(平成13-4-15書込み。28-11-1最終修正)(テキスト約62頁) |
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[雑楽篇は収録語彙数が多くなりましたので二つに分割し、
<民俗語彙・方言語彙・歴史語彙>を雑楽篇(その一)に、
<一般語彙>を雑楽篇(その二)に再編成しました。]
101ねぶた(ねぷた)/102ねぶりながし(かんとう)/103なまはげ/104やまはげ・なもみはぎ・なごめはぎ・あまのはぎ/105ふりゅう(風流、浮立)/106みこ(巫女)/107いたこ(巫女)/108いちこ(巫女)/109あさひ(巫女)/110あずさ(巫女)/111わか(巫女)/112おかみん(巫女)/113おなかま(巫女)/114ごみそ(巫女)/115ゆた(巫女)・まぶいぐみ(魂篭め)/116かんかかりゃー(巫女)/117ぬる(祝女)/118のろ(巫女)/119つかさ(神司)/120にーがん(根神)/121かぐら(神楽)/122御幣(ごへい。みてぐら。おんぬさ。おんべ)・紙垂(しで)/123ぼんてん(梵天)・ほで・ほうでん/124蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦(こたん)・武塔(むたふ)の神/125左義長(さぎちょう)・とんど焼き・さいと焼き・さんくろう(三九郎)焼き・おんべ焼き・塞(さい。さえ)の神/126ほがほが・やらぐろ・あらくろすり/127えんぶり/128おこない(行)・頭屋(とうや)/129さなぶり・さのぼり・しろみて/130サンバイさん(田の神)/131あえのこと/132枠旗(わくはた)行事/133越中おわら節/134ヒンココ祭/135巻藁(まきわら)船・車楽(だんじり)船/136儺追(なお)い祭/137棒(ぼう)の手/138シロンゴ祭/139繞道(にょうどう)祭/140おんだ(御田)祭/141だだ押し/142ホーランヤ祭/143おけら(白朮)祭/144サンヤレ祭/145どやどや祭/146会陽(えよう)・シンギ(神木、宝木)/147数方庭(すほうてい)神事/148博多どんたく/149玉せせり行事/150ドーランジャー/151久連子(くれこ)踊り/152古表(こひょう)祭・傀儡(くぐつ)/153セッペトベ踊り/154ガウンガウン祭/155ソラヨイ行事/156ボゼ/157しにれく(志仁礼久)・あまみこ(阿摩彌姑)/158アラセツ・ヒラセマンカイ/159斎場御嶽(せーふぁうたき)・久高(くだか)島・イザイホー・園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)/160ニライカナイ・ウンジャミ(またはウンガミ)・シヌグ/161エイサー/162ハーリー(船)競争/163アンガマ/164プーリ祭/165パーント神・赤マタ黒マタ/166みあれ神事/167ひもろき(神籬)/168おはけ/169おばけ/170かみあしゃぎ(神アシャギ)・とぅん(殿)/171はれ(晴)・け(褻)/172たなばた(七夕)/173らっぽしょ・だっぽしょう/174けんけと祭/175げーたー祭・あわ<.a>/176ひようげ祭/177おくんち・くんち/178へとまと・へんが/179ちちんぷいぷい/180くわばらくわばら(桑原桑原)/181のるかそるか/182あらはばき神(荒吐神)/183鳥居(とりい)/184採物(とりもの)/185取舵(とりかじ)・面舵(おもかじ)・ようそろ/186御田植祭・ごんばうちわ/187うるう(閏)/188ついたち(朔日)・つごもり(晦日)/189オビシャ・オトウ・トウバン・オトウワタシ・オニッキ・ゴシンタイ
201いごっそう/202はちきん/203もっこす/204ぼっけもん/205かばちたれ/ 206わっしょい/207せいや/208そいや/209てえふれてふれ/210さいれいさいりょう/211ほーらんえんや/212あいの風/213あなじ(風)・あなし(風)・あなぜ(風)/214いなさ(風)/215おろし(風)/216こがらし(木枯らし)/217こち(東風)/218だし(出し風)/219たま風・たば風/220ならひ(ならい)/221野分(のわき)/222はえ(南風)・みなみ(南風)/223はやて(早手、疾風)/224ひかた/225まじ(真風)・まぜ(真風)/226ほう(突風)/227まつぼり風/228やまじ(風)/229やませ(風)/230じあめ(地雨)・雨(あめ)/231きり(霧)・狭霧(さぎり)・かすみ(霞)・もや(靄)/232きりさめ(霧雨)・ぬか雨・こぬか雨・こさめ(小雨)/233むらさめ(村雨)・しぐれ(時雨)・ひさめ(氷雨)/234さみだれ(五月雨)・つゆ(梅雨)/235ゆうだち(夕立)/236ほまち雨/237かみなり(雷)・いかずち(雷)・いなずま(稲妻)・はたたがみ(霹靂・霆)/238にじ(虹)/239ゆき(雪)・なだれ(雪崩)・なで(雪崩)・じぬげ(全層雪崩)・わかば(表層雪崩)・わす(表層雪崩)/240みぞれ(霙)・あられ(霰)・ひょう(雹)/241あわ(淡)雪・かたびら雪・たびら雪・だんびら雪/242こおり(氷)・ひ(氷)・つらら(氷柱)/243しも(霜)/244うすらい(薄氷)/245よな曇り・胡沙(こさ)曇り/246居久根(いぐね)・久根(くね)/247垣入(かいにょ)/248間垣(まがき)/249輪中(わじゅう)/250卯建(うだつ)/251柿(こけら)葺/252狛犬(こまいぬ)/253シーサー/254ばんどり/255こけし(人形)/256いじこ・えじこ・いずみ・つぐら・つぶら・くるみ・ふご/257中馬(ちゅうま)/258借耕(かりこ)牛・預(あず)け牛・鞍下(くらした)牛/259河童(かっぱ。えんこう。がわたろ)・ひょうすんぼ(ひょうすべ)/260吉四六(きっちょむ)/261ヒンプン/262いちごに(いちご煮)・かぜ(ウニ)・あんび(鮑)・かづき(素潜り漁師)/263ずんだもち(ずんだ餅)/264どんがらじる(どんがら汁)/265しもつかれ/266かんこやき(かんこ焼き)・びりんばい(びりん灰)/267のっぺいじる(のっぺい汁)/268じぶに(治部煮)/269さばのへしこ/270ほうとう/271ままかりすし(ままかり寿司)・サッパ/272ぼうぜのすがたずし(ぼうぜの姿寿司)・いぼだい・えぼだい/273じゃこてん(じゃこ天)・ほたるじゃこ・はらんぼ/274かつおのたたき/275がめに(がめ煮)/276すこずし(須古寿し)/277きびなごりょうり(きびなご料理)・かなぎ・はまご/278ゴーヤーチャンプルー/279がんがんあな(がんがん穴)/280いしる(魚汁)・よしる・いしり・よしり/281けのしる(けの汁)/282けんちんじる(巻繊汁)/283ごじる(呉汁)/284さんぺいじる(三平汁)/285じゃっぱじる(じゃっぱ汁)/286はららじる(はらら汁)・はららごじる(はららご汁)/
301いらつこ・いらつめ/302いろせ・いろね・いろと(いろど)・いろも/303なせ/304まま/305いらしね/306しょう/307ほう /308ひみこ(卑弥呼)/309みこと(尊、命)/310すめらみこと(天皇)/311みことのり(詔勅)/312のりと(祝詞)/313みこともち(宰、司)/314かんなぎ(巫、覡)/315みかんこ(御巫)/316ねぎ(祢宜)/317はふり(祝)/318もののべ(物部)/319ものいみ(物忌)・おおものいみ(大物忌・神社)/320もののけ(物怪)/321もののふ(武士)/322つわもの(強者、兵器)/323いんべ(忌部、斎部)/324なかとみ(中臣)/325おおとも(大伴)/326くめ(久米)/327さえき(佐伯)/328うけひ(誓。誓約)・うけひがり(祈狩)/329都牟刈(つむがり)大刀・草那藝(くさなぎ)大刀・天叢雲(あめのむらくも)剣/330もがり(殯)・あらき(殯)・ほなしあがり(无火殯斂)/331誄(しのびごと)/332大嘗(おほなめ)・新嘗(にひなめ)・会(ゑ)・由機(悠基。ゆき)国・須岐(主基。すき)国/333猶良比(なほらひ)・豊明(とよのあかり)/334臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)/335姓(かばね)・眞人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)/336子代(こしろ)・屯倉(みやけ)・村首(むらのおびと)・部曲(かきべ)・大夫(まへつきみ)/337郡司(こほりのみやつこ)・関塞(せきそこ)・斥候(うかみ)・防人(さきもり)・駅馬(はいま)・伝馬(つたはりうま)・坊令(まちのうながし)・里(さと)の長(をさ)/338縣主(あがたぬし)/339仕丁(つかへのよほろ)・采女(うねめ)/340舎人(帳内。とねり)/341健児(こんでい。ちからひと)・儲士(ぢょし。まうけひと)・選士(せんし)/342兄(え)・弟(おと)/343大兄(おほえ)/344刀自(戸母。とじ)・大刀自(夫人。おほとじ)/345能美(のみ)の御幣(みまひ)の物・都摩杼比(つまどひ)・まとい(纏)/346韓人(からひと)/347潦水(にはたづみ。いさらみず)/348かぎろひ・かげろう(陽炎)/349うわなり打ち・こなみ/350らまと・おおみこと(詔旨)/351のろし(烽火)・とぶひ(烽)/352頭槌(かぶつち)剣/353穢多(えた)・長吏(ちょうり)・かわた/354牧(まき)/355内匠(たくみ)寮・玄蕃(げんば。ほふしまらひと)寮・主計(かずえ。かずふる)寮・主税(ちから)寮・大炊(おほゐ。おほひ)寮・主殿(とのもり)寮・掃部(かにもり。かもん)寮・正親(おほきみ)司・主水(もひとり。もいとり)司・勘解由(かげゆ)使/356つかさ(司)・かみ(長官)・すけ(次官)・じょう(判官)・さかん(主典)/357はく(伯)・おとど(大臣)・だいぶ(大夫)・べっとう(別当)・ぶぜん(奉膳)・てんぜん(典膳)・ししょう(史生)・しぶ(使部)/358たちはき(帯刀)・ことり(部領)・わき(脇)・つれ(連)/359さなき(佐奈伎。鐸)・さなぎ(蛹)・すず(鈴)・ぬりて(鐸)・ぬて(鐸)・ちまき(茅纏)・うけ(宇気槽)・さるめ(猿女)・おこう(神使)/360にえ(贄)・そわりつもの(調副物)/361きぬ(絹)・かとり(絹)・あしきぬ(?。糸偏に施の旁)・つむぎ(紬)/362あや(綾)・にしき(錦)・はぶたえ(羽二重)・ちりめん(縮緬)・しゅす(繻子)・りんず(綸子)・どんす(緞子)/363のり(規範。法。則)・つみ(罪)・はらえ(祓)・ちくらのおきと(千倉の置戸)・かむやらひ(神逐)・わざはひ(災)/364畔放(あはなち)・溝埋(みぞうみ)・樋放(ひはなち)・頻蒔(しきまき)・串刺(くしざし)・生剥(いけはぎ)・逆剥(さかはぎ)・屎戸(くそへ)/365白人(しろひと)・胡久美(こくみ)/366かなぎ(金木)・すがそ(菅麻)・やはり(八針)・いゑり・しなど(科戸)/367さんじゅのおほはらひ(三種の太祓)・とふかみえみため・かんごんしんそんりこんだけん/368かがみ(鏡)/369えみし(愛彌詩。蝦夷。蝦荻。毛人)・いまえみし(今毛人)/370ひのり(比嚢利)・ももな(毛々那)/371あずまのひな(東夷)・あずまえびす(東夷)・えびす(恵比寿)/372えぞ(蝦夷)・ひのもと(日ノ本)・からこ(唐子)・わたりとう(渡党)/373みしはせ(粛愼)・あしはせ(末曷)/
旧暦7月7日の七夕の行事で、この日の朝に「ネブタ流し」・「ネムタ流し」などといって川の笹飾りやネムノキ、灯篭などを流す行事が東北地方や関東地方を中心によく見られます。
これは「ねぶた」という言葉を「眠気・睡魔」と解して「夏期の睡魔を払う眠流し」であるねぶた行事に災厄を払うための人形流し、盆の精霊送りである灯篭送りなどが習合したものと一般に考えられています。
灯篭祭りの形態は北東北に多く、秋田県鹿角市毛馬内の切り子灯篭、同県花輪市の角灯篭、同県能代市の屋台灯篭のほか、青森市の人形灯篭、弘前市の扇灯篭は特に大型で美しく有名です。
現在青森ねぶたは8月2〜7日、弘前ねぷたは1〜7日の夜、飾り灯篭の周りを賑やかな囃子とともに跳子(はねこ)という多数の勢子がかけ声をかけ、踊り跳ねながら街を練り歩きます。
この「ねぶた(ねぷた)」は、マオリ語の
「ネイ・プタ」、NEI-PUTA(nei=to indicate continuance of action or sometimes merely sequence of events;nei,neinei=stretch forward,wagging,vacillating,bobbing up and down;puta=move from one place to another,pass through in or out)、「(飾り灯篭が)巡行する(祭り)」または「(跳子(はねこ)が飾り灯篭の周りで)飛び跳ねながら巡行する(祭り)」
の転訛と解します。
したがって、この祭りの形式としては、神社の祭礼における御輿や山車の巡行と同様で、その本質は、単なる灯篭祭りであって、「夏期の睡魔を払う眠流し」ではないのです。
このことは、津軽方言の中の「ねぶたッコ(立てる)」という言葉の意味にも表れています。この「ねぶた」は決して「眠気」の意味ではないのです。
岡村道雄『縄文の生活誌』(日本の歴史01、講談社、平成12年10月。この本は、出版してまもない同年11月に藤村新一氏による旧石器遺跡ねつ造事件が発覚したため、平成14年11月を目途に旧石器時代関係の部分を書き直して新版を発行することが予定されています)に、上記の解釈を裏付ける記事があります。 同書(初版)270ページには、集落の中央に祖先の墓地をもつ中部・関東地方の環状集落の成立の説明として、「円滑な人間関係を保ちたいときや集会をスムーズに運営したいとき、また居住地を設定する際、中心を空にしておくと平等を保ちやすく、”環”は最も安定した構造といわれている。たとえば青森県津軽地方では、集団を統率・維持するために中心となる人物が必要な場合、任意に人を選んで据えることを「ねぶたッコ立てる」と呼び、集団の安定をはかる方法にしているという。」とあります。
この「ねぶたッコ」は、マオリ語の
「ネイ・プタ・コ」、NEI-PUTA-KO(nei=to indicate continuance of action or sometimes merely sequence of events;puta=move from one place to another,pass through in or out;ko=addressing males and females)、「通り過ぎていく人(順番など、その時かぎりで集団の代表役を務める者)」の転訛と解します。
竿灯は、秋田市の七夕行事で、10数メートルの長い竹竿に9本の横竹を張り、46個または48個の高張り提灯を吊った重さ60キログラムの竿灯を手のひら、肩、腰で支えて立てて歩くものです。
明治14(1881)年天皇陛下東北巡幸の際に「かんとう」と呼称するまでは、「ねぶりながし(眠り流し)」と呼んでいたとされ、夏に身体のけがれや睡魔を水に流し払って活力を取り戻そうとする習俗から生まれたものといわれています。
しかし、この「ねぶり」も「睡魔」ではありません。
この「ねぶりながし」は、マオリ語の
「ネイ・プリ・(ン)ガ(ン)ガ・チア」、NEI-PURI-NGANGA-TIA(nei=to indicate continuance of action or sometimes merely sequence of events;nei,neinei=stretch forward,wagging,vacillating,bobbing up and down;puri,pupuri=hold in the hand,keep,sacred;nganga=breathe heavily or with difficulty;tia=peg,stake)、「竿を支えて荒い息をつきながら巡行する(行事)」
の転訛(「(ン)ガ(ン)ガ」の語頭のNG音がN音に、語尾のNG音がG音に変化して「ナガ」と、「チア」の語尾のA音が脱落して「チ」から「シ」となった)と解します。
なお、この「かんとう」という呼称は、明治14年以前から一部にはあったのではないかと想像されます。そうしますと、非常によくこの行事の民俗的意味が理解できるのです。
この「かんとう」は、マオリ語の
「カナ・トウ」、KANA-TOU(kana=stare wildly,bewitch;tou=kindle,set on fire)、「灯火で睨む(多数の灯火が眼となって悪霊を睨んで追い返す行事)」
の転訛(「カナ」の語尾のA音が脱落して「カン」となった)と解します。
秋田県男鹿(おが)地方で12月31日の夜(かつては小正月の夜)に行われる民俗行事で、国指定重要無形文化財となつています。
これは、村の青年が鬼面をかぶり、蓑と腰巻をつけ、わら沓をはき、木刀を持って、2〜5人が一団となつて家々を訪れ、神棚を拝み、家の中で子供等を威嚇、怒号したのち、家の主人のもてなしを受けて、新年を祝福して去るものです。
この名称は、炉にあたってできる火だこの「なもみ」をはぎ取ることで、火だこができるような怠け者を懲らしめるという意味を持つと解されています。
しかし、この解釈については、(1)そうであればすべて「なもみはぎ」というべきで、「なもみはぎ」という地方(秋田県由利郡)は一部に過ぎず、これが「なまはげ」に転訛したにしては音が遠すぎる(「104やまはげ」で解説するように、「なまはげ」・「やまはげ」と、「なごめはぎ」・「あまのはぎ」・「なもみはぎ」の二つのグループはそれぞれ別の系統の語源に属すると解します)、(2)実際に行われる所作は、子供に対する威嚇が殆どで、(3)老若を問わず「なもみ」をはぎ取る行為は全く架空(想像)上のもので、実際に行われることはない、という疑問があります。
この「なまはげ」は、マオリ語の
「ナ・マハケ」、NA-MAHAKE(na=by,by reason of,acted on in any way of;mahake=small)、「子供の(躾の)為にする(行事)」
の転訛と解します。
「103なまはげ」と同様の民俗行事は、秋田市豊岩、秋田県雄和町では「やまはげ」、秋田県由利郡、岩手県三陸地方では「なもみはぎ」、秋田県能代市の「なごめはぎ」、秋田県象潟町、石川県能登半島では「あまのはぎ」と呼ばれています。
この「やまはげ」、「なもみはぎ」、「なごめはぎ」、「あまのはぎ」は、マオリ語の
「イア・マハケ」、IA-MAHAKE(ia=current,rushing stream,indeed;mahake=small)、「子供を襲う激流(のような躾の為にする行事)」
「ナ・モミ・パキ」、NA-MOMI-PAKI(na=by,by reason of,acted on in any way of;momi=suck,swallow up;paki=pat,clap,strike together)、「(可哀想だと思う心を)忍んで叩く(子供の躾の為にする行事)」(「パキ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハキ」から「ハギ」となつた)
「ナ・(ン)ガウ・マイ・パキ」、NA-NGAU-MAI-PAKI(na=by,by reason of,acted on in any way of;ngau=bite,hurt,attack;mai=to indicate direction or motion towards;paki=pat,clap,strike together)、「襲って皆で叩く(子供の躾の為にする行事)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に変化し、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」と、「パキ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハキ」から「ハギ」となつた)
「ア・マノ・パキ」、A-MANO-PAKI(a=the...of,belonging to,urge,compel;mano=thousand,heart,interior part;paki=pat,clap,strike together)、「心を強いて(鬼にして)叩く(子供の躾の為にする行事)」(「パキ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハキ」から「ハギ」となつた)
の転訛と解します。
風流(ふりゅう)とは、「日本芸能の一。「みやびやかな」の意から出たもので、趣向を凝らした作り物や仮装を伴う。(イ)中世の群舞。衣裳を飾って踊る。(ロ)民俗芸能の群舞。念仏踊・太鼓踊・獅子踊・小歌踊・盆踊・奴踊・練物などで、現在も広く行われる。(ハ)延年舞の演目の一群。(中略)(ニ)能楽で、特別な場合に式三番(翁)に付加して行う演目。狂言方が担当するので、狂言風流ともいう。」(『広辞苑』第4版)とされます。
また、浮立(ふりゅう)とは、風流の一種で、佐賀県を中心とした肥前一帯に見られる、華やかな作り物や仮装などをした芸能をいいます。
したがって、「101ねぶた」、「102ねぶりながし(かんとう)」もこの「ふりゅう」の一種です。
この「ふりゅう」は、マオリ語の
「フ・リウ」、HU-RIU(hu=resound,make any inarticulate sound,bubble up,noise;riu=pass by,disappear)、「騒がしい音・声を立てながら通り過ぎる(行事)」
の転訛と解します。
超自然的な存在と人々との間の媒介をする女性のシャーマンを日本では「みこ」と呼びますが、この「みこ」は他にもいくつもの名で呼ばれます。以下に解説するこれらの名称の意味は、それぞれの「本質」を明確に示しています。
『古事記』では仲哀天皇が琴を弾き、神功皇后に神が憑依して託宣をし、武内宿禰が審神者(さにわ)となって新羅征討、次期天皇の指名などを記録したとあり、『日本書紀』垂仁紀25年3月条には倭姫命に天照大神が憑依して伊勢の地に鎮座したとあるのは、記紀の時代の「みこ」の典型です。
また、神武即位前紀戊午年9月条に祈(うけひ)をして夢に天神の託宣を得たとあるのは、天皇自身が「巫覡」、「シャーマン」であったことを示しています。さらに、同神武即位前紀戊午年11月条に墨坂の戦いにおいて女軍(めいくさ)を先頭に立てて敵を欺いたとあるのは、敵を調伏する巫女の一隊を神武軍もヤソタケル軍も引き連れていたことを示しています。(地名篇(その五)の奈良県の(32)忍坂(おしさか)の項を参照して下さい。)
柳田国男は『巫女考』で巫女の本質は託宣にあるとし、突発的に神がかりし、流行神となって諸国を漂泊する者が出、全国に分散した巫女の中に系統が分かれ、それを連綿と受け継いできている者があるとしました。
宗教学では、いろいろな説がありますが、(1)一定の修行期間に師資伝授を受け、神つけの儀式などの入巫儀礼を経た東北地方のイタコ、イチコ、アサヒ、アズサ、ワカ、オカミン、オナカマ、ミコなどと呼ばれる盲目の巫女を修行巫または総称してミコと、成巫過程において精神異常や発作を伴う神秘体験をもつ(2)東北地方のカミサマ、ゴミソ、(3)南西諸島のユタやカンカカリャーなどを召命巫または行者と呼んで区別しています。また、沖縄には、(4)村落祭祀を主宰するノロ、ヌルやツカサ、(5)東北地方には近世に修験道に属して今も湯立託宣や病気治療の儀礼を行うミコ(神子)がいます。
この「みこ」は、マオリ語の
「ミコ」、MIKO(=mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness)、「鳥肌が立つ、(なんともいえない)恐怖が忍び寄つて異常に興奮する(=神がかりになつて異常な興奮状態になる・巫女)」
の転訛と解します。
なお、神の子、天皇の子の意の「みこ(御子)」は、「ミは霊力あるもの、神や天皇を指す」(岩波『古語辞典』)とされますが、この「みこ」は、マオリ語の
「ミヒ・コ」、MIHI-KO(mihi=greet,sigh for;ko=addressing girls and males)、「敬意を表すべき子」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となつた)
の転訛と解します。
東北地方の盲目の巫女の呼称です。
この「いたこ」は、マオリ語の
「イタ・カウ」、ITA-KAU(ita=tight,fast;kau=ancestor)、「(誰かの)先祖に密着する(先祖の霊が乗り移って言葉を伝える巫女)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」となった)
の転訛と解します。
東北地方の盲目の巫女の呼称で、通常生霊(いきりょう)・死霊(しりょう)の意中を述べる「くちよせ」をいいます。
この「いちこ」は、マオリ語の
「イ・チコ」、I-TIKO(i=beside,past tense;tiko=evacuate the bowels,settled upon as by frost)、「(霊が身体に)憑いた(巫女)」または「(自分の心が)空虚になった(その空間に他人の霊が入り込んだ・巫女)」
の転訛と解します。
巫女の呼称の一つです。
この「あさひ」は、マオリ語の
「アタ・ヒ」、ATA-HI(ata=shadow of human beings,reflected image,expressive of disgust;hi=raise,rise)、「人の面影を浮かび上がらせる(託宣をする・巫女)」
の転訛と解します。
巫女の呼称の一つです。梓(あずさ)弓の弦を鳴らして死霊・生霊などの口寄せをする巫女をいうとされます。
この「あずさ」は、マオリ語の
「アツア・タ」、ATUA-TA(atua=god,supernatural being,ghost;ta=dash,beat,lay)、「神が憑いた(巫女)」(「アツア」の語尾の「ア」が脱落した)
の転訛と解します。
巫女の呼称の一つです。
この「わか」は、マオリ語の
「ワカ」、WAKA(canoe,medium of an atua)、「(霊をこの世に乗せて運んでくるカヌーのような)霊媒(巫女)」
の転訛と解します。
巫女の呼称の一つです。
この「おかみん」は、マオリ語の
「オ・カミ・ヌイ」、O-KAMI-NUI(o=the...of,be capable of being contained or enclosed,belonging to;kami=eat;nui=big,large,many)、「多くの霊を自分の身体に憑依させることができる(霊媒。巫女)」
の転訛と解します。
巫女の呼称の一つです。
この「おなかま」は、マオリ語の
「アウ(ン)ガ・カマ」、AUNGA-KAMA(aunga=not including;kama=eager)、「(他人の霊を自分に憑依させることができるよう)内面(の心)を空にすることに熱意を燃やす(霊媒・巫女)」(「アウ(ン)ガ」のAU音がO音に、NG音がN音に変化して「オナ」となつた)
の転訛と解します。
巫女の呼称の一つです。
この「ごみそ」は、マオリ語の
「(ン)ガウ・ミト」、NGAU-MITO(ngau=bite,hurt,act upon,wander,raise a cry;mito=pout)、「漂泊して(言葉を)吐き出す(託宣をする・巫女)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となつた)
の転訛と解します。
沖縄本島および広く南西諸島において神懸かり状態で託宣・卜占・祈願・病気治療などを行う呪術・宗教的職能者で、殆どが女性です。多くは身内の不幸や病気で精神的不安に陥り、それを克服する過程で他のユタからの教示や、守護霊となる神霊の啓示を体験し、聖地を巡って修行を積んでユタとなるものです。
なお、身体から脱した魂をその人に戻し病気を治療することを「マブイグミ(魂篭め)」といいます。
この「ゆた」、「まぶいぐみ」は、マオリ語の
「イ・ウタ」、I-UTA(i=past tense,beside;uta=put persons or goods on board(utanga=bearer of burden))、「(霊媒という)重荷を背負った(巫女)」(「イ」のI音と「ウタ」の語頭のU音が連結して「ユタ」となった)
「マプ・イ・(ン)グ(ン)グ・ミイ」、MAPU-I-NGUNGU-MII(mapu=flow freely;i=ferment,be stirred,beside,above;ngungu=glance off,turn aside;(Hawaii)mii=umii=clamp,clasp)、「(身体から抜け出て)ふらふら浮遊して・いるもの(魂)を・(その向かっている方向から)引き戻して・(元の身体に)しっかりと繋ぎ止める(呪術)」(「(ン)グ(ン)グ」のNG音がG音に変化し、反復語尾が脱落して「グ」と、「ミイ」が「ミ」となつた)(この「マプ」は、地名篇(その四)の兵庫県の(1)河辺郡のc多田銀山の「間歩(まぶ。坑道跡)」と同じ語源です。)
の転訛と解します。
沖縄の宮古諸島において神懸かり状態で託宣・卜占・祈願・病気治療などを行う呪術・宗教的職能者で、殆どが女性です。多くは身内の不幸や病気で精神的不安に陥り、それを克服する過程で他のカンカカリャーからの教示や、守護霊となる神霊の啓示を体験し、聖地を巡って修行を積んでカンカカリャーとなるものです。
この「かんかかりゃー」は、マオリ語の
「カナ・カカリ・イア」、KANA-KAKARI-IA(kana=stare wildly,bewitch;kakari=be urgent,be importunate,quarrel,fight;ia=indeed,current)、「(霊を)じっと見据えて必死で格闘する(巫女)」
の転訛と解します。
奄美・沖縄諸島で村落祭祀を主宰する女性祭司の長の呼称です。「ヌール」とも、尊称として「ヌルクミー」、「ヌルガナシ」とも呼ばれ、「ノロ」とも言われました。
琉球王国時代、祝女は村落の祝女と宮廷の祝女に分けられ、聞得大君を長とする王国の祭司制度の末端に位置づけされ、王府から就任の認可、役地の給付を受け、祭祀の統制を受けていました。この伝統を受け継ぐ祝女を公儀祝女といい、おおむね複数の村落に1名で、村落ごとにいる「ニーガン(根神)」を束ねて祭祀に当たり、原則として特定の旧家や父系親族集団の中から選ばれ、個人の祭祀や私的祈願には関わらないものです。
この「ぬる」は、マオリ語の
「ヌイ・ル」、NUI-RU(nui=large,big,many;ru=shake,agitate)、「偉大な・(神懸りして)激しく痙攣する(巫女)」(「ヌイ」の語尾の「イ」が脱落した)
の転訛と解します。
なお、尊称の「くみー」、「がなし」は、マオリ語の
「クメ」、KUME(pull,drag,asthmatic person)、「統率する(人)」(語尾のE音がI音に変化して「クミ」となった)
「(ン)ガナ・チ」、NGANA-TI(ngana=be eagerly intent,persistent,strong;ti=throw,cast,overcome)、「熱意をもって行動する(人)」(「(ン)ガナ」のNG音がG音に変化して「ガナ」となつた)
の転訛と解します。
沖縄の村落祭祀を主宰する通常世襲の巫女の呼称で、「ヌル」と同じです。
この「のろ」は、マオリ語の
「(ン)ガウ・ロ」、NGAU-RO(ngau=raise a cry,indistinct of speech;ro=roto=inside)、「口の中ではっきりしない言葉を言う(巫女)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)
または「(ン)ガウ・ラウ」、NGAU-RAU(ngau=raise a cry,indistinct of speech;rau=hundred,multitude,entangle)、「はっきりしない言葉をいつまでも言う(巫女)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」と、「ラウ」のAU音がO音に変化して「ロ」となった)
の転訛と解します。
沖縄の宮古・八重山地方の巫女の呼称で、宮古ではくじによつて、八重山では家系によつて選ばれます。
この「つかさ」は、マオリ語の
「ツカ・タ」、TUKA-TA(tuka,tukatuka=start up,proceed forward;ta=dash,beat,lay)、「(くじ、または家系によつて)選ばれてその地位に就任する(巫女)」
の転訛と解します。
沖縄本島と周辺離島において、村落の草分けの家やその一門から選出される女性祭司で、「にがみ」ともいい、「ぬる」に束ねられます。
この「にーがん」は、マオリ語の
「ヌイ・(ン)ガナ」、NUI-NGANA(nui=large,big,many;ngana=be eagerly intent,persistent,strong)、「ずっと永続している(家系の巫女)」(「ヌイ」のUI音がI音に変化して「ニ」と、「(ン)ガナ」のNG音がG音に変化して「ガナ」から「ガン」となつた)
の転訛と解します。
神楽(かぐら)は、招魂・鎮魂の神祭に奏される芸能で、神座を設けて神々を勧請し、その前で鎮魂・清め・祓いなどの祭祀を行うものです。神楽の語源は、(1)「神座(かむくら)」の約とするのが定説とされる(吉川弘文館『日本民俗大辞典』1999年)ほか、(2)「カンラク」の音便、(3)「カム(神)エラギ(笑い楽しむ)」の約、(4)「カミカクレ(神隠)」の歌舞の義、(5)「カナゴラ(神和)」の約、(6)「カミガカリ」の転、(7)「カグレアヒ」の転、(8)「岩戸ガクレ」の転、(9)「神のミテグラ」の転などの説があります。
神楽は、宮中の御神楽と民間の神楽に大別され、民間の神楽は民俗信仰にもとずく鎮魂の祭祀として早くから行なわれ、仮面舞のほかに、寸劇、狂言、曲芸などが取り入れられ、本来の鎮魂の祈祷よりも余興的、娯楽的な芸能に主体が移っているものが多くあります。民間の神楽は、その形態から(1)巫女神楽、(2)採物(とりもの)神楽、(3)湯立神楽、(4)獅子神楽に分類されますが、そのいくつかを併せもっている場合も多く、また奏楽・唱歌・祭文を主体としたものがあり、また採物神楽では関東は殆ど無言劇に近いのに対し、関西では科白が入るという特徴がみられます。(下記の解釈にみられるように、関東がより古い神楽の本質を伝承しているものと考えられます。)
この「かぐら」は、
「カハ・(ン)グ・ラ」、KAHA-NGU-RA(kaha=a general term for several charms used when fishing or snaring etc.;ngu=silent,speechless.greedy,moan;ra=wed)、「(漁労や狩猟の際などの)まじないを・無言で・(いくつか)まとめて行う(一連の所作。神楽)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」と、「(ン)グ」のNG音がG音に変化して「グ」となった)
の転訛と解します。
122御幣(ごへい。みてぐら。おんぬさ。おんべ)・紙垂(しで)
神事につきものの御幣は、幣束を敬っていう語で、多くは白の和紙、時には金、銀、五色の紙を細工し、竹や木の幣串に挟んだもので、神霊が憑依する神体としたり、神前に供えたり、罪・穢れを祓う用具とします。
古代、鳥は「神の使い」で、神意を人に伝え、また人の願いを神に伝える役割を担っていました。その鳥を象って作られた物が「御幣」です。アイヌのイナウ(御幣)は、まさにその古い形を今に伝えるもので、清浄な木の枝の先を繊維状に削りだすのは、鳥の羽を模しているといいます。この鳥の羽が後世楮、麻等の繊維や布となり、そして紙になったと考えられます。
御幣(ごへい)の古訓は「みてぐら」、和訓は「おんぬさ」、民間では「おんべ」と称します。また、御幣につける白紙、布等を紙垂(しで)といいます。
この「みてぐら」の語源は、(1)ミテグラ(御手座)の義、(2)御手向クラの義、(3)マテクラ(真手座)の義、(4)ミタヘクラ(御栲臭等)の義、(5)ミチクラ(満倉)の意、(6)ミテクラ(満座)の義などの説があります。
また、「ぬさ」の語源は、(1)ネギフサ(祈総)の略転、(2)ヌキアサ(抜麻)の略転、(3)ネグソマ(祈麻)の反、(4)ヌはなよらかに垂れる物、サはソ(麻)に通ずる、(5)キヌサ(絹裂)の義、(6)ヌイサゲ(縫下)の義などの説があります。
この「ごへい」、「みてぐら」、「おんぬさ」、「おんべ」、「しで」は、
「(ン)ガウ・ヘイ」、NGAU-HEI(ngau=bite,act upon,affect,raise a cry;hei=tie round the neck)、「(紙垂を棒の)先に結びつけて・呪文を唱える(呪力を籠めるもの。御幣)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)
「ミヒ・テ・クラ」、MIHI-TE-KURA(mihi=greet,admire;te=the;kura=ornamented with feathers)、「鳥の羽(後には楮、麻等の繊維、布、紙)で飾った・実に・尊いもの(御幣)」
「オ(ン)ガ・ヌイ・タ」、ONGA-NUI-TA(onga=agitate,shake about;nui=large,many;ta=dash,beat,lay)、「揺り動かす・たくさんの(紙片を)・束ねたもの(御幣)」(「オ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「オナ」なら「オン」と、「ヌイ」のUI音がU音に変化して「ヌ」となった)
「オ(ン)ガ・パイ」、ONGA-PAI(onga=agitate,shake about;pai=good,excellent,suitable,be agreeable)、「揺り動かす・美麗なもの(御幣)」(「オ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「オナ」なら「オン」と、「パイ」のAI音がE音に変化して「ペ」から「ベ」なった)または「オ(ン)ガ・パエ」、ONGA-PAE(onga=agitate,shake about;pae=hirizen,any transverse beam,lie across,be collected together,surround with a border)、「揺り動かす・(紙片を)たくさん集めたもの(御幣)」(「オ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「オナ」から「オン」と、「パエ」のAE音がE音に変化して「ペ」から「ベ」となった)
「チヒ・テ」、TIHI-TE(tihi=summit,top,topknot of hair;te=crack)、「(木の)先が・(細く)割かれているもの(削り掛け。しで)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」となった)
の転訛と解します。
大きな串状の棒の先に紙を幣のように切って玉のようにつけたものを梵天(ぼんてん)と呼びます。仏教護持の神で帝釈天と対をなす梵天とは関係なく、修験道の儀礼でよく用いられ、目印を立てる意味の「ほで」が神の依代として「ぼんてん」、「ほうでん」と呼ばれるようになったとする説があります。
「ぼんてん」の語源は、(1)ホテ(占有標)の転、(2)棒手の転、(3)酒ボテのボテの転などの説があります。
この「ぼんてん」、「ほで」、「ほうでん」は、
「ポナ・タイ(ン)ガ」、PONA-TAINGA(pona=knot,cord,anything tied up into a compact parcel;tainga=place for bailing in a canoe)、「紙の細条を(巻き付けて)玉にしたもので・船(カヌー)の内部(のあか水をくみ出す場所=船玉様を祀る聖なる場所)に飾るもの(梵天)」(「ポナ」が「ポン」から「ボン」と、「タイ(ン)ガ」のAI音がE音に、NG音がN音に変化して「テナ」から「テン」となった)
「ホテオ」、HOTEO(a large calabash)、「大きな(中くびれのない)ひょうたん(のような形の。御幣)」(EO音がE音に変化して「ホテ」から「ホデ」となった)
「ホウ・タイ(ン)ガ」、HOU-TAINGA(hou=;tainga=place for bailing in a canoe)、「船(カヌー)の内部(のあか水をくみ出す場所=船玉様を祀る聖なる場所)に・供え物をして祀る儀式に飾るもの(梵天)」(「タイ(ン)ガ」のAI音がE音に、NG音がN音に変化して「テナ」から「テン」となった)
の転訛と解します。
ちなみに、これはもとは海洋民族であった縄文人の船の神を祀る習俗であったものが、水田の水口に御幣を挿して田の神を祀り、宅地の四隅に御幣を挿して土地の神を祀るなどの習俗に転じ、また芝居小屋等に大きな梵天として立てられたり、祭りの際の神の依代として用いられる習俗に転じたものと考えられます。
124蘇民将来(そみんしょうらい)・巨旦(こたん)・武塔(むたふ)の神
蘇民将来(そみんしょうらい)の説話が『備後国風土記逸文』に記録されています。
これは疫隅(えのくま)の国社(現広島県芦品郡新市町戸手(とで)の江熊(えのくま)の疫隅神社とされます)の説話で、昔北の海にいた武塔(むたふ)の神が南海の神の娘に求婚するために旅に出て、この地で宿を請うたところ、富裕な兄の巨旦(こたん)将来(しょうらい)は宿を断り、貧しい弟の蘇民(そみん)将来はこころよく歓待したので、武塔の神は「我は速須佐男の神である」と名乗り、「蘇民将来の子孫と名乗って腰に茅の輪(ちのわ)を付ければ疫病を免れる」と教えたと伝えます。
この説話は、ほぼ西日本を中心として全国に分布し、各地の神社で旧暦6月の夏越し祭りの茅の輪くぐりの行事となり、また京都祇園神社の牛頭天王信仰と結びつき、各地の牛頭天王社などでの六角柱または八角柱に「蘇民将来之子孫」の文字や魔除けの晴明判を記した護符の授与となって残っています。
この「えのくま」、「むたふ」、「そみん」、「しょうらい」、「こたん」、「ちのわ」は、
「ヘ(ン)ゴ・クマ」、HENGO-KUMA(hengo=break wind;(Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes)、「風を避ける(災難から逃れる)・(山間の)隈にある(神社。その鎮座する土地)」(「ヘ(ン)ゴ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「エノ」となった)
「ム・タフ」、MU-TAHU(mu=mutu=finished;tahu=lover,suiter)、「地の果ての(北の海からやってきた)・求婚者(の神)」
「タウ・ミネ」、TAU-MINE(tau=loop;mine=be assembled)、「(茅の)輪を・(身に)付けている(人)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となり、「ミネ」が「ミン」と変化した)
「チオ・ラヒ」、TIO-RAHI(tio=cry;rahi=great,abundant,loud)、「(災難に遭遇して)大声で・泣き叫ぶ(人々)」(「ラヒ」のH音が脱落して「ライ」となった)
「カウ・タ(ン)ガ」、KAU-TANGA(kau=alone,bare;tanga=be assembled)、「(茅の輪を)身に付けて・いない(裸の。人)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」と、「タ(ン)ガ」の語尾のGA音が脱落して「タン」となった)
「チノ・ウア」、TINO-UA(tino=essentiality,exact,quite,very;ua=used in expostulation,don't,used in somewhat obscure construction)、「本質的に・(危害を加えることを)制止するもの(制止の対象であることを明確に示すもの。護符)」
の転訛と解します。
125左義長(さぎちょう)・とんど焼き・さいと焼き・さんくろう(三九郎)焼き・おんべ焼き・塞(さい。さえ)の神
通常正月14日および15日に正月飾りを高く積み上げて焼く火祭りを「左義長(さぎちょう)」と呼び、地方によっては「とんど焼き」、「さいと焼き」、「さんくろう(三九郎)焼き」、「おんべ焼き」などともいいます。すでに平安時代に正月15日または18日に行われた火祭りで、三本の竹または木を結んで三脚にしたところから「三毬杖」、「三鞠打」などと記されています。
これらの多くは子供の祭りとなっており、年神を送る正月行事の性格を持つとともに、小正月の神事ともかかわり、修験の護摩儀礼との習合も指摘され、東日本では道祖神または塞(さい。さえ)の神の祭りと考えられています。
なお、塞(さい。さえ)の神は、村の境界にあって悪霊の侵入を防ぐ神であるとともに、峠や道の分岐点など道の上にあって旅人を守る神でもあるとされます。
この「さぎちょう」、「とんど」、「さいと」、「さんくろう」、「さいのかみ」、「さえのかみ」は、
「タ(ン)ギ・チオ」、TANGI-TIO(tangi=sound,weep,cry,mourn;tio=rock-oyster(tiotio=having sharp projection))、「尖った角(のように積み上げた稲藁など)が・(焼かれて)泣き叫ぶ(行事)」(「タ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「タギ」から「サギ」となった)
