね」、「とみや」は、

  「ミカ・チキ・イア」、MIKA-TIKI-IA((Hawaii)mika=to press,crush;tiki=unsuccessful,fetch;ia=indeed)、「(父が殺されて)打ちのめされた・実に・不幸な(姫)」

  「ナ・(ン)ガツ・ネイ」、NA-NGATU-NEI(na=belonging to;ngatu=crashed;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind)、「打ちのめされ・て・長いため息をついた(姫)」(「(ン)ガツ」のNG音がG音に変化して「ガツ」から「ガス」となった)

  「タウ・ミ・イア」、TAU-MI-IA(tau=beautiful;mi=stream,river;ia=indeed,current)、「実に・美しい・川が流れる(地域に住む・姫)」

の転訛と解します。

 

201H5名草戸畔(ナクサトベ)

 孔舎衛(クサエ)坂で敗れた神武軍は、転進して名草(ナクサ)邑(和歌山市西南の名草山付近とされます)に至り、名草戸畔(ナクサトベ)を殺します。この「戸畔(トベ)」は「戸女。戸口にいる女。一家の老主婦」とする説があります。

 この「なくさ」、「とべ」は、

  「ナク・タ」、NAKU-TA(naku=dig,scratch;ta=dash,lay)、「掘られた(溝の。または洪水によって一面に削られた)ような地形の場所に・位置する(地域)」または「ナ・クタ」、NA-KUTA(na=belonging to;kuta=a rush)、「藺草が生えている・地域」(地名篇(その五)の和歌山県の(8)名草郡の項を参照してください。)

  「トペ」、TOPE(cut,fell)、「切り捨てられた(首長)」

の転訛と解します。

 

201H6丹敷戸畔(ニシキトベ)

 転進した神武軍は、熊野の荒坂津(アラサカノツ。亦の名は丹敷浦(ニシキノウラ))に至り、丹敷戸畔(ニシキトベ)を殺します。この「戸畔(トベ)」は「戸女。戸口にいる女。一家の老主婦」とする説があります。

 この「あらさか」、「にしき」、「とべ」は、

  「アラ・タカ」、ARA-TAKA(ara=way,path;taka=heap,go round)、「路が・周囲を巡っている(港)」

  「ヌイ・チキ」、NUI-TIKI(nui=large,many;tiki=unsuccessful,fetch)、「非常に・不運な(ことが起こった・港)」

  「トペ」、TOPE(cut,fell)、「切り捨てられた(首長)」

の転訛と解します。

 

201H7高倉下(タカクラジ)

 転進した神武軍は、熊野で土地神の毒気にあてられて気を失いますが、武甕雷神(088建御雷之男神)が下した剣を高倉下が発見して神武天皇に献じ、剣の力によって危機を脱します。

 この「たかくらじ」は、

  「タカ・クラ・チ」、TAKA-KURA-TI(taka=fall down;kura=treasure;ti=throw,cast)、「(天から)降ってきた・宝(剣)を・献じた(人)」

の転訛と解します。

 

201H8頭八咫烏(ヤタノカラス)

 転進した神武軍は、熊野の山中で道に迷いますが、天照大神が下した頭八咫烏に導かれて脱出します。頭八咫烏はその後201H11兄磯城・弟磯城を召喚する使者として口上を述べ(神武即位前紀戊午年11月条)、また論功行賞を得てその後裔は葛野主殿縣主となっています(神武紀2年2月条)。

 この「やたのからす」は、

  「イア・タ・ノ・カラ・ツ」、IA-TA-NO-KARA-TU(ia=indeed;ta=dash;no=of;kara=old man;tu=fight with,energetic)、「本当に・先頭に立って突進する・元気な・老人」

の転訛と解します。

 

201H9兄猾(エウカシ)・弟猾(オトウカシ)

 菟田(ウダ)縣の魁師(ヒトゴノカミ。首長)の兄弟で、兄は敵対して殺されます。

 この「うかし」、「え」、「おと」、「うだ」、「ひとごのかみ」は、

  「ウ・カチ」、U-KATI(u=be fixed,reach its limit;kati=leave off,block up,boundary)、「境界に・位置する(村。そこに住む人)」

  「ヘイ」、HEI(go towards)、「前に進む(先頭に立つ・人=兄)」

  「アウト」、AUTO(trailing behind)、「後ろについて行く(人=弟)」(AU音がO音に変化して「オト」となった)

  「ウタ」、UTA(the land,the inland)、「内陸(の地域)」

  「ピト・(ン)ガウ(ン)ガウ・カミ」、PITO-NGAUNGAU-KAMI(pito=at first.extremity;ngaungau=disturbance,quarrel;kami=eat)、「(村の中の)もめ事や喧嘩を・治める・第一人者(首長)」(「ピト」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」と、「(ン)ガウ(ン)ガウ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ゴノ」となった)

の転訛と解します。

 

201H10八十梟師(ヤソタケル)

 国見丘の上にいて神武軍の前進を阻んだ軍団です。ほかにも「磯城(シキ)邑に磯城の八十梟師」、「高尾張(タカヲハリ)邑に赤銅(アカガネ)の八十梟師」がいたとあります。「八十梟師」は「武勇ある者の集団」と解する説があります。

 この「やそたける」、「しき」、「たかをはり」、「あかがね」は、

  「イア・タウ・タケ・ル」、IA-TAU-TAKE-RU(ia=indeed;tau=be suitable,beautiful;take=stump,chief;ru=shake,agitate)、「実に・きちんとした・どっしりとしていて・勇気に満ちている(軍団)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)

  「チキ」、TIKI(a post to mark a place which was TAPU)、「禁忌の土地(神聖な土地)であることを示す柱(を立てた土地。神聖な土地)」

  「タカ・オワ・リ」、TAKA-OWHA-RI(taka=raise,rise,fall down;owha=oha=great,abundant;ri=screen,protect,bind)、「高いところにある・広い・(交通を)阻害する土地」

  「ア・カ(ン)ガ・ヌイ」、A-KANGA-NUI(a=the...of;kanga,ka=take fire,be lighted,burn;nui=large,many)、「大きな・集落(を形成している)」

の転訛と解します。

 

201H11兄磯城(エシキ)・弟磯城(オトシキ)

 磐余(イハレ)邑にいて神武軍の前進を阻んだ首長です。

 「磐余(イハレ)」については201A神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)の項を、「兄(エ)」、「弟(オト)」については201H9兄猾(エウカシ)・弟猾(オトウカシ)の項を、「磯城(シキ)」については201H10八十梟師(ヤソタケル)の項を参照してください。

 

201H12兄倉下(エクラジ)・弟倉下(オトクラジ)

 201H11兄磯城(エシキ)・弟磯城(オトシキ)の部下です。

 この「くらじ」は、

  「クラ・チ」、KURA-TI(kura=treasure,red feathers used as adornment;ti=throw,cast)、「(頭に)赤い羽根飾りを・付けていない(下級の兵士)」

の転訛と解します。

 

201H13新城戸畔(ニヒキトベ)

 層富(ソホ)縣(大和国添上(ソフノカミ)郡・添下(ソフノシモ)郡)の波多丘岬(ハタノオカサキ)(添下郡赤膚山。唐招提寺の西とする説があります)にいて敵対して殺された首長です。

 この「にひき」、「そほ」、「はたのおかさき」は、

  「ニヒ・キ」、NIHI-KI(nihi,ninihi=steep,move stealthly;ki=full,very)、「非常に・険しいところ(に住む首長)」

  「トハウ」、TOHAU(damp,sweat)、「湿気の多い(場所)」

  「パタ・ノ・オカ・タキ」、PATA-NO-OKA-TAKI(pata=advantage;no=of;oka=prick;taki=track,lead)、「細長く・(岬のように)延びているところ・の・先端(の場所)」

の転訛と解します。

 

201H14居勢祝(コセノハフリ)

 和珥(ワニ)(大和国添上郡の地名。天理市和珥)の坂本にいて敵対して殺された首長です。

 この「こせのはふり」、「わに」は、

  「コテ・ノ・ハプ・リ」、KOTE-NO-HAPU-RI(kote=squeeze out,a form of incantation for bewitching;no=of;hapu=section of a large tribe;ri=protect,bind)、「小氏族を・保護する役(の巫覡=祝(ハフリ)。祭司である首長)・で・呪術に長けている者(首長)」

  「ワニ」、WANI(scrape,graze)、「引っかいたような(坂)」

の転訛と解します。

 

201H15猪祝(イノハフリ)

 臍見(ホソミ)の長柄丘岬(ナガラノオカサキ)にいて敵対して殺された首長です。

 この「ゐのはふり」、「ほそみ」、「ながらのおかさき」は、

  「ウイ・ノ・ハプ・リ」、UI-NO-HAPU-RI(ui=disentangle;no=of;hapu=section of a large tribe;ri=protect,bind)、「小氏族を・保護する役(の巫覡=祝(ハフリ)。祭司である首長)・で・紛糾を解決することに長けている者(首長)」

  「ホト・ミ」、HOTO-MI(hoto=join;mi=stream,river)、「川が・合流する(場所)」

  「(ン)ガ(ン)ガラ・ノ・オカ・タキ」、NGANGARA-NO-OKA-TAKI(ngangara=snarl;no=of;oka=prick;taki=track,lead)、「細長く・(岬のように)延びているところ・の・(川の流れが)やかましい音を立てている(場所)」(「(ン)ガ(ン)ガラ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ナガラ」となった)

の転訛と解します。

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[202綏靖天皇]

 

202A神渟名川耳(カムヌナカハミミ)尊

 紀は201神武天皇201E2媛蹈鞴五十鈴媛命との間に生まれた第2子(記は第3子)とし、兄201F4神八井命に代って異母兄201F1手研耳命を射殺し、綏靖天皇となります。記はその勇気を称えて「建沼河耳(タケヌナカハミミ)命」とします。

 この「かむぬなかはみみ」、「たけ」は、

  「カム・ヌナ・カワ・ミミヒ」、KAMU-NUNA-KAWA-MIMIHI(kamu=eat;(Hawaii)nuna=luna=high,above,foreman,boss,leader;kawa=heir,heap;(Hawaii)mimihi=intensive of mihi,to repent,to change one's course,to cease to do wrong)、「筆頭の・相続人(庶兄タギシミミ)を・倒して・(自らの)運命を変えた(命)」(「ミミヒ」のH音が脱落して「ミミ」となった)

  「タケ」、TAKE(stump,base of a hill,chief)、「堂々とした」または「氏族の首長である(にふさわしい)」

の転訛と解します。

 

202B葛城(カズラキ)の高丘(タカオカ)宮

 記は葛城高岡宮とします。『大和志』は奈良県御所(ゴセ)市森脇(モリワキ)を旧跡とします。

 この「かずらき」、「たかおか」、「ごせ」、「もりわき」は、

  「カツア・ラ(ン)ギ」、KATUA-RANGI(katua=stockade,main portion of anything;rangi=sky,heaven,tower or elevated platform used for purposes of attack or defence of a stockade)、「空にそびえる・砦のような(高い山がある・地域)」

