古典篇(その七)

(平成13-10-1書込み。26-4-1最終修正)(テキスト約23頁)


トップページ 古典篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

 

<古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その二)>ー崇神天皇・垂仁天皇ー

 

  目 次

 

210崇神天皇

 

 210A1御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリビコイニエ)尊210A2御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)210B磯城(シキ)の瑞籬(ミツカキ)宮210C1稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊210C2伊香色謎(イカガシコメ)命210D1彦湯産隅(ヒコユムスミ)命210D2御間津(ミマツ)比売命210D3彦坐(ヒコイマス)王210D4建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)210E1御間城(ミマキ)姫210E2遠津年魚眼眼妙(トホツアユメマクハシ)媛210E3尾張大海(オハリノオホシアマ)媛210F1豊城入彦(トヨキイリビコ)命210F2大入杵(オホイリキ)命210F3活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊210F4彦五十狭茅(ヒコイサチ)命210F5伊邪能真若(イザノマワカ)命210F6國方(クニカタ)姫命210F7千千衝倭(チチツクヤマト)姫命210F8伊賀(イガ)比売命210F9倭彦(ヤマトヒコ)命210F10五十日鶴彦(イカツルヒコ)命210F11豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命210F12八坂入彦(ヤサカイリヒコ)命210F13渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ)命210F14十市瓊入姫(トヲチニイリヒメ)命210G山辺道上(ヤマノベノミチノヘ)陵210H1倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命210H2大田田根子(オホタタネコ)命210H3市磯長尾市(イチシノナガヲチ)210H4大彦(オホビコ)命210H5武渟川別(タケヌナカハワケ)命210H6吉備津(キビツ)彦命210H7丹波道主(タニハノチヌシ)命210H8武埴安(タケハニヤス)彦命210H9彦國葺(ヒコクニブク)210H10出雲振根(イズモノフルネ)

 

211垂仁天皇

 

 211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211B纏向(マキムク)の珠城(タマキ)宮211C1御間城入彦五十瓊殖(ミモキイリビコイニエ)尊211C2御間城(ミマキ)姫211D1豊城入彦(トヨキイリビコ)命211D2大入杵(オホイリキ)命211D3彦五十狭茅(ヒコイサチ)命211D4伊邪能真若(イザノマワカ)命211D5國方(クニカタ)姫命211D6千千衝倭(チチツクヤマト)姫命211D7伊賀(イガ)比売命211D8倭彦(ヤマトヒコ)命211D9五十日鶴彦(イカツルヒコ)命211D10豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命211D11八坂入彦(ヤサカイリヒコ)命211D12渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ)命211D13十市瓊入姫(トヲチニイリヒメ)命211E1狭穂(サホ)媛211E2日葉酢(ヒバス)媛命211E3渟葉田瓊入(ヌハタニイリ)媛211E4真砥野(マトノ)媛211E5薊瓊入(アザミニイリ)媛211E6迦具夜(カグヤ)比売命211E7苅幡戸邊(カリハタトベ)211E8綺戸邊(カニハタトベ)211F1譽津別(ホムツワケ)命211F2五十瓊敷入彦(イニシキイリヒコ)命・川上部(かわかみのとも)・裸伴(あかはだがとも)・天神庫(あめのほくら)・樹梯(はしだて)・甕襲(みかそ)・足往(あゆき)・牟士那(むじな)211F3大足彦(オホタラシヒコ)尊211F4大中(オホナカツ)姫命211F5倭(ヤマト)姫命・斎宮(イハヒノミヤ)・磯宮(イソノミヤ)211F6稚城瓊入彦(ワカキニイリヒコ)命211F7鐸石別(ヌテシワケ)命211F8膽香足(イカタラシ)姫命211F9池速別(イケハヤワケ)命211F10稚浅津(ワカアサツ)姫命211F11袁邪辨(ヲザベ)王211F12祖別(オホヂワケ)命211F13五十日足彦(イカタラシヒコ)命211F14膽武別(イタケルワケ)命211F15磐衝別(イハツクワケ)命211F16石衝(イハツク)毘売命(布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命)211G菅原伏見(スガハラノフシミ)陵211H1天日槍(アメノヒホコ)211H2八綱田(ヤツナダ)211H3當摩蹶速(タギマノクエハヤ)211H4野見宿禰(ノミノスクネ)211H5竹野(タカノ)媛211H6天湯河板擧(アメノユカハタナ)211H7物部十千根(モノノベノトヲチネ)大連211H8清彦(キヨヒコ)211H9田道間守(タヂマモリ)

<修正経緯>

 

<古代天皇の諡号・宮都・父母兄弟・后妃・皇子名(その二)> ー崇神天皇・垂仁天皇ー

 

[ここでは神武天皇の部を201とし、その中で和風諡号は201A(別名または幼名は201A2~)、宮都は201B、父母は201C1~2、兄弟姉妹は201D1~、后妃は201E1~、皇子は201F1~、陵は201G、治世中特筆すべき人名等は201H1~として整理番号を付し、以下同様に<その一>では201神武天皇から209開化天皇まで、<その二>では210崇神天皇・211垂仁天皇を解説し、<その三>以下において212景行天皇から順次241持統天皇の部まで解説する予定です。

表記は原則として記紀ともに岩波日本古典文学大系本によります。本文中001〜199の神名は、古典篇(その五)<『古事記』の神名>により、名義は主として岩波日本古典文学大系本の注および『古事記』(新潮日本古典集成、校注西宮一民、昭和54年)の付録「神名の釈義」によります。

 ポリネシア語による解釈は、原則としてマオリ語により、ハワイ語による場合は注記を付します。]

 

 

[210崇神天皇]

 

210A1御間城入彦五十瓊殖(ミマキイリビコイニエ)尊

 209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊の第2子、尊と209E1伊香色謎(イカガシコメ)命の子(記は第1子)です。大きな治績をあげた天皇で、疫病の流行で人民が死に絶えようとしたとき、夢のお告げによって大物主神をはじめとして多くの神を祀って疫病を止め、灌漑用の貯水池を造って農業生産を増進させました。また、皇太子の選定にあたって夢占いを行っています。(ただし、垂仁紀25年3月10日条分注は、一説として、大倭大神を渟名城稚姫命、次いで長尾市宿禰に祀らせたのは崇神でなく垂仁とし、崇神は神祇祭祀の根源をおろそかにしたとします。)

 なお、崇神天皇については、同5年条の疫病の蔓延は外国から持ち込まれた新しい疫病がそれまで免疫のなかった日本列島の原住民に大きな被害を与えたものとする説(崇神征服王朝説)があり、同6年条のそれまで宮廷内で祀られていた祖先神(天照大神と倭大国魂大神)を宮廷外に出したことは血統の断絶を証明するものとします。

 また、同10年9月条の武埴安(たけはにやす)彦の謀反は、その名のポリネシア語による解釈からしますと、大和朝廷の正統な後継者である武埴安彦が征服者に対して挑んだ抗争であった可能性があります。(208E3埴安(ハニヤス)姫の項および208F6武埴安(タケハニヤス)彦命の項を参照してください。)

 この「みまきいりひこいにゑ」は、

  「ミヒ・マキ・イリ・ヒコ・イノイ・ウエ」、MIHI-MAKI-IRI-HIKO-INOI-UE(mihi=greet,admire,sigh for;maki=invalid,sore;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;hiko=move at random or irregularly;inoi=beg,pray,prayer;ue=push,shake,affect by an incantation)、「病人(疫病の蔓延)を・悲しんで・夢占いをした・各地を遍歴した者で・巫覡に・神を祭らせた(尊)」

の転訛と解します。

NAME="210A2御肇國">210A2御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)

 記紀ともに201神武天皇と同様、崇神天皇に対して紀は御肇國天皇(ハツクニシラススメラミコト)、記は知初國之御真木天皇(ハツクニシラシシミマキノスメラミコト)という称号を与えています。この「はつくにしらす」は、これまで「初めて國を治めた」と解する説が有力で、「始祖」二柱のうち神武天皇は架空ではないかとする説がありますが、これは下記のとおり「偉大な天皇」の称号です(古典篇(その一)の1「ハツクニシラス」の解釈の項を参照してください)。

 この「はつくにしらす」、「みまき」、「すめらみこと」は、

  「ハ・ツクヌイ・チラツ」、HA-TUKUNUI-TIRATU(ha=what!;tukunui=main body of an army,large;tiratu=mast of a canoe)、「なんと・巨大な・カヌーのマスト(のような指導力・推進力・行動力を発揮した天皇であること)よ!」

  「ミヒ・マキ」、MIHI-MAKI(mihi=greet,admire,sigh for;maki=invalid,sore)、「病人(疫病の蔓延)を・悲しんだ(天皇)」

  「ツ・メラ・ミコ・ト」、TU-MERA-MIKO-TO(tu=stand,be erect,be established;mera,meramera=prepared by steeping in water as certain food were;miko,mimiko=gooseflesh,creeping sensation of flesh or skin from fear or sickness;to=drag,haul)、「(尊称にふさわしい業績を上げ、かつ、尊称を授与または推戴する儀式を経るという)手順を踏んで・その地位に就いた・巫女(巫覡)の統率者」(雑楽篇の310すめらみこと(天皇)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

210B磯城(シキ)の瑞籬(ミツカキ)宮

 紀は磯城(シキ)の瑞籬(ミツカキ)宮(『大和志』は所在地を「三輪村の東南、志紀御県神社西」、現櫻井市金屋付近とします)と、紀は師木の水垣(ミヅカキ)宮とします。

 この「みつかき」は、

  「ミ・ツ・カキ」、MI-TU-KAKI(mi=stream,river;tu=stand,settle;kaki=neck,throat)、「川が・喉のように狭く・なっている(場所。そこにある宮)」

の転訛と解します。

 

210C1稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊

 父は209A稚日本根子彦大日日(ワカヤマトネコヒコオホヒヒ)尊の項を参照してください。

 

210C2伊香色謎(イカガシコメ)命

 母は209E1伊香色謎(イカガシコメ)命の項を参照してください。

 

210D1彦湯産隅(ヒコユムスミ)命

 兄は209F1彦湯産隅(ヒコユムスミ)命の項を参照してください。

 

210D2御間津(ミマツ)比売命

 妹は209F3御間津(ミマツ)比売命の項を参照してください。

 

210D3彦坐(ヒコイマス)王

 弟は209F4彦坐(ヒコイマス)王の項を参照してください。

 

210D4建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)

 弟は209F5建豊波豆羅和気(タケトヨハヅラワケ)の項を参照してください。

 

210E1御間城(ミマキ)姫

 紀は皇后を208F1大彦(オホビコ)命の娘の御間城(ミマキ)姫とし、210F3活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊(211垂仁天皇)、210F4彦五十狭茅(ヒコイサチ)命210F6國方(クニカタ)姫命210F7千千衝倭(チチツクヤマト)姫命210F9倭彦(ヤマトヒコ)命210F10五十日鶴彦(イカツルヒコ)命を生んだとし、記は大毘古(オホビコ)命の娘の御真津(ミマツ)比売命とし、210F3伊久米入日子伊沙知(イクメイリヒコイサチ)命210F5伊邪能真若(イザノマワカ)命210F6國片(クニカタ)比売命210F7千千都久和(チチツクワ)姫命210F8伊賀(イガ)比売命210F9倭日子(ヤマトヒコ)命を生んだとします。

 この「みまき」、「みまつ」は、

  「ミヒ・マキ」、MIHI-MAKI(mihi=greet,admire,sigh for;maki=invalid,sore)、「病人(疫病の蔓延)を・悲しんだ(姫)」

  「ミヒ・マ・アツ」、MIHI-MA-ATU(mihi=greet,admire,sigh for;ma=go,come;atu=to indicate a direction or motion onwards;ma atu=let us go on)、「(疫病の蔓延を)悲しんで・(困難に)立ち向かった(姫)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