「トノ・ト」、TONO-TO(tono=bid,command,send,drive away by means of a charm;to=drag,open or shut a door or a window)、「(悪霊を祓う)呪文を唱えて・外へ追い出す(行事)」(「トン」が「トン」となった)
「タイ・ト」、TAI-TO(tai=the sea,the tide,wave,violence;to=drag,open or shut a door or a window)、「波が・寄せては返す(ように火を燃やす。行事)」
「タヌク・ラウ」、TANUKU-RAU(tanuku=crumble down,swallow,be strained;rau=leaf,plume,feather,project,extend)、「尖った(積み上げた稲藁などの)ものが・(焼かれて)崩れて行く(行事)」(「タヌク」のNU音がN音に変化して「タンク」から「サンク」に、「ラウ」のAU音がOU音に変化して「ロウ」となった)
「タイ・(ン)ガウ・カミ」、TAI-NGAU-KAMI(tai=the sea,the coast,tide;ngau=bite,hurt,act upon,attack;kami=eat)、「(水際の)境で・(疫神や悪霊などを)排除する・(すべてを支配する)神(塞の神)」(「タイ」が「サイ」と、「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)
「タエ・ノ・カミ」、TAE-NO-KAMI(tae=arrive,come,go,extend to,proceed to;no=of;kami=eat)、「行き来する人・の(を保護する)・(すべてを支配する)神(塞の神)」(「タエ」が「サエ」となった)
の転訛と解します。(「おんべ」については前出122御幣(ごへい)の項を参照してください。)
主として東北地方北部で行われる小正月の予祝行事で、「やらぐろ」、「あらくろすり」ともいい、大豆の皮、蕎麦の殻を家の周囲に撒きながら、子供が「蕎麦糠もほがほが、豆糠もほがほが、ヤラクラ飛んでくる、銭も飛んで来(こ)、金も飛んで来」と声高に唱えながら廻る行事です。
この「ほがほが」、「やらぐろ」、「あらくろすり」は、
「ホ(ン)ガ・ホ(ン)ガ」、HONGA-HONGA(honga=tilt,make to lean on one side)、「(物や金がその家に向かって傾く)集まって来る(ことを祈願する。行事)」(「ホ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ホガ」となった)
「イア・アラ・ク・ロ」、IA-ARA-KU-RO(ia=indeed,current;ara=way,path,rise,raise;ku=silent;ro=go)、「実に・(物や金が)黙って・やって来る・道(をつける。行事)」(「イア」のA音と「アラ」の語頭のA音が連結して「ヤラ」となった)
「アラ・ク・ロ・ツリ」、ARA-KU-RO-TURI(ara=way,path,rise,raise;ku=silent;ro=go;turi,tuturi=kneel,bend,run)、「(物や金が)黙って・走って・やって来る・道(をつける。行事)」
の転訛と解します。
青森県八戸市を中心に岩手県九戸郡から青森県上北郡にかけて小正月に行われる豊作祈願の模擬田植えの舞踊行事です。この名は田を均らす農具の「えぶり」によるとされます。
この「えんぶり」、「えぶり」は、
「エネ・プ・フリ」、ENE-PU-HURI(ene=flatter,cajole;pu=tribe,bundle;huri=turn,overflow,seed,sprout)、「(田植えに先だって)稲苗の・束を・喜ばせる(成長を促進して豊作もたらす。舞踊)」(「エネ」が「エン」と、「プ」のU音と「フリ」のH音が脱落して「ウリ」となったその語頭のU音が連結して「プリ」から「ブリ」となった)
「エ・プリ」、E-PURI(e=to denote action in progress or temporary condition in time past or present or future;puri=hold in the hand,keep,press to remain)、「(田の水平の状態を)保つ・ための作業を行う(農具)」
の転訛と解します。
西日本、とくに滋賀県湖北・甲賀地方で1〜3月に行われる村内の豊作・大漁・安全を祈願する行事で、籤や順番で定められた頭屋(とうや)・頭人を中心に巨大な鏡餅や掛餅・造花による荘厳、乱声、午王宝印の授与などが行われます。
この「おこない」、「とうや」は、
「オコ・ナイ」、OKO-NAI(oko=wooden bowl,other open vessel(okooko=carry in the arms);nai=nei=to denote proximity to or connection with,to indicate continuance of action or sequence of event)、「(木の鉢に似た巨大な)鏡餅を・(運んで)飾って祈願する一連の行事」
「トフ・イア」、TOHU-IA(tohu=mark,sign,point out,point at,show;tohunga=skilled person,priest;ia=indeed,current)、「実に(流れの中で=順番で)・指名された(者。頭屋)」(「トフ」のH音が脱落して「トウ」となった)または「トフ(ン)ガ・イア」、TOHUNGA-IA(tohu=mark,sign,point out,show;tohunga=skilled person,priest;ia=indeed,current)、「実に(順番で指名を受けた)・祈祷を行う者(頭屋)」(「トフ(ン)ガ」のH音および語尾の名詞形のNGA音が脱落して「トウ」となった)
の転訛と解します。
「さなぶり」は、田植えが無事に終了したことを感謝し、農作業を休んで酒宴を開き、田の神を送る稲作儀礼です。四国地方から九州地方では、「さのぼり」といい、中国・北陸地方の一部では「しろみて」ともいいます。
この「さなぶり」、「さのぼり」、「しろみて」は、
「タ(ン)ガ・プリ」、TANGA-PURI(tanga=be assembled,row,company of persons;puri=sacred,hold in the hand,keep,detain)、「(田植え作業に)参加した人々を・(翌年も)確保する(ための供応行事)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サナ」となった)
「タ(ン)ゴ・ポリ」、TANGO-PORI(tango=take up,take in hand,take away;pori=wrinkle,people,tribe)、「(田植え作業に)参加した人々を・(翌年も)確保する(ための供応行事)」(「タ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「タノ」から「サノ」となった)
「チ・ロミ・タイ」、TI-ROMI-TAI(ti=throw,cast;romi=squeeze,crush,engulf,plunder;tai=the other side)、「他(の家)から・(田植えの労働力を)略奪してくる・ために行う(供応行事)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」となった)
の転訛と解します。
主として中国地方では田の神を「サンバイさん」と呼び、2月に田に下る時の行事を「サンバイオロシ」、10月に山へ帰るときの行事を「サンバイアゲ」といいました。
この「サンバイ」は、
「タヌ・パイ」、TANU-PAI(tanu=bury,plant,smother with;pai=good,excellent,suitable)、「(稲苗を)きちんと・植える(ことを援助する。神)」(「タヌ」が「サン」となった)
の転訛と解します。
石川県能登半島の一部の農村では、毎年稲作終了後の12月5日に、家ごとに田の神を迎えて収穫を感謝し、丁重にもてなし、供え物を説明する儀礼があり、これを「あえのこと」といいます。これを「饗(あえ)の事」と解する説があります。
なお、翌年種蒔きの前の2月9日に田の神(能登地方では種子籾俵で越年すると伝えられていますが、他の地方では山へ帰るとされます)を迎えてふたたびアエノコトを行い、勧請松を籾俵に挿し、翌日の鍬祭りの後、その松を苗代田に挿す行事が行われます。
この「あえのこと」は、
「アエ・ナウ・コト」、AE-NAU-KOTO(ae=assenting to an affirmation or affirmative question,agree;nau=come,go;koto=sob,make a low sound)、「(家の主人が)低い声で・(神が再び収穫をもたらすために)やって来ることの・同意を得る(行事)」(「ナウ」のAU音がO音に変化して「ノ」となった)
の転訛と解します。
能登半島中部東側の石川県能登郡中島(なかじま)町の熊甲(くまかぶと)宮の毎年9月20日の二十日祭における長さ15メートルもの枠旗(わくはた)を担ぎ廻る枠旗行事は、重要無形民俗文化財に指定されています。
この「くまかぶと」、「わくはた」は、
「クマ・カプ・ト」、KUMA-KAPU-TO((Hawaii)kuma=cracking of the skin between fingers and toes;kapu=hollow of the hand,sole of the foot;to=drag(toanga=place of dragging))、「指の間のような(山の尾根に挟まれた谷間の)場所の・手のひらの窪みのようなところで・舟を引き揚げておく(場所。そこにある神社)」
「ワク・パタ」、WAKU-PATA(waku=rub,scrape;pata=drop of water,suckers on the tentaculae of the cuttle-fish)、「烏賊の足(のような形の旗)を・引きずって歩く(祭の行事)」(「パタ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハタ」となった)(なお、烏賊の足(げそ)については、後出702いかの項を参照してください。)
の転訛と解します。
富山県八尾(やつお)町で9月1日から3日に二百十日の風を鎮め、豊穣を祈って行われる「風の盆」は、哀調を帯びた民謡『越中おわら節』とおわら踊りの町流しによって全国に知られます。
この「おわら」は、
「オ・ワラ」、O-WARA(o=the...of;wara=desire,make an indistinct sound)、「(二百十日の風鎮めを)願う・もの(歌。節)」
の転訛と解します。
岐阜県美濃(みの)市の大矢田(おおやた)神社には特殊神事の等身大の棒操り人形劇を奉納するヒンココ祭りが伝わります。
この「ヒンココ」は、
「ヒ(ン)ガ・ココ」、HINGA-KOKO(hinga=fall from an errect position,be killed,lean,be outdone in a contest;koko=shovel,scoop up,pull up)、「(人形を)吊して・(その手足を棒で)引っ張り上げる(人形を操る。その芝居。その芝居を奉納する祭り)」(「ヒ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒナ」から「ヒン」となった)
の転訛と解します。
愛知県津島(つしま)市の津島神社の天王祭の宵祭には、多くの提灯を飾つた巻藁(まきわら)船5艘が津島楽を奏しながら川を渡御し、翌日の朝祭には屋台に能人形を飾った車楽(だんじり)船6艘が川を渡御することで有名です。
この「まきわら」、「だんじり」は、
「マキハ・ラ」、MAKIHA-RA(makiha=insipid;ra=wed)、「風情がない(提灯だけでつまらない)ものが・連なっている(川船)」
「タ(ン)ギ・チリ」、TANGI-TIRI(tangi=sound,cry;tiri=throw or placeone by one,scatter,offering to a god)、「叫び声を・次から次へと上げる(または「声を上げて・神に願い事をする」から転じて「神事として神に奉納する芸能を演じる(天王祭では芸能を演じる代わりに能人形を飾る)」)(山車・川船)」(「タ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「タニ」から「ダン」となった)
の転訛と解します。
愛知県稲沢(いなざわ)市国府宮(こうのみや)の大国霊(おおくにたま)神社には、厄年の裸の男達がもみあう儺追(なおい)祭があります。
この「なおい」は、
「ナ・オイ」、NA-OI(na=satisfied,belonging to;oi=shout,shudder,agitate,move continuously as the sea)、「喜んで・(儺追人に触れて厄を落とそうと)もみあう(祭)」
の転訛と解します。
愛知県尾張旭(おわりあさひ)市とその周辺および三河国加茂郡などには、古来から自衛のための棒を使う武術である「棒の手(ぼうのて)」が芸能として受け継がれ、無形民俗文化財に指定されています。
この「ぼうのて」は、
「ポウ・(ン)ゴテ」、POU-NGOTE(pou=pole,stake;ngote=suck)、「棒(棒術)を・飲み込む(会得する。修行)」(「(ン)ゴテ」のNG音がN音に変化して「ノテ」となった)
の転訛と解します。
三重県鳥羽市の菅島では、元旦に海女たちがほら貝の合図で一斉に海に潜り、神社に奉納する鮑の初採りを競い、最初に鮑を採った者が一年間海女頭を勤める習慣があります。この競争をシロンゴ祭りと呼びます。
この「シロンゴ」は、
「チヒ・ロ(ン)ゴ」、TIHI-RONGO(tihi=summit,top;rongo=obay,peace after war)、「一番になった者に・服従する(競争。その祭り)」
の転訛と解します。
奈良県桜井市の大神(おおみわ)神社の御神火祭は、繞道(にょうどう)祭と呼ばれ、元旦午前零時に古式に則って鑽(き)り出した神火を長さ3メートルの大松明に移し、神職らによって三輪山麓の大神神社の摂社・末社十八カ所を巡拝する祭りです。
この「にょうどう」は、
「ニアオ・トウ」、NIAO-TOU(niao=gunwale of a canoe,rim of any open vessel,edge of a tool;tou=kindle,set on fire)、「(三輪山の)縁(麓)に・火を灯す(祭り)」
の転訛と解します。
奈良県高市郡明日香村飛鳥の飛鳥坐(あすかにます)神社のおんだ祭は、旧暦の年の初めに稲の精霊に五穀豊穣を祈る田植神事ですが、県内各地のおんだ祭と異なり、天狗の面をつけた翁(田の神)とお多福の面をつけた媼(神を迎える巫女)が軽妙な夫婦和合の所作を行う奇祭として知られます。
この「おんだ」は、
「オニ・タ」、ONI-TA(oni=move,wriggle,copulate;ta=dash,beat,lay)、「(夫婦の)交合の行事が・ある(祭り)」(「オニ」が「オン」となった)
の転訛と解します。
なお、このような所作を伴わずに実際に田植えを行うか、田植えを模擬的に演じる場合の「おんだ」は、
「オノ・タ」、ONO-TA(ono=plant root crops;ta=dash,beat,lay)、「(根の付いた穀物の)苗を植える・行事がある(祭り)」(「オノ」が「オン」となった)
の転訛と解します。
奈良県桜井市の長谷寺の追儺会をだだ押しと呼びます。鎮護国家を祈る十一面観音悔過法要と鬼面加持の秘法が行われた後、大鬼面をかぶり赤鬼に扮し大松明を持つた男が、法螺貝と太鼓の合図で回廊に踊り出、この火を奪おうと群衆は鬼を追いかけ、境内で熾烈なもみ合いを繰り広げる行事です。
この「だだおし」は、
「タタ・オフ・チ」、TATA-OHU-TI(tata=near,suddenly;ohu=beset in great numbers,surround;ti=throw,cast,game of a stick)、「突然に・人々が群集し・棒(松明)を争って奪う(行事)」(「オフ」のH音が脱落して「オ」となった)
の転訛と解します。
奈良県橿原市の春日神社・八幡神社の夏祭は、ホーランヤ祭と呼ばれ、真夏の真昼の炎天下で、直径約1.5メートル、長さ約2.5メートル、重さ約数百キログラム、菜種木と麦藁をぎゅっと束ね、その回りを二つ割りにした竹で巻いた寸胴形の大松明を、「ホーランヤ」の掛け声とともに御輿のように担ぎまわる勇壮な祭です。
この「ホーランヤ」は、
「ハウラン(ン)ギ・イア」、HAURANGI-IA(haurangi=mad,exasperated,furious;ia=indeed,very,current)、「それ(実に)・狂え(狂ったように松明を担げ!)」(「ハウラン(ン)ギ」のAU音がOU音に、NG音がN音に変化して「ホウラニ」となり、語尾のI音が「イア」の語頭のI音と連結して「ホウラニア」から「ホーランヤ」となった)
の転訛と解します。(これと似たかけ声「ホーランエンヤ」については前出211ほーらんえんやの項を参照してください。)
大晦日から元旦にかけて京都市東山の八坂神社で正月用の斎火をもらう行事です。おけら(白朮)詣りとも呼ばれ、昔は削り掛けの神事とも呼ばれました。
12月28日に鑽火(きりび)式の神事を行い、大晦日の夜に鑽火を白朮灯籠に移し、魔除けや疫病除けの薬草とされる白朮を火中に投じ、この火を吉兆縄(火縄)に移してくるくる廻しながら各家に持ち帰ってこれを火種として元旦の雑煮を炊き、新年の除災招福を祈る習慣があります。
この「おけら」は、
「オケ・ラハ」、OKE-RAHA(oke=struggle,wriggle,strive,be eager;raha=great,abundant)、「何回も何回も・(のたうち回るように火縄を)くるくる廻す(斎火を持って帰る。行事)」(「ラハ」のH音が脱落して「ラ」となった)
の転訛と解します。(ちなみに、虫の「螻蛄(おけら)」は、「オ・ケラ」、O-KERA(o=the...of,belonging to;kera,kerakera=foul,offensive,anything rotten and putrid)、「気持ちが悪くなるような(いやな臭いがするなど)・虫」と解します。)
京都市の一部の町内で行われる15歳になって子供組から抜ける少年を祝賀する祭りで、2月24日にアガリと称する役を勤めた少年を「サンヤレ」という囃子の集団が付いて神社や小祠を経て上賀茂神社まで巡幸します。なお、「サンヤレ」は京都市、滋賀県などの神社の祭礼の囃し言葉として多数伝承されています。
この「サンヤレ」は、
「タ(ン)ガ・イア・レイ」、TANGA-IA-REI(tanga=be assembled,row,division or company of persons;ia=indeed,current;rei=leap,rush,run)、「人々が・実に・飛び跳ねる(跳ねようじゃないか)」または「タ(ン)ギ・イア・レイ」、TANGI-IA-REI(tangi=sound,cry,weep;ia=indeed,current;rei=leap,rush,run)、「(囃しの)音が・実に・飛び跳ねる(にぎやかに囃そうじゃないか)」(「タ(ン)ガ」または「タ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「タナ」または「タニ」から「サン」となった)
の転訛と解します。
大阪市四天王寺六時堂で1月14日に営まれる修正会結願法要を「どやどや」と呼びます。堂内では元日から天下太平・五穀豊穣を祈願する法要が営まれ、結願の日に旧天王寺村の紅組(西の漁師)と白組(東の百姓)に分かれた裸の若者が揉み合い、かけられた水がたちまち湯気となって立ち上る勇壮な行事で、紅組が押し切ればその年は豊漁、白組が押し切ればその年は豊作とされ、最後に梁の上から投げられた柳の枝に挟んだ午王宝印を奪いあうものです。
この「どやどや」は、
「トイ・イア・トイ・イア」、TOI-IA-TOI-IA(toi=moist,exude,move quickly,encourage;ia=indeed,current)、「実に・湯気が立ち込める(祭)」または「実に・元気を出す(揉みに・揉み合う。祭)」
の転訛と解します。
岡山市にある名刹金陵山西大寺(さいだいじ。真言宗)の会陽(えよう)は、修正会が結願する旧正月14日の夜に行われる裸祭りで、数千の裸男の群が観音院院主が投ずるシンギ(神木、宝木)を争奪する天下の奇祭として知られます。
この「えよう」、「しんぎ」は、
「エ・イオ」、E-IO(e=by;io=muscle,line,strip,shred)、「(霊力がある)棒・のために(棒を・手に入れるために壮絶な争いをする。祭り)」
「チ(ン)ギ」、TINGI(=ti=throw,cast)、「投げ込まれた(棒)」
の転訛と解します。
長門国二宮である山口県下関市の忌宮神社には、旧暦7月に行われる高い竹竿の先に鶏の羽根を刺し、鈴を結び、幟を取り付け、舞い手がたすき掛けした紐で竹竿の底部を受け、腰でバランスを取りながら、囃子にあわせて境内の鬼石の周囲を回る幟舞いの数方庭(すほうてい)神事があります。
この「すほうてい」は、
「ツホウ・テイ」、TUHOU-TEI(tuhou=a ceremonial girdle worn by the skilled person or priest;tei,teitei=high,tall,top)、「高い(竿を)・熟練者が締めた飾り帯(で受けて舞う。神事)」
の転訛と解します。
福岡市で5月3、4日に行われる博多どんたくは全国に著名です。
この「どんたく」は、
「トヌ・タク」、TONU-TAKU(tonu=denoting continuance,just;taku=slow)、「ゆっくりと・(仮装などの練りを)続ける(祭り)」
の転訛と解します。
福岡市東区箱崎(はこざき)に鎮座する筥崎(はこざき)宮では、正月3日に「玉せせり」行事が行われます。
この「せせり」は、
「タイ・タイリ」、TAI-TAIRI(tai=wave,anger,dash,knock;tairi=be suspended,block up)、「(投げ入れられた玉を)突き上げて・(しばらく)空中に止めておく(祭り)」(「タイ・タイリ」のAI音がE音に変化して「テ・テリ」から「セ・セリ」となった)
の転訛と解します。
熊本県合志(こうし)町の中心の竹迫(たかば)は、江戸時代熊本と菊池を結ぶ住吉街道の宿場町として栄え、竹迫観音堂の夏祭りでは太鼓を乗せ紙飾りや提灯で飾つたドーランジャーと呼ばれる山車が多数巡行します。
この「ドーランジャー」は、
「タウラ(ン)ギ・チア」、TAURANGI-TIA(taurangi=unsettled,incomplete,wanderer;tia=stick in,adorn by sticking in feathers)、「(羽根で)美しく飾り立てて・動き回る(巡行する。山車)」(「タウラ(ン)ギ」のAU音がOU音に、NG音がN音に変化して「トウラニ」から「ドウラン」となった)
の転訛と解します。
熊本県泉村の東部の山間、球磨川の支流川辺川の上流に、平家の落人伝説が残る五家庄(ごかのしょう)があり、久連子(くれこ)地区に残る古代踊りが有名です。
この「くれこ」は、
「ク・レコ」、KU-REKO(ku=silent,a game played by opening and shutting the hands while reciting certain verses;reko=white of feathers or hair etc.,a white dog-skin cape)、「白い上衣をまとって・手を叩きながら踊る(踊り。その踊りを奉納する神社。その土地)」
の転訛と解します。
中津(なかつ)市の古表(こひょう)神社では、閏年の10月12日に傀儡(くぐつ)人形の舞と傀儡角力が奉納されます。
この「こひょう」、「くぐつ」は、
「コヒ・イオ」、KOHI-IO(kohi=skeleton,person,collect;io=muscle,line)、「糸で操る・骸骨(のような傀儡(くぐつ)人形の舞を奉納する祭り。その祭りがある神社)」(「コヒ」の語尾のI音と「イオ」の語頭のI音が連結して「コヒオ」から「コヒョウ」となった)
「クク・ツ」、KUKU-TU(kuku=nip,anything used as pincers,fear,nightmare;tu=stand,settle,fight with,energetic)、「恐ろしさが・(人を)襲う(人形)」
の転訛と解します。
鹿児島県日吉(ひよし)町の日置八幡神社の6月の御田植祭には、白装束の若者が泥まみれになって踊る「セッペトベ」が奉納されます。
この「セッペトベ」は、
「テペ・トペ」、TEPE-TOPE(tepe=congeal,coagulate;tope=cut,smear or stain of paint etc.)、「泥を塗りたくって・(そのまま)凝固した(衣装で踊る。祭事)」
の転訛と解します。
鹿児島県の田植え祭りの別名で、年の初めに、その年の米の豊作を祈って神社の境内を田に見立て模擬田植えを行いますが、仮面をつけた牛が見物人の笑いを誘いながら暴れ回る行事です。
この「ガウンガウン」は、
「(ン)ガウ(ン)ガ・(ン)ガウ(ン)ガ」、NGAUNGA-NGAUNGA(ngaunga=ngau=bite,hurt,attack,wander,go about,raise a cry)、「(牛が)暴れに・暴れ回る(祭り)」(「(ン)ガウ(ン)ガ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ガウナ」から「ガウン」となった)
の転訛と解します。
鹿児島県坊津町から知覧町にかけて旧暦8月の十五夜の晩に行われる綱引きに続いてソラヨイ行事があり、重要無形民俗文化財に指定されています。
この「ソラヨイ」は、
「トラ・イオ・オイ」、TORA-IO-OI(tara=burn,blaze,erect;io=muscle,line,spur,lock of hair;oi=shout,shudder,move continuously,agitate)、「(月が)輝く中で(十五夜の晩に)・頭の上の飾り(頭にすっぽりと被った藁で作った大きな帽子)を・震わせて踊る(行事)」または「(月が)輝く中で(十五夜の晩に)・綱を・引く(行事)」(「イオ」の語尾のO音が「オイ」の語頭のO音と連結して「イオイ」から「ヨイ」となった)
の転訛と解します。
鹿児島県吐?喇(とから)列島の悪石(あくせき)島の盆踊行事には、沖縄県宮古・八重山列島の赤マタ・黒マタに似た来訪神で、大きな角と口をもつ仮面を頭からすっぽりと被った「ボゼ」が出現します。
この「ボゼ」は、
「ポタエ」、POTAE(covering for the head,put on to the head so as to cover or envelop it)、「頭から被る(仮面を付けた。神)」(AE音がE音に変化して「ポテ」から「ボゼ」となった)
の転訛と解します。
鹿児島県奄美大島に伝わる開闢神話は、琉球の古典『球陽』と『琉球神道記』(僧袋中著。慶長10年)の開闢神話を合成したような内容を持つもので、天から降臨した志仁礼久(しにれく)・阿摩彌姑(あまみこ)の両神(『琉球神道記』では「シネリキヨ」・「アマミキヨ」)が国を開いて3男2女を生み、長男が国君の初め、次男は按司の初め、三男は百姓の初め、長女はノロの初め、次女は村々のミコの初めとなったと伝えます。(「ノロ」、「ミコ」については、106みこ(巫女)、118のろ(巫女)の項などを参照してください。)
この「しにれく(しねりきよ)」、「あまみこ(あまみきよ)」は、
「チニ・レイ・ク」、TINI-REI-KU(tini=very many;rei=leap,rush,run;ku=silent)、「黙って・走り廻って・膨大な仕事をする(神)」または「チニ・レイ・キオ」、TINEI-RI-KIO(tinei=put out,quench;ri=screen,protect;(Hawaii)kio=projection,protuberance)、「障碍を・除去する・突出した存在である(神)」
「アマ・ミコ」、AMA-MIKO((Hawaii)ama=talkative,tattling,bright;miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of the flesh or skin from fear or sickness)、「おしゃべりの・(鳥肌が立つて異常に興奮する)神懸りになる(巫女。その子孫が住む諸島)」または「ア・マハ・ミヒ・キオ」、A-MAHA-MIHI-KIO(a=the...of,belonging to;maha=satisfied,many,abundance;mihi=greet,admire,show itself;(Hawaii)kio=projection,protuberance)、「実に・偉大で・崇敬すべき・突出した存在である(神。その子孫が住む諸島)」(「マハ」・「ミヒ」のH音が脱落して「マ」・「ミ」と、「キオ」が「キヨ」となった)
の転訛と解します。
鹿児島県奄美大島の竜郷(たつごう)村の秋名(あきな)集落には、旧暦8月に行われる秋名アラセツ行事(収穫感謝・豊作祈願)の「ヒラセマンカイ」があり、重要無形民俗文化財に指定されています。
この「アラセツ」、「ヒラセマンカイ」は、
「アラ・テ・ツ」、ARA-TE-TU(ara=rise,awake,way;te=emphasis,crack;tu=remain,stand,settle)、「(弱った稲魂の)目を覚まさせて(活力を取り戻して)・離れるのを・留める(行事)」
「ヒラ・テ・マ(ン)ガイ」、HIRA-TE-MANGAI(hira=numerous;te=emphasis;mangai=mouth)、「何回も何回も・熱心に・(稲魂を招く言葉を掛け合いで)唱える(ことによって稲魂を呼び戻す。行事)」(「マ(ン)ガイ」のNG音がG音を経てK音に変化して「マンカイ」となった)
の転訛と解します。
159斎場御嶽(せーふぁうたき)・久高(くだか)島・イザイホー・園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)
琉球で最高の聖地とされる斎場御嶽(せーふぁうたき)は、沖縄本島南部の知念半島の南側、知念(ちねん)村の巨石によって周囲から隔絶した太平洋に面する清浄な場所にあります。斎場御嶽から見通される東の海上に昔琉球の創造神であるアマミキヨが降臨したと伝える久高(くだか)島があり、12年毎にイザイホーと呼ばれる神女昇格のための秘密の祭事が行われていましたが、昭和53(1978)年を最後に神女昇格の資格者が不在のため行われなくなりました。
なお、那覇市旧首里城の近くには首里城の守護神を祀る園比屋武御嶽(そのひゃんうたき)があり、琉球王が外出するときは必ずその前に礼拝を欠かさなかったと伝えます。
この「せーふぁ」、「うたき」、「くだか」、「イザイホー」、「そのひゃん」は、
「ウ・タキ」、U-TAKI(u=be fixed,reach its limit;taki=take out of the way,track,bring along,recite)、「(俗界を)離れて・行き着いた(場所。聖地)」
「テイ・フア」、TEI-HUA(tei,teitei=high,tall,summit;hua=section of land,screen from wind,raise with a lever)、「至高の・周囲を囲った場所(聖地)」
「ク・タカ」、KU-TAKA(ku=silent;taka=fall off,fall away,heap)、「(昔創造神アマミキヨが)降臨した・静寂な(島)」
「イ・タイホウ」、I-TAIHOU(i=from,beside,beyond;taihou=stranger)、「部外者を・脱する(神女の資格を持たない部外者に・神女の資格を与える。儀式)」
「トノ・ヒア(ン)ガ」、TONO-HIANGA(tono=bid,command,drive away by means of a charm;hianga=act of raising,vicious,deception)、「(国王の外出に際して)最高のお祓いを・要求された(神を祀る場所。聖地)」(「ヒア(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒアナ」から「ヒヤン」となった)
の転訛と解します。
沖縄県名護市以北の地域では、旧暦7月の盆のあとに「ニライカナイ(海上の他界)」から訪れる海神を迎える「ウンジャミ(またはウンガミ。海神祭)」が行われ、同北部の東海岸ではあわせて「シヌグ」と呼ばれる男性を遠ざけて女性達だけで行われる秘密の祭礼行事が行われることで知られます。
この「ニライカナイ」、「ウンジャミ(またはウンガミ)」、「シヌグ」は、
「ニヒ・ラヒ・カノイ」、NIHI-RAHI-KANOI(nihi=come stealthly;rahi=great,abundant;kanoi=strand of a rope,position,trace one's descent)、「(大昔に)多くの人が・渡来してきた・その先祖(の国)」(「ニヒ」、「ラヒ」のH音が脱落して「ニ」、「ライ」となった)
「ウ(ン)ガ・チア・ アミ」、UNGA-TIA-AMI(unga=place of arrival;tia=stick in,adorn by sticking in feathers;ami=gather,collect)、「(人々が)集まる・頭に羽根飾りをつけた(正装した)・(海から来訪する)海神が到着する浜辺(そこで行われる祭り)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」から「ウン」と、「チア」の語尾のA音と「アミ」の語頭のA音が連結して「チアミ」から「ジャミ」となった)または「ウ(ン)ガ・アミ」、UNGA-AMI(unga=place of arrival;ami=gather,collect)、「(人々が)集まる・(海から来訪する)海神が到着する浜辺(そこで行われる祭り)」(「ウ(ン)ガ」が「ウンガ」となり、その語尾のA音と「アミ」の語頭のA音が連結して「ウンガミ」となった)
「チ・(ン)グ(ン)グ」、TI-NGUNGU(ti=throw,cast,overcome;ngungu=glance off,turn aside,ward off)、「(男性の)覗き見を・禁じて追い返す(行事)」(「(ン)グ(ン)グ」の最初のNG音がN音に、次のNG音がG音に変化して「ヌグ」となった)
の転訛と解します。
沖縄県北谷(ちゃたん)町では、旧盆に三線・太鼓を鳴らし、歌を歌いながら家々を廻る盆踊りのエイサーが行われます。
この「エイサー」は、
「エヒ・タハ」、EHI-TAHA(ehi=well!;taha=side,part,pass on one side)、「家から家を廻る・素晴らしい(行事)」(「エヒ・タハ」のH音が脱落して「エイ・タア」から「エイ・サア」となった)
の転訛と解します。
沖縄県糸満市では、旧暦5月4日に市内の海神を祀る白銀堂(古くは「ヨリアゲ御嶽(うたき)」といいました)に奉納するハーリー(船)競争が行われます。
この「ハーリー」、「ヨリアゲ」は、
「パハ・アリ」、PAHA-ARI(paha=attack;ari=clear,visible,appearance)、「(衆人環視の下での)公明正大な・競争」(「パハ」のP音がF音を経てH音に変化し、二番目のH音が脱落して「ハア」となった)
「イ・オリ・ア(ン)ガイ」、I-ORI-ANGAI(i=past tense,indeed;ori=agitate,sway,bad weather,wind from a bad quarter;angai=north-north-west wind,on the west coast)、「実に・悪天候(を鎮める海の)神を祀る・(沖縄島の)西岸にある(神を祀る場所。聖地)」(「ア(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「アゲ」となった)(「うたき」については前出159斎場御嶽(せーふぁうたき)の項を参照してください。)
の転訛と解します。
沖縄県八重山諸島に伝わる集団で練り歩き、所作をする行事をアンガマと呼びます。旧暦7月の精霊会(盂蘭盆会)に念仏謡をうたって巻き踊りをし、家々の飾り付けられた仏壇の前で歌舞音曲を演じて祖霊の供養をするアンガマや、旧暦8・9月の節(旧年を送り、新年を迎える行事)儀礼としての旗頭の奉納、舟漕ぎ、ミリク神の練りなどのアンガマや、家を新築したときのアンガマがあります。
この「アンガマ」は、
「ア(ン)ガ・マハ」、ANGA-MAHA(anga=driving force,thing driven,face or move in a certain direction,turn to doing anything,aspect,shell;maha=gratified,satisfied,depressed,many,abundance)、「(祖先を)満足させるように・(いろいろの芸能の)所作を演じる(行事)」(「ア(ン)ガ」が「アンガ」と、「マハ」のH音が脱落して「マ」となった)
の転訛と解します。
沖縄県八重山諸島において旧暦6月に行われる稲の収穫儀礼で、今年の収穫物の神への感謝と来年の豊作の予祝をおこなうもので、一日目には御嶽(うたき)で収穫の感謝祈願をし、二日目は村中の者が集まって予祝の儀礼を行いますが、村によって旗頭、太鼓、巻き踊りをして綱引きをするところ、舟漕ぎ競争や種々の芸能をするところ、アカマタ・クロマタなどの来訪神を迎えるところなど様々です。
この「プーリ」は、
「プリ」、PURI(sacred,pertaining to ancient lore,hold in the hand,keep,detain)、「古来からの伝承(を継承する。祭り)」
の転訛と解します。
沖縄県宮古島の平良市(ひらら)島尻には、赤マタ・黒マタ(後出)に代わり、仮面を付けて自由奔放、神出鬼没に出現して祝福を与え、また悪人を懲らしめるパーント神が現れる秋の収穫感謝祭の行事があります。
宮古・八重山地方に伝わる豊年祭には、異境から到来して人々に祝福を与え、豊作を約束する仮面を付けた赤マタ・黒マタの神を送迎する行事があります。
この「パーント」、「マタ」は、
「パハ・(ン)ゴト」、PAHA-NGOTO(paha=arrive suddenly,attack;ngoto=head)、「突然出現する・(仮面を付けた)頭(に特徴がある神。その神を送迎する行事)」(「パハ」のH音が脱落して「パー」と、「(ン)ゴト」のNG音がN音に変化して「ノト」から「ント」となった)
「マタ」、MATA(face,eye)、「仮面(をつけた神。その神を送迎する行事)」
の転訛と解します。
京都の賀茂別雷神社で旧暦4月の中の午の日(現在は5月12日)の京都三大祭の一つの賀茂祭(葵祭)の前儀として行われる御阿礼神事をいいます。「みあれ」とは神の出現を意味し、後に神霊の憑依する物をさすようにもなったとされます。
この神事は、神社の北西8町の御生野(みあれの)の場に4間四方に48本の杭を打ち、その周りを松・檜・榊などの木で囲んで中が見えないようにし、その中に「ひもろき(神籬)」を設け、そこに降臨した祭神を阿礼木という幣をつけた榊の枝に移し、神社に持ち帰るものです。
この「みあれ」は、
「ミヒ・アライ」、MIHI-ARAI(mihi=greet,admire;arai=screen,keep off,block up,hinder)、「(神を)尊崇して・(障壁で囲って)人目を避けて行う(行事)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」と、「アライ」のAI音がE音に変化して「アレ」となった)
の転訛と解します。
神事に際して祭場の中心に臨時に設けられる神霊を奉斎するための施設をひもろきといいます。今日では、四方に竹などの柱を立てて注連縄で巡らした中央に、紙垂を付した榊を神籬として設置し、その前に神饌を供え、降神・昇神の作法を行う祭儀形式をとることが一般的です。
この「ひもろき」は、
「ヒ・マウ・ロキ」、HI-MAU-ROKI(hi=raise,rise;mau=fixed,continuing,caught;roki=calm,make calm)、「(神がその)上に出現して・静かに・鎮座する(降臨する場所=神籬)」(「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となった)
の転訛と解します。なお、崇神紀の磯堅城神籬(しかたきのひもろき)の項を参照してください。
近畿を中心に中国・北陸にかけて祭礼の際に当屋の家に立てる標示物を「おはけ」と呼びます。青竹の先に御幣や神符を付け、土壇を設けて祭の前に立て、祭当日まで立てて置く。御幣のほか、屋形(仮屋)を建てる場合など種々のものがある。「おはけ」の意味は不明とされます。
この「おはけ」は、
「オ・ハケ」、O-HAKE(o=the...of;hake=humped,unseemly,unbecoming)、「不格好な・(標示または仮設)物」
の転訛と解します。
明治末頃まで大阪に残っていた年越し(節分)の夜の習俗で、老女が若い女性のように島田や手鞠髷(てまりまげ)に結い、若い娘は既婚女性のように丸髷に結つて祝ったといいます。この習俗の本質は老女が若く装うことにあり、節分の夜が明けて春が立てば若返るという信仰に基づくとする説があります。
この「おばけ」は、
「アウ・パケ」、AU-PAKE(au=firm,intense;pake=adult)、「(老婆または若い娘が)血気盛んな・成人(女性のふりをする風習)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」となった)
の転訛と解します。この解釈によれば、「若返り」というよりは、「(血気盛んな)活力を得る」ための呪術であるというべきでしょう。
なお、「化け物」の「おばけ」は、
「オ・パハ・ケ」、O-PAHA-KE(o=the...of;paha=arrive suddenly,attack;ke=different,strange,extraordinary)、「例の・(人を)突然襲う・奇っ怪なもの(お化け)」(「パハ」のH音が脱落して「バ」となった)
の転訛と解します。
また、「おばけ」には「食品」の名称もあります。雑楽篇(その二)の734くじら(鯨)の項を参照してください。
沖縄本島北部の諸村落に一様に設けられている丈の低い柱と屋根だけの村落祭祀のための建造物をかみあしゃぎ(神アシャギ。カミアサギ、カンサギとも)と呼びます。『琉球国由来記』では「神アシアゲ」と記され、「足揚げ」、「アシー(中食)・アゲ(差し上げ)」の意とする説がありますが、定説はありません。
また、中部・南部ではほとんどが「とぅん(殿)」となっていて、僅かに一部では建物ではなく、祭り場としての広場を「神アシャギ」と称しています。
この「あしゃぎ」、「とぅん」は、
「アチ・ア(ン)ギ」、ATI-ANGI(ati=descendant,clan;angi=approach stealthly,something connected with the descent to the subterranean sprit world)、「(神に)ひそかに接近する(交流する)・部類の祭事(のための建物または広場)」(「ア(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「アギ」となつた)
「ト・ウ(ン)ガ」、TO-UNGA(to=drag;unga=act or circumstance of of becoming firm,place of arrival)、「(神を)招請する・(神の)降臨の場所(建物)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」から「ウン」となった)
の転訛と解します。
「はれ(晴)」とは、祭礼や年中行事、冠婚葬祭など特別な時間と空間、「け(褻)」とは日常的な普段の労働と休息の時間と空間を意味する民俗用語です。
「はれ」は、晴れ着や晴れ舞台などの言葉があるように、ハレの飲食物、ハレの祭礼・神事などの消費・遊興をその本質とし、「け」は「けぎ(普段着)」や「けしね(褻稲。日常食)」の言葉があるように、生産と労働をその本質としています。
この「はれ」、「け」は、
「ハレ」、HALE((Hawaii)host,hospitable person)、「(客を接待する)主人役を務める(場合にふさわしい場面、行動、生活様式など)」(なお、晴天の「はれ(晴)」は、「ハ・アレ」、HA-ARE(ha=what!;are=open(areare=clear of obstruction))、「なんと・(空に雲も)何もない(晴れている)」(「ハ」のA音と「アレ」の語頭のA音が連結して「ハレ」となった)の転訛と解します。)