  「タカ・オカ」、TAKA-OKA(taka=heap,lie in a heap;oka=prick,rafters for the roof of a KUMARA pit)、「千木を・高く立てた(宮)」

  「(ン)ガウ・テ」、NGAU-TE(ngau=wander,go about;te=crack)、「(氾濫の度に)移動する・(川の)割れ目(瀬)がある(場所)」

  「マウリ・ワキ」、MAURI-WHAKI(mauri=life principle,talisman,poles erected for the ceremony;whaki=disclose,pluck off,tear off)、「儀式用の柱を立て並べて・(特別な場所であることを)際だたせた(場所)」(「マウリ」のAU音がO音に変化して「モリ」となった)

の転訛と解します。(地名篇(その五)の奈良県の(15)葛上郡・葛下郡の項を参照して下さい。)

 

202C1神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)

 父は201A神日本磐余彦(カムヤマトイワレビコ)の項を参照してください。

 

202C2媛蹈鞴五十鈴(ヒメタタライスズ)媛命

 母は201E2媛蹈鞴五十鈴(ヒメタタライスズ)媛命の項を参照してください。

 

202D1手研耳(タギシミミ)命

 異母兄は201F1手研耳(タギシミミ)命の項を参照して下さい。

 

202D2岐須美美(キスミミ)命

 異母兄は201F2岐須美美(キスミミ)命の項を参照してください。

 

202D3日子八井(ヒコヤイ)命

 同母兄は201F3日子八井(ヒコヤイ)命の項を参照してください。

 

202D4神八井耳(カムヤイミミ)命

 同母兄は201F4神八井耳(カムヤイミミ)命の項を参照してください。

 

202E1五十鈴依(イスズヨリ)媛命

 紀は皇后を母の妹五十鈴依媛とし、202F磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊(安寧天皇)を生んだとします。

 この「いすずより」は、

  「イ・ツツ・イオ・リ」、I-TUTU-IO-RI(i=past tense;tutu=move with vigour;io=muscle,lock of hair,tough;ri=protect,bind)、「活発な性格で・あって・しっかりと・(202F磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊をわが子として)保護した(育てた)(媛)」

の転訛と解します。

 

202E2川派(カハマタ)媛

 紀の一書は皇后を磯城(シキ)縣主の女川派媛(記は五十鈴依媛の名を記さず、師木(シキ)縣主の祖、河俣(カハマタ)毘売)とします。

 この「かはまた」、「しき」は、マオリ語の

  「カワ・マタ」、KAWA-MATA(kawa=unpleasant to the taste,bitter;mata=face,eye)、「(子の202F磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊を正妃202E1五十鈴依(イスズヨリ)媛に渡すこととなって)苦い(渋い)・顔をした(媛)」

  「チキ」、TIKI(a post to mark a place which was TAPU)、「禁忌の土地(神聖な土地)であることを示す柱(を立てた土地。神聖な土地)」

の転訛と解します。(地名篇(その五)の奈良県の(29)城上郡・城下郡の項を参照して下さい。)

 

202E3糸織(イトリ)媛

 紀の一書は皇后を春日(カスガ)縣主大日諸(オホヒモロ)の女糸織媛(記は河俣毘売のみを記します)とします。

 この「いとり」、「かすが」、「おほひもろ」は、

  「イ・トリ」、I-TORI(i=past tense;tori=cut)、「(縁を)切った(離婚した)(媛)」

  「カ・ツ(ン)ガ」、KA-TUNGA(ka=take fire,be lighted,burn;tunga=circumstance of standing,site,wound,decayed tooth)、「傷(断層崖)がある・居住地(の地域)」(「ツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ツガ」から「スガ」となった)

  「オホ・ヒ・マロ」、OHO-HI-MARO(oho=wake up,arise;hi=raise,rise;maro=a sort of kilt or apron worn by males and females)、「すっくと立っている(または娘が離婚されて驚愕した)・高い地位の・大人」(「マロ」が「モロ」となった)

の転訛と解します。

 

202F磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊

 203A磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊の項を参照してください。

 

202G倭の桃花鳥田(ツキダ)丘上陵

 紀は倭の桃花鳥田(ツキダ)丘上陵(『延喜式』に「在大和国高市郡」と、『陵墓要覧』に所在地を「橿原市大字四条字田井ノ坪」とします)、記は衝田(ツキダ)岡とします。

 この「つきだ」は、

  「ツキ・タ」、TUKI-TA(tuki=pound,attack,give the time to paddlers;ta=dash,lay)、「(大勢の人が号令の下に)土を衝き固めて・設置した(墳墓)」

の転訛と解します。

 

[203安寧天皇]

 

203A磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊

 紀は202A神渟名川耳(カムヌナカハミミ)天皇202E1五十鈴依(イスズヨリ)媛の子とします。記は202A神沼河耳(カムヌナカハミミ)命と202E2河俣(カハマタ)毘売の子の師木津日子玉手見(シキツヒコタマテミ)命とします。関係者の名の解釈からしますと、生母は河俣比売で最初は磯城の地で育ち、後に五十鈴依媛に子が生まれなかったため、正妃に引き取られて葛城で育てられたものと考えられます。

 この「しきつひこたまてみ」は、

  「チキ・ツ・ヒコ・タマ・テ・ミヒ」、TIKI-TU-HIKO-TAMA-TE-MIHI(tiki=a post to mark a place which was TAPU;tu=stand,settle;hiko=move at random or irregularly;tama=son,child;te=crack;mihi=greet,admire,sigh for)、「神聖な土地(磯城。生母河俣比売の居住地)に・住んでいた・各地を遍歴した者で・子供のときに・(母親から)引き離されて・悲しい思いをした(尊)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となつた)

の転訛と解します。

 

203B片鹽(カタシホ)の浮孔(ウキアナ)宮

 記も片鹽(カタシホ)の浮穴(ウキアナ)宮とします。『大和志』は葛下郡三倉堂村(大和高田市三倉堂)とします。

 この「かたしほ」、「うきあな」は、

  「カタ・チホ」、KATA-TIHO(kata=opening of shellfish;tiho=flaccid,soft)、「貝が口を開けたような場所(入り江)の・軟らかい(土壌の・地域)」

  「ウキ・アナ」、UKI-ANA(uki=distant times(ukiuki=old,continuous,peaceful);ana=his,her,denoting continuance of action)、「いつまでも・平和な(宮)」

の転訛と解します。

 

203C1神渟名川耳(カムヌナカハミミ)尊

 父は202A神渟名川耳(カムヌナカハミミ)尊の項を参照してください。

 

203C2五十鈴依(イスズヨリ)媛命

 紀の母は202E1五十鈴依(イスズヨリ)媛命の項を参照してください。

 

203C3河俣(カハマタ)毘売

 記の母は202E2河俣(カハマタ)毘売の項を参照してください。

 

203E1渟名底仲(ヌナソコナカツ)媛命

 紀は皇后を事代主神の孫、鴨王(カモノキミ)の娘の渟名底仲(ヌナソコナカツ)媛、亦の名は渟名襲(ヌナソ)媛とします。媛は、皇后に立てられる前に息石耳(オキソミミ)命と大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊の2柱(紀の一書は常津彦某兄(トコツヒコイロネ)、大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊、磯城彦(シキツヒコ)命の3柱)の子を生んだとします。

 この「ぬなそこなかつ」、「ぬなそ」は、

  「ヌナ・タウ・コ・ナ・カツア」、NUNA-TAU-KO-NA-KATUA((Hawaii)nuna=luna=high,above,foreman,boss,leader;tau=come to rest,be suitable,beautiful;ko=adressing girls and males;na=by,belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「高貴な・美しい・娘で・内廷の外に・居る(傍系の。姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)

  「ヌナ・タウ」、NUNA-TAU((Hawaii)nuna=luna=high,above,foreman,boss,leader;tau=come to rest,be suitable,beautiful)、「高貴な・美しい(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)

の転訛と解します。

 

203E2川津(カハツ)媛

 紀の一書は皇后を磯城(シキ)縣主葉江(ハエ)の娘の川津(カハツ)媛とします。

 この「かはつ」、「はえ」は、

  「カワ・ツ」、KAWA-TU(kawa=unpleasant to the taste,bitter;tu=stand,settle)、「(天皇の寵を失って、または皇后になることができなくて)苦い思いを・した(姫)」

  「ハエ」、HAE(cherish envy,jealousy,cause pain)、「(天皇の寵が他人の娘に移ったのを)妬んだ(首長)」

の転訛と解します。

 

203E3阿久斗(アクト)比売

 記は皇后を「縣主波延(ハエ)の女阿久斗(アクト)比売」とします(縣名の「師木(磯城)」が欠落したものと思われます)。

 この「あくと」は、

  「アクト」、AKUTO(late,slow)、「のんびりしている(対応が遅い・姫)」

の転訛と解します。

 

203E4糸井(イトイ)媛

 紀の一書は皇后を大間(オホマ)宿禰の女糸井(イトイ)媛とします。

 この「いとい」、「おほま」は、

  「イ・タウイ」、I-TAUI(i=past tense;taui=be sprained,flight,retreat)、「(妃の地位から)引退した(媛)」(「タウイ」のAU音がO音に変化して「トイ」となった)

  「オホ・マ」、OHO-MA(oho=wake up,arise;ma=white,clean)、「(娘が妃の地位から引退して)驚愕して・(顔色が)青ざめた(宿禰の地位にある首長)」

の転訛と解します。

 

203F1息石耳(オキソミミ)命

 紀は天皇の第1子を息石耳(オキソミミ)命、一書に常津彦某兄(トコツヒコイロネ)とします。記は常根津日子伊呂泥(トコネツヒコイロネ)命とします。記紀ともに第3子の203F3磯城彦(シキツヒコ)命の子孫について安寧天皇条の本文で言及しますが、この命については言及がありません。以下の解釈にみるように、父の不興を買って勘当されたか、同様の処分を受けたものと思われます。

 この「おきそみみ」、「とこねつひこいろね」は、

  「オキ・タウ・ミミヒ」、OKI-TAU-MIMIHI((Hawaii)oki=divide,separate;tau=come to rest,be suitable,beautifull;(Hawaii)mimihi=intensive of mihi,to repent,to change one's course,to cease to do wrong)、「(父から)離れて・静かに暮らしている・運命が変わった(命)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」と、「ミミヒ」のH音が脱落して「ミミ」となった)

  「トコ・ヌイ・ツ・ヒ・コ・イロ・ネ」、TOKO-NUI-TU-HI-KO-IRO-NEI(toko=pole,push or force to a distance;nui=large,many;tu=stand,settle;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls;iro=submissive as result of punishment,maggot;nei=to denote proximity to or connecting with the speaker)、「(父から)遠くに・はるか・離れている・高貴な・男子で・父の命令に従順に服して・いる(命)」

の転訛と解します。(「いろね」については、雑楽篇の302の(2)いろね・いろどの項を参照してください。)

 

203F2大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊

 204A大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊の項を参照してください。

 