の転訛と解します。

 

210E2遠津年魚眼眼妙(トホツアユメマクハシ)媛

 紀は第1の妃を紀伊(キ)国の荒河戸畔(アラカハトベ)の娘の遠津年魚眼眼妙(トホツアユメマクハシ)媛(一書に大海(オホシアマ)宿禰の娘の八坂振天某邊(ヤサカフルアマイロベ)とします)とし、210F1豊城入彦(トヨキイリビコ)命210F11豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命を生み、記は木國造の荒河刀辨(アラカハトベ)の娘の遠津年魚目目微(トホツアユメマクハシ)比売とし、210F1豊木入日子(トヨキイリヒコ)命210F11豊鋤入日売(トヨスキイリヒメ)命を生んだとします。

 この「とほつあゆめまくはし」、「き」、「あらかはとべ」、「やさかふるあまいろべ」、「おほしあま」は、

  「トハウ・ツ・アイ・ウマ・マイ・クハ・チ」、TOHAU-TU-AI-UMA-MAI-KUHA-TI(tohau=damp,dew,sweat;tu=stand,settle;ai=substantive;uma=bosom,chest;mai,maimai=dance;kuha=gasp;ti=throw,cast)、「胸に・汗を・かき・あえぎ・ながら・踊りを踊る(姫)」

  「キイ」、KII((Hawaii)to tie,bind)、「(山々を)結びつけている(山裾の平地が連なっている。その国)」

  「アラ・カワ・トペ」、ARA-KAWA-TOPE(ara=rise,awake,raise;kawa=ceremonies in connection with a new house or canoe or the birth of a child or a battle etc.,heir;tope=cut,cut off)、「征伐された(首長の)・後継者で・(首長の地位に)復活した(首長)」

  「イア・タカ・フル・ア・マ・イロ・ペ」、IA-TAKA-HURU-A-MA-IRO-PE(ia=indeed,very;taka=heap,fall off;huru=hair,glow;a=the...of;ma=white,clean,freed from TAPU;iro=submissive as result of punishment;pe=crushed,soft)、「実に・髪を・長く垂らした・禁忌から解放された部族(=この世の中の決まり事に拘束されない人々。海人族)の・従順で・優しい(姫)」

  「オホ・チ・ア・マ」、OHO-TI-A-MA(oho=wake up,arise;ti=throw,cast,overcome;a=the...of;ma=white,clean,freed from TAPU)、「すっくと立っている・禁忌から解放された部族(=この世の中の決まり事に拘束されない人々。海人族)を・従えている(首長)」

の転訛と解します。

 

210E3尾張大海(オハリノオホシアマ)媛

 紀は第2の妃を尾張大海(オハリノオホシアマ)媛とし、210F12八坂入彦(ヤサカイリヒコ)命210F13渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ)命210F14十市瓊入姫(トヲチニノイリヒメ)命を生み、記は尾張連の祖、意富阿麻(オホアマ)比売とし、210F2大入杵(オホイリキ)命210F12八坂入日子(ヤサカノイリヒコ)命210F13沼名木之入日売(ヌナキノイリヒメ)命210F14十市之入日売(トヲチノイリヒメ)命を生んだとします。

 この「おおしあま」、「おほあま」は、

  「オホ・チ・ア・マ」、OHO-TI-A-MA(oho=wake up,arise;ti=throw,cast,overcome;a=the...of;ma=white,clean,freed from TAPU)、「すっくと立っている・禁忌から解放された部族(=この世の中の決まり事に拘束されない人々。海人族)を・従えている(姫)」

  「オホ・ア・マ」、OHO-A-MA(oho=wake up,arise;a=the...of;ma=white,clean,freed from TAPU)、「すっくと立っている・禁忌から解放された部族(=この世の中の決まり事に拘束されない人々。海人族)出身の(姫)」

の転訛と解します。

 

210F1豊城入彦(トヨキイリビコ)命

 崇神天皇の第1子と推定される210E2遠津年魚眼眼妙(トホツアユメマクハシ)媛の生んだ子で、崇神紀48年正月条には「豊城(トヨキ)尊」とあり、夢占いの結果弟の210F3活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊が皇太子に立てられ、豊城尊は東国を治めることとなり、上毛野君、下毛野君の祖となります。

 この「とよきいり」は、

  「トイ・オキ・イリ・ヒコ」、TOI-OKI-IRI-HIKO(toi=move quickly;(Hawaii)oki=to cut,separate;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;hiko=move at random or irregularly)、「敏速に行動して・(大和の地を)離れた・夢占いをして・(皇位に就くことなく東国を)遍歴した(命)」(「トイ」の語尾のI音と「イオ」の語頭のI音が連結して「トヨ」となった)

の転訛と解します。

 

210F2大入杵(オホイリキ)命

 崇神天皇の第2子と推定される210E3尾張大海(オハリノオホシアマ)媛の生んだ子です。紀には記載がありませんが、記の分注は大入杵(オホイリキ)命を能登臣の祖とします。

 この「おほいりき」は、

  「オホ・イリ・キ」、OHO-IRI-KI(oho=wake up,arise;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;ki=full,very)、「すっくと立っている・数多く・夢占いをした(命)」

の転訛と解します。

 

210F3活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊

 紀は崇神天皇の第3子で、210E1御間城(ミマキ)姫が生んだ子(記は御真津(ミマツ)比売命が生んだ伊久米入日子伊沙知(イクメイリヒコイサチ)命)とします。崇神紀元年二月条には「活目入彦五十狭茅」と、同48年正月条には「活目(イクメ)尊」とあり、夢占いの結果皇太子に立てられ、211垂仁天皇となります。211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊の項を参照してください。

 

210F4彦五十狭茅(ヒコイサチ)命

 紀が記す210E1御間城(ミマキ)姫が生んだ第2子で、記には記載がありません。

 この「ひこいさち」は、

  「ヒ・コ・イタ・チ」、HI-KO-ITA-TI(hi=raise,rise;ko=addressing to males and girls;irregularly;ita=tight,fast;ti=throw,cast,overcome)、「身分の高い・男子で・(同腹の兄210F3活目入彦尊とともに御諸山の)堅い(磐座の巨石を)・粉々にした(命)」

の転訛と解します。

 

210F5伊邪能真若(イザノマワカ)命

 記が記す210E1御真津(ミマツ)比売命が生んだ第2子で、紀には記載がありません。

 この「いざのまわか」は、

  「イ・タ(ン)ゴ・マ・ワカ」、I-TANGO-MA-WHAKA(i=past tense;tango=take up,take in hand;ma=white,clean;whaka=make an immediate return for anything)、「邪心のない・対応が・身に付いている(命)」(「タ(ン)ゴ」のNG音がN音に変化して「タノ」から「サノ」となった)

の転訛と解します。

 

210F6國方(クニカタ)姫命

 紀が記す210E1御間城(ミマキ)姫が生んだ第3子で、記は國片(クニカタ)比売命と記します。

 この「くにかた」は、

  「クニ・カタ」、KUNI-KATA((Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;kata=laugh,opening of shellfish)、「笑って・(周りを)明るくする(姫)」

の転訛と解します。

 

210F7千千衝倭(チチツクヤマト)姫命

 紀が記す210E1御間城(ミマキ)姫が生んだ第4子で、記は千千都久和(チチツクワ)姫命と記します。『古事記伝』は、「千千都久和(チチツクヤマト)」と訓じます。

 この「ちちつくやまと」は、

  「チチ・ツク・イア・マタウ」、TITI-TUKU-IA-MATAU(titi=peg,comb for sticking in the hair,adorn by sticking feathers;tuku=let go,leave,send,settle down;ia=indeed,current;matau=know,understand)、「髪飾りを・付けた・実に・博識の(姫)」(「マタウ」のAU音がO音に変化して「マト」となった)

の転訛と解します。

 

210F8伊賀(イガ)比売命

 記が記す210E1御真津(ミマツ)比売命が生んだ第5子で、紀には記載がありません。

 この「いが」は、

  「イ・(ン)ガ」、I-NGA(i=beside,past tense;nga=satisfied,breathe)、「満足して(のんびりして)・いた(姫)」

の転訛と解します。

 

210F9倭彦(ヤマトヒコ)命

 紀が記す210E1御間城(ミマキ)姫が生んだ第5子で、記は第6子の倭日子(ヤマトヒコ)命と記します。記の分注および垂仁紀28年10月条に命の陵に殉死の人垣を立てた記事があります。

 この「やまとひこ」

  「イア・マタウ・ヒ・コ」、IA-MATAU-HI-KO(ia=indeed,current;matau=know,understand;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「実に・博識の・身分の高い・男子(命)」(「マタウ」のAU音がO音に変化して「マト」となった)

の転訛と解します。

 

210F10五十日鶴彦(イカツルヒコ)命

 紀が記す210E1御間城(ミマキ)姫が生んだ第6子で、記には記載がありません。

 この「いかつるひこ」は、

  「イ・カ・ツル・ヒ・コ」、I-KA-TURU-HI-KO(i=past tense,beside;ka=take fire,be lighted,burn;turu=pole,upright;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「柱(の上)に・灯りを・灯したような・身分の高い・男子(命)」

の転訛と解します。

 

210F11豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命

 210E2遠津年魚眼眼妙(トホツアユメマクハシ)媛の生んだ第2子です。崇神紀6年条にそれまで宮中に祀っていた天照大御神を倭の笠縫邑(カサヌイノムラ)に移し、姫に祀らせ、「磯堅城(シカタキ)の神籬(ヒモロキ)を立てた」とあります。(笠縫邑の所在については、磯城郡田原本町新木、櫻井市笠笠山荒神境内、同市三輪檜原神社境内などの説があります。入門篇(その一)の2の(3)のa「カサ」地名とその例の項および地名篇(その五)の奈良県の(35)檜原神社の項を参照してください。)

 この「とよすきいりひめ」、「しかたきのひもろき」は、

  「トイ・アウ・スキ・イリ・ヒ・マイ」、TOI-AU-TUKI-IRI-HI-MAI(toi=move quickly;au=rapid,certainly;tuki=beat,attack;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;hi=raise,rise;mai=clothing,dance)、「極めて・迅速に行動して・(天照大神を笠縫邑に)遷した・夢占いをした・身分の高い・(着飾り、舞いを踊る)姫」(「トイ」の語尾のI音と「アウ」のAU音が変化したO音とが連結して「トヨ」と、「マイ」のAI音がE音に変化して「メ」となった)

  「チカ・タキ・ノ・ヒ・マウ・ロキ」、TIKA-TAKI-NO-HI-MAU-ROKI(tika=straight,direct,just,correct;taki=track,lead,stick in(takitaki=fence);no=of;hi=raise,rise;mau=fixed,continuing,caught;roki=calm,make calm)、「整然と・垣根を引き回した・(神がその)上に出現して・静かに・鎮座する(降臨する場所=神籬(ヒモロキ))」

の転訛と解します。

 

210F12八坂入彦(ヤサカイリヒコ)命

 紀は210E3尾張大海(オハリノオホシアマ)媛の生んだ第1子とし、記は第2子八坂入日子(ヤサカノイリヒコ)命とします。

 この「やさかいりひこ」は、

  「イア・タカ・イリ・ヒ・コ」、IA-TAKA-IRI-HI-KO(ia=indeed,current;taka=heap,lie in a heap;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「実に・高いところに居る・夢占いをした・身分の高い・男子(命)」

の転訛と解します。

 