「ケケ」、KEKE(obstinate,stubborn)、「(通常の慣習に)固執する(のにふさわしい場面、行動、生活様式など)」(反復語尾が脱落して「ケ」となった)
の転訛と解します。
たなばたは、五節句の一つで、天の川の両岸にある牽牛星と織女星が年に一度相会するという7月7日夜、星を祭り、願を掛ける年中行事です。
また、この日はかならず雨が降るとか、この日に墓掃除、仏具の水洗い、子供の水遊び、共同井戸の井戸替え、河童供養、水神祭をするなど、水に縁のある習俗と結合しています。
この「たなばた」は、
「タ(ン)ガ・パタパタ」、TANGA-PATAPATA(tanga=be assembled;patapata=drop,parallel lines in the detail of carving)、「平行線(を辿る牽牛・織女の二星)が・出会う(のに合わせて願い事をする。行事)」または「(滴る)水に・縁がある(行事)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」と、「パタパタ」の反復語尾が脱落して「バタ」となった)
の転訛と解します。
長野県木曽郡日義村の徳音寺で8月14日に行われる木曽義仲追善の松明行事を「らっぽしょ(だっぽしょう)」と呼びます。
この「らっぽしょ」、「だっぽしょう」は、
「ラポイ・チオ」、RAPOI-TIO(rapoi=swarm,assemble;tio=cry)、「(人々が松明に)群がって・歓声を上げる(行事)」(「ラポイ」の語尾のI音が脱落して「ラポ」から「ラッポ」と、「チオ」が「ショ」となった)
「タポイ・チオ」、TAPOI-TIO(tapoi=be travelled round;ti0=cry)、「歓声を上げながら・(松明が)巡行する(行事)」(「タポイ」の語尾のI音が脱落して「タポ」から「ダッポ」と、「チオ」が「ショウ」となった)
の転訛と解します。
滋賀県蒲生郡蒲生町の高木神社で春の祭礼に奉納される長刀(なぎなた)振りを主とする踊りをけんけと祭と呼びます。記録調査の選択無形民俗文化財となっています。
この「けんけと」は、
「カイ(ン)ガ・カイトア」、KAINGA-KAITOA(kainga=field of operation,scope of work;kaitoa=brave man,warior)、「(勇猛な)戦士が・技を披露する(行事)」(「カイ(ン)ガ」のAI音がE音に、NG音がN音に変化して「ケナ」から「ケン」と、「カイトア」のAI音がE音に変化し、語尾のA音が脱落して「ケト」となった)
の転訛と解します。
げーたー祭は、三重県鳥羽市神島で年の暮れから元旦の早朝にかけて行われる祭で、ぐみの枝を束ねて作った直径2メートルほどの「アワ」とよぶ輪を島の広場で島の若者たちが竹で激しく叩き、東の浜で輪の中に竹を突き入れて高々と持ち上げ、高く上がるほど豊漁とされます。
この「げーたー」は、「迎旦」の意と解する説がありますが、下記の解釈によれば、新しい年に嵐の害を避けるための呪術と解されます。
この「げーたー」、「あわ」は、
「(ン)ガハエ・タウ」、NGAHAE-TAU(ngahae=be torn(ngahaehae=torn into strips);tau=loop or thong of a bush)、「(木の枝の)輪(=アワ=嵐)を・激しく叩く(行事)」(「(ン)ガハエ」のNG音がG音に変化し、H音が脱落し、AE音がE音に変化して「ガエ」から「ゲー」と、「タウ」が「ター」となった)
「アワ」、AWHA(gale,storm)、「嵐」または「アウア」、AUA(far advanced,at a great height or depth)、「遠くへ(追われるもの)」(UA音がWA音に変化して「アワ」となった)(また 、この「あわ」は、「アワ」、AWA(an incantation to still a storm)、「嵐を鎮めるまじない」にも通じます。)
の転訛と解します。
香川県香川郡香川町の新池神社のひょうげ祭は、旧暦8月の上旬に、神事の後、檜の皮で葺き杉の葉を束ねた御輿を先頭に、シュロの繊維の丁髷やひげ、飼料袋の裃、カボチャの鍔をつけた芋茎の刀をつけた供人など、すべて農産品でできた用具で仮装して、高塚山から新池まで練り歩く奇祭として有名です。
この「ひょうげ(る)」とは、「おどける」、「こつけいなそぶりをする」という意味の方言とされます。
この「ひょうげ」は、
「ヒ・オ(ン)ゲ」、HI-ONGE(hi=raise,rise(whakahi=jeer,sneer);onge=scarce,rare)、「(変な仮装で)軽蔑される・極く稀な(祭)」(「オ(ン)ゲ」のNG音がG音に変化して「オゲ」となり、「「ヒ・オゲ」から「ヒョウゲ」となった)
の転訛と解します。
長崎市の諏訪神社の例祭を挟む前後3日間(10月7日から9日まで)を「おくんち」または「長崎くんち」といい、各町が輪番制で蛇踊りや曳船などの奉納踊りを行い、重要無形民俗文化財となつています。
また、佐賀県唐津市にも11月3日、4日の唐津神社の例祭に兜、鯛など14台の曳山が巡行する勇壮な「唐津くんち」があり、重要無形民俗文化財となつています。
この「おくんち」は、「御宮日」と解する説があります。
この「おくんち」、「くんち」は、
「アウ・クム・ウチ」、AU-KUMU-UTI(au=firm,intense;kumu=clench,close;uti=fuss,ado)、「(人々が)密に・(抱き合うほど)群がって・大騒ぎする(祭)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」と、「クム」の語尾のU音と「ウチ」の語頭のU音が連結して「クムチ」から「クンチ」となった)
「クム・ウチ」、KUMU-UTI(kumu=clench,close;uti=fuss,ado)、「(人々が抱き合うほど)群がって・大騒ぎする(祭)」(「クム」の語尾のU音と「ウチ」の語頭のU音が連結して「クムチ」から「クンチ」となった)
の転訛と解します。
長崎県福江市には、1月16日に羽根つき、綱引き、相撲、玉蹴り、大草履の奉納などを行い、誰彼となく「ヘンガ」と呼ぶ鍋墨を塗って回る奇祭、「へとまと」があり、重要無形民俗文化財となつています。
この「へとまと」は、「ヘトヘト」になるまで激しく競技を行うから、小正月の年占いに行われる的射に「アトマト」などという言い方があり、これと関係があるなどの説があります。
この「へとまと」、「へんが」は、
「ヘ・ト・マトフ」、HE-TO-MATOHU(he=strange,different;to=drag,moisten,anoint;matohu=mark)、「しるし(の鍋墨)を・(肌に)塗る・変わった(祭)」(「マトフ」のH音が脱落して「マトウ」から「マト」となつた)(この鍋墨を塗る風習は、「墨付け祭」、花嫁・花婿への「墨付け」や新しく生まれた赤ん坊への「ハンコ押し」などとして各地に存在しますが、これが何の目的であるかは判然としません。同族の一員に加わったことを示すマークか、あるいは厄払いもしくは病気など災難除けのマークかとも思われますが、この言葉からすれば南方系の風俗に起源を持つ可能性があり、なお検討を要します。)
「ヘ(ン)ギア」、HENGIA(black skin)、「黒い皮膚(にするための鍋墨)」(IA音がA音に変化して「ヘンガ」となった)
の転訛と解します。
子供が転んだり、ぶつけたりして泣く時に、母親などが痛む所を撫でたり、さすったりしながら、すかし宥めるときに唱える呪文で、江戸期には「ちちんぷいぷい、御世(ごよ)の御宝(おたから)」などと、現代では「ちちんぷいぷい、痛いの痛いの飛んで行け」などと使います。「ちちんぷいぷい、御世の御宝」は、「智仁武勇は御世の御宝」の意とする説があります。
この「ちちんぷいぷい」、「ごよのおたから」は、
「チ・チ(ン)ガ・プイヒ・プイヒ」、TI-TINGA-PUIHI-PUIHI(ti=tingle;tinga=likely;puihi=flee,fly)、「(ひりひりと、またはずきずきとする)痛み・に似たもの(不快感)は・飛んで行け・飛んで無くなれ」(「チ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「チナ」から「チン」と、「プイヒ」のH音が脱落して「プイイ」から「プイ」となった)
「(ン)ゴイオイオ・ノホ・タカラ(ン)ギ」、NGOIOIO-NOHO-TAKARANGI(ngoioio=weak,weary;noho=sit,stay;takarangi=stagger,faint)、「(痛みが)弱くなって・(気絶したように)無くなって・しまえ」(「(ン)ゴイオイオ」のNG音がG音に変化し、反復語尾が脱落して「ゴヨ」と、「ノホ」のH音が脱落して「ノオ」と、「タカラ(ン)ギ」の語尾のNGI音が脱落して「タカラ」となった)
の転訛と解します。
雷が鳴る時に落雷を避けるために唱える呪文です。桑原は菅原家所領の地名で、菅原道真配流の後、度々落雷がありましたが、この桑原には一度も落ちなかったという言い伝えがあり、また、落雷は菅原道真の怨念の仕業という考えから、落雷避けの呪文となつたとする説があります。
この「くわばら」は、
「クワ・パラ」、KUWHA-PARA(kuwha=kuha=thigh,connection by marriage;para=blood relative,a form of address by a child to its father)、「(婚姻関係で繋がっている)親戚の・お父さん(である菅原道真さんよ。頼むから雷を落とさないでくれ)」
の転訛と解します。
成功するか失敗するか、成否を天に任せて、思い切ってやることを「のるかそるか」といいます。
この語は、南方語の「ヌルカ(地獄)・ソルカ(天国)」からかとする説(日置正一『ことばの事典』)がありますが、私が知る限り、インドネシア語では「ナラカ(naraka,地獄)・スルガ(surga,天国)」、マレー語では「ネラカ(neraka,地獄)・シュルガ(syurga,天国)」で、発音・意味がかなり違い、疑問です(なお、インドネシア語の「スルガ」が「駿河」の語源とする説については、地名篇(その九)の第3の1駿河国の項を参照してください)。
この「のるかそるか」は、
「(ン)ガウ・ルカ・タウ・ルカ」、NGAU-RUKA-TAU-RUKA(ngau=bite,hurt,attack;ruka,rukaruka=utterly,completely;tau=come to rest,be suitable,be able)、「完全に(行うことに)・(傷を負う)失敗するか・完全に(行うことに)・うまく行くか」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」と、「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)
の転訛と解します。
東北地方を中心として関東地方、裏日本等に広く「あらはばき神」を祀る神社があります。多くは主神ではなく、摂社等に副神・客神として祀られる例が多いようです。
この神の由緒、信仰は明らかではなく、柳田国男氏はこれを「客人(まろうど)神」と、折口信夫氏は「地主神に似る、神社以前の土着神」と、谷川健一氏は「もと地主神、塞の神であったものが客人神となった門客人神」と、吉野裕子氏は「蛇神で、荒神」とするなど、諸説があります。その一部は巨石信仰と結びつき、また「脛巾(はばき)をつけて諸国を行脚する神」と解されて「脛巾」を神前に供えるなどの風習も一部に見られます。
この「あらはばき」は、
「アラハ(ン)ガ・パ・キ」、ARAHANGA-PA-KI(arahanga=act of leading etc.,bridge,ladder;pa=stocade,fortified place;ki=full,very)、「数多くの・(周りに柵を巡らした)集落を・率いる(人物。神)」(「アラハ(ン)ガ」の名詞形語尾のNGA音が脱落して「アラハ」となった)
の転訛と解します。
神社の参道入口や社殿の周囲の玉垣に開かれた門を鳥居(とりい。とりゐ)といいます。寺院や墓所にも見られ、内部が聖域であることを標示して、俗域と隔離する機能を果たします。仏教でいう結界に立てられることが多いとされます。
『皇太神宮儀式帳』(延暦23(804)年)には「於不葺御門(うえふかずのごもん)」とあり、鳥居の名称はそれ以降と考えられています。(『和泉国大鳥神社流記帳』(『平安遺文』所収。延喜22(922)年)など。)中世以降「華表」と表記する例もあります。
鳥居の語源は、(1)神に供えた鳥の止まり木の意、(2)鳥が居やすい所の義、(3)通り入るの義、(4)汚れたものを止めるトマリヰ(止処)の意などの説があります。
鳥居の起源については、日本固有説、中国の華表、朝鮮半島の紅箭(不明)、タイの高門、中国雲南からタイにかけてのアカ族などの原住民の民俗(鳥越憲三郎『原弥生人の渡来』ほか)、インド源流説など種々ありますが、定説はありません。
この「とりい」は、
「タウリ・ウイ」、TAURI-UI(tauri=band,bind,secure with a fillet;ui=disentangle,disengage)、「縄を引き回して保護した(結界を)・(そこだけ)解いてある(場所。聖域の入口)」(「タウリ」のAU音がO音に変化して「トリ」と、「ウイ」が「ヰ」から「イ」となった)
の転訛と解します。
神事において、神を招くために手に持つものを採物(とりもの)といいます。
平安時代に内侍所御神楽と称され、宮中で行われた神楽の歌詞を記録した「神楽歌」には、榊(さかき)・幣(みてぐら)・杖(つえ)・篠(ささ)・弓(ゆみ)・剣(つるぎ)・鉾(ほこ)・杓(ひさご)・葛(かずら)の九種が採物歌として納められています。これらの採物は、神霊の降臨を願って神楽歌の舞人である人長(にんじょう)が持って舞うもので、これを持つことで神が宿るとされ、神の依代としての機能を持つものです。そこから神事に起源を持つとされる芸能において、主役を務めたり、指揮の役の者が手に携えるものを採物と呼びました。これを手にして振ることで、神霊を発動させる祭具・呪物たる機能を発揮するとともに、それを持つ者にも神の依代としての性格を付与するものです。
この「とりもの」は、
「タウリ・モノ」、TAURI-MONO(tauri=band,bind,secure with a fillet;mono=plug,caulk,disable by means of incantations)、「(飾りリボンを結んだ)美しく束ね(るなど手に持ちやすくし)た・(神を降ろしてそこに封じこめる)依代(である物)」(「タウリ」のAU音がO音に変化して「トリ」となった)
の転訛と解します。
古くからの和船の操船用語で、船の左舷または舵を左に切ることを取舵(とりかじ)といい、船の右舷または舵を右に切ることを面舵(おもかじ)といい、舵を真っ直ぐにとることを「ようそろ」といいます。取舵は、和磁石の十二支で北を子の方向に合わせると左舷は酉(とり)の方向となることから取舵と、右舷は卯(う)の方向になることから卯面舵(うもかじ)から「おもかじ」となったとする説があります。
左舷は、聖なる舷とされ、船下し(進水式)で船を海に浮かべてから、湾口付近の神が宿る聖なる岩礁、島や神社前の海域を三回まわる習わしが各地にありますが、必ず左まわりに回る(取舵)ものとされ、祭り・盆・正月に船玉様に供物を上げるときに船主はかならず左舷から乗船するしきたりです。これに対して海上で死人を見つけたときなど不浄物を船に乗せるのは右舷(面舵)からで、取り舵から降ろすものとされ、船上で用便を足す際は面舵側の(船尾)からというように面舵側は不浄意識が強いという風習があります。
この「とりかじ」、「おもかじ」、「ようそろ」は、
「タウリ・カハ・チ」、TAURI-KAHA-TI(tauri=band,bind,secure with a fillet;kaha=edge,lashings of the attached sides of a canoe;ti=throw,cast)、「縄を引き回して保護した(聖なる)・舷側が・ある(側。左舷側。左舷側に舵を切ること)」(「タウリ」のAU音がO音に変化して「トリ」と、「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)
「オモ・カハ・チ」、OMO-KAHA-TI((Hawaii)omo=to suck,gasp;kaha=edge,lashings of the attached sides of a canoe;ti=throw,cast)、「(不浄なものも)取り入れる・舷側が・ある(側。右舷側。右舷側に舵を切ること)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)
「イオ・トロ」、IO-TORO(io=muscle,line;toro=stretch forth,extend)、「(船の進む)進路(の線)を・(真っ直ぐに)延ばす」(「イオ」が「ヨウ」と、「トロ」が「ソロ」となった)
の転訛と解します。
伊勢神宮の別宮、伊雑宮(いざわのみや)で毎年6月24日に行われる御田植祭は、千葉県の香取神宮、大阪の住吉大社とともに日本三大田植祭の一に数えられ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。古式ゆかしい装束に身を包んだ太鼓打ちや簓摺(ささらすり)らによる田楽が響きわたる中、白い着物に赤いたすきがけをした早乙女たちによって厳(おごそ)かに行われる御田植神事に先だって、御料田の脇に立てられた高い竹にくくりつけられた大翳(おおさしは。「ごんばうちわ」とも呼ばれる。二段になっており、下段のうちわには中央に「太一」の文字が大書されている)を裸の男達が泥だらけになって争奪して、御料田の中を三回引き回す雄壮な「竹取神事」が行われます。
この「ごんば(うちわ)」は、
「(ン)ゴ(ン)ガ・パエ」、NGONGA-PAE(ngonga=beaten,crushed;pae=horizen,any transverse beam,perch)、「(争奪の対象となって)倒されて引き回される・(神が降臨する依代の)うちわ」(「(ン)ゴ(ン)ガ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ゴナ」から「ゴン」と、「パエ」の語尾のE音が脱落して「パ」から「バ」となつた)
の転訛と解します。
なお、「うちわ」は、「ウ・チワイ」、U-TIWHAI(u=be firm,be fixed,reach its limit;tiwhai,tiwhaiwhai=wave to and fro)、「懸命に・波を打つように動かすもの(うちわ)」(「チワイ」の語尾のI音が脱落して「チワ」となつた)の転訛と解します。「いざわ(伊雑)」については、地名篇(その三)の24三重県の(16)的矢湾のe伊雑(いざわ)宮の項を参照してください。
暦と季節の食い違いを調節するために日数または月数を普通の年よりも多くし、その年、月、日を「うるう。閏」と称します。
この「閏」字に「うるふ」の訓が付されたのは、「閏」に「潤」を通じて用いたからとする説があります。
この「うるう」は、
「ウル・フイ」、URU-HUI(uru=enter,possess as a familiar spirit,associate oneself with;hui=put or add together,double up,assembly)、「(暦の中に歳または月を)挿入して・(通常の歳または月の)仲間とする(歳または月。閏歳。閏月)」(「フイ」のH音と語尾のI音が脱落して「ウ」となった)
の転訛と解します。
月の初めを「ついたち。朔日」といい、「つきたち(月立ち)」から変化したとする説があります。
また、月の終わりを「つごもり(晦日)といい、「つきごもり(月籠もり)」または「つくごもり(月籠もり)」から変化したとする説があります。
この「ついたち」、「つごもり」は、
「ツヒ・タ・アチ」、TUHI-TA-ATI(tuhi=delineate,write,point at,indicate by pointing;ta=dash,beat,lay;ati=beginning)、「(月の満ち欠けの)始まりに・位置する・ことを示す(日の呼称。朔日)」(「ツヒ」のH音が脱落して「ツイ」と、「タ」のA音と「アチ」の語頭のA音が連結して「タチ」となった)
「ツ・(ン)ガウ・マウ・ウリ」、TU-NGAU-MAU-URI(tu=stand,settle;ngau=bite,hurt,attack;mau=fixed,continuing;uri=dark)、「(月が)浸食されて・(全く)暗く・なる・(日に)位置する(日の呼称。晦日)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「マウ」のU音と「ウリ」の語頭のU音が連結して「マウリ」となり、そのAU音がO音に変化して「モリ」となった)
の転訛と解します。
189オビシャ・オトウ・トウバン・オトウワタシ・オニッキ・ゴシンタイ
南関東地方、利根川下流の特に右岸を中心とする埼玉県東部、茨城県南部、東京都東部、千葉県北部に広く分布する、村落の春先の行事として、オビシャと呼ばれる祭事行事が行なわれてきている。
この行事については、「御備社」、「御毘沙」、「御日射」、「御歩射」などと宛字され、その中には弓射儀礼を伴うもの、ニラメッコや髭を撫でる盃事行事などの多様な儀礼が報告され、年占行事、太陽の再生の射日行事などとして理解する説があるが、その大多数は、「御神体」、「御日記」の引き継ぎ行事に止まり、これらの本質を巡る議論が錯綜している。
この「オビシャ」、「オトウ」、「トウバン」、「オトウワタシ」、「オニッキ」、「ゴシンタイ」は、
「アウ・ピチ・イア」、AU-PITI-IA(au=firm,intense;piti=put side by side,add;ia=indeed)、「実に・堅く・(並んでいる)結びついている人々の集り(結社。村落組織)」(「アウ」のAU音がO音に変化して「オ」と、「ピチ」のP音がB音に、T音がS音に変化して「ビシ」と、「イア」が「ャ」となった)
「オ・トフ(ン)ガ」、O-TOHUNGA(o=the...of,those...of;tohunga=skilled person,wizard,priest)、「あの(この結社の)・(祈祷など結社の業務運営に)熟達した人間または祈祷者(近世では「オトウ」と称される世話役)」(「トフ(ン)ガ」のH音および名詞形語尾のNGA音が脱落して「トウ」となった)
@「トフ(ン)ガ・パナ」、TOHUNGA-PANA(tohunga=skilled person,wizard,priest;pana=thrust or drive away,expel,cause to come or go forth in any way)、「(人々の推挙、籤、順番などによって)押し出されて就任する・(祈祷など結社の業務運営に)熟達した人間または祈祷者(当番)」(「トフ(ン)ガ」のH音および名詞形語尾のNGA音が脱落して「トウ」と、「パナ」のP音がB音に変化して「バナ」から「バン」となった)
またはA「タウ・パネ」、TAU-PANE(tau=season,year,the recurring cycle being the predominating idea rather than the definite time measurement,period of time;pane=head)、「(予め定められる)一定の周期において・(人々を世話し統率する)頭のような人間(当番)」(「タウ」のAU音がOU音に変化して「トウ」と、「パネ」のP音がB音に変化して「バネ」から「バン」となった)
「オ・トウトウ・ワタ・アチ」、O-TOUTOU-WHATA-ATI(o=the...of,those...of;toutou=put articles into a receptacle,offer and withdraw;whata=elevate,support,be laid;ati=offspring,descendant,clan)、「あの(世話役交替の際の慣例となっている)・(「御日記」とも「御神体」とも称される文書を)高く掲げて・次の世代(の世話役)へ・引き継ぐ行為(「オトウ渡し」と称される儀式)」(「トウトウ」の反復語尾が脱落して「トウ」と、「ワタ」の語尾のA音と「アチ」の語頭のA音が連結し、T音がS音に変化して「ワタシ」となった)
「オ・ヌイ・キヒ」、O-NUI-KIHI(o=the...of,those...of;nui=large,many,plentiful;kihi=strip,of branches,etc.)、「あの(文書に書かれた)・多数の・(枝分かれした)家族の家長名を記した文書(「御日記」と称されるもの)」(「ヌイ」が「ニ」から「ニッ」と、「キヒ」のH音が脱落して「キ」となった)
「(ン)ガウ・チニ・タイ」、NGAU-TINI-TAI(ngau=act upon,affect,attack;tini=very many,host;tai,taitai=perform certain ceremonies to remove tapu,etc.)、「極めて多数の・(豊作祈願や魔除け招福祈願などの)祈祷が・籠められている文書(「御神体」と称されるもの)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」と、「チニ」のT音がS音に変化して「シニ」から「シン」となった)
と解します。
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土佐方言で、「頑固、強情っぱり、片意地、一徹、わがまま、やせがまん、などなど」を意味します。「異骨相、威豪相、畏豪相」などとも書かれますが、その語源は明らかではないとされます。
この「いごっそう」は、マオリ語の
「イ・(ン)ゴト」、I-NGOTO(i=ferment,be stirred of the feelings;ngoto=be deep,be intense of emotions,penetrate,firmly,head)、「物事に強く執着する思いが心の底から沸き上がってくる」
の転訛と解します。
土佐方言で、男性の「いごっそう」にあたるのを「はちきん」といい、男勝りで、明るく、活発な女性を指すとされます。
この「はちきん」は、マオリ語の
「ハ・チキ・ナ」、HA-TIKI-NA(ha=what!;tiki=fetch,proceed to do something;na=particle used after words and clauses to indicate position near or connection with the person addressed)、「なんとまあ・物事をさっさと片づける・(女性である)ことよ」(語尾の「ナ」が「ン」となった)
の転訛と解します。
肥後方言で、「頑固者、意地っぱり」をいいます。
この「もっこす」は、マオリ語の
「モコ・ツ」、MOKO-TU(moko=tatooing on the face or body;tu=stand,remain,be turned up of the nose)、「(旧来の風習に固執して)入れ墨をしている(または入れ墨をしているために軽蔑されている)」
の転訛と解します。
鹿児島方言で、「ぼっけ」は「肝がすわった」、「大胆な」、「もん」は「者」の意とされますが、「いごっそう」、「もっこす」に対応する「頑固者」の意でも使われることがあります。
この「ぼっけもん」は、マオリ語の
「ポケ・モナ」、POKE-MONA(poke=appear as a spirit,haunt;mona=for him,for her)、「神がかりしたように固執して人を悩ます・彼(彼女)」(「ポケ」が「ボッケ」となった)
または「ポウ・ケ・モナ」、POU-KE-MONA(pou=pole,fasten to a stick,fix or render immovable by occult means;ke=strange,different;mona=for him,for her)、「神がかりしたように固執してやまない・奇妙な(行動をとる)・彼(彼女)」(「ポウ」のOU音がO音に変化して「ボッ」と、「モナ」が「モン」となった)
の転訛と解します。
平成13年1〜3月に放映されたあるテレビドラマの題名に使われた関西方言で、通常は「文句(口答え)ばかり言う人」、「わがままな人」の意です。
この「かばちたれ」は、マオリ語の
「カパ・チ・タレ」、KAPA-TI-TARE(kapa=disobedient,wayward,play,row;ti=throw,cast;tare=send)、「従順でないこと(言葉、行動)を周りに投げつける」
の転訛と解します。なお、「タレ」は、「タラヒ、TARAHI(diarrhoea,light showers)、一気に垂れ流す、吐き出す」の転訛(H音が脱落し、A・I音がE音に変化して「タレ」となつた)かも知れません。
東京の祭礼で御輿の渡御の際に用いられる最も一般的な掛け声です。
『メトロニュース』(平成13年5月号(第292号)、帝都高速度交通営団広報誌)に富岡八幡宮御輿総代連合会副幹事長の高橋富雄さんが、「ワッショイと叫びながら手を横に振ると、自然に足が前に出る。セイヤだと足踏みしてしまって進まない」と語っています(「ハートフル深川ー「ワッショイ!」平泉に伝播」欄から)。江戸ッ子の血の中にもはるか昔の縄文語の記憶が遺伝子として組み込まれているに違いありません。
この「わっしょい」は、マオリ語の
「ワツ・チオ・オイ」、WHATU-TIO-OI(whatu=weave;tio=cry;oi=shudder,move continuously as the sea,agitate)、「(織物を織るように)ジグザグに・叫びながら・(寄せては返す海の)大波のように進め!」
の転訛と解します。
東京の祭礼で御輿の渡御の際に戦後用いられるようになった掛け声です。
この「せいや」は、マオリ語の
「タイ・イア」、TAI-IA(tai=the sea,wave,rage,violence;ia=current,indeed)、「荒波(怒涛)のように(進め)!」(「タイ」のAI音がEI音に変化して「セイ」と「イア」が「ヤ」となった)
の転訛と解します。
なお、この「せいや」は、どちらかといえば「せーや」だと思われます。マオリ語には、このほか「せあ」または「せや」と短く発音する一語の「タイア」、TAIA(by and by)、「少しづつ(進め)。ちょっと待て(止まれ)」(AI音がE音に変化して「セア」または「セヤ」となった)の語があり、これですとあまり元気が出ないのは当然です。
東京の祭礼で御輿の渡御の際に戦後用いられるようになった掛け声です。
この「そいや」は、マオリ語の
「トイ・イア」、TOI-IA(toi=move quicjly,trot,encourage,incite;ia=current,indeed)、「元気を出して(進め)!」(「トイ」のT音がS音に変化して「ソイ」となつた)
の転訛と解します。
なお、これらの「せいや」、「そいや」は、戦後の流行のようですが、日本のどこかの祭礼で使われてきた掛け声が移入されたものと考えられます。
愛知県北設楽郡東栄町の花祭りで用いられる掛け声です。
これは、11月中旬から3月にかけて、町内11ケ所で広場に釜を据えて行われる湯立神事で、神楽舞を鬼が釜の周りを回りながら舞うときに周囲の参加者が掛ける掛け声です。
この「てえふれてふれ」は、マオリ語の
「タイフリ・タイフリ」、TAIHURI(turn)、「(釜の回りを)ぐるぐる回れ、回れ」(AI音がE音に、語尾のI音がE音に変化して「テフレ」、「テ(ー)フレ」となつた)
の転訛と解します。
なお、最近では「てほへ・てほへ」という掛け声が一般的になつたといいます。
この「てほへ」は、マオリ語の
「タイ・ホヘ」、TAI-HOHE(tai=tide,wave,violence;hohe=active,strong)、「荒々しく勇壮に(舞え!)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」となつた)
の転訛と解します。
京都洛北の鞍馬(くらま)山(569メートル)中腹に鎮座する地主神の由岐(ゆき)神社で10月22日に行われる祭礼は、「鞍馬の火祭り」として有名です。
この祭りは、鞍馬山の修験道の柱松行事の名残りともいわれ、大松明に点火して階段を登る行事のほか、手松明を担いだ若者や子供が「さいれい(祭礼)・さいりよう(祭領)」の掛け声で地域内を練り歩き、鞍馬の山が火の海のように見える京都三奇祭の一つです。
この「さいれい・さいりょう」は、マオリ語の
「タイ・レイ・タイ・リオ」、TAI-REI-TEI-RIO(tai=tide,wave,violence;rei=rush,run;rio=be diminished)、「(松明を)波のように大きく振れ、小さく振れ」
の転訛と解します。
なお、この「くらま」、「ゆき」は、マオリ語の
「ク・ラマ」、KU-RAMA(ku=silent,a game played,by opening and shutting the hands while reciting certain verses;rama=torch)、「松明を振る(祭りをする山)」
「イフ・キ」、IHU-KI(ihu=nose;ki=full,very)、「大きな鼻(の天狗。それを祀る神社)」
の転訛と解します。(地名篇(その三)の京都府の(3)賀茂川のe鞍馬山の項および地名篇(その八)の3の(7)鞍馬の火祭りの項を参照して下さい。)
島根県松江市城山の稲荷神社の御輿を船に載せて阿太加夜神社に迎える行事を「ホーランエンヤ」といい、またその際の「かけ声」となっています。
この行事は、松平直政が松江藩主となつて10年目の寛永25(1648)年天候不順で五穀が実らなかったので、松平直政が信仰する稲荷神に願を掛け、城内の稲荷神を式内社阿太加夜神社に迎えさせ、17日間におよぶ祈祷を行つたところ五穀が豊穣となつたので、これが嘉例となつて10年ごと(後に12年ごと)に式年神幸祭が行われることとなつたと伝えられます。御輿が船渡御をする際、引船を出して「ホーランエンヤ」の掛け声を掛けながら奉仕する行事は、文化5(1808)年に始まったとされ、幕末ごろから明治にかけて櫂伝馬踊り、来振り踊りが行われ、掛け声・唄・衣裳などが次第に華やかになつたようです。
これは日本三大船神事の一つとされ、現在は12年に1回(卯年)開催されます。
この「ほーらんえんや」は、マオリ語の
「ハウラ(ン)ギ・エ(ン)ギア」、HAURANGI-ENGIA(haurangi=mad,exasperated,furious;engia=expressing assent))、「狂え(狂ったように漕げ)!・いいぞ!」(「ハウラ(ン)ギ」のAU音がOU音に、NG音がN音に変化して「ホウラニ」から「ホウラン」と、「エ(ン)ギア」のNG音がN音に変化して「エニア」から「エンヤ」となった)
の転訛と解します。
夏の日本海側で吹く北寄りの風で、あまり強くなく涼しい風で、海から種々の珍しい物を打ち寄せてくれる好ましい風とされてきました。また、北前船が上りの順風として利用しました。この風名は、古くは「あゆ(あえ)の風」とも呼ばれ、北海道南部、太平洋岸三陸地方から愛知県まで分布しています。
この「あい」は、
「アイヘ」、AIHE(dolphin,driftwood,drifting)、「(流木など)漂流物を吹き寄せる(風)」(H音が脱落して「アイエ」から「アエ」、「アイ」となった)
の転訛と解します。
冬に西日本で吹く強い北西季節風を「あなじ」、「あなし」または「あなぜ」と呼びます。「あなじの八日吹き」といって陰暦12月8日に荒れ模様になることが多くありました。
この「あなじ」、「あなし」、「あなぜ」は、
「アナ・チ」、ANA-TI(ana=calling immediate attention;ti=throw,cast,overcome)、「用心すべき・(何でも)吹き倒す(風)」
「アナ・タイ」、ANA-TAI(ana=calling immediate attention;ti=throw,cast,overcome;tai=the sea,the tide,wave,violence)、「用心すべき・暴れまくる(風)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」から「ゼ」となった)
の転訛と解します。
海から吹く南東ないし南西の風で、特に台風期の強風を「いなさ」と呼びます。東日本、とくに関東で主にいわれています。
この「いなさ」は、
「イナ・タ」、INA-TA(ina=used to emphasise statements as to quality;ta=dash,beat,lay)、「襲い・かかってくる(風)」
の転訛と解します。
山の方から吹き下ろす冷たい風を「おろし」と呼びます。主として太平洋側でいわれ、日本海側では同種の風を「だし」と呼びます。山の名を冠して「赤城おろし」、「筑波おろし」、「六甲おろし」などとも呼ばれます。
この「おろし」は、
「オロ・チ」、ORO-TI(oro=sharpen on a stone,grind,defame,backbite;ti=throw,cast,overcome)、「(砥石で)削るように・(きれいに)吹き倒す(風)」
の転訛と解します。
晩秋から初冬にかけて吹き出す大陸からの季節風のはしりをいい、木の葉を吹き落として枯れ木のようにすることからの名とされます。
この「こがらし」は、
「カウ・(ン)ガラ・チ」、KAU-NGARA-TI(kau=swim,wade;ngara=snarl;ti=throw,cast,overcome)、「海を渡ってくる・うなり声をあげて・吹き荒れる(風)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」と、「(ン)ガラ」のNG音がG音に変化して「ガラ」となった)
の転訛と解します。
北風が吹いていた冬が終わって、春に吹く東の風を「こち(東風)」と呼びます。
この「こち」は、
「コチ」、KOTI(spurt out,flow,come into bloom of plants)、「(草木の)花を咲かせる(風)」
の転訛と解します。
陸から海へ向かって吹き、船出に便利な「出し風」の意とされます。日本海側では東または南風、東海地方では北風を指します。山形県庄内地方の「清川だし」、新潟県北部の「荒川だし」などが著名です。
この「だし」は、
「タ・アチ」、TA-ATI(ta=dash,beat,lay;ati=descendant,clan)、「(急に)襲いかかってくる・部類の(風)」(「タ」のA音と「アチ」の語頭のA音が連結して「タチ」から「ダシ」となった)
の転訛と解します。
冬に北日本の日本海側で吹く北寄りの風を「たま風」または「たば風」と呼びます。
この「たま」、「たば」は、
「タ・マ」、TA-MA(ta=dash,beat,lay;ma=white,clear)、「(冬になると)襲ってくる・白い(雪を伴った。風)」
「タ・パ」、TA-PA(ta=dash,beat,lay;pa=assault,blow as the wind,reach one's ears,be struck)、「(冬になると)襲ってきて・吹き荒れる(風)」
の転訛と解します。
東日本の太平洋側で吹く冬の季節風を「ならひ(ならい)」と呼びます。山並みに沿って吹くからとする説があり、地方によって風向が異なります。
この「ならひ(ならい)」は、
「ナ・ラヒ」、NA-RAHI(na=belonging to;rahi=great,abundant,numerous,loud)、「大きな(音を立てて吹く)・部類の(風)」(「ラヒ」のH音が脱落すると「ライ」となった)
の転訛と解します。
秋に吹く暴風を野分(のわき)と呼びます。野の草を分けて吹き通る風の意と解されています。
この「のわき」は、
「(ン)ガウ・ワキ」、NGAU-WHAKI(ngau=bite,hurt,attack;whaki=disclose,confess(whawhaka=pluck off,tear off etc.))、「(突然)襲ってきて・(草木を薙ぎ倒して)地面をむきだしにする(風)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)
の転訛と解します。
「はえ」は山陰、西九州地方でよく用いられる南風の呼称です。夏の季節風ですが、地域により内容は異なり、暖かい穏やかな風として好ましい風を指す場合と、反対に好ましくない風として呼ばれる場合があります。
また、関東以北の太平洋岸を中心として、南から吹く風を「みなみ」とも呼びます(『万葉集』の大伴家持の歌(18-4106)にもみえます)。
この「はえ」、「みなみ」は、
「ハ・アエ」、HA-AE(ha=breath,breathe,what!;ae=calm)、「静かな(穏やかな)・息のような(風)」(「ハ」のA音と「アエ」のA音が連結して「ハエ」となった)または「ハエ」、HAE(tear,cut,cause pain,fear,dislike)、「恐るべき(被害をもたらす。風)」
「ミナ・ミヒ」、MINA-MIHI(mina=desire,feel inclination for;mihi=sigh for,lament,greet,admire)、「(冬が終わって南風が吹き出し雪を解かす)偉業をなしとげることを・心待ちにする(風)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)(なお、ちなみに、南(方)の「みなみ」は、「ミナ・ミイ」、MINA-MII(mina=desire,feel inclination for;(Hawaii)mii=clasp,attractive,fine-appearing,good-looking)、「魅力あるもの(地域)として・あこがれる(祖先の出身地である。地域。その方角)」と解します。)
の転訛と解します。
寒冷前線の通過に伴う突風で、驟雨をともなうことがある風を「はやて(早手、疾風)」と呼びます。
この「はやて」は、
「ハ・イア・タイ」、HA-IA-TAI(ha=breath,breathe,what!;ia=indeed,current;tai=the sea,the tide,wave,violence)、「実に・荒々しく・息をする(風)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」となった)
の転訛と解します。
広く日本海側で夏の南よりの強風を「ひかた」と呼びます。北海道南部や、オホーツク沿岸の「ひかた」は、春の強い南風を指します。
この「ひかた」は、
「ヒカ・タ」、HIKA-TA(hika=rub violently,kindle fire by friction;ta=dash,beat,lay)、「荒々しく擦(こす)るように・襲う(風)」
の転訛と解します。
瀬戸内地方から伊豆地方にかけて太平洋岸の各地で春から夏にかけての弱い南よりの季節風を「まじ」または「まぜ」と呼びます。
この「まじ」、「まぜ」は、
「マチ」、MATI(surfeited)、「満腹した(がつがつしない、弱い。風)」
「マテ」、MATE(dead,extinguished,injured,damaged)、「死んだような(弱い。風)」
の転訛と解します。
富山県黒部地方では雪崩の原因となる突風を「ほう」と呼びました。
この「ほう」は、
「ハウ」、HAU(wind,breath,eager,brisk,act energetically)、「強く吹く(風)」(AU音がOU音に変化して「ホウ」となった)
の転訛と解します。
阿蘇の火口原にたまった冷気が外輪山の切れ目の立野から白川沿いに熊本平野に吹き出す強風を「まつぼり風」といいます。「まつぼり」は「貯蓄」、「へそくり」などの意味の方言でこれによるとする説があります。
この「まつぼり」は、
「マツ・ポリ」、MATU-PORI(matu=cut,cut in pieces;pori=wrinkle,fold as of the skin with fat,people,tribe)、「皺(山脈、ここでは外輪山)を・切り割る(外輪山の切れ目から吹き出す。風)」
「マ・アツ・ポリ」、MA-ATU-PORI(ma-atu=go,come;pori=wrinkle,fold as of the skin with fat,people,tribe)、「皺が寄るほど脂肪が溜まって・きた(お金が・貯まった)」(「マ」のA音と「アツ」の語頭のA音が連結して「マツ」となった)
の転訛と解します。
愛媛県伊予三島市は、北は燧(ひうち)灘に面し、南は中央構造線が東西に走る四国山地の北斜面の深い山谷となっています。この地方では南からの強い局地風(やまじ風)が吹くため、石置き屋根や、鉄筋コンクリート造の民家が多く見られます。
この「やまじ」は、
「イア・マチ」、IA-MATI(ia=indeed,current,rushing stream;mati=surfeited)、「強く吹く・(なんでも)たらふく腹に飲み込む(風)」
の転訛と解します。
古くは日本海側で陸から海へ向かって吹く風を指し、上方へ向かう船の順風として好まれていましたが、次第に夏季に北日本の主として太平洋岸に吹き寄せる低温の偏東風を指すようになり、稲作などに甚大な低温被害をもたらすものとして恐れられています。