203F3磯城彦(シキツヒコ)命

 紀の一書および記は天皇の第3子を磯城彦(シキツヒコ)命とします。

 この「しきつひこ」は、

  「チキ・ツ・ヒ・コ」、TIKI-TU-HI-KO(tiki=a post to mark a place which was TAPU;tu=stand,settle;hi=raise,rise;ko=addressing males and girls)、「神聖な土地(磯城の地)に・住んでいた・高貴な・男子(命)」

の転訛と解します。

 

203G畝傍山南御陰井上(ウネビノヤマノミナミノミホトノイノウヘ)陵

 記は「畝火山の美富登(ミホト)に在り」とします。

 この「みほとのいのうへ」は、

  「ミ・ホト・ノ・イノイ・ウエ」、MI-HOTO-NO-INOI-UE(mi=stream,river;hoto=join;no=of;inoi=pray,prayer;ue=push,shake)、「川が・合流する場所(の三角形の土地)・の・お祓いを・(充分に)行った(場所)」(「イノイ」の末尾の「イ」が脱落した)

の転訛と解します。

 

203H1和知津美(ワチツミ)命

 記は203F3磯城彦(シキツヒコ)命の二人の王のうち一人の名で、淡道(アハヂ)の御井(ミイ)の宮に坐したとし、その二人の娘の蠅伊呂泥(ハヘイロネ)、亦の名は意富夜麻登久邇阿禮(オホヤマトクニアレ)比売命(紀は207E4倭國香(ヤマトノクニカ)媛、亦の名は亙某姉(ハヘイロネ。亙は糸偏))と蠅伊呂杼(ハヘイロド)(紀は207E5亙某弟(ハヘイロド。亙は糸偏))が207孝霊天皇の妃となります。

 この「わちつみ」、「みい」は、

  「ワチ・ツ・ミヒ」、WHATI-TU-MIHI(whati=be broken off,be bent at an angle;tu=stand,settle;mihi=greet,admire,sigh for)、「あばら家に・住んでいる・(不運を)嘆いている(命)」

  「ミヒ」、MIHI(sigh for)、「(不運を)嘆く(人の・宮)」の転訛と解します。

 

[204懿徳天皇]

 

204A大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊

 紀は203A磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊203E1渟名底仲(ヌナソコナカツ)媛命(記は203E3阿久斗(アクト)比売)の第2子203F2大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊(「スキ」は「耒に呂」。記は大倭日子鋤友(オホヤマトヒコスキトモ)命と記します)を皇太子に立てたとします。

 この「おほやまとひこすきとも」は、

  「オホ・イア・マト・ヒ・コ・ツキ・トモ」、OHO-IA-MATO-HI-KO-TUKI-TOMO(oho=wake up,arise;ia=indeed;mato=deep swamp;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls;tuki=pound,attack;tomo=be filled,enter,begin,assault)、「すっくと立っている(または急に皇太子となって驚愕した)・実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・高貴な・男子で・(急に背中を)押されて・(皇太子の)地位に就いた(命)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

の転訛と解します。

 

204B軽(カル)の曲峡(マガリヲ)宮

 記は軽(カル)の境岡(サカヒヲカ)宮とします。軽は大和国高市郡(橿原市大軽町)の地名で、孝元紀4年条の境原宮をはじめ、軽の地名が数多く見られます。

 この「かる」、「まがりを」、「さかひをか」は、

  「カル」、KARU(eye,head,spongy matter enclosing the seeds of gourd)、「目玉のような(大和盆地の中心にある・土地)」または「(スポンジのように)軟らかい地質(の土地)

  「マ(ン)ガリ・アウ」、MANGARI-AU(mangari=luck,fortune;au=firm,sound of sleep,certainly)、「本当に・運の良い(天皇の宮)」(「マ(ン)ガリ」のNG音がG音に変化して「マガリ」と、「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

  「タカヒ・オカ」、TAKAHI-OKA(takahi=trample,plunder;oka=prick,rafters for the roof of a KUMARA pit)、「(皇位)略奪者の・千木を高く立てた(宮)」

の転訛と解します。

 

204C1磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊

 父は203A磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミ)尊の項を参照してください。

 

204C2渟名底仲(ヌナソコナカツ)媛命

 紀の母は203E1渟名底仲(ヌナソコナカツ)媛命の項を参照してください。

 

204C3阿久斗(アクト)比売

 記の母は203E3阿久斗(アクト)比売の項および203E2川津(カハツ)媛の項をあわせ参照してください。

 

204D1息石耳(オキソミミ)命

 兄は203F1息石耳(オキソミミ)命の項を参照してください。

 

204D2磯城彦(シキツヒコ)命

 弟は203F3磯城彦(シキツヒコ)命の項を参照してください。

 

204E1天豊津(アマトヨツ)媛命

 紀は皇后を天皇の兄の203F1息石耳(オキソミミ)命の娘の天豊津(アマトヨツ)媛命とし、204F1観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊を生んだとします。

 この「あまとよつ」は、

  「アマイ・トイ・イオ・ツ」、AMAI-TOI-IO-TU(amai=giddy,dizzy;toi=move quickly,encourage;io=muscle,tough;tu=stand,settle,fight with,energetic)、「きらきらと輝く(美貌の)・疲れを知らずに・敏速に行動する・精力的な(姫)」(「アマイ」の語尾の「イ」が脱落し、「トイ」の語尾のI音と「イオ」の語頭のI音が連結して「トヨ」となった)

の転訛と解します。

 

204E2泉(イズミ)媛

 紀の一書は皇后を磯城縣主葉江(203E2川津(カハツ)媛または203E3阿久斗(アクト)比売の父)の弟猪手(イテ)の娘の泉(イズミ)媛とします。

 この「いずみ」、「ゐて」は、

  「イツ・ミ」、ITU-MI(itu=side;mi=stream,river)、「川の・ほとり(に住む姫)」

  「ウイ・タイ」、UI-TAI(ui=disentangle;tai=tide,anger,violence)、「暴動を・鎮めた(首長)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」となった)

の転訛と解します。

 

204E3飯日(イヒヒ)媛

 紀の一書は皇后を磯城縣主太真稚彦(フトマワカヒコ)の娘の飯日(イヒヒ)媛とします。

  この「いひひ」、「ふとまわか」は、

  「イヒ・ヒ」、IHI-HI(ihi=power,authority;hi=raise,rise)、「能力が・高い(姫)」

  「フ・トマ・ワカ」、HU-TOMA-WHAKA(hu=silent,hill;toma=resting place for bones;whaka=make an immediate return for anything)、「静かな・休息場所に住む・俊敏な(反応が素早い)(彦。または姫)」

の転訛と解します。

 

204E4賦登麻和訶(フトマワカ)比売

 記は皇后を師木縣主の祖、賦登麻和訶(フトマワカ)比売、亦の名は飯日(イヒヒ)比売とします。204E3飯日(イヒヒ)媛と同一人であることはもちろん、名の解釈からすると204E1天豊津(アマトヨツ)媛命と同一人の可能性もあります。

 

204F1観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊

 204A大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊の第1子で記は御真津日子訶惠志泥(ミマツヒコカエシネ)命と記します。205A観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊の項を参照してください。

 

204F2武石彦奇友背(タケシヒコアヤシトモセ)命

 204A大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊の第2子で紀の一書は武石彦奇友背(タケシヒコアヤシトモセ)命、記は多藝志比古(タギシヒコ)命と記します。

 この「たけしひこあやしともせ」、「たぎしひこ」は、

  「 タケ・チ・ヒ・コ・アイア・チ・トモ・テ」、TAKE-TI-HI-KO-AIA-TI-TOMO-TE(take=absent oneself,crooked;ti=throw,cast,overcome;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls;aia=kaitoa=expressing satisfaction or complacency at any event especially at misfortune happening to others;tomo=be filled,enter,begin,assault;te=crack)、「(天皇位に就けなくて)打ちのめされて・自らを見失った・高貴な・男子で・(天皇位からの)別離が・やってきたことを・甘んじて受け入れた(命)」

  「タ(ン)ギ・チ・ヒ・コ」、TANGI-TI-HI-KO(tangi=cry;ti=throw,cast,overcome;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「悲鳴を上げて・打倒された(天皇位に就けなかった)・高貴な・男子(命)」(「タ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「タギ」となった)

の転訛と解します。

 

204G畝傍山南繊沙谿上(ウネビヤマノミナミノマナゴノタニノカミ)陵

 記は「畝火山の真名子谷(マナゴタニ)の上に在り」とします。

 この「まなご」は、

  「マナコ(またはマナ・カウ)」、MANAKO(set one's heart on)/MANA-KAU(mana=rsychic force,power;kau=swim,wade)、「霊魂がそこに鎮まる(または霊魂が・そこに漂う)(場所)」

の転訛と解します。

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[205孝昭天皇]

 

205A観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊

 204A大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊の第1子で記は御真津日子訶惠志泥(ミマツヒコカエシネ)命と記します。

 この「みまつひこかえしね」は、

  「ミヒ・マ・アツ・ヒコ・カエア・チネイ」、MIHI-MA-ATU-HIKO-KAEA-TINEI(mihi=greet,admire,sigh for;ma=go;atu=forwards;hiko=move at random or irregularly;kaea=wander,leader of a flight of parrots;tinei=put out,quench,destroy,kill)、「後悔した・ひたすら・前進する・各地を遍歴した者で・(渡り鳥の先頭に立つ鳥のような)指導者を・殺した(尊)」(「マ」のA音と「アツ」の語頭のA音が連結して「マツ」と、「カエア」のEA音がE音に変化して「カエ」となった)

の転訛と解します。

 

205B掖上(ワキノカミ)の池心(イケゴコロ)の宮

 紀は掖上(『大和志』は宮趾はもと南葛城郡池内・御所二村の間(現御所市池乃内付近)とします)の池心(イケゴコロ)の宮とし、記は葛城の掖上(ワキガミ)宮とします。

 この「わきがみ」、「いけごころ」は、

  「ワキ・カミ」、WHAKI-KAMI(whaki=reveal,disclose;kami=eat)、「(川の流れが)浸食したことが・明らかな(土地)」

  「イケ・ココロ」、IKE-KOKORO(ike=high;kokoro=old man,father)、「高い地位にある・老人(の宮)」

の転訛と解します。(紀によれば16歳で立太子した懿徳天皇が64歳のときに、観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊が18歳で立太子し、30歳で孝昭天皇に即位、59歳で皇后を立て、治世83年、113歳で崩御されたとします。一方記は享年を93歳としており、紀と記には明白な年数の齟齬がありますが、いずれにしても、稀にみる高齢の天皇であったということができましょう。)

 

205C1大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊

 父は204A大日本彦耒友(オホヤマトヒコスキトモ)尊の項を参照してください。

 

205C2天豊津(アマトヨツ)媛命

 紀の母は204E1天豊津(アマトヨツ)媛命の項を参照してください。

 

205C3賦登麻和訶(フトマワカ)比売

 記の母は204E4賦登麻和訶(フトマワカ)比売の項を参照してください。

 

205D1武石彦奇友背(タケシヒコアヤシトモセ)命

 弟は204F2武石彦奇友背(タケシヒコアヤシトモセ)命の項を参照してください。

 