210F13渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ)命

 紀は210E3尾張大海(オハリノオホシアマ)媛の生んだ第2子とし、記は第3子沼名木之入日売(ヌナキノイリヒメ)命と、垂仁紀25年3月条には渟名城稚(ヌナキノワカ)姫命とします。崇神紀6年条にそれまで宮中に祀っていた日本大国魂(ヤマトノオホクニタマ)神を姫に祀らせたが、身体が衰弱して祀ることができなかったとあります。(ただし、垂仁紀25年3月10日条分注は、一説として、大倭大神を渟名城稚姫命、次いで長尾市宿禰に祀らせたのは崇神でなく垂仁とし、崇神は神祇祭祀の根源をおろそかにしたとします。)

 この「ぬなきのいり」、「ぬなきのわか」は、

  「ヌナ・キノ・イリ」、NUNA-KINO-IRI((Hawaii)nuna=luna=high,above,foreman,boss,leader;kino=evil,bad,ugly,ill will,dislike;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance)、「先頭に立つ・(体が衰弱して)ひどい有様になった・夢占いをした(姫)」

  「ヌナ・キノ・ウアカハ」、NUNA-KINO-UAKAHA((Hawaii)nuna=luna=high,above,foreman,boss,leader;kino=evil,bad,ugly,ill will,dislike;uakaha=vigorous,strenuous)、「先頭に立つ・(体が衰弱して)ひどい有様になった・活発な(姫)」

の転訛と解します。

 

210F14十市瓊入姫(トヲチニイリヒメ)命

 紀は210E3尾張大海(オハリノオホシアマ)媛の生んだ第3子とし、記は第4子十市之入日売(トヲチノイリヒメ)命とします。

 この「とをちに(の)いり」は、

  「トフ・チ・ヌイ・イリ」、TOHU-TI-NUI-IRI(tohu=think;ti=throw,cast;nui=large,many;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance)、「思慮を・巡らすことが・深くて・夢占いをした(姫)」

の転訛と解します。

 

210G山辺道上(ヤマノベノミチノヘ)陵

 紀は山辺道上陵(『延喜式』は在大和国城上郡と、『陵墓要覧』は所在地を奈良県天理市大字柳本とします)、記は「山辺の道の勾(マガリ)の岡の上に在り」とします。

 この「まがり」は、

  「マ(ン)ガ・リ」、MANGA-RI(manga=branch of a tree or river etc.;ri=bind,protect,screen)、「(山の尾根から)分かれた枝尾根に・連なっている(岡)」

の転訛と解します。

 

210H1倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命(207F2倭迹迹日百襲(ヤマトトトビモモソ)姫命の項を再掲します。)

 207A大日本根子太瓊(オホヤマトネコヒコフトニ)尊207E4倭國香(ヤマトノクニカ)媛との第1子です。崇神紀10年9月条に姫が051大物主(オホモノヌシ)神の妻となり、夫が蛇であることを知って驚き自殺して、箸墓に葬られたとあります。

 この「やまとととびももそ」は、

  「イア・マト・トト・ピ・モモ・タウ」、IA-MATO-TOTO-PI-MOMO-TAU(ia=indeed;mato=deep swamp,deep valley;toto=blood,bleed;pi=flow;momo=in good condition;tau=come to rest)、「実に・深い湿地がある地域(大和国)の・血を・流して(死んで)・手厚く・葬られた(姫)」(「タウ」のAU音がO音に変化して「ト」となった)

の転訛と解します。

 姫の自殺について紀は、「(夫の大物主(オホモノヌシ)神が蛇であることを知って驚き、夫に愛想を尽かされたため、姫は)悔いて急居(ツキウ)。即ち箸(ハシ)に陰(ホト)を撞(ツ)いて薨(カムサ)りましぬ」とします。

 この「つきう」、「はし」、「ほと」は、

  「ツキ・ウ」、TUKI-U(tuki=pound,beat,attack;u=breast of a female)、「胸(乳房)を・刺す」

  「パチア」、PATIA(spear)、「槍」

  「ホト」、HOTO(start,make a convulsive movement)、「衝動的に行動する」

の転訛と解します。つまり「姫は、事の成行きを悔やんで、衝動的に、槍で胸を突いて死んだ」のが真相です。(入門篇(その三)の(6)d箸墓伝説の真実の項を参照してください。)

 

210H2大田田根子(オホタタネコ)命

 崇神紀7年8月条に「大田田根子を大物主神を祀る神主とし、市磯長尾市(イチシノナガヲチ)を倭大国魂(ヤマトノオホクニタマ)神を祀る神主とすれば、必ず天下が太平となるだろう」との夢のお告げがあり、「茅渟(チヌ)縣の陶(スエ)邑の大田田根子を召し出して大物主神を祀る神主とした」とあります。

 この「おほたたねこ」は、

  「オホ・タタ・ネイ・コ」、OHO-TATA-NEI-KO(oho=wake up,be awake,arise;tata=suddenly;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind;ko=addressing to males and girls,descend)、「突然・叩き起こされて(引っ張り出されて大物主神を祀る神主となった)・(世の中を揺るがす)物議を醸した・(大物主神の)末裔」

の転訛と解します。(大田田根子命およびその母活玉依(イクタマヨリ)毘売等については、古典篇(その一)の2の(3)「オホタタネコ」の意味の項を参照してください。)

 

210H3市磯長尾市(イチシノナガヲチ)

 崇神紀7年8月条に「大田田根子を大物主神を祀る神主とし、市磯長尾市(イチシノナガヲチ)を倭大国魂(ヤマトノオホクニタマ)神を祀る神主とすれば、必ず天下が太平となるだろう」との夢のお告げがあり、同11月条に「長尾市を倭大国魂神を祀る神主とした」とあります。(ただし、垂仁紀25年3月10日条分注は、一説として、大倭大神を渟名城稚姫命、次いで長尾市宿禰に祀らせたのは崇神でなく垂仁とし、崇神は神祇祭祀の根源をおろそかにしたとします。)

 この「いちし」、「ながをち」は、

  「イ・チチ」、I-TITI(i=beside;titi=peg,steep)、「険しい(岡の)・ほとり(の土地)」

  「ナ・(ン)ガオ・チ」、NA-NGAO-TI(na=belonging to,satisfied;ngao=dress timber with an adze,strength;ti=throw,cast,overcome)、「力を振るって・支配する(者)」

の転訛と解します。(古典篇(その一)の2の(3)「オホタタネコ」の意味の項を参照してください。)

 

210H4大彦(オホビコ)命

 崇神紀10年9月条には、大彦命を北陸に、武渟川別(タケヌナカハワケ)を東海に、吉備津(キビツ)彦を西道に、丹波道主(タニハノチヌシ)命を丹波に、平定のために派遣したとあります。

 この大彦命については、208F1大彦(オホビコ)命の項を参照してください。

 

210H5武渟川別(タケヌナカハワケ)命

 崇神紀10年9月条には、大彦命を北陸に、武渟川別(タケヌナカハワケ)を東海に、吉備津(キビツ)彦を西道に、丹波道主(タニハノチヌシ)命を丹波に、平定のために派遣したとあります。

 この大彦命の子の武渟川別(タケヌナカハワケ)命については、208F1大彦(オホビコ)命の項を参照してください。

 

210H6吉備津(キビツ)彦命

 崇神紀10年9月条には、大彦命を北陸に、武渟川別(タケヌナカハワケ)を東海に、吉備津(キビツ)彦を西道に、丹波道主(タニハノチヌシ)命を丹波に、平定のために派遣したとあります。記は吉備津彦命の派遣について記載がありません。

 この吉備津(キビツ)彦命(207F3彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命の亦の名)については、207F3彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命の項を参照してください。

 

210H7丹波道主(タニハノチヌシ)命

 崇神紀10年9月条には、大彦命を北陸に、武渟川別(タケヌナカハワケ)を東海に、吉備津(キビツ)彦を西道に、丹波道主(タニハノチヌシ)命(垂仁紀5年10月条には丹波道主王は209F4彦坐(ヒコイマス)王の子と、一書には209F1彦湯産隅(ヒコユムスミ)命の子とあり、211E2日葉酢(ヒバス)媛命の父とします)を丹波(タニハ)に、平定のために派遣したとあります。記は209F4日子坐(ヒコイマス)王を旦波(タニハ)に派遣して玖賀耳之御笠(クガミミノミカサ)を殺させたとあります。

 この丹波道主(タニハノチヌシ)命の「たには」、「ちぬし」は、

  「タ・ニワ」、TA-NIWHA(ta=the;niwha=resolute,bravery)、「勇者(の国)」

  「チヒ・ヌイ・チ」、TIHI-NUI-TI(tihi=summit,top,lie in a heap;nui=large,many;ti=throw,cast,overcome)、「多くの人々を・支配する者の・頂点に立つ(者)」(「チヒ」のH音、「ヌイ」のI音が脱落して「チ」、「ヌ」となった)

の転訛と解します。

 また、「くがみみのみかさ」は、

  「ク・(ン)ガ・ミミ・ノ・ミカ・タ」、KU-NGA-MIMI-NO-MIKA-TA(ku=silent;nga=satisfied,brearhe;mimi=river;no=of;(Hawaii)mika=to press,crush;ta=dash,beat,lay)、「静かに・ゆったりと流れる・川(のほとりに住む。または川の水利を支配する)・の・(日子坐王に)襲われて・殺された(首長)」

の転訛と解します。

 

210H8武埴安(タケハニヤス)彦命

 崇神紀10年9月条に武埴安彦命とその妻吾田(アタ)媛が謀反を起したので、山背から大和へ入ろうとした武埴安彦命の軍に対しては208F1大彦(オホビコ)命と和珥(ワニ)臣の遠祖210H9彦國葺(ヒコクニブク)を遣して討ち、大坂から大和へ入ろうとした吾田媛の軍に対しては207F3彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命を遣して討ったとあります。

 この武埴安彦命については208E3埴安(ハニヤス)姫の項および208F6武埴安(タケハニヤス)彦命の項を参照してください。

 また、吾田(アタ)媛の「あた」は、

  「アタ」、ATA(clearly,expressive of disgust)、「清らかな(媛)」

の転訛と解します。

 

210H9彦國葺(ヒコクニブク)

 崇神紀10年9月条に武埴安彦命とその妻吾田(アタ)媛が謀反を起したので、山背から大和へ入ろうとした武埴安彦命の軍に対しては208F1大彦(オホビコ)命と和珥(ワニ)臣の遠祖210H9彦國葺(ヒコクニブク)を遣して討ち、大坂から大和へ入ろうとした吾田媛の軍に対しては207F3彦五十狭芹彦(ヒコイサセリビコ)命を遣して討ったとあります。

 この「ひこくにぶく」は、

  「ヒコ・クニ・プク」、HIKO-KUNI-PUKU(hiko=move at random or irregularly;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;puku=secretly,without speaking)、「灯りを灯している土地(国)を・秘密裡に・巡回している(将軍)」

の転訛と解します。

 なお、崇神紀は謀反に先立つて吾田媛が倭の香山の土を取って「是、倭国の物實(ものしろ)」と言ったとし、同条および記には、那羅(ナラ)山、輪韓(ワカラ)河または挑(イドミ)河または泉(イズミ)河、羽振苑(ハフリソノ)、我君(アギ)、伽和羅(カワラ)、屎褌(クソバカマ)の地名の由来譚が記されています。

 この「ものしろ」、「なら」、「いどみ」、「いずみ」、「はふりその」、「あぎ」、「かわら」、「くそばかま」は、

  「モノ・チロウ」、MONO-TIROU(mono=plug,disable by means of incantations;tirou=pointed stick used as a fork,pole used to reach anything)、「(埴土で作った土器を祭器として)敵を倒す祈祷を行って・(倭の国を)手に入れるための道具」

  「ナラ」、NALA((Hawaii)to plait)、「(布の)皺を伸ばした(ようななだらかな山。土地)」(地名篇(その五)の奈良県の(3)のa奈良の項を参照してください。ちなみに、NGARAHU(war dance)はNALA(to plait)-HU(heap)に通じます。)