この「やませ」は、
「イア・マテ」、IA-MATE(ia=indeed,current,rushing stream;mate=dead,extinguished,injured,damaged)、「実に・弱い(風)」または「強く吹く・(作物に)被害を与える(風)」
の転訛と解します。
決まった強さで長く降り続く雨を「じあめ(地雨)」と呼びます。
この「じ(し)」、「あめ」は、
「チア」、TIA(persistency)、「永続する(雨)」(「じあめ(地雨)」の場合には、語尾のA音と次の「アワ」の語頭のA音が連結します)
「アワ・マエ」、AWHA-MAE(awha=storm,rain;mae=languid,listless,withered)、「元気のない・(台風の)雨」(「アワ」のWH音が脱落して「ア」と、「マエ」のAE音がE音に変化して「メ」となった)
の転訛と解します。
地面や海面に接した大気中で水蒸気が凝結し、無数の微細な水滴となって浮遊し、煙のように見えるものを「きり(霧)」といい、古くは春秋ともに「かすみ(霞)」ともいいましたが、後世春立つのを霞、秋立つのを霧といいました。
狭霧(さぎり)の「さ」は通常単なる助詞と解されています。
大気中に低く立ちこめた細かい霧や、煙のような霧を「もや(靄)」と称します。
この「きり」、「さ(ぎり)」、「かすみ」、「もや」は、
「キヒ・イリ」、KIHI-IRI(kihi=indistinct of sound,barely audible,cut off,destroy completely;iri=be elevated on something,hang,be suspended)、「(その存在がおぼろげに見える)細かい(水滴が)・(空中に)漂っているもの(霧)」(「キヒ」のH音が脱落して「キ」となり、そのI音と「イリ」の語頭のI音が連結して「キリ」となった)
「タ」、TA(the...of,dash,beat,lay,sprinkle by means of a branch or bunch of leaves dipped in water,breathe,wind)、「立ちこめた(霧)」または「タハ」、TAHA(side,pass on one side,go by)、「通り過ぎて行く(霧)」(H音が脱落して「タ」から「サ」となった)
「カ・ツ・ミイ」、KA-TU-MII(ka=take fire,be lighted,burn;tu=stand,settle,fight with,energetic;(Hawaii)mii=clasp,attractive,good-looking)、「(山野を焼く)火が・盛んに燃えて・(その煙が)美しく(充満しているような。霞)」
「モフ・イア」、MOHU-IA(mohu=smoulder;ia=indeed,current)、「実に・煙(が懸かっているような。靄)」(「モフ」のH音が脱落して「モウ」から「モ」となった)
の転訛と解します。
霧のように細かい雨を「きりさめ(霧雨)」、「ぬか雨」、「こぬか雨」と称します。
また細かな雨を「こさめ(小雨)と称します。
この「(きり)さめ」、「こ・ぬか」、「こさめ」は、
「タ・マエ」、TA-MAE(ta=the...of,dash,beat,lay,sprinkle by means of a branch or bunch of leaves dipped in water,breathe,wind;mae=languid,listless,withered)、「極めて・弱い(雨)」(「マエ」のAE音がE音に変化して「メ」となった)
「コ・ヌカ」、KO-NUKA(ko=descend,cause to descend;nuka=deceive,dupe)、「小さい(より細かい)・(霧と)紛らわしい(雨)」
「コタ・マエ」、KOTA-MAE(kota=anything to scrape or cut with,sawdust,fragments of charcoal from burnt bush;mae=languid,listless,withered)、「鋸屑のような(細かい)・弱い(雨)」(「マエ」のAE音がE音に変化して「メ」となった)
の転訛と解します。
一しきり強く降っては止み、止んでは降る雨を「むらさめ(村雨)」といい、「群になって降る雨」の意と解されています。
秋の末から冬の初め頃に降ったり止んだりする雨を「しぐれ(時雨)」と呼び、初冬の季語となっています。「しぐれ」の語源は、(1)シバシクラキ(暫暗)の義、(2)シクレアメ(陰雨)の略、(3)シグレ(気暗)の義、(4)シキリクレ(頻昏)の義、(5)シゲククラム(茂暗)の義、(6)紅葉を染める雨であるところからソミハフレリ(染葉降)の反シフリの転、(7)イキグレ(気濛)の義、(8)シ(助詞)クレ(暗)からなどの説があります。
また、240みぞれ(霙)やみぞれに近い極めて冷たい雨を「ひさめ(氷雨)」と呼びます。古くは大雨(皇極紀)や240あられ(霰)とともに降る雨(神武紀)を「ひさめ」と呼んでいました。
この「むらさめ」、「しぐれ」、「ひさめ」は、
「ム・フラ・タ・マエ」、MU-HURA-TA-MAE(mu=silent;hura=remove a covering,begin to flow of the tide,bare,bald;ta=the...of,dash,beat,lay,breathe,wind;mae=languid,listless,withered)、「静かに(突然)・降り始める・弱い・雨」(「ム」のU音と「フラ」のH音が脱落して「ウラ」となったその語頭のU音が連結して「ムラ」と、「マエ」のAE音がE音に変化して「メ」となった)
「チヒ・(ン)グ・レイ」、TIHI-NGU-REI(tihi=sough or moan of the wind(tihitihi=make a gentle rustling sound,trifling,idling;ngu=silent,greedy,moan;rei=leap,rush,run)、「静かに・(急に)降り出す・しとしとと降る(雨)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」と、「(ン)グ」のNG音がG音に変化して「グ」となった)
「ヒタ・マエ」、HITA-MAE(hita=move convulsively or spasmodically;mae=languid,listless,withered)、「(冷たさに)痙攣を起こす・弱い(氷雨)」(「マエ」のAE音がE音に変化して「メ」となった)または「ヒタ・メ」、HITA-ME(hita=move convulsively or spasmodically;me=if,as if like)、「痙攣を起こした・ような(激しい。大雨)」
の転訛と解します。
陰暦5月頃に降る長雨を「さみだれ(五月雨)」または「つゆ(梅雨)」と呼びます。
「さみだれ」の語源は、(1)「サ(さつき(五月))・ミダレ(水垂)」の義、(2)サ(五月)アメタレ(雨垂)の転、(3)サツキアメクダル(五月雨下)の略転、(4)サナヘミダルアメ(早苗乱雨)の略転、(5)サツキミダレアメ(五月乱雨)の略転、(6)サメミダレ(雨乱)の略、(7)ソラミダレ(空乱)の義などと解する説があります。
また、「つゆ(梅雨)」の語源は、(1)露けき時節の義、(2)物がしめりくさるところから「ついゆ(潰)」の義、(3)梅がつはり熟するところからツハルの約などと解する説があります。
この「さみだれ」、「つゆ」は、
「タ・ミ・タレ」、TA-MI-TARE(ta=the...of,dash,beat,lay;mi=stream,river;tare=hang,gasp for breath,be drawn towards,be intent upon)、「ひっきりなしに・水(滴)が・(大地を)叩くような(雨)」
「ツ・ウイウ」、TU-WHIU(tu=stand,settle,fight with,energetic;whiu=throw,place,be gathered together)、「精力的に(ひっきりなしに)・(集めた)降り続く(雨)」(「ウイウ」のWH音が脱落して「イウ」から「ユ」となった)
(ちなみに草木の葉にたまる「つゆ(露)」は、「ツイ・ウ」、TUI-U(tui=pierce,thread on a string,lace,sew;u=be firm,be fixed,reach its limit)、「(水滴を)糸で繋いで・まとめたような(露)」の転訛と解します。)
の転訛と解します。
夏に雲が急に立って短時間に激しく降る大粒の雨を「ゆうだち(夕立)」といいます。
この語源は、(1)タツは天から降る意、(2)イヤフリクダチ(弥降下)の義、(3)夕暮れに降るから、(4)タツは雲が起こる義、(5)夕べに雲が起こり雨が降る意などの説があります。
この「ゆうだち」は、
「ヰウ・タハ・アチ」、WHIU-TAHA-ATI(whiu=throw,place,be gathered together;taha=side,pass on one side,go by;ati=descendant,clan)、「叩き付けるような・通り過ぎて行く・部類の(雨)」(「ヰウ」のWH音が脱落して「イウ」から「ユウ」と、「タハ」のH音が脱落して「タ」となったそのA音が「アチ」の語頭のA音と連結して「タチ」から「ダチ」となった)
の転訛と解します。
干天が続いた後に局地的に降る雨をその場所だけが潤うということで「ほまち雨」といいます。
そもそもの「ほまち」は、帆船で本来の荷物以外に私の荷物を運送してその料金を別に得ることをいい、これが定期収入または本職収入以外の臨時収入や、ひそかに貯めた金の意に用いられたものとされます。
「ほまち」の語源は、(1)ホカモチ(外持)の約、(2)ホモチ(穂持)の転などの説があります(これは説明になっていないと感じるのは私だけでしょうか)。
この「ほまち」は、
「ハウ・マチ」、HAU-MATI(hau=return present by way of acknowledgement for a present received;mati=surfeited)、「(客人が)十分に飽食した・お礼(に主人に対して)の贈り物(本来予期していなかった、当てにしていなかった収得物。雨など)」(「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」となった)
の転訛と解します。
237かみなり(雷)・いかずち(雷)・いなずま(稲妻)・はたたがみ(霹靂・霆)
電気を帯びた雲と雲、または雲と地表との間に起こる放電現象およびそれにともなう雷鳴を「かみなり(雷)」、「いかずち(雷)」、閃光を「いなずま(稲妻)」といいます。
また、強烈な雷鳴を古くは「はたたがみ(霹靂・霆)」と呼びました。
「かみなり」の語源は、通常カミナリ(神鳴)の義と解されています。
「いかずち」の語源は、(1)イカツチ(厳之霊)の義、(2)イカシツチ(厳祇)の義、(3)イカツチ(怒槌)の義、(4)イカ(怒れる心)・ツチは光が十方に散るチルテリの反、(5)怒って土に落ちるから、(6)イカツチ(厳槌)の義などの説があります。
「いなずま」の語源は、(1)稲は電光によって稔るという俗信から、(2)イカヅチの転、(3)イナトイフマノヒカリ(否言間光)の義などの説があります。
「はたたがみ」の語源は、(1)ハタタク・カミの義、(2)ハタハタカミナリの義、(3)海が荒れ雷が鳴るとハタハタ(鰰)が喜んで群れるところからなどの説があります。
この「かみなり」、「いかずち」、「いなずま」、「はたたがみ」は、
「カミ・(ン)ガリ」、KAMI-NGARI(kami=eat;ngari=annoyance,greatness,power)、「(一噛みにする)破壊する・強い力(を持つもの。雷)」(「(ン)ガリ」のNG音がN音に変化して「ナリ」となった)
「イカ・ツ・チ」、IKA-TU-TI(ika=victim;tu=fight with,energetic;ti=throw,cast,overcome)、「犠牲(となる)者を・激しく・打ち倒す(ような現象。雷)」
「イナ・ツ・マ(ン)ガ」、INA-TU-UMANGA(ina=adducing a fact as proof of anything,for,since,inasmuch as;tu=fight with,energetic;umanga=pursuit,food,an incantation for the destruction of the enemy)、「激しく・敵を殲滅する(呪術を行った)・結果をもたらすような(現象。稲妻)」(「マ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「マ」となった)
「ハタタ・カミ」、HATATA-KAMI(hatata=blustering;kami=eat)、「猛り狂う・一噛み(霹靂)」
の転訛と解します。
大気中の水滴に太陽の光が屈折・反射して太陽の反対方向にできる七色の弧状の帯を「にじ(虹)」と呼びます。
この語源は、(1)ニ(丹)・ジ(風)の義、(2)ニジミ(丹染)の意、(3)ニ(丹。赤)・シ(白)の意、(4)ニジ(丹気)の義、(5)ニ(丹)・ジ(スジ(筋)の反)、(6)ニシ(丹清)の転、(7)ノビソリの反、(8)蛇の精であるヌジの転、(9)古くはヌシでムシ(虫)の転、(10)ニハシ(似橋)の転などの説があります。
この「にじ」は、
「ヌイ・ヒ・チ」、NUI-HI-TI(nui=large,many;hi=raise,rise;ti=throw,cast,overcome)、「(天の)高いところに・懸かった・巨大なもの(虹)」(「ヌイ」のUI音がI音に変化して「ニ」となり、「ヒ」音がが脱落した)
または「ニヒ・チ」、NIHI-TI(nihi,ninihi=steep,move stealthily,come stealthily upon,surprise;ti=throw,cast,overcome)、「(足音を忍ばせて)いつのまにか・(天に)懸かるもの(虹)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」となった)
の転訛と解します。
239ゆき(雪)・なだれ(雪崩)・なで(雪崩)・じぬげ(全層雪崩)・わかば(表層雪崩)・わす(表層雪崩)
雲中の氷晶が併合成長して生じた白色不透明の結晶が降ってくるものを「ゆき(雪)」といいます。雪が傾斜面を急速に落下することを「なだれ(雪崩)」といいます。
東北地方では、雪崩を「なで」ともいい、春になつて起こる全層雪崩を「じぬげ」、寒中新雪が降って風のないときに突然起こる表層雪崩を「わかば」、あられが降った上に積もった新雪が起こす雪崩を「わす」と呼びました。
「ゆき」の語源は、(1)ユ(斎)・キヨシ(潔)の義、(2)ユキヨ(斎清)の義、やすく消えるところからユはヤスの反、キはキユルの下略、(3)空が寒く凍てて雨が凝り雪となるところからイツコリの反、(4)ユルヤカヒ(緩氷)の義、(5)ゆらゆらと来て清らかなものであるから、(6)ヒユケ(冷気)の義、(7)神の御幸の義でミユキ(深雪)の上略、(8)豊年の嘉祥であるところからユキ(幸)の義、(9)ユはフユ(冬)のユ、キはシロキ(白き)のキなどとする説があります。
この「ゆき」、「なだれ」、「なで」、「じぬげ」、「わかば」、「わす」は、
「ヰウ・キ」、WHIU-KI(whiu=throw,place,be gathered together;ki=full,very)、「(大地に)たくさん・(天から投げ出されて)降り積むもの(雪)」(「ヰウ」のWH音が脱落して「イウ」から「ユ」となった)
「ナ・タレ」、NA-TARE(na=by,belonging to;tare=hang,gasp for breath,be drawn towards,be intent upon)、「(雪が宙に浮いて)下に落ちてくる・ようなもの(雪崩)」
「ナ・タイ」、NA-TAI(na=by,belonging to;tai=the sea,the tide,wave,violent)、「()()」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」から「デ」となった)
「チネイ・(ン)ゲイ」、TINEI-NGEI(tinei,tineinei=unsettled,ready to move;ngei,ngeingei=stretching forth)、「(今にも動き出しそうな)不安定な(雪が)・前方に身体を乗りだした(雪崩)」(「チネイ」のEI音がU音に変化して「チヌ」から「ジヌ」と、「(ン)ゲイ」のNG音がG音に、EI音がE音に変化して「ゲ」となった)
「ワカパ」、WHAKAPA(close up,sterile)、「(不妊の)新雪が着床しない(で起こる。雪崩)」
「ワツ」、WHATU(stone,kernel,hailstone)、「霰(の上の新雪の雪崩)」
の転訛と解します。
雪が溶けかけて雨まじりに降るものを「みぞれ(霙)」といいます。
また、秋から冬に降る空中の雪に過冷却の水滴が付着した白色不透明な粒を「あられ(霰)」といいます。古くは夏に降る「ひょう(雹)」も含みました。
「みぞれ」の語源は、(1)ミヅアラレの略、(2)水降の義、(3)ミヅソヒタレ(水添垂)の義、(4)ミヅコホリアメの義、(5)ミヅシロ(水白)ラセの反、(6)サメ(雨)アラレの義、(7)ヒサメの転などの説があります。
「あられ」の語源は、(1)アラク(散る)の語根を重ねたアララの転、(2)疏の義、(3)アラは荒、レはコボレの上略、(4)アラクフルから、(5)アラは荒、レはシグレ、ミゾレのレ、(6)アラアメの略、(7)アレコホリアメの略などの説があります。
「ひょう」の語源は、(1)ヒョウウ(氷雨)の転、(2)雹の字音からなどの説があります。
この「みぞれ」、「あられ」、「ひょう」は、
「ミ・タウ・レイ」、MI-TAU-REI(mi=stream,river;tau=string of a garment etc.,bundle;rei=leap,rush,run)、「水が・(荷物のように)固まって・降ってくるもの(霙)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ゾ」となった)
「アラアライ」、ARAARAI(screen on every side)、「(それが降ると)四方八方に衝立ができたように(身動きがつかなくなるもの。霰)」(AA音がA音に、AI音がE音に変化して「アラレ」となった)
「ヒ・オフ」、HI-OHU(hi=raise,draw up,rise;ohu=stoop)、「(水に浮く)氷に・なりかかっているもの(雹)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」となった)
の転訛と解します。
春先に降るすぐ溶ける雪を「あわ(淡)雪」といい、また「かたびら雪」、「たびら雪」、「だんびら雪」とも称します。
この「あわ」、「か・たびら」、「だんびら」は、
「アワ」、AWHA(storm,rain)、「雨のような(雪)」(WH音がH音に変化して「アハ」となった)
「カ・タ・ピラ(ン)ガ」、KA-TA-PIRANGA(ka=to denote the commencement of a new action or condition,when,as soon as,should;ta=dash,beat,lay;piranga=in shoals)、「(降ると)すぐに・浅瀬に・入ったように(溶けて水になる。雪)」(「ピラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ピラ」から「ビラ」となった)
「タ(ン)ガ・ピラ(ン)ガ」、TANGA-PIRANGA(tanga=be assembled;piranga=in shoals)、「浅瀬に・放り込まれたように(溶けて水になる。雪)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「ダン」と、「ピラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ピラ」から「ビラ」となった)
の転訛と解します。
水が氷点下の温度で固化したものが「こおり(氷)」です。古くは氷を「ひ」と呼びました。軒先などから垂れ下がった氷が「つらら(氷柱)」です。
「こおり」の語源は、(1)水が凝り固まったものであるところからコル(凝)の転、(2)コゴリから、(3)コリヒ(凝氷)の義、(4)ココリ(水凝)の義、(5)コリヲレ(凝折)の転、(6)コハリ(強)の義などの説があります。
「つらら」の語源は、(1)ツラツラ(滑滑)の約、(2)連垂の義などの説があります。
この「こおり」、「ひ」、「つらら」は、
「カウ・ハウ・リ」、KAU-HAU-RI(kau=alone,only(whakakau=come gradually into view or appear,rise of heavenly bodies);(Hawaii)hau=cool,ice,frost;ri=screen,protect,bind)、「次第に姿を見せる・板(衝立)のような・氷」(「カウ・ハウ」のAU音がO音に変化して「コ・ホ」となった)
「ヒ」、HI(raise,draw up,rise)、「(水よりも軽いので水に)浮くもの(氷)」
「ツララ」、TURARA(spread out)、「長く延びた(氷。氷柱)」
の転訛と解します。
秋の末から冬にかけて地面や草木に一面にできる氷の細かい結晶を「しも(霜)」といいます。
「しも」の語源は、(1)草木がシボム(萎)ところから、(2)シモ(下)にあるところから、(3)シはシロ(白)、モはサムイ(寒)義、(4)シミシロ(凍代)の義、(5)鵲のように白いところからサギミヨの反などの説があります。
この「しも」は、
「チ・ヒ・モア」、TI-HI-MOA(ti=throw,cast,overcome;hi=raise,draw up,rise;moa=bed or raised plot in a garden)、「地面に・(水に浮く)氷が・(投げ出された)張ったもの(霜)」(「チ・ヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」と、「モア」のOA音がO音に変化して「モ」となった)
の転訛と解します。
春先にうっすらと張る氷を「うすらい」といいます。『万葉集』(20-4478)は「宇須良婢(うすらび)」と表記します。
この「うすらび」は、
「ウツ・ラピ」、UTU-RAPI(utu=dip up water etc.,dip into for the purpose of filling;rapi=clutch,scratch)、「水の上に・引っ掻き傷をつけたような(薄い氷)」(「ラピ」のP音がF音を経てH音に変化して「ラヒ」となり、H音が脱落して「ライ」となった)
の転訛と解します。
春先に、蒙古や中国北部の黄土地帯で吹き上げられた大量の砂塵が、日本列島に飛来して、空一面を覆い、そのために太陽は輝きを失い、空の色は黄褐色となり、屋根や地に砂塵が積もったりすることがあります。このような空を「よな曇り」と呼びます。
また、これを北海道方言で「胡沙(こさ)曇り」といい、この「胡沙」は古くから「蝦夷の人の息吹によつて生じる深い霧」によるものとされ、「こさ吹かば曇りもぞする道のくれ人には見せじ秋のよの月」(『夫木抄』巻13)の歌が伝えられています。
この「kosaコサ」は「息吹」の意のアイヌ語「husaフサ」または「hosaホサ」の転とする説(金田一京助『胡沙考』昭和7年)などがあります。
この「よな」、「こさ」は、
「イ・アウ(ン)ガ」、I-AUNGA(i=past tense,beside;aunga=not including)、「(空に雲が)懸かって・いない(状態の。曇り)」(「アウ(ン)ガ」のAU音がO音に、NG音がN音に変化して「オナ」となり、「イ・オナ」が「ヨナ」となった)
「コタ」、KOTA(cockle shell,anything to scrape or cut with,sawdust,fragment of charcoal from burnt brush)、「(細かい粉塵)砂塵(が懸かっている。曇り)」
の転訛と解します。
屋敷の周囲(風上など)に植えて防風、防暑、防火の役割を果たし、薪や用材を採取する屋敷林を東北では「いぐね」または「えぐね」、関東では「くね」と呼びます。
この「いぐね」は、
「イ・(ン)グ・ヌイ」、I-NGU-NUI(i=beside;ngu=egg case of papernautilas(whakangungu=defend,protect);nui=big,many)、「(たこぶねが卵を産みつけて保護する貝殻のような)屋敷の・周囲を・十分に保護する(林)」
の転訛と解します。(地名篇(その二)の宮城県の(17)伊具郡の項を参照してください。)
富山県の礪波平野は、水田の中に「垣入(かいにょ。かいにゅう。垣内とも)」と呼ぶ屋敷林で囲まれた家が散在する散居村の景観で著名です。
この「かいにょ」は、
「カイ・ニアオ」、KAI-NIAO(kai=a tree(white pine),quantity,product,fulfilits proper function;niao=gunwale of a canoe,rim of any open vessel)、「カヌーの船縁のような(高く家を囲む)・(防風の機能を果たす・松の)林」(「ニアオ」のAO音がO音またはU音に変化して「ニョ」・「ニュウ」となった)
の転訛と解します。
石川県能登半島の外浦には風浪を防ぐ柴の垣根の間垣(まがき)が発達しています。
この「まがき」は、
「マ(ン)ガ・キ」、MANGA-KI(manga=branch of a tree;ki=full,very)、「たくさんの・木の枝(を集めて結った。垣根)」(「マ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「マガ」となった)
の転訛と解します。
岐阜県南部の木曾・長良・揖斐三川が合流する地域は、古来から水害に悩まされてきた地域で、住民は集落や耕地の周囲に輪中(わじゅう)堤防を築いて対処してきました。
この「わじゅう」は、
「ウア・チウ」、UA-TIU(ua=backbone,neck,thick twisted or plaited hem on the collar of a cloak;tiu=soar,wander,strike at with a weapon)、「高くした・(居住地の)縁の厚い堤防(輪中)」
の転訛と解します。
本来柱の上に渡した梁の上に立てられて棟木を支える束柱を「うだち」といい、これが転じて民家の妻壁を屋根より一段高くしたものを「卯建(うだつ)」と呼ぶようになりました。「うだつが上がらない」とは、「うだち」のように棟木に頭を抑えられて立身ができないこと、または江戸時代には卯建(うだつ)を上げられるのは富裕者に限ったことから家格または商売の繁栄が思わしくないことを表す意とされました。なお、この卯建(うだつ)は、日本のみならず中国系の東南アジア各地の民家に共通して見ることができます。
この「うだつ」、「うだち」は、
「ウ・タハツ」、U-TAHATU(u=be firm,be fixed,reach its limit;tahatu=upper edge of a seine or of a canoe sail)、「(カヌーの)帆の上端(のような家の妻壁)が・(上に向かって)目立って突き出ているもの(卯建)」(「タハツ」のH音が脱落して「タツ」となった)
「ウタ(ン)ガ・チ」、UTANGA-TI(utanga=burden,freight,bearer of burden;ti=throw,cast,overcome)、「(棟木を)支えるために・置かれているもの(束柱)」(「ウタ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ウタ」となった)
の転訛と解します。
屋根葺きに用いるヒノキ、サワラ、マキなどの木材の薄板を「柿(こけら)」といい、その薄板で葺いた屋根を柿(こけら)葺といいます。
この柿(こけら)の語源は、(1)コケはコケズリ(木削)の下略、ラは添辞、(2)コギレ(木切)の転、(3)コケは細小の義、ラは助詞、(4)コケラ(魚鱗)に似るから、(5)コヘラ(木片)の義、(6)コケ(苔)ハラウ(払)から、(7)コ(木)・ケラ(削らぬ)から、(8)コ(木)・ケラ(虫)に似るから、(9)木の葉が風に散る音のケラケラからなどの説があります。
この「こけら」は、
「コケ・ラ」、KOKE-RA(koke=move forwards,glide,spread;ra=wed)、「(木片を少しづつ)ずらして・結合させた(屋根の葺き方)」
の転訛と解します。
通常神社の社頭や参道などにみられる阿吽(あうん)一対の獅子型置物で、石造が多いのですが、鉄・銅・陶・木製もみられます。「高麗(こま。高句麗)」の犬」の意と解されています。守護・魔除けの役割を果たすとされ、インド・エジプトに起源を持ち、中国・半島から日本に到来したと考えられています。昔は、宮中の門扉、几帳、屏風などが動揺するのを止めるためにも用いられました。(この「こま」の名称は、正倉院御物の中に絨毯などの押さえかとされるヒスイ製の大型の文鎮があり、これと関連している可能性があります。)
この「こま」は、
「コマ」、KOMA(a kind of stone,spark)、「(一種の(火打ち石のような硬質の))石製の(犬のような。聖獣像)」
の転訛と解します。
沖縄本島周辺で広くみられる魔除けの獅子像で、城門、墓陵、集落の入り口や村境に設置される大型のものと、民家の屋根に設置される小型のものがあります。
この「シーサー」は、
「チ・タハ」、TI-TAHA(ti=throw,cast,overcome;taha=side,edge,pass on one side)、「(入り口の)脇に・置かれている(魔除けの獅子像)」(「タハ」のH音が脱落して「タア」から「サア」となった)
または「チ・タハタハ」、TI-TAHATAHA(ti=throw,cast,overcome;taha=side,edge,pass on one side;tahataha=steep bank of a river etc.,slope of a hill)、「屋根の斜面に・置かれている(魔除けの獅子像)」(「タハタハ」のH音および反復語尾が脱落して「タア」から「サア」となった)
の転訛と解します。
北陸から東北地方で簑や、背中当てを「ばんどり」と呼び、その形がバンドリ(雀)に似ていることによるとされます。
山形県庄内地方で荷物を背負うときに背中を保護する藁製の背中当てのうち、婚礼の嫁入り道具を運搬するためのバンドリは、色糸や布を用いて意匠を凝らした美しいものが多いことで有名です。
この「ばんどり」は、
「パ(ン)ガ・タウリ」、PANGA-TAURI(panga=throw,lay,place;tauri=fillet,band)、「(荷物を)背負うための・紐」(「パ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「パナ」から「バン」と、「タウリ」のAU音がO音に変化して「トリ」から「ドリ」となった)
の転訛と解します。
東北地方の木製玩具で、ろくろ挽きの丸い頭と円筒形の胴からなり、簡単な彩色が施されています。江戸末期に木地師によつて作られたとされます。
「こけし」の語源は、(1)コ(小)ケシ(芥子坊主)から、(2)頭髪を中央だけ丸く残し回りを剃った子供の髪型オケシから、(3)コケシイ(可愛い)ホウコ(這う子)から、(4)コケシ(木削子)からなどの説があります。
この「こけし」は、
「コカイ・チ」、KOKAI-TI(kokai=rear,back;ti=throw,cast,overcome)、「(主たる商品である木椀の)後ろに・置いてある(副業で作った玩具)」
の転訛と解します。
藁をやや浅い筒状に編み上げ、乳児を入れておく器を「いじこ」と呼びます。「えじこ」、「いずみ」、「つぐら」、「つぶら」、「くるみ」、「ふご」などともいいます。東北地方から広島・島根・鳥取を西限として戦前(一部では1950年代まで)に使用されていました。
この「いじこ」、「えじこ」、「いずみ」、「つぐら」、「つぶら」、「くるみ」、「ふご」は、
「イ・チコ」、I-TIKO(i=past tense,beside;tiko=evacuate the bowels,settled upon,stand out)、「そこに・(乳児を)置きっぱなしにする(器)」または「そこで・排泄をさせる(器)」
「エ・チコ」、E-TIKO(e=to denote action in progress or temporary condition;tiko=evacuate the bowels,settled upon,stand out)、「しばらくの間・(乳児を)置きっぱなしにする(器)」または「しばらくの間・(そこで)排泄をさせる(器)」
「イツ・ミ」、ITU-MI(itu=side;mi=urine)、「そこで・おしっこをさせる(器)」
「ツ・(ン)グル」、TU-NGURU(tu=stand,settle,fight with,energetic;nguru=utter a suppressed groan,murmur,rumble)、「(泣き疲れた乳児の)低い嗚咽の声が・している(器)」(「(ン)グル」のNG音がG音に、語尾のU音がA音に変化して「グラ」となった)
「ツ・プラ(ン)ガ」、TU-PURANGA(tu=stand,settle,fight with,energetic;puranga=heap,lie in a heap)、「高いところに・(紐でぶらさげられて)いる(器)」(「プラ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「プラ」から「ブラ」となった)
「クル・ミ」、KURU-MI(kuru=strike with the fist,weary;mi=urine)、「(乳児が)おしっこに・(濡れて)弱っている(器)」
「フ(ン)ゴ(ン)ゴイ」、HUNGONGOI(trembling,slow,weak,cowardly)、「(優しく)揺する(吊された器)」(反復語尾のNGOI音が脱落し、NG音がG音に変化して「フゴ」となった)
の転訛と解します。
長野県の伊那谷は、古代には東山道が通つていましたが、近世には中山道からはずれ、宿駅で荷物を付け替えしなければならない駅馬運送でなく、百姓の駄賃稼ぎの牛馬による付け通しの中馬(ちゅうま)運送による商業が発展しました。明和元(1,764)年の幕府の裁許状によると、中馬数18,768匹のうち伊那郡42%、諏訪郡25%、安曇郡17%、筑摩郡14%と信濃南部4郡で98%を占めています。
この「ちゅうま」は、
「チウ・マ」、TIU-MA(tiu=soar,wander,sway to and fro;ma=for,to be acted by,by means of,by way of)、「あちこちへ往復する(荷物を運送する)・ことを目的とする(営業)」
(ちなみに馬(うま)、牛(うし)については雑楽篇(その二)の623馬(うま)の項または624牛(うし)の項を参照してください。)
の転訛と解します。
徳島県の吉野川北岸の三好町は、讃岐山脈南麓にあり、古くから香川県と交流が盛んで、近年まで讃岐平野の二毛作地帯へ6月と11月の二回、牛を耕起作業の賃稼ぎに出す借耕(かりこ)牛の習慣がありました。
また、近畿・中国地方では飼料の草の乏しい里の農家が農繁期以外は草の豊富な山間地帯の農家に牛を預ける預(あず)け牛の慣行が一般にありました。
これに対して中国地方の山間地帯の農家が牛を所有し、農繁期に平野の農家に牛を貸すのが鞍下(くらした)牛で、短期間に酷使されてやせ衰えるのが常態であったといいます。
この「かりこ」、「あずけ」、「くらした」は、
「カリ・カウ」、KARI-KAU(kari=dig;kau=swim,swim or wade across)、「(阿波と讃岐を)行き来して・耕す(牛)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」となった)
「アツ・カイ」、ATU-KAI(atu=to indicate a direction or motion onwards,to indicate reciprocated action;kai=consume,eat,fulfil its proper function)、「(里と山を)行き来して・食べている(牛)」(「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)
「クラ・チタハ」、KURA-TITAHA(kura=red,red feather,treasure;titaha=lean to one side,decline as the sun,vary from)、「(落日のように)やせ衰える・財産(である。牛)」(「チタハ」のH音が脱落して「チタ」から「シタ」となった)
の転訛と解します。
259河童(かっぱ。えんこう。がわたろ)・ひょうすんぼ(ひょうすべ)
河童(かっぱ)は、日本で最もよく知られている妖怪で、川や沼、池に住むといわれています。全国各地に河童にまつわる話が伝えられていますが、とくに福岡県田主丸(たぬしまる)町には、筑後川に住む河童(かっぱ)の伝説が多く残ります。河童は異名が多く、エンコウ、ガワタロ、ヒョウスベなどとも呼ばれます。
宮崎県では、河童(かっぱ)を「ひょうすんぼ」または「ひょうすべ」と称します。馬を川に引きずり込む悪さをする河童を懲らしめた名貫川のほとりの徳泉寺の和尚さんの話が伝えられています(都濃町商工会ホームページ「ひょうすんぼ」。「ひょうすんぼの由来」中村地平著『河童の遠征』による)。この「ひょうすべ」に「兵主部」の字を充て、菅原道真との関係を云々する説がありますが、全くの想像の産物と考えます。
この「かっぱ」、「えんこう」、「がわたろ」、「ひょうすんぼ」、「ひょうすべ」は、
「カ・ツパ」、KA-TUPA(ka=when,as soon as,should;tupa=escape)、「(姿を見られると)直ぐに・逃げる(動物)」
「エネ・カウ」、ENE-KOU(ene=flatter,cajole,annus(whakaene=present the posteriors in derision);kou=knob,knot,dress the hair in a knot on the top of the head)、「尻を出して人をからかう・(頭の上で髪の毛を結んでいる)オカッパ頭の(動物)」(「エネ」が「エン」となつた)
「(ン)ガワ・タロ」、NGAWHA-TARO(ngawha=burst open,bloom as a flower,overflow banks:taro=denoting the lapse of a short interval of time)、「突然・(水中から)飛び上がって出現する(動物)」(「(ン)ガワ」のNG音がG音に変化して「ガワ」となった)
「ヒオ・ツム・ポウ」、HIO-TUMU-POU((Hawaii)hio=a sweep or gust of wind,to blow of gusts;tumu=halt suddenly;pou=plunge in)、「(一陣の風のように)さっと・不意に掴んで・(川の中に)引きずり込む(動物。河童)」(「ヒオ」が「ヒョウ」と、「ツム」が「スム」から「スン」となった)
「ヒオ・ツペ」、HIO-TUPE((Hawaii)hio=a sweep orgust of wind,to blow of gusts;tupe,whakatupe=frighten by shouting at)、「(一陣の風のように)さっと(不意に襲って)・びっくりさせる(動物。河童)」(「ヒオ」が「ヒョウ」となった)
の転訛と解します。
宮崎県に伝わる笑話吉四六(きっちょむ)の主人公は、野津(のつ)町に実在した広田吉右衛門といわれます。
この「きっちょむ」は、
「キ・チオマ」、KI-TIOMA(ki=full,very;tioma=hasten,not confined to progress along the ground)、「たいへんな・あわて者」(「キ・チオマ」が「キッチョム」となった)
の転訛と解します。
沖縄県各地には、屋敷の入口と母屋の間に屏風状の塀が設けられ、「ヒンプン」と呼ばれています。目隠しのほか魔除けの目的があるとされます。
中国では魔除けのために設けられた同様のものを照牆、影壁、屏風、屏門など地方によつて異なる名称で呼ばれ、中国語の屏風(ピンフン)に由来するとする説があります。
この「ヒンプン」は、
「ヒナ・プニ」、HINA-PUNI((Hawaii)hina=to fall,to blow in a straight course of wind;puni=stopped up,blocked,civered)、「風がまっすぐに当たるのを・防ぐ(衝立)」(「ヒナ」が「ヒン」と、「プニ」が「プン」となった)
の転訛と解します。
262いちごに(いちご煮)・かぜ(ウニ)・あんび(鮑)・かづき(素潜り漁師)
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、青森県八戸地方の「いちご煮」があります。
古くから八戸近辺の漁村では、すもぐりで漁をする「かづき」と呼ばれる男たちがおり、夏になると、かづき達はかぜ(ウニ)やあんび(アワビ)をふんだんに採り、海水で煮込み、おいしい「いちご煮」を作っていたといいます。
この「いちご」、「かぜ」、「あんび」、「かづき」は、
「イ・チヒ・(ン)ゴウ(ン)ゴウ」、I-TIHI-NGOUNGOU(i=past tense;tihi=top,summit;ngoungou=well cooked,soft)、「最高に・(おいしく)良く煮え・た(料理)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」と、「(ン)ゴウ(ン)ゴウ」の反復語尾が脱落し、NG音がG音に変化して「ゴウ」から「ゴ」となった)
「カ・テ」、KA-TE(ka=take fire,be lighted,burn;te=crack)、「火にかけて・(殻を)割る(生物。ウニ)」
「ア(ン)ガ・アピ」、ANGA-API(anga=aspect,shell;api=constricted,confinrd)、「(岩に)しっかりと固着した・殻(の生物。鮑)」(「ア(ン)ガ」のNG音がN「音に変化して「アナ」となり、その語尾のA音と「アピ」の語頭のA音が連結して「あなぴ」から「アンビ」となった)
「カツア・キ」、KATUA-KI(katua=full grown,adult;ki=full,very)、「じゅうぶんな(息が続く)・成人男子(素潜りができる漁師)」(「カツア」の語尾のA音が脱落して「カツ」から「カヅ」となつた)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、宮城県の「ずんだ餅」があります。
これは宮城県・山形県・岩手県の一部の地方に伝わる郷土菓子で、枝豆をゆで、薄皮をむいてよく潰し、砂糖を加えて練った餡を餅にまぶしたものです。
この「ずんだ」は、
「ツ・(ン)ゴタ」、TU-NGOTA(tu=fight with,energetic;ngota=fragment,particle)、「(枝豆を一生懸命に)良く・(粉々に)潰した(餡。その餡をまぶした餅)」(「(ン)ゴタ」のNG音がN音に変化して「ノタ」から「ンダ」となつた)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、山形県の「どんがら汁」があります。これについては、すでに国語篇(その二)の42ドンガラの項で解説していますので、参照してください。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、栃木県の「しもつかれ」があります。これについては、すでに雑楽篇(その二)の562しもつかれの項で解説していますので、参照してください。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、神奈川県津久井地方の「かんこ焼き」があります。
これは江戸時代にはうるか(鮎のはらわたの塩漬け)や味噌を具に地粉の皮でくるみ、びりん灰(熱のある灰)の中に入れて蒸し焼きにして昼食として食べていたもので、近年では各家庭の手近な材料を包み込んでおやつとして親しまれています。
かんこ焼きの「かんこ」は、江戸時代に形が羯鼓(かっこ)(雅楽で使われる鼓の一種)に似ていることからこう呼ばれたとする説があります。
この「かんこ」、「びりん」は、
「カ・ニコ」、KA-NIKO(ka=take fire,be lighted,burn;niko=form into a bight or coil,go round about)、「丸く形を整えて・焼いた(食物)」(「カニコ」から「カンコ」となった)