205E1世襲足(ヨソタラシ)媛

 紀は皇后を尾張(ヲハリ)連の遠祖瀛津世襲(オキツヨソ)の妹、世襲足(ヨソタラシ)媛と、記は尾張連の祖奥津余曽(オキツヨソ)の妹、余曽多本(ヨソタホ)毘売とし、205F1天足彦國押人(アメタラシヒコクニオシヒト)命205F2日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊(206孝安天皇)を生んだとします。

 この「よそたらし」、「よそたほ」、「をはり」、「おきつよそ」は、

  「イオ・タウ・タラチ」、IO-TAU-TARATI(io=muscle,spur,lock of hair;tau=come to rest,be suitable,beautifull;tarati=spurt,splash)、「美しい・髪を・振り乱した(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)

  「イオ・タウ・タホ」、IO-TAU-TAHO(io=muscle,spur,lock of hair;tau=come to rest,be suitable,beautifull;taho=yielding,weak)、「美しい・しなやかな・髪の(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)

  「オワ・リ」、OWHA-RI(owha=oha=great,abundant;ri=screen,protect,bind)、「広い・(交通を)阻害する土地(湿地帯がある。国。地域)」

  「オキ・ツ・イオ・タウ  」、OKI-TU-IO-TAU(oki=cut,divide,separate;tu=stand,settle;io=muscle,spur,lock of hair;tau=come to rest,be suitable,beautifull)、「離れて・住む・美しい・髪の(首長)(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)

の転訛と解します。(「元気のない」理由は、孝昭天皇の晩年は高齢で政権の箍が弛み、また子供達の出来が悪く、国をいったんは亡ぼしてしまった(大王位から離れた)こと(205F1天足彦國押人(アメタラシヒコクニオシヒト)命および205F2日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊の名の解釈参照)と、再興に長年月を要し、孝昭天皇を陵に葬るのが孝安天皇38年まで遅れたことによるものと思われます。)

 

205E2渟名城津(ヌナキツ)媛

 紀の一書は皇后を磯城縣主葉江(ハエ)の娘、渟名城津(ヌナキツ)媛とします。

 この「ぬなきつ」は、

  「ヌナ・キヒ・ツ」、NUNA-KIHI-TU((Hawaii)nuna=luna=high,above,foreman,boss,leader;kihi=indistinct of sound;tu=stand,settle)、「高貴な・忍び・泣きをした(姫)」(「ヌヌイ」が「ヌナ」と、「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)

の転訛と解します。「葉江(ハエ)」については、203E2川津(カハツ)媛の項を参照してください。

 

205E3大井(オホイ)媛

 紀の一書は皇后を倭国の豊秋狭太(トヨアキサダ)媛の娘の大井(オホイ)媛とします。

 この「おほい」、「とよあきさだ」は、

  「オホ・ウイ」、OHO-UI(oho=wake up,arise(ohooho=of great value,needing care);ui=loosen noose)、「すっくと立っている・自由奔放に行動する(姫)」

  「タウ・イオ・アキ・タタ」、TAU-IO-AKI-TATA(tau=come to rest,be suitable,beautifull;io=muscle,spur,lock of hair;(Hawaii)aki=to furl as sails;tata=dash down,near)、「美しい・髪の毛を・波打たせて・長く垂らしている(姫)」

の転訛と解します。

 

205F1天足彦國押人(アメタラシヒコクニオシヒト)命

 紀は205A観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊205E1世襲足(ヨソタラシ)媛との第1子とし、記は余曽多本(ヨソタホ)毘売との第1子、天押帯日子(アメオシタラシヒコ)命とします。

 この「あめたらしひこくにおしひと」、「あめおしたらしひこ」は、

  「アマイ・タラチ・ヒ・コ・クニ・オチ・ピト」、AMAI-TARATI-HI-KO-KUNI-OTI-PITO(amai=swell on the sea,giddy,dizzy;tarati=spurt,splash;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;oti=finished;pito=end,extremity,at first)、「浮ついた性格で・全力を出した・高貴な・男子で・最初に・集落の火を・消した(国を亡ぼした)(命)」

  「アマイ・オチ・タラ・チ・ヒ・コ」、AMAI-OTI-TARATI-HI-KO(amai=swell on the sea,giddy,dizzy;oti=finished;tarati=spurt,splash;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「浮ついた性格で・国を亡ぼした・全力を出した・高貴な・男子(命)」

の転訛と解します。(次の弟とほぼ同じ名であるところからすると、兄がまず天皇位についたが、すでに箍が弛んでいた政権をまとめることができず、すぐに弟に譲ったが、弟もなすすべなくいったんは大王位を離れ、長年月の後に大王位を回復したものでしょう。)

 

205F2日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊

 紀は205A観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊205E1世襲足(ヨソタラシ)媛との第2子とし、記は余曽多本(ヨソタホ)毘売との第2子、大倭帯日子國押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト)命とします。206A日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊の項を参照してください。

 

205G掖上博多山上(ワキノカミノハカタノヤマノカミ)陵

 紀記とも掖上博多山上(ワキノカミノハカタノヤマノカミ)陵(『延喜式』は「在大和国葛上郡」と、『陵墓要覧』は所在地を奈良県南葛城郡大正村大字三室字博多山(現御所市))とします。

 この「はかた」は、

  「ハカ・タ」、HAKA-TA(haka=deformed;ta=dash,beat,lay)、「おかしな形で・横たわっている(山)」

の転訛と解します。「掖上」については205B掖上(ワキノカミ)の池心(イケゴコロ)の宮の項を参照してください。なお、孝安紀によればこの陵に孝昭天皇を葬ったのは孝安38年となっています。

 

[206孝安天皇]

 

206A日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊

 紀は205A観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊205E1世襲足(ヨソタラシ)媛との第2子とし、記は余曽多本(ヨソタホ)毘売との第2子、大倭帯日子國押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト)命とします。

 この「やまとたらしひこくにおしひと」、「おほ(やまとたらしひこくにおしひこ)」は、

  「イア・マト・タラチ・ヒコ・クニ・オチ・ピト」、IA-MATO-TARATI-HIKO-KUNI-OTI-PITO(ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;tarati=spurt,splash;hiko=move at random or irregularly;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;oti=finished;pito=end,extremity,at first)、「実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・全力を奮るった・(大和の地を追われて)各地を遍歴した・最初に・集落の火を・消した(国を亡ぼした。命)」

  「オホ」、OHO(spring up,wake up,arise)、「(国を亡ぼして)驚愕して飛び上がった(尊)」

の転訛と解します。

 

206B室(ムロ)の秋津嶋(アキヅシマ)宮

 紀は室(『和名抄』に葛上郡牟婁郷(現御所市室)がみえます。)の秋津嶋(アキヅシマ)宮、記も葛城の室の秋津島宮とします。

 この「むろ」、「あきづしま」は、

  「ム・ロ」、MU-RO(mu=insects;ro=roto=inside)、「(丘陵部の)内側に・(虫が喰つてできたような)池と小山がある(土地)」

  「アキツ・チマ」、AKITU-TIMA(akitu=close in on,point,summit;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「掘り棒で掘り散らかしたような場所に・囲まれた(宮)」

の転訛と解します。

 

206C1観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊

 父は205A観松彦香殖稲(ミマツヒコカエシネ)尊の項を参照してください。

 

206C2世襲足(ヨソタラシ)媛

 母は205E1世襲足(ヨソタラシ)媛の項を参照してください。

 

206D天足彦國押人(アメタラシヒコクニオシヒト)命

 兄は205F1天足彦國押人(アメタラシヒコクニオシヒト)命の項を参照してください。

 

206E1押(オシ)媛

 紀は皇后を姪(孝霊即位前紀は206D天足彦國押人(アメタラシヒコクニオシヒト)命の女かとします)の押(オシ)媛とし、206F2大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊(207孝霊天皇)を生んだとします。

 記は皇后を姪の忍鹿(オシカ)比売命とし、206F1大吉備諸進(オホキビノモロススミ)命206F2大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊を生んだとします。

 この「おし」、「おしか」は、

  「オチ」、OTI(finished,go or come for good)、「(次第に境遇が)良くなった(姫)」

  「オ・チカ」、O-TIKA(o=the...of,belonging to;tika=hot,burnt by the sun)、「どちらかというと・日焼けした(色の黒い)(姫)」

の転訛と解します。

 

206E2長(ナガ)媛

 紀の一書は皇后を磯城縣主葉江の娘の長(ナガ)媛とします。

 この「なが」は、

  「ナ・(ン)ガ」、NA-NGA(na=by,belonging to,satisfied;nga=satisfied,breathe)、「どちらかというと・満足した(姫)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」となった)

の転訛と解します。「葉江(ハエ)」については、203E2川津(カハツ)媛の項を参照してください。

 

206E3五十坂(イサカ)媛

 紀の一書は皇后を十市(トイチ)縣主五十坂彦(イサカヒコ)の娘の五十坂(イサカ)媛とします。

 この「いさか」、「といち(とほち)」は、

  「イタ・カ」、ITA-KA(ita=tight,compact:ka=take fire,be lighted,burn)、「こじんまりした・集落(に住む)(姫)」

  「トウ・チ」、TOU-TI(tou=dip into a liquid,wet;ti=throw,cast)、「水の中に・放り出された(湿地の中にある)(地域)」

の転訛と解します。『和名抄』は「十市」を「止保知(トホチ)」と訓じています。地名篇(その五)奈良県の(40)十市郡の項を参照してください。

 

206F1大吉備諸進(オホキビノモロススミ)命

 206A日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊206E1忍鹿(オシカ)比売命との第1子(紀には記載がありません)です。

 この「おほきびのもろすすみ」は、

  「オホ・キ・ピ・ノ・マウ・ロツ・ツ・ミヒ」、OHO-KI-PI-NO-MAU-ROTU-TU-MIHI(oho=wake up,arise;ki=full,very;pi=eye;no=of;mau=carry,bring,fixed,established;rotu=heavy,oppressive,render the sea calm by a spell;tu=stand,settle,fight with,energetic;mihi=greet,admire)、「すっくと立っている・大きな・眼がある地域(津山盆地がある。吉備国)に・平和を・もたらすために・奮戦した・尊崇すべき(命)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 

206F2大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊

 紀は206A日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊206E1押(オシ)媛との皇子とし、記は206A大倭帯日子國押人(オホヤマトタラシヒコクニオシヒト)命と206E1忍鹿(オシカ)比売命との第2子とします。

 名については207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊の項を参照してください。

 

206G玉手(タマテ)丘上陵

 紀記とも玉手(タマテ)丘上陵(『延喜式』は「在大和国葛上郡」と、『陵墓要覧』は所在地を奈良県南葛城郡御所町玉手字宮山(現御所市))とします。

 この「たまて」は、

  「タ・マテ」、TA-MATE(ta=the;mate=dead,extinguished,injured)、「死者の(死者を葬る山。そこに置かれた陵)」

の転訛と解します。

   

 

[207孝霊天皇]

 