  「ワ・カラ」、WA-KARA(wa=definite place;kara=secret plan,a request for assistance in war)、「(戦いに勝つ)秘策がある・場所(川)」または「ウァカハ・ラ」、UAKAHA-RA(uakaha=vigorous,strenuous;ra=wed)、「激しく・激しく流れる(川)」

  「イト・ミ」、ITO-MI(ito=object of revenge,enemy;mi=stream,river)、「敵と対峙した・川」

  「イツ・ミ」、ITU-MI(itu=side(whakaitu=aside,away);mi=stream,river)、「敵を駆逐した・川」

  「ハプ・リ・トノ」、HAPU-RI-TONO(hapu=section of a large tribe;ri=bind,protect,screen;tono=drive away by means of a charm)、「(敵の)軍団を・(来襲を)防ぎ・呪文を唱えて退却させた(場所)」(地名篇(その三)の京都府の(14)のf祝園(ホウゾノ)の項を参照してください。なお、祝園(ホウゾノ)は「ホウ・トノ」、HOU-TONO(hou=bind,lash together,force downwards;tono=drive away by means of a charm)、「(敵に)襲いかかり・呪文を唱えて退却させた(場所)」の転訛と解します。)

  「アギ」、ANGI(free without hindrance,move freely)、「(地下の霊界の者どもに関わるもの)死した彼らの首長の霊(我君)」または「(よろいを脱いで)自由になった」もしくは「抵抗しません(降参します)」

  「カワ・ラ」、KAWA-RA(kawa=reef of rocks,channel,passage between rocks and shoals;ra=wed)、「石と浅瀬の中の通路が・連なる(場所=河原)」

  「ク・トパ・カマ」、KU-TOPA-KAMA(ku=silent;topa=fly,soar,swoop;kama=eager)、「無言で・激しく・(猛禽が空から襲うように)襲撃した(場所)」(地名篇(その四)の大阪府の(8)のb楠葉(クズハ)の項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

210H10出雲振根(イズモノフルネ)

 崇神紀60年7月条に天皇が武日照(タケヒナテル)命(記は025天之菩日(アメノホヒ)命の子建比良鳥(タケヒラトリ)命とします)が将来した神宝が欲しいといい、矢田部(ヤタベ)造の遠祖武諸隅(タケモロスミ)を出雲振根(イズモノフルネ)のもとへ遣したが、不在であったのでその弟飯入根(イヒイリネ)が弟甘美韓日狭(ウマシカラヒサ)と子鵜濡渟(ウカヅクヌ)に託して貢上し、これを恨んだ出雲振根が飯入根を謀殺したので、吉備津彦と武渟川別を遣して出雲振根を誅殺したとあります。

 この「たけひなてる」または「たけひらとり」、「やたべ」、「たけもろすみ」、「いずものふるね」、「いひいりね」、「うましからひさ」、「うかづくぬ」は、

  「タケ・ヒナ・タイ・ル(ン)ガ」、TAKE-HINA-TAI-RUNGA(take=stump,base of a hill,chief;hina=grey hair;tai=tide,rage,violence;runga=the top,upwards)、「どっしりとした(部族の首長で)・白髪交じりの・気性の荒い・最高の地位にあった(命)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」と、「ル(ン)ガ」の名詞形語尾のNGA音が脱落して「ル」となった)

  「タケ・ヒラ・タウリ」、TAKE-HIRA-TAURI(take=stump,base of a hill,chief;hira=great,important;tauri=band,particularly the plaited flax cord for securing the feathers ornamenting the head of a kind of weapon)、「どっしりとした(部族の首長で)・偉大な・(武器を飾る羽を固定する帯のような)人々をまとめる指導者の(命)」(「タウリ」のAU音がO音に変化して「トリ」となった)

  「イア・タパエ」、IA-TAPAE(ia=current,indeed;tapae=stack,surround)、「(川の)流れに・囲まれている(場所。そこに住む部族)」

  「タケ・モロト・ミ」、TAKE-MOROTO-MI(take=stump,base of a hill,chief;moroto=sunk in;mi=stream,river)、「どっしりとした(部族の首長で)・川に・潜る(ことを得意とした・者)」

  「イツ・マウ・ノ・フル・ネイ」、ITU-MAU-NO-HURU-NEI(itu=side;mau=fixed,continuing,established,caught,captured,retained;no=of;huru=hair,feather,dislike;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind)、「(国土を引いてきて)固定した場所の・そば(の地域=出雲国)・の・強く・(大和に対して)反感を持ち・(世の中を揺るがす)騒ぎを引き起こした(者)」(地名篇(その十二)の島根県の(1)の出雲国の項を参照してください。)

  「イヒ・イリ・ネイ」、IHI-IRI-NEI(ihi=divide,power,shudder,coward;iri=be elevated on,be published;(Hawaii)nei=to rumble as an earthquake,sighing as of the wind)、「(兄の出雲振根と)対立している者として(または力ある者として)・名高く・(世の中を揺るがす)騒ぎを引き起こした(者)」

  「ウ・マチカ・ラヒ・タ」、U-MATIKA-RAHI-TA(u=bite,be fixed;matika=stand,assume an errect position;rahi=great,plentiful;ta=dash,beat,lay)、「(出雲振根が飯入根を謀殺したことを大和へ)詳細に・急報して・高い地位をせしめることに・成功した(者)」

  「ウカ・ツク・ヌイ」、UKA-TUKU-NUI(uka=gleam,glow,be fixed;tuku=let go,send,present;nui=large,many)、「(甘美韓日狭と同様に)大きな・褒美を・せしめた(者)」

の転訛と解します。

トップページ 古典篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

 

[211垂仁天皇]

 

211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊

 紀は210崇神天皇の第3子で、210E1御間城(ミマキ)姫が生んだ210F3活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊とし、記は210E1御真津(ミマツ)比売命が生んだ210F3伊久米入日子伊沙知(イクメイリヒコイサチ)命とします。崇神紀元年二月条には「活目入彦五十狭茅」と、同48年正月条には「活目(イクメ)尊」とあり、「三輪山の頂上で粟を食む雀を追った」夢をみた夢占いの結果皇太子に立てられ、211垂仁天皇となります。さらに、在位中夢占いで皇后の兄の謀反を知り、未然に防ぎます。(なお、垂仁紀25年3月10日条分注は、一説として、大倭大神を渟名城稚姫命、次いで長尾市宿禰に祀らせたのは崇神でなく垂仁とし、崇神は神祇祭祀の根源をおろそかにしたとします。)

 この「いくめいりびこいさち」は、

  「イ・クメ・イリ・ヒ・コ・イタ・チ」、I(past tense,beside)-KUME(place name,pull,drag)-IRI-HI(raise)-KO(addressing to males and girls)-ITA(fast,tight)-TI(throw,overcome)、「来目の・地で・夢を見た(狭穂彦の反乱を知った)・身分の高い・男子で・堅い(三輪山の岩を)・粉々にした(天皇)」

の転訛と解します。「五十狭茅(いさち)」の解釈については、地名篇(その五)の奈良県の(33)三輪山の項を参照してください。

 

211B纏向(マキムク)の珠城(タマキ)宮

 紀は纏向(マキムク。大和国城上郡、もと纏向村、現櫻井市北部)の珠城(タマキ)宮とし、記は師木玉垣(シキノタマガキ)宮とします。

 この「まきむく」、「たまき」、「たまがき」は、

  「マ・アキ・ムク」、MA-AKI-MUKU(ma=white,clean,to be possessed by,to be acted by;aki=dash,beat,abut on;muku=wipe,smear)、「(三輪山に)接して・いる・(表面が拭ったように)滑らかな(場所。またはその山)」(「マ」の語尾のA音と「アキ」の語頭のA音が連結して「マキ」となった) または「マキ・ムク」、MAKI-MUKU(maki=invalid,sore,a prefix giving the force that an action is done spontaneously;muku=wipe,smear)、「(皇子が大きくなっても口がきけないことを)悲しんで・(涙を)拭つた(場所)」

  「タマキ」、TAMAKI(start involuntarily,omen)、「良くないことがある(皇子が大きくなっても口がきけない。宮)」

  「タマ・(ン)ガキ」、TAMA-NGAKI(tama=son,child;ngaki=cultivate,avenge)、「(その母と叔父を殺した)罰があたった(大きくなっても口がきけない)・皇子(がいる。宮)」

の転訛と解します。

 

211C1御間城入彦五十瓊殖(ミモキイリビコイニエ)尊

 父は210A1御間城入彦五十瓊殖(ミモキイリビコイニエ)尊の項を参照してください。

 

211C2御間城(ミマキ)姫

 母は210E1御間城(ミマキ)姫の項を参照してください。

 

211D1豊城入彦(トヨキイリビコ)命

 兄は210F1豊城入彦(トヨキイリビコ)命の項を参照してください。

 

211D2大入杵(オホイリキ)命

 兄は210F2大入杵(オホイリキ)命の項を参照してください。

 

211D3彦五十狭茅(ヒコイサチ)命

 弟は210F4彦五十狭茅(ヒコイサチ)命の項を参照してください。

 

211D4伊邪能真若(イザノマワカ)命

 弟は210F5伊邪能真若(イザノマワカ)命の項を参照してください。

 

211D5國方(クニカタ)姫命

 妹は210F6國方(クニカタ)姫命の項を参照してください。

 

211D6千千衝倭(チチツクヤマト)姫命

 妹は210F7千千衝倭(チチツクヤマト)姫命の項を参照してください。

 

211D7伊賀(イガ)比売命

 妹は210F8伊賀(イガ)比売命の項を参照してください。

 

211D8倭彦(ヤマトヒコ)命

 弟は210F9倭彦(ヤマトヒコ)命の項を参照してください。

 なお、垂仁紀28年11月条は、倭彦命に殉死した者が多く悲惨であったので、以後殉死を禁止したと伝えます。「垂仁」の諡号はこの故事によるとされます。

 

211D9五十日鶴彦(イカツルヒコ)命

 弟は210F10五十日鶴彦(イカツルヒコ)命の項を参照してください。

 

211D10豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命

 妹は210F11豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命の項を参照してください。

 

211D11八坂入彦(ヤサカイリヒコ)命

 弟は210F12八坂入彦(ヤサカイリヒコ)命の項を参照してください。

 

211D12渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ)命

 妹は210F13渟名城入姫(ヌナキノイリヒメ)命の項を参照してください。

 

211D13十市瓊入姫(トヲチニイリヒメ)命

 妹は210F14十市瓊入姫(トヲチニイリヒメ)命の項を参照してください。

 
211E1狭穂(サホ)媛

 紀は皇后を狭穂(サホ)彦王の妹、狭穂(サホ)媛とし、211F1譽津別(ホムツワケ)命を生み、その子を残して、稲城(イナキ)に入り、謀反を企てた兄とともに死んだとします。記は209F4日子坐(ヒコイマス)王が春日の建國勝戸売(タケクニカツトメ)の娘、沙本之大闇見戸売(サホノオホクラミトメ)を娶って生んだ第3子の沙本(サホ)毘売命、亦の名を佐波遅(サハヂ)比売命が皇后となって211F1品牟都和気(ホムツワケ)命を生み、その子を残して、謀反を企てた兄沙本(サホ)毘古王とともに死んだとします。

 この「さほ」の「さ」は神稲、「穂」は穂の意と解されています。

 この「さほ」、「さはぢ」、「たけくにかつとめ」、「さほのおほくらみとめ」、「いなき」は、

  「タホ」、TAHO(yielding,weak)、「人の言いなりになる(姫)」または「弱い(王子)」

  「タハ・チ」、TAHA-TI(taha=side,edge;ti=throw,cast,overcome)、「(兄の命令に従って天皇を殺すかどうかの)瀬戸際に・立たされた(姫)」