「ピリ(ン)ガ」、PIRINGA(hiding place,place of retirement)、「(その中に食物を)隠す(埋め込む場所。その灰)」(語尾のNG音がN音に変化して「ピリナ」から「ビリン」となった)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、新潟県の「のっぺい汁」があります。
この「のっぺい汁」または「のっぺ」は、全国各地にあり、主にサトイモ、ニンジン、コンニャク、シイタケ、油揚などを出汁で煮て、醤油、食塩などで味を整え、片栗粉などでとろみをつけたものをいい、鶏肉や魚を加えることもあります。
名前の由来としては(1)「人が集まる席が平に納まるように」とした「納平」が由来という説、(2)汁がぬらりとしていることから、「ぬっぺい」がなまって「のっぺい」になったという説があります。
この「のつぺい」は、
「ノ・パエ」、NO-PAE(no=from,belonging to;pae=lie across,be collected together)、「(たくさんの野菜や食材を)集めて・調理した(料理)」(「パエ」のAE音がE音に変化して「ノペ」から「ノッペ」、「ノッペイ」となつた)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、石川県金沢市の「治部煮」があります。
これは鴨肉(または鶏肉)をそぎ切りにして小麦粉をまぶし、だし汁に醤油、砂糖、みりん、酒をあわせたもので鴨肉、麩(金沢特産の「すだれ麩」)、しいたけ、青菜(せりなど)を煮たもので、薬味はわさびを使います。
本来の「じぶ」は「カモ肉を鍋に張った汁(醤油、たまり、煎り酒などを混ぜる)を付けながら鍋肌で焼き、汁を張った椀に5切れほど盛ってワサビを添えて出す料理」で、カモの鍋焼きのことでした。これとは別に「ガン・カモ・白鳥などの肉をそぎ切りにし、麦の粉を付けて濃い醤油味の汁で煮、ワサビを添える」という「麦鳥」と呼ばれる料理があり、これが誤って『じゅぶ』と呼ばれたため、後者のほうが「じぶ」として伝わることになったという説があります。また、高山右近が加賀にいた折に伝えた欧風料理だともされます。
「じぶ」の名前の由来は、(1) 豊臣秀吉の兵糧奉行だった岡部治部右衛門が朝鮮から持ち込んだから、(2) 材料を『じぶじぶ』と煎りつけるようにしてつくるから、(3) 野生の鴨肉を使うことから、フランス料理のジビエから変化した、など諸説があります。
この「じぶ」は、
「チプ」、TIPU(=tupu=grow,be firmly fixed,social position,genuine)、「(武家料理の伝統を継ぐ)格式が高い(料理)」
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、福井県若狭地方の「さばのへしこ」があります。
これは鯖に塩を振って糠漬けにした若狭地方の伝統料理で、越冬の保存食として重宝されています。
名前の由来には諸説がありますが、(1)漁師が魚を樽に漬け込むことを「へし込む」と言ったことから、「へし込まれた物」が略されて「へしこ」となったとする説、(2)魚を塩漬けにすると滲み出てくる水分のことを「干潮(ひしお)」と呼んだことから、これが訛ったとする説などがあります。
この「へしこ」は、
「ヘイ・チコ」、HEI-TIKO(hei=tie round the neck,wear round the neck;tiko=settled upon as by frost)、「(塩と糠を)くびの周りに塗りつけて(漬けた)・魚体の全面に(水分が)浸み出した(鯖の漬物)」(「ヘイ」が「ヘ」となった)
または「ヘオイ・チコ」、HEOI-TIKO(heoi=denoting comoleteness or sufficiency of a statement enumeration;tiko=settled upon as by frost)、「いい具合に・(塩と糠で漬けた)魚体の全面に(水分が)浸み出した(鯖の漬物)」(「ヘオイ」の語尾のOI音が脱落して「ヘ」となつた)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、山梨県の「ほうとう」があります。これについては、すでに雑楽篇(その二)の543ほうとうの項で解説していますので、参照してください。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、岡山県八戸地方の「ままかり寿司」があります。
この「ままかり」は、岡山県など瀬戸内海岸で、コノシロに似たサッパ(ニシン科)の小魚の異名で、また、これに塩をふり、酢に漬け込んだものをいいます。サッパ(ままかり)は、北海道以南の各地に分布し,内湾性で河口近くに群れをなしているのが特徴で、堤防などで擬餌針を用いて盛んに釣られ、小型定置網などにも大量にかかる魚です。ままかりの酢漬けは、豊漁と不漁の差が大きい魚であるため、豊漁で食べきれなかったものを酢漬けにして保存したのが始まりといわれます。
ままかりの語源・由来は、「まま」は、「まんま」と同じ「飯」のことで、この魚の酢漬けがあまりにも美味しいため、飯がなくなってしまい、隣の家から飯を借りてまで食べたことから、「ままかり」となったとする説がもっぱらです。
この「ままかり」、「サッパ」は、
「マ・マカリ」、MA-MAKARI(ma=white,clear:makari=small)、「清らかな・小さい(魚)」
「タツ・パ」、TATU-PA(tatu=strike one foot against the other;pa=group,flock)、「押し合いへし合いするほどの・群れをなす(魚)」
の転訛と解します。
272ぼうぜのすがたずし(ぼうぜの姿寿司)・いぼだい・えぼだい
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、徳島県北部地方の「ぼうぜの姿寿司」があります。
この「ぼうぜ」は徳島の方言で、関東では「いぼだい」または「えぼだい」といい、スズキ目イボダイ科の魚で、卵円形の体と丸まった吻(ふん)部をもち、皮が薄くてうろこが落ちやすく、水揚げ後体表に大量の粘液を分泌するのが特徴です。
「ぼうぜの姿寿司」は、徳島県北部地方で秋祭りによく作られる料理で、姿のよいぼうぜを選び背から開き、骨、内臓、眼球をとり、濃い塩水に漬けたのち、酢に漬けてしめ、すし飯を棒状に握り、魚にワサビを塗り、すだちの輪切りを乗せ、四角の鮨箱に詰め、軽く重石をして作ります。頭の部分も尻尾も残さず食べられる美味い料理です。
この「ぼうぜ」、「いぼ(だい)」、「えぼ(だい)」は、
「ポウ・タエ」、POU-TAE(pou=pour out;tae=juice of plants)、「(樹液のような)粘液を・(体表から)分泌する(魚)」(「タエ」のAE音がE音に変化して「テ」から「ゼ」となった)
「イ・ポウ」、I-POU(i=past tense;pou=pour out)、「粘液を(体表から)分泌・している(魚)」
「エ・ポウ」、E-POU(e=to denote action in progress or temporary condition in time past or present or future;pou=pour out)、「粘液を(体表から)分泌する(魚)」
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、愛媛県南予地方の「じゃこ天」があります。
この「じゃこ天」は、高級魚ではなく近海で漁獲されたホタルジャコ(南予地方では「ハランボ」と呼ばれる)を主体とする魚のすり身の塊を形を整え、油で揚げた魚肉練り製品で、日本の各漁港付近にそれぞれの郷土の「じゃこ天」があります。
「ほたるじゃこ」は、スズキ目スズキ科の海産魚で、背部が淡紅色、腹部は銀白色の小型魚で、腹部に発光器をもつことでよく知られており、ホタルジャコの名は、この魚を材料にかまぼこをつくるとき、すりつぶすと光ることによるといわれています。
この「じゃこ」、「ほたる(じゃこ)」、「はらんぼ」は、
「チ・アカウ」、TI-AKAU(ti=throw,cast;akau=shore,coast)、「(価値が無くて)浜に・打ち捨てられる(魚)」(「アカウ」の語尾のAU音がO音に変化して「アコ」となった)
「ホアタ・ル」、HOATA-RU(hoata=the moon on the third day;ru=shake,agitate,quiver)、「三日月のような(ほのかな光が)・(ゆらめく)点滅する(虫。その虫のように光る魚)」(「ホアタ」のOA音がO音に変化して「ホタ」となった)
「ハラ(ン)ギ・ポ」、HARANGI-PO(harangi=unsettled;po,popo=knead,mix up,crowed round)、「一定しない(雑多な種類の魚が)・混じっている(魚(群))」(「ハラ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「ハラナ」から「ハラン」となった)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、高知県の「かつおのたたき」があります。これについては、すでに古典篇(その八)の216A大鷦鷯(オホサザキ)尊の項で解説していますので、参照してください。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、福岡県博多の「がめ煮」があります。
この「がめ煮」は、祭りや祝いの席に欠かせない、博多を代表する郷土料理のひとつで、鶏肉や野菜を油炒めしてから煮るこくのある煮物で、他の地方でも筑前煮と呼ばれて親しまれています。「がめ繰り込む(いろいろな材料を混ぜる)」が名前の由来とも伝えられています。
この「がめに」は、
「(ン)ガ・メネ」、NGA-MENE(nga=satisfied;mene=be assembled)、「じゅうぶん(満足するまで)・(いろいろな材料を)合わせた(料理)」(「(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ガ」と、「メネ」の語尾のE音がI音に変化して「メニ」となった)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、佐賀県白石町須古地区の「須古寿し」があります。
この地方では、古くから祭りや祝ごとがあればこの「箱ずし(押しずし)」を造り、客に振舞います。この「須古ずし」は連綿と500年もの間、母から子へ、子から孫へと受け継がれ、現在に至っています。もち米に米を1割加えた酢飯を箱に詰め、有明海のムツゴロウ・しいたけ・タマゴ・ごぼう・奈良漬・紅しょうが・ミツバをのせて押し寿司にします。なお、この料理に欠かせない「ムツゴロウ」については、雑楽篇(その二)の743ムツゴロウの項を参照してください。
この「すこ」は、
「ツコフ」、TUKOHU(a cylindrical basket used for holding food while steeping in water or while cooking in a hot spring)、「(食料を入れる籠のような)魚の畜養池(がある場所。その場所に伝えられた料理)」もしくは「(食料を入れる容器の)箱に詰めた(寿司)」(H音が脱落して「ツコウ」から「スコ」となった)
の転訛と解します。(「須古(すこ)」を地名としますと、まず「ツコ」、TUKO(a digging implement)、「(鍬で耕す)耕地(の場所。その場所に伝えられた料理)」との解釈が出てきますが、「耕地」の意味では一般的に過ぎて特別の場所・地域を限定する"地名"としてあまりにも不適切ですので捨てて、上記のように解釈しました。)
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、鹿児島県の「きびなご料理」があります。
この「きびなご」は、ニシン目ニシン科の海産魚で、背部は青緑色,腹部は銀白色で、体側中央部に幅広い銀白色の帯が走り,これに重なるようにやや細い藍色の帯があり鮮やかです。眼は大きくその直径は吻長よりも長いのが特徴です。体長は全長10cm ほど、新鮮なものは美味で、生食にするほか、煮干し、干物に加工します。
「きびなご」の語源は、鹿児島県南部の方言で「帯」を「きび」といったことによるとの説があります。九州・山口県地方では「カナギ」と、伊豆地方などでは産卵期の春に海岸に群集するところから「ハマゴ」とも呼ばれています。
この「きびなご」、「かなぎ」、「はまご」は、
「キ・ピ・ナコ」、KI-PI-NAKO(ki=full,very;pi=eye;nako,nakonako=adorn,ornament)、「大きな・眼をして・(体を)きれいな帯で飾っている(魚)」
「カナ・(ン)ギア」、KANA-NGIA(kana=stare wildly,bewitch;ngia=seem,appear to be)、「(大きな眼で)睨んでいる・ように見える(魚)」(「(ン)ギア」のNG音がG音に変化し、語尾のA音が脱落して「ギ」となった)
「ハマ・(ン)ガウ」、HAMA-NGAU(hama=faded,consumed;ngau=bite,attack)、「(陸地が次第に消える)浜辺に・押し寄せる(魚)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)
の転訛と解します。
「農山漁村の郷土料理百選」(農林水産省が平成19年12月に選定したもの)の中に、沖縄県の「ゴーヤーチャンプルー」があります。
これは、ゴーヤーと呼ばれる未成熟の苦瓜のわたを取り除き、スライスしたものに、豆腐、卵、豚肉、他の野菜などを加えて炒めた沖縄の代表的な家庭料理です。
この「ゴーヤー」、「チャンプルー」は、
「(ン)ガウ・イア」、NGAU-IA(ngau=bite,hurt,attack;ia=indeed)、「実に・苦い(味がする。野菜)」(「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」から「ゴー」となった)
「チ・アナ・プル」、TI-ANA-PURU(ti=throw,cast,overcome;ana=denoting continuance of action or state;puru=plug,thrust in,cram in)、「(種々の食材を)詰め込んで・(加熱して)調理・する(料理)」(「チ・アナ」が「チャン」となった)
の転訛と解します。
横浜市青葉区市ケ尾町に市ヶ尾横穴墓群があります。1933(昭和8)年に発見されたこの古墳群は、1957(昭和32)年に神奈川県の史跡に指定され、1983(昭和53)年に市ヶ尾遺跡公園として整備されましたが、6世紀後半から7世紀後半の古墳時代末期に造られたと考えられています。丘陵の頂上から10数メートル下がつた崖面に、水平の棚が切られ、その崖面にほぼ等間隔で横穴が掘られています。
この古墳群の近くに小規模の同様の横穴墓群があり、地元では「がんがん穴」と呼んでいたという記録があります。
この「がんがんあな」は、
「(ン)ガナ(ン)ガナ・アナ」、NGANANGANA-ANA(nganangana=lamprey;ana=cave)、「八目鰻の(目が並んでいる)ような・横穴(古墳墓)」(「(ン)ガナ(ン)ガナ」のNG音がG音に変化して「ガンガン」となった)
の転訛と解します。
石川県能登地方特産の魚醤油(うおじょうゆ)を「いしる(魚汁)」といいます。魚(いわし、さば)またはイカを塩漬けし、発酵させ、滲出した液を漉して造ります。「よしる」、「いしり」、「よしり」ともいいます。
同じ魚醤油に属するものに秋田県のハタハタを原料とする「しょっつる」(雑楽篇(その二)の730はたはた(鰰)の項の「しょっつる(魚醤)」を参照してください。)、香川県のこうなごを原料とする「いかなご醤油」(「いかなご」については雑楽篇(その二)の 751いかなごの項を参照してください。)などがあります。
この「いしる」、「よしる」、「いしり」、「よしり」は、
「イ・チ・ル」、I-TI-RU(i=ferment,turn sour;ti=throw,cast,overcome;(Hawaii)lu=to scatter,to drip as water)、「(魚の塩漬けが)発酵して・滴り・落ちたもの(いしる。魚汁)」(「チ」が「シ」となった)
「イホ・チ・ル」、IHO-TI-RU(iho=up above,from above,down;ti=throw,cast,overcome;(Hawaii)lu=to scatter,to drip as water)、「(魚の塩漬けから)下に・滴って・落ちたもの(いしる。魚汁)」(「イホ」のH音が脱落して「イオ」から「ヨ」と「チ」が「シ」となった)
「イ・チ・イリ」、I-TI-IRI(i=ferment,turn sour;ti=throw,cast,overcome;iri=be elevated on something,hang)、「(魚の塩漬けが)発酵して・上に滲み出て・落ちたもの(いしる。魚汁)」(「チ」のI音と「イリ」の語頭のI音が連結して「チリ」から「シリ」となった)
「イホ・チ・イリ」、IHO-TI-IRI(iho=up above,from above,down;ti=throw,cast,overcome;iri=be elevated on something,hang)、「(魚の塩漬けの)上に・滲み出て・落ちたもの(いしる。魚汁)」(「イホ」のH音が脱落して「イオ」から「ヨ」と、「チ」のI音と「イリ」の語頭のI音が連結して「チリ」から「シリ」となった)
の転訛と解します。
青森県津軽地方の郷土料理で、根菜、山菜、焼豆腐や油揚げを細かく賽の目に切って味噌味で煮た汁物料理です。小正月に女性がくつろぐためにあらかじめ作り置きして食べます。この「け」は、「かゆ(粥)」の意とする説があります。
この「けの」、「しる」は、
「ケケ・ノ」、KEKE-NO(keke=obstinate,stubborn;no=of,belonging to)、「(通常の慣習に)固執する(のにふさわしい料理)・である」(「ケケ」の反復語尾が脱落して「ケ」となった)(「この「け」は、「ハレ(晴)」に対する「ケ(褻)」の意と解します。)
「チ・ル」、TI-RU(ti=throw,cast,overcome;(Hawaii)lu=to scatter,to drip as water)、「(水のように)滴り・落ちるもの(料理。汁)」(「チ」が「シ」となつた)
の転訛と解します。
くずした豆腐と繊切りにした野菜を油で炒めたものを実としたすまし汁です。「けんちん(巻繊)」(「チン」は唐音)とは、禅僧が中国から伝えた普茶料理の一つで、黒大豆のもやしをごま油で炒り、湯葉で巻いて煮浸しにしたもの、大根、牛蒡、にんじん、椎茸などを千切りにして油で炒り、くずした豆腐を加えゆばなどで巻、油であげたものおよびけんちん汁をいうとされます。
この「けんちん」は、
「カイ(ン)ガ・チニ」、KAINGA-TINI(kainga=refuse of a meal,as cockle shells,etc.;tini=very many,host)、「(野菜の屑など)あり合わせの材料を・たっぷり入れた(汁物料理)」(「カイ(ン)ガ」のAI音がE音に、NG音がN音に変化して「ケナ」から「ケン」と、「チニ」が「チン」となった)
の転訛と解します。
水に浸して軟らかくした大豆をすりつぶしたものを「ご(豆汁)」といい、これを入れた味噌汁を「ごじる(呉汁。豆汁)といいます。
この「ご」は、
「(ン)ゴ(ン)ゴ」、NGONGO(waste away,become thin,suck)、「(水に浸した大豆を)すりつぶしたもの(これを入れた味噌汁)」(反覆語尾が脱落し、NG音がG音に変化して「ゴ」となった)
の転訛と解します。
北海道・東北地方の郷土料理で、昔松前藩の賄方齋藤三平が創案したといい、糠漬けのニシンまたは塩鮭の頭やあらを薄く切り、大きく切った大根、じゃがいもなどとともに酒粕、塩、醤油で味付けをして長時間煮た汁物料理です。
この「さんぺい」は、
「タ(ン)ガ・パイ」、TANGA-PAI(tanga=be assembled,division of persons;pai=good,suitable,pleasant)、「美味なものを・一緒にした(煮込んだ。汁物料理)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サン」と、「パイ」のAI音がEI音に変化して「ペイ」となった)
の転訛と解します。
青森県の郷土料理で、「じゃっぱ」とは津軽方言で魚を三枚に下ろして残った頭や骨、内臓(いわゆる「あら」)をいい、鱈や鮭の「じゃっぱ」をぶつ切りにして野菜を加えて煮込んだ塩または味噌仕立ての汁物料理です。
この「じゃっぱ」は、
「チ・ア・ツパ」、TI-A-TUPA(ti=throw,cast;a=the...of,of,belonging to;tupa=dried up,rough,unfruitful)、「(魚肉が)残っていない・部分を・(鍋に)放り込んだ(汁物料理)」(「チ・ア」が「チヤ」から「ジャ」と、「ツパ」が「ッパ」となった)
の転訛と解します。
「はららごじる」ともいい、「はららご」とは、「散(はらら)子」の意という説があり、産卵前の魚類の卵塊。特に鮭(さけ)の卵をさし、また、それを塩づけにした食品(はらこ。すじこ)をいいます。「はららじる」または「はららごじる」は、魚類の卵を入れて、吸い物や味噌汁にしたものです。
この「はらら」、「はららご」は、
「パララ」、PARARA(container,vessel)、「(魚の卵の)入れ物(卵塊。これを入れた汁物料理)」(P音がF音を経てH音に変化して「ハララ」となった)
「パララ・(ン)ガウ」、PARARA-NGAU(parara=container,vessel;ngau=bite,hurt,act upon,attack)、「(魚の卵の)入れ物(卵塊)を・崩したもの(を入れた汁物料理)」(P音がF音を経てH音に変化して「ハララ」と、「(ン)ガウ」のNG音がG音に、AU音がO音に変化して「ゴ」となった)
の転訛と解します。
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記紀、『万葉集』などに、「郎女(いらつめ)」という呼称が頻繁に、「郎子(いらつこ)」の呼称が少数出てきます。
これらは、通常「(イラはイロ(同母)と同源の接頭語)若い女子を親しんでいう語(いらつめ、いらつひめ)」、「(イラはイロ(同母)と同源の接頭語)若い男子を親しんでいう語(いらつこ、いらつきみ)」(以上『広辞苑』第4版)と理解されており、
『岩波古語辞典』(1974年)によれば、「いらつめ」<イラはイロ(同母)の母音交替形。また、イリビコ、イリヒメのイリと同根か。ツは連体助詞。メは女>(1)天皇または皇族を父とし、皇族に関係ある女を母とした女子をいうことが多い。記紀の景行以後、殊に応神以後にみえる語。「針間の伊那毘能大郎女(いなびのおほいらつめ)を娶して生みませる御子、櫛角別王」<記景行>。「郎姫、此をば異羅菟羊(いらつめ。羊は正確には口偏に羊です)といふ」<紀景行2年>(2)女子の愛称。「久米禅師、石川のーを娉(よば)ふ時の歌五首<万96題詞> △「郎女という表記は中国に無い。「郎子(いらつこ)」と対にして、日本語のイラの音を表すためにラウの音の「郎」を使ったものと見られる。と解説しています。「いらつこ」についてもほぼ同様です。
この「いらつ」は、マオリ語の
「イラ・ツ」、IRA-TU(ira=freckle,mole or other natural mark of the skin,variegated,shine;tu=stand,settle)、「黒子(ほくろ)がある(女子・男子)」
の転訛と解します。
この「いらつ」は、「華(はな)がある(または照り輝くような美しい女子・男子)」とも解釈できますが、この呼称が女子に多く、また若い女子・男子だけではなく、年をとった女子・男子にも用いられている(女子については『万葉集』巻20、4,491の夫の愛が薄れ、離別された藤原宿奈麻呂の妻、「石川女郎(いしかわのいらつめ)」などの例や、男子については雄略紀18年8月条の強弓で鳴らした反乱軍の猛将「伊勢の朝日郎(あさけのいらつこ)」などの例があります)ところからみて、私は上記(1)の用例は「ほくろがある」と解釈すべきであろうと考えます。
現在でも、襟(首)筋のほくろは「一生衣裳に不自由しない」、唇のそばのほくろは「一生喰うに困らない」ことの「しるし」などという俗信が残っていますが、古代にはもっと明確に、顔の中のある特定の場所にある「ほくろ」には、その人が持って生まれた「特別の運」であるとか、「特別な能力の保持の象徴」という意味があり、それに対する敬意を「いらつ」という呼称としたものではないでしょうか。
ただし、(2)については、「華(はな)がある(または照り輝くような美しい女子・男子)」とする余地がないわけではありません。
現在の国語学、国史学は、「301いら」の項のように「イロ」を単に「同母」と解し、「いろせ」を「同母の兄弟」、「いろね」を「同母の姉」、「いろと(いろど)」を「同母の弟・妹」、「いろも」を「同母の妹」と解しています。
しかし、はたしてそうでしょうか。記紀は、「兄」、「弟」と記すほか、特に「伊呂兄」等と記すのは、次のように、原則としてそれぞれ特別のケース、事情のある場合だけに限られるからです。
(1)いろせ
高天原を追放されて出雲国に下つたスサノオが「吾はアマテラスの伊呂勢(いろせ)なり」と名乗ります(『古事記』神代巻)。
また、カムヤマトイワレビコノミコト(後の神武天皇)が「其の伊呂兄(いろせ)イツセノミコト」と相談をして東へ赴くことを決めます(『古事記』中巻神武東征条)。
さらに顕宗記には、天皇が父王を殺した雄略天皇を怨んでその御陵を破壊しようとしたとき、「伊呂兄(いろせ)」オケノミコト(後の仁賢天皇)がその役を買つて出て、御陵の近くを少し掘って済ませた後、天皇に諌言します。
この「いろせ」は、マオリ語の
「イロ・テ」、IRO-TE(iro=submissive as result of punishment,maggot;te=emphasis,crack)、「指導者の命令(または罰)に従順に服している(人間)」
の転訛と解します。
スサノオは悪行の罰として、イツセは記載を欠きますが、一族の統率力において格段の差があったため、兄ではあっても一族の指導者となっていた弟のイワレビコに対して従順に仕えていたことを表現したものでしょう。
また、オケノミコトは、天皇の怒りを鎮めるための方便としていったん命令に従順に服するよう行動したものです(顕宗、仁賢の両天皇の名「オケ」、「ヲケ」についてはオリエンテーション篇の3の(3)ぼけ山古墳の項を参照して下さい。)
(2)いろね・いろと(いろど)
履中記に、天皇が太子として難波宮にいた折り、弟の墨江中王が叛乱して宮に放火し、難を石上神宮に避けたとき、「伊呂弟(いろと)」水歯別(みずはわけ)命(後の反正天皇)が参上したので、反逆心がなければ墨江中王を誅殺せよと命じたとあります。水歯別命は、墨江中王の臣の隼人の曽婆訶理(そばかり)を抱き込んで墨江中王を殺させ、曽婆訶理の功を讃えつつも主を殺した罪を憎んで殺します。
この「いろと」、「みずはわけ」、「そばかり」は、マオリ語の
「イロ・アウト」、IRO-AUTO(iro=submissive as result of punishment,maggot;auto=trailing behind,slow,protract)、「指導者の命令(または罰)に従順に服して、(兄・姉の)後ろについて行動する(人間)」(「アウト」のAU音がO音に変化して「オト」となった)
「ミヒ・ツハ・ワ・カイ」、MIHI-TUHA-WA-KAI(mihi=lament,greet,acknowledge an obligation,show itself;tuha=tuwha=distribute,spit;wa=definite place,be far advanced;kai=fulfil its proper function,have full play)、「嘆きながら(墨江中王・曽婆訶理を)刺した、立派に義務を果たした進んだ地位にある(王)」または「(墨江中王の誅殺という)尊敬される貢献を成し遂げた、立派に義務を果たした進んだ地位にある(王)」(「ミヒ」の「ヒ」が脱落して「ミ」と、「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)
「ト・パカリ」、TO-PAKARI(to=the...of,set as the sun;pakari=strong,matured)、「落日のように消えた勇者」
の転訛と解します。
このほかには、「いろね」、「いろど」は、固有名詞としてのみ記されています。固有名詞としての使用は、その人の性格を示すものとして使われているようです。たとえば、『古事記』安寧天皇条にはその御子として、トコネツヒコ伊呂泥(いろね)ノミコトの名を、またその御子シキツヒコの御子の一人のワチツミノミコトの女として蝿伊呂泥(はえいろね)、蝿伊呂杼(はえいろど)(二人はいずれも後に孝霊天皇の妃となりました)の名がみえます。
また、記の孝元天皇条には、御子ヒコフツオシノマコトノミコトの御子タケノウチノスクネの子として末妹、怒能伊呂比売(ののいろひめ)の名を記しますが、姉はクメノマイトヒメとだけあって「いろね」、「いろも」とは記しておりません。
この「はえ」、「いろね」(「いろど」は上記の「いろと」に同じ)、「のの」は、マオリ語の
「ハエ」、HAE(be conspicuous,slit,tear,fear)、「顕著な」
「イロ・ネイ」、IRO-NEI(iro=submissive as result of punishment,maggot;nei=to denote proximity to or connecting with the speaker)、「指導者の命令(または罰)に実に従順に服している(人間)」
「ノノホ」、NONOHO(=noho=remain)、「(長じても従順な)性格のまま止まっている」
の転訛と解します。
(3)いろも
『古事記』允恭記に同天皇の崩御後、次の天皇になるべき木梨軽(きなしのかる)太子が「伊呂妹(いろも)軽大(かるのおお)郎女」に「奸(たは)けて」歌を歌つたとあり、この不倫の露見によって木梨軽太子は群臣の信頼を失い、穴穂御子が安康天皇となり、木梨軽太子は軽大郎女と引き離されて伊予に流され、後に追いかけてきた軽大郎女とともに自殺します(『日本書紀』はやや異なります)。
また、垂仁記に后沙本(さほ)毘売の兄沙本毘古王が「伊呂妹(いろも)」に対し天皇を殺すよう命じたとありますが、失敗し、御子ホムチワケを残して兄妹は殺されます。
この「いろも」、「きなしのかる」、「かるのおお」、「さほ」は、マオリ語の
「イロ・マウ」、IRO-MAU(iro=submissive as result of punishment,maggot;mau=fixed,caught,entangled)、「紛糾(または事件)を起こして、罰(または指導者の命令)に従順に服した(人間)」
「キナ・チノ・カル」、KINA-TINO-KARU((Hawaii)kina=blemish,flaw;tino=essentiality,main;karu=rags,spongy matter enclosing the seeds of a gourd,snare,eye,head)、「(人格に)本質的な欠陥があるぼろ屑(のような性格が弱い人間)」
「カル・ノ・オホ」、KARU-NO-OHO(karu=rags,spongy matter enclosing the seeds of a gourd,snare,eye,head;no=of;oho=start from fear,wake up,arise)、「(不倫が露見して)びっくりしたぼろ屑(のような性格が弱い人間)」
「タホ」、TAHO(yielding,weak)、「人の言いなりになる(性格が弱い人間)」
の転訛と解します。
なお、「カル」は「603くさいなぎ」の項のいのししの巣「カル・マウ」の「カル」と同じです。
後に孝徳天皇となる「軽(かる)皇子」は、孝徳紀に「人となりが柔仁(性格が弱く慈悲深い)で儒(学者)を好み、貴賎を問わず頻りに恩恵を与える勅を下した」と評され、大化4年3月条の左大臣阿部内麻呂の死を悲しんで人前で号泣したとか、白雉4年5月条割注の僧旻法師の病を見舞って「もし法師が今日死ぬようなことがあれば朕も明日法師の後を追って死にたい」と口走ったなどの記事を見ますと、その性格には「自制力、判断力の欠けた弱さ」を明らかにみてとることができます。
また、後に文武天皇となる「軽(かる)皇子」は『続日本紀』に「生来心が広く情けにあふれ、憤ることなく常に温和で、中国の古典に精通し、また弓の名手である」と評され、697年に15才で即位してから707年に25才で薨去するまで、政治を主導した形跡が全くありません。即位後も実際の政治は持統太上天皇が、その没後は刑部親王(703〜705年)と穂積親王(705年〜)がとっていたと考えられます。「ふわふわして、しっかりしたところがない」性格であったということをその「軽」という名が示しています。
スサノオが高天原を追放される前にアマテラスに挨拶するために参上したとき、アマテラスはスサノオを「いろせ」とは呼ばずに「我が那勢(なせ)の命」と呼びます。この「なせ」は、「<ナは古くは一人称の代名詞>親愛の情をもつて男性を呼ぶ語。わがせ。あなた。いとこ。」(『岩波古語辞典』)と解されています。しかし、この場面では、アマテラスはスサノオに疑念と敵意を持っての発言で、とうてい「親愛の情」を持っての発言とは考えられません。
この「なせ」は、マオリ語の
「ナ・テ」、NA-TE(na=by,indicate parentage or descent,belonging to,by reason of;te=emphasis,crack)、「(主人公と)離れている(疎遠になっている人間)」
の転訛と解します。
仁徳記に仁徳天皇が「庶妹(ままいも)」の八田若郎女、宇遅能若郎女を娶り、さらに女鳥(めどり)王を娶ろうとしましたが、女鳥王は天皇を嫌い、媒に立てた弟速總別(はやぶさわけ)王と結婚し、二人は誅殺されます。また、敏達記に敏達天皇が庶妹豊御食炊屋(とよみけかしぎや)比売命(後の推古天皇)を娶ったとあります。このほかにも同父異母の兄弟・姉妹の間の婚姻が多くみられます。
親子・兄弟の関係で、血のつながりのない関係を「まま」といい、「まませ」、「ままいも」は「同父異母(異父同母)の兄弟・姉妹」と、「ままこ」は「夫とその妻以外の女との間の子」または「妻とその夫以外の男との間の子」などと解されています(『岩波古語辞典』)。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか。
この「まま」は、マオリ語の
「ママ」、MAMA(free from TAPU,perform certain rites with the object of nullifying a hostile spell or of removing TAPU)、「(結婚についての)タブー=禁忌にあたらない(関係)」
の転訛と解します。
古代においては、同父であっても異母の兄弟・姉妹の間、血のつながりのない親子の間の結婚など(死亡した夫の兄弟と残された未亡人との結婚、死亡した夫の別の妻の息子と残された未亡人との結婚(タギシミミとイスケヨリヒメなど)、夫と妻の連れ子の娘との結婚などを含めて)は許容されていましたから、この「まま」という語は、その禁忌にあたらない関係であることを明示する意味であったのです。
したがつて上記の「血のつながりがない」という説明は、同父であれば「父」の血がつながっており、異父であっても同母であれば「母」の血がつながっているわけで、かつ、異父同母の兄弟姉妹の間では結婚は許されなかったはずですから、「まませ」などと呼ぶことはなかったはず(もしあったとすれば、本来の意味が失われた結果の誤用です)で、厳密には誤りといわざるをえません。
孝徳紀大化2年3月19日条に「貸稲」、天武紀4年4月9日条に「貸税(いらしのおほちから)」、天武紀朱鳥元年7月19日条に「貸稲」の記載があり、「貸」を「いらし」と読んでいます。前2者は「公出挙(すいこ)」、後者は「公及び私出挙」のようですが、なぜこれらの利子付きの貸付である「貸」を「いらし」(『新撰字鏡』は「伊良須(いらす)」)というのでしょうか。
この「いらし」は、マオリ語の
「ワカイラ・チ」、WHAKAIRA-TI(whakaira=conceive,be pregnant;ti=throw,cast)、「子供(利子)を生む(貸付)」
の転訛(前置詞「ワカ」が脱落した)と解します。この「ワカ、WHAKA(causative prefix)」は結果を示す前置詞、「イラ、IRA(life principle)」は「自然の道理、結果」というような意味で、「ほくろ」の「301いら」とは別語です。
中世に成立した荘園の「荘」は、そもそも漢語としては「城市外の一区画の地」を示す語で、領主が支配する一円の区域を意味する語ではありませんでした。また、荘園とは別に地域の称としての「庄」があります。これらは、なぜ「しょう」というのでしょうか。
この「しょう」は、マオリ語の
「チホウ」、TIHOU(an implement used for cultivating)、「(耕作の道具である)鍬。または鍬で耕す耕地。または(ある人が支配する)耕地の広がり」(原ポリネシア語の「シホウ、SIHOU」のH音が脱落して日本語では「シオウ」から「ショウ」と、マオリ語ではS音がT音に変化して「チホウ」となった)
の転訛と解します。
縄文語としての「しょう」という地域を示す語があり、それに「荘、庄」という漢字をあてはめたと考えられます。
ちなみに武蔵7党の「庄」氏の方から教えていただいたのですが、「庄」姓は、有道、児玉、庄と変化しており、埼玉県本庄市の本庄城の城主は、三代目まで「庄」氏でその後「本庄」氏となつたそうです。
この「ほんじょう」は、マオリ語の
「ホノ・チホウ」、HONO-TIHOU(hono=join,add,assembly;tihou=an implement used for cultivating)、「(耕作の道具である)鍬で耕す耕地の集合」
の転訛と解します。「庄」氏は、三代を経て領地を拡大し、「本庄」氏に成長したことを姓を改めることによって天下に明らかに宣言したものでしょう。
1006しよう(荘、庄)よりも通常やや狭い地域を表す語に「ほう」があります。
この「ほう」は、マオリ語の
「ホウホウ」、HOUHOU(dig up,peck holes in drill,chop in pieces(hou=enter,force downwards or under))、「((食糧の芋などを)採掘する、穴を掘るから)耕作をする土地」(反復語尾が脱落して「ほう」となつた)
の転訛と解します。
『魏志倭人伝』の倭の女王「卑弥呼」は、「鬼道に事(つか)え、能く衆を惑わす」とあるように、いわゆるシャーマンであり、巫女(みこ)であったことは疑いないところです。
さらに、「鬼道」とあるところからすると、中国の道教の流れを汲んだ新しい呪術、特に鏡を用いる呪術を行う者であった可能性が大で、このことがそれまでの土着の、南方系の自然発生的シャーマンを圧倒し、倭国の女王の地位を獲得する大きな要因となつたものと考えられます。(なおこの鏡は、卑弥呼の呪術とその起源を同じくする大和朝廷の三種の神器の一つとなり、「106みこ(巫女)」の項で解説したように巫女で組織した女軍を先頭に立てる戦法(古代中国で用いられ、弥生時代に日本列島にも輸入された戦法)においても重要な役割を果たしたことでしょう。)
古典篇(その四)では、卑弥呼を「(1)ヒ・ミコ」と解しましたが、「卑」の中国古代音は「ピ(piegまたはpie)」であったとする説(安本美典氏ほか)もありますので、下記のように「(2)ピ・ミコ((a)・(b))」の解釈を追加します。(上代万葉語においては、H音はなく、すべてP音であったとする説もありますが、私は原ポリネシア語の子音構成とその後の変化から見て、当初から縄文語にはH音もP音も存在したと考えています。また、(a)・(b)ともに解釈が成立しますが、どちらかと言えば(a)ではなかつたかと現在は考えています。)
この「みこ」、「ひみこ」は、マオリ語の
「ミコ」、MIKO(=mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness)、「鳥肌が立つ、(なんともいえない)恐怖が忍び寄つて異常に興奮する(=神がかりになり異常な興奮状態になって託宣を下す・巫女)」
「(1)ヒ・ミコ」、HI-MIKO(hi=raise,rise;miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness)、「高い地位に居る巫女」
「(2)ピ・ミコ」、PI-MIKO(pi=source of a stream,eye,corner of the eye or mouth;miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness)、(a)「(倭の国々を統一した)始祖である巫女」または(b)「眼(眼光が鋭い、または眼の周りに入れ墨を施した)の巫女」(「ピ」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒ」となつた)
の転訛と解します。
『古事記』の「尊(みこと)」、『日本書紀』の「命(みこと)」は、「ミは接頭語。コトは言葉、行為。御言葉・御行為の意から転じて、発言・行為をなさる神・天皇・皇子などを指す」(岩波『古語辞典』)とされます。
この「みこと」は、マオリ語の
「ミコ・ト」、MIKO-TO(miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness;to=drag,haul)、「巫女を統率する者」
の転訛と解します。
「すめらみこと」は、「すめら」は「最高の主権者。一地域、また、日本全土についていう。天皇。▽梵語で至高・妙高の意の蘇迷廬sumeruと音韻・意味が一致する。また、最高の山を意味する蒙古語sumelと同源であろう。スメをスベ(統)と同一と見る説もあるが、スメはsumeの音、スベはsubeの音で母音が相違する。」(岩波『古語辞典』)で、(1)天皇の尊称、(2)「ヤマトタケル」のような「最も尊敬されるべき行為者」、(3)天皇の父、皇太子の父に追号する称とされます。
この「すめらみこと」は、マオリ語の
「ツ・メラ・ミコ・ト」、TU-MERA-MIKO-TO(tu=stand,be erect,be established;mera,meramera=prepared by steeping in water as certain food were;miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness;to=drag,haul)、「(尊称にふさわしい業績を上げ、かつ、尊称を授与または推戴する儀式を経るという)手順を踏んでその地位に就いた巫女(巫覡)の統率者」
の転訛と解します。
「みことのり」は、「御言(みこと)・宣(のり)の意。天皇の仰せごと。詔勅。」とされます。
この「みことのり」は、マオリ語の
「ミコ・ト・(ン)ガウ・リ」、MIKO-TO-NGAU-RI(miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness;to=drag,haul;ngau=raise a cry,indistinct of speech;ri=bind,shut out with a screen,protect)、「巫女を統率する者が・不明瞭な言葉を連ねて言う」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)
の転訛と解します。
これは普通の人には意味が明瞭には聞き取れない言葉ですから、『魏志倭人伝』において卑弥呼について「男子一人が辞を伝えて出入す」とあり、『古事記』において仲哀天皇が琴を弾き、神功皇后に神が憑依して託宣をし、武内宿禰が審神者(さにわ)となって新羅征討、次期天皇の指名などを記録したとあるように、言葉を聞き取つて他に伝える人間が傍らで奉仕する必要があるのが、「みことのり」の本来の姿でした。
「のりと」は、「ノリは宣の意。トはコトド(絶妻之誓)のドと同じで呪言の意。神神の徳をほめたたえ、神に種々の物を奉り供えることを申し述べて、神のめぐみ(生活の安穏、多収穫、罪の祓)を得たい旨を願う神聖な言葉。」(岩波『古語辞典』)とされます。
現存する最も古いものは『延喜式』巻八の「祈年祭(としごいのまつり)祝詞」以下の28編などで、宣名体で書かれ、文末を「宣(の)る」とするものと「申す」とするものがあります。
この「のりと」は、マオリ語の
「(ン)ガウ・リ・タウ」、NGAU-RI-TAU(ngau=raise a cry,indistinct of speech;ri=bind,shut out with a screen,protect;tau=sing,season,the recurring cycle)、「年中行事(としての祭事)の際の・不明瞭な言葉を連ねて言う(言葉)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」と、「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)