207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊

 206A日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊206E1押(オシ)媛との皇子です。

 この「おほやまとねこひこふとに」は、

  「オホ・イア・マト・ネイ・コ・ヒコ・フ・ト・ヌイ」、OHO-IA-MATO-NEI-KO-HIKO-HU-TO-NUI(oho=wake up,arise;ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;ko=addressing to males and girls;hiko=move at random or irregularly;hu=desire;to=be pregnant;nui=large,many)、「すっくと立っている・実に・深い沼地がある地域(大和国)の・(世の中を揺るがす)騒ぎを引き起こした(天皇位を回復するための行動を起こした)・各地を遍歴した・大きな・(国を再興しその支配領域を拡大する)望みを・持っていた(尊)」

の転訛と解します。

 

207B黒田(クロダ)の廬戸(イホト)宮

 紀記とも黒田(クロダ)(『和名抄』に大和国城下郡黒田郷(現奈良県磯城郡田原本町黒田)がみえ、『大和志』は宮蹟を宮古・黒田二村間の都杜(ミヤコモリ)とします。)の廬戸(イホト)宮とします。

 この「くろだ」、「いほと」は、

  「クル・タ」、KURU-TA(kuru=strike with the fist;ta=dash,beat,lay)、「拳骨で殴ったような・跡がある(浸食された。土地)」(『和名抄』は「黒田」を「久留多(クルタ)」と訓じています。)

  「イホ・タウ」、IHO-TAU(iho=heart,object of reliance,up above;tau=come to rest,be suitable,beautifull)、「(傷ついた)心を・休めた(宮)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

の転訛と解します。

 

207C1日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊

 父は206A日本足彦國押人(ヤマトタラシヒコクニオシヒト)尊の項を参照してください。

 

207C2押(オシ)媛

 母は206E1押(オシ)媛の項を参照してください。

 

207D大吉備諸進(オホキビノモロススミ)命

 兄は206F1大吉備諸進(オホキビノモロススミ)命の項を参照してください。

 

207E1細(ホソ。クハシ)媛命

 紀は皇后を磯城縣主大目(オホメ)の娘の細(ホソ。クハシ)媛命、記は十市縣主大目(オホメ)の娘の細(ホソ。クハシ)比売とし、207F1大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊(208孝元天皇)を生んだとします。

 この「ほそ」、「くはし」、「おほめ」は、

  「ホト」、HOTO(be apprehensive,suspicious)、「疑り深い(姫)」

  「クハ・チ」、KUHA-TI(kuha=fragment,scrap;ti=throw,cast,overcome)、「些細なことに・こだわる(姫)」

  「オホ・マイ」、OHO-ME(oho=wake up,arise(ohooho=of great value,needing care);me=if,as if,like)、「びっくりした・ような(首長)」

の転訛と解します。

 

207E2春日千乳早山香(カスガノチチハヤヤマカ)媛

 紀の一書は、皇后を春日千乳早山香(カスガノチチハヤヤマカ)媛とし、記は妃の一人として春日の千千速真若(チチハヤマワカ)比売が207F8千千速(チチハヤ)比売命を生んだとします。

 この「かすが」、「ちちはややまか」、「ちちはやまわか」は、

  「カ・ツ(ン)ガ」、KA-TUNGA(ka=take fire,be lighted;tunga=circumstance of standing,circumstance of being wounded,decayed tooth)、「浸食された場所(春日断層崖)がある・居住地」(「ツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ツガ」から「スガ」となった)(地名篇(その五)奈良県の(3)奈良のb春日の項を参照してください。)

  「チチハオア・イア・マカ」、TITIHAOA-IA-MAKA(titihaoa,titihawa=shout of joy;ia=indeed,very;maka=shy,active,vigorous)、「歓声を上げる・実に・活発な(姫)」

  「チチハオア・マ・ワカ」、TITIHAOA-MA-WHAKA(titihaoa,titihawa=shout of joy;ma=white,clean;whaka=make an immediate return for anything,reply to)、「歓声を上げる・清らかで・反応が速い(姫)」

の転訛と解します。

 

207E3真舌(マシタ)媛

 紀の一書は、皇后を十市縣主等の祖の娘の真舌(マシタ)媛とします。

 この「ました」は、

  「マチ・タ」、MATI-TA(mati=surfeited;ta=dash,beat,lay)、「飽食して・横になっている(姫)」

の転訛と解します。

 

207E4倭國香(ヤマトノクニカ)媛

 紀は、妃の倭國香(ヤマトノクニカ)媛、亦の名を亙某姉(ハヘイロネ。亙は糸偏)が、207F2倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命207F3彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命(亦の名は吉備津彦(キビツヒコ)命)、207F4倭迹迹稚屋(ヤマトトトワカヤ)姫命を生んだとします。

 記は、妃の203H1和知津美(ワチツミ)命の娘(姉)の意富夜麻登久邇阿禮(オホヤマトクニアレ)比売命(亦の名は蠅伊呂泥(ハヘイロネ))が、夜麻登登母母曽(ヤマトトモモソ)毘売、207F5日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命(紀には記載がありません)、比古伊佐勢理毘古(ヒコイサセリビコ)命(亦の名は大吉備津日子(オホキビツヒコ)命)、倭飛羽矢若屋(ヤマトトビハヤワカヤ)比売を生んだとします。

 この「くにか」、「おほやまとくにあれ」、「はへいろね」は、

  「クニ・カ」、KUNI-KA((Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;ka=take fire,be lighted,burn)、「(大和の)国に・明かりを灯した(姫)」

  「オホ・イア・マト・クニ・アレ」、OHO-IA-MATO-KUNI-AREI(oho=wake up,arise;ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;arei=prevent,ward off)、「すっくと立っている・実に・大きな沼地がある(大和の)・(照明を灯している)国の・災難を防いだ(姫)」

  「ハエ・イロ・アナイネイ」、HAE-IRO-ANAINEI(hae=cherish envy,jealousy,cause pain;iro=submissive as result of punishment;anainei=henceforward)、「(他の妃達に)嫉妬しながら・(天皇に)従順に仕えた・前に立つ(姉)」(「アナイネイ」のAI音がE音に変化して「アネネイ」となり、語尾の「ネイ」が脱落して「アネ」となった)

の転訛と解します。(関係者の名の解釈とあわせ考えますと、従順に夫に仕えた姫の生んだ子達がすべて優秀で、かつ、姫と子達の努力によって大王家が危機を脱し、大きく発展するのに貢献したと一般に認められていたことを表す名と言えましょう。)

 

207E5亙某弟(ハヘイロド)

 紀は、妃の亙某弟(ハヘイロド。亙は糸偏)が、207F6彦狭嶋(ヒコサシマ)命207F7稚武彦(ワカタケヒコ)命を生んだとします。

 記は、妃の203H1和知津美(ワチツミ)命の娘(妹)の蠅伊呂杼(ハヘイロド)が、日子寤間(ヒコサメマ)命、若日子建吉備津日子(ワカヒコタケキビツヒコ)命を生んだとします。

 この「はへいろど」は、

  「ハエ・イロ・アウト」、HAE-IRO-AUTO(hae=cherish envy,jealousy,cause pain;iro=submissive as result of punishment;auto=trailing behind)、「(他の妃達に)嫉妬しながら・(天皇に)従順に仕えた・後に従う(妹)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」となり、「イロ」と連結して「イロト」となった)

の転訛と解します。

 

207F1大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E1細(ホソ。クハシ)媛命の子です。記は大倭根子日子國玖琉(オホヤマトネコヒコクニクル)命とします。

 208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊の項を参照してください。

 

207F2倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E4倭國香(ヤマトノクニカ)媛との第1子です。崇神紀10年9月条に姫が051大物主(オホモノヌシ)神の妻となり、夫が蛇であることを知って驚き自殺して、箸墓に葬られたとあります。

 この「やまとととびももそ」は、

  「イア・マト・トト・ピ・モモ・タウ」、IA-MATO-TOTO-PI-MOMO-TO(ia=indeed;mato=deep swamp;toto=blood,bleed;pi=flow;momo=in good condition;tau=come to rest)、「実に・深い湿地がある地域(大和国)の・血を・流して(死んで)・手厚く・葬られた(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

の転訛と解します。

 姫の自殺について紀は、「(夫の大物主(オホモノヌシ)神が蛇であることを知って驚き、夫に愛想をつかされたため、姫は)悔いて急居(ツキウ)。即ち箸(ハシ)に陰(ホト)を撞(ツ)いて薨(カムサ)りましぬ」とします。

 この「つきう」、「はし」、「ほと」は、

  「ツキ・ウ」、TUKI-U(tuki=pound,beat,attack;u=breast of a female)、「胸(乳房)を・刺す」

  「パチア」、PATIA(spear)、「槍」

  「ホト」、HOTO(start,make a convulsive movement)、「衝動的に行動する」

の転訛と解します。つまり「姫は、事の成行きを悔やんで、衝動的に、槍で胸を突いて死んだ」のが真相です。(入門篇(その三)の(6)d箸墓伝説の真実の項を参照してください。)

 

207F3彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E4倭國香(ヤマトノクニカ)媛との第2子(記は第3子、比古伊佐勢理毘古(ヒコイサセリビコ)命)です。亦の名を吉備津彦(キビツヒコ)命(記は大吉備津日子(オホキビツヒコ)命)とします。

 この「ひこいさせりびこ」、「おほきびつひこ」は、

  「ヒコ・イ・タテレ・ヒ・コ」、HIKO-I-TATERE-HI-KO(hiko=move at random or irregularly;i=past tense;tatere=moving about,unsettled,loose;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「あちこち遍歴した・一カ所に止まることを・しなかった・高貴な・男子」

  「オホ・キ・ピ・ツ・ヒ・コ」、OHO-KI-PI-TU-HI-KO(oho=wake up,arise;ki=full,very;pi=eye;tu=stand,settle;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「すっくと立っている・大きな・眼がある地域(津山盆地がある・吉備国)に・駐在した・高貴な・男子」

の転訛と解します。

 記は、大吉備津日子(オホキビツヒコ)命と若日子建吉備津日子(ワカヒコタケキビツヒコ)命(紀の207F7稚武彦(ワカタケヒコ)命)の二人が、協力して、「針間(ハリマ)の氷河(ヒカハ)の前に忌瓮(イハヒベ。通説は「神を祭るのに用いる清浄な甕」とします)を据えて、針間を道の口と為て吉備国を言向(コトム)け和(ヤハ)したまひき」とします。

 この「はりま」、「ひかは」、「いはひべ」は、

  「パリ・マ」、PARI-MA(pari=cliff;ma=white,clean)、「崖のある・清らかな(土地。播磨国)」

  「ヒ・カワ」、HI-KAWA(hi=raise,rise;kawa=heap,channel)、「高い・高地」

  「イ・ワヒ・パエ」、I-WHAHI-PAE(i=past tense,beside;whahi=split,break through,disclose;pae=lie across,be laid to the charge of anyone)、「(道の上に)据えられて・(真偽正邪を)明らかに・した(もの。忌瓮)」(「パエ」のAE音がE音に変化して「ペ」から「ベ」となった)

の転訛と解します。

 

207F4倭迹迹稚屋(ヤマトトトワカヤ)姫命

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E4倭國香(ヤマトノクニカ)媛との第3子(記は第4子、倭飛羽矢若屋(ヤマトトビハヤワカヤ)比売)です。