  「タケ・クニ・カツア・トメネ」、TAKE-KUNI-KATUA-TOMENE(take=stump,base of a hill,chief;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;katua=adult,stockade,main portion of anything;tomene=thoroughly explored)、「どっしりとした・灯りを灯している地域(=国)の・本体を・くまなく把握している(首長)」

  「タホ・ノ・オホ・クラ・ミヒ・トメネ」、TAHO-NO-OHO-KURA-MIHI-TOMENE(taho=yielding,weak;no=of;oho=wake up,be awake,arise;kura=red,ornamented with feathers,precious;mihi=greet,admire;tomene=thoroughly explored)、「弱い性格の・すっくと立つている・貴重な・尊崇すべき・すべてに通暁している(姫)」

  「イナキ」、INAKI(overlap,pack closely,thatch)、「(土砂・石・材木などを)緻密に積み上げた(防塁)」または「イ・(ン)ガキ」、I-NGAKI(i=past tense,beside;ngaki=maki=an action is done spontaneously or on impulse or for one's own benefit)、「急いで作り・上げた(防塁)」(「(ン)ガキ」のNG音がN音に変化して「ナキ」となった)

の転訛と解します。

 

211E2日葉酢(ヒバス)媛命

 紀は次の皇后を210H7丹波道主(タニハノチヌシ)命209F4彦坐(ヒコイマス)王の子。一書には209F1彦湯産隅(ヒコユムスミ)命の子)の娘の日葉酢媛命(垂仁紀32年7月条には一書に日葉酢根(ヒバスネ)命)とし、211F2五十瓊敷入彦(イニシキイリヒコ)命211F3大足彦(オホタラシヒコ)尊211F4大中(オホナカツ)姫命211F5倭(ヤマト)姫命211F6稚城瓊入彦(ワカキニイリヒコ)命を生んだとします。

 記は旦波比古多多須美知宇斯(タニハノヒコタタスミチノウシ)王と丹波の河上の摩須郎女(マスノイラツメ)との間の娘の氷羽州(ヒバス)比売命とし、211F2印色入日子(イニシキイリヒコ)命211F3大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)命211F4大中津日子(オホナカツヒコ)命211F5倭(ヤマト)比売命、211F6若木入日子(ワカキノイリヒコ)命を生んだとします。

 この「ひばす」、「ひばすね」、「ひこたたすみちのうし」、「ますのいらつめ」は、

  「ヒパ・ツ」、HIPA-TU(hipa=start aside,pass,exceed in length,surpass;tu=stand,settle)、「卓越した・(ところが)ある(姫)」

  「ヒパ・ツ・ヌイ」、HIPA-TU-NUI(hipa=start aside,pass,exceed in length,surpass;tu=stand,settle;nui=large,many)、「卓越した・(ところが)たくさん・ある(姫)」

  「ヒコ・タタ・ツ・ミヒ・チ・ウチ」、HIKO-TATA-TU-MIHI-TI-UTI(hiko=move at random or irregularly;tata=dash down,oppose;tu=stand,settle;mihi=greet,admire;ti=throw,cast,overcome;uti=bite)、「各地を遍歴し・(敵を)打倒して・住み着いた・尊崇すべき・支配力を・及ぼしている(命)」

  「マツ・ノ・イラ・ツ・マイ」、MATU-NO-IRA-TU-MAI(matu=fat,cut;no=of;ira=freckle,shine;tu=stand,settle;mai=clothing,dance)、「肥っている・黒子が・ある・(着飾り、踊りを踊る)娘」(雑楽篇の301いらつめ・いらつこの項を参照してください。)

の転訛と解します。

 

211E3渟葉田瓊入(ヌハタニイリ)媛

 紀は妃を211E2日葉酢(ヒバス)媛命の妹の渟葉田瓊入媛とし、211F7鐸石別(ヌテシワケ)命211F8膽香足(イカタラシ)姫命を生んだとします。

 記は妃を211E2氷羽州(ヒバス)比売命の妹の沼羽田之入(ヌバタノイリ)毘売命とし、211F7沼帯別(ヌタラシワケ)命211F8伊賀帯(イガタラシ)日子命を生んだとします。

 この「ぬはたに(の)いり」は、

  「ヌイ・ハ・タ(ン)ギ・イリ」、NUI-HA-TANGI-IRI(nui=large,many;ha=breath,taste,sound;tangi=sound,cry,lamentation;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance)、「(子供の出来が悪く)大きな・声で・泣き叫んだことで・高名な(姫)」

の転訛と解します。

 

211E4真砥野(マトノ)媛

 紀は、妃を211E3渟葉田瓊入(ヌハタニイリ)媛の妹の真砥野(マトノ)媛とし、5番目の211H5竹野(タカノ)媛のみを醜いとして帰したとします。紀には子を生んだ記録はありません。

 垂仁記は、4人召された中の4番目の圓野(マトノ)比売命(開化記は姫が三人生まれた中の二番目の真砥野(マトノ)比売命)と、3番目の歌凝(ウタゴリ)比売命の二人を醜いとして帰したとし、姫の数および名などに大きな相違があります。記は圓野(マトノ)比売命は醜いとして帰されたことを恥じて山代(ヤマシロ)国の相楽(サガラカ)で首つり自殺をしようとして果たさず、弟(オト)国で遂に深い淵に落ちて死んだと伝えます。

 この「まとの」、「うたごり」、「さがらか」、「おと」は、

  「マト・ナウ」、MATO-NAU(mato=deep swamp,deep valley;nau=come,go)、「(帰されたことを恥じて)深い淵に・入った(姫)」

  「ウタ・(ン)ゴリ」、UTA-NGORI(uta=the inland,the interior,load or man a canoe;ngori=weak)、「内(心)が・弱い(姫)」

  「タ(ン)ガラ・カ」、TANGARA-KA(tangara=loose,unencumbered;ka=take fire,be lighted,burn)、「(人の行動を)邪魔しない・灯を灯す場所(集落)」

  「オ・ト」、O-TO(o=the place of;to=set as the sun,dive)、「(淵に)飛び込んだ・場所」

の転訛と解します。211H5竹野(タカノ)媛の項を参照してください。

 

211E5薊瓊入(アザミニイリ)媛

 紀は妃を211E4真砥野(マトノ)媛の妹の薊瓊入媛とし、211F9池速別(イケハヤワケ)命211F10稚浅津(ワカアサツ)姫命を生んだとします。

 記は妃を211E4真砥野(マトノ)媛の妹の阿邪美能伊理(アザミノイリ)毘売命とし、211F9伊許婆夜和気(イコバヤワケ)命211F10阿邪美都(アザミツ)比売命を生んだとします。

 この「あざみに(の)いり」は、

  「アタ・ミヒ・ヌイ・イリ」、ATA-MIHI-NUI-IRI(ata=gently,clearly,openly;mihi=greet,admire;nui=large,many;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance)、「優しい・大いに・尊崇すべき・高名な(姫)」

の転訛と解します。

 

211E6迦具夜(カグヤ)比売命

 記は妃を大筒木垂根(オホツツキタリネ)王の娘の迦具夜比売命とし、211F11袁邪辨(ヲザベ)王を生んだとします。紀には記載がありません。

 この「かぐや」、「おほつつきたりね」は、

  「カ・(ン)グ・イア」、KA-NGU-IA(ka=take fire,be lighted,burn;ngu=silent;ia=indeed)、「実に・無口な・輝くように美しい(姫) 」

  「オホ・ツツキ・タリ・ヌイ」、OHO-TUTUKI-TARI-NUI(oho=wake up,be awake,arise;tutuki=reach the farthest limit,be completed;tari=carry,bring,urge,incite;nui=large,many)、「すっくと立っている・極限まで・(部族を)引率した・偉大な(首長)」

の転訛と解します。

 

211E7苅幡戸邊(カリハタトベ)

 紀は妃を山背(ヤマシロ)の苅幡戸邊とし、211F12祖別(オホヂワケ)命211F13五十日足彦(イカタラシヒコ)命211F14膽武別(イタケルワケ)命を生んだとします。

 記は妃を山代の大国之淵(オホクニノフチ)の娘の苅羽田刀辨(カリハタトベ)とし、211F12落別(オチワケ)王211F13五十日帯日子(イカタラシヒコ)王211F14伊登志別(イトシワケ)王を生んだとします。

 この「かりはたとべ」、「おほくにのふち」は、

  「カ・アリ・パタ・トペ」、KA-ARI-PATA-TOPE(ka=take fire,be lighted,burn;ari=clear,white,appearance;pata=prepare food,drop of water;tope=cut,ornament of feathers worn on the forehead)、「輝くような(美貌で)・水が滴る・ように見える・額に羽根飾りをつけている(姫)」

  「オホ・クニ・ノ・フチ」、OHO-KUNI-NO-HUTI(oho=wake up,be awake,arise;(Hawaii)kuni=(Maori)tungi=set a light to,kindle,burn;no=of;huti=pull up,fish with a line)、「すっくと立っている・灯りを灯した地域(=国)・の・高い地位にある(首長)」

の転訛と解します。

 

211E8綺戸邊(カニハタトベ)

 紀は妃を山背(ヤマシロ)の大国不遅(オホクニノフチ)の娘の綺戸邊とし、211F15磐衝別(イハツクワケ)命を生んだとします。

 記は妃を山代の大国之淵(オホクニノフチ)の娘の弟苅羽田刀辨(オトカリハタトベ)とし、211F15石衝別(イハツクワケ)王211F16石衝(イハツク)毘売命、亦の名は布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命(紀にはこの姫の記載がなく、仲哀紀に214仲哀天皇の母の両道入(フタヂノイリ)姫命として出てきます。)を生んだとします。

 この「かにはたとべ」は、

  「カニ・パタ・トペ」、KANI-PATA-TOPE(kani=dance,rub backwards and forwards;pata=prepare food,drop of water;tope=cut,ornament of feathers worn on the forehead)、「踊りを踊る・水が滴るような・額に羽根飾りをつけている(姫)」

の転訛と解します。

 

211F1譽津別(ホムツワケ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E1狭穂(サホ)媛の子譽津別(ホムツワケ)命とし、謀反を起こして包囲された狭穂彦の稲城の中に狭穂媛が皇子を抱いて入った後、火の中から助け出されたとします。

 記は211A伊久米入日子伊沙知(イクメイリヒコイサチ)命211E1佐波遅(サハヂ)比売命の子品牟都和気(ホムツワケ)命とし、稲城の火中(ホナカ)で生まれたので「本牟智和気(ホムチワケ)」と名付けたともあります。

 この王子は、30歳になるまで言葉をしゃべることができず(記は「真事登波受(マコトトハズ)」とします)、空を飛ぶ白鳥を見て初めて「あれは何だ」としゃべったといいます(記は初めて「阿藝登比(アギトヒ)」を為たとします)。

 この「ほむつわけ」、「まこととはず」、「あぎとひ」は、

  「ホ・ムツ・ワケ」、HO-MUTU-WAKE(ho=pout,droop,shout;mutu=end,finished,completed;wake,wakewake=hurry,hasten)、「元気がない(言葉がしゃべれない)状態が・終わって・急いで行動するようになった(活発になった・命)」または「ホウ・ムツ・ワケ」、HOU-MUTU-WAKE(hou=force downwards or under,persist,dedicate or initiate a person,establish by rites as above;mutu=end,finished,completed;wake,wakewake=hurry,hasten)、「抑圧されていた状態(または成人になる儀式)が・終わって・急いで行動するようになった(活発になった・命)」