の転訛と解します。
「みこともち」は、古代に天皇の命を受けて任国に下り、地方の政務を司った官吏です(『日本書紀』神功摂政前紀仲哀天皇9年12月条、敏達紀6年5月条など)。「天皇の御言(みこと)を受け、それを保持する人の意(『釈日本紀』)。任国に下って、その国の政治を行う官。」とされます。
この「みこともち」は、マオリ語の
「ミヒ・コト・マウ・チ」、MIHI-KOTO-MAU-TI(mihi=greet,admire;koto=sob,make a low sound;mau=carry,bring;ti=throw,cast)、「尊重すべき・(天皇の)低い音の言葉(詔。命令)を・運んできて・(人民に)伝達する(役人)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」と、「マウ」のAU音がO音に変化して「モ」となった)
の転訛と解します。
古くは「かむなぎ」で、「カムは神。ナギはなごめる意。神の心を音楽や舞でなごやかにして、神意を求める人。日本では普通は女性。」の意で、神に仕え、祭りに奉仕し、神おろしなどをする人をいうとされます。
この「かんなぎ」は、マオリ語の
「カム・ア(ン)ギ」、KAMU-ANGI(kamu=eat,move the mouth as if eating,close the hands;angi=free without hindrance,move freely,something connected with the descent to the subterranean spirit world)、「手を合わせて(または口の中で呪文を唱えて)・(神意を求めて心が霊界を)さまよう(人)」(「ア(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「アギ」となった)
の転訛と解します。
「みかんこ」は、「ミカミコ(御神子)の転で、神に奉仕する童女をいいます。
この「みかんこ」は、マオリ語の
「ミヒ・カム・コ」、MIHI-KAMU-KO(mihi=greet,sigh for;kamu=eat,move the mouth as if eating,close the hands;ko=addressing girls and males)、「敬意を表すべき・手を合わせる(または口の中で呪文を唱える)・子」
の転訛と解します。
「ねぎ」は、「神の心を慰め和らげ祈請の事にあたる者の意」で、通常宮司または神主の次、祝(はふり)の上に位しました。
この「ねぎ」は、マオリ語の
「ネイ・(ン)ギア」、NEI-NGIA(nei=to denote proximity;ngia=seem,appear to be)、「あたかも神主であるかのように見える(神職)」(「ネイ」の語尾の「イ」が脱落して「ネ」と、「(ン)ギア)」のNG音がG音に変化し、語尾の「ア」が脱落して「ギ」となつた)
の転訛と解します。
「はふり」は、「ハブリ(放)と同根で、罪・汚れを放る人の意」で、神主・禰宣に次いで、神に仕える人をいうとされます。
この「はふり」は、マオリ語の
「ハ・プリ」、HA-PURI(ha=breath,sound,breathe;puri=sacred,one instructed in esoteric lore)、「秘密の伝承を語る(聖なる呪文を唱える・神職)」
の転訛と解します。
物部氏は、大和朝廷で軍事・刑罰を担当した部族で、大伴氏と並んで最有力の氏族でした。族長は代々大連に就任していましたが、6世紀半ばに仏教の受容に反対し、物部守屋が蘇我馬子と皇族の連合軍と戦つて敗死します。律令時代にいちぞくの石上(いそのかみ)氏、榎井(えのい)氏らが朝廷に復活します。
この氏族は、神武天皇の東征以前から大和にいた氏族で、『日本書紀』神武即位前紀戊午年12月条に「ニギハヤヒノミコトは、物部氏の遠祖なり」とあり、『古事記』神武天皇条は「ニギハヤヒノミコトの子ウマシマジノミコトは、物部連、穂積臣、采部臣の祖なり」と割注があります。
この「もの」は、「武具・刑罰を直接言うを避けた表現」(岩波『古語辞典』)とする説があります(これなどは、「もののべ」の本当の意味が分からないための苦し紛れの弁解です)。
この「もののべ」は、マオリ語の
「モノ・ノペ」、MONO-NOPE(mono=disable by means of incantations,an incantation to disable an army,plug,caulk;nope=constricted(nonope=oppress,distress))、「祈祷により(敵を無力化する呪文を唱えて)・圧倒する(ことを得意とする・部族)」
の転訛と解します。
「318もののべ」の「もの」に関連した語に、「ものいみ」があります。これは「モノは魔あるいは不浄など。イミは禁忌に触れないようにする謹慎」の意で、親族などに不幸があったとき、身体が不浄であるとき、日取りや夢見が凶であるときなど、広く禁忌に出会つた際、社会的な慣習として行動を制限し謹慎することをいうとされます。
また、秋田・山形県境の鳥海山(2,236メートル)に出羽国一宮の大物忌(おおものいみ)神社が鎮座します。古来航海安全の守護神として尊崇されています。
この「ものいみ」、「おおもののみ」は、マオリ(ハワイ)語の
「モノ・イミ」、MONO-IMI(mono=disable by means of incantations,an incantation to disable an army,plug,caulk;(Hawaii)imi=to look,hunt,search)、「(駆逐すべき敵の出現・汚れの発生を常に)見張っていて(発生したときはすぐに)呪術を行う(敵を圧倒し、汚れを清める)」
「オホ・モノ・イミ」、OHO-MONO-IMI(oho=spring up,wake up,arise;mono=disable by means of incantations,an incantation to disable an army,plug,caulk;(Hawaii)imi=to look,hunt,search)、「すっくと立っている・(駆逐すべき敵・航海の不安の出現を常に)見張っていて(発生したときはすぐに)呪術を行う(敵を圧倒し、航海の安全を確保する)(神。その鎮座する神社)」
の転訛と解します。
この「もののけ」は、「モノ(鬼・霊)のケ(気)の意」で、人に取り付いて悩まし、病気にし、時には死に至らせる死霊・生霊の類をいうとされます。
この「もののけ」は、マオリ語の
「モノ・ノケ」、MONO-NONOKE(mono=disable by means of incantations,an incantation to disable an army,plug,caulk;nonoke=struggle togather,wrestle)、「(敵・鬼・魔・霊・不浄などを無力化する)祈祷に抵抗するもの(相手の敵・鬼・魔・霊・不浄など)」
の転訛と解します。
「もののふ」という語があります。これは「モノはモノノベのモノに同じ。はじめ武人の意。のちに文武の官の意に広まつた」とされます。
この「もののふ」は、マオリ語の
「モノ・ノフ」、MONO-NOHU(mono=disable by means of incantations,an incantation to disable an army,plug,caulk;nohu=sinking pain(nohunohu=unpalatable,nauseous))、「敵を無力化するまじないに嫌気を起こさせる(そのまじないの効果が全くない・強い人間)」
の転訛と解します。
古くは「つはもの」といい、(1)武士・強者、(2)武器・武具の意味があります。
この「つわもの」は、マオリ語の
「ツハ・モノ」、TUHA-MONO(tuha=tuwha=spit,distribute)、(1)「敵を無力化するまじないに唾を吐きかける(軽蔑する・強い人間)」、(2)「敵を無力化するまじないを分配して効果を表すような(力がある道具・武器・武具。祈りを込めた武器等を相手に使用することによって広く相手を圧倒する効果を及ぼすもの)」
の転訛と解します。
忌部氏は、古代の氏族の一つで、大和朝廷の祭祀に奉仕しました。
『日本書紀』神代下に「ニニギノミコトに三種の神器と中臣の上祖アメノコヤネノミコト、忌部の上祖フトタマノミコトなど五柱の神を添えて降臨させた」とあり、『古事記』にも「フトタマノミコトは、忌部首等の祖」とあります。
『古語拾遺』は、斎部(いんべ)広成が大同2(807)年に著し、古来中臣氏と並んで祭祀に奉仕してきた斎部氏が衰微したのを嘆き、その氏族の伝承を記して朝廷に献じたものです。
この「いんべ」は、マオリ語の
「イミ・ペ」、IMI-PE((Hawaii)imi=to look,hunt,search;pe=crushed,soft)、「(駆逐すべき敵の出現を常に)見張っていて(発生したときはすぐに)敵をせん滅する(部族)」
の転訛と解します。
したがつて、この氏族は本来は軍事・警察業務を担当する氏族でしたが、天孫降臨の護衛と、三種の神器の警護を担当したことから、祭祀にあたる氏族となつたものと解することができます。
中臣氏は、古代の氏族の一つで、忌部氏と並んで大和朝廷の祭祀に奉仕しました。
『日本書紀』神代下に「ニニギノミコトに三種の神器と中臣の上祖アメノコヤネノミコト、忌部の上祖フトタマノミコトなど五柱の神を添えて降臨させた」とあり、『古事記』にも「アメノコヤネノミコトは、中臣連等の祖」とあります。
はじめは中臣連、後に中臣朝臣、さらに大中臣朝臣となります。なお、中臣鎌足は藤原と姓を賜り、その子孫は中臣氏と分かれて藤原氏となりました。
この「なかとみ(なかおみ)」は、マオリ語の
「ナカ・ハウミ」、NAKA-HAUMI(naka=denoting position near,move in a certain direction;haumi=join,lengthen by addition,lay aside)、「(天皇家と)近い関係にある・(従属的)同盟関係を結んだ(氏族)」(「ハウミ」のH音が脱落し、AU音がO音に変化して「オミ」となった)
の転訛と解します。
大伴氏は、大和朝廷の親衛軍を勤めた古代の豪族の一つで、久米部、佐伯部などを率いて大和朝廷に仕え、大連となるものも出ました。のち応天門の変以降、伴(とも)氏となりました。
『日本書紀』天孫降臨条の一書に「大伴連の遠祖アメノオシヒノミコトが来目部の遠祖アメノクシツノオホクメを引き連れて、天孫の前に立って降臨した」とあり、神武即位前紀戊午年6月条には「大伴氏の遠祖ヒノオミノミコトがオホクメを率いてヤタノカラスを追って進んだ」とあり、『古事記』天孫降臨条にも「アメノオシヒノミコト、アマツクメノミコトが弓矢を持って天孫の前に立って仕えた」とあり、神武東征条には「大伴連等の祖ミチノオミノミコト、久米直等の祖オホクメノミコトの二人がエウカシを討つた」とあります。
この「おほとも」は、マオリ語の
「オフ・トモ」、OHU-TOMO(ohu=surround;tomo=assault,storming paery,enter,be filled)、「(敵を)取り囲んで襲いかかる(戦法を得意とする・部族)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」となった)
の転訛と解します。
久米氏は、大伴氏とともに大和朝廷の親衛軍を勤めた古代の氏族の一つです。
『日本書紀』天孫降臨条の一書に「大伴連の遠祖アメノオシヒノミコトが来目部の遠祖アメノクシツノオホクメを引き連れて、天孫の前に立って降臨した」とあり、神武即位前紀戊午年6月条には「大伴氏の遠祖ヒノオミノミコトがオホクメを率いてヤタノカラスを追って進んだ」とあり、『古事記』天孫降臨条にも「アメノオシヒノミコト、アマツクメノミコトが弓矢を持って天孫の前に立って仕えた」とあり、神武東征条には「大伴連等の祖ミチノオミノミコト、久米直等の祖オホクメノミコトの二人がエウカシを討つた」とあります。このほか記紀には久米部の軍の勇猛なさまが特筆されています。
この「くめ」は、マオリ語の
「クメ」、KUME(pull,drag)、「(先頭に立って他の部族を)引っ張る(勇猛な部族)」
または「クフ・マイ」、KUHU-MAI(kuhu=thrust in,insert;mai=hither,to indicate direction or motion towards)、「(敵の中央部を)突き刺す(ように突進する勇猛な部族)」(「クフ」のH音が脱落して「ク」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)
の転訛と解します。(地名篇(その十二)の鳥取県の(12)久米郡の項を参照して下さい。)
古代の軍事に関係した氏族に佐伯氏があります。
『日本書紀』景行紀51年8月条にヤマトタケルが伊勢神宮に献じた蝦夷を播磨・讃岐・伊予・安芸・阿波に移したのが佐伯部の祖とあり、天武紀13年12月条に大伴連、佐伯連など50氏に宿禰姓を賜わったとあります。『新撰姓氏録』左京神別には佐伯宿禰を大伴宿禰と同祖、道臣命7世の孫室屋大連の子の談から分かれ、大伴氏と並んで靫負(ゆげひ)を率いて宮門を警衛したとします。
この「さえき」は、マオリ語の
「タエキ」、TAEKI(lie(tae=arrive,come,go,amount to of numbers,proceed to;ki=full,very))、「(横たわって)通路を遮断・警衛する(部族)」
の転訛と解します。
『日本書紀』神代上の瑞珠盟約条は、084スサノオが011アマテラスとうけひ(誓。誓約)をして男女いずれかを生むかによって邪心の有無を判断したとあり、うけひに勝ったスサノオがその後蛮行を行ったのでアマテラスが天岩戸に隠れたとします。また、天孫降臨条にも020ニニギノミコトから疑いをかけられた066コノハナサクヤヒメがうけひをして火の中で三子を無事に出産したとあります。
また、神功皇后摂政元年2月条は、214F1鹿坂(かごさか)皇子が神功皇后軍を迎え撃つのに先だって事の成否をかけてうけひがり(祈狩)を行い、皇子が赤猪に食われたとします。
この「うけひ」、「うけひがり」は、
「ウ・ケヒ」、U-KEHI(u=be fixed,reach its limit;kehi=defame,speakill of)、「正邪真偽を定めて・邪偽をおとしめる(行為)」(古典篇(その二)の1の(3)天真名井での「ウケヒ」の項を参照してください。)
「ウ・ケヒ・(ン)ガリ」、U-KEHI-NGARI(u=be fixed,reach its limit;kehi=defame,speakill of;ngari=greatness,disturbance)、「正邪真偽を定めて・邪偽をおとしめるための・(狩りという)大がかりな(行事)」または「ウ・ケヒ・カリ」、U-KEHI-KARI(u=be fixed,reach its limit;kehi=defame,speakill of;kari=dig,wound,rush along violently)、「正邪真偽を定めて・邪偽をおとしめるための・(獣を獲ろうと殺到する)狩り(の行事)」(古典篇(その八)の214F1鹿坂(かごさか)皇子の項を参照してください。)
の転訛と解します。
329都牟刈(つむがり)大刀・草那藝(くさなぎ)大刀・天叢雲(あめのむらくも)剣
『古事記』は084スサノオがヤマタノオロチを退治し、その尾から都牟刈(つむがり)大刀を得て011アマテラスに献上したとし、これは草那藝(くさなぎ)大刀であるとします。この「つむがり」は、語義未詳で、古くは「都牟羽(つむは)」であったとする説があり、『古事記伝』は「須我流(すがる)横刀(『皇大神宮儀式帳』、『延喜式』にみえます)、須我利(すがり)剣、都我利(つがり)神社などはみな同言である」、「ツムガリとは物を鋭く截り断つさまをいう語で、今の世にヅカリとかスツカリとか言うのがそれである」とします。
『日本書紀』神代上の宝剣出現条も084スサノオがヤマタノオロチを退治し、その尾から草薙(くさなぎ)剣を得て011アマテラスに献上したとし、同分注は「一書に本の名を天叢雲(あめのむらくも)剣といい、大蛇が居る上に常に雲気があったので名づけたものか。日本武皇子に至って草薙剣と改めた」とします。
この「つむがり」、「つむは」、「すがる(すがり)」、「くさなぎ」、「あめのむらくも」は、
「ツム・(ン)ガリ」、TUMU-NGARI(tumu=contrary of wind,go against the wind;ngari=disturbance,great,power)、「向かい風を起こして・(迫る危険を)妨害する(強い力を持つ。刀)」
「ツム・ハ」、TUMU-HA(tumu=contrary of wind,go against the wind;ha=breath,breathe,what!)、「何と・向かい風を起こす(刀)」または「息をして・向かい風を吹かせる(刀)」
「ツ・(ン)ガル」、TU-NGARU(tu=fight with,energetic;ngaru=wave of the sea,some obstruction supposed to be in the nose of a new-born child)、「力強く・(迫る危険を)防ぐ(刀)」または「ツ・(ン)ガリ」、TU-NGARI(tu=fight
with,energetic;ngari=disturbance,great,power)、「力強く・(迫る危険を)妨害する(刀。神社)」
「クタ・ナキ」、KUTA-NAKI(kuta=encumbrance;naki=glide,move with an even motion)、「邪魔物を・薙ぎ倒す(刀)」
「アマイ・ノ・ムラ・クモウ」、AMAI-NO-MURA-KUMOU(amai=dizzy,giddy;no=of;mura=blaze,flame;kumou=komou=cover a fire with ashes or earth to keep it smoudering)、「きらきらと輝いて・いる・炎を・(灰や土をかけて)鎮める(剣)」(「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」となった)
の転訛と解します。(古典篇(その二)の1の(5)の項を参照してください。)
『日本書紀』には神代上の四神出生条をはじめ、天孫降臨条、仲哀紀9年2月条など数多くの殯(もがり)の記事がみえます。これは、貴人が死んで葬るまでの間、屍を棺におさめて仮に安置することで、「モ(喪)・ガリ(アガリ(崩御)の約)」、「モグ」と同源、「モバカリ(喪許)」の義、「モカリ(喪仮)」、「マガアリ(凶在)」の転などの説があります。
なお、『古事記』は、殯を「あらき」と訓じています。この「あらき」は「荒城」の意とされます。
仲哀紀9年2月条は、前年9月に神が下した「新羅国を征伐すべし」との託宣を天皇が信じなかったため、熊襲討伐の途中で急死したとし(記は天皇が託宣を信じなかったためその場で急死したとします)、皇后は天皇の崩御を秘して豊浦宮で殯(もがり)を行い、无火殯斂(ほなしあがり)をしたとあります。
この「もがり」、「あらき」、「ほなしあがり」は、
「モ・(ン)ガリ」、MO-NGARI(mo=for,for the use of,in considerationof the fact that;ngari=annoyance,greatness,power)、「(故人の)偉大さを・偲ぶための行事」(「(ン)ガリ」のNG音がG音に変化して「ガリ」となった)
「アウラキ」、AURAKI(return,go,wail,lament)、「悲嘆(その行事)」(AU音がA音に変化して「アラキ」となった)
「ハウ・ナチ・ア・(ン)ガリ」、HAU-NATI-A-NGARI(hau=wind,breath;nati=contract,pinch;a=urge,collect;ngari=annoyance,greatness)、「(悲しみの)声を・強いて・押し殺して行う・悲しみ(の行事)」(「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」と、「(ン)ガリ」のNG音がG音に変化して「ガリ」となった)(古典篇(その八)の214H2撞賢木厳之御魂天疎向津(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつ)媛命の項を参照してください。)
敏達紀14年8月条は、天皇が崩御して蘇我馬子大臣と弓削守屋大臣が誄(しのびごと)をたてまつったとします。これは死者を慕ってその霊に向かって述べる弔辞で、殯宮における主要な儀礼の一つでした。
なお、推古紀20年2月の堅塩媛の改葬の際「氏姓之本」を誄せしめたとあり、朱鳥元年から持統初年にかけては天武天皇の殯宮の儀が詳細に記されています。
この「しのびごと」は、
「チ(ン)ゴ・ピ・コト」、TINGO-PI-KOTO(tingo,tingongo=cause to shrink,shrivel,shrivelled;pi=flow of the tide,soaked,source,origin;koto=sob,make a low sound)、「(涙で)途切れ勝ちになる・(故人の誕生時に遡る)事績を回顧する・低い声(の弔辞)」(「チ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「チノ」から「シノ」となった)
の転訛と解します。
332大嘗(おほなめ。おほにへ)・新嘗(にひなめ。にひあへ)・会(ゑ)・由機(悠基。ゆき)国・須岐(主基。すき)国
天平勝宝元年11月条は、因幡を由機(ゆき)国とし、美濃を須岐(すき)国として、南薬園の新宮において大嘗(おほなめ。おほにへ)祭を執行したとします。
天平勝宝8歳11月条は、聖武先帝の諒闇のため、新嘗(にひなめ。にひあへ)の会(ゑ)を中止したとします。
大嘗祭における悠基(ゆき)国において選定された斎田(悠基田)の新穀は大嘗宮の東の悠基殿で、主基(すき)国において選定された斎田(主基田)の新穀は大嘗宮の西の主基殿で神饌に供されます。新嘗祭においては、宮を新設することがないほかは大嘗祭に準じます。この悠基(ゆき)は「斎酒(ゆき。神聖な酒)」の義、斎忌の義、「ユキ(斎潔)」の義などと、主基(すき)は「その次」の意、「ススギ(濯)」の約などとする説があります。(なお、大嘗祭、新嘗祭については古典篇(その十六)の246H2大嘗(おほなめ)の項および246H11新嘗(にひなめ)の項を参照してください。)
この「おほなめ」、「おほにへ」、「にひなめ」、「にひあへ」「ゑ」、「ゆき」、「すき」は、
「オホ・ナ・アマイ」、OHO-NA-AMAI(oho=spring up,wake up,arise;na=satisfied,by,indicate parentage or descent,belonging to;amai=swell on the sea,giddy,dizzy)、「(天皇の)子孫が・(その霊力を)膨らませて・(天皇として始めて)すっくと立つ(ための儀式)」(「ナ」のA音と、「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」となったその語頭のA音と連結して「ナメ」となった)
「オホ・ニヒ・アヱ」、OHO-NIHI-AWHE(oho=spring up,wake up,arise;nihi=steep,move stealthily,come stealthily upon;awhe=scoop up,gather into a heap,surround)、「徐々に・(天皇の霊力を)積み上げて(増して)・(天皇として始めて)すっくと立つ(ための祭儀)」(「オホ」のH音が脱落して「オオ」と、「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」と、「アヱ」のWH音が脱落して「アエ」から「エ」となった)
「ニヒ・ナ・アマイ」、NIHI-NA-AMAI(nihi=steep,move stealthily,come stealthily upon;na=satisfied,by,indicate parentage or descent,belonging to;amai=swell on the sea,giddy,dizzy)、「徐々に・(天皇の)子孫が・(一年の間に次第に小さくなったその霊力を)膨らませる(または輝きを取り戻すための。儀式)」(「ナ」のA音と、「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」となったその語頭のA音と連結して「ナメ」となった)
「ニヒ・アヱ」、NIHI-AWHE(nihi=steep,move stealthily,come stealthily upon;awhe=scoop up,gather into a heap,surround)、「徐々に・(天皇の霊力を)積み上げる(増す)(ための祭儀)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニイ」と、「アヱ」のWH音が脱落して「アエ」となった)
「ワイ」、WHAI(follow,look for,proceed to the next in order,practise,perform an incantation or rite)、「(順を追って行われる)儀式」(AI音がE音に変化して「ヱ」となった)
「イ・ウキ」、I-UKI(i=past tense,beside;uki=distant times past or future(ukiuki=old,continuous,undisturbed,peaceful))、「過去となった・(治世の)永続(を象徴する。国。斎田。そこで穫れた新穀)」
「ツ・ウキ」、TU-UKI(tu=fight with,energetic;uki=distant times past or future(ukiuki=old,continuous,undisturbed,peaceful))、「(これから精一杯努力しなければならない)未来の・(治世の)永続(を象徴する。国。斎田。そこで穫れた新穀)」
の転訛と解します。
天平神護元年11月条は、天皇が即位したので大嘗(おほなめ)の祭を行い、猶良比(なほらひ)の豊明(とよのあかり)の節会(宴会)を行ったとします。
猶良比(なほらひ)は、「ナホリアヒ(直合)」の義、「平常に直る」で神祭りの物忌みの状態から旧に復することとするなどの説があります。豊明(とよのあかり)は、夜を日に継いで酒宴するところから「トヨ(豊)・アカリ(明)」の義、アカリは宴に酔いしれて頬が赤くなっていること、トヨはそれを賛美する意などとする説があります。
この「なほらひ」、「とよのあかり」は、
「ナホ・ラヒ(ン)ガ」、NAHO-RAHINGA(naho=hasty,quick,in speech or action;rahinga-largeness,abundance,company,party)、「(神事の後)直ちに行う・宴会(直会)」(「ナホ」のH音が脱落して「ナオ」と、「ラヒ(ン)ガ」のH音および名詞形語尾のNGA音が脱落して「ライ」となった)
「トイ・イオ・ノア・カリ」、TOI-IO-NOA-KARI(toi=move quickly,encourage;io=muscle,tough;noa=free from tapu or any other restrictions,ordinary,denoting absence of limitations or conditions;kari=dig,rush along violently)、「疲れを知らずに・動き回り・止め度なく(無礼講で)・走り回る(宴会)」(「トイ」のI音と「イオ」の語頭のI音が連結して「トヨ」となった)
の転訛と解します。
334臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)
推古紀28年是歳条は、皇太子(聖徳太子)と嶋大臣(蘇我馬子)が相談して、天皇記、国記、臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)180部等の公民の本記を記録したとします。
この「おみ」、「むらじ」、「とも」、「みやつこ」、「くに」は、
「オ・ミヒ」、O-MIHI(o=the...of,belonging to;mihi=greet,admire)、「実に・尊敬される(部族)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「ムラ・チ」、MURA-TI(mura=blaze,flame;ti=throw,cast,overcome)、「光を・放っている(輝かしい、名誉ある。部族)」または「(火を燃やしている集落)部族を・治めている(支配者の。部族)」
「タウマウ」、TAUMAU(hold,keep in place,bespeak,reserve for oneself)、「随伴する(とくに親密な関係がある。部族)」(AU音がO音に変化して「トモ」となった)
「ミヒ・イア・ツコ」、MIHI-IA-TUKO(mihi=greet,admire;ia=indeed,current;tuko=a digging implement)、「尊敬される・実に・(鍬で土地を耕すように)丹念に地域を治める(部族)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「クニ」、KUNI((Hawaii)to burn,blaze,kindle)、「(灯りを灯す)集落(国)」
の転訛と解します。
335姓(かばね)・眞人(まひと)・朝臣(あそみ)・宿禰(すくね)・忌寸(いみき)・道師(みちのし)・臣(おみ)・連(むらじ)・稲置(いなき)
天武紀13年10月条は、諸姓をあらためて八色の姓(かばね)とし、眞人(まひと)、朝臣(あそみ)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)および稲置(いなき)に再編成することとしたとします。
この「かばね」、「まひと」、「あそみ」、「すくね」、「いみき」、「みちのし」、「おみ」、「むらじ」、「いなき」は、
「カパ・ネイ」、KAPA-NEI(kapa=rank,row,stand in a row or rank;nei=to denote proximity to or connection with the speaker)、「人々(を並べる場合)の・序列(または階級)」(「ネイ」のEI音がE音に変化して「ネ」となった)
「マ・ピト」、MA-PITO(ma=white,clear;pito=end,extremity,navel,at first)、「清らかな・第一の・人物(部族)」(「ピト」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」となった))
「アト・ミヒ」、ATO-MIHI(ato=thatch,enclose in a fence etc.;mihi=greet,admire)、「(葺いた屋根のように諸部族の)上にある・尊敬すべき(部族)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「ツクヌイ」、TUKUNUI(main body of an army,large)、「偉大な(部族)」(UI音がE音に変化して「ツクネ」から「スクネ」となった)
「イ・ミヒ・キ」、I-MIHI-KI(i=past tense,beside;mihi=greet,admire;ki=full,very)、「非常に・尊敬・された(部族)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)または「イ・ミキ」、I-MIKI(i=past tense,beside;miki=ridge of hilles)、「山の嶺の・上にある(高い地位にある。部族)」
「ミヒ・チノ・チヒ」、MIHI-TINO-TIHI(mihi=greet,admire;tino=essentiality,main,exact;tihi=summit,top,lie in a heap)、「尊敬すべき・主要な・高い地位にある(部族)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」と、「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」となった)
「オ・ミヒ」、O-MIHI(o=the...of,belonging to;mihi=greet,admire)、「実に・尊敬される(部族)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「ムラ・チ」、MURA-TI(mura=blaze,flame;ti=throw,cast,overcome)、「光を・放っている(輝かしい、名誉ある。部族)」または「(火を燃やしている集落の)部族を・治めている(支配者の。部族)」
「イナキ」、INAKI(overlap,crowd one upon another,thatch,come up as reinforcements to an advanced position)、「(人の)上に立つ(部族をまとめる。部族)」
の転訛と解します。
336子代(こしろ)・屯倉(みやけ)・村首(むらのおびと)・部曲(かきべ)・大夫(まへつきみ)
大化2年正月条は、改新之詔を発布し、まず第一に昔の天皇等が立てた子代(こしろ)の民、屯倉(みやけ)、臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)、国造(くにのみやつこ)、村首(むらのおびと)が所有する部曲(かきべ)の民、田荘(たどころ)を廃止するとし、これに伴い大夫(まへつきみ)以上には食封を与えるとしました。
この「こしろ」、「みやけ」、「むら」、「おびと」、「かきべ」、「まへつきみ」は、
「カウ・チロウ」、KAU-TIROU(kau=alone,only,as soon as;tirou=pointed stick used as a fork,pole used to reach anything)、「(その名を聞いて)直ちに・(それを設置した)人に辿り着く(思い出す。人の名を冠した部族)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」と、「チロウ」の語尾のU音が脱落して「チロ」から「シロ」となった)
「ミヒ・アケ」、MIHI-AKE((Hawaii)mihi=repentance,apologize,be sorry,to regret;(Hawaii)ake=liver,to desire,yearn,to find fault)、「謝罪の・赤心(を示すために献納した。領地)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミイ」となり、「アケ」と連結して「ミヤケ」となった)
「ムラ」、MURA(blaze,flame)、「(火を燃やしている)集落(村)」
「オ・ピト」、O-PITO(o=the...of,belonging to;pito=end,extremity,navel,offering to the god)、「(部族の最高の)第一人者・である(人)」
「(ン)ガキ・パエ」、NGAKI-PAE(ngaki=clear off weeds or brushwood,cultivate,occupy oneself intently with;pae=horizen,region,lay across,be laid to the charge of any one)、「土地を耕す・(他の部族に)従属している(部族)」(「(ン)ガキ」のNG音がG音からK音に変化して「カキ」と、「パエ」のAE音がE音に変化して「ペ」から「ベ」となった)
「マ・ヘイ・ツ・キ・ミヒ」、MA-HEI-TU-KI-MIHI(ma=white,clear;hei=go towards,be requited(whakahei=welcome,fulfil,satisfy an obligation);tu=fight with,energetic;ki=full,very;mihi=greet,admire)、「清らかに(誠意をもって)・精力的に・職務を遂行する・非常に・尊敬すべき(首長)」(「ヘイ」の語尾のI音が脱落して「ヘ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
の転訛と解します。(臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)、国造(くにのみやつこ)については、334臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)の項を参照してください。)
337郡司(こほりのみやつこ)・関塞(せきそこ)・斥候(うかみ)・防人(さきもり)・駅馬(はいま)・伝馬(つたはりうま)・坊令(まちのうながし)・里(さと)の長(をさ)
大化2年正月条は、改新之詔を発布し、第二に畿内の国司(くにのみこともち)、郡司(こほりのみやつこ)、関塞(せきそこ)、斥候(うかみ)、防人(さきもり)、駅馬(はいま)、伝馬(つたはりうま)、坊令(まちのうながし)を置くなどの制度を整備しました。
第三に戸籍、班田収授之法を造り、50戸を里とし、里(さと)に長(をさ)を置き、租(税)を定めました。
この「こほり」、「せきそこ」、「うかみ」、「さきもり」、「はいま」、「つたはり」、「まち」、「うながし」、「さと」、「をさ」は、
「カウハウ・リ」、KAUHAU-RI(kauhau=recite,proclaim,declare aloud;ri=screen,protect,bind)、「(命令を)声高らかに宣言する・砦(役所)」(「カウハウ」のAU音がO音に変化して「コホ」となった)
「テキ・トコ」、TEKI-TOKO(teki=outer fence of a blockade;toko=pole,support with a pole,push or force to a distance )、「(集落の外側の垣根の)関を・(柱で支えて)固める(防御する。役人)」
「ウ(ン)ガ・アミ」、UNGA-AMI(unga=send,expel,seek;ami=gather,collect)、「探索し・(その情報を)集める(役人)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がG音からK音に変化して「ウカ」となり、その語尾のA音と「アミ」の語頭のA音が連結して「ウカミ」となった)(職員令、大国条では陸奥、出羽、越後等にのみ置くとされていますから、東国の蝦夷の動向を把握して早期に対策を講ずるためのものであったと考えられます。)
「タキ・モリ」、TAKI-MORI(taki,takitaki=fence,screen;mori=low,mean,person of no account,fondle,caress)、「垣根の(垣根となって国を防衛する)・身分の低い人々」
「ハイ・ム・マエ」、HAI-MU-MAE(hai=the name of the principal stone in the game similar to that called knuckle-bones;mu=silent;mae=languid,listless)、「(ゲームの中心の石のような)駅に配備される・(静かに・尻尾をぶらんぶらんと振っている動物である)馬(駅馬)」(「ム」のM音が脱落して「ウ」と、「マエ」の語尾のE音が脱落して「マ」となった)
「ツタ(ン)ガ・ハリ」、TUTANGA-HARI(tutanga=portion,divide,loose;hari=carry)、「(駅馬のように厳しい規制がない)規制が緩い・(物資の)輸送をする(伝馬)」(「ツタ(ン)ガ」の語尾のNGA音が脱落して「ツタ」となった)
「マハ・アチ」、MAHA-ATI(maha=many,abundance;ati=tribe,clan)、「無数の・部族(が集まる場所。地域)」(「マハ」のH音が脱落して「マ」となったその語尾のA音と、「アチ」の語頭のA音が連結して「マチ」となった)
「ウ(ン)ガ・カチ」、UNGA-KATI(unga=act or circumstance of becoming firm,place etc. of arrival;kati=block up,shut of a passage,barrier,bite,nip)、「(人々の到着地である)町の・(事件が起こったときに)通行を遮断する(または人々を固く束ねる。長)」(「ウ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ウナ」と、「カチ」が「ガシ」となった)
「タハト」、TAHATO(steep-to or shelving rapidly of the shore)、「舟を係留したり、(協力して)速やかに引き上げる浜辺(の場所。その共同組織。転じて一般の地域の生活共同体=里)」(H音が脱落して「タト」から「サト」となった)
「アウタ」、AUTA(toss,writhe)、「(年齢の)順番(で就任する。年長者である長)」(AU音がO音に変化して「オタ」から「ヲサ」となった)
の転訛と解します。(国(くに)、司(みこともち)、造(みやつこ)については
前出334臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)・国造(くにのみやつこ)の項および313みこともち(宰。司)の項を参照してください。)
神武紀2年2月条の猛田縣主、磯城縣主など多くの縣主の記事が見えます。
この「あがたぬし」は、
「ア(ン)ガ・タ・ヌイ・チ」、ANGA-TA-NUI-TI(anga=aspect,hard outer covering,shell,vessel;ta=dash,beat,lay;nui=large,many;ti=throw,cast,overcome)、「固い殻が・ある地域(緊密に結合した部族が住む)の・偉大な・支配者」
の転訛と解します。
大化2年正月条は、改新之詔を発布し、第四に庸・調を定め、仕丁(つかへのよほろ)、采女(うねめ)についても規定しました。
この「つかへのよほろ」、「うねめ」は、
「ツカ・ヘイ・ノ・イオ・ホロ」、TUKA-HEI-NO-IO-HORO(tuka,tukatuka=start up,proceed forward;hei=go towards,be requited(whakahei=welcome,fulfil,satisfy an obligation);no=of;io=muscle,line,tough,hard;horo=run,escape,quick,swallow)、「骨身を惜しまず・働く(責務を果たす)・頑健な・燕の・ような(身を翻してあちこちに出入りする。男性)」(「ヘイ」の語尾のI音が脱落して「ヘ」となった)
「ウネ・マイ」、UNE-MAI((Hawaii)une=to urge,disturb,harass;mai=clothing,dance)、「強要され(て朝廷に仕え)た・(着飾り、踊りを踊る)女性」(「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった))または「ウネネ・マイ」、UNENE-MAI(unene=luscious,ashamed,spiritless;mai=clothing,dance)、「恥を忍んで(朝廷に仕えて)いる・(着飾り、踊りを踊る)女性」(「ウネネ」の反復語尾が脱落して「ウネ」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)
の転訛と解します。
仁徳紀16年7月条所出のほか、多くの舎人(とねり)の記事がみえます。
この「とねり」は、
「ト・(ン)ゲリ」、TO-NGERI(to=drag,carry the weapon at the trail;ngeri=look fierce or savage)、「武器(大刀)を小脇にかいこんで闊歩する・みるからに恐ろしげな(戦士。武人)」(「(ン)ゲリ」のNG音がN音に変化して「ネリ」となった)
の転訛と解します。
341健児(こんでい。ちからひと)・儲士(ぢょし。まうけひと)・選士(せんし)
天平6年4月条は、諸道の節度使を停止し、245H15健児(こんでい)、儲士(ぢょし)、選士(せんし)に田租と雑徭の半分を免じたとします。
これらは、いずれも節度使の設置とともに置かれたとみられる在地の有力者・富裕農民による武力(岩波大系本注)と考えられ、健児については紀の訓に「ちからひと」とあり(皇極紀元年7月条、天智紀2年8月条)、儲士については「健児となるべき儲人(まうけひと)」(兵士中の武芸に秀でた者)の意とする説があります。
選士は、「兵士の中から武芸に秀でた者を選抜したもの」の意で「漢字で合成した語」のようにも見えますが、この名称だけが異質ということは解せません。