 この「やまとととわかや」、「やまとととびはやわかや」は、

  「イア・マト・タウタウ・ウアカハ・イア」、IA-MATO-TAUTAU-UAKAHA-IA(ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;tautau=tie in bunches,pendulous;uakaha=vigorous,difficult)、「実に・大きな沼地がある地域(大和国)を・一つにまとめた・実に・元気が良い(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

  「イア・マト・ト・プハ・イア・ウアカハ・イア」、IA-MATO-TO-PUHA-IA-UAKAHA-IA(ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;to=drag,open or shut a door or window;puha=song,chant;uakaha=vigorous,difficult)、「実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・宗教歌を・繰り返し・歌った・実に・元気が良い(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」と、「ピピハ」の反復音が脱落して「ピハ」となった)

の転訛と解します。

 

207F5日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E4意富夜麻登久邇阿禮(オホヤマトクニアレ)比売命との記の第2子(紀は記載がありません)です。

 この「ひこさしかたわけ」は、

  「ヒコ・タチカ・タ・ワカイ(ン)ガ」、HIKO-TATIKA-TA-WAKAINGA(hiko=move at random or irregularly;tatika=coastline;ta=dash,beat,lay;wakainga=distant home)、「あちこち遍歴した・海岸に・ある・遠い住居(に離れて住む。命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

207F6彦狭嶋(ヒコサシマ)命

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E5亙某弟(ハヘイロド)との第1子(記は日子寤間(ヒコサメマ)命)です。

 この「ひこさしま」、「ひこさめま」は、

  「ヒコ・タ・チマ」、HIKO-TA-TIMA(hiko=move at random or irregularly;ta=the,dash,beat,lay;tima=a wooden implement for cultivating the soil)、「あちこち遍歴した・掘り棒で掘り散らかしたような地形の場所に・居る(命)」

  「ヒコ・タ・マイモア」、HIKO-TA-MAIMOA(hiko=move at random or irregularly;ta=the,dash,beat,lay;maimoa=pet,fondling,take care of)、「あちこち遍歴した・(親に)可愛がられた(命)」

の転訛と解します。

 

207F7稚武彦(ワカタケヒコ)命

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E5亙某弟(ハヘイロド)との第2子(記は若日子建吉備津日子(ワカヒコタケキビツヒコ)命)です。

 この「わかたけひこ」、「わかひこたけきびつひこ」は、

  「ワカ・タケ・ヒコ」、WAKA-TAKE-HIKO(waka=canoe,medium of an atua;take=stump,origin,chief;hiko=move at random or irregularly)、「(天皇の)使者として・あちこち遍歴した・どっしりとした立派な(命)」

  「ワカ・ヒコ・タケ・キ・ピ・ツ・ヒ・コ」、WAKA-HIKO-TAKE-KI-PI-TU-HI-KO(waka=canoe,medium of an atua;hiko=move at random or irregularly;take=stump,origin,chief;ki=full,very;pi=eye;tu=stand,settle;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「(天皇の)使者として・あちこち遍歴した・どっしりとした立派な(命で)・大きな・眼がある地域(津山盆地がある・吉備国)に・駐在した・高貴な・男子」)

の転訛と解します。

 

207F8千千速(チチハヤ)比売命

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊と千千速真若(チチハヤマワカ)比売の子(207E2春日千乳早山香(カスガノチチハヤヤマカ)媛の項を参照してください。)です。

 この「チチハヤ」は、

  「チチハオア」、TITIHAOA(titihaoa,titihawa=shout of joy)、「歓声を上げる(姫)」

の転訛と解します。

 

207G片丘馬坂(カタオカノウマサカ)陵

 紀は片丘馬坂陵(所在地を『延喜式』は大和国葛下郡、『陵墓要覧』は奈良県北葛城郡王寺町大字王寺字小路口とします。)、記も「片岡の馬坂の上」とします。

 この「かたおか」、「うまさか」は、

  「カタ・アウカハ」、KATA-AUKAHA(kata=opening of shellfish;aukaha=lash the bulwark to the body of a canoe)、「貝が口を開いたように崩れている・塁壁を巡らした(丘)」(「アウカハ」のAU音がO音に変化し、H音が脱落して「オカ」となった)

  「ウマ・タカ」、UMA-TAKA(uma=bosom,chest;taka=heap,lie in a heap)、「胸のような・高いところ(にある陵)」

の転訛と解します。

 

[208孝元天皇]

 

208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊

 207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E1細(ホソ。クハシ)媛命の子です。

 この「おほやまとねこひこくにくる」は、

  「オホ・イア・マト・ネイ・コ・ヒコ・クニ・クル」、OHO-IA-MATO-NEI-KO-HIKO-KUNI-KURU(oho=wake up,arise;ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;ko=addressing to males and girls;hiko=move at random or irregularly;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;kuru=strike with the fist)、「すっくと立っている・実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・(世の中を揺るがす)騒ぎを引き起こした(天皇位を回復するための軍事行動を起こした)・各地を遍歴して・(周縁の)国を・拳骨で殴った(武力で平定した)(尊)」

の転訛と解します。

 

208B軽(カル)の境原(サカヒハラ)宮

 記紀ともに軽(204B軽(カル)の曲峡(マガリヲ)宮の項を参照してください。)の境原(サカヒハラ)宮(所在不明とされます。)とします。

 この「さかひはら」は、

  「タカヒ・パラ」、TAKAHI-PARA(takahi=trample,tread,place the foot on anything to hold it;para=a flake of stone,cut down bush)、「藪を切り開き・踏み固めた(造成した土地に建てた・宮)」

の転訛と解します。

 

208C1大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊

 父は207A大日本根子彦太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊の項を参照してください。

 

208C2細(ホソ。クハシ)媛命

 母は207E1細(ホソ。クハシ)媛命の項を参照してください。

 

208D1倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命

 207F2倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命の項を参照してください。

 

208D2彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命

 207F3彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命の項を参照してください。

 

208D3倭迹迹稚屋(ヤマトトトワカヤ)姫命

 207F4倭迹迹稚屋(ヤマトトトワカヤ)姫命の項を参照してください。

 

208D4日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命

 207F5日子刺肩別(ヒコサシカタワケ)命の項を参照してください。

 

208D5彦狭嶋(ヒコサシマ)命

 207F6彦狭嶋(ヒコサシマ)命の項を参照してください。

 

208D6稚武彦(ワカタケヒコ)命

 207F7稚武彦(ワカタケヒコ)命の項を参照してください。

 

208D7千千速(チチハヤ)比売命

 207F8千千速(チチハヤ)比売命の項を参照してください。

 

208E1鬱色謎(ウツシコメ)命

 紀は皇后を穂積(ホヅミ)臣の遠祖鬱色雄(ウツシコヲ)命の妹、鬱色謎(ウツシコメ)命とし、208F1大彦(オホビコ)命208F2稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊(209開化天皇)208F3倭迹迹(ヤマトトト)姫命を生み、記は穂積臣等の祖内色許男(ウツシコヲ)命の妹、内色許売(ウツシコメ)命とし、大毘古(オホビコ)命、208F4少名日子建猪心(スクナヒコタケイゴコロ)命、若倭根子日子大毘毘(ワカヤマトネコヒコオホビビ)命を生んだとされます。

 この「うつしこめ」、「ほづみ」、「うつしこを」は、

  「ウツ・チコ・マイ」、UTU-TIKO-MAI(utu=return for anything,make response;tiko=stand out,protrude;mai=clothing,dance)、「反応(応答)が・ずば抜けている・(着飾り、舞いを踊る)姫」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「ホツ・ミヒ」、HOTU-MIHI(hotu=sigh,desire eagerly,heave as the swell of the sea;mihi=greet,admire)、「高い地位にあって・尊崇すべき(首長)」(「ミヒ」のM音が脱落して「ミ」となった)

  「ウツ・チコ・アウ」、UTU-TIKO-AU(utu=return for anything,make response;tiko=stand out,protrude;au=sea,firm,certainly)、「反応(応答)が・実に・ずば抜けている(首長)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)

の転訛と解します。

 

208E2伊香色謎(イカガシコメ)命

 紀は妃を物部(モノノベ)氏の遠祖大綜麻杵(オホヘソキ)の娘、伊香色謎(イカガシコメ)命とし、208F5彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)命を生み、記は内色許男(ウツシコヲ)命の娘、伊迦賀色許売(イカガシコメ)命とし、比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命を生んだとします。なお、命は208孝元天皇の死後、209開化天皇の皇后となり、210崇神天皇を生んだとされます。

 この「いかがしこめ」、「もののべ」、「おほへそき」は、

  「イカ・(ン)ガ・チコ・マイ」、IKA-NGA-TIKO-MAI(ika=fish,prized possession;nga=satisfied,breathe,the;tiko=stand out,protrude;mai=clothing,dance)、「ずば抜けて・満足すべき・宝物を持つ(才色兼備の)・(着飾り、舞いを踊る)姫」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「モノ・ノペ」、MONO-NOPE(mono=disable by means of incantations,an incantation to disable an army,plug,caulk;nope=constricted(nonope=oppress,distress))、「祈祷により(敵を無力化する呪文を唱えて)・圧倒する(ことを得意とする・部族)」(雑楽篇の318物部の項を参照してください。)

  「オホ・ヘ・トキ」、OHO-HE-TOKI(oho=wake up,arise(ohooho=of great value,needing care);he=a,an,wrong,erring,dead;toki=adze,axe)、「偉大な・斧を・死物化した(武器に頼らないで部族を率いる)(首長)」(「オホ」のH音が脱落して「オオ」となった)

の転訛と解します。

 

208E3埴安(ハニヤス)媛

 紀は第2の妃を河内青玉繋(カフチノアオタマカケ)の娘の埴安(ハニヤス)媛とし、208F6武埴安彦(タケハニヤスヒコ)命を生み、記は河内の青玉(カフチノアオタマ)の娘の波邇夜須(ハニヤス)毘売とし、建波邇夜須毘古(タケハニヤスビコ)命を生んだとします。

 この「はにやす」、「かふち」、「あおたまかけ」は、

  「ハニ・イア・ツ」、HANI-IA-TU(hani=a carved weapon used mainly by chiefs,speak ill of,disparage;ia=indeed;tu=stand,settle)、「(王しか持てない)特別の武器を・実に・持っていた(姫)」または「本当に・悪人と謗られて・いる(姫)」

(崇神紀10年9月条に武埴安彦(タケハニヤスヒコ)命が謀反を企てて殺されたとあります。しかし、崇神天皇が外部からきた征服者であった可能性が高く、この「(王しか持てない)特別の武器を・実に・持っていた」という埴安姫・武埴安彦の名は、それまでの大和朝廷の正統を嗣ぐ後継者であったことを示すもので、崇神側との抗争は謀反ではなく、征服者(王権の簒奪者)との抗争であったことになります。

 なお、神武即位前紀己未年2月条に、前年9月に天香具山の埴土を取つて八十平瓮(ヤソヒラカ)を造って神に祈り、遂に大和を平定したその土を取った場所を「埴安(ハニヤス)」と名付けたとあり、現在もと高市郡香具山村に埴安池の名が残ります。