  「マ・コト・トハ・ツ」、MA-KOTO-TOHA-TU(ma=white,faded,clean;koto=sob,make a low sound;toha=spread out;tu=stand,settle,serve)、「消え入るような・低い音を・撒き・散らす(だけ。意味のある言葉をしゃべらないこと)」

  「ア(ン)ギ・トヒ」、ANGI-TOHI(angi=free without hindrance,move freely;tohi=cut,separate,perform a certain ceremony over a new born infant)、「(生まれたばかりの赤子に対して行う)まじない(人間の魂を吹き込むまじない)を行ったことにより・自由に行動すること(ふつうにしゃべるなど)」

の転訛と解します。

 

211F2五十瓊敷入彦(イニシキイリヒコ)命・川上部(かわかみのとも)・裸伴(あかはだがとも)・天神庫(あめのほくら)・「樹梯(はしだて)」・甕襲(みかそ)・足往(あゆき)・牟士那(むじな)

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E2日葉酢(ヒバス)媛命の第1子、五十瓊敷入彦(イニシキイリヒコ)命とし、記は211E2氷羽州(ヒバス)比売命の第1子、印色入日子(イニシキイリヒコ)命とします。

 垂仁紀30年正月条に何が欲しいかと問われた五十瓊敷命(垂仁紀15年8月条は五十瓊敷入彦命、そのほか本条、35年9月条、39年10月条および87年2月条は五十瓊敷命)が弓矢が欲しいと答えて弓矢を得、211F3大足彦尊が皇位が欲しいと答えて皇太子(のちに212景行天皇)となったとあります。命の名に「イリ」が付いていることからみて、記紀には皇太子選定の経緯を何も記しませんが、崇神紀48年正月条と同様のことがあったのではないでしょうか。

 この「いにしきいりひこ」は、

  「イノイ・チキ・イリ・ヒ・コ」、INOI-TIKI-IRI-HI-KO(inoi=beg,pray;tiki=fetch,proceed to do anything,unsuccessful;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「夢占いの結果・不運にも弓矢を・願った・身分の高い・男子(命)」

の転訛と解します。

 垂仁紀35年9月条は、五十瓊敷命を河内国に遣して高石池、茅渟池を造らせたとします。
 同39年10月条は、五十瓊敷命が茅渟の菟砥川上宮に居して、剣一千口を作ったとし、その剣を川上部(かわかみのとも)、亦の名を裸伴(あかはだがとも)といい、石上神宮に蔵め、後に石上神宮の神宝を司ることとなったとします。(石上神宮については、地名篇(その五)の奈良県の(53)石上神宮の項を参照してください。)
 同87年2月条は、五十瓊敷命が老齢の故をもって妹211F4大中(オホナカツ)姫命に神宝の管理をゆだねようしたところ、大中姫が天神庫(あめのほくら)に登れないといったので、「樹梯(はしだて)」を作ったとし、後大中姫は神宝の管理を211H7物部十千根(モノノベノトヲチネ)大連にゆだねたとします。また、石上神宮にある八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は、昔、丹波国桑田村の甕襲(みかそ)の家の犬足往(あゆき)が食い殺した牟士那(むじな)の腹の中にあったものであるとします。

 この「かわかみのとも」、「あかはだがとも」、「あめのほくら」、「はしだて」、「みかそ」、「あゆき」、「むじな」は、

  「カハ・カミ・ノ・トモ」、KAHA-KAMI-NO-TOMO(kaha=strong,a general term for several charms used when fishing or snaring birds etc.;kami=eat;no=of;tomo=be filled,enter,assault)、「(敵を)圧倒する・まじないが・籠められて・いる(剣)」

  「アカ・パタ(ン)ガ・トモ」、AKA-PATANGA-TOMO(aka=yearning,affection,clean off;patanga=cause,occasion,advantage;tomo=be filled,enter,assault)、「(敵を)掃討する・(まじないの)成果が・籠められている(剣)」(「パタ(ン)ガ」のP音がF音を経てH音に、NG音がG音に変化して「ハタガ」から「ハダガ」となった)

  「アマイ・ノ・ホウ・クラ」、AMAI-NO-HOU-KURA(amai=giddy,dizzy;no=of;hou=dedicate;kura=treasure)、「際だって・いる・奉納された・財宝を蔵める(倉庫)」(「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」と、「ホウ」のOU音がO音に変化して「ホ」となった)または「アマイ・ノ・ハウ・クラ」、AMAI-NO-HAU-KURA(amai=giddy,dizzy;no=of;hau=project,overhang,exceed;kura=treasure)、「際だって・いる・(のしかかるように)高い・財宝を蔵める(倉庫)」(「アマイ」のAI音がE音に変化して「アメ」と、「ハウ」のAU音がO音に変化して「ホ」となった)

  「パ・チチ・タタイ」、PA-TITI-TATAI(pa=touch,reach,operate on,be connected with;titi=peg,pin;tatai=arrange,set in order)、「(足を掛ける)横棒が・(縦材に)組み込まれたもの(梯子)が・登りやすく設置されているもの(梯立)」(「パ」のP音がF音を経てH音に変化して「ハ」と、「チチ」の反復語尾が脱落して「チ」から「シ」と、「タタイ」のAI音がE音に変化して「タテ」となった)

  「ミヒ・カト」、MIHI-KATO(mihi=greet,admire;kato=pluck,break off)、「尊敬される・(鳥の羽をむしったり)獣の皮を剥ぐ(猟師)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」と、「カト」が「カソ」となった)

  「アイ・ウキ」、AI-UKI(ai=beget;uki=distant times past or future)、「産まれてから・大分年を経た(犬)」(「アイ」の語尾のI音と「ウキ」の語頭のU音が連結して「アユキ」となった)

  「ムフ・チナ」、MUHU-TINA(muhu=stupid,incorrect;tina=fixed,fast,constipated)、「とんでもない(宝を)・(腹の中に)持っていた(獣)」(「ムフ」のH音が脱落して「ム」となった)

の転訛と解します。

 

211F3大足彦(オホタラシヒコ)尊

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E2日葉酢(ヒバス)媛命の第2子、大足彦(オホタラシヒコ)尊とし、記は211E2氷羽州(ヒバス)比売命の第2子、大帯日子淤斯呂和気(オホタラシヒコオシロワケ)命とします。

 垂仁紀30年正月条に何が欲しいかと問われた211F2五十瓊敷入彦命が弓矢が欲しいと答えて弓矢を得、大足彦尊が皇位が欲しいと答えて皇太子(のちに212景行天皇)となったとあります。

 この「おほたらしひこおしろわけ」は、

  「オホ・タラチ(タラ・チ)・ヒコ・オチ・ラウ・ワカイ(ン)ガ」、OHO-TARATI(TARA-TI)-HIKO-OTI-RAU-WAKAINGA(oho=wake up,be awake,arise;tarati=spurt,splash;(tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast);hiko=move at random or irregularly;oti=finished,gone or come for good;rau=catch as in a net,entangle,project;wakainga=distant home)、「すっくと立つている・全力を奮るって(または<多くの后妃を持ち、記紀ともに80人におよぶ子を生したと伝える>ゴシップを・流した)・各地を遍歴(転戦)して・紛糾(反乱)を・解決した・遠いところを住居とした(尊)」(「ラウ」のAU音がO音に変化して「ロ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

211F4大中(オホナカツ)姫命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E2日葉酢(ヒバス)媛命の5子の真中の第3子、大中(オホナカツ)姫命とし、記は211E2氷羽州(ヒバス)比売命の第3子、大中津日子(オホナカツヒコ)命とします。

 この「おほなかつ」は、

  「オホ・ナ・カツア」、OHO-NA-KATUA(oho=wake up,be awake,arise;na=belonging to;katua=adult,stockade distinguished from the outside fence and also from the inside fence)、「すっくと立っている・内廷の外に・居る(傍系の。姫・彦)」

の転訛と解します。

 

211F5倭(ヤマト)姫命・斎宮(イハヒノミヤ)・磯宮(イソノミヤ)

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E2日葉酢(ヒバス)媛命の第4子、倭(ヤマト)姫命とし、記は211E2氷羽州(ヒバス)比売命の第4子、倭(ヤマト)比売命とします。

 垂仁紀25年3月条は、天照大神を210F11豊鍬入姫(トヨスキイリヒメ)命から離して倭姫命に祀らせ、姫は天照大神が鎮座する地を求めて菟田(ウダ)の笹幡(ササハタ)に至り、近江国、美濃国を経て伊勢国に社を立て、五十鈴川の川上に齋宮(イハヒノミヤ。磯宮(イソノミヤ)とも謂う)を立てたとします。

 この「やまと」、「いはひのみや」、「いそのみや」は、

  「イア・マタウ」、IA-MATAU(ia=indeed,current;matau=know,understand(whakamatau=make to know,make trial of))、「実に・(天照大神が鎮座する地を探し求めて)あちこちと放浪した(姫)」(「マタウ」のAU音がO音に変化して「マト」となった)

  「イ・ワヒ・ノ・ミヒ・イア」、I-WAHI-NO-MIHI-IA(i=past tense;wahi=break,split;mihi=lament,greet;ia=indeed)、「(宮廷から)分離・した・(ところ)の・実に・(呪文を唱える)祭儀を行う(場所。宮)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった)

  「イト・ノ・ミヒ・イア」、ITO-NO-MIHI-IA(ito=object of revenge,trophy of an enemy,enemy;no=of;mihi=lament,greet;ia=indeed)、「(滅ぼした)敵(が祀っていた神を祀る)・(ところ)の・実に・(呪文を唱える)祭儀を行う(場所。宮)」(「ミヒ」のH音が脱落して「ミ」となった」)

の転訛と解します。

 

211F6稚城瓊入彦(ワカキニイリヒコ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E2日葉酢(ヒバス)媛命の第5子、稚城瓊入彦(ワカキニイリヒコ)命とし、記は211E2氷羽州(ヒバス)比売命の第5子、若木入日子(ワカキノイリヒコ)命とします。

 この「わかきに(の)いり」は、

  「ウアカハ・キ・ヌイ・イリ」、UAKAHA-KI-NUI-IRI(uakaha=vigorous,strenuous;ki=full,very;nui=large,many;iri=be elevated on something,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance)、「元気・いっぱいで・非常に・有名な(命)」

の転訛と解します。

 

211F7鐸石別(ヌテシワケ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E3渟葉田瓊入(ヌハタニイリ)媛の第1子の鐸石別(ヌテシワケ)命とし、記は211E3沼羽田之入(ヌバタノイリ)毘売命の第1子の沼帯別(ヌタラシワケ)命とします。

 この「ぬてしわけ」、「ぬたらしわけ」は、

  「ヌイ・タイ・チ・ワカイ(ン)ガ」、NUI-TAI-TI-WAKAINGA(nui=large,many;tai=the sea,tide,violence;ti=throw,cast;wakainga=distant home)、「大きな・猛威を・振るった・遠くに住んでいた(命)」(「タイ」のAI音がE音に変化して「テ」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「ヌイ・タラ・チ・ワカイ(ン)ガ」、NUI-TARA-TI-WAKAINGA(nui=large,many;tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast;wakainga=distant home)、「大きな・権威を・見せつけた・気の短い(命)」または「たくさん・悪い評判を・ふりまいた・遠くに住んでいた(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

211F8膽香足(イカタラシ)姫命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E3渟葉田瓊入(ヌハタニイリ)媛の第2子の膽香足(イカタラシ)姫命とし、記は211E3沼羽田之入(ヌバタノイリ)毘売命の第2子の伊賀帯(イガタラシ)日子命とします。

 この「いかたらし」、「いがたらし」は、

  「イカ・タラ・チ」、IKA-TARA-TI(ika=fish,warrior,victim,heap;tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast)、「高い地位にあって・権威を・見せつけた(姫)」または「悪い評判を・流して・犠牲となった(姫)」