この「こんでい」、「ちからひと」、「ぢょし」、「まうけひと」、「せんし」は、
「コナ・タイ」、KONA-TAI(kona=to diffuse,spread abroad;tai=the sea,tide,wave,anger,violence)、「(僻地に)分散して置かれた・勇猛な(戦士)」(「コナ」が「コン」と、「タイ」のAI音がEI音に変化して「テイ」から「デイとなった)
「チ・カラ・ピト」、TI-KARA-PITO(ti=throw,cast,overcome;kara=secret plan,a request for assistance in war either verbal or material;pito=end,extremity,at first)、「戦いの援助を・する・最高の(戦士)」(「ピト」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」となった)
「チホイ・チ」、TIHOI-TI(tihoi=diverge,go to a distance,wander,noisy,refractory;ti=throw,cast,overcome)、「僻地に・放り出された(分散して置かれた。戦士)」(「チホイ」のH音とI音が脱落して「チオ」から「ヂョとなった)
「マウ・ケ・ピト」、MAU-KE-PITO(mau=carry,take up,fixed,continuing,caught;ke=different,strange,in or to a different place,in a different character;pito=end,extremity,at first)、「他国に・配置された・最高の(戦士)」(「ピト」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」となった)
「テナ・チ」、TENA-TI(tena=encourage,urge forward;ti=throw,cast,overcome)、「激励されて・配置された(戦士)」(「テナ」が「テン」から「セン」となった)
の転訛と解します。
神武即位前紀戊午年8月条の201H9兄猾(えうかし)・弟猾(おとうかし)をはじめ、兄(え)、弟(おと)が数多くみられます。
「ヘイ」、HEI(go towards)、「前に進む(先頭に立つ・人=兄)」
「アウト」、AUTO(trailing behind)、「後ろについて行く(人=弟)」(AU音がO音に変化して「オト」となった)
の転訛と解します。
継体紀6年12月条の大兄(おほえ)皇子など数多くの大兄(おほえ)の名が見えます。
この「おほえ」は、
「オホ・ヘイ」、OHO-HEI(oho=wake up,be awake,arise;hei=go towards,be requited(whakahei=welcome,fulfil,satisfy an obligation))、「すっくと立つて・先頭に立つ(きちんと責務を果たしている。人)」
の転訛と解します。
允恭紀2年2月条の戸母(とじ)、敏達紀4年正月条の春日臣老女子夫人(をみなごのおほとじ)など多くの刀自(戸母。とじ)、大刀自(夫人。おほとじ)がみえます。
この「トジ」は、トヌシ(戸主)の略で、家の入口を支配する女性の意とする説があります。
この「とじ」、「おほとじ」は、
「タウチチ」、TAUTITI(support an valid in walking)、「(病人の歩行を助ける)人の面倒をみる(女子)」(AU音がO音に変化し、反復語尾が脱落して「トチ」から「トジ」となった)または「トチ」、TOTI(limp,halt)、「びっこ(または(歩行が困難な、腰の曲がった)老婆)」(允恭紀の戸母は、結婚前の皇后をからかい、おとしめてこのように呼んだものであった可能性があります。)
「オホ・タウチチ」、OHO-TAUTITI(oho=spring up,wake up,arise;tautiti=support an valid in walking)、「すっくと立っている・(病人の歩行を助ける)人の面倒をみる(女子)」(「タウチチ」のAU音がO音に変化し、反復語尾が脱落して「トチ」から「トジ」となった)
の転訛と解します。
345能美(のみ)の御幣(みまひ)の物・都摩杼比(つまどひ)・まとい(纏)
雄略記は、天皇が221E1若日下部(わかくさかべ)命に求婚するため河内に行かれた時、志幾の大縣主の家が天皇の家と同じように堅魚(かつを)を上げているのを見て怒り、その家を焼こうとしましたが、大縣主が無知を謝罪して「能美(のみ)の御幣(みまひ)の物」として犬に白布を掛け、鈴をつけ、一族の腰佩(こしはき)という者に犬の縄を取らせて献上したので許し、若日下部命に「これは今日来る途中で得た珍しい物、都摩杼比(つまどひ)の物である」といって渡したとあります。
この「のみ」、「みまひ」、「つまどひ」は、
「ノフ・フミ」、NOHU-HUMI(nohu=sinking pain;humi=abundant)、「大きな・痛手を蒙る(罪を贖う物)」(「ノフ」および「フミ」のH音が脱落して「ノ」、「ミ」となった)
「ミヒ・マヒ」、MIHI-MAHI(mihi=greet,amire;mahi=work,make,do,procure)、「(謝罪の)挨拶を・表すもの(物)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「ツマトヒ」、TUMATOHI(errect,watchfull,on the alert)、「刮目すべきもの(珍しい物)」
(古典篇(その十)の221H15都摩杼比(つまどひ)の項を参照してください。)
(通説はこれを「妻問(つまとひ)(求婚のための贈り物)」と解しますが、そうであれば事前に用意して持参すべきもので、『古事記』原文の文脈からしても、たまたま手に入った「珍しい物」という意味に解すべきものです。
なお、この単語は「ツ・マトヒ」、TU-MATOHI(tu=fight with,energetic;matohi=a kind of dance performed by men only)、「激しい(踊り狂う)・(祭り、戦闘などの際の)男子の踊り」が転じて「刮目すべきもの(珍しい物)」となったもので、この「マトヒ」、MATOHI(a kind of dance performed by men only)、「(祭り、戦闘などの際の)男子の踊り(またその踊りの際に持って振り回すもの=纏(まとい))」、すなわちこの踊りの際に用いられる飾りを付けた槍または棒が後に各地の祭り、田植え神事において男子が振り回しながら所作をし、行進をする大笠や纏(まとひ)となり、さらに戦国時代の武将の軍旗に代わる纏となり、江戸時代の大名行列の毛槍や纏、消防の纏などとなったものと解することができます。)
皇極紀4年6月条は、中大兄皇子が佐伯連子麻呂等と共に皇極天皇の前で蘇我入鹿を斬りましたが、現場にいた古人(ふるひと)皇子は自宅に走って帰り「韓人(からひと)が鞍作(くらつくり。入鹿の異名)臣を殺した」と語って引きこもつたとします。この「韓人」が誰を指すかこれまで謎とされてきました。
この「からひと」は、
「カハ・アラ・ピト」、KAHA-ARA-PITO(kaha=strong,able,strength,rope,file of army;ara=rise,rise up,awake;pito=end,extremity,at first)、「(突然)立ち上がった(出現した)・とてつもなく(最高に)・強い(戦士達)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となり、その語尾のA音と「アラ」の語頭のAが連結して「カラ」と、「ピト」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」となった)
の転訛と解します。
皇極紀4年6月条は、中大兄皇子が佐伯連子麻呂等と共に皇極天皇の前で蘇我入鹿を斬りましたが、この日は雨が降って庭には潦水(にはたづみ。いさらみず)が満ちていたと記します。
この「にはたづみ」、「いさらみず」は、
「ニハ・タツ・ミ」、NIHA-TATU-MI((Hawaii)niha=cross,uncivil;tatu=reach the bottom,be content,strike one foot against the other,stumble;mi=urine,stream,river)、「(降雨の後にできる)重なり合って・次から次にできる・水(溜まり)」
「イタ・ラ・ミ・ツ」、ITA-RA-MI-TU(ita=tight,fast,compact;ra=wed;mi=urine,stream,river;tu=stand,settle)、「こじんまりとした・繋がっている・水・溜まり」
の転訛と解します。
古くは明け方の日の出るころに空が赤みを帯びてみえるもの(曙光)、炎などによって空の赤く染まってみえるもの、春のうららかな日に地上から立つ水蒸気によって光が揺らいでみえるもの(「かげろう(陽炎)」とも)を「かぎろひ」と呼びましたが、後世は陽炎のみを指すようになりました。
『万葉集』の「かぎろひ」は(1-48)は「曙光」、(2-210、2-213、6-1047、9-1804)は「陽炎」、『古事記』履中記の歌は「火炎」と解されています。
「かぎろひ」の語源は、(1)カギル(カガヤクに同じ)・ヒ(火)から、(2)カガキラヒ(赫霧)の約転、(3)カカケヒの転、(4)カギリ(限)の延言、(5)カ(火)・キ(ガリの約で指しきわむる言)・ロ(助詞)・ヒ(フに移る体言)からなどとする説があります。
この「かぎろひ」、「かげろう」は、
「カ(ン)ギア・ロイ」、KANGIA-ROI(kangia=ka=take fire,be lighted,burn;roi,whakaroiroi=wandering,unstable,unsettled)、「揺れる・炎()()」(「カ(ン)ギア」のNG音がG音に、IA音がI音に変化して「カギ」となった)
「カ・(ン)ガイ・ロウ」、KA-NGAI-ROU(ka=take fire,be lighted,burn;ngai=tribe,clan;rou=a long stick used to reach anything,stretch out,reach out,staggering)、「ゆらゆらと立ち上る・部類の・燃える火(炎。陽炎)」(「(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「ゲ」となった)
の転訛と解します。
(ちなみに昆虫の「かげろう(蜻蛉)」は、「カハ・(ン)ガエロア」、KAHA-NGAEROA(kaha=rope,edge,line of ancestry;ngaeroa=mosquito)、「蚊の・一種の(昆虫。かげろう)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」と、「(ン)ガエロア」のNG音がG音に、AE音がE音に、OA音がOU音に変化して「ゲロウ」となった)の転訛と解します。)
中世に離婚されたこなみ(前妻)が離婚後日を経ずに娶ったうわなり(後妻)を嫉妬して、その親しい女どもをたのみ、使者を立てて予告して、うわなり(後妻)の家を襲い、家財などを打ち壊すことを「うわなり打ち」といいました。この場合後妻側もある程度の抵抗は許されていましたが、前妻側の活動を完全に抑圧したり、追い返すことは許されない慣行があったようです。
「うわなり」の語源は、(1)ウヘニアリ(上在)の転、(2)後に来て上になる意、(3)ウハ(上。重なる)・ナリ(並)の意、(4)ウハナル(上に衣を重ねる)・メ(女)から、(5)ウハナリ(上也)の義、(6)ウ(大)・ハナリ(放髪)の意などの説があります。
「こなみ」の語源は、(1)コナタメ(此方女)の義、(2)コノカミノメの略、(3)コノメ(故妻)の義、(4)キナレメ(着慣女)の転、(5)コナメ(熟女)の義、(6)コ(子)のアミ(母)の約などの説があります。
この「うわなり」、「こなみ」は、
「ウア・(ン)ガリ」、UA-NGARI(ua=expostulation,don't;ngari=annoyance,disturbance,greatness,power)、「(前妻軍がうっぷんを晴らすのを)邪魔しては・ならない(女性達。後妻軍)」(「(ン)ガリ」のNG音がN音に変化して「ナリ」となった)
「カウ・ナ・アミ」、KAU-NA-AMI(kau=alone,bare,only;na=by,belonging to;ami=gather,collect)、「ひたすら(うっぷんを晴らすために)・集まって・きた(女性達。前妻軍)」(「カウ」のAU音がO音に変化して「コ」と、「ナ」のA音と「アミ」の語頭のA音が連結して「ナミ」となった)
の転訛と解します。
重要な天皇の命令を宣べ聞かせるために出される漢文体の詔勅のほかに、「宣命(せんみょう)」と呼ばれる和文体の命令があります。その冒頭では「天皇が詔旨(おおみこと)らまと云々。ことごとくに聞きたまへ」という形式が一般にとられます。(公式令詔書式)
この「らまと」の意味は不明とされています。
この「らまと」、「おおみこと」は、
「ラ・マタウ」、RA-MATAU(ra=intensive particle,sometimes to be translated then or but;matau=know,understand)、「しっかりと・承知せよ」(「マタウ」のAU音がO音に変化して「マト」となった)
「アウミヒ・コト」、AUMIHI-KOTO(aumihi=sigh for,greet,welcome;koto=sob,make a low sound)、「敬意を払う・低い声で話される(命令)」(「アウミヒ」のAU音がOU音に変化し、H音が脱落して「オウミ」から「オオミ」となつた)
の転訛と解します。なお、310すめらみこと(天皇)・311みことのり(詔勅)の項を参照してください。
天智紀3年是歳条は「対馬嶋、壱岐嶋、筑紫国等に防人と烽(とぶひ)を設置した」とします。白村江の敗戦後唐・新羅の連合軍が攻めてくる脅威に対抗しての措置と解されています。
この「のろし」、「とぶひ」は、
「(ン)ゴロ・チヒ」、NGORO-TIHI(ngoro,ngongoro=utter exclamation of surprise or administration;tihi=summit,top,lie in a heap)、「(山の頂上など)高い場所で・上げる緊急の知らせ(のろし)」(「(ン)ゴロ」のNG音がN音に変化して「ノロ」と、「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」となった)
「トプ・ウヒ」、TOPU-UHI(topu=pair,assembled in a body;uhi=uwhi=cover,spread out)、「(烽火の発信と受信が)対になつて・(地域を)網羅する(連絡組織)」(「トプ」のP音がB音に変化して「トブ」と、「トブ」の語尾のU音と「ウヒ」の語頭のU音が連結して「トブヒ」となった)
の転訛と解します。
紀神代下巻(第9段の一書の第4、第5)に天忍日命が頭槌(かぶつち)剣を帯して(記上巻(天孫降臨条)は天忍日命と天津久米命の二人が頭椎大刀を佩いて)ニニギノミコトを先導したとあります。
紀は「頭槌、此を箇歩豆智(かぶつち)と云う」と明記しますが、記には「頭椎」の注はありません。また、神武即位前紀戊午年10月条の忍坂室で土雲を謀殺する条で道臣命の歌謡に「…みつみつし来目の子等が勾□都々伊 異志都々伊母智(記神武東征条は「久夫都都伊 伊斯都都伊母知」)撃ちてし止まむ」の「くぶつつい」を「頭椎(剣)」と、「いしつつい」を「石椎(剣)」と解するのが通説です。
この「かぶつち」、「くぶつつい」、「いしつつてもち」は、
「カプ・ツ・チア」、KAPU-TU-TIA(kapu=hollow of the hand,close the hand;tu=stand,settle;tia=adorn by sticking in feathers)、「飾りを・施した・手のひらの窪み(にぴったり合う、球形の頭部をもつ。剣)」(「チア」の名詞形語尾のA音が脱落して「チ」となった)
「クプ・ツ・ツイ」、KUPU-TU-TUI(kupu=anything said,saying;tu=stand,fight with,energetic;tui=pierce,sew,hurt)、「躍起になって・(人を)傷つける・言葉を吐く(罵詈雑言を吐く)」
「イチ・ツ・ツイ・モチ」、ITI-TU-TUI-MOTI(iti=small,diminutive(whakaiti=diminish);tu=stand,fight with,energetic;tui=pierce,sew,hurt;moti=consumed,surfeited)、「躍起になって・(人を)傷つけ・貶めることを・いやというほどやってのける(罵詈讒謗を尽くす)」
の転訛と解します。
穢多は、中・近世の被差別民の呼称です。初見は13世紀ですが、その実態は11世紀の死人の片づけ、刑の執行、斃牛馬の処理など一般の人々が好まない業務に従事していた河原者と同じと考えられています。これらの人々は、戦国時代には、長吏、かわたと呼ばれることが多くなり、武具・馬具の製造者として大名に掌握されました。のち幕藩権力によって厳しく統制され、社会生活上の身分差別が行われましたが、明治4年制度上の身分差別は廃止されました。戦後の昭和44年同和対策特別措置法が制定され、その後33年間で対策事業費15兆円が投じられましたが、未だ完全な問題の解決には至っていません。
この「えた」、「ちょうり」、「かわた」は、
「エタ」、ETA((PPN)eta=(Hawaii)eka=dirty,filth)、「(穢いもの)穢多(と呼ばれる人々)」
「チオリ」、TIORI(hold up to view,conspicuous,loud)、「(刑の執行などにあたってわざと)目立つ(所行を見せつけるもの。穢多。またはその長)」
「カワ・タ」、KAWA-TA(kawa=unpleasant to the taste,not relishing food;ta=dash,beat,lay)、「悪臭を・放つ(もの。穢多)」
の転訛と解します。
牧(まき)は、律令制の下で各地に整備された牛馬生産のための牧場です。『日本書紀』668(天智7)年7月条は「多(さわ)に牧(むまき)を置きて馬を放つ」とし、『続日本紀』707(慶雲4)年3月条は「鐵の印を摂津,伊勢等23国に給いて牧の駒、犢(こうし)に印せしむ」とします。地方の牧は、国司の指揮下に置かれ、生産された馬は軍団の乗馬にあて、一部は駅馬、伝馬とし、民間に売却されることもありましたが、その処分は国司の権限に属しました。『和名抄』に「むまき」とみえ、この訓は「馬城」あるいは「馬置」の意といい、馬飼の音のつまったものとする説もあります。
この「まき(むまき)」は、
「マ・アキ」、MA-AKI(ma=go,come;(Hawaii)aki=to take a nip and let go)、「(飼養される牛馬から産まれる子の中の発育良好なものが)選ばれて・他所へ送られる(施設。牛馬の育成牧場)」(「マ」のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「マキ」となった)
もしくは「マ(ン)ガ・アキ」、MANGA-AKI(manga=branch of a river or a tree;(Hawaii)aki=to take a nip and let go)、「(全国に数ある)施設の一つで・(生産される牛馬の中の発育良好なものが)選ばれて他所へ送られる(施設。牛馬の育成牧場)」(「マ(ン)ガ」のNGA音が脱落し、その語尾のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「マキ」となった)
または「ム・マエ・キ」、MU-MAE-KI(mu=silent;mae=languid,listless;ki=full,very)、「静かに(黙って)・(尻尾を)ぶらんぶらんと振っている(動物=馬)が・たくさん居る(場所。牧)」(「マエ」の語尾のE音が脱落して「マ」となった)
の転訛と解します。
なお、同音の巻狩りの「巻(まき)」、書物の「巻(まき)」、同一の血族集団をさす「巻(まき。まけ。まく)」は、
「マ・アキ」、MA-AKI(ma=go,come;aki=abut on)、「(勢子が)相接して・進む(猪、鹿などを追い出す)」(「マ」のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「マキ」となった)
「マハ・アキ」、MAHA-AKI(maha=many,abundance;aki=abut on)、「(竹簡・木簡が)多数・相接して綴じられている(書物)」(「マハ」のH音が脱落し、その語尾のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「マキ」となった)
@「マ(ン)ガ・キ」、MANGA-KI(manga=branch of a river or a tree;ki=full,very)、「分家を・たくさん抱えている(血族集団)」(「マ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「マ」となった)
またはA「マ(ン)ガ・カイ」、MANGA-KAI(manga=branch of a river or a tree;kai=quantity,anything produced in profusion)、「分家を・たくさん生み出している(血族集団)」(「マ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「マ」と、「カイ」のAI音がE音に変化して「ケ」となった)
またはB「マ(ン)ガ・ク」、MANGA-KU(manga=branch of a river or a tree;ku=kuku=firm,stiff,thickened)、「分家が・堅い絆で結ばれている(血族集団)」(「マ(ン)ガ」のNGA音が脱落して「マ」となった)
の転訛と解します。
さらに、同音の「槇(まき)」については雑楽篇(その二)の528まき(槇)の項を、「薪(まき)」については雑楽篇(その二)の1052すみ(炭・木炭)の項を参照してください。
355内匠(たくみ)寮・玄蕃(げんば。ほふしまらひと)寮・主計(かずえ。かずふる)寮・主税(ちから)寮・大炊(おほゐ。おほひ)寮・主殿(とのもり)寮・掃部(かにもり。かもん)寮・正親(おほきみ)司・主水(もひとり。もいとり)司・勘解由(かげゆ)使
律令制の下では神祇官、太政官の二官の下に八省が置かれ、職・寮・司などの諸官司が設けられましたが、この中には以下のように縄文語の和訓が付けられたものおよび日本独自の漢字による熟語と考えられているが実は縄文語に由来するもの(玄蕃・勘解由)があります。
中務省に属する内匠(たくみ)寮は、各種の匠手(たくみ)を置き、宮廷の器物・工匠・殿舎の装飾などを掌った官司です。774(宝亀5)年大蔵省の典鋳司を併合、796(延暦15)年錦・綾・羅(うすはた)等を織る匠手20人を中務省の内蔵寮へ分割、808(大同3)年中務省の画工司、大蔵省の漆部(ぬりべ)司を併合、所属の各種工人は、画工、細工、金銀工、玉石帯工、銅鉄工、鋳工(いもじ)、造舟工、造潅風工、漆塗工、木工、轆轤(ろくろ)工、芥(にう)工、革筥(かわばこ)工、黒損(くろつづら)工、柳箱(やないばこ)工の15業種にわたり総計120人に及んだといいます。
治部省に属する玄蕃(げんば)寮は、日本独自の熟語で、「玄」は「墨染めの衣を着た僧尼」、「蕃」は「外国」の意とされ、京内の寺院・仏事、諸国の僧尼の掌握、外国使節の接待、鴻臚館(こうろかん)の管理などを掌った官司です。和訓は「ほふしまらひと(のつかさ)」です。
民部省に属する主計(かずえ。かずふる)寮は、調・庸・雑物の計納、予算の編成、支出の監査を掌つた官司です。主として中央財政を担当しました。(『和名抄』は「加須布留豆加佐」とし、「かぞふるつかさ」と読まれていますが、『万葉集』では「須」を「ソ」と読む例は皆無ですので、ここでは「かずふる」と訓じて解釈しました。)
民部省に属する主税(ちから)寮は、諸国の田租、およびそれを蓄積した倉庫の出納、また諸国から貢上される舂米(しようまい)、碾磑(てんがい)(臼)などのことを掌った官司です。「ちから」は「田租」をさすと解されています。主として地方財政を担当しました。
宮内省に属する大炊(おほゐ)寮は、供御稲粟の舂備、諸国舂米(しようまい)の収納、雑穀の諸司分給、諸司食料の支給を掌った官司です。
宮内省に属する主殿(とのもり)寮は、天皇の行幸の際の乗物(輿(こし))や蓋(きぬがさ)等の管理と供奉(ぐぶ)、殿上の帷帳(とばり)の設営、天皇の湯殿への供奉、殿庭(内裏などの庭)の掃除、宮内の灯(油火)・燭(駐火)・燎(庭火)の管理・設営、薪炭の調達などを掌った官司です。
宮内省に属する掃部(かにもり。かもん)寮は、,朝廷の諸行事のための薦(こも)・席(む
しろ)・牀(とこ)・狭畳(たたみ)・簀(すのこ)・苫(とま)・覧(すだれ)の製作と鋪設、蒲・藺・葦等の材料の栽培・調達、内裏外の宮内の洒掃(内裏内は主殿寮の所管)を掌つた官司です。820(弘仁11)年大蔵省所属の掃部司と宮内省所属の内掃部司が合併して宮内省所属の掃部寮となりました。
宮内省に属する正親(おほきみ)司は、皇親の名簿を管理し、天皇の親属とその親等を明らかにし、皇親給養のための時服・女王禄(おうろく)等の被支給者を確定することを掌つた官司です。
宮内省に属する主水(もひとり)司は、天皇、皇后や朝儀などに供する飲料水、手水、粥(かたかゆ)・漿(しるかゆ)(今日の飯・粥)、氷室に貯蔵した氷を掌つた官司です。
令外の官の独立機関である勘解由(かげゆ)使は、国司交替の際に前任者が交替完了の証明のため発給して後任者に与える解由状(げゆじよう)の勘査・紛糾の処理を行うために設置された官司です。最初に設置されたのは797(延暦16)年9月、ついで806(大同1)年に廃止されましたが、815(弘仁6)年に解由の制度がすべての官人に適用されるに及んで、824(天長1)年に再び設置されました。
この「たくみ」、「げんば(ほふしまらひと)」、「かずえ(かずふる)」、「ちから」、「おほゐ(おほひ)」、「とのもり」、「かにもり(かもん)」、「おほきみ」、「もひとり(もいとり)」、「かげゆ」は、
「タ・ハク・ミ」、TA-HAKU-MI(ta=the;haku=complain of,find fault with;mi=urine,to void urine)、「(仕事についての)不満を・空(から)にした(非の打ち所がない。完璧な仕事をする)・工人(その工人を擁する。官司)」(「タ」のA音と、「ハク」のH音が脱落した後の語頭のA音が連結して「タク」となった)
「(ン)ガイ・ナ・パ」、NGAI-NA-PA(ngai=tribe,clan;na=by,belonging to;pa=block up,prevent,screen)、「(海外からの侵略や働きかけを)防ぐ・といった仕事を担当する・部族(主として僧侶を擁し、その監督を行う。官司)」(「(ン)ガイ」のNG音がG音に、AI音がE音に変化して「ゲ」と、「ナ」が「ン」となつた)
または「ホフ・チ/マ・アラ・ピタウ」、HOHU-TI(hohu,hohuhohu=sob violently;ti=throw,overcome)/MA-ARA-PITAU(ma=go,come;ara=way,path,rise,raise;pitau=figurehead of a canoe)、「嘆きを・克服した(人。法師)/(海外から)突如・現れた・(船首の守護神像のような)奇怪な(外人。これらの応接に当たる官司)」(「マ」のA音と「アラ」の語頭のA音が連結して「マラ」と、「ピタウ」のP音がF音を経てH音に、AU音がO音に変化して「ヒト」となった)
「カハ・ツ・ハエ」、KAHA-TU-HAE(kaha=strong,able,persistency;tu=fight with,energetic;hae=slit,tear,cut)、「(歳出を)躍起となつて・削減することに・長けている(官司)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」と、「ハエ」のAE音がE音に変化して「ヘ」となった)
または「カハ・ツ・フル」、KAHA-TU-HURU(kaha=strong,able,persistency;tu=fight with,energetic;huru=contract,draw in)、「(歳出を)躍起となつて・引き締めることに・長けている(官司)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)
「チ・カラ」、TI-KARA(ti=throw,cast;kara=secret plan,a request for assistance in war)、「(国家財政への)援助を・申し出る(官司)」または「(財源調達の)秘策を・提示する(官司)」
「オハ・ウヰ」、OHA-UWHI(oha=generous,abundant;uwhi=yam which was formerly cultivated,other root crops as taro)、「大量の・(栽培したヤム芋やタロ芋などの)主食(を調理する。官司)」(「オハ」の語尾のA音と「ウヰ」の語頭のU音が連結して「オホヰ」となった(または「ウヰ」のWH音がH音に変化して「オホヒ」となった))
(なお、同音の「大井(おおゐ)川」・「大堰(おおゐ)川」は、「オハ・ウヰ」、OHA-UWHI(oha=generous,abundant;uwhi=cover,spread out)、「大量の(水が)・溢れ出す(川)」(「オハ」の語尾のA音と「ウヰ」の語頭のU音が連結して「オホヰ」となった)または「オハ・ウイ」、OHA-UI(oha=generous,abundant;ui=disentangle,ralax or loosen a noose)、「大きな・(ほどけた輪縄のような)蛇行する(川)」(「オハ」の語尾のA音と「ウイ」の語頭のU音が連結して「オホイ」となった)と解します。)
「トノ・モリ」、TONO-MORI(tono=bid,command,demmand;mori=fondle,caress)、「(いろいろな)注文に・応じて面倒を見る(官司)」
「カニ・モリ」、KANI-MORI(kani=rub backwards and forwaeds,saw;mori=low,person of no account,fondle,caress)、「(箒を前後に動かして掃いたり、雑巾を掛けたり)掃除の・面倒を見る(官司)」
または「カマ・ウ(ン)ガ」、KAMA-UNGA(kama=eager;unga=send,seek)、「熱心に・(仕事を探して)動き回る(官司)」(「カマ」の語尾のA音と「ウ(ン)ガ」の語頭のU音が連結してO音に、NG音がN音に変化して「カモナ」から「カモン」となった)
「オ・ホキ・ミヒ」、O-HOKI-MIHI(o=the…of;hoki=also,for,because;mihi=greet,admire)、「(天皇の一族の王・女王を)均等に・面倒を見る・官司」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「モヒト・リ」、MOHITO-RI(mohito=cautious;ri=screen,shut out with a screen)、「(飲料水を)注意深く・濾す(役所)」(「もいとり」の「モヒト」のH音が脱落して「モイト」となつた。「もひ(もい)」を水を盛る「椀」の意と解し、転じて「水」の意と解する説があります。)
「カ(ン)ガ・(ン)ガ・アイ・ウ」、KANGA-NGA-AI-U(kanga=curse,abuse;nga=satisfied;ai=in clauses expressing the reason for which anything is done;u=be firm,be fixed)、「(後任の国司が引き継ぎの内容に)満足して・決着・した(解由状を発給した)ことに関し・(悪口を言う)非違を糾弾する(役職)」(「カ(ン)ガ・(ン)ガ」の反復するNGA音が脱落し、残ったNG音がG音に変化し、その語尾のA音と「アイ」のAI音が連結してE音に変化して「カゲ」となり、「カゲウ」から「カゲユ」となった)または「カ(ン)ガ・イフ」、KANGA-IHU(kanga=curse,abuse;ihu=nose,bow of a canoe etc.)、「(船の艫のような)高い場所から・(役人の行状に対して悪口を言う)役人の非違を糾弾する(役職)」(「カ(ン)ガ」のNG音がG音に変化し、その語尾のA音と「イフ」のH音が脱落したIU音と連結して「カゲウ」から「カゲユ」となった)
の転訛と解します。
356つかさ(司)・かみ(長官)・すけ(次官)・じょう(判官)・さかん(主典)
左大臣 右大臣 | 少納言 | 外記 | ||
奉膳 | ||||
兵衛府 検非違使 | 別当 | |||
勘解由使 鋳銭司 造寺司 施薬院使 修理宮城使 防鴨河使 | 使 |
大宝令から養老令において古代の官制がほぼ確立しますが、神祇官、太政官の二官を置き、太政官の下に八省を、その下に職(しき)、寮(りょう)、司(し)を置きました。これらの組織の名称は、中国の律令に依拠したものも多い反面、大和朝廷における古くからの職制をそのまま移行させたと考えられるものも多くみられます。総じてこれらの組織は、和訓で「○○のつかさ」と呼ばれました。
各省の各組織には、左表に示すように、有位の官吏を四段階に分けて置き(四部官。四等官)、これを役所によって用字は異なりますが、長官(かみ)、次官(すけ)、判官(じょう)、主典(さかん。さくわん)とし、長官は役所を統べ、掌り、次官はこれを補佐し、判官は役所内を糾判し、書類を審査し、稽失を勘え、主典は事を受けて登録し、書類案文を勘え作り、公文を読むものとされていました。
この「つかさ」、「かみ」、「すけ」、「じょう」、「さかん」は、
「ツ・カハ・アタ」、TU-KAHA-ATA(tu=stand,settle,fight with,energetic;kaha=strong,able;ata=gently,clearly,deliberately)、「(仕事を)きちんと処理する・ことができる・(ところに)居る(その組織。またはその官職)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となり、その語尾のA音と「アタ」の語頭のA音が連結して「カタ」から「カサ」となった)
「カミ」、KAMI(eat)、「(生殺与奪の)大権をもつ(官吏。長官)」または「カハ・ミヒ」、KAHA-MIHI(kaha=strong,able;mihi=greet,admire)、「強い・尊敬を受ける(官吏。長官。守。上など)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「ツケ」、TUKE(elbow,angle)、「(長官の)腕となって助ける(官吏。次官)」
「チヒ・イホ」、TIHI-IHO(tihi=summit,top;iho=heart,kernel,object of reliance,principal person or skilled person in the crew of a canoe)、「最高の・(仕事に)練達した(官吏。判官)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」となり、その語尾のI音と「イホ」の語頭のI音が連結し、H音が脱落して「シオ」から「ジョウ」となった)
「タク・ワナ」、TAKU-WHANA(taku=edge,border;whana=travel,be on the point of)、「(組織の執行部の)下縁に・居る(官吏。主典)」(「ワナ」のWH音がW音に変化して「タク・ワナ」から「サク・ワン」、「サカン」となった)
の転訛と解します。
357はく(伯)・おとど(大臣)・だいぶ(大夫)・べっとう(別当)・ぶぜん(奉膳)・てんぜん(典膳)・ししょう(史生)・しぶ(使部)
神祇官の長官を伯(はく)、左右の大臣をそれぞれ左(右)の大臣(おとど)と呼びました。
坊(春宮坊)および職(中宮職、大膳職、京職、修理職)の長官を大夫(だいぶ)と呼び、検非違使を別当(べっとう)と呼び(別当とは、本官を持っているほかに、別に他の役に当たる意で、衛門督、兵衛督を兼帯することとされていました)、内膳司の長官は大宝令では奉膳(ぶぜん)二人(高橋・安曇両氏。のちに安曇氏は廃絶)を任ずる定めとされ、後に他家の者を任ずるときは正(かみ)と称され、また、司の次官を典膳(てんぜん)と呼びました。
外記および諸司の主典の下に文書を写しととのえる役として史生(ししょう)が、また、公事によって駆使される役として使部(しぶ)が置かれます。
この「はく」、「おとど」、「だいぶ」、「べっとう」、「ぶぜん」、「てんぜん」、「ししょう」、「しぶ」は、
「ハク」、HAKU(king-fish,chief)、「大親分(伯。神祇官)」
「オ・トト」、O-TOTO(o=the...of;toto=stem)、「(国政の)根幹を・なす(官職)」
「タイ・プ」、TAI-PU(tai=sometimes with qualifying force etc.;pu=tribe,heap,skilled person,wise one)、「特に秀でた・専門家(の長)」
「パエ・ツ・トフ」、PAE-TU-TOHU(pae=horizen,lie accross,be collected together;tu=stand,settle;tohu=company or division of any army)、「組織(部局)に・またがって・(任命されて)いる((二以上の官職を)兼任している者。その官職)」(「パエ」のAE音がE音に変化して「ペ」から「ベ」と、「トフ」のH音が脱落して「トウ」となった)
「プ・テナ」、PU-TENA(pu=tribe,heap,skilled person,wise one;tena=encourage,(int.)inviting co-operation or giving encouragement)、「互いに協力する・(調理の)専門家(の長)」(「テナ」が「テン」から「ゼン」となった)
「タイナ・テナ」、TAINA-TENA(taina=younger brother of a man;tena=encourage,(int.)inviting co-operation or giving encouragement)、「(上司の奉膳に)弟として・協力する(次官)」(「タイナ」のAI音がE音に変化して「テナ」から「テン」と、「テナ」が「テン」から「ゼン」となった)
「チヒ・チホウ」、TIHI-TIHOU(tihi=summit,top;tihou=an implement used for cultivating0)、「最高に・(鍬を振るうように)こつこつと仕事をする(官吏)」(「チヒ」のH音が脱落して「チ」から「シ」と、「チホウ」のH音が脱落して「チオウ」から「ショウ」となった)
「チプ」、TIPU(=tupu=grow,begin,shoot,genuine)、「若枝のような(新米の官吏。使部)」
の転訛と解します。
358たちはき(帯刀)・ことり(部領)・わき(脇)・つれ(連)
春宮坊の舎人監の舎人の中で武芸に練達している者を選抜して帯刀(たちはき)(帯刀舎人の略)に任じ、その長の下に部領(ことり)左右二人、その下に脇(わき)左右二人、その下に連(つれ)が置かれました。
この「たちはき」、「ことり」、「わき」、「つれ」は、
「タハ・チ・ワキ」、TAHA-TI-WHAKI(taha=side,pass on one side.go by;ti=throw,cast;whaki=reveal,disclose)、「(春宮坊の周囲を)巡回して・あたりに・(武威を)示す(武官)」(「タハ」のH音が脱落して「タ」と、「ワキ」のWH音がH音に変化して「ハキ」となった)
「カウト・オリ」、KAUTO-ORI(kauto=rub,press,knead;ori=cause to wave to and fro,move about)、「動き回つて・(人々の動きを)整理する(武官)」(「カウト」のAU音がO音に変化して「コト」となり、その語尾のO音と「オリ」の語頭のO音が連結して「コトリ」となった)
「ワキ」、WHAKI(reveal,disclose)、「(武威を)示す(武官)」
「ツ・レヘ」、TU-REHE(tu=fight with,energetic;rehe=expert,neat-handed deft person)、「(勤務に)精励する・(武芸の)腕が達者な(武官)」(「レヘ」のH音が脱落して「レ」となつた)
の転訛と解します。
359さなき(佐奈伎。鐸)・さなぎ(蛹)・すず(鈴)・ぬりて(鐸)・ぬて(鐸)・ちまき(茅纏)・うけ(宇気槽)・さるめ(猿女)・おこう(神使)
『古語拾遺』の天岩戸条に「天目一箇(あめのまひとつつの)神を令て、雑(くさぐさ)の刀(たち)、斧、及び鉄鐸(サナキ)<古語佐那伎>を作ら令む」とあり、また、延喜式巻二・神祇・四時祭の十一月の鎮魂(たましづめ。おほたまふり)祭の項の祭儀物の条に「佐奈伎廿口」がみえ、この「佐奈伎」に「如戈之物也」の「傍書」があります。
諏訪大社上社には、四月の御頭祭で大祝の代役を務める童男の「神使(おこう)」の首にかけたり、または御贄柱(おにえはしら)に付けて巡行する「さなぎの鈴」という鉄板製のやや裾の広がった筒状の小鐸が数個束ねられたものが伝世します。(「神使」は、古くは大祝を相続する長男の成人の見込みがついた後に、相続の可能性がなくなった次男以下の男子を八歳に達した段階で御頭祭の御贄柱とともに地中に生き埋めにする慣習があり、後には身寄りのない子、旅人の遺棄した子などが犠牲にあてられ、さらに降っては童男を縛り上げるなどの虐待でそれに替えたという伝承があります。)
この古語「佐奈伎」は、古来「鐸」と解され、『類聚名義抄』に「鐸」の訓を「オホスズ」、「ヌリテ」また「サナギ」と、『倭名類聚抄』の「鐸」の注に「大鈴也」とあり、また、小学館『日本国語大辞典』も、
さなき【鐸】[名]鉄でつくった大きな鈴。上代、祭式用として用いた。ぬりて、ぬて。・古語拾遺(嘉禄本訓)「瑞殿(みつのあらか)を造り、兼て御笠、及び矛(ほこ)盾(たて)を作る。天目一箇(あめのまひとつつの)神を令て、雑(くさぐさ)の刀(たち)、斧、及び鉄鐸(サナキ)<古語佐那伎>を作ら令む」・延喜式ー二・神祇・四時祭「大直神一座、大刀一口、<略>佐奈伎廿口。[傍書]如戈之物也」(以下語源説略)
とし、「如戈物也」の傍書は無視しています。
令制によれば、天皇の生気を取り戻すことを目的として、冬至の直前の季節に新嘗祭に先立って鎮魂祭を行うが、その次第は、神座に天皇の御服の筥を用意し、琴の弾奏に合わせて逆さに伏せた宇気槽を御巫が矛で十度撞くごとに木綿の糸を結ぶと共に、開いた天皇の御服の筥をゆっくりとゆするとされます(『儀式』巻五「鎮魂祭儀」)。
延喜式によれば、(1)上記の祭儀物の条には「大刀一口。弓一張。箭二隻。鈴廿口。佐奈伎廿口。あしぎぬ一疋。木綿五斤。麻十斤。筥一合。麁筥一合。…。宇気槽一隻。…。」とあり、
(2)十一月中寅日(新嘗祭の前日)の申の刻(午後四時)宮内省の式場に、神祇官以下関係者が着席し、内侍が御服を持参、大膳職・造酒司が供物を供え、縫殿寮の猿女が入場、…、治部を喚んで歌女を入場させ、大蔵省を喚んで鬘木綿を賜り、神祇伯が御琴弾二人・笛工二人を喚び、御琴笛を会わせよと命じ、先に笛が一曲奏して御琴を調べ、歌者が奏し始め、神部が堂上で拍手し、御巫および猿女等が例に依り舞い、それが終わると神祇官五位六位各一人・侍従五位以上二人・宮内丞一人・内舎人二人・大舎人二人が次に進んで庭で舞い、…酒食を賜り、酒三杯を頂いた後拍手して退出するとあります。
したがって以上の記事だけでは詳細は不明であすが、この祭儀は、紀の天岩戸神話に「猿女君の遠祖天鈿女命、即ち手に茅纒(ちまき)の矛(矛偏に肖)を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に作俳優(わざをぎ)す。亦天香山の真坂樹を以て鬘(かづら)とし、ひかげを以て手繦(たすき)にして、火処焼き、覆槽(うけ)置(ふ)せ、神がかりす。」とあり、記には「天宇受売命、天香山の天の日影を手次(たすき)に繋けて、天の真拆(まさき)をかづらと為て、天香山の小竹葉を手草に結ひて、天石屋戸に汗気(うけ)伏せて踏みとどろこし、神がかりして、胸乳を掛き出で裳紐を番登(ほと)に忍し垂れき。」とあるのに酷似します。
なお、上の紀の「茅纒(ちまき)の矛(矛偏に肖)」は『古語拾遺』には「着鐸之矛」とあり、「矛(矛偏に肖)」は周尺で一丈八尺(小尺で約3.2m)、馬上で持つ短い矛の意とされます(岩波古典文学大系本注による)。
以上のことから、鎮魂祭は、おそらく縄文時代にまで遡る魂振りの行事の伝統を受け継ぐもので、延喜式の「佐奈伎(戈の如き物)」とは@紀の「茅纒(ちまき)の矛(矛偏に肖)」またはA『古語拾遺』にいう「着鐸之矛」であったのではないかと考えられます。
すなわち、「さなき(佐奈伎)」には、A「鐸」、B「戈形の棒」およびC「鐸または鈴を付けた戈形の棒」の意味があったと考えられます。