 この「はにやす」は、「ハ(ン)ギ・イア・ツ」、HANGI-IA-TU(hangi=earth-oven;ia=indeed;tu=stand,srttle)、「(蒸焼き穴のような、土を取った跡の)穴が・本当に・在る(場所。そこにある池)」の転訛(「ハ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ハニ」となった)と解します。

 また、この「ハ(ン)ギ・イア・ツ」は「(蒸し焼き穴のような)竪穴(式の住居)に・実に・住んでいる(人。土着の民族)」とも解することができます。これも崇神征服王朝説に合致するものです。)

  「カプ・チ」、KAPU-TI(kapu=hollow of the hand;ti=throw,cast)、「手のひらの窪み(のような地形の場所)に・位置している(地域)」

  「アオ・タマ・カケ」、AO-TAMA-KAKE(ao=daytime,cloud,dawn,bright;tama=son,child;kake=ascend,be superior to,overcome)、「次の・子が・優秀な(鳶が鷹を生んだ・首長)」

の転訛と解します。

 

208F1大彦(オホビコ)命

 208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊208E1鬱色謎(ウツシコメ)命の第1子です。

 紀は、命を阿部(アベ)臣・膳(カシハデ)臣・阿閉(アヘ)臣・狭狭城山(ササキノヤマ)君・筑紫(ツクシ)国造・越(コシ)国造・伊賀(イガ)臣7族の始祖とし、記は、大毘古(オホビコ)命の子の建沼河別(タケヌナカハワケ)命は阿部(アベ)臣等の祖、子の比古伊那許士別(ヒコイナコジワケ)命は膳(カシハデ)臣の祖とします。

 この「おほびこ」、「たけぬなかはわけ」、「あべ」、「ひこいなこじわけ」、「かしはで」は、

  「オホ・ヒコ」、OHO-HIKO(oho=wake up,arise;hiko=move at random or irregularly)、「すっくと立っている・各地を遍歴(転戦)した(命)」

  「タケ・ヌイ・ナ・カハ・ワカイ(ン)ガ」、TAKE-NUI-NA-KAHA-WAKAINGA(take=stump,base of a hill,origin,chief;nui=large,many;na=belonging to,satisfied;kaha=strong,strength,rope,line of ancestry;wakainga=distant home)、「どっしりとした・偉大な・先祖の血統を嗣ぐ者に・擬せられた・遠い住居に住む(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「アペ」、APAI(front wall of a house)、「家の正面のような(氏族の代表格の・部族)」

  「ヒコ・イ・ヌイ・コチ・ワカイ(ン)ガ」、HIKO-I-NUI-KOTI-WAKAINGA(hiko=move at random or irregularly;i=past tense,beside;nui=large,many;koti=cut in two,divide;wakainga=distant home)、「(出身地を)遠く・離れて・各地を遍歴する・遠い住居に住む(命)」

  「カ・チ・ハテペ」、KA-TI-HATEPE(ka=take fire,burn;ti=throw,cast;hatepe=cut off,proceed in an orderly manner)、「(食材を)キチンと処理して(切り刻んで)・火に・かける(料理する、調理に長けた・部族)」(「ハテペ」の語尾の「ペ」が脱落した)

の転訛と解します。

 

208F2稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊

 208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊208E1鬱色謎(ウツシコメ)命の第2子(記は第3子)で、209開化天皇となります。

 209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊の項を参照してください。

 

208F3倭迹迹(ヤマトトト)姫命

 208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊208E1鬱色謎(ウツシコメ)命の第3子です(記には倭迹迹(ヤマトトト)姫命の名を記さず、紀の一書にいう208F4少彦男都心(スクナヒコヲココロ)命(記は少名日子建猪心(スクナヒコタケイゴコロ)命)の名を記します)。

 この「やまととと」は、

  「イア・マト・タウタウ」、IA-MATO-TAUTAU(ia=indeed;mato=deep swamp;tautau=tie in bunches,pendulous)、「実に・大きな沼地がある地域(大和国)を・一つにまとめた(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

の転訛と解します。

 

208F4少彦男心(スクナヒコヲココロ)命

 紀の一書は、208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊208E1鬱色謎(ウツシコメ)命の第3子を倭迹迹(ヤマトトト)姫命でなく少彦男心(スクナヒコヲココロ)命とし、記は、少名日子建猪心(スクナヒコタケイゴコロ)命とします。

 この「すくなひこをこころ」、「すくなひこたけいごころ」は、

  「ツクヌイ・ヒコ・オ・ココロ」、TUKUNUI-HIKO-O-KOKORO(tukunui=main body of an army,large;hiko=move at random or irregularly;o=the...of;kokoro=old man)、「(軍隊を率いる)将軍で・あちこち転戦した・かの・老人(命)」

  「ツクヌイ・ヒコ・タカイ・ウイ・ココロ」、TUKUNUI-HIKO-TAKAI-WHI-KOKORO(tukunui=main body of an army,large;hiko=move at random or irregularly;takai=wrap up,wind round;whi=can,be able;kokoro=old man)、「(軍隊を率いる)将軍で・あちこち転戦し・統率することが・できた・老人(命)」

の転訛と解します。

 

208F5彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)命

 208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊208E2伊香色謎(イカガシコメ)命の子です(記は比古布都押之信(ヒコフツオシノマコト)命とします)。

 紀は命を武内宿禰(タケシウチノスクネ)の祖父と記し、記は命が、尾張連等の祖の意富那毘(オホナビ)の妹の葛城之高千那(カヅラギノタカチナ)毘売を娶って生まれた味師内宿禰(ウマシウチノスクネ)は山代の内臣の祖となり、木国造の祖の宇豆比古(ウヅヒコ)の妹の山下影(ヤマシタカゲ)日売を娶って生まれた建内宿禰(タケウチノスクネ)の子は波多八代(ハタノヤシロ)宿禰ほか9人あって、そのうちの蘇賀石河(ソガノイシカハ)宿禰は蘇我臣等の祖とします。

 この「ひこふつおしのまこと」、「おほなび」、「たかちな」、「うましうちのすくね」、「うづひこ」、「やましたかげ」、「たけしうち(たけうち)のすくね」、「そがのいしかは」は、

  「ヒコ・フツ・オチ・ノ・マカウ・ト」、HIKO-HU-TU-OTI-NO-MAKAU-TO(hiko=move at random or irregularly;hu=hill,promontry;tu=stand,settle;oti=finished,gone or come for good;no=of;makau=spouse,object of affection,favourite;to=drag)、「あちこち転戦した・岡の上に・陣取って・(指揮するだけで)うまくいった・家族を・同伴した(命)」(「マカウ」のAU音がO音に変化して「マコ」となった))

  「オホ・ナピ」、OHO-NAPI(oho=wake up,arise(ohooho=of great value,needing care);napi=cling tightly)、「偉大な・(自分の考えに)固執する(首長)」

  「タカ・チ・ヌイ」、TAKA-TI-NUI(taka=heap,lie in a heap;ti=throw,cast;nui=large,many)、「非常に・高い場所に・(隔絶して)住んでいる(姫)」(「葛城」については、202B葛城(カズラキ)の高丘(タカオカ)宮の項を参照してください。)

  「ウマ・チウ・チ・ノ・ツクヌイ」、UMA-TIU-TI-NO-TUKUNUI(uma=bosom,chest;tiu=soar,swing,strike at with a weapon;ti=throw,cast,overcome;no=of;tukunui=main body of an army,large)、「胸を・武器で撃たれて・死んだ・(軍隊を率いた)将軍」

  「ウツ・ヒ・コ」、UTU-HI-KO(utu=return for anything,make response;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「反応が速い・身分の高い・男子」

  「イア・マ・チタハ・カケ」、IA-MA-TITAHA-KAKE(ia=indeed,current;ma=white,clean;titaha=lean to one side,decline;kake=ascend,be superior to)、「実に・清らかな・何事にも・優秀な(姫)」

  「タケ・チウ・チ・ノ・ツクヌイ」、TAKE-TIU-TI-NO-TUKUNUI(take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;tiu=soar,swing,strike at with a weapon;ti=throw,cast,overcome;no=of;tukunui=main body of an army,large)、「どっしりとした・武器で撃たれて・死んだ・(軍隊を率いた)将軍」(紀記には武内宿禰の薨年・薨所・年齢も、戦死したとの記載もありませんが、『因幡国風土記』逸文には「仁徳天皇55年3月に360余歳で因幡国に下向され、亀金に二つの履を残して御陰所(ミカクレドコロ)知れず」とあり、この不審死がそれにあたるものでしょうか。)または「タケ・ウチ・ノ・ツクヌイ」、TAKE-UTI-NO-TUKUNUI(take=stump,base of a hill,origin,chief,incantation;uti=bite;no=of;tukunui=main body of an army,large)、「呪術を・囓った(少しかかわった)・(軍隊を率いた)将軍」(「呪術を・囓った(少しかかわった)」というのは、神功皇后摂政前紀仲哀9年3月条に「皇后自ら神主となり、武内宿禰に命じて琴を撫(ヒ)かせ、中臣烏賊津使主を喚して審神者(サニハ)とした」とあることによるものと思われます。)

  「タウ(ン)ガ・ノ・イチ・カワ」、TAUNGA-NO-ITI-KAWA(taunga=become familiarised,become intimate,bond of connection between families;no=of;iti=small,compact;kawa=heap,channel,passage between rocks and shoals)、「小さな・川のほとりに・住む・家族の絆が堅い(または絆を大切にする・部族)」

の転訛と解します。

 

208F6武埴安彦(タケハニヤスヒコ)命

 208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊208E3埴安(ハニヤス)媛の子です(記は建波邇夜須毘古(タケハニヤスビコ)命とします)。

 この「たけはにやすひこ」は、

  「タケ・ハニ・イア・ツ」、TAKE-HANI-IA-TU(take=stump,base of a hill,origin,chief;hani=a carved weapon used mainly by chiefs,speak ill of,disparage;ia=indeed;tu=stand,settle)、「どっしりとした・(王しか持てない)特別の武器を・実に・持っていた(命)」または「どっしりとした・本当に・悪人と謗られて・いる(命)」

の転訛と解します。この「埴安(ハニヤス)」については、208E3埴安(ハニヤス)媛の項を参照してください。

 

208G剱池嶋上(ツルギノイケノシマノウヘ)陵

 紀は剱池嶋上(ツルギノイケノシマノウヘ)陵(所在地を『延喜式』は大和国高市郡と、『陵墓要覧』は橿原市大字石川字剱池上とします)とし、記も「剱池の中の岡の上」とします。

 この「つるぎのいけ」は、

  「ツルキ・ノ・イケ」、TURUKI-NO-IKE(turuki=grow up in addition,come as a supplement;no=of;ike=strike with a hammer or other heavy instrument)、「金槌で叩いてできた窪み(池)・の・(先に堤防を)付け足して大きくした(溜池)」

の転訛と解します。(地名篇(その五)の奈良県の(48)剱池の項を参照してください。)

   

 

[209開化天皇]

 

209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊

 208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊208E1鬱色謎(ウツシコメ)命の第2子(記は第3子)です。