  「イ・(ン)ガ・タラ・チ」、I-NGA-TARA-TI(i=past tense,beside;nga=satisfied,breathe;tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast)、「権威を・見せつけて・満足・した(日子)」または「ヒ(ン)ガ・タラ・チ」、HINGA-TARA-TI(hinga=fall from an erect position,be killed;tara=point,peak,gossip,brisk;ti=throw,cast)、「悪い評判を・流して・犠牲となった(失脚した、または殺された。日子)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がG音に変化して「イガ」となった)

の転訛と解します。

 

211F9池速別(イケハヤワケ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E5薊瓊入(アザミニイリ)媛の第1子の池速別(イケハヤワケ)命とし、記は211E5阿邪美能伊理(アザミノイリ)毘売命の第1子の伊許婆夜和気(イコバヤワケ)命とします。

 この「いけはやわけ、「いこばやわけ」」は、

  「イケ・ハ・イア・ワカイ(ン)ガ」、IKE-HA-IA-WAKAINGA(ike=high,strike with a hammer or other heavy instrument;ha=breathe,what!;ia=indeed,current;wakainga=distant home)、「なんと・実に・金槌で叩くようなことをする・遠くに住んでいた(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「イ・コパ・イア・ワカイ(ン)ガ」、I-KOPA-IA-WAKAINGA(i=past tense,beside;kopa=pass by,fly away;ia=indeed,current;wakainga=distant home)、「飛ぶように・通り過ぎて・行った・遠くに住んでいた(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

211F10稚浅津(ワカアサツ)姫命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E5薊瓊入(アザミニイリ)媛の第2子の稚浅津(ワカアサツ)姫命とし、記は211E5阿邪美能伊理(アザミノイリ)毘売命の第2子の阿邪美都(アザミツ)比売命とします。

 この「わかあさつ」、「あざみつ」は、

  「ウアカハ・アタ・ツ」、UAKAHA-ATA-TU(uakaha=vigorous,strenuous;ata=gently,clearly,openly;tu=stand,settle)、「活発で・優しさが・ある(姫)」

  「アタ・ミヒ・ツ」、ATA-MIHI-TU(ata=gently,clearly,openly;mihi=;tu=stand,settle)、「優しくて・尊崇すべき・ところがある(姫)」

の転訛と解します。

 

211F11袁邪辨(ヲザベ)王

 記は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E6迦具夜(カグヤ)比売命の子の袁邪辨(ヲザベ)王とします。紀には記載がありません。

 この「をざべ」は、

  「オタ・ペ」、OTA-PE(ota=unripe;pe=like,crushed)、「成熟しない・ように見える(子供のような)(王)」

の転訛と解します。

 

211F12祖別(オホヂワケ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E7苅幡戸邊(カリハタトベ)の第1子の祖別(オホヂワケ)命とし、記は211E7苅羽田刀辨(カリハタトベ)の第1子の落別(オチワケ)王とします。

 この「おほぢわけ」、「おちわけ」は、

  「オホ・オチ・ワケ」、OHO-OTI-WAKE(oho=wake up,be awake,arise;oti=finished;wake,wakewake=hurry,hasten)、「すっくと立っている・気が短かったのが・終わつた(気が長くなった。命)」

  「オチ・ワケ」、OTI-WAKE(oti=finished;wake,wakewake=hurry,hasten)、「気が短かったのが・終わつた(気が長くなった。命)」

の転訛と解します。

 

211F13五十日足彦(イカタラシヒコ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E7苅幡戸邊(カリハタトベ)の第2子の五十日足彦(イカタラシヒコ)命とし、記は211E7苅羽田刀辨(カリハタトベ)の第2子の五十日帯日子(イカタラシヒコ)王とします。

 この「いかたらし」は、

  「イカ・タラチ」、IKA-TARATI(ika=fish,warrior,victim,heap;tarati=spurt,splash)、「高い地位にあって(または戦士として)・全力を傾けた(命)」

の転訛と解します。

 

211F14膽武別(イタケルワケ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E7苅幡戸邊(カリハタトベ)の第3子の膽武別(イタケルワケ)命とし、記は211E7苅羽田刀辨(カリハタトベ)の第3子の伊登志別(イトシワケ)王とします。

 この「いたけるわけ」、「いとしわけ」は、

  「イ・タケ・ル・ワカイ(ン)ガ」、I-TAKE-RU-WAKAINGA(i=past tense,beside;take=base of a hill,cause,chief;ru=shake,quiver,scatter;wakainga=distant home)、「(人を)震撼・させ・た・遠くに住んでいた(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

  「イト・チ・ワカイ(ン)ガ」、ITO-TI-WAKAINGA(ito=object of revenge,enemy;ti=throw,cast,overcome;wakainga=distant home)、「復讐の相手を・やっつけた・遠くに住んでいた(命)」(「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

の転訛と解します。

 

211F15磐衝別(イハツクワケ)命

 紀は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E8綺戸邊(カニハタトベ)の子の磐衝別(イハツクワケ)命とし、記は211E8弟苅羽田刀辨(オトカリハタトベ)の第1子の石衝別(イハツクワケ)王とします。

 紀は命を三尾(みお)君の祖と記します。三尾は、近江国高島郡三尾郷(現高島郡高島町)を本拠とする氏族とされます。

 また、『釈日本紀』に引用する『上宮記逸文』では、226継体天皇の母の振姫は命の6世の孫とされます。

 この「いはつくわけ」、「みお」は、

  「イ・ワツクフ・ワカイ(ン)ガ」、I-WHATUKUHU-WAKAINGA(i=past tense,beside;whatukuhu=kidney;wakainga=distant home)、「(腎臓に相当する)水源地(瀬田川が流れ出す琵琶湖)の・傍らの・遠くに住んでいた(命)」(「ワツクフ」の語尾のH音が脱落して「ワツクウ」から「ワツク」と、「ワカイ(ン)ガ」のAI音がE音に変化し、語尾のNGA音が脱落して「ワケ」となった)

 「ミ・オフ」、MI-OHU(mi=stream,river;ohu=beset in great numbers,surround)、「琵琶湖(水)を・取り囲む(土地を本拠とする。氏族)」(「オフ」のH音が脱落して「オウ」から「オ」となった)

の転訛と解します。

 

211F16石衝(イハツク)毘売命(布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命)

 記は211A活目入彦五十狭茅(イクメイリビコイサチ)尊211E8弟苅羽田刀辨(オトカリハタトベ)の第2子の石衝(イハツク)毘売命、亦の名は布多遅能伊理(フタヂノイリ)毘売命(後に212F3倭建(ヤマトタケル)命の后となって214A帯中津日子(タラシナカツヒコ)命(214仲哀天皇)を生みます。)とします。紀には記載がなく、仲哀紀に「母の皇后は両道入(フタヂノイリ)姫命」として出てきます。

 この「いはつく」、「ふたぢのいり」は、

  「イ・ワツクフ」、I-WHATUKUHU(i=past tense,beside;whatukuhu=kidney)、「(腎臓に相当する)水源地(瀬田川が流れ出す琵琶湖)の・傍ら(に住む。姫)」(「ワツクフ」の語尾のH音が脱落して「ワツクウ」から「ワツク」となった)

  「フ・タ・チノ・イリ」、HU-TA-TINO-IRI(hu=silent;ta=lay;tino=reality,exact;iri=be elevated on,be published,a spell to influence or attract or render visible one at a distance)、「静かに・座っている・ことが生まれながらの性質であったことで・有名な(姫)」

の転訛と解します。

 

211G菅原伏見(スガハラノフシミ)陵

 紀は陵を菅原伏見(スガハラノフシミ)陵、記は「菅原の御立野(ミタチノ)の中にあり」とします。『延喜式』は「菅原伏見東陵」「在大和国添下郡」と、『続日本紀』霊亀元年4月条は「櫛見(クシミ)山陵」と、『陵墓要覧』は「奈良市尼辻町字西池」で、唐招提寺の西北の、中に小島がある環濠に囲まれた前方後円墳を垂仁陵としています。

 この「すがはら」、「ふしみ」、「みたちの」、「くしみ」は、

  「ツ(ン)ガ・ハラ」、NGA-HARA(tunga=circumstance of standing;hara=a stick bent at the top used as a sign a chief had died at the place)、「(首長の)葬送の・地」(「ツ(ン)ガ」のNG音がG音に変化して「ツガ」から「スガ」となった)

  「プチ・ミ」、PUTI-MI(puti=cross-grained of timber;mi=stream,river)、「(材木の)節がある・濠(中に小島がある濠に囲まれた。陵)」

  「ミ・タ・チ・ヌイ」、MI-TA-TI-NUI(mi=stream,river;ta=dash,beat,lay;ti,titi=peg,;nui=large,many)、「大きな・杭が・打ち込まれている・濠」

  「クフ・チ・ミ」、KUHU-TI-MI(kuhu=insert;ti,titi=peg;mi=stream,river)、「杭が・打ち込まれている・濠」(「クフ」のH音が脱落して「ク」となった)

の転訛と解します。

 

211H1天日槍(アメノヒホコ)

 垂仁紀3年3月条および88年7月条ならびに垂仁記に新羅の王子天日槍(アメノヒホコ)が渡来して神宝をもたらしたとあります。

 この「あめのひほこ」は、

  「ア・メノ・ヒ・ホコ」、A-MENO-HI-HOKO(a=the...of,belonging to;meno=whakameno=show off,make a display;hi=raise,rise;hoko=lover,exchange)、「(自分の身分を)誇示した・身分の高い・恋人」

の転訛と解します。古典篇(その五)の001阿加流比売(アカルヒメ)の項を参照してください。

 

211H2八綱田(ヤツナダ)

 垂仁紀5年10月条に、謀反した211E1狭穂(サホ)媛の兄の狭穂(サホ)彦の軍が立てこもった稲城(イナキ)を包囲し、火を放つて亡ぼし、王子譽津別(ホムツワケ)命を助け出した功で、将軍八綱田(ヤツナダ)に倭日向武日向彦八綱田(ヤマトヒムカタケヒムカヤツナダ)の名を授けたとあります。

 この「やつなだ」、「やまとひむかたけひむかひこ」、「いなき」は、

  「イア・ツヌ・タ」、IA-TUNU-TA(ia=indeed,current;tunu=roast,inspire with fear;ta=dash,beat,overcome)、「実に・(敵を)火あぶりにして・やっつけた(将軍)」

  「イア・マト・ヒム・カ/タケ・ヒム・カ/ヒ・コ」、IA-MATO-HIMU-KA-TAKE-HIMU-KA-HI-KO(ia=indeed,current;mato=deep swamp;himu=the large posts of palisades of a fort curved in grotesque human forms;ka=take fire,be lighted,burn;take=base of a hill,cause,chief;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「実に・大きな沼地がある地域(=大和国)の・輝かしい・城柵の主柱のような/どっしりとした・輝かしい・城柵の主柱のような/身分の高い・男子」

  「ヒ(ン)ガ・キ」、HINGA-KI(hinga=fall from an erect position,be killed;ki=full,very)、「多数(の人)が・殺された(城柵)」(「ヒ(ン)ガ」のH音が脱落し、NG音がN音に変化して「イナ」となった)

の転訛と解します。

 

211H3當摩蹶速(タギマノクエハヤ)

 垂仁紀7年7月条に当代無双の大力を誇つていた當摩邑の當摩蹶速(タギマノクエハヤ)と出雲国の211H4野見宿禰(ノミノスクネ)が相撲(スマヒ。スモウ)をとり、野見宿禰が勝ったとあります。

 この「たぎまのくえはや」、「すまひ」、「すもう」は、

  「タ(ン)ギ・マノ・クアイ・ハ・イア」、TANGI-MANO-KUAI-HA-IA(tangi=sound,cry,lamentation;ma=white,clean;no=of;kuai=kuwai=a species of shark;ha=breathe;ia=indeed,current)、「祈祷の声が流れる・清らかな場所(邑)・の・実に・息をしている・鮫(のような・力士)」(「タ(ン)ギ」のNG音がG音に、「クアイ」のAI音がE音に変化して「タギ」、「クエ」となった)

  「ツマ・ヒ」、TUMA-HI(tuma=challenge;hi=raise,rise(ahi=fire))、「高揚した・競争」

  「ツ・モウ」、TU-MOU(tu=fight with,energetic;mou=we two,fixed(momou=struggle,wrestle))、「二人で行う・戦い」

の転訛と解します。

 

211H4野見宿禰(ノミノスクネ)

 垂仁紀7年7月条に当代無双の大力を誇つていた當摩邑の211H3當摩蹶速(タギマノクエハヤ)と出雲国の野見宿禰(ノミノスクネ)が相撲をとり、野見宿禰が勝ったとあります。

 この「のみのすくね」は、

  「ヌミ・ノ・ツクヌイ」、NUMI-NO-TUKUNUI(numi=konumi=fold,take a backward course,disappear behind an obstacle;no=of;tukunui=main body of an army,large)、「(敵の)背後に回ったり、障害物に隠れ(て密かに敵に接近す)る・戦法を得意とした・部隊を指揮する将軍(または大男)」

の転訛と解します。

 

211H5竹野(タカノ)媛

 垂仁紀15年8月条に211E1狭穂(サホ)媛の推挙により迎えた210H7丹波道主(タニハノチヌシ)命の5人目の娘の竹野(タカノ)媛を醜いとして帰したので、媛はそれを恥じて葛野(カヅノ)で自ら輿から落ちて死んだとあります。

 この「たかの」は、

  「タカ・(ン)ガウ」、TAKA-NGAU(taka=fall off,fall away;ngau=bite,hurt ofphysical or mental discomfort,attack)、「心に傷を負って・落ちた(姫)」(「(ン)ガウ」のNG音がN音に、AU音がO音に変化して「ノ」となった)

の転訛と解します。211E4真砥野(マトノ)媛の項を参照してください。

 

211H6天湯河板擧(アメノユカハタナ)

 垂仁紀23年10月条及び11月条に、30歳になるまで言葉をしゃべることができなかった211F1譽津別(ホムツワケ)命が空を飛ぶ白鳥を見て初めて「あれは何だ」としゃべったとあり、喜んだ垂仁天皇が「誰かあの鳥を捕らえる者はいないか」と言われたのに対し、鳥取造の祖天湯河板擧(アメノユカハタナ)が「私が必ず捕らえてみせましょう」と豪語し、白鳥を追いかけて出雲国(一説には但馬国)で捕らえて献上し、譽津別命が遂にしゃべることができるようになり、湯河板擧は厚い恩賞を得たとされます。

 この「あめのゆかはたな」は、

  「ア・メノ・イ・ウカ・パタ(ン)ガ」、A-MENO-I-UKA-PATANGA(a=the...of,belonging to;meno=whakameno=show off,make a display;i=past temse;uka=be fixed,firm;patanga=boundary)、「境界で(遠くの地域まで追いかけて)・(白鳥を)捕らえ・た・ことを誇示した(男)」(「イ」と「ウカ」が結合して「ユカ」と、「パタ(ン)ガ」のP音がF音を経てH音に変化し、NG音がN音に変化して「ハタナ」となった)

の転訛と解します。

 

211H7物部十千根(モノノベノトヲチネ)大連

 垂仁紀26年8月条(25年2月条にも)に、物部十千根(モノノベノトヲチネ)大連が出雲の神宝を検校・管理すべきことを命じられたとあります。

 この「とをちね」は、

  「ト・オチ・ヌイ」、TO-OTI-NUI(to=the...of,drag,open or shut a door or window;oti=finished(=koti=divide,separate);nui=large,many)、「非常に・離れた(遠い)土地へ・往復した(者)」

の転訛と解します。「物部」については、雑楽篇の318もののべ(物部)の項を参照してください。

 

211H8清彦(キヨヒコ)

 垂仁紀88年7月条に、211H1天日槍(アメノヒホコ)の曾孫清彦(キヨヒコ)に天日槍がもたらした神宝を献上させたとあります。

 同条および3年3月条は、天日槍は但馬の前津耳(マヘツミミ。または前耳(マヘミミ)。または太耳(フトミミ))の娘の麻佗能烏(マタノヲ)を娶り、その子は但馬諸助(タジマモロスク)、その子は日楢杵(ひならき)、その子清彦(キヨヒコ)、その子211H9田道間守(タヂマモリ)とします(記の所伝はかなり異なります)。

 この「きよひこ」、「まへつみみ」、「ふとみみ」、「またのを」、「もろすく」、「ひならき」は、

  「キオ・ヒ・コ」、KIO-HI-KO((Hawaii)kio=projection,protuberance;hi=raise,rise;ko=adressing to males and girls)、「突出している・身分の高い・男子」

  「マエ・ツ・ミミ」、MAE-TU-MIMI(mae=languid,withered;tu=stand,settle;mimi=river)、「川に・居る(交通・水利を支配する)・体の弱った(首長)」

  「フトイ・ミミ」、HUTOI-MIMI(hutoi=stunted,growing weakly;mimi=river)、「川の(川の交通・水利を支配する)・体の弱った(首長)」(「フトイ」の語尾のI音が脱落して「フト」となった)

  「マタ・ノホ・アウ」、MATA-NOHO-AU(mata=face,eye;noho=sit,stay;au=firm,sound,intense)、「顔に・堅さが・ある(色気がない・姫)」

  「モ・ロツ・ク」、MO-ROTU-KU(mo=for,for the use of,in consideration of the fact that;rotu=heavy,favourable;ku=silent)、「物静かで・(人を)威圧する・ような(威厳のある・首長)」

  「ヒ・(ン)ガラ・キ」、HI-NGARA-KI(hi=raise,rise;ngara=snarl;ki=full,very)、「高い地位にいる・非常に・口やかましい(首長)」(「(ン)ガラ」のNG音がN音に変化して「ナラ」となった)

の転訛と解します。

 

211H9田道間守(タヂマモリ)

 垂仁紀90年2月条に、三宅連の祖田道間守(タヂマモリ)が天皇の命をうけて常世(トコヨ)の国に行き、非時(トキジク)の香実(カクノミ)を求めたとあり、100年3月に8竿(ホコ)8縵(カゲ)を持って帰国した時には天皇が崩御されていたので、陵の前で泣き叫んで死んだとあります。

 記も同様ですが、三宅連の祖多遅摩毛理(タヂマモリ)が天皇の命をうけて常世(トコヨ)の国に行き、登岐士玖能迦玖能木実(トキジクノカクノキノミ)を求め、帰国した時には天皇が崩御されていたので、4縵(カゲ)4矛(ホコ)を大后に献上し(垂仁紀32年7月条は皇后崩御を記しますから、大后陵に献じたものでしょう)、4縵(カゲ)4矛(ホコ)を天皇陵の前に献じて泣き叫んで死んだとあります。

 この「たじまもり」、「とこよ」、「ときじくのかく(のこのみ)」、「かげ」、「ほこ」は、

  「タ・チマ・モリ」、TA-TIMA-MORI(ta=the,dash,lay;tima=a wooden inplement for cultivating the soil;mori=fondle,caress)、「掘棒で掘り散らかしたような地形の場所が・浸食された土地(=但馬国)の(出身の)・(垂仁天皇と日葉酢媛命に)可愛がられた(男)」

  「トコ・イオ」、TOKO-IO(toko=pole,push or force to a distance;io=spur,ridge)、「遠くにある・山々(国)」

  「トキ・チ・ク・ノ・カ・アク」、TOKI-TI-KU-NO-KA-AKU(toki=fetch,altogether,without exception;ti=throw,cast;ku=silent;no=of;ka=be lighted,take fire,burn;aku=scrape out,cleanse)、「(全く)常時・(常世の国の中に)静かに・存在する・磨くと・光り輝く(果実)」

  「カケ」、KAKE(ascend,climb upon or over)、「(葉が)絡み付いている(枝)」

  「ポコ」、POKO(go out,extinguish)、「(葉が)落ちている(枝)」(「ポコ」のP音がF音を経てH音に変化して「ホコ」となった)

の転訛と解します。地名篇(その五)の奈良県の(4)b五社神(ごさし)古墳の項を参照してください。

トップページ 古典篇一覧 この篇のトップ 語 句 索 引

<修正経緯>

1 平成14年1月1日

 210F7,210F9,210H1,211F4,211F5,211H2について「やまと(大和国)」、「なかつ」を修正したほか、211Gについて解釈を追加しました。

2 平成15年5月1日

 211E1狭穂媛の項中稲城(いなき)の解釈、211F15石衝別命および211F16石衝毘売命の解釈を変更しました。

3 平成15年9月1日

210A,210E1,210F13,211F2,211H8の項の一部を修正しました。 

4 平成17年6月1日

 210F7,210F9,210F11,210H2,210H9(「物實」を追加、挑河・我君・屎褌の解釈を修正),211B,211F3,211F7,211F9,211F14,211F15の項の一部を修正しました。

5 平成19年2月15日 

 インデックスのスタイル変更に伴い、本篇のタイトル、リンクおよび奥書のスタイルの変更、<次回予告>の削除などの修正を行ないました。本文の実質的変更はありません。

6 平成19年6月1日 

 210F1、210F4、210F11および211Aの項の一部を修正しました。

7 平成19年7月1日

 210H2の項(オホタタネコの解釈)、210H10の項(武日照命、武比良鳥、出雲振根、飯入根の解釈)、211Aの項の一部を修正しました。

8 平成19年9月20日

 210H1の項(倭迹迹日百襲姫命の解釈)の一部を修正しました。

9 平成19年11月15日

 211F2五十瓊敷入彦命の項に川上部(かわかみのとも)・裸伴(あかはだがとも)・天神庫(あめのほくら)・樹梯(はしだて)・甕襲(みかそ)・足往(あゆき)・牟士那(むじな)の解釈を追加しました。

10 平成20年2月1日

 211F5倭(ヤマト)姫命の項の倭(ヤマト)姫命・斎宮(イハヒノミヤ)・磯宮(イソノミヤ)の解釈を修正しました。

11 平成25年7月15日

 211H9田道間守(タヂマモリ)の項の「ときじくのかく(のこのみ)」の解釈を修正しました。

12 平成26年4月1日

 211F2五十瓊敷入彦(イニシキイリヒコ)命の項の「樹梯(はしだて)」の解釈を一部修正しました。

古典篇(その七) 終わり

 

ご感想を送ってください


[ご注意]下記のフォームを利用してご感想を寄せられる場合には、「href=」を含むHTMLタグを使わないようお願いいたします。
最近これを用いた外国からの迷惑メールが急増したため、排除指定しています。

お名前をどうぞ

メールアドレスをどうぞ

URLをどうぞ(省略可)

タイトルをどうぞ(省略可)

本文をどうぞ

内容を確認して、よろしければ投稿をクリックして下さい。


U R L:  http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/
タイトル:  夢間草廬(むけんのこや)
       ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
作  者:  井上政行(夢間)
Eメール:  muken@iris.dti.ne.jp
ご 注 意:  本ホームページの内容を論文等に引用される場合は、出典を明記してください。
(記載例  出典:ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/timei05.htm,date of access:05/08/01 など)
 このHPの内容をそのまま、または編集してファイル、電子出版または出版物として
許可なく販売することを禁じます。
Copyright(c)1998-2007 Masayuki Inoue All right reserved