この「さなき(佐奈伎)」は、
A・C「タ(ン)ガ・キ」、TANGA(be assembled,row,division)-KI(say,tell,full)、「(神霊が宿るという)音を出すもの(鐸または鈴)が・(数個)集まったもの」または「(神霊が宿るという)音を出すもの(鐸または鈴)を・付けたもの(鐸または鈴を付けた戈形の棒)」(「タ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タナ」から「サナ」となった)
B「タ・(ン)ガキ」、TA(the...of,dash,beat)-NGAKI(clear off weeds or brushwoods,avenge)、「(戈を振るって灌木などを)薙ぎ倒すように・(汚れ・災いを)排除するもの(戈のようなもの)」(「タ」が「サ」と、「(ン)ガキ」のNG音がN音に変化して「ナキ」となった) の転訛と解します。
また、「さなぎ(蛹)」、「すず(鈴)」、「ぬりて(鐸)」、「ぬて(鐸)」、「ちまき(茅纏)」、「うけ(宇気槽)」、「さるめ(猿女)」、「おこう(神使)」は、
「タハ(ン)ガ・ア(ン)ギ」、TAHANGA(naked,empty)-ANGI(free,without hindrance,float)、「(虫が殻を)脱ぎ捨てて・(自由になる)外へ出てくるもの(蛹)」(「タハ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「タナ」から「サナ」となり、その語尾のA音と「ア(ン)ギ」の語頭のA音が連結し、NG音がG音に変化して「サナギ」となった)
「ツツ」、TUTU(move with vigour,vigorous,summon,summoner)、「けたたましい(音を出すもの。鈴)」または「人を呼び集めるもの(鈴)」
「ヌ・リテ」、NU((Hawaii)to cough,roar as wind,grunting,groaning)-RITE(like,alike,corresponding in position etc.)、「(突然)咳をする・のに似た(うるさい音を出して合図をするもの。鐸)」
「ヌ・テ」、NU((Hawaii)to cough,roar as wind,grunting,groaning)-TE(crack,emit a sharp explosive sound)、「(突然)咳をするような・けたたましい音を出すもの(鐸)」
「チマ・アキ」、TIMA(a wooden implement for cultivating the soil,work the soil with the tima)-AKI(dash,beat)、「堀り棒で・(大地を刺すように)突く(ような所作に用いる矛)」(「チマ」の語尾のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「チマキ」となった)
「フケ」、HUKE(dig up,excavate)、「(木の内部を)刳り抜いたもの(槽)」(H音が脱落して「ウケ」となった)
「タル・マイ」、TARU(shake,)-MAI(dance)、「(身体を)震わせて・踊る(女)」(「タル」が「サル」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)
「オ・コフ」、O(the...of,belonging to)-KOHU(=kohukohu=hollow,curse)、「(犠牲となる)のろわれた・運命の(童男)」(「コフ」のH音が脱落して「コウ」となった)
の転訛と解します。
孝徳紀大化2年正月条は「凡そ調の副物(そはりつもの)の塩と贄(にへ)とは、亦郷土(くに)の出せるに随へ」とあり、また、賦役令調絹?(あしきぬ)条は「調副物は正丁一人に紫三両。紅三両。…麻二斤。熟麻十両十六銖。十二両。…塩一升。…」とあります。
調副物は、正丁の調の付加税で、調に添えて貢進する定めでしたが、養老元(717)年に廃止され、中男(少丁)の調と併せ中男作物となりました。贄は、神に捧げる食物、もしくは天子に献上する魚・鳥などの食物、または神や天使に捧げる新穀などその歳の新物とされます。
「贄」の語源は、@ニヒアヘ(新饗)の約、Aナシハメ(乃貢)の反、Bニエ(煮熟)の義、またはニアヘ(煮饗)の義、Cニウヘ(荷上)の略、D調理した食物の義などの説があります。律令にこの用語はなく、調庸や交易進上物の一部の生鮮食品などが「贄」として扱われ、木簡に記されています。
この「にえ」、「そわりつ」は、
「ニヒ・アヱ」、NIHI-AWHE(nihi=steep,move stealthily,come stealthily upon;awhe=scoop up,gather into a heap,surround)、「徐々に・(霊力を)積み上げる(増すための食物)」(「ニヒ」のH音が脱落して「ニ」と、「アヱ」のWH音が脱落して「アエ」から「エ」となった)
「トワ・リツア」、TOWHA-RITUA(=toha=spread out(tohatoha=spread abroad,distribute);ritua=be divided,be separated)、「(調として納めるものの範囲が)広がって・独立した(物。貢上物)」(「トワ」が「ソワ」と、「リツア」の語尾のA音が脱落して「リツ」となつた)
の転訛と解します。
361きぬ(絹)・かとり(絹)・あしきぬ(?。糸偏に施の旁)・つむぎ(紬)
令義解の賦役令調絹?(糸偏に施の旁)条は、「絹」は「カトリ」と、「?(糸偏に施の旁)」は「キヌ(延喜式主計上はアシキヌ)」と訓じ、「謂。細為絹也。麁為?(糸偏に施の旁)也。」と分注があります。また、同令諸国貢献物条の分注は、「紬者。太絲繪(フトイトノカトリ)也。」とします。
(なお、わた(綿。まわた)については、雑楽篇(その二)の539わた(棉)の項を、かいこ(蚕)およびまゆ(繭)については、同篇の817かいこ(蚕)の項を、くわ(桑)については同篇の514くわ(桑)の項を、また調庸布のたに(商布)およびさよみ(貲布)については、同篇の537-2ちょま(苧麻)の項を参照してください。)
「きぬ(絹)」の語源については、@キヌ(衣)の義、Aキルヌノ(着布)の義、Bエキヌ(得衣)の義か、Cキヌ(黄布)かなどの説があり、「かとり」の語源については、@カタオリ(固織)の約、Aカオリ(細織)の転との説があります。
この「きぬ」、「かとり」、「あし(きぬ)」、「つむぎ」は、
「キ・ヌア」、KI(full,very)-NUA((Hawaii)nua=thick,piled one top of the other(nuanua=soft,fleshy))、「非常に・(肌触りが)柔らかい(布)」(「ヌア」の語尾のA音が脱落して「ヌ」となった)」(「きぬ(衣)」も同語源で、「たくさん・(重ね着して)着膨れるもの(衣)」の意と解します。)
「カト・オリ」、KATO(pluck leaf by leaf)-ORI(cause to wave to and fro)、「桑葉を摘んで(繭から糸にし)・(手間をかけた)織物」(「カト」の語尾のO音と「オリ」の語頭のO音が連結して「カトリ」となった)
「アヒ」、AHI((Hawaii)ahiahi=to defame,slander)、「評判が悪い(布)」(もと「アシ。ASI」のS音がH音に変化して「アヒ」となった)
「クム・(ン)ギア」、KUMU-NGIA((PPN)tumu→(Hawaii)kumu=beginning;ngia=seem,appear to be)、「初心者(が糸を紡ぎ織った布)・のように見える(布。紬)」(もと「ツム」のT音がK音に変化して「クム」となり、「(ン)ギア」のNG音がG音に変化し、語尾のA音が脱落して「ギ」となつた)
の転訛と解します。
362あや(綾)・にしき(錦)・はぶたえ(羽二重)・ちりめん(縮緬)・しゅす(繻子)・りんず(綸子)・どんす(緞子)
絹織物の綾(あや)は、2本の経糸と1本の緯糸を交差させて、はっきりとした斜めの線をだすのが特徴の織物で、ほかにさまざまの色合いや文様を織りだした織物をいうこともあります。
絹織物の錦(にしき)は、多彩な色糸を用いた華麗な織物をいい、経糸によつて地と文様を織り出した経錦と、緯糸によつて地と文様を織り出したより色彩の豊富な緯錦があります。
羽二重(はぶたえ)は、経緯とも無撚の生糸を使った生織物で、おもに後練にします。精練後の羽二重の薄地のものは、手触りが柔らかく、弾力と暖かみのある風合いで光沢に富み、絹鳴りがします。
縮緬(ちりめん)は、生地の表面に細かな縮じわ(しぼ(皺))のある絹織物で、経糸に撚りのない生糸を、緯(よこ)糸に交互に右撚り、左撚りの強撚糸を使って平織に織り、のち精練して皺止めのセリシンを除去して皺を出します。
繻子(しゅす)は、平織や綾織に比して経(たて)糸が密で、組織点がまばらに飛んで連続していないため表面が経糸の浮糸に覆われ、滑らかで光沢に富み、かつ柔軟な特徴を有する絹織物です。
綸子(りんず)は、経緯(たてよこ)とも無撚の生糸を使って織り、製織後に精練して用いる後染(あとぞめ)・後練(あとねり)の紋織物で、一般には地を経の五枚繻子(しゆす)、あるいは八枚繻子として、文様はその裏組織で織り出し、地質が柔らかく、光沢に富むことを特徴とします。
緞子(どんす)は、綸子(りんず)と異なる点は、機織前にあらかじめ染色した糸を用いて織りあげる先染(さきぞめ)の織物であり、一般的には経(たて)を五枚繻子組織とし、文様は地緯(じぬき)で、経の裏組織である緯の五枚繻子に織り出したものが多く、繻子織の特徴である光沢に富み、文様が地と異組織であることによって明瞭に出ている点にあります。
綾の語源は、@アヤ(漢)の織物アヤ(綾)から、Aアナハドリ(穴織)の織物から、Bアヤオリモノ(文織物)の略などの説が、錦の語源は、@ニシキ(丹繁)の義、Aニシキ(丹敷)の義、Bいろいろの色が織ってあるところからニシキ(丹白黄)の義、Cニシム(丹染)の義、Dニジキヌ(虹絹)の約などの説が、羽二重の語源は、@ハクタエ(白栲)の義、A下総国埴生郡ではじめて織り出したところからハブタヘ(埴生帛)の義、Bふつうの絹を二重に合わせたような絹だから、Cハブリタヘ(羽振妙)(妙は古代の白衣の意)から、D一つの羅羽(おさは)に経糸を二重に通して織るからなどの説が、縮緬の語源は、@シジメン・チヂメン(縮緬)の転訛、A塵目の義などの説があります。以上のほか、繻子は国字、綸子は綾子の唐宋音「リンズ」に当てた字で国字、緞子は中国語で唐音「ドンス」によるとされます(以上学研『新漢和大字典』によります。)が、緞子についても発音と意味が縄文語と一致する数少ない例として解釈することとしました。
この「あや」、「にしき」、「はぶたえ」、「ちりめん」、「しゅす」、「りんず」、「どんす」は、
「ア・イア」、A-IA(a=collar-bone;ia=indeed)、「実に・鎖骨のような(杉綾模様の織物。綾)」または「アイア」、AIA(=kaitoa=expressing satisfaction or complacency at any event,it is good etc.)、「素晴らしい(文様を織り出した織物。文。綾)」
「ヌイ・チキ」、NUI-TIKI(nui=many,large;tiki=fetch,proceed to do anything)、「たくさんの(色を)・取り入れた(織物。錦)」(「ヌイ」のUI音がI音に変化して「ニ」となった)
「ハフ・タヱ」、HAHU-TAWE(hahu=search for,scatter=;tawe=weight on a cable to prevent an anchor from dragging)、「(船を固定する重しを付けた)碇を・探すような(軽くて滑り落ちやすい織物。羽二重)」(「ハフ」が「ハブ」となった)
「チリ・メノ」、TIRI-MENE(tiri=throw or place one by one,scatter;mene=show wrinkles,contort the face)、「(表面に)皺が・一面にある(織物。縮緬)」(「メノ」が「メン」となった)
「チウ・ツ」、TIU-TU(tiu=swing,sway to and fro,swift;tu=stand,fight with,energetic)、「(5本以上の経(たて)糸に対し緯(よこ)糸が)飛び飛びに織られて・いる(ため光沢がある織物。繻子)」(「チウ」が「チュ」から「シュ」となった)
「リ(ン)ギ・ツ」、RINGI-TU(ringi=pour out,throw in great numbers,shower;tu=fight with,energetic)、「丹念に・(打っては洗う行程を繰り返した)精練した(織物。綸子)」(「リ(ン)ギ」のNG音がN音に変化して「リニ」から「リン」となった)
「トヌ・ツ」、TONU-TU(tonu=bid,command,demmand;tu=stand,be set)、「(要求した)所定の文様が・明らかな(織物。緞子)」(「トヌ」が「トン」から「ドン」となった)
の転訛と解します。
363のり(規範。法。則)・つみ(罪)・はらえ(祓)・ちくらのおきと(千倉の置戸)・かむやらひ(神逐)・わざはひ(災)
古代社会においては、一般に法と宗教・道徳、または法と慣習とは一体で未分化の状態にあったと考えられます。すべては神の意志によって決せられ、憑依によって神の意志を啓示する巫女・呪術者の託宣(のり)が社会および個人の生活行動の規範となり、氏神を祭祀する氏族の長たる権力者の口宣が「のり(規範。法。則)」となったと考えられます。
『魏志倭人伝』は、3世紀の邪馬台国の社会を「盗窃せず、諍訟少なし。其の法を犯すや、軽き者はその妻子を没し、重き者は其の門戸及び宗族を滅す。尊卑各々差序有り、相臣服するに足る」と述べており、このときすでに「刑法」および「身分制」に相当する法または慣習が存したと伝えています。
記紀神話においては、高天原で暴虐を働いた素戔嗚尊が、八十万神の合議により千座置戸(ちくらのおきど)(財産没収)を科せられ、髪を抜き(または手足の爪を抜き)(贖罪または祓)、神逐(かんやらい)(追放)に処せられました。
延喜式大祓祝詞は、六月晦日と十二月晦日にそれまでに生じた天津罪・国津罪の「罪という罪はすべて地上から打ち払う」ことを大祓の目的としますが、その国津罪の中には人の犯す罪だけでなく、自然が引き起こす「災(わざわひ)」が含まれています。
この「のり」、「つみ」、「はらえ」、「ちくらのおきと」、「かむやらひ」、「わざはひ」は、
「(ン)ガウ・リ」、NGAU-RI(ngau=raise a cry,indistinct of speech;ri=bind)、「不明瞭な言語を・連ねる(「託宣を下す」が転じて「法」、「則」となった)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)
「ツ・ミヒ」、TU(be turned up indicating disdain or merely sniffing)-MIHI(sigh for,express discomfort)、「嘆かはしい・(人から)蔑まれる所行(罪)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
「ハラ・ハエ」、HARA(miss,make a false stroke)-HAE(slit,tear)、「(道徳に)反した行為(によって生じた穢れ)を・(切り)捨てる(行事)」(「ハエ」のAE音がE音に変化して「ヘ」となった)
「チ・クラ・ノ・オキ・タウ」、TI-KURA-NO-OKI-TAU(ti=throw,cast;kura=treasure;no=of;(hawaii)oki=cut,devide,separate;tau=alight,fall,be suitable)、「財物を・提供し・て・(穢れを)祓い・清める」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)
「カム・イ・アラヒ」、KAMU(=kami=eat)-I(past tense)-ARAHI(carry off as captives)、「(人を圧倒する)神を・(捕虜のように)放逐・した」{「イ」のI音と「アラヒ」の語頭のA音が連結して「ヤラヒ」から「ヤライ」となった)
「ワタ・ワヒ」、WATA(=watanga=object of desire)-WAHI(break,split)、「(幸福・安穏・成功などの)望みが・断たれる(原因であるもの。災。災難)」
の転訛と解します。
364畔放(あはなち)・溝埋(みぞうみ)・樋放(ひはなち)・頻蒔(しきまき)・串刺(くしざし)・生剥(いけはぎ)・逆剥(さかはぎ)・屎戸(くそへ)
紀天岩戸条は、天安河での誓約に勝利したスサノオが勝ち誇って暴虐を尽くし、重播種子(しきまき)・畔放(あはなち)・放屎(くそまる)・逆剥(さかはぎ)を行ったとし、記天岩戸条は、畔放(あはなち)・溝埋(みぞうみ)・屎麻理(くそまり)・逆剥(さかはぎ)の悪行を行ったとします。また、延喜式大祓祝詞は、天津罪として畔放(あはなち)・溝埋(みぞうみ)・樋放(ひはなち)・頻蒔(しきまき)・串刺(くしざし)・生剥(いけはぎ)・逆剥(さかはぎ)・屎戸(くそへ)を挙げます。
以上の畔放(あはなち)は、水田の畦を破壊する行為、溝埋(みぞうみ)は水田の水路を破壊する行為、樋放(ひはなち)は導水施設たる樋を破壊する行為、頻蒔(しきまき)はすでに播種した水田の上に重ねて播種することにより自己の所有権を主張する行為、串刺(くしざし)は他人の耕地に所有権を示す串を挿して自己の所有権を主張する行為、生剥(いけはぎ)は動物の皮を生きたまま剥ぎ取る行為、逆剥(さかはぎ)は動物の皮を尻から逆に剥ぎ取る行為、屎戸(くそへ)は建物内に屎をする行為と解されてきています。
以上の記紀の記述は、スサノオを高天原から放逐する理由として重大な犯罪を犯したことを強調していると理解できますし、大祓祝詞は「罪という罪はすべて地上から打ち払う」ことを目的としていますから、スサノオの犯した罪や天津罪および次項に記す国津罪には、およそ人の犯す重大な罪の代表的なものはあらかた含まれているべきものと考えるのが至当でしょう。
しかし、記紀の上記の罪の理解・記述や大祓祝詞には、古今東西の人間社会において普遍的な重要犯罪である殺人、放火、傷害、強盗、窃盗などが一つも含まれていないことに大きな疑問を抱かざるを得ません。私は、これは縄文語で語り伝えられた罪の数々が、記紀の編集者によって誤って解釈され、神話として再構成された結果であると考えます。
この「あはなち」、「みぞうみ」、「ひはなち」、「しきまき」、「くしざし」、「いけはぎ」、「さかはぎ」、「くそへ」は、
「アハ・ナチ」、AHA(who)-NATI(pinch,destroy)、「(首を絞める)殺人」
「ミ・ト・ウミ」、MI(stream)-TO(drag)-UMI((Hawaii)choke)、「溝埋め」(これについては記紀等の解釈と一致します。)
「アヒ・ハ(ン)ガ・チ」、AHI(fire)-HANGA(work)-TI(throw)、「放火」(「アヒ」の語頭のA音が脱落して「ヒ」と、「ハ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ハナ」となった)
「チキ・マキ」、TIKI(fetch)-MAKI(invalid)、「(弱者から力でする)強奪」
「クチクチ・タハチチ」、KUTIKUTI(cut with scissors)-TAHATITI(peg used to tighten anything)、「(柱の)木釘(または楔(くさび))を・抜く(建物を崩す)」(「クチクチ」の反復語尾が脱落して「クチ」から「クシ」と、「タハチチ」のH音が脱落し、反復語尾が脱落して「タチ」から「サシ」となった)
「イケ・ハ(ン)ギ」、IKE(strike with a hammer)-HANGI(earth oven)、「炊事炉の・破壊」(「ハ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ハギ」となった)
「タカ・ハ(ン)ギ」、TAKA(fall away)-HANGI(earth oven)、「炊事炉の・(石を投げ捨てる)放撒」(「タカ」が「サカ」と、「ハ(ン)ギ」のNG音がG音に変化して「ハギ」となった)
「ク・トヘ」、KU(silent)-TOHE(thief)、「(ひそかにする)窃盗」
の転訛と解します。
延喜式大祓祝詞は、国津罪として生膚断(いきはだた)ち・死膚断(しにはだた)ち・白人(しろひと)・胡久美(こくみ)・おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜(けもの)犯せる罪・昆(は)ふ虫の災(わざわひ)・高つ神の災・高つ鳥の災・畜仆(たふ)し、蠱物(まじもの)する罪を挙げます。
以上の生膚断(いきはだた)ちは生きた人の肌を切る罪、死膚断(しにはだた)ちは死人の肌を切る罪、白人(しろひと)は肌色が白い人の意、胡久美(こくみ)はこぶのできることの意、おのが母犯せる罪・おのが子犯せる罪・母と子と犯せる罪・子と母と犯せる罪・畜(けもの)犯せる罪は字義の通り、昆(は)ふ虫の災(わざわひ)は蛇・ムカデなどの災、高つ神の災は落雷の災、高つ鳥の災は空飛ぶ鳥による災、畜仆(たふ)し、蠱物(まじもの)する罪は相手の家畜をのろって死なせ、また人に対してまじないをしてのろう罪と解されています。
このうち白人と胡久美がなぜ罪とされるのかは明確ではありません。
この「しろひと」、「こくみ」は、
「チラウ・ピト」、TIRAU(pick root crops etc. out of the ground with a stick)-PITO(extremity)、「(野生の)食料の乱雑・極端な採取」(「チラウ」のAU音がO音に変化して「チロ」から「シロ」と、「ピト」のP音がF音を経てH音に変化して「ヒト」となった)(これは野生の資源の永続的な利用を妨げる行為として罪とされたものでしょう。)
「コクフ・ミ」、KOKUHU(bastard)-MI(stream)、「私生児を・水(川)に流す(または流産させる)」(「コクフ」のH音が脱落して「コク」となった)または「コクフ・ウミ」、KOKUHU(bastard)-UMI((Hawaii)choke)、「私生児・(の首を絞めての)殺し」(「コクフ」のH音が脱落して「コク」となり、その語尾のU音と、「ウミ」の語頭のU音が連結して「コクミ」となった)
の転訛と解します。
366かなぎ(金木)・すがそ(菅麻)・やはり(八針)・いゑり・しなど(科戸)
大祓祝詞の中には語義不明の語句がいくつかあります。「…許多の罪…出でば、天つ宮事もちて、大中臣、天つ金木(かなぎ)を本うち切り末うち断ちて、八針(やはり)に取り避きて、天つ祝詞の太祝詞を宣れ。かく宣らば、…国つ神は高山の末・短山の末に上りまして、高山のいゑり・短山のいゑりを撥(か)き別けて聞しめさむ。…天の下四方の国には、罪という罪はあらじと、科戸(しなど)のかぜの天の八重雲を吹き放つ事の如く…」とあります。
この「かなぎ」、「すがそ」、「やはり」、「いゑり」、「しなど」は、
「カ(ン)ガ・(ン)ギア」、KANGA(curse,abuse)-NGIA(seem,appear to be)、「のろいに・見える(もの)」(「カ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「カナ」と、「(ン)ギア」のNG音がG音に変化し、語尾のA音が脱落して「ギ」となった)
「ツ(ン)ガ・タウ」、TUNGA(wound,circumstance etc. of being wounded,rotten of timber)-TAU(stem,bundle)、「腐った・茎(のようなもの)」(「ツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ツガ」から「スガ」と、「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」から「ソ」となった)
「イア・パリ」、IA(indeed)-PARI(overpowered)、「しっかりと・力を一杯に出して」(「パリ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハリ」となつた)
「イ・ヱリ」、I(beside)-WERI(root,upper branches of a stream)、「(木や草の)根の・あたり(「草の根をかきわけて(罪・穢れを根こそぎ祓い却る)」の意)」
「チナ・ト」、TINA(fixed,firm,overcome)-TO(drag)、「押し倒し・押し流す(強い風)」
の転訛と解します。
367さんじゅのおほはらひ(三種の太祓)・とふかみえみため・かんごんしんそんりこんだけん
神道に古くから伝えられた呪詞に「三種の太祓(さんじゅのおほはらひ)」があります。
「とふかみえみため(吐普加身依美多女)
かんごんしんそんりこんだけん(寒言神尊利根陀見)
はらいたまいきよめたまう(波羅伊玉意喜余目出玉)」
というもので、第一段を「天津祓い」、第二段を「国津祓い」、第三段を「蒼生(あおくさ)祓い」と称しています。もと律令制の神祇伯の伝統を伝える白川家に伝えられた秘密の呪言とされ、平安時代の朝廷の儀式典礼に通じた大江匡房の『江家次第』にも第一段の呪言が見え、亀卜の際に唱えられたといわれているようです。
この第一段は「遠祖神笑み給へ」の意と、第二段は八卦の「坎艮震巽離坤兌乾」の音を宛てたものとし、したがって「北、北東、東、南東、南、南西、西、北西」の八方位、また「水、山、雷、風、火、地、沢、天」の八元素、すなわち「国土」を表すという説があります(吉田神道では、大和言葉でない言葉は使うべきでないとして第二段を省略した呪言に改めたといいます)。第三段はあえて解釈する必要はないでしょう。
この「とふかみえみため」、「かんごんしんそんりこんだけん」は、
「トフ・カミ・エミ・タメ 」、TOHU-KAMI-EMI-TAME(tohu=mark,point out;kami=eat;emi=be assembled:tame=food,eat)、「(神威の)顕らかな・(万物を征服圧倒する)神に・(酒食)神饌を・奉献します」
「カ(ン)ガ・(ン)ゴ(ン)ゴ・チ(ン)ガ・ト(ン)ガリ・コナ・タケ(ン)ガ」、KANGA-NGONGO-TINGA-TONGARI-KONA-TAKENGA(kanga=curse;ngongo=waste away,suck,silent;tinga=likely;tongari=notch,notched;kona=to diffuse,spread about;takenga=absent oneself,charm)、「心を籠めて・呪文を唱える(こと)・あたかも・あるいは高くあるいは低く・呪文(の声)を・響かせる(ようにいたします)」(「カ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「カナ」から「カン」と、「(ン)ゴ(ン)ゴ」の最初のNG音がG音に、次のNG音がN音に変化して「ゴノ」から「ゴン」と、「チ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「チナ」から「シン」と、「ト(ン)ガリ」のNG音がN音に変化して「トナリ」から「ソンリ」と、「コナ」が「コン」と、「タケ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「タケナ」から「タケン」となった)
の転訛と解します。
「かがみ(鏡)」は、弥生時代から古墳時代に中国から流入し、祭具として用いられました。もとは円鏡が主でしたが、唐代以後は八稜鏡・八花鏡もあり、舶載鏡といいました。中国・朝鮮で用いられた鏡は、副葬・容飾の傾向が強いのに反し、日本では、鏡がもつ異様な光りと映し出す影が恐ろしい呪力を持つと感じたようです。卑弥呼の権威も鏡によるところが大きく、古代から鏡は「神の依り代」として用いられて来ています。
この「かがみ」は、
「カ(ン)ガ・ミヒ」、KANGA(curse,abuse,execrate)-MIHI(sigh for,greet,admire)、「人に呪(のろい)を掛ける・恐るべきもの(鏡)」(「カ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「カガ」と、「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)
の転訛と解します。
369えみし(愛彌詩。蝦夷。蝦荻。毛人)・いまえみし(今毛人)
日本書紀神武即位前紀戊午年10月条の八十梟師討伐戦勝歌謡に「愛瀰詩(えみし)」と、景行紀27年2月壬子条などに「蝦夷(えみし)」と、推古紀18年10月丁酉条などに「蘇我(豊浦)蝦夷(えみし)」と、続日本紀文武天皇元年12月庚辰条などに「蝦荻(えみし)」と、続日本紀和銅7年4月辛未条に「小野朝臣毛野薨、…妹子之孫、…毛人之子也」(小野朝臣毛人(えみし))と、続日本紀天平勝宝元年12月丁亥条などに「佐伯宿禰今毛人(いまえみし)」とあり、ほかにも「毛人(えみし)」の人名がみえます。ヤマト政権にまつろわぬ民であった愛彌詩、蝦夷、蝦荻及び人名の蘇我蝦夷は@、小野朝臣毛人などはA、佐伯宿禰今毛人はBと解します。
この「えみし」は、「人」の意のアイヌ語 emchiu または enchu に由来するとの説(金田一京助)があります。
この「えみし」は、
@「エミ・チ」、EMI-TI(emi=be assembled,be gathered together,be ashamed;ti=throw,cast,overcome)、「(朝廷によって)征服された・(辺境で)徒党を組んでいた(者達)」(「チ」が「シ」となった)
A「エ・ミチ」、E-MITI(e=to denote action in progress or temporary condition,by,of the agent,to give emphasis;miti=lick,lick up,backwash)、「(顕著な功績や速い昇進を妬まれるなど強い反発)誹謗を・受けた」(「ミチ」が「ミシ」となった)(小野朝臣毛人他)
B「イ・ムア・エ・ミチ」、I-MUA-E-MITI(i=past tense,beside;mua=the front,the former time,the past,the future;e=to denote action in progress or temporary condition,by,of the agent,to give emphasis;miti=lick,lick up,backwash)、「以前・から・(顕著な功績や速い昇進を妬まれるなど強い反発)誹謗を・受けた」(「ムア」が「マ」と、「ミチ」が「ミシ」となった)(佐伯宿禰今毛人)
の転訛と解します。
日本書紀神武即位前紀戊午年10月条の八十梟師討伐戦勝歌謡に「愛瀰詩烏、比(原文は田偏に比)嚢(原文は人偏に嚢の旧字)利、毛々那比苔、比苔破易陪廼毛、多牟伽比毛勢儒(えみしをひだりももな人 人はいえどもたむかひもせず)」とあります。これまでの日本書紀の通常の解釈では、この「比嚢利」の「嚢(原文は人偏に嚢の旧字)」は漢和辞典を引きますと「ノウ」としか読めないのに、それでは意味が通じないからと根拠なしに「ダ」と訓じ、さらにその「ヒダリ」は「ヒトリ」と同じ意と解するというこじつけを行っています。また、「ももな」を「百(人)に相当する」と解釈してこの歌謡の解釈を行っています。そこで、この「比嚢利」は通常の万葉仮名の読みに従い、「ひのり」と訓ずることとします。
この「ひのり」、「ももな」は、
「ヒ・(ン)ガウ・リ」、HI-NGAU-RI(hi=raise,rise;ngau=bite,hurt,act upon,attack;ri=screen,protect,bind)、「立ち上がって・応戦するのに・(制約された)手間取った」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)
「モモナ」、MOMONA(fat,rich,fertile,appetising in good condition,having desire or appetite)、「食いしん坊の」
の転訛と解します。
371あずまのひな(東夷)・あずまえびす(東夷)・えびす(恵比寿)
景行紀27年2月壬子条に「東夷(あずまのひな。あずまえびす)之中、有日高見国、其国人、男女並椎結文身、為人勇悍、是総ハ曰蝦夷(えみし)、亦土地沃壌而曠之、撃可取也」とあります。
七福神の一として信仰される「恵比寿(えびす)」は、異境から迎えられ、漁業・商業・農業などの生産活動に幸をもたらす神霊で、漁村・漁労組織、あるすは個人の漁労神とされるほか、農家の農神、商家の商売繁盛の神としてもまつられています。
この「あずまのひな」、「あずまえびす」、「えびす」は、
「ア・ツマ・ノ・ヒ(ン)ガ」、A-TUMA-NO-HINGA(a=belonging to;tuma=odd number in excess,the twelfth month of the Maori year;no=of;hinga=fall from an erect position,be killed,lean,be overcome with astonishment or fear)、「(一年の内の十二月のような)最も端(はし)にある・ような(地域。国)・の・低い地位にある(者達)」(「ツマ」が「ズマ」と、「ヒ(ン)ガ」のNG音がN音に変化して「ヒナ」となった)
「ア・ツマ・エ・ピ・ツ」、A-TUMA-E-PI-TU(a=belonging to;tuma=odd number in excess,the twelfth month of the Maori year;e=to denote action in progress or temporary condition,by,of the agent,to give emphasis;pi=slight,take no notice of;tu=stand,settle,fight with,energetic)、「(一年の内の十二月のような)最も端(はし)にある・ような(地域。国)の・未開野蛮の・状態に・安住している(人々)」(「ツマ」が「ズマ」と、「ビ」が「ビ」と、「ツ」が「ス」となった)
「エ・ピ・ツ」、E-PI-TU(e=to denote action in progress or temporary condition,by,of the agent,to give emphasis;(Hawaii)pi=to sprinkle as water with the fingers(PPN pihi);tu=stand,settle,fight with,energetic)、「精力的に・(指で水を振り掛ける)災を除き福を授ける・(有難い)神」(「ピ」が「ビ」と、「ツ」が「ス」となった)
の転訛と解します。
372えぞ(蝦夷)・ひのもと(日ノ本)・からこ(唐子)・わたりとう(渡党)
平安時代の末ごろから「蝦夷(えぞ)」という呼称が現れます。文献の初見は延久2(1070)年の武家文書(「衣曽別嶋(えぞのわけのしま)荒夷并閉伊七村山徒之追討」)という説があります。この後和歌にも見られるようになります(「やそ嶋や千嶋のゑぞの手束弓 心つよさは君にまさらじ」(藤原清輔(1104~77年)、夫木和歌抄(1310年)))。
14世紀に書かれた諏訪大明神絵詞には、蝦夷が三種(日ノ本・唐子・渡党)に分かれるとあります(「蝦夷カ千嶋ト云ヘルハ我国ノ東北ニ当テ大海ノ中央ニアリ 日ノモト唐子渡党此三類各三百三十三ノ嶋ニ群居せリ 今一嶋ハ渡党ニ混ス…」(『諏訪大明神絵詞』権祝本、延文元(1356)年完成、文明4(1472)年筆写、茅野市守矢氏蔵))。
この「えぞ」、「ひのもと」、「からこ」、「わたりとう」は、
「エト」、ETO(lean,attenuated)、「肥沃でない(米の生産が少ない)土地(または朝廷に反抗する力が弱まった勢力の住む土地)」(「エト」が「エゾ」となった)
「ヒ・ノ・モト」、HI-NO-MOTO(hi=raise,rise;no=of,belonging to;moto=strike with the fist)、「背が高く・て・(殴る)好戦的な(民族)」
「カハ・ラコ」、KAHA-RAKO(kaha=strong,strength;rako=albino)、「強くて・肌が白い(民族)」(「カハ」のH音が脱落して「カ」となった)
「ワ・タリ・トフ」、WHA-TARI-TOHU(wha=be disclosed,get abroad;tari=carry,bring;tohu=mark,company or division of any army)、「海の向こうから・(交易のために)やって来る・部族」(「チマ」が「シマ」となった)
の転訛と解します。
373みしはせ(粛愼(しゅくしん))・あしはせ(末曷(まっかつ。正しくは革偏に末、革偏に曷))
欽明紀5年12月条は、佐渡島の北岸に粛愼(みしはせ)人が止まっていると越国から報告があったとし、斉明紀6年3月条は、阿部臣を遣わして粛愼国を伐ったとします。
続日本紀養老4年正月丙子条は、渡嶋津軽津司等を末曷国に遣わしてその風俗を観察させたとあり、多賀城?には「末曷国界を去ること三千里」と刻まれています。隋書東夷伝末曷条には、「末曷は、…即ち古の粛愼氏なり」と記されています。
この「みしはせ」、「あしはせ」は、
「ミミチ・ハテア」、MIMITI-HATEA(mimiti=dried up,disappeared,exterminated,swallowed up;hatea=faded,decolourised,whitened as saline efflorescence)、「姿を消した・肌が白い部族」(「ミミチ」の反覆語頭が脱落して「ミチ」から「ミシ」と、「ハテア」の語尾のA音が脱落して「ハテ」から「ハセ」となった)
「アチ・ハテア」、ATI-HATEA(ati=offspring,descendant,clan;hatea=faded,decolourised,whitened as saline efflorescence)、「肌が白い部族(粛愼)の・後裔」(「アチ」が「アシ」と、「ハテア」の語尾のA音が脱落して「ハテ」から「ハセ」となった)
の転訛と解します。
1 平成13年4月15日(101-104,201-205,301-307)
2 平成13年6月1日 (105-120,206-211,308-327)追加
3 平成16年3月1日 雑楽篇を(その一)(その二)に分割。(121-165,212-260,313,328-349)追加
4 平成17年6月1日 (166-169)追加
5 平成17年8月1日 115「まぶいぐみ」の解釈を修正、122御幣の一部を修正、127えんぶりに「えぶり」の解釈を追加、128おこないの解釈を修正、129さなぶりに「さのぼり」・「しろみて」の解釈を追加、145どやどや祭の別解釈を追加、160ウンジャミおよび164プーリ祭の解釈の一部を修正、170かみあしゃぎ・171「はれ」と「け」・172七夕・173らっぽしょ・174けんけと祭・175げーたー祭・176ひょうげ祭・177おくんち・178へとまとを追加、202はちきんの解釈の一部を修正、261ヒンプンを追加、350らまと・351のろしを追加。
6 平成18年2月1日 179ちちんぷいぷいを追加。
7 平成18年4月1日 180くわばらくわばらを追加。
8 平成19年2月15日 (1)インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。これに伴う本文の実質的変更はありません。(2)あわせて、181のるかそるかの項を追加し、259河童の項のひょうすんぼ(ひょうすべ)の解釈の一部を修正しました。
9 平成19年4月1日 352頭槌剣の項を追加しました。
10 平成19年6月1日 353穢多・長吏・かわたの項を追加しました。
11 平成19年7月1日 182あらはばき神の項を追加しました。
12 平成19年9月20日 339采女の解釈を修正しました。
13 平成19年11月15日 355内匠寮・玄蕃寮・主計寮・主税寮・大炊寮・主殿寮・掃部寮・正親司・主水司・勘解由使の項、356司・長官・次官・判官・主典の項、357伯・大臣・大夫・別当・奉膳・典膳・史生・使部の項および358帯刀・部領・脇・連の項を追加しました。
14 平成19年12月30日 262いちごに(いちご煮)・かぜ(ウニ)・あんび(鮑)・かづき(素潜り漁師)の項、263ずんだもち(ずんだ餅)の項、264どんがらじる(どんがら汁)の項、265しもつかれの項、266かんこやき(かんこ焼き)・びりんばい(びりん灰)の項、267のっぺいじる(のっぺい汁)の項、268じぶに(治部煮)の項、269さばのへしこの項、270ほうとうの項、271ままかりすし(ままかり寿司)・サッパの項、272ぼうぜのすがたずし(ぼうぜの姿寿司)・いぼだい・えぼだいの項、273じゃこてん(じゃこ天)・ほたるじゃこ・はらんぼの項、274かつおのたたきの項、275がめに(がめ煮)の項、276すこずし(須古寿し)の項、277きびなごりょうり(きびなご料理)・かなぎ・はまごの項、278ゴーヤーチャンプルーの項及び359さなき(佐奈伎。鐸)・さなぎ(蛹)・すず(鈴)・ぬりて(鐸)・ぬて(鐸)・ちまき(茅纏)・うけ(宇気槽)・さるめ(猿女)・おこう(神使)の項を追加しました。
15 平成20年2月1日 183鳥居(とりい)の項、184採物(とりもの)の項および185取舵(とりかじ)・面舵(おもかじ)・ようそろの項を追加しました。
16 平成20年3月1日 360にえ(贄)・そわりつもの(調副物)の項、361きぬ(絹)・かとり(絹)・あしきぬ(?。糸偏に施の旁)・つむぎ(紬)の項および362あや(綾)・にしき(錦)・はぶたえ(羽二重)・ちりめん(縮緬)・しゅす(繻子)・りんず(綸子)・どんす(緞子)の項を追加しました。
17 平成20年5月1日 363のり(規範。法。則)・つみ(罪)・はらえ(祓)・ちくらのおきと(千倉の置戸)・かむやらひ(神逐)・わざはひ(災)の項、364畔放(あはなち)・溝埋(みぞうみ)・樋放(ひはなち)・頻蒔(しきまき)・串刺(くしざし)・生剥(いけはぎ)・逆剥(さかはぎ)・屎戸(くそへ)の項、365白人(しろひと)・胡久美(こくみ)の項および366かなぎ(金木)・すがそ(菅麻)・やはり(八針)・いゑり・しなど(科戸)の項を追加しました。
18 平成21年7月1日 186御田植祭(ごんばうちわ)の項、279がんがんあな(がんがん穴)の項および367さんじゅのおほはらひ(三種の太祓)の項を追加しました。
19 平成22年5月20日 204ぼっけもんの項を修正しました。
20 平成22年12月1日 332大嘗の項に「おほにへ」の解釈および「にひあへ」の解釈を追加し、360にえ(贄)の項の「にえ」の解釈を修正し、368かがみ(鏡)の項を追加しました。
21 平成23年7月1日 280いしる(魚汁)・よしる・いしり・よしりの項、281けのしる(けの汁)の項、282けんちんじる(巻繊汁)の項、283ごじる(呉汁)の項、284さんぺいじる(三平汁)の項、285じゃっぱじる(じゃっぱ汁)の項および286はららじる(はらら汁)・はららごじる(はららご汁)の項を追加しました。
22 平成23年11月1日 187うるう(閏)の項および188ついたち(朔日)・つごもり(晦日)の項を追加しました。
23 平成24年3月1日 369えみし(愛彌詩。蝦夷。蝦荻。毛人)・いまえみし(今毛人)の項、370ひのり(比能利)・ももな(毛々那)の項、371あずまのひな(東夷)・あずまえびす(東夷)・えびす(恵比寿)の項、372えぞ(蝦夷)・ひのもと(日ノ本)・からこ(唐子)・わたりとう(渡党)の項および373みしはせ(粛愼)・あしはせ(末曷)の項を追加しました。
24 平成24年7月1日 169おばけの項の「おばけ(化け物)」の解釈を修正しました。
25 平成25年2月1日 125左義長(さぎちょう)の項の「塞(さい。さえ)の神」の解釈を修正しました。
26 平成25年7月15日 333猶良比(なほらひ)の解釈を修正しました。
27 平成28年11月1日 189オビシャ・オトウ・トウバン・オトウワタシ・オニッキ・ゴシンタイの項を追加しました。
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U R L: http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル: 夢間草廬(むけんのこや) ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源 作 者: 井上政行(夢間) Eメール: muken@iris.dti.ne.jp ご 注 意: 本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。 http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など) このHPの内容をそのまま、または編集してファイル、電子出版または出版物として 許可なく販売することを禁じます。 Copyright(c)1998-2007 Masayuki Inoue All right reserved |