 この「わかやまとねこひこおほひひ」は、

  「ウアカハ・イア・マト・ネイ・コ・ヒコ・オホ・ヒヒ」、UAKAHA-IA-MATO-NEI-KO-HIKO-OHO-HIHI(uakaha=vigorous,difficult;ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;ko=addressing to males and girls;hiko=move at random or irregularly;oho=wake up,arise;hihi=pull up,draw up)、「精力的に・実に・大きな沼地がある地域(大和国)の・(世の中を揺るがす)騒ぎを引き起こした(天皇位を回復しその権威を引き上げる行動を起こした)・各地を遍歴した・すっくと立っている・(大和朝廷の地位を)引き上げた(尊)」(「ウアカハ」のH音が脱落して「ワカ」となった)

の転訛と解します。

 

209B春日(カスガ)の率川(イザカハ)宮

 記も春日の伊邪河(イザカハ)宮とします。

 この「いざかは」は、

  「イタ・カワ」、ITA-KAWA(ita=tight,fast,compact;kawa=heap,channel,passage between rocks and shoals)、「細い・川のほとり(の・宮)」

の転訛と解します。「春日」、「率川」については、202E3糸織媛の項および地名篇(その五)の奈良県の(3)のb春日g率川神社の項を参照してください。

 

209C1大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊

 父は208A大日本根子彦國牽(オホヤマトネコヒコクニクル)尊の項を参照してください。

 

209C2鬱色謎(ウツシコメ)命

 母は208E1鬱色謎(ウツシコメ)命の項を参照してください。

 

209D1大彦(オホビコ)命

 208F1大彦(オホビコ)命の項を参照してください。

 

209D2倭迹迹(ヤマトトト)姫命

 208F3倭迹迹(ヤマトトト)姫命の項を参照してください。

 

209D3少彦男心(スクナヒコヲココロ)命

 208F4少彦男心(スクナヒコヲココロ)命の項を参照してください。

 

209D4彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)命

 208F5彦太忍信(ヒコフツオシノマコト)命の項を参照してください。

 

209D5武埴安彦(タケハニヤスヒコ)命

 208F6武埴安彦(タケハニヤスヒコ)命の項を参照してください。

 

209E1伊香色謎(イカガシコメ)命

 紀は皇后を物部(モノノベ)氏の遠祖大綜麻杵(オホヘソキ)の娘、庶母である208E2伊香色謎(イカガシコメ)命とし、209F2御間城入彦五十瓊殖(ミモキイリビコイニエ)尊(210崇神天皇)を生んだとします。記は209F2御真木入日子印恵(ミモキイリヒコイニエ)命と209F3御真津(ミマツ)比売命を生んだとします。

 

209E2丹波竹野(タニハノタカノ)媛

 紀は妃を丹波竹野(タニハノタカノ)媛とし、209F1彦湯産隅(ヒコユムスミ)命(亦の名、彦蒋簀(ヒコモス)命)を生み、記は妃を旦波(タニハ)の大縣主の由碁理(ユゴリ)の娘、竹野(タカノ)比売とし、比古由牟須美(ヒコユムスミ)命を生んだとします。

 この「たかの」、「たには」、「ゆごり」は、

  「タカ・ナウ」、TAKA-NAU(taka=heap,lie in a heap;nau=come,go)、「お高く・止まっている(姫)」

  「タニワ」、TANIWHA(a fabulous monster,chief,prodigy)、「驚嘆すべき大首長(またはその国)」(地名篇(その三)の京都府の(20)丹波国の項を参照してください。)

  「イ・フ・(ン)ゴリ」、I-HU-NGORI(i=past tense;hu=desire;ngori=weak)、「気が・弱くなった(首長)」(「イ・フ」のH音が脱落して「イ・ウ」から「ユ」となった)

の転訛と解します。

 

209E3姥津(ハハツ)媛

 紀は妃を和珥(ワニ)臣の遠祖、姥津(ハハツ)命の妹の姥津(ハハツ)媛とし、209F4彦坐(ヒコイマス)王を生み、記は妃を丸邇(ワニ)臣の祖、日子國意祁都(ヒコクニオケツ)命の妹、意祁都(オケツ)比売とし、日子坐(ヒコイマス)王を生んだとします。

 この「ははつ」、「おけつ」、「わに」、「ひこくにおけつ」は、

  「ハハ・ツ」、HAHA-TU(haha=savoury,deserted,seek;tu=stand,settle)、「良い評判が・ある(姫、命)」

  「ウア・オケ・ツ」、UA-OKE-TU(ua=particle used in expostulation;oke=struggle,be eager;tu=stand,settle)、「(熱心のあまり)突進するのを・諫める・ことをした(姫)」(「ウア・オケ」が「ウォ・ケ」から「オケ」に変化した)

  「ワニ」、WANI(scrape,comb the hair,defame)、「(土地の表面が洪水などで)掻き均らされた(地域。そこに住む部族)」

  「ヒコ・クニ・オケ・ツ」、HIKO-KUNI-OKE-TU(hiko=move at random or irregularly;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;oke=struggle,be eager;tu=stand,settle)、「国中を・遍歴して回った・(熱心のあまり)突進するのを・諫める・ことをした(命)」(「ウア・オケ」が「ウォ・ケ」から「オケ」に変化した)

の転訛と解します。(上記の解釈は、記の意祁都(オケツ)比売には、妹の袁祁都(オケツ)比売があって日子坐(ヒコイマス)王と結婚したことが見えており、この意祁(オケ)、袁祁(オケ)が224仁賢天皇、223顕宗天皇の名と一致することを前提としました。オリエンテーション篇の3の(3)ぼけ山古墳の項を参照してください。)

 

209E4鷲(ワシ)比売

 記は妃を葛城の垂見(タルミ)宿禰の娘、鷲(ワシ)比売とし、209F5建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)を生んだとします。

 この「わし」、「たるみ」は、

  「ワチ」、WHATI(be broken off short)、「(心労で)ぼろぼろになつた(姫)」

  「タル・ミヒ」、TARU-MIHI(taru=shake,overcome,painful;mihi=greet,admire)、「悩みが多い・尊崇すべき(将軍)」

の転訛と解します。

 

209F1彦湯産隅(ヒコユムスミ)命

 209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊209E2丹波竹野(タニハノタカノ)媛の子で、亦の名を彦蒋簀(ヒコモス)命とします。

 この「ひこゆむすひ」、「ひこもす」は、

  「ヒコ・イフ・ムツ・ヒ」、HIKO-IHU-MUTU-HI(hiko=move at random or irregularly;ihu=nose;mutu=completed,finished;hi=raise,rise)、「各地を遍歴して・最後に・鼻を・高くした(命)」

  「ヒコ・モツ」、HIKO-MOTU(hiko=move at random or irregularly;motu=severed,separated,move to a distance)、「(故郷を)遠く離れて・各地を遍歴した(命)」

の転訛と解します。

 

209F2御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリヒコイニエ)尊

 209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊の第2子、尊と209E1伊香色謎(イカガシコメ)命の子(記は第1子)で、後の210崇神天皇です。

 この「みまきいりひこいにゑ」は、

  「ミヒ・マキ・イリ・ヒ・コ(ヒコ)・イノイ・ウエ」、MIHI-MAKI-IRI-HI-KO(HIKO)-INOI-UE(mihi=greet,admire,sigh for;maki=invalid,sore;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls;(hiko=move at random or irregularly);inoi=beg,pray,prayer;ue=push,shake,affect by an incantation)、「病人(疫病の蔓延)を・悲しんで・夢占いをした・身分の高い・男子(または各地を遍歴した者)で・巫覡に・神を祭らせた(尊)」

の転訛と解します。(古典篇(その一)の2「ミマキイリヒコ・イニエ」の解釈の項を参照してください。)

 

209F3御間津(ミマツ)比売命

 記は209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊209E1伊香色謎(イカガシコメ)命の第2子とします。

 この「みまつ」は、

  「ミヒ・マ・アツ」、MIHI-MA-ATU(mihi=greet,admire,sigh for;ma=go,come;atu=to indicate a direction or motion onwards;ma atu=let us go on)、「(疫病の蔓延を)悲しんで・(困難に)立ち向かった(姫)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 

209F4彦坐(ヒコイマス)王

 209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊209E3姥津(ハハツ)媛(記は意祁都(オケツ)比売とします)の子です。

 この「ひこいます」は、

  「ヒコ・イ・マ・アツ」、HIKO-I-MA-ATU(hiko=move at random or irregularly;i=past tense;ma=go,come;atu=to indicate a direction or motion towards,to indicate reciprocated action)、「(本拠から)出入・して・各地を遍歴した(王)」

の転訛と解します。

 

209F5建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)

 記は209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊209E4鷲(ワシ)比売の子とします。

 この「たけとよはづらわけ」は、

  「タケ・トイ・イオ・ハ・ツラハ・ワカイ(ン)ガ」、TAKE-TOI-IO-HA-TURAHA-WAKAINGA(take=stump,base of a hill,origin,chief;toi=move quickly,encourage;io=muscle,spur,lock of hair;ha=breath,what!;turaha=keep away,be separated,open;wakainga=distant home)、「どっしりとした・疲れを知らずに・敏速に行動する・たいへん・離れている・遠い住居に住む(首長)」(「トイ」の語尾のI音と「イオ」の語頭のI音が連結して「トヨ」と、「ツラハ」のH音が脱落して「ツラ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

209G春日率川坂本(カスガノイザカハノサカモト)陵

 紀は春日率川坂本(カスガノイザカハノサカモト)陵(一書には坂上(サカノウヘ)陵。『延喜式』に「春日率川坂上陵。在大和国添上郡」と、『陵墓要覧』に所在地を「奈良市油坂町」とします。)と、記は「伊邪河の坂の上に在り」とします。

 
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<修正経緯>

1 平成14年1月1日 

 201A,203E1,204A,206A,207A,207F2,207F4,208A,208F3,209Aの項の「やまと(大和国)」、「なかつ」、「わか」について修正をおこないました。

2 平成15年5月1日

 209E3姥津(ははつ)媛の項の「和珥(わに)」の解釈を修正しました。 

3 平成15年9月1日  

 全般について見直しを行い、201A神日本磐余彦の項をはじめとして、201A3、 201A5、 201D3、 201F1、 201F2、 202A、 203A、 203E1、203F1、 203H1、 204A、 205A、 205F1、 205E1、 206A、 206F1、 207A、 207E4、 207F5、 207G、 208A、 208E3、208F1、208F6、 209A、209F3および209F5の項の一部を修正しました。

4 平成17年6月1日

 201H10、205E1および207F3の項の一部を修正しました。

5 平成19年2月15日

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<修正経緯>の新設、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

6 平成19年7月1日

 201A1、201H3、201H4、207A、208A、209Aの項の一部(ヤマトネコの解釈ほか)を修正しました。

7 平成19年9月20日

 207F2の項(倭迹迹日百襲姫命の解釈)の一部を修正しました。

8 平成24年4月1日

 206B室の秋津嶋宮の項の一部を修正しました。

古典篇(その六) 終わり

 
U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